ヒエロニムス・ボス没