文字通り晴天の霹靂の大震災。身近に被災された方も出て、落ち着かない。考えてしまうのは、この国の近未来の姿だ。とりわけ、次の世代のことが気になる。
復興の主体
「復興庁」設置の構想も出始めたようだが、復興のあり方、輪郭が今の段階ではきわめて読みがたい。とりわけ日を追って深刻化した原発問題の解決が焦眉の大問題だ。最大の不安の根源をまず抑え込まねばならない。
目前の問題に対応しながらも、今後のことも考えねばならない。今回のような事態を、将来絶対に起こさないような安全な町作り、地域計画は誰もが望むところだ。しかし、現在の混乱した状況では、満足しうる内容で将来像の構築が行われるとは到底思えない。地震、津波、原発被災など、考えられる天災・人災から次の世代を守る構想・計画が直ちに出てくるとはおよそ考えられない。これまで出来ていなかったことが、急にできるとは思えないからだ。
しかし、復興が過去の延長線の上に構想されることだけは、どうしても避けねばならない。この惨事を次の世代で、再び繰り返すようなことは、なんとしても避けねばならない。新しい発想が必要だ。中央と地方の活動の抜本的仕切り直しなど、こうした時しかできないこともある。日本の将来を見据えての決断の時でもある。
とりあえず、地域の経験の尊重と専門家の提言のすりあわせが必要だろう。阪神淡路大震災の経験は十分に生かさねばならない。安全で健康な地域生活の構築に向けて、少なくとも政策基本軸の設定が必要だ。復興に向けた特別税導入など、財源の創出は欠かせない。考えるべき対象は被災地にとどまらない。巨大化しすぎた東京都の機能分割、移転は、焦眉の急務だが、都知事候補たちの頭の中にはありそうもない。
いずれにしても、いまや日本の再生とほとんど同義となった大震災の復興には、想像を絶する数の人々の参加が必要になっている。今こそ「日本・ニューディール計画」が、新たな条件の下で構築される必要がある。とはいっても、それが十全たる形で形成されるのを待っている時間的余裕はない。走りながら考え、軌道修正するのが現実的な姿だろう。
大恐慌期の経験に学ぶ
こうしたなかで、ある記事に出会う*1。このブログでも、取り上げたことのある「トライアングル・シャツ会社火災事件」である。1911年3月25日に起きたニューヨーク市のトライアングル・シャツ社の火災惨事をめぐる歴史的出来事である。今月は図らずも、事件発生後100年目に当たり、アメリカではさまざまな記念行事が行われている。
実は、この事件が契機となって、1930年代の世界大恐慌に対処するため、アメリカのローズヴェルト大統領が実施した一連の経済・社会政策、「ニューディール」政策が策定され、展開することになったといわれている。女性として初めて労働長官となった、フランセス・パーキンス女史が、後に1911年3月25日を「ニューディール」が始まった年とした。
アメリカについてかなり詳しい人でもこの事件をご存じない人が多いのだが、アメリカ社会史においてはきわめて重要な出来事であり、今日でも新たな研究書を含めて多数の刊行物が世に出ている。災害の規模や時代背景は大きく異なっているが、今回の大震災の復興のあり方を考えるについて、いくつかの貴重な材料が含まれている。
大きな社会改革は、しばしば甚大な被害をもたらした天災・人災などを契機として、発想され、展開することはよく知られている。このたびの「禍を転じて福とする」ことができるだろうか。
アメリカを変えた火災事件
トライアングル・シャツ事件の概略は、上述の本ブログ記事などをご参照いただければよいのだが、これまでブログ読者その他からお問い合わせもあったので、この際一般向きではあるが、きわめて優れた実態報告でもある、デイヴィッド・フォン・ドレール『トライアングル:アメリカを変えた火災事件』*2を、改めて紹介しておきたい。
1911年3月25日、退社時に近い頃、ニューヨーク市グリニッチの「トライアングルシャツ社」ビルの作業場から出火した。従業員の中には、帰り支度をしていた人もいた。しかし、火災が発生した時、緊急避難口のドアの鍵がかけられていた。
この度の福島原発事故での対応には、特別の高層ビル火災にピンポイントで対応できる消防車が使用されていたが、当時、ニューヨーク市の消防隊の高層ビル用はしごは、6階までしか届かなかった。火災発生の階までわずか6メートル足りなかった。火災は、7階から上階へと燃え広がった。
