時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

終わりの始まり:EU難民問題の行方(19)

2016年03月20日 | 終わりの始まり:EU難民問題の行方

 

 Source:Greenwich Mean Time

  もはや待ったなしの段階になったEUの難民問題について、3月17~18日の両日、ブラッセルでEU加盟国とトルコの首脳間で、危機的状況の打開策について協議がなされた。今やEUの命運を左右するまでになった難民問題だが、ここで合意された政策もEU史上、例を見ない内容となった。

戦略的見地からみたEU難民政策
 新たな政策の骨格については、前回記した通り、会議開催前から輪郭が取りざたされてきた。今回は「EUの戦略」という観点から、この難民政策がいかなる意味を持ち、どの程度実効が期待しうるかという問題について、検討してみたい(内容の関係で、前回と記事内容が一部重複する)。

ヨーロッパ大陸の東側から、絶えることなく押し寄せる難民の流れに、EU諸国は適切に対応する術を失いつつあった。自国の対応能力を超える難民の流れに、バルカン諸国からオーストリアまで、連鎖反応のように国境閉鎖を迫られた。行き場を失った難民・移民は、いたるところで閉め出され、衝突し、人道的にも悲惨な状況に追い込まれていった。

ひとつの国の力ではもはやいかんともしがたい現実が生まれた。メルケル首相のドイツといえども、例外ではなく、首相の政治的生命までが問われる段階となった。当初は人道的で寛容な難民受け入れで、国際的にも評価の高かったメルケル首相だが、その後の過程で、与党内にも反対者が増加したため、新たな方向転換を迫られていた。今回の政策は、政治的絶望状態と実務的、法的、そして倫理的な問題の山積の中から生まれた取引きとまでいわれている。混迷の中心にあったドイツとトルコが描いた素案を、EU加盟国などが不承不承ながら同意した形で成立したと観測されている。

首脳会議直前には、およそ45,000人の難民・移民がギリシャとマケドニアの国境に集中し、人道的見地からも悲惨な状況が出現していた。3月9日には閉鎖された国境をなんとか越えようとする者まで現れた。こうした切迫した事態の展開に、EU各国首脳とトルコ外相は、会議の事前にも協議も重ね、なんとか合意に達した。

重要さを増したトルコだが
 冷戦時代を通して、トルコはヨーロッパにおけるソヴィエト軍に対する拠点のひとつだった。それが、今では中東ユーラシアからヨーロッパを目指す難民に対する緩衝地帯になっている。一国ではいかんともしがたく、苦慮するヨーロッパの首脳たちと、自国の地政学上の位置を、EUに対する交渉力拡大に使いたいトルコ首脳の利害が、難民を介在して結びついた。その結果、EU、加盟国およびトルコが合意した内容は次のごとくである。

検討素案の基軸とされたのは、難民・移民を餌食とする密航斡旋業者 people smuggler に打撃を与え、壊滅に追い込むことだった。 今回の合意では、3月20日以降、トルコからギリシャへの密航者はすべていったんトルコへ送還され、トルコ国内に滞留している庇護申請者の最後尾に位置づけられ、資格審査が行われる。密航斡旋業者の撲滅を出発点としたことは、議論が複雑化することを回避する意味では、賢明であったかもしれない。

さらに、すでに5年にわたるシリア内戦の過程で、270万人に達したといわれる難民を国内に収容するトルコの負担を軽減するため、トルコへ送り返される密航者一人に対して、トルコで正式な庇護申請手続きを経たシリア難民一人(1対1)が、EUの正式の移住プランの下、EU各国で受け入れられる。

もしこの通り事態が進行すれば、難民・移民は密輸業者に多額の金銭を支払い、危険な海上の旅をすることなく、正式に定められた庇護申請の過程を選択するようになると推定されている。

