時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

​就活のあるべき姿は:企業・大学の責任

2022年08月20日 | 労働の新次元




コロナ禍の影響もあって、最近はリクルートスーツといわれる服装で、一目で就活中と思われる学生の姿を街中で見かけることは少なくなった。しかし、「就活」(就職活動)といわれる学生が職業に就くための活動はれっきとして存在し、オンライン化などで表面からは見えなくなっているだけだ。就職協定*1がなくなってしまっている今日の段階では、仕事を求めたり、採用する活動の実態は、かなり混乱している。

最近、歴史家(京都大学)の藤原辰史氏が『日本経済新聞』に「就活廃止論1&2」*2 を寄稿されていた。この機会に問題が発生した頃から、ブログ筆者も多少関わったこともある就活廃止に向けての議論を振り返ってみた。

〜〜〜〜〜〜〜
*1
就職協定とは、 企業と 学校(主に大学)の間における卒業見込み者の就職に関する協定である。法律上の取り決めではないが、企業側と学校側が、自主的に結んでいた 紳士協定である。 1952年に大学、日経連、当時の文部省、労働省から成る就職問題懇談会によって「就職協定」として協定を結ぶに至ったが、青田刈りなど協定違反が続出し、「守られないならあっても意味がない」として 1996年に廃止されている。
その後、2013年には政府の要請もあり、経団連が「採用選考に関する指針」(通称:採用選考指針)を発表し、2016年卒業生から、広報活動は「卒業・終了年度に入る前年度の3月1日以降」、採用選考活動は「卒業・終了年度の8月1日以降」に開始すると提示している。


*2
藤原辰史「就活廃止論1&2」『日本経済新聞』2022年7月27日、8月17日
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1996年の「就職協定」の廃止によって、今日まで続く「就職活動の早期化・長期化」が始まったが、その背景には、企業側の「厳選採用」を目指す動きと、応募する「学生数の増加」という変化を指摘できる。その結果、企業、学生の双方に早く活動を開始しなければとの焦りのような状況が生まれた。さらに、インターネットの普及も就活の形態を大きく変化させた。オンラインでの応募面接なども、珍しくなくなった。職業決定の仕組みは、かなり見通し難くなっている。

この問題については、ブログ筆者も協定の廃止で事態が深刻化した当時、さまざまなメディアで、就職活動のあるべき姿について意見を求められたり、検討委員会の一員として改善案*3を求められたりしてきた。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
*3

「学生の職業観の確立に向けて:就職をめぐる学生と大学と社会」日本私立大学連盟・就職部会就職問題研究分科会1997年6月

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しかし、それから20年以上経過した現在の状況は、実質的に何も変わっていない。大学側、経営側双方に事態を改善しようという意欲が欠けている。成り行き任せで、今年も同じという事態が継続してきた。

あまりに長い期間、抜本的改善もなく放置されてきただけに、多くの問題が発生、蔓延、定着してしまい、事態を容易に立て直すこともできなくなっている。

改めて考え直してみると、究極の問題は、大学生活において最も重要な時期である最終学年の勉学が就活のために大きく損なわれることについての大学、企業など当事者の責任感が弱く、改善努力に欠けることにある。

この問題に長らく当事者として関わってきた者の一人として、改めて提言したいのは、就活を大学生活と時期的に切り離し、原則、大学卒業後に移行することである。大学生活のあるべき状態をなんとか取り戻したい。就活はひとまず大学などでの学業を修めた段階で、職業を選択する上で必要な行動である。兵役などとは異なり、自らの意思で望ましいと考える職業機会に就くためには必須の期間でもある。他方、大学などの最終年次は、学業の修得の成否を左右する最重要な時期に当たる。卒業論文などの作成もこの時期と重なる。大学のみならず、企業側もこの点を改めて認識すべきだろう。

筆者の経験で分かりやすい例をあげてみよう。ある年、4年生になったゼミ生のひとりが2、3ヶ月ゼミに出席していないことがあった。他の学生はほぼ全員出席していたので、当該学生になぜ出席できないのか尋ねたところ、父親から電話があり、「今は息子の人生を決める重要な時だ。大学側は半年くらい閉講にして、学生のことを考えるべきだ」との厳しい口調であった。筆者も立場上、強く反論はしたが、息子の人生が決まるとまで言われると、いささか答えに苦しむ所もあった。

こうした経験も踏まえた上で長らく考えた結果、望ましい解決は、大学生活と就活を切り離し、後者を卒業後の時期に充当することしかないという結論に至った。大学としては、教育の場としてのあるべき姿を回復、確保することが第一義的に重要なことだ。就活は必要な行動だが、大学生としての必要な課程を全うした学生が対象になるべきだ。諸外国の例を見ても在学中に職業が定まる比率は、日本よりはるかに低い。就職のための活動は、原則卒業後の活動と考えられている。自らの学業習得の成果を語れるのは、本来規定の学修過程を終了してのことである。そのためには、就活をする学生が、大学生活をあるべき形で終了したことを示す示す証明、端的には卒業証書が必要だろう。

卒業証書であるから、常識では卒業式*4の際に手渡されるのが普通である。その時期は、ほぼ統一されており、日本では3月末には終了する。それから数ヶ月が新しい就活の時期となる。卒業論文をもって証書に代えるというのは、普遍的に実施することは難しい。学生の学習成果を示す2次的な証明材料とはなるだろう。卒論を構想、作成するにしても、雑念に惑わされず、専念できる期間が必要だ。

*4
英語で「卒業式」commencement には「始まり、開始」の意味があることにも留意したい。人生の新たな段階に入る一区切りの時と考えられる。

会社訪問を含む就活は、ここからスタートする。全ての候補者が同じ線上に並ぶことになる。卒業証書を授与されていない学生は、就活の対象とならないとすることで、就職市場では最低限の整理が行われる。企業、大学側も、求職、採用に至る活動は、効率的に行われるため、比較的短期間になるだろう。元来、外国で見られるように、採用は通年で行われるものであり、日本のように特定の時期に入社などが集中するのは異例といえる。卒業証書を持っている者は、通年いずれの時でも求職の活動を行えることになる。労働市場の国際化が進む中、こうした次元へ日本も移行することは望ましいことでもある。

この新しい次元への移行に際しては、大学側と企業側の間で、目的達成に必要な最低の条件を整えるためのルールの確認と申し合わせを改めて確認、遵守することが必要である。大学生の在学期間を勉学という本来の活動に当てることは、それに続く就活を後押しすることになり、学生は4年間の学生生活を本来あるべき形で全うできるはずだ。充実した学業の成果を達成した学生を採用対象とできることは、優れた人材を望む企業側にとって本来望むべきことなのだから。これまで見られた在学中に就職先が決まってしまったことで、残された期間が安易に過ごされてしまう例もなくなるだろう。

他の諸国にはほとんど見られない修学の期間を犠牲にしての就活という奇妙な慣行を速やかに消滅させ、本来の大学のあるべき姿を取り戻すことは、入学者の減少を始めとする危機的段階を迎えた日本の大学にとって、真摯に考えるべき重要事項だ。これまでのように安易に流されることなく、教育そして職業選択という重要な活動をあるべき姿に取り戻す時である。


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家庭に戻った仕事の意義を考える

2021年01月04日 | 労働の新次元
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18世紀の 家庭での紡糸作業と21世紀のホームワーク
Source:’Factories and families’ The Economist December 19th-January 1st 2021


新型コロナ・ウイルスが世界的に猛威をふるいだすとまもなく、多くの国でオフイスや工場の事務などの仕事がオンライン、テレワーク、リモートワークという形で家庭へと移行し始めた。変化は学校教育などの分野でも急速に展開した。これには、SlackやZoomなどのIT技術が大きな支えとなっている。

この変化はデジタル化路線の先取りのように評価される反面、コロナ・ウイルス感染が収束すれば以前のオフィス中心の路線にかなり戻ってゆく動きとも見られている。

18~19世紀でも家庭での労働は重要だった
英誌The Economistが興味深い指摘をしている。それを材料に少し考えてみる。1600年ごろから19世紀半ばにかけて産業革命の先端を切った英国では、怪獣BEHRMOTHに例えられる大工場への労働力の移動が進んだが、同時に家庭では靴下編み物やウールの紡ぎ、乳牛の搾乳などさまざまな仕事が行われていた。衣装から靴、さらにはマッチ箱まで、工場ではなく家庭の居間や物置の片隅で作られていた。

’Factories and families’ The Economist December 19th-January 1st 2021


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NB
18世紀イギリス繊維産業における家庭労働の断片

 
18世紀イギリス ヨークシャーで紡糸作業などをする家内労働者

The Jersey wheel として知られる家庭内紡糸機械

1776年、アダム・スミスが『国富論』で有名なピンの製造について記した時、彼の頭のなかには10人程度の小さな作業場がイメージされていたのではないかと思われる。当時勃興しつつあった巨大で悪魔的なイメージの工場ではなかった。

英国でも1800年代半ば頃までは使用に耐える統計はなかった。その意味では、この時期の実態は文学、美術その他からの印象も重要だ。『クリスマス キャロル』のスクルージは counting-house 会計室で働いていた。18世紀の家の多くは2階に大きな窓があり、ホームスパンなどの織布などの仕事は明るい光を取り入れて行われていた。

1900年頃、フランス政府は家庭生産で産業の主導権を取ろうとしていた。労働力の3分の1は家庭で働いていた。同じ頃デンマークではおよそ10分の1は家庭での生産に従事していた。アメリカでは1800年代初期には全労働力の40%以上が家庭で働いていた。
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家庭に基盤を置く産業の労働力 (at-home industrial workforce) の台頭には二つの理由がある。1600年頃からのグローバルな貿易の成長と個人所得の増加だ。ウール製品や時計への需要が増大した。しかし、台頭した技術は大規模工場よりは小規模な作業場に適していた。産業革命に力を与えたジェニー紡機が実用化されたのは1760年代以降だった。

19世紀後半、イギリス Coat’s of Paisley に雇われ働く児童労働者

この時に浮上したのは “putting-out system”(問屋制家内工業:商人から原材料の前貸しを受けた小生産者が自宅で加工を行う工業形態のこと)と言われた出来高ベースの仕事だった。労働者は原材料を受け取り、しばしば道具や機械類もデポから受け取った。それら家に持ち帰り、作業をし、製品の引き換えに、賃料を受け取った。労働者はいわば独立の契約者 independent contractorsであり、出来高払いで時間給ではなかった。

歴史家によると、このシステムでは労働者は容赦なくこき使われたという。機械と原材料を持つ者は権力を握っていた。劣悪な報酬、労働条件でも、嫌なら仕事などするなという状況だった。

事態を改善しようと労働組合が発展し始めたのは1850年代からだった。その効果も多少あって、工場制労働者は家庭労働者よりも10-20%高い賃金を受け取っていた。

工場システムへの支持と反抗
18世紀末からの工場システムの発展を評価する歴史家もいる。生産性と言う点では工場の方が高かった。しかし、工場制への反対もあった。19世紀、機械打ち壊しを目指すラッダイトへの参加もそのひとつだった。彼らは自分たちの仕事を奪うものとして機械を破壊した。

家庭の労働者は賃金は低かったが他の手段で埋め合わすこともできた。しばしば給付された原材料をうまく使って余剰を作り出した。家庭で働く労働者は自分の時間についても工場労働者よりも柔軟にコントロールができる。要求された質と量の仕事さえしていれば、後は仕事の仕方や時間には規制は受けない。労働と余暇のミックスを適切に設定できる。

19世紀の工場労働者
当時の工場労働者は一日12−14時間は働いていた。ハーヴァードの著名な歴史家デヴィッド・ランデス David Landesのような後世の経済史家がやや戯画化して言えば、18世紀の労働者は19世紀より短時間労働だった。日曜日の夜にしこたま酒を飲んで、月曜日は休みにし、火曜日はいやいや仕事をして、水曜日に体を温め、木曜日、金曜日は懸命に働き、土曜日は休みという働き方もあった。睡眠時間も長かった。

