"The Sarrone Master." Christ and Virgin with Saint Joseph in his Workshop, Church of Santa Maria, Assunta, Serrone (Details)
前回のブログで、ラ・トゥール作ではないかといわれる謎の絵画について、短い記事を書いた。早速コメントをくださった方もおられる。いつものことながら、老化防止?のための自己中心的覚え書きなので、多くの読者の方には、さぞ分かりにくいことと思っている。文脈も見えにくいだろう。しかし、このところかなり多くの反響をいただき、多少は共通基盤が生まれてきたことも感じている。
この一枚の作品、17世紀美術史の研究者の間でもほとんど知られていない。ラ・トゥール研究者の間でわずかに話題になるくらいだ。画家も確定できず、作品としても謎の部分があることからそれも当然ではある。しかし、ラ・トゥール研究第一人者のテュイリエが注目するように、不思議な要素を数多く含んだ作品だ。なにしろ、ラ・トゥールの周辺に登場する画家たちのほとんどがイタリア行きを経験しており、多くの人の目が文化の中心であるローマへ集まっていたのだから、無理もない。イタリアの風は強かったのだ。ということで、少し追加を書いてみたい。
この作品、実は見れば見るほど不思議に思われる。古今東西、画家の制作態度は千差万別だが、ラ・トゥールという画家に限ってみると、筆をとる前にきわめて深く考えるタイプだったようだ。そして、同じテーマを、さまざまに描いている。画題は決して多くないが、聖俗の世界について、かなり幅広く画筆を揮っていた。
ラ・トゥールの手になったか否かは別として、この一枚、さまざまなことを考えさせる。17世紀初め、ロレーヌにも、イタリア、ウンブリアあるいはローマでも見られない雰囲気の作品だ。画家がどれだけ考えて制作にあたったのか。疑問が次々と湧いてくる。美術史家が迷うだけのことがある。その中からいくつかを記してみよう:
登場する人物はそれぞれ類推がつくのだが、その描かれ方に驚かされrる。中央に位置する子供は、幼きイエスと思われる。しかし、その容貌がきわめてユニークだ。服装は17世紀当時の幼児の服装だが、ふっくらとし、謎めいた笑みを浮かべた容貌は、どう読むべきだろうか。さらに男子か女子か分からない顔立ちだ。少し人間離れしているといってもよい。そして視線はどこを見つめているのか。なにを考えているのだろうか。当時の人はどう受け取ったのだろうか。
左側に描かれたマリアとみられる女性も謎めいている。きりっとした美しい顔立ちであり、刺繍の仕事の手を休め、一瞬なにかの思いにとりつかれたようにみえる。しかし、なんとなく現実離れした不思議な美しさだ。イエスの整然として衣装と比較して、きれいな衣装ではあるが、かなりカジュアルに描かれているのが注目点だ。足下の木靴の描き方も気になる点だ。
そして、さらに第3の人物であるヨセフとみられる男性の姿と対比すると、また驚かされる。この老人は今日でもどこかで出会うことがあるかもしれない普通の人物イメージだ。かなり一徹な、仕事熱心な男のようにみえる。ラ・トゥールは、聖人を描くに、世俗の人々にモデルを求めた。『アルビの12使徒シリーズ』を思い出させる。日々の厳しい仕事の間に刻み込まれた顔の深いしわ、白くなった髪の毛など、ラ・トゥールだったら描いたかもしれない。そのリアリティは強い迫真力を持っている。カラヴァッジョの影響が感じられる。唯一、注目されるのは頭上にかすかに描かれた光輪(ハロー)だ。
この時代、宗教改革、カトリック宗教改革、トリエント公会議などの動きの中で、画家たちはそれぞれに時代が求めるものを探っていた。人物の描写だけに限っても、疑問は尽きないのだが、画家は意識してこの一枚の画面でさまざまな実験を試みたのではないかという思いがしてくる。マニエリスム、リアリズム的要素の混在も、そうした試みの表れなのかとも思う。ここまでくると、この作品がラ・トゥールの手になるものかどうかという問題はかなり後退する。
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