トルコ側にもEUとの交渉を難しくしている要因がいくつかある。トルコのエルドアン大統領が今月に入り、政府に批判的な新聞を政府傘下に接収してしまった。トルコとEU加盟国キプロスの対立も挙げられる。トルコの軍事介入があって、1974年親トルコの北キプロスが独立を宣言し、国家分断の状態が存在する。トルコはキプロスを国家として承認していないので、キプロスもトルコのEU加盟に反対してきた。最近頻発しているアンカラ、イスタンブールなどでの自爆テロともみられる事件も、社会不安を煽る原因になりつつある。

こうした状況にありながら、トルコはメルケル首相との政治交渉で、かなり有利な条件を確保したとみられる。昨年10月に決まった33億ドルの支援の支払い繰り上げに加えて、今後3年間にトルコ国内の難民収容施設の改善などのために同額の積み上げを獲得した。懸案のトルコ国民のヨーロッパへのヴィザなし渡航の許可、トルコの将来のEU加入を図るための枠組み交渉の再開なども、トルコにとっては評価される点だろう。

かくして、今回のEUとトルコの協調的難民政策は、多数の問題を含みながらも、考え得るかなり思い切った内容になっている。もはや一国では国境を閉鎖する以外に対応能力がないEU加盟国が、EUという共同体の枠組みを維持しつつ、難民・移民の流れに対応するため、域外との障壁を再構築し、トルコという域外の国に緩衝地帯としての役割を期待する構想だ。

現在はEUの域外に位置するトルコに、ヨーロッパの門衛 gatekeeper の役割を果たすことを委託する。それによってEUとしては、制御されることなく流れ込んでくる人の流れを管理し、現在EU各国に起きている反移民・難民のポプピュリズムとそれに起因するEU統合を破壊する動きを抑えこむことを目指す。広範な地域と当事者を包括するシステムとして、さまざまに露呈する問題を体系化して解決したいという狙いだ。政策的にはひとつの体系を確保したといえる。しかし、実効性という点では、多くの問題が残る。

トルコへ送還されるか 
  昨年EUを目指した難民・移民120万人のほとんどは、トルコあるいはイタリア経由であった。
しかし、EUで設定した16万人の受け入れ枠自体、ほとんど埋められていない。そして、大きく見過ごされている問題は、対象となる難民・移民の状態だ。自分たちの意思が反映しない段階で、あたかも「物品」のように集団移動、送還などが定められる。国際法、人道的見地などからすでに批判の対象になっている。実務上も、誰が海上の送還を担うかという難しい問題が残る。現在、エーゲ海域に派遣されているNATOの艦船を使用することは、適切ではないだろう。しかし、ギリシャ、トルコ双方の沿岸警備の連携はかなり難しいことがすでに指摘されてきた。

これまでEUの難民政策の先頭に立ってきたドイツのメルケル首相は、「後戻りできないような勢いを持った合意に達した」と、成果を強調した。しかし、国連、法律家などから、トルコを庇護申請者にとって”安全な”第3国とすることには、異論や疑問が提示されている。

トルコ國民にEU域内の自由な旅行を認めることにも、異論が出ている。トルコは生科学技術によるパスポートの開発・導入など、70件近い条件をクリアする必要がある。アンカラ、イスタンブールなどで頻発している「自爆テロ」の事件も、トルコを難民・移民のプールとすることに警戒心を生む材料になっている。しかし、問題は時間との勝負でもある。春になり、移動の環境が改善されれば、難民・移民は増加することが予想されている。新しい移民ルートも生まれかねない。EUにとって、とりうる選択肢は急速に少なくなっている。


Reference
”A messy but necessary deal”  March 12th The Economist

 

 

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終わりの始まり: EU難民問題の行方(18)

2016年03月16日 | 終わりの始まり:EU難民問題の行方

 

Source: BBC photo 


非力なEUに翻弄される難民・移民
  ヨーロッパ大陸を東から西へ、ひたすら歩み続ける人々。大人も子供もほとんどリュクサック程度しか持っていない。誰もが絶望にうちひしがれ、疲れ切った顔だ。延々と切れ目なくつながる人々の流れは、TVなどの映像でも幾度となく放映された(難民問題に関心の薄い日本人にも、その苛酷さはかなり伝わったようだ)。その流れに決定的ともいえる大きな変化が起きた。ギリシャから隣国マケドニアに入国する国境が突然閉鎖されたのだ。最後に残された陸路だった「バルカン・ルート」と呼ばれるその道は、ギリシャからドイツやイギリスへ向かう難民・移民にとって残されていた唯一の経路だった。ヨーロッパの中央に大きな石が置かれたかのように、東から西への陸路は断ち切れてしまった。強引に国境突破を図る人々と国境警備官の間で紛争が起きている。難民もEUも、時間的に追い込まれている。