自律性を維持できることは母親にとっては特に重要だ。女性は子供のケアと家庭の所得の双方に寄与できる。

1920年、マックス・ウエーバーは労働者の仕事の場が彼らの家庭から切り離されることは「深い影響力を持つ」結果につながると述べた。工場は、家庭に基盤を置き仕事をする従来のシステムよりも効率的である。それと同時に工場労働では、労働者が自らの生活、人生をコントロールする力を失い、楽しみも失う場所が増えることを意味する。この考えにならうならば、今日のパンデミックが誘発した家庭への仕事の移行も同様に深い影響力を発揮するだろう。

参考:「時間」の長さの歴史
イギリス、週平均労働時間(実績)


Reference
モノクロ写真は下記文献から 
Anthony Burton, The Rise & Fall of King Cotton, Andre Deutsch, BBC, 1984
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足下を見直す:拡大・再編が進む下層労働市場の行方

2019年12月29日 | 労働の新次元


年末の東京、新宿、渋谷駅などでは構内に中国語、韓国語、英語のアナウンスが飛びかい、その間を流れる日本語を拾って、一瞬、ここはどこかと思うことがある。朝夕の通勤時など、スマホ片手の日本人、大きなカートを引っ張る外国人でごった返している。10年近くで東京など大都市の駅や車内の光景は激変した。外国人観光客の急増に加えて、首都圏の駅周辺の家電量販店、コンビニなどでは、中国人やヴェトナム人などの店員が急増し、働いている。多くは留学生アルバイトのようだ。日本語の能力は十分でなくとも、バーコードや電子マネー決済方式が普及したため、商品確認などが容易にになったのだろう。外国人観光客のほとんどがカードで支払いをしている。

変わる代金決済「サービス」の実態
長らく算盤や暗算に慣れてきた日本人は比較的抵抗が少ないようだが、例えば税込786円の商品を買って、1000円札を渡すと、214円の釣り銭を硬貨でひとかたまりに渡されることに当惑、違和感を感じたという外国人の話を聞いたことがある。このごろは電子レジの普及で、買い手にも直ちに釣り銭額が表示されるようになり、金額の大きな貨幣から100円2枚、10円1枚、1円4枚の順で渡してくれる店も増えた。小さな変化だが、外国人や高齢者には親切な対応だ。カードでの決済ならば、こうした心配はもとより払拭される。

数年前のことだが、空港のカフェテリアで中国人とみられる客が、掌に硬貨を載せ、これから取れと店員に迫っていた光景が目に浮かぶ。さらにこの客は、店員が中国語が分からず当惑しているのにお構いなく、大声で喚いていた。店員はそれでは足りないと言いたいようだった。こうした光景を一度ならず見た。10年くらい前の中国の実態では、さほど珍しいことではなかった。

かつて中国の国営商場などで、商品や釣り銭を売り場の台上にばら撒くように放り出され驚いたことがあった。中国語の「服務」という概念には、日本では当たり前の顧客へのサービスという実質が希薄だった時代があった。日本の店は親切だという中国人観光客の感想には、単なるお世辞にとどまらない、かつての自国の残像もあるのだろうか。

用例
我们应该全心全意地为人民服务 (=我々は 誠心誠意人民に 奉仕すべきである)。

変化が早い世の中で、注意していないと気づかないことだが、サービス産業の景色も大きく変わった。

誰もやりたがらない仕事をする人々
他方、労働力不足がもたらした深刻な人手不足は、一般の人々の想像をはるかに上回っている。若い人たちが忌避し、ロボットの開発も採算が合わないような仕事、ほとんどが低賃金の肉体労働は、外国人や高齢労働者に押しつけられている。新たな下層市場が急速に形成されていることを実感することがある。

最近目にした光景である。近くの工事現場では、日雇いの労働者が集まらず事実上、仕事ができないようになるという。五輪ブームで建設需要が増えた裏側である。ある日の解体工事現場を見た。解体されているのは、数十年は経過したと思われる古い木造家屋、以前は小さな居酒屋や商店であったのろうか。油と埃で真っ黒な木材になっている。解体現場では、明らかに外国人と見られる労働者、数人が働いている。夕方など、作業着と手足、顔の区別ができないほど埃でまみれている。防塵マスクもメガネも装着していない。作業員の容貌の区別など到底できないほどに汚れ、一見して息を呑んだ。管理者らしい日本人が来て、時々指示をしている。夕方になると、数人の同国人と見られる外国人が、連れ立ってどこかへ帰って行った。

建設業は、外国人労働者なしには立ち行かない事態にまで到っている。こうした産業はいまやかなりの数に上る。


近くの私鉄の駅に行く。そこでも痛ましいような光景に出会った。駅の階段の手すりや足元の階段の汚れをかなりの年配の女性が掃除をしている。多分、60歳代後半から70歳代だろうか。驚いたことに、床に設置されている目の不自由な人(視覚障害者)のための黄色の「警告ブロック」や「誘導ブロック」を床に座り込んで、雑巾で拭いているのだ。多分、棒の付いたモップ雑巾ではきれいにならないからだろうが、強いショックを受けた。そこまで要求されねばならないのだろうか。日本の街路はきれいと外国人は称賛するが、それを支えている人たちの中にはこうした人たちがいることを忘れてはならないと思う。

地方創生、活性化の促進を政府は強調するが、現実は仕事の機会は大都市にますます集中する傾向が進行している。賃金も都市部は高いので当然の動きといえる。現行の都道府県別最低賃金制は、この傾向を助長している。労働市場の範囲を段階的に道州制くらいまで広域拡大し、さらに広域市場間の賃金格差の平準化に努めないと、大都市圏への労働力集中は避けがたい。アメリカ・カリフォルニア州ぐらいの広さに日本列島はすっかり収まる。その範囲を都道府県単位で細分化し、多大な行政コストをかけて、それぞれ賃率を定めることの無意味さに気づくべきだ。全国一律の賃金率だけ定め、後は必要ならば各広域地域の実情に合わせてプレミアムを加算するという方式に移行すべきだろう。制度は一度作ってしまうと変更し難いのは事実だが、時代遅れとなった制度は改廃しなければならない。最低賃金制度のように歴史が長く、制度自体が新たな変化に対応することを拒む足かせになっている例は数多い。

進む労働市場の階層化
他方、労働市場の階層化が急速に進行している。東京オリンピック関連工事などの関連で、被災地や地方の工事は人手不足がさらに深刻になった。2019年4月から日本はこれまで表向きは受け入れていなかった外国人労働者(単純労働)を、労働力不足が厳しい特定分野に限って受け入れるという政策に転じた。今回の外国人受け入れ政策転換は、またもや人手が確保できなくなった産業の圧力に押されて、不熟練労働者を受け入れるという成り行き任せの政策となった。

技能実習と新しく導入された特定技能(1号、2号)の差異は、外国人には大変わかりにくい。日本人でも、法令の文言と実態の関係を正しく理解することはかなり難しいのではないか。さらに、細部は省令に委ねられ、手続きもきわめて煩瑣のようだ。新しい制度であるにもかかわらず、具体的レベルで詳細を詰めることなく見切り発車をしてしまったので、現場には混乱が起きる。こうした準備不足で透明度を欠いた制度は、形骸化したり、犯罪など不正の温床となる。現に、特定技能制度は導入が拙速であり、受け入れの仕組みも整備されていない。送り出し側、受け入れ側双方に決定的な対応の遅れがあり、すでに多くの問題が発生している。

日本人がやりたがらない仕事を埋めるために外国人労働者を受け入れることは、多くの場合、日本人労働者の下に新たな低賃金労働者の階層を作り出すことになる。市場ビラミッドの最底辺を外国人労働者や高齢者が担う構図になっている。新たな下層労働市場の形成は、1980年代後半から進行し始めたプロセスだが、このたびの不熟練労働者の受け入れで一段と拡大した。

他方、期待する高度な専門知識や技能を持つ外国人は来てくれず、集まるのは不熟練労働者ばかりという流れは政策の貧困に起因している。必要なのは、現在の政策が内包する不合理な諸点の是正と関係者への透明度の貫徹だ。出入国管理政策とって最重要な要件のひとつは、外国人労働者を含めて国内外の関係者にとって、制度の体系、運用についての透明性、正当性が浸透し、確保されることが不可欠だ。その点が確保されない限り、制度の悪用、乱用は避けがたい。「多文化共生政策の推進」など、一見耳ざわりの良いスローガンも聞かれるが、決して安易な道ではない。

世界中にきわめて深刻な問題を提起している「移民・難民」の流れに対応する新たな出入国管理の政策体系とそれが果たすべき役割が、現状では全く感じられない。オリンピック後には、彼らのあり方を含めて、大きな混乱、反動が生まれることはほぼ確かだろう。足元を見直し、将来につながる政策を構想し直すことを期待したい。


稲上毅・桑原靖夫・国民金融公庫総合研究所『外国人労働者を戦力化する中小企業』(中小企業リサーチセンター、1992年)

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労働の消滅と来るべき未来

2019年03月19日 | 労働の新次元

「仕事の終焉」 

THE END OF WORK
The AMERICAN INTEREST
January-February 2018
cover 

 

平成」という時代が終わりを告げようとしている。これまでメディアの一面を飾ってきた社会経済現象でも盛衰が著しく、その終焉が語られる事象も様々にある。このブログに関連する分野で、今回は「仕事」と「労働組合」を取り上げてみる。

ブログ筆者は長らく「労働の世界」を体験したり観察してきたが、1980年代初めに、日米の労働組合の組織率の時系列的分析を試み、いずれの国においても、文字通り画期的な組織化努力がない限り、組合を取り囲む環境は厳しく、その衰退は不可避であることを予想した。さらに、その趨勢を支配する最大要因は、時代とともに変化する産業基盤であることに着目した。組合員数の行方は、彼らが働く産業の盛衰に基本的に依存しており、衰退産業では組合の組織化努力にも厳しい限界があることを示した。その後、他の説明変数を加えた研究なども行われたが、日米共に労働組合の衰退はブログ筆者の示した方向に進んできた。労使の関係が本質的な変化を示してから、すでに久しい。この点を簡単に見てみよう。

2018年時点で、アメリカの労働組合組織率は13.5%、協約のカヴァー率でも14.8%まで低下している(しかも、そのほとんどは公務員関係組合だ。民間部門は7%以下)。日本の場合も、2018年6月30日時点で、組合員数約1,000万人、組織率は17.0%、(内パートタイム労働者については推定8.1%)と同様に低下している。1980年当時はおよそ1,270万人の組合員、30%程度の組織率であったから、その衰退は明らかだ。推定組織率とは、国ごとに差異はあるが、概して雇用者数に占める労働組合員数の割合を意味する。いずれにせよ、この状況で組合が労働者を代表しているとは、到底言えない。労働者の考えを政治や制度改革に反映させるには、まったく新たな経路を構想しなければならない。新しい時代には、新しい器の構想が必要なのだ。この点は新たなテーマとなる。

「労働の終焉」の意味するもの
この変化と並び、しばらく前から欧米のメディアに、「労働の終焉」The End of Work, 「労働者階級の消滅」The End of the Working Class などの表題が目立つようになった。ここでいう「労働」work、「労働者階級」working classとは、概して、鉱業・製造業労働者などに典型的な肉体労働者 manual wokers を意味することが多い。今日では、長年にわたる厳しい労働の跡を掌(手のひら)などに残している労働者の姿も少なくなった。長年にわたる労働と連帯が刻みこまれた誇るべき手といえるだろう。

第二次大戦後、「階級」class という存在が希薄となった日本でも、一時は階級闘争を掲げ、新聞などメディアの一面を占めた大規模な労働争議も発生したが、1970年代半ば頃から急速に姿を消した。「争議」「ストライキ」というような文字もメディアから消えていった。最近では「官製春闘」というように、労働組合側の企画力、交渉力も劣化が著しく、存在意義すら問われている。