火災警報が響いてから30分後には、火災の大半は消火されていたのだが、146人という多数の人が命を落とした。そのうち123人は、若いユダヤ系あるいはイタリア系の移民の女性だった。50人以上は工場の床上に倒れて死んでいた。19人はエレベーターのシャフトに落ち、少なくも20人は脱出装置が重量過多で壊れて死亡、53人が窓から落ちたり、飛び降りて命を落とした。本書はドキュメンタリーな基調を維持しながら、犠牲となったひとりひとりの姓名や属性まで詳細に記している。
この痛ましい事件の犠牲者の実態から明らかになったことは、彼女たちは、ほとんどがイスラエル、イタリアなどからの移民の子女であったことだ。彼女たちは、ニューヨークなどの古いビルなどにある縫製工場などで、低賃金・劣悪(苦汗)な労働条件で働いていた。
前兆はあった
この悲惨な事件は、ニューヨークで前年に起きていた2万人以上の衣服縫製業労働者の争議とも関わっていた。争議は低賃金、劣悪な労働条件の改善を求めていた。トライアングル火災事件は、すでに広く浸透していた、こうした劣悪な労働実態が、「発火」したものだった。
その後、事件は、労働組合、社会運動家なども関わり、労働組合結成、安全な労働環境、賃金改善、時間短縮など、広い領域における社会政策、社会改革への運動が展開する契機となった。その後の数年間に、連邦と州は、36の新しい立法を導入し、1930年代のニューディールの基盤を設定した。労働者の団結権・団体交渉権・団体行動権を保障し、使用者の不当労働の禁止を定めたワグナー法の名で知られる「全国労働関係法」の発案者R。F.ワグナー、そしてフランシス・パーキンスは、ローズベルト政権の最後まで残って働いた。アメリカが最も「前進した時代」といわれることがある
大きい若い力
筆者(管理人)は若い頃、たまたまニューディールにさまざまな形で参加した人たちの体験を聞く機会があった。彼らは当時のアメリカの現実に大きな危機感を抱き、事態の改善のために多方面で働いた。多くは20-30代の若者であり、強い正義感を抱き、社会の改革・改善のためにそれぞれの分野で力を尽くそうと考えていた。
今以上に先が見えない時代だった。情報も不足していた。ほとんどは、自分たちの目の前にある劣悪な現実を問題として、その改善に努力した。今と違って、情報の伝達も不十分であり、経営者や保守派の抵抗も強かったが、努力は次第に草の根から連邦レベルへと集約され、多くの重要な社会立法、制度の実現へつながっていった。彼らの多くは活動を通じて生まれた新しい仕事に就き、アメリカ社会の民主化に寄与した。
明治以来の記録的大震災となったこのたびの地震・津波・原発事故を克服し、復興に向かうためには、気が遠くなるような時間とさまざまな資源が必要になる。この国難ともいうべき大震災を被災者、非被災者の別を問わず、国民それぞれが、自らのものとして共有し、努力しなければならないだろう。
とりわけ、これからの日本を背負う世代となる若い人たちの積極的な参加が欠かせない。ともすれば、暗く陰鬱な空気が支配しかねない世の中に、光を導き入れるのは若い力だ。ボランティアが自由に活動するには、まだ多くの障壁があるが、それなしに日本の再生はありえない。
二度と悲惨な災害を起こさない、安全で豊かな生活が営める町づくりには、長い時間と想像を絶するエネルギーが必要となる。真の危機は、現在の緊急救援段階の後にくるかもしれない。救援疲れで復興が失速してしまうのだ。被災地域は高齢化が著しい。こうした地域の苦難を救うためには、多くの若い人たちの参加が不可欠だ。さまざまな活動を通して、高齢者の経験も知り、彼らも多くのことを学ぶはずだ。新しい仕事の機会も、きっとその中から生まれてこよう。
References
*1
”The birth of the New Deal.” The Economist March 19th 2011.
*2
David von Drehile. Triangle: The Fire that Changed America. New York: Atlantic Arrow Press, 2003, pp.340.
大恐慌を経験した一般の人々を対象としたオーラルヒストリーとしては、今日下記の作品が比較的容易に入手できる。
Sruds Terkel. Hard Times: An Oral History of the Great Depression