難民問題にこれまでほとんどなにひとつ実効が挙げられなかったEUは、3月7日、EU加盟国とトルコとの首脳会談をブラッセルで急遽開催した。12時間あまりの協議の結果、最終的協定にはいたらなかったが、EUを代表して、ドナルド・テュルクフジ氏は、「不法移民が続く日々は終わった」とだけかろうじて話すことができた(しかし、現実には終わっていないのだ)。シリアなどからトルコを経由してギリシャへ入国してくる難民、移民を審査の上、経由地のトルコへ送り返す案で大筋合意が成立した。命をかけても海を渡り、憧れの地へたどり着きたいと山野を歩いてきた人たちの多くを、トルコまで送り戻すという構想だ。

「絶望的な時、絶望的な対策」(The Economist March 12th 2016)と評される合意だった。その合意を支える考えは次の通りだった。あの多くの人々の命を奪ったトルコからギリシャの島々へ、エーゲ海を渡った人たちの短いが危険な旅路を思い起こす。今年だけでもすでに320人近くが溺死したといわれる。それでもかろうじてギリシャにたどり着いた人たちをトルコへ送り戻すという提案だ。EUの考えの根底には、トルコからギリシャへ危険な渡航をさせ、多額の金銭を奪う業者 human traffckers のシステムに打撃を与えるということもあるようだ。それによって、ギリシャを経てEUの中心部を目指す難民・移民の流れを大幅に減少させたいという考えである。

しかし、その合法性、具体化について各国からたちまち異論、疑問が頻出した。EUは3月17日からの首脳会議で改めて正式合意を目指しているが紛糾は必至だろう。

3月7日の段階では、トルコがギリシャから送り返されたすべての(要件を満たしていないとされた)難民、移民を受け入れる代わりに、EUもシリア難民を同数受け入れる。そして、以前からの要求でもあったトルコ国民のEU加盟国へのビザなし渡航の自由化を6月末に前倒しする、さらにこれも懸案であるトルコのEU加盟の枠組みの検討などが盛り込まれた。

トルコに送り返された難民・移民の中にシリア国民が含まれる場合、ギリシャ国内に残されている同じ人数のシリア難民を、EU加盟国が「見返り」の形で受け入れるとしている。まるで人間のバーター協定である。

EUを主導し、強い意志で交渉の前線に立ってきたドイツのアンゲラ・メルケル首相も、自国の重要な諸州での選挙、そして彼女自身が主導してきた難民政策への国内での批判の高まりに対処しなければならない。政治的にも、今の政権体制を守り切れるかの瀬戸際にある。

激動のトルコ
 他方、トルコも予想もしなかった出来事に国が大きく揺れ動いている。3月4日には、政府側は国内最大の新聞社 Zaman を国家管理の下に置くという暴挙に出た。エルドアン大統領の反対勢力を抑えこむ目的である。これに対する国際的批判が高まっている。

こうした状況下、EUのトルコへの対案は驚くほど寛容なものだ。昨年10月に約した33億ドルの支援を繰り上げるとともに、その額もほぼ倍増することに同意した。今後3年にわたり、トルコ国内の劣悪化した難民キャンプの改善などに当てる目的とされている。 EU自体が分裂の危機にある段階で、文字通り綱渡りの交渉である。この交渉の内容は、改めて3月17日からの首脳会議で議論され、正式合意を取り付ける必要があるが、すでに多くの批判が高まっている。トルコはEUの苦渋につけ込んだ感があったが、実情は果たして難民の秩序ある管理などの実行能力があるか、はなはだ疑問だ。国内の正常不安は拡大しており、トルコは新たな騒乱の場となりかねない。