第4次産業革命の挑戦
労働者の実体は産業革命の変遷と相まって、大きく変貌した。その含意は様々で、ブログなどに短く記すことは容易ではないが、あえて試みると、18~19世紀にかけてヨーロッパや北アメリカで展開した「第一次産業革命」が歴史に登場する。L.S.ラウリーなどの作品に、その陰影が描きこまれている。

そして、第一次世界大戦前、1870~1914年にかけて、鉄鋼、石油、電力などを背景に、電話、電灯、写真、内燃機関などに代表される新たな発明を生んだ「第二次産業革命」の展開過程は、手短かに表現すれば、「労働の時代」でもあった。「労働者」階級の誕生とその爆発的増大、並行しての「労働組合」の拡大・隆盛の時代であった。しばしば大企業が「巨大怪獣ビヒモス」の名の下に、強大な支配力を誇った。

続いて、「ディジタル革命」ともいわれる産業と製品が生み出した経済的、社会的変化が生まれ、パーソナル・コンピューター, インターネット、関連しての情報通信技術が機動力となっている「第三次産業革命」が、進歩の段階を深めてきた。そして、ディジタル革命が社会全般、そして医療などを媒介して人体の改造にまでつながる「第四次産業革命」の入り口に差しかかっている。その範囲はロボティックス、AI (人工知能),ナノテクノロジー、生化学、3Dプリンティング、車両などの自動運転など広範に渡り、すでにかなりの程度実用化している。

この長い変化の過程で、労働者階級は産業革命とともに生まれ、多くの変化を経て、いま衰退の危機を迎えている。長く「煙突産業」(製造業)を支えてきた労働者の分厚い掌、強靭な肉体に象徴されるような仕事は、今日の社会を動かしている多くの産業では、中心的存在ではなくなってきた。彼らは少数派になりつつあるが、この社会を自らの手で築いてきたという連帯感と誇りを支えてきた。

代わってさまざまなサービス労働者、IT関連労働者が増加したが、彼らの間には第二次産業革命以後に見られたような労働者としての連帯性も薄れ、代わって各種のロボティックス、AIなどとの領域での仕事の争奪が進行している。

「分解する」労働者階級
このように産業の盛衰も激しいが、労働者の世界も大きく変わった。肉体労働者の比重も減少したが、それとともに労働者の世界も多様な形に分解・分裂してきた。主として頭脳で働く労働者と肉体を使い働く労働者の間には越えがたい一線が生まれ、さらに両者共に多様に分解してきた。この過程は今や最終プロセスに入っている。そして、待ち受けるのは肉体的、ディジタル、生物学的特徴でさまざまに多様化した新たな仕事の世界である。

このところ、ブログ筆者のタイム・マシンもかなり忙しく時空をさまよってきた。飛行を止める時も遠くないことを意識するようになった。第一次、そして第二次産業革命の初期については、L.S.ラウリーが描いたようなイメージが残っている。しかし、その後の産業と働く社会の世界像はかなり複雑で予想の域を出ていない。これからの時代を生きる若い世代には、しばしスマホの狭い画面を離れ、来るべき世界がいかなるものになるか、目を凝らすことをおすすめしたい。チャンスもあるが、リスクも大きなこれまで以上に難しい時代が待ち受けていることは確かだからだ。

  

工業の盛衰と共に生きた人々を描いた画家
L.S.ラウリーの世界 

Judith Sandlling and Mike Leber
LOWRY'S CITY
Lowry Press, 2000   civer  

 

 

 

References
Brink Lindsey, ’The End of Work’, The American Interest, Winter 2018Richard Baldwin, The Global Ipheaval, oxford University Press, 2019

桑原靖夫「労働組合の産業的基盤:日米労働組合の組織率分析」『日本労働協会雑誌』1981年11月
________.『労使の関係』放送大学テキスト, 1995年

 

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未来からの移民(1)

2014年05月08日 | 労働の新次元

 



The Economist cover
March 29th-April 4th 2014



  このブログが頼りとする「タイム・マシン」The Time Machine は、このところ乱気流に出会う時が多くなった。時代の行方が急速に重く濃い霧で覆われるようになった。尖閣、ウクライナ、大気汚染、温暖化、中国、韓国が突きつける
「歴史問題」、居丈高な中国政府、北朝鮮の異様な姿、アメリカ、EUの衰退..........。先が見えがたい問題が次々と起きている。連休中にもかかわらず、さまざまなことを考えさせられた。

 「ラテン民族の国々では、中年、高年の男子の話題は、政治だけで十分、下層階級になると、それにスポーツが加わる。アングロサクソン系の場合は、政治はむしろ経済や金融にとってかわり、時に文学などもつけたしに出てくる」(ミッシェル・ウエルベック、『地図と領土』)とのことだが、日本人はどうだろうか。このブログから政治は意図して落としてきたが、このところ不本意ながら取り上げることもある。

 
これだけ重要課題が迫ってくると、次世代のために多少なりと記したいと思うことも出てくる。ウクライナ問題にしても、一部に短期終息と楽観する見方もあったが、ブログが予想したとおり、内戦状態となり、もはや長期化は避けがたい。世界が幸い次の安定期を迎えるとしても、それまでかなり長い動乱・動揺の時期が続く。ヨーロッパ、そして世界の勢力地図がかなり塗り替えられるだろう。当面、アメリカの外交力の低下、EUの弱体化が目立ち、燃えさかる事態に対する消火能力は期待しがたい。これまでならば、間もなく軍事介入をほのめかしたアメリカも、ヴェトナム戦争以来、他国での戦争への介入による後遺症は深く、国力、外交力の衰退は覆いがたい。その間隙を狙ったプーチンの力の外交が押し気味だ。EUを含め、民主主義体制を標榜する国は、活力がなくなり、後退が目立つ。

 政治に限らず、大気汚染、自然破壊などを含めて、現代社会が抱える重大問題、そして近い将来起こりうる国家の破滅につながりかねない重苦しい予兆が次々と起きている。

 目前の問題に目を奪われて、時代を見通す視点を失いがちな政治家や官僚のあり方に強い懸念を感じる。それは国民自身の問題でもある。近未来に予想される重要問題がひとたび発火すれば、国家の衰亡、破綻につながる惨憺たる事態になりかねない。その火種はいたるところにある。しかも犠牲となるのは、これからの若い世代だけにことさら懸念は強まる。

首都圏直下型地震の危機 
 ひとつの例を挙げてみたい。
5月5日早朝、東京首都圏を襲った地震が発生した時、幸い管理人は目覚めていた。地震発生の瞬間、あわや直下型地震かと思った。地震を予知する警報もなく、突如揺れ出したからだった。

 幸い、地震のマグニチュードは心配したほど大きくはなく、東京直下型地震との関連性は薄いとの気象庁の発表で、少しばかり胸をなで下ろした。それでも、直下型地震発生の可能性自体が否定されているわけではない。かなりの確度で近い将来に勃発する可能性が指摘されている。その規模次第では、政治、経済など、すべてが東京に大きく依存しているこの国は壊滅状態に陥りかねない。

 それにもかかわらず、東京への人口集中はさらに進み、東京へ向かう人口の流れはとどまることがない。このままでは、東京にこの国のすべての運命が託される、きわめて危うい状況がさらに強まるばかりだ。

生き残る道は
 南海トラフ地震の可能性についてのニュースに加え、保険会社の地震関連保険の料率引き上げ、津波のアジア諸国への波及などの報道もされるようになった。考えたくもない光景だが、日本の太平洋岸のほぼ全域、そして周辺アジア諸国が、地震と津波で壊滅的な被害を被ることさえ起こりうる。

 この国の危機対応のあり方には、不安がつのる。嫌なことは考えたくないのは、人間の常だが、やはり東京の機能は分散しなければならないという確信が強まるばかりだ。以前に記した「東北都」構想にしても、小さな会合などで、少し突き詰めて議論をすると、反対、異論はまったくなく、政府、東京都はすぐにも着手すべき最重要課題だという結論に収斂する。ところが、肝心の政治家や行政は、こうした問題に、関心も危機感も持っていないようだ。3.11はなにを残したのだろう。

必要な「新生」のイメージ
 「東京オリンピック」にしても、管理人としては「東北オリンピック」であるべきであったと今も思っている。もちろん、そのスローガンでは採用されなかったろう。重要なことは、被災地を単に以前に近い姿に戻すのではなく、まったく新たな構想で、二度と大災害の起きない、安全で健康に心豊かな生活ができる地域を実現させることだ。いうまでもなく、被災した地域を故郷とする人々の間
つながりは、できうるかぎり確保された上での話である。そのイメージは震災以前の状態に戻すという「復興」「再生」を超えた「新生」を目指す。

 といって、被災地に巨大都市を構築せよとか、被災地域の復興をあきらめるというのではまったくない。この未曾有の災害を契機に、被災地と支援する人々の間に生まれた「人間の信頼のつながり」を基盤とした、世界のどこにもないヒューマニスティックな居住地域を、英知を集めて描き、構築する方向が選択されるべきなのだ。そのためには東北だけでも、道州制の先駆として県の行政枠を撤廃した広域プランが欠かせない。東北を次の世紀にも生き残る、文化的にも日本の先端地域として創り出すようなイメージが必要ではないかと思う。

 東京五輪の施設構築のために、東北被災地、福島原発などで厳しい条件下で働く労働者が、賃金につられて吸引されてしまうなどの話は、本来あってはならないないはずだ。安倍内閣が掲げる
戦略特区にしても、どうして被災地の中に、日本の未来をかける高度な生活モデル特区を構想しないのかと思う。短いブログで「復興」のイメージ論を記すつもりなどないのだが、「少し離れて見れば」、まったく新しいプランが浮かんでくる。

破綻してからでは間に合わない 
 日本の人口にしても、多くの人は実感していないが、驚くべき数で減少している。増加から減少への転換点となったのは、2005年であった。その後、間もなく10年が経過する。その間反転する兆しはなく、日本の人口は加速度的に減少の坂道を下ってきた。このまま行くと、国立社会保障・人口問題研究所の予測では、現在約1億2730万人の総人口は、2060年には8674万人と減少してしまう。

 日本が直面する人口減少の問題は、これまで硬直的な予測に頼りすぎ、背後で展開する大きな社会変化を十分認識できず、有効な政策対応ができなかった失敗に主として起因している。現在進行中の人口減少には慣性効果が働いていて、出生率が仮に下げ止まったとしても、反転上昇させることは、少なくとも近未来にはほとんど不可能に近い。人口減少は経済力などに反映し、国家の衰退につながってゆく。

 こうした危機的局面にいたっても、政治の世界から生まれてくる対応は国民を欺瞞するような内容だ。たとえば、日本の歴代政権は、「移民」受け入れという問題を国民的議論の俎上に載せることを極力回避してきた。とりわけ不熟練労働者の受け入れは、一貫して行わない方針であった。その裏で、歴代政権は巧みにそれを隠蔽し、そうした労働者を受け入れてきた。他方、本来積極的に受け入れるべき高度な技術・技能、専門性などを持った人々は、日本にほとんど来てくれなかった。そして、最近唐突に打ち上げられている構図は、およそ的外れで欺瞞的だ。

 簡単に言えば、国民的議論もないままに、2015年から毎年20万人づつ移民を受け入れ、2030年以降には合計特殊出生率が2.07に回復していることを条件に、日本の総人口を2060年に1億989億人の水準にまで戻すという構図が提示されている。まったくの数あわせで、体裁を取り繕う考えとしか思えない。

 さらに、4月には制度創設以来、本来国の方針とは異なる不熟練労働者受け入れの隠れ蓑となってきた「技能実習」制度の規制緩和を行い、従来の最長3年の上限を撤廃し、2年間の延長を認め、最長5年間の在留を認めることにした。さらに、3年間の技能実習を終えて帰国した外国人に再入国を認めることまで容認することにした。そして、その実施については、「技能実習」制度そのものは手をつけず、法務大臣の裁量的運用に委ねる具体的規定のない「特定活動」という既存の在留資格を援用するという、制度のあるべき姿を完全に無視したとしか思えない、こそくな方策だ。

 本来、この制度は日本で身につけた技能の成果を、送り出し国の発展に役立てるという眼目で生まれたはずだ。それが、日本の特定業界における不熟練労働者の人手不足を補うために使われてきた。制度創設段階から、この問題を見てきた管理人には、もはや救いがたいという思いがする。

 さらに、国民の間でいまだ十分に理解されていない「移民」と「外国人労働者」の概念を、ご都合主義で使用している。これまで、さまざまな機会に説明してきたが、国際的には両者は、”migrant workers” として今日では、ほぼ同義語なのだ。

 分かりやすい例として、近年アメリカで問題になっている1200万人近くの国内に滞在する「不法移民」をあげることができる。その多くは、入国時に求められる旅券や査証などの必要書類を保持することなく国境を越え、賃金の高いアメリカで労働者として働き、本国の家族などに送金し、なんとかアメリカ市民権を得ることを考えている。彼らの多くは、不法入国時からアメリカに居住することが目的で帰国するつもりがない。

正しい道へ戻る 
 
このことは、日本でいう「外国人労働者」なる者も、そのある部分は滞在年数の経過とともに、帰国することなく、日本に定住し、そのままでは「不法滞在者」となる可能性が高いことを意味している。滞在期間が長くなれば、それだけ帰国の意思は薄れる。「外国人労働者」という名目で受け入れれば、実態を熟知しない国民には「移民」に見えないという、言葉の上での欺瞞ともいえる。

 日本でも外国人労働者はもはや珍しい存在ではない。日系ブラジル人を初めとして、中国、韓国などアジア諸国からさまざまな経路で入国し、働いている外国人労働者が増加した。滞在期間も長期化し、外国人労働者という名の移民が増加し、住宅、医療、社会保障、犯罪など、さまざまな問題が生まれた。
 
 人口減少に対する政策として、外国人を受け入れる方針ならば、理路整然と制度を整備、再構築して実施しなければ、次の世代にとって大きな負担を残すだけだ。いうまでもなく、国民的議論を十分尽くすことが欠かせない。

 国家衰亡の兆候はすでにさまざまな分野に見られる。人口が減少するままで、平均寿命だけは世界最高水準にあるため、高齢化が急速に進行し、社会の活力が失われ、社会保障などの財政負担に国も家庭も耐えられなくなっている。

 一国の急激な人口減、それに伴う高齢化の問題に対応する手段として「移民」受け入れが有効な時代は確かにあった。しかし、いまや移民に関わる内容と環境は大きく変わった。移民はもはや人口や労働力不足への対応案にはならない。EUの盟主となったドイツでさえも、「多文化主義は失敗に終わった」とメルケル首相が明言するほどだ。移民を受け入れるからには、これまでとはまったく異なった考えと覚悟が必要なのだ。日本ではほとんどまともに議論されたこともない。

 人口減少に対して、本来最重要な政策は、改めていうまでもなく出生率の改善であり、国家的政策の基軸となるべき最も望ましい方向である。しかし、今の日本には、出生率が顕著に改善することが期待しうる政策的対応や基盤は決定的に不足している。このままで、女性がさらに働くことになれば、出生率はもっと低下してしまう可能性が濃い。政策立案者は現実を見ているのだろうか。

未来からの移民は?
 そして、残された最後の手段。それは今回表題とした「未来からの移民」である。日本を救うまったく新しい方向になりうるだろうか。

 2012年時点で、日本の保有する製造業における産業用ロボットは311千台(人)、アメリカの169千台、ドイツの162千台、韓国の139千台を上回っている。ロボットはすでにはるか以前に、SFの世界を飛び出し、現実の人間とともにある。

 かつて1960年代にアメリカで、未来の家事用ロボットのモデルなるものを見たことがあった。高さは人の背くらいで円錐状の胴体に目鼻のついた頭があり、長い手足が動いていた。当時、このロボットは、簡単な家庭内の掃除
、来客があると入口まで出てきて Hello! welcome くらいの挨拶ができた。これを見た人々は大変驚いていた。今でははるかに人間に近い、精緻なロボットが生まれている。

 世界で爆発的に売れている掃除用ロボット、ルンバは、1990年にMITから生まれたベンチャー企業アイロボット社の製品だが、過去12年間に1000万台以上も売れている。人間に換算したら、1000万人の家事労働者が参入して、働いていることになる。競合製品も出てきたようだから、全体でははるかに多くなる。一般にイメージされる人間の形に近いロボットよりは、一見ロボットとは見えないロボットの方が数は多い。

 問題の多い移民受け入れよりは、「未来からの移民」といわれるロボットとの共存を図る方がまだ対応の選択肢が多いだろう。ロボットに象徴される技術の問題のひとつは、省力化である。欧米諸国はこの点を懸念している。しかし、労働力不足がさらに深刻化する日本にとって、ロボットは開発の方向を誤らなければ、かなり頼りになる存在となりうるかもしれない。

 ロボット技術の発展ぶりはめざましく、すでに予想もしない分野で使われている。福島第一原発の廃炉作業もロボットなしには、実施できない。医療技術分野でのロボットの活躍もめざましい。プログラミングと個別データの入力さえ正確ならば、練達した外科医を上回る分野もあるといわれる。最近のThe Economist 誌の表紙には、子供を保育、見守るロボット、高齢者の食事を補助するロボット、人や宅急便を輸送する無人の航空機まで、カリカチュアされているが、そのかなりのものはすでに実用化している。

 ロボットはどこまで人間に近づくか。工場やオフィスではロボットは、はるか以前から人間の労働者と並んで働いている。家族が働きに出ている日中はロボットが、家の管理、掃除、洗濯、手紙や宅急便の受け取り、時には要介護者を助けながら、仕事をこなし、夜に戻ってきた家族とロボットが対話しながら、食事をする風景は、もう近未来の光景になる。

 ロボットと人間の関係には、ここでは触れないが、倫理問題など、これまで想像しなかった新たな領域の問題が生まれている。人間を超えてしまうかもしれないロボット技術の将来を、今から十分考えておかねばならない。深く考えると、背筋が冷えてくるようなこともある。難しいことやいやなことを代わりに考えてくれるロボットはいないものか。そうなれば、連休も本当の「お休み」になったのだが。


 ”Rise of the Robots; Immigrants from the Future” The Economist March 29th 2014.

 

 

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「春闘」?への尽きない疑問

2014年02月08日 | 労働の新次元

 



 「春闘」という文字が、久しぶりに新聞などメディアのトップに散見されるようになった。日本に特有な労使慣行でもあり、英語では spring wage offensive などと訳されることが多い。しかし、背景を知らない外国人にとっては、なんのことか全く分からないだろう。アメリカなどでも、かつて「パターン・バーゲニング」と呼ばれた産業別の独特な賃金交渉が、自動車、鉄鋼、鉱業などで行われたことがあったが、今はほとんど消滅した。労働組合自体が衰退し、雇用労働者10人のうち組合員はひとりくらいしかいない。

 この言葉、少し考えてみると日本人にとっても、分からないことが多々ある。とりわけ、非正規雇用の多い若い世代の人たちには、今頃「春闘」などといわれても、それなあにという感じではないか。その概念にしても、辞書によると、「春季闘争の略であり、1955年以来、毎年春に、賃上げ要求と中心として労働組合が全国規模で一斉に行う日本独特の共同闘争」(『広辞苑』第6版)とされてきた。元来、「闘争」としてみられてきたのだ。

遠い存在になった「春闘」
 この言葉に接して人々が抱くイメージも、そして実体も大きく変わってしまった。かつてはしばしば交渉過程でストライキなどの争議行為もあり、私鉄などが運行停止したこともあった。春闘という賃金交渉は、労使という当事者ではない一般の市民にとっても、その存在を身近かに感じるものであった。

 こうして春闘は、一時は華々しく新聞などの紙面を飾ったこともあったが、1990年代のバブル崩壊後、急速に存在感が薄れ、当事者の意向などもあってか、「春季賃金交渉」など、より分かりやすいがインパクトの小さな用語に変わってきた。

 長く続いた不況の過程に、賃金引き上げなどの恩恵を受けたことがない若い世代の労働者にとっては、いまさら春闘といわれても、自分たちには関係ないことと受けとっている人たちも多いかもしれない。業績好調の企業の従業員だけが、企業の利益増加に応じた報酬、処遇を求めているだけのことと考える労働者もいるようだ。

 賃金交渉であるからには、当事者は経営者と労働者あるいはその組織であることは予想されるのだが、その当事者の実体はどう考えるべきなのか。経営者側としてメディアに登場するのは、概して経団連などに加盟している有名大企業である。中小企業はどう位置づけられているのか、よく分からない。

 他方、労働者側は、概して連合加盟の主として大企業の正社員の組合であり、パートタイマー、派遣社員、契約社員、などの非正規で未組織の労働者は交渉の当事者となりえないばかりか、春闘の影響範囲に含まれるのかも定かではない。

 こうしてみると、春闘の当事者となりえて、交渉のカバーする範囲に含まれるのは、主として大企業の正社員(組合員)に限られるとも考えられる。業績好調な大企業の正社員はベアが期待できても、利益の出ていない中小零細企業で働く労働者や労働組合のない多くの派遣社員や契約社員は傘の外になる。

組合(正社員)にとっての緩衝装置?
 本来、労働組合は組合のメンバーの地位や利益を擁護する組織であり、組合に加入していない労働者は、対象外であるばかりでなく、同一企業内では、正社員でもある組合員の地位を擁護する上での安全弁のような存在になっている。分かりやすい例をあげれば、雇用調整を行う場合には、最初に削減対象となるのは、組織されていない非正規社員である。かくして、組合員である正社員の地位は、組織されていない非正規といわれる労働者の存在によって守られてきた。

 日本が高度成長を続けていた時期には、こうした組織の外に置かれた労働者も、組織された大企業などの組合が獲得した賃上げの余波を、いわば「おこぼれ」(スピルオーバー、spillover)として恩恵に与ってきた。

 このたび、
ようやくめぐってきた賃上げの機会に、連合などの指導者は、(多くは未組織である)中小企業や非正規の労働者へも応分の配慮をしてほしいと述べているが、単なるリップサービス以上の意味が込められているのか、真意はほとんど伝わってこない。労働組合を組合員以外の非正規労働者の利害をも代表する者と考えることは、長い歴史的事実の蓄積からも危うい解釈となる。現代の民主制、とりわけ職場民主制論の再構築につながる課題でもある。

 労働組合の連合体などが、未組織の労働者への賃金引き上げの波及に言及することは、他の国でもみられるが、実質的に行動が起こされ、組織化などが顕著に進んだことはきわめて少ない。労働組合が未組織労働者をバッファー(緩衝材)のように、位置づけてきたことに原因がある。

 こうしてみると、、日本の労働者の5人にひとりしか組合員でない労働組合が、労働者全体の利益を代表しているとは、とてもいえない状況にある。冷静に考えれば、未組織である労働者の方が、日本の労働者の大多数であり、主流なのだ。この意味でも、筆者は「正社員」(企業に正規に採用されフルタイムで働く労働者。また、長期の勤続を前提とする常用労働者。「広辞苑」第6版)という用語と使い方に強い違和感を抱いてきた。

 デンマーク、スウェーデン、フィンランド、ノルウエーあるいはベルギーなどのように、ヨーロッパで労働組合の組織率(通常、雇用者全体に占める組合員の比率)が50%を越えるような国では、たしかに労働者の主流は組織労働者なのだが、そうした国は数少なくなった。日本(2012年推定17.9%)やアメリカ(推定11.9%)のように組織率が低い国の場合は、主流は明らかに未組織労働者なのだ。

 
「日本的雇用」なる特徴の構成にも、かねがね違和感を抱いてきたが、もし「日本的」なる要素を見出すとすれば、多数部分のサンプルから抽出されたものであるべきだろう。少数部分のサンプルから抽出した特徴をもって、多数部分(未組織、中小企業など)を概念化、一般化するのは、本末転倒に近い。

鏡に映るものは?
 さて、今回久しぶりに巡ってきた賃上げの機会も、環境を含め内実ともに、以前とはまったく異なったものに変容している。「春闘」は紙面に出てきても、「ストライキ」や「争議行為」の文字は出てくる可能性もない。ほとんど「死語」のようになってしまった。一時は年間5千件を越えていた争議件数も、近年は50件以下である。

 日本の労使関係の理解について、疑問は尽きないのだが、筆者はそれでも、あるいはこうした状況だからこそ、労働組合の存在とその活動の必要性を強く主張したい。このままでは絶滅種の運命をたどること必至だ。そのためには、思考の大きな革新が欠かせない。現代の組合はなにか大切なものを失ってしまったように思われる。もう一度、原点に立ち戻り、自己否定をするほどの覚悟と距離を置いて、自らを時代の鏡に映してみる必要があると思うのだが。


「春闘:期待と苦悩」『朝日新聞』夕刊 2014年2月5日1面

 平成24 年労働組合基礎調査(上掲グラフ出所)
   http://www.mhlw.go.jp/toukei_hakusho/toukei/

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労働市場イメージの再編成

2012年04月26日 | 労働の新次元

 

この人たちはどんな仕事をしているのか

 

 Source:The Economist, March 10th 2012.