密航した難民を一律に送り返すこと自体の適法性についての懸念が首脳会議などでも提起された。ザイド国連人権高等弁務官も9日、「集団的かつ独断的な追放」は国際法上、違法の可能性があると指摘した。トルコが「安全な第3国」であるかについても、法律家を中心に異論が続出している。

右往左往」のEUと流浪の民
 EUそして加盟国の首脳は、昨年来問題解決のために、「東奔西走」の働きをしているかにみえるが、ほとんどは「右往左往」の状態で期待する効果はあげられないでいる。それ以上に、人道的に最も気の毒なのはヨーロッパ各地で流浪の旅を続けている難民たちだろう。EUにとどまることを認める権限は誰が保持するのか。そして、審査で難民と認定されない場合は、遠路トルコへ送り戻される。その輸送手段についても多くの問題がある。この難民問題がクローズアップされた契機として、ギリシャの海岸に溺死体として打ち寄せられたシリア難民の子供の姿がEUの多くの人の涙を誘ったシーンにあった。しかし、今やEUがシリア難民を波打ち際で蹴飛ばしている風刺画が出るほどだ(The Independent紙)

EU・トルコ間の首脳会談が終わってから日も浅い3月13日に、トルコの首都アンカラで大きな爆発があり、37人が死亡するという事件が発生した。半年で3回という。トルコはエルドアン大統領、ダウトオール首相などが、テロリストの壊滅を図るなどの声明を出したが、今後のトルコの役割と実効性に大きな暗雲を投げかけることになった。トルコ政府などからの弾圧対象となりうるクルド系住民のEUへの脱出への対処など、新たな問題が生まれるかねない。

  「パンドラの箱」を開けてしまったEU 
  これまで、難民でEUが分裂すると考えていた人は、識者と言われる人も含めてきわめて少なかった。金融・財政、国際競争力などに関わるシステム、運営能力の欠点や劣化が、危機を生む要因と考えられてきた。歴史、国民性などが異なる国々が「人の移動」の障壁まで取り払うというEUの理想の実現途上で、こうした事態に陥るとは考えなかったのいうのが、指導者の思いでもあったのではないか。加盟国の拡大を急ぎすぎたという批判もあった。

しかし、大きな混迷は域外からの難民流入という予想もしなかった外的要因でもたらされた。しかも、分裂、混迷は驚くほど短期間に進んだ。問題は政治、経済、社会などあらゆる面に波及した。外国人との共存など、これまで耐えて、克服しようとしてた問題が一挙に噴出した。まさに「パンドラの箱」を開けてしまったのだ。

まもなく開催されるEU首脳会議はかなりの激論が予想されるが、そこで同意が得られたとしても、ほとんど実質的に分裂したEUの再生につながるとは到底思えない。最初の段階で提示された国別の難民受け入れ割り当ての問題すら未解決のままである。解決の主要な立役者であったドイツ、そしてアンゲラ・メルケル首相、交渉相手となるトルコとエルドアン大統領の立つ基盤、そして政治環境はこの1年くらいの間で著しく変化し揺らいでいる。暗転ともいえるほどだ。EU設立の原点に戻り、新しい時代への構想を作り直す必要があろう。しかし、その過程の先は見えがたい。

最も悲惨なのは、ギリシャ経由トルコへ送還される、シリア、アフガニスタンなどからの難民認定をされない人たちの今後だろう。シリアの内戦停止の兆しはロシア軍の撤退などで、かすかに見えるほどだが、国土に明るさがみえるまでには長い年月を必要としそうだ。焦土と化した祖国へどれだけの人々が安住の地を求めるだろうか。ひとたび開かれてしまった「パンドラの箱」が閉じられることはない。

 

今回の難民・移民問題の深刻さに、多くの検討会議やシンポジウムの企画・設定が世界中で行われている。筆者のところまで余波が押し寄せてくるほどだ。しかし、それらの検討結果がある程度の収斂を見るまでには長い時間を要するだろう。国境の存在を日常あまり意識していない日本だが、北朝鮮などの状況次第では、難民の津波が発生しないとは断定しえない。