  世の中でどんな仕事が増えていて、どんな仕事が減っているのか。「雇用創出」ジョッブ・ジェネレーション、「雇用喪失」ジョッブ・デストラクションともいう。求職者のみならず、労働政策の立案者にとっては大きな関心事だ。しかし、その仕組みはあまり解明されていない。いくつかの理由があるが、政府統計などが、現実の変化に追いつけないでいることが大きい。

 世の中の雇用の数が全体としてあまり変化していなくとも、現実には水面下で、仕事の増加と減少(消滅)が激しく起きている。雇用の総数はその増減を併せ、相殺し合った結果なのだ。これは失業についてもいえる。全体の失業者数がほぼ同じのようでも、その背景では新たに失業者に加わった人たちと、新たに仕事に就いた人たちの数が相殺されている。

 『国勢調査』に代表される公的統計は、実施されてから結果が公開されるまで長い時間がかかる。その他の調査でも現実の求職活動にはあまり役に立たない。公表までの時間が長いことに加えて、職業や産業分類が現実に追いついていないことが分かる。失業率や有効求人倍率は、いわば労働市場の体温を示しているようなものだ。実際に市場の内部でなにが起きているかは、それだけでは分からない。

 いかなる産業・職業的な増減が展開しているのか。たとえば、「販売従事者」、「事務従事者」といっても、どんな販売の仕事についているのか。いかなる事務の仕事をしているのか。分類名を見ても分からない。「生産工程従事者」といっても、なにを作っているのか。自動車工場の生産ライン
で働いている人もいれば、町中の小さな作業場で機械部品を加工している人もいる。その実態をできるだけ早く提供することが、雇用政策の見通しや就職支援には必要なのだ。

 求職支援活動に関わってみると、求職者の要望に応えうる適切な情報を持ち、中・長期の労働市場に関する見通しを持って、確たるアドヴァイスができる人材はきわめて少ないことを実感する。大学などのキャリア支援センターなども、就職活動に本当に必要な情報の提供という意味では、実際にはほとんど機能していない。きわめて危うい状況だ。

 こうした状況で、アメリカの大統領経済諮問委員会は、いかなる産業、職業が大きな増減をしているかを調査するよう民間調査機関に依頼した。
それに関連して、最近、興味深い記事に出会った。LinkedIn というプロフェッショナルといわれる人々を主たる会員とするソーシャル・メディア型(SNM)のウエッブサイトが、世界に広がる1億5千万人近い会員の中で、アメリカ人6千万人を母集団として、会員の職業調査を行った結果の一端が紹介されている。主体となっているのは、プロフェッショナルと呼ばれる職業が主体となっている。ITシステムなので、時間のかかる政府統計と比較して、調査結果は迅速に得られる。
 
 会員の就いている仕事の肩書き、タイトルで、最も伸びている仕事と最も減少している仕事を比較している。それによると、アメリカで最も増加している職業は、”adjunct professor” というタイトルである。日本ではあまり耳にされたことがない方が多いかもしれない。この記事の注釈によると、「低報酬で、過重労働のアカデミックの種族」、(an ill-paid, overworked species of academic)とされている。日本でいえば、非常勤の大学講師に相当するといえようか。肩書きはインテレクチュアルな職業に聞こえるかもしれないが、実際はいくつもの大学を駆け巡って、あるいは多くの授業時間を担当して、やっと生活ができる程度の報酬しか手にしえないアカデミック・プロフェッショナルのことである。大学も教員の労働コストの固定化を避けようと、パートタイムの講師などの比率を高めていることが分かる。

 他方、最も減少率が大きいのは、「セールス・アソシエイト」というタイトルの職業である。なにかの物品やサービスの販売に関わる仕事をしているのだが、なにをしているのか、タイトルからは推定出来ない人たちである。なにかの販売に従事しているが、景気、産業などの盛衰に比例して、短期間に仕事を失う人たちではないかと思われる。こうしたひとたちはすべて雇用期間に定めのある契約である。

 これらのタイトルからはどんな産業で、いかなる仕事をしているのか分からない人たちが増加していることに注目したい。増加が著しいタイトルを見ても、「プリンシパル」、「パートナー」、「コンサルタント」、「ヴァイス・プレジデント」といった名称が続く。他方、減少著しいのは「プロジェクト・マネジャー」、「ヒューマン・リソース・マネジャー」などである。

 情報が十分公開されていないので、この他の職業の増減がいかなるものか、分からないのだが、この小さな標本からも最近の労働市場に起きている変化のいくつかを推定することはできる。

1)    プロフェッショナルといわれる人々の間でも、増加しているのは、かなり働いているのに報酬水準が低い人たちであることが分かる。大学などの一見知的な職業分野でも、労働条件は厳しく、パートタイムで知識の切り売りをしているような状況が浮かんでくる。他方、減少しているのも、販売などの分野で働いている、低報酬で“マージナル”な人たちらしい。

2)    タイトルからは、実際にどんな仕事をしているのか分からない人たちが増減の上位を占めていることが気になる。もっともらしい肩書きだが、彼(女)らの仕事がいかなるものか、ほとんど分からない。一口に「パートナー」といっても、世界的に著名な弁護士事務所のパートナーもいるが、2、3人の小さな事務所のパートナーもいるだろう。

3)    全体として、仕事の世界でのヴァーチャル化が進み、実態が分からなくなっている。こうしたディジタル世界の仕事を含めて、労働市場のイメージの再構成が必要になっている。次の世代の労働市場政策を確立する上でも、新たなアプローチが必要だ。フェイスブックやLinkedInのようなSNMのようなシステムをこうした目的に使うのは、個人情報保護などの点で検討の余地があるが、労働市場の変化を迅速に求職者などに伝達するためには、雇用統計のあり方に根本的な検討が必要と思われる。

 

 ”A pixelated portrait of labour” The Economist, March 10th 2012.

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機能しないトランポリン・ネット (+ 追悼ジャック・テュイリエ氏)

2011年10月17日 | 労働の新次元

 

 17世紀は小氷河期であったともいわれ、酷寒、強風などの気象異変が、ヨーロッパ大陸の人々に農作物不作、飢饉などの多大な苦難をもたらした。そうした状景を描いたフレミッシュの画家の作品。

Flämisches Gemälde aus dem frühen 17. jh. ( DER SPIGEL, GESCHICHTE, NR.4,2011)



 世界は天変地異の時代に入ったのかと思うほど、いたるところで、さまざまな天災・人災が起きている。東北大震災と並んで世界を震撼させているギリシャ発の通貨危機も、源をたどれば人間が生み出した金融制度が破綻してしまったのだから、広く考えれば人災かもしれない。30年戦争の舞台となった17世紀ヨーロッパは「危機の時代」と呼ばれ、酷寒や酷熱、農産物不作、飢饉などが人々にもたらした苦難は今日の比ではなかった。


例のごとく、再び現代世界に飛ぶ。


 
  ブログで取り上げるにはあまりに重い課題だが、このところ頭から離れない、いくつかの問題がある。そのひとつは、民主党政権へ移行した頃から気になっている雇用政策のあり方だ。メディアに失業、雇用に関する政策が取り上げられることが、目に見えて少なくなっている。東北大震災・原発問題に追われ、政策強化が手薄になっているとしたら大変なことだ。両者は密接に関連している。

 
 このところ3年余り、NPO活動、「緊急人材育成支援事業」(民主党連立政権後に導入された月額手当付き職業訓練制度により、求職者を支援する制度、10月から一部制度改正「求職者支援制度」)などに関わることで、微力ながら職を求める人々の現場に接してきた。しかし、東北大震災発生以後すでに7ヶ月になる今、かなり衝撃的な事例に接するとともに、現在の雇用政策が果たす役割が格段に劣化しているという思いが強くなってきた。求職支援を求める人の中にも被災地関連の人々の姿がかなり目につく。

 
面接相談などで接する人々の年齢、性別、職歴、教育歴などは、これまで以上に多様化している。中心は20-30代の比較的若い年齢層、60歳代の高齢者層に入りかけている人々が多いが、次第に50歳代の中年層も含めた働き盛りの人も目につくようになった。若年層と高齢者一歩手前の人々の失業率が高いことは、欧米諸国の特徴であったが、日本でも同様な状況になっている。

 
高年齢層の人々の職歴、人生歴は当然かなり複雑なのだが、大学卒業以来ほとんど2年以上、職業といえる仕事に就いたことがない(就けなかった)という人たちの相談を受けることもきわめて多くなった。こうした人たちの話を聞き、最も憂慮するのは、安定した職業機会がきわめて少なくなっていることだ。さらに、技能研修・訓練などを求める人々の背景や希望は多様化が著しく、一律の対応ができない。

 職業訓練制度の脆弱化は著しく、支援・訓練期間修了までに就職できる人の比率はきわめて低い。そして、細々とした不安定な仕事を見つけながら、次第に失業者、そして生活保護者の段階へと降下して行く実態を見るのはきわめてつらい。本来、こうした時に力になるべき労働組合も組合員の雇用維持で、精一杯であり、非組合員の雇用斡旋などは、ほとんどできていない。

働く意欲を失う人々
 最近の日本の失業率が一見すると、欧米諸国より低位に見えるのは、仕事の機会が少なくなり、求職・就業の意欲を喪失して非労働力化してしまうことが大きな原因になっている。この点は失業の長期化からも明らかだ。長引く失業に心身ともに疲労し、すり減ってしまう。以前ならば、社会の中核を担う安定した仕事に十分つける能力を持った人々が仕事に就けない。

 「トランポリン・セーフティネット」という耳ざわりの良い政策スローガンだが、実態とはほど遠い。トランポリン機能はほとんど働いていないというべきだろう。下層のセーフティネットに降下するほど、意欲は喪失し、上昇志向は潰え、生活保護の現状にあまんじてしまう人が多い。現行制度はしばしば人々に自分で跳ね上がる意欲を奪っている。「求職者支援制度」などの存在を見出し、参加したいと考える人々には十分可能性は残されている。憂慮すべきことは、そうした制度の存在も知らず、あるいは知っていても無気力に過ごす人々の増加が静かに進行していることだ。

 
 職業訓練の実態を見ても、増加する希望者に対応できる訓練・指導能力を備えた人々自体著しく払底している。グローバル化が進み、社会の変化の速度が早くなった今日の社会では、こうした求職者は生活が窮迫化するにしたがい、先や周囲を見通す余裕もなくなる。自分の将来が見通せず、不安がつのり、うつ病的精神状況の人々にも多数出会う。

 
こうした状況を見ていると、政府は雇用政策を根本から考え直し、政策の最前線に押し出すべきだとの思いが強まる。多くのメディアは荒廃した雇用の実態だけを報じ、あるべき政策の提示ができていない。社会不安を高めるばかりである。グローバル化の展開とともに、労働の世界はコールセンターなどの例を挙げるまでもなく、人々の想像を超えるほど変化している。国境を越える労働力の流動化も主要国の受け入れ制限、保守化にもかかわらず、新たな形で進んでいる。政策構想が変化に対応できていないことを痛感する。

必要な過去からの脱却
 
雇用政策といっても、伝統的にその中心は失業者の救済、そして初めて労働市場に参入する新卒者の雇用確保に置かれてきた。言葉は適切さを欠くが、事態の後追いになっている。ひとたび失業者の段階に入ると、彼らをしかるべき雇用の場に戻すにはとてつもない努力と資金が必要になる。

 
全体として雇用政策の重点は、依然として、失業した人たちの救済、再就職への斡旋、訓練に置かれている。新しい雇用機会の創出が叫ばれていながら、(農林水産業を含めて)産業政策と雇用政策は明示的にリンクされ、一体化していない。両者の間により明瞭な政策のつながりを構築、国民に提示すべきだろう。雇用は最終需要、産業の拡大なくしては増加しえない派生的需要なのだ。

 
被災地復旧・復興にしても、被災地への政府機能の大幅移転を含めて、率先して雇用機会の創出に当たるべきだろう。とりわけ、国民を覆っている名状しがたい不安の源のひとつである原発問題の解決は、最重要課題だ。真の解決が生まれるのかさえ、定かでない現実である。

 こうした努力を通して、初めて被災地に光が射し始め、民間企業などの復活、移転も地に着いてくる。民間ヴォランティアなどの人々の努力にはひたすら頭が下がる。しかし、全体の復旧・復興には、政府の大きなてこ入れが欠かせない。精神的励ましは必要だが、それだけでは乗り切れない。

 
アメリカ、ヨーロッパなどで問題化している格差拡大の源を糾弾する運動を起こすほどの意欲が今の日本には失われている。一見、黙々と復興に努めているかに見えるこの国の病態は、先進国の中では格段に厳しい。被災地視察の回数?を誇る政治家もおられるようだが、本質を見ているのだろうか。残された時間は少ない。国家債務の破滅的増大を始めとして、Turning Japanese(日本人のようになる)とは、今や欧米諸国が最も恐れることでもある。

 当初、小さな憩い、やすらぎの場を考えていたこの小さなブログが、スタートした頃の意図から外れ、図らずも「危機の時代」であった17世紀、1930年代恐慌時の問題を多く取り上げているのは、最近のこの国の様相が同時代だけを見ていては見えてこないという思いもある。こうした危機から脱却するには、先を見通した政治家の英断が欠かせない。ニューディール政策も実際はかなり試行錯誤であった。しかし、後年ニューディーラーといわれる活動に参加した人々の回想を聞くと、そこには恐慌で打ちのめされたアメリカ経済をなんとか活力ある軌道へ押し戻そうとする人々の熱情ともいうべき思いがこめられていた。

 被災地とりわけ国民の不安の源でもある原発問題の一刻も早い解決のために、復興庁ばかりでなく、政府機能の大幅な被災地への移転など、こうした未曾有の危機的状況でしか実現しえないことが実行されるべきではないか。政府主導の地域復興に光が見えれば、民間企業などの復興基盤強化の動きも高まるだろう。雇用はそれ自体では生まれない。最終需要・生産活動の拡大があって、はじめて派生的に生み出される。最も問題の深刻な地域へ国の総力を結集するという思い切った政策実施への決断が望まれる。



 'Turning Japanese' The Economist July 30th-August 5th 2011.


☆ フランス17世紀美術史の大家 JACQUES THUILLIER ジャック・テュイリエ氏(コレージュ・ド・フランス名誉教授)が、2011年10月18日ご逝去されました。このつたないブログにも、度々お名前を登場させていただきました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。


http://www.college-de-france.fr/default/EN/all/historique/jacques_thuillier.htm


http://www.latribunedelart.com/disparition-de-jacques-thuillier-article003316.html


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就活が日本にとって持つ意味

2011年01月21日 | 労働の新次元

 

 
20113月卒業予定の大学生の就職内定率が68.8%と、
これまでで最低水準とメディアが伝えている。高齢化が社会の活力低下など、厳しい状況を生みつつある日本で、創造性の発揮の担い手など、最も期待されるべき人材となりうる大学生の仕事の機会が十分保証されないという問題は、国家にとってもきわめて憂慮すべきことだ。

 
320日の『朝日新聞』「声」の欄に、ひとりの大学生の観点から「入社時期を(卒業後の)秋にずらしては」という投書が掲載されていた。投書の主旨は、就活の負担を減らし、大学生として4年間十分な学業の研鑽を積んできたという成果を身につけ、採用者側の期待に応えるためにも、新卒の入社を4月ではなく、卒業後の9月ごろにすることが望ましいという内容だ。
 
 今日の大学生、大学、そして企業など採用側が抱える問題を中長期的観点から大きく改善する
至極適切な提案ではないかと思う。もちろん、実施には関係者の十分な理解、調整が必要なことはいうまでもない。実は、同様な主旨の提案はすでに10年以上前からなされており、比較的最近にもこのブログでも紹介したことがある(『朝日新聞』2008122日朝刊「声」欄に、「卒業待っての採用できぬか」との投書が掲載されていた。)

 この時期になると、ほぼ毎年同じことを議論していながら、その場かぎりの妥協ですましている大学側、経営者側の責任はきわめて大きいと思う。前者の社会的無関心・無気力、後者のエゴイズムなどが、大学と企業社会という異なった二つの次元のつなぎ方を根本的に考えることなく、成り行きにまかせてきた。

 
日本の大学教育は、一部の上位の大学を別にすると、すでにはるか以前から、その国際競争力のなさが問われてきた。海外から日本の優秀な大学を目指して留学したいという状況は生まれていない。働きながら、楽に卒業できる大学が多い国という受け取り方までされている。現実に、この列島に溢れかえる「大学」という名のついた奇妙で不思議な存在。皆さんは日本の大学名をいくつご存じでしょうか(300書けたら、おそらくかなりの大学通?です。4年制大学だけでも700を越えています)。

 大学で学業を十分身につけた証である「卒業証書」を手にしてはじめて、真の就職活動が可能になるという社会的枠組みを設定することは、学生、大学、企業のいずれにとっても、望ましいはずである。それが不可能であるということは、当事者とりわけ力関係で優位な地位にある大企業の社会的責任感の欠如といえるだろう。「就活」という現象で、大学生活の1年近くはほとんど形骸化している。さらに、入学の時から就職しやすい大学というPRなどもあって、学生の勉学の方向が揺れ動いてしまう。大学は就職の準備をする場ではないはずだ。

 「就活」という形で、大学の教育過程を著しく脅かすまでに、企業の浸食を認めることは、大学教育の劣化につながるばかりか、十分な教育を受けた優れた人的資産を確保できなくするという意味で、中長期的に企業にとっても決して得策ではない。「就活」をめぐる世の中の議論は、「会社研究」と称する情報収集、面接方法など、テクニック次元のものが非常に多い。結果として、大学生に同じ行動を強いて、不安を煽るようなことになる。

 前掲の投書の主旨のように、就活を大学卒業後に移行することは、短期的視野からはためらう関係者も多いだろう。大学、企業のそれぞれに思惑があり、現状から離れることを恐れてもいる。しかし、すでに企業は人材についても、必要な時に必要なだけ採用するというジャスト・イン・タイム形の雇用システムに移行している。高度な人材の養成と活動に大きな期待をかけねばならない日本の今後にとって、大学教育と企業の関係のあるべき出発点に立ち戻り、問題を検討しなおすことが焦眉の急務になっている。移行過程における対応は別として、重要なことは「就活」が内在する本質的問題にある。毎年、個性を奪うようなリクルートスーツを着て、不安な面持ちで全国を走り回る若者の姿を目にするのは、なんともつらいことだ。ひとつの投書が持つ重みを改めて考えたい。
 



* 
再掲になるが、すでに十数年前から、同様な提案は行われていた。たとえば、
学生の職業観の確立に向けて:就職をめぐる学生と大学と社会』日本私立大学連盟・就職部会就職問題研究分科会、1997年6月。筆者も研究分科会の一員であったが、提案について大学側の認識もきわめて低かったことを痛感していた。

 

 

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新春、天を仰いでいます

2011年01月06日 | 労働の新次元



  年々、新春を迎えたという季節感や新鮮さが薄れている。年末に行きつけの理髪店の店主が、このごろは一年中同じようなものですと話していたが、実際そうなのだろう。大都市のデパートなどは、以前は形だけの仕事始めであった
12日から実質営業をしている。それどころか、某店の新春福袋セールには20万人近い人出があると聞いて、改めて仰天した。ちなみに私はこの種の現場?には近づいたことすらない(笑)。

 

 今年も年初から、職がなく求職活動をしている人々の復職を支援する事業をお手伝いすることになった。昨年初めから、毎月およそ250人から300人近い人々の求職活動(就活)の一部にかかわってきた。新しい熟練の習得の可能性、プランの設計の仕方、労働市場の状況などについて、いわば側面からの支援である。最初は、ほとんどボランティアのつもりであった。しかし、その実態に接している間に、さまざまな予想を超える現実に直面し、新年早々、かなり疲労ぎみだ。

 

 長らく仕事の世界を経験し、自分なりに問題のありかも整理してきたつもりなのだが、このごろの実態に接すると、改めて考えこむようなことが増えた。対面する人々は文字通り老若男女、年齢も20歳台から60歳台まで、実に幅が広い。世の中の縮図を見ているようでもある。これまでの人生ではどちらかといえば、10歳台後半から30歳代の比較的若い世代と日々対してきたのだが、労働市場が大きく変わってしまったということを改めて実体験している。

 

対面する人たちの中には、大学卒業後一度も会社との面接の機会を得られずに、すでに2年近く過ぎたという若者、小さな工務店に勤めていたが、倒産で失職してしまったという60歳代の大工職人の男性、自分で切り盛りしていた和食の料理店に働き手が来なくなり、店を閉めざるをえなかったというかなり高年の女性、中堅企業に勤めていたが、早期優遇退職に応募、退職した後、改めて求職活動しているが、以前に会社で聞いていた話と違ってまったく仕事がないという50歳代後半の男性、介護ヘルパーの仕事を転々としてきたが、これでは心身ともに持たないと思うと語る30歳代の女性、果ては大学のキャリアセンター、ハローワークのジョブサポーターに相談したが、役立つ情報が得られなかったという若者まで、ほとんどあらゆるケースが出てくる。


 近年の高い失業率の背景には、「労働需給のミスマッチ」があるといわれるが、そう簡単な表現では片付けられないという実感だ。ちなみに私は「ミスマッチ」という表現にはかなり前から抵抗感を持っていた。需要と供給の数がなんらかの原因で合わないという語感が与えるものと現実は、まるで別世界のようだ。今後に期待される雇用創出分野は、IT、環境・エネルギー、医療・介護、インフラ整備など、活字は躍っているが、現実の雇用創出につながってくるにはかなりの時間を要する。雇用政策にも新しい視点が必要に思える。他方、メディアが伝える政治の世界には、雇用対策にかかわる与野党間の議論など、ほとんど見かけることがない。さて、うさぎさん、どうしたものだろうか。

 

 