References

"Desperate times, desperate measures"  The Economist March 12th 2016
"EU and Turkey reach migrant deal-but delay final decision until nexy summit" The Independent digital.
Der Spiegel, various issues
BBC
ZDF heute 


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「カラヴァッジョ展」偶感

2016年03月11日 | 絵のある部屋

 

ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジに帰属
『子羊の世話をする洗礼者聖ヨハネ』油彩/カンヴァス
78x122cm 
個人蔵 

 

 「カラヴァッジョ展」が国立西洋美術館で開催されている(6月12日まで)。16世紀から17世紀にかけて、ヨーロッパ画壇に大きな影響力を持ったミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ(Caravaggio, Michelangelo Merisi da: 1571-1610、通称カラヴァッジョ)だが、その名と作品が世界中に広く知られるようになったのは、それほど昔のことではない。芸術家や作品評価に浮沈はつきものだ。画家の活躍していた時代、そして17世紀に入っても、「この町(ローマ)第一の画家」" egregius in urbe pictor" と言われ、高く評価されていたが、18世紀に入ると、ほとんど忘れられかけていた。

 17世紀フランスを代表する画家ニコラ・プッサン(Poussin, Nicolas, 1594-1665:この画家はフランス生まれだが、ほとんどローマで活動していた)は、カラヴァッジョ没後、半世紀近く後に「(カラヴァッジョは)絵画を破壊するために生まれてきた」と評していたらしい。こうした評価には、カラヴァッジョが創りだしたすさまじいばかりのリアリズムと斬新さ、そして画家の犯罪に彩られた破天荒な人生などが複雑に影響していると思われる。プッサン自身は、カラヴァッジョの画風に大きな影響を受けなかったようだ。しかし、カラヴァッジョが当時の画壇にもたらした変化は文字通り革新的ともいえるもので、イタリアのみならず、フランス、オランダなどにカラヴァジェスティと呼ばれる一連の追随者による新たな画壇の流れを築いた。

 印象派以降の画家にファンが多い日本では、今でもカラヴァッジョの名前と作品を知らない人も多い。カラヴァッジョ、誰?という反応を得ることもいまだ多い。それでも世界的にカラヴァッジョへの関心は20世紀から21世紀にかけて再び高まった。2000年は画家の没後400年であったこともあり、世界中できわめて多数の企画展、出版物が生まれた。その数はおびただしく、よほどの専門家でもないかぎり、フォローするのが大変である。出版物に限っても、ラファエル、ティティアン、レオナルド・ダ・ヴィンチなどよりも多く、カラヴァッジョを上回るのは、同じ名を共にするミケランジェロ (Michelangelo Buonarroti:1475-1564)くらいといわれるほどだ。

 カラヴァッジョの影響を受けていると言われる17世紀の画家ジョルジュ・ド・ラ・トゥールに魅せられた私は、ほとんど半世紀近く、機会があるごとに、ラ・トゥールの作品を追いかけてきた。その過程でカラヴァッジョにも、かなりの関心を抱いてきた。両者の比較を通して、いつの間にか双方の画家に共通するものと異なるものを自然に知ることができたように感じている。自分の専門は貧困や失業を対象とする"陰鬱な"経済学だが、偶然に出会ったラ・トゥールという画家の作品を知ることを通して、しばしば疲れた心身を癒し、人生の大きな支えのひとつとしてきた。

 日本でカラヴァッジョの企画展が開催されたのは、それほど遠いことではない。2001年9ー12月に東京都の庭園美術館で展示が行われた時は、カラヴァッジョという画家や作品を知る人も未だ少なく、ゆっくりと鑑賞できた。当時は画家の新作8点と帰属する作品1点が展示された。(この画家の作品数は60点あまりである)。しかし、比較的初期の作品や小品が多く、この画家らしい動的なリアリズムと迫真性に溢れた作品が少なく、充足感はいまひとつだった。画家の39歳という長いとはいえない人生で、この画家が創りだしたスタイルも、時間の経過とともにかなり変わっている。その広がりをカヴァーするには、11点という出展数は少なすぎた。しかも個人的体験からすれば、前回と同じ作品も含まれていて、残念な思いもした。しかし、カラヴァッジョの作品はさまざまな事情で国際的に出展、貸与などで移動できるものはそれほど多くないことは理解できる。