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仕事と道楽

2010年07月15日 | 労働の新次元


 雇用情勢の厳しさは、緩和されることなく続いている。政治の行方はまた混迷してきた。こうしたことを反映してか、就職にかかわる相談やプロジェクトが増えてきたような気がする。

 最近は、その中で仕事にやりがいを感じられないという訴えに注目してきた。人生における仕事の占める重みは大きい。仕事がつまらない、関心が持てないということは、働く本人にとっても、経営者にとっても不幸なことだ。自分のしていることが、社会の役に立っているのか分からなくなったという感想も聞かれる。

 世の移り変わりとともに、仕事そして職業の内容も大きく変化してきた。当然、労働者や経営者の仕事についての考え方も変化してきた。その中でどうすれば、自分の仕事や職業にやりがいを見いだせるのだろうか。毎日が充実し、楽しくてしかたがないという恵まれた仕事はなかなか見つかるものではない。仕事がやりがいがないという問題にどこで線を引くかは、判定上かなり難しいところがある。さまざまなことを考慮しなければならない。答は簡単には見つからない。

 しばらく前から少しずつ読み直している夏目漱石の著作で、興味深い小品に出会った。『道楽と職業』というタイトルで、明治44年8月に明石で行われた講演を書き下したものだ。「道楽」と「職業」という一見奇妙な組み合わせに惹かれた。この作品、時代が時代だけに、今日では不適切と思われる表現も含まれているが、その点に留意して少し紹介してみる。(ここでとりあげる問題以外にも興味深い点が数多く含まれているが、詳細は原作をお読みください)。そこには現代にも十分通じる労働観や仕事観が平易な言葉で述べられている。

 漱石は冒頭、次のように云う。「道楽」という言葉が与える意味は、受け手によってかなり変わるかもしれない。そして、次のように述べている。「道楽と云いますと、悪い意味に取るとお酒を飲んだり、または何か花柳社会へ入ったりする、俗に道楽息子と云いますね、ああいう息子のする仕業、それを形容して道楽という。けれども私のここで云う道楽は、そんな狭い意味で使うのではない。もう少し広く応用の利く道楽である。善い意味の道楽という字が使えるか使えないか、それは知りませぬが、だんだん話して行く中に分かるだろうと思う。」 

 このように、飄々として行方定まらぬような出だしから、結論につなぐ話し方は、さすがなものだ。漱石は先ず、日本に今(明治末の段階)職業が何種類あって、それが昔に比べてどのくらいの数に増えているかということを知っている人は恐らくないだろうと述べ、産業の発展に伴い、多数の新しい職業が生まれていることに言及する。そして、学卒者などの仕事を求める人が、その変化に対応できていないことを指摘する。せっかく苦労して大学などを卒業したのに、職に就けず親元で無為に過ごしたりしている人たちである。明治末年、100年近い昔にも似たような問題はあったのだ。

 この問題に対応するために、漱石は「かつて大学に職業学という講座を設けてはどうかということを考えた事がある。」と述べる。別にこの考えにならったわけではないが、今日多くの大学は「キャリア教育」などと称し、学生に世の中の職業に関わる情報を提供するサービスを行っている。それがどれだけ信頼に足るもので、意義があるかはかなり問題なのだが、ここではとりあえず触れない。

 さて漱石は、専門化の進展とともに、博士の研究のように「多くは針の先で井戸を掘るような仕事をする」ことが増え、「自分以外に興味もなければ知識もないような事項を穿鑿しているのが大分あるらしく思えます。」と、「末は博士か大臣か」といわれた当時の世の風潮を皮肉っている。博士を拒否したといわれる漱石の面目がうかがわれる。

 他方で、文明が発達して行くにつれて、人間の相互の依存関係も深まり、「自分一人ではとても生きていられない人間が増えている。」、そして 「内情をお話すれば博士の研究の(中略)現に博士論文と云うのを見ると存外細やかな題目を捕らえて、自分以外に興味もなければ知識もないような事項を穿鑿しているのが大分あるらしく思えます。」 とも述べている。こうして一方では便利になる反面、暮らしにくくなる世を乗り切る道として、「我田引水のように聞こえるが、本業に費やす時間以外の余裕を挙げて文学書を御読みにならん事を希望するのであります。」と述べる。ここまできて、漱石先生の掌中に取り込まれたなと思い当たる。

 漱石はさらに続けて、「文明が発達して行くにつれていやしくも道楽である間は自分に勝手な仕事を自分の適宜な分量でやるのだから面白いに違いないが、その道楽が職業と変化する刹那に今まで自己にあった権威が突然他人の手に移るから快楽がたちまち苦痛になるのはやむをえない。」 ここで、読者は「道楽」と「職業」の間に惹かれた厳しい一線にはたと気づかされる。

 この厳しい世の中で道楽を追求するには、自分の意志の確立と対象への専念が不可欠だ。自分の仕事に興味を見いだせない人は、この点を良く考えてみることが必要なのだろう。道楽という概念、思想を、現代の職業の中にどれだけ取り込むことができるか。先が見えなくなり、やりがいが感じられなくなっている仕事に光を取り戻すために、道楽の要素をどれだけ取り込めるか考えることは、大きな意義があるように思える。


 

夏目漱石『道楽と職業』、明治44年8月明石にての講演

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現実となった「おとぎ話」

2010年05月29日 | 労働の新次元

 口蹄疫のニュースを見ているうちに、思いがけずもある光景が浮かんできた。ジョージ・オーウエルの名作『動物農場』 Animal Farm の描写だ。このたびの宮崎県の出来事は、動物までも工場生産される資本主義的経営が極度に展開した時点で起きたひとつの事件ともみえるが、なんともやりきれない思いがする。しばらく考えている間に、偶然小さな雑誌記事に出会った。これも同じ『動物農場』からの連想だ。

 ジョージ・オーウエルの『動物農場』の強力な雄馬のボクサーは、大変大きな馬体の持ち主でとても力が強い。ねばり強く、よく働き、仲間の尊敬の的だ。「俺はもっと働くぞ」I will work harder が口癖だ。朝は早く起き、夜は2時間余分に働く。ひずめを割った時でも休みをとらない。それでも彼の先行きに待っているものは、仕事場で倒れれば、膠と肥料用の骨粉にされるだけのことだ。

 『動物農場』の目的は、当時のソ連(社会主義)批判だった。しかし、その後、オーウエルの描いた世界は、資本主義にもあてはまりそうにみえてきた。オーウエルは『動物農場
』 の副題に「おとぎ話」fairy tale と付している。だが、結末で「動物農場」は「荘園農場」Manor Farm となり、豚と人間はどちらがどちらか区別がつかなくなる。

 その「おとぎ話」からの妄想?のひとつ。今日の世界を覆う失業がもたらす変化
が想起される。失業はそれ自体労働者にとって大きな苦難だが、さらにその増加、拡大にともなって、雇用されている労働者に「働き過ぎ」、過重労働という事態を生み出す。失業の恐怖がそうさせるのだ。最近のイギリスのある調査によると、対象となった 1000人の労働者の3分の2は、無給の時間外労働(「ただ働き」)をしている。これに対する報酬はといえば、賃金水準の凍結と休日の減少だ。 『動物農場』のボクサーと共通しているのは、いづれ破滅がやってくることだ。

 これまで労働者たちは、厳しい仕事でもストイックに耐えてきた。それは雇われている間は、ともかく仕事が続いていること、そして会社もなんとか存続していることだ。しかし、『動物農場』に描かれているように、専制的な経営者に反抗したり、異議を唱える勇気ある精神はめっきり衰えている。労働者はおとなしくなってしまった。ストライキもほとんどない。

 いつの頃か、経営者が労働者の自発的な努力を理解せず、単に消耗品とみなすようになっている。必要な時だけ雇えばよいという考えだ。しかし、それがもたらした惨憺たる状況を前に、企業側も「働き過ぎ」のマイナス面に気づき始めてはいる。だが、労働者の働く意欲は以前と比較すると格段に衰えている。そればかりか、企業への忠誠心も急速に薄れた。一度失った信頼は、なかなか取り戻せない。1970-80年代の日本の活気を支えた「会社人間」は、どこへ行ったのだろう。労働者は働きながらも、会社は信頼しきれないと、どこかで考えるようになった。

労働問題はどこでも同じではありませんか。 
ピルキントン氏の言葉:
「あなた方が対処すべき相手に下等動物があるならば、われわれには下層階級ありです。」

'If you have your lower animals to contend with, we have our lower classes!' (Owen Chapter 10)

 経営者側もさまざまな手は打っている。しかし、雇用の二極化はおかまいなしに進んでいる。正規労働者と非正規労働者という二種類の労働者だ。労働条件が異なれば、働き方や労働意欲も異なってくる。どうすれば、労働者のやる気を引き出せるか。潜在能力のある人たちを引き留めておくためにはどうすればよいのだろうか。年々劣化が著しいこの国の姿を見ていると、「おとぎ話」はとうに現実のものに見えてきた。

すべての動物は平等である。
しかしある動物はほかの動物よりも
もっと平等である。

ALL ANIMALS ARE EQUAL
BUT SOME
ANIMALS AEW MORE EQUALS
THAN OTHERS.


Schumpeter Overstretched. The Economist May 22nd 2010.

George Orwell. Animal Farm  a Fairy Story.London: Penguin Books, 2003.

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二者択一ではない道

2010年04月27日 | 労働の新次元

 このところあるプロジェクトで、現在失職していて求職活動中だが、まだ職に就くことができないでいる人々に、現代の「仕事の世界」に関わる話をしている。参加者の年代は、20代から60代にわたり毎回100人を越える。これまでの社会経験もそれぞれ異なる人たちなので、話のトピックスの選び方がきわめて難しい。雰囲気も毎回異なる。そのため、一般論から初めて、聞き手の反応を待って、次に進むという形にしている。一方通行ではなく、相互に時代の動きを打診し合うような試みだ。

 最近のひとつの話題は、失業している場合には「どんな仕事でもないよりは(言い換えると、失業よりは)よいか」というテーマだ。ここで「どんな仕事でも」というのは、暗に短期で賃金の安い仕事を意味している。これは一般論としても、かなり答えるのが難しい。さまざまな条件が関わるからだ。

 ある調査では、失業者はたとえ一時的な仕事でも、失業しているよりは仕事に就いた方がよいという答を出している。その仕事が低賃金で質の悪い仕事であるとしても、努力して次のより条件の良い仕事へ移行する架け橋の意味を持たせられるという。確かに、履歴書などに空白の期間があると、応募の時にそれを指摘されて不利になるという見方もある。雇用保険給付などの財政負担も軽減するから、失業から脱却するという意味では、好ましいといえるかもしれない。

 他方、これとは異なった考えもある。失業状態から脱却しようと、先のことを考えることなく、目の前に提示された短期の低賃金の仕事に移ると、それが足かせになって、その後の労働条件を制約してしまうという。前に安い賃金の仕事に就いていたのだから、高望みなどしない方がいいという話にもなってしまう。

 デトロイトで、失業して社会保障給付などで生活している人々を労働市場へ引き戻そうと、”Work First” というプログラムが実施されたことがある。それによると、失業状態から一時的な仕事に就いた人々は、その後、就業前の2年間と比較して年収レベルで1000ドル近い低下になったという。他方、がんばって目の前の短期の仕事を選ばず、長期のフルタイムの仕事に就いた人は、仕事の安定性が寄与して、年収レベルで2000ドル上昇したという。

 一時的な(有期の)仕事に就くと、失業期間は短くてすむかもしれないが、雇用が継続することで生まれるポジティブな効果が現れる前に再び失業状態に陥り、仕事探し、精神的にも落ち込みかねない過程に入ってしまう。他方、長期のフルタイムなどの安定した仕事に就くためには、良い仕事が提示されるまでの待ち時間に加えて、新たなスキルの蓄積なども必要であり、再就職できるまでのストレスも大きい。

 求職者の考えもそれぞれの人が置かれた状況で、かなりの振幅で浮動する。景気の上昇期には、転職することが賃金水準の上昇につながるとの考えが有力だった。しかし、今のように不況が長引くと、求職者の考えもひとつの会社にできるだけ長く勤めたい、勤められるような仕事に就きたいという考えに傾いてくる。「上昇志向」よりは「安定志向」ともいうべき考え方だ。過去20年くらいの新卒者などの就職に関する動向調査などをみると、驚くほど振幅がある。

 こうした志向の現れ方には、かなりの個人差もある。その人が置かれている条件で相当異なってくる。いずれか一方が正解という二者択一の道ではない。職業ガイダンスは、応募者が置かれているマクロ・ミクロの状況をしっかりと見極め、適切な方向付けをしなければならない。「仕事の世界」についての深い理解と洞察が求められる。安易な「キャリア教育」と称するプログラムを義務教育段階や高校、大学に導入しても、それが望ましい効果を発揮するか、保証はできない。実際、かなり疑問がある。そして今、「仕事の世界」には地殻の大変動のような変化の兆しが感じられる。ブログではとても扱えない問題だ。しばらく耳を澄まし、その鼓動を探りたい。

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女性の潜在力に期待

2010年01月23日 | 労働の新次元

Cover “We did it!”  The Economist January 2nd 2010.



 ある日の病院の光景。廊下を通る医師の中で女医さんが随分多いことに気づく。そういえば、時々お世話になっている歯科、眼科、皮膚科の先生、そして定期的に診察を受けている病院内科ティームにも女医さんが加わった。皆さん、真摯に対応していただいており、いつも感謝している。


 アメリカの大学医学部入学者の女子比率は、
2009年に50%を越えたようだ(正確に調べたことはないが、日本は3割くらいだろうか)。アメリカ、EU諸国の多くでは大学生の比率でも、すでに女子が男子を上回っている。医師、看護師、医療技術者、薬剤師などを併せると、医療は「女性の職業」になりつつあるとメディアは伝えている。

 さらに、
200910月にはアメリカの労働力のほぼ半数(49.9)を、女性が占めるまでになった。女性の大統領は今回生まれなかったとはいえ、労働力においても「女性優位の時代」が実現しつつある

 女性医師あるいは科学者などの比率が大きく伸張したのは、自然科学に関する教育的効果が女性の間に深く浸透し、女性の意識を変化させるに大きな役割を果たしてきたことがあげられている。教育や社会などの支援効果がきわめて大きいと思われる。欧米諸国では、政治分野でのサッチャー首相やクリントン国務長官の活躍なども大きな影響を与えてきた。高等教育の拡大は雇用市場におけるロール(役割)・モデルの意義を広め、家庭で主婦としてとどまるよりは成功する職業人を目指す女性が増加した。今日のアメリカでは大学教育を受けた女性の80%が労働力化しており、高等学校卒業者の67%、義務教育だけの終了者の47%を大きく上回っている。

 アメリカの女性医師の比率がほぼ男女と肩を並べるに至ったとはいえ、全体の数だけであり、医師の専攻偏在などについては、未解決な大きな問題が残っている。アメリカでは、男性中心の医師会などがその特権的地位を守るために、有名大学医学部の入学者定員や男女比の選定にさまざまな圧力をかけ、教授による入学者選考委員会が「10%ルール」などといわれる、文書に記録されない、暗黙の規制を行ってきたこともあった。

 そうしたことを考えると、これでも想像を絶する変化だ。しかし、歴代アメリカ医師会会長の男女比は男子161:女子2というような数値をみると、真の男女平等はこの国でも依然としてかなり大変なのだということを感じさせる。大企業の経営者層についてみても、女性の比率はきわめて低い。

 女性の社会進出にかかわる変化は、各国間でかなり異なっている。最も遅れているのはアラブ諸国だが、先進国でも日本やイタリアなど南ヨーロッパのいくつかの国では、労働力に占める女性の比率が低いことが指摘されている。たとえば、日本では2007年時点で、雇用者における男女比率は、男子57対女子43であり、賃金水準にも大きな男女格差が存在する。アメリカやEUの中進国と比較すると大きく見劣りする。日本は先進国の中でも、女性の潜在力の開発が最も遅れている国とみなされている。

 世界レベルでみると先進国労働市場は明らかに女性優位の時代へと転換している。ヨーロッパでは、女性は2000年以降に作り出された仕事800万のうち6百万を占めている。失業率も女性の8.6%に対して男性は11.2%である。

 さまざまな仕組みが女性の社会進出を支えてきた。たとえば、IT技術の発達もあって、女性が実際にオフィスに通わなくとも、家庭で働くこともある程度可能となった。それでもきわめて多くの家庭が保育施設などの不足、労働時間制度の硬直性に悩んでいる。しかし、いまや彼女たちの力を開発、それに期待することなしに、この国の将来はないのだ。男子はすでに大多数が労働力化しており、これ以上の上昇に大きな期待はできない。人口減少がもたらす労働力、そして活力の減少を補う方策は限られている。

 今日、実施に移されつつある少子化対策は、はたしてどれだけ実効性があるかという点で疑問符がつくが、現実が一歩でも進まないかぎりこの国に明るい未来はない。出産、育児を行いながら、後顧の憂い無く仕事につけるよう、一層の環境整備が必要だ。政権が交代しても、議論は目先のことに忙殺されており、将来への見通しはほとんど見えてこない。日本の人的資源で、活用が最も遅れているのが女性と外国人(移民)労働者であることを、再度想起したい。 

 

References
“We did it!”  The Economist January 2nd 2010 
Mary Roth Walsh. Doctors wanted, no women need apply, sexual barriers in the medical profession, 1835-1975, Yale University Press, PB 1977.

 

 

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労働者の声を誰が代表するか

2009年11月16日 | 労働の新次元

  現代社会において、労働者の声や利害はいかにして政治や経済の場に反映されるのだろうか。そのひとつの担い手とされてきたのは、労働組合である。労働組合という組織の力が勝ち取ってきた成果は大きい。

 しかし、今日の多くの先進国で、労働組合の組織率は大きく低下している。労働組合員は、日本では全労働者の18%(1988年)、アメリカでは民間部門はもはや7.3%にすぎない少数グループである。アメリカにいたっては、労働組合に関する統計は、すでに公的統計としての重要性は薄れ、研究者などによって推計されてやっと分かるほどだ。こうした事実は労働組合に関心を持つ人の間でも意外に知られていない。そのため、「過去の栄光?」に惑わされていて誤った判断をしていることもしばしば見かける。

 これまでの歴史において労働組合が果たしてきた役割が大きいことはいうまでもないが、これほどまでに地盤沈下してしまった組織が、労働者を代表すると考えるのは、どれだけ正当性があるか、当然議論が必要だ。労働組合がその傘下に含まれない労働者の利害をどれだけ代表できるか、大きな疑問が持たれてきた。端的にいえば、長期雇用が期待できる正社員とパートタイム労働者、派遣社員などの非正規社員は、現実の雇用の場においては、明らかに相反する利害関係に立っている。パートタイム労働者は正規社員の雇用にとって安全弁なのだ。こうした事情もあって、アメリカのAFL-CIO(米国労働総同盟産別会議)は、長年にわたりパートタイム労働者の組織化を実質的に行ってこなかった。ここではその問題に深入りするつもりはないが、最近のオバマ政権と組合の関係について、考えてみたい。

 共和党のブッシュ政権下にあっては、労働組合への対応は厳しかった。たとえば、3年前の航空管制官争議の際には、争議参加者の解雇、初任給切り下げ、職場のドレスコードまで定められた。 民主党オバマ政権になってからは、かなり対応が柔軟になった。職場の服装についても、今ではジーンズでも執務はできるようだ。

 オバマ大統領は選挙対策もあって、大統領選のころから組合に好意的な方針をとってきた。民主党は伝統的に組合寄りだが、選挙対策上もその方が有利だからだ。カーター大統領以来、最も組合寄り、プロ・ユニオンな大統領といわれる。

 AFL-CIOなどのアメリカの労働組合にとって当面の最重点課題は、「従業員自由選択法」Employee Free Choice Act (カードチェック)といわれる法案の成立だ。組織化の対象になりうる適格者のうちで、最低限50%の労働者が組合組織化に賛成し、組合カード(union card)に署名すれば、従来の秘密投票という手続きをとることなく組織化を可能とさせる法案である。成立すれば、労使の協約締結への時間も短縮され、労働者の権利侵害への厳しい罰則が課せられる。結果として低迷著しい組合活動にとって、有効な支援材料になると組合側は考えている。

 組合側は1970年代からこの法案の実現に向けて運動してきた。しかし、今日でも上院で可決に必要な議員数を確保することはできていない。さらに、この4月にオバマ大統領がNLRB(National Labor Relations Board:全国労働関係委員会)の委員のひとりに組合寄りとされるクレイグ・ベッカー Craig Becker氏を任命したことで経営側の怒りを買っている。 アメリカの組合の組織率は、すでに1970年代から下降傾向を続けてきたが、2006年から2008年にかけては下げ止まった。しかし、今年2009年には再び低下したとみられる。長い期間にわたり組合運動を見てきた多くの観察者は、NLRBの委員が入れ替わったくらいで、これまでの組合衰退傾向が大きく反転するとは考えられないとしている。

アメリカの部門別労働組合組織率の推移(%)
反組合風土が弱い公務員部門を除き、すべての分野で低下が著しい。


 Quoted from “Love of Labour” The Economist 31st 2009


 組合組織率の低下はアメリカに限ったことではない。日本を含めた先進国でほぼ共通に見られる。その原因にはさまざまなことが指摘されているが、組合の組織率が高かった製造業の地盤沈下、逆に組織率が低かったサービス産業などの拡大が挙げられることが多い。公務員などを除けば、ほとんどの産業、職種で組合員数は減少している。

 アメリカでは、カードチョック法案が成立しても、組合の今後は厳しいとの見方が強い。反組合的経営風土が根強いアメリカでは組織化が進むほど、企業業績は低下するとの見方もある。オバマ大統領が、組合が望むことをすべて受け入れたとしても、組合員数の増加はわずかなものにとどまるだろうとも見られている。 いずれにしても、アメリカの労働組合が、かつてのような強大な組織力を取り戻すことは考えがたい。時代が1960年代へ逆転するというのなら別だが、そうしたことは起こりえないからだ。

 組合という組織はそれ自体、個人の労働者では達成できない力を生み、労使の交渉を通して、組織の成員に利益をもたらす。他方、組織の成員でない者、未組織労働者は交渉力が弱い。不況期などの人員削減にも対象にされやすい。賃金などの労働条件でも大きな差が生まれ、組合員である正社員と非組合員である非正規社員の間には、深い溝が作られる。

 現代の労働者の大多数は、未組織な状態に放置されている。彼らには組織的な発言の道がほとんどない。今回の不況でパートタイム労働者、派遣労働者などの非正規労働者の労働条件改善がはかばかしくない理由のひとつでもある。組織的な活動のベースを持たない状況で、彼らが自らの実態をいかなる形で表明し、その立場の改善・向上を図って行くか。新たな発言のチャネルはいかにすれば形成しうるか。その過程で従来の労働組合という組織活動がとりうる位置と役割はなにか。この問題は、傾向としてはアメリカと同じ方向に向かっている日本にとっても、重要な検討課題だ。NPOなどで、いくつかの実験的試みはあるが、大きな流れにはなっていない。現民主党政権は「連合」という組織勢力に頼っており、未組織労働者の声は政治的にも雇用政策の場へ届きにくい。厳しい競争にさらされる雇用の現場へ近づくほど問題は深刻だ。新たな「発言」の経路の模索と確立、非正規労働者を組み込んだ真の意味での従業員代表制のあり方の検討・再構築は、現代労使関係の最重要課題だ。




 “Love of Labour” The Economist 31st 2009

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