  主催者側によると、今回の目玉は最近真作と認められ、この画家の企画展においては世界初公開という「法悦のマグダラのマリア」(油彩・カンヴァス、1606年、個人蔵)が展示されていることなのだろう。この主題の作品、2005年にロンドンのThe National Gallery で開催された 企画展『カラヴァッジョ:晩年』 Caravaggio: The Final Years の時点では、ブログ最下段に示したように、色彩とデザインが少し異なる2点の作品が「古いコピー」old  copies として展示されていた。今回、真作と認定され出品された作品は、画家が凄絶な人生最後の旅の遺品3点の中に含まれていたと伝えられるが、真偽のほどは不明である。(この作品については、今回の企画展カタログなどを参照されたい)。

  今回の企画展では、カラヴァッジョの影響を受けた画家たち(カラヴァジェスティ)の作品も併せて展示され、なんとか企画展としての形が整ったと考えられる。カラヴァッジョの作品は、宗教画にととまらず、静物画などもあり、一点一点が、それぞれに見応えがある。しかし、中心となる宗教画の多くは、あまりにリアルで時に目を背けたくなるような凄絶な描写もあり、見た後でかなり疲れる。今回はそうした作品はほとんど含まれていないが、「砂漠の洗礼者聖ヨハネ」にしても、色彩鮮やかで官能的ですらある。この点、同じ画題でも、ラ・トゥールの聖ヨハネは対極的とも見えるほど簡素な、しかし複雑な色合いの中に深く落ち着いている。

  ラ・トゥールを含むカラヴァジェスティの作品も展示されていた。筆者にとっては、このカラヴァジェスティの作品の方に興味深いものがあった。カラヴァッジョそしてその追随者の作品展示双方が、出展数が少なく、選択の点でややバランスに欠けていたのは残念な気がした。ちなみに、ラ・トゥールの作品は2点、「聖トマス」(国立西洋美術館所蔵)、「煙草に火をつける若者」(東京富士美術館蔵)という日本が保有する数少ない貴重な作品が展示されている。筆者にとっては何度も出会っている旧知の作品だが、ラ・トゥールの作品の中では、地味な画題であり、この二つの美術館が所蔵する経緯なども、一般には知る人が少ない。。後者については、工房作などの評価もあるが、17世紀中頃のロレーヌの風俗などを知る上でも興味深い。日本にも世界レベルの素晴らしい作品が、あまり知られることなく所蔵されていることを知らせる機会でもある。

ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ
『法悦のマグダラのマリア』 個人蔵

 

ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョに基づく模作

構図は同じだが、細部は微妙に異なっていて、その差異をめぐる背景など興味深い。


上掲図(上段)
Anonymous, first quarter of the 17th century
25a. Saint Mary Magdalene in Ecstacy
oil on canvas, 109 x 93cm
Bordeaux, Musee des Beauz-Arts, inv. 1986-1-2

上掲図(下段)
Wybrandt de Geest
(15992-c.1661)
oil on canvas, 110 x 87cm
inscribed on a cartouche painted in trompe l'oeil
imitando Michaelem /Angelum Carrava.../
MMediolon./Wymbrandus de Geest/ Friesus/a 1620
Barcelona, Private collection 

Reference:
Caravaggio: The Final Years
London, The Nationa Gallery
23 February-22 May 2005 

今回、出展された真作とされる作品の所在はカタログには
下記のごとく掲載されている(2016/04/09 追記)



Michelangelo Merisi da Caravaggio
(Milan, 1571-Porto Ercole, 1610) 
Mary Magdalene in Fantasy
1606
Oil on canfas
107.5 x 98.0cm
Private Collection 

 

コメント (2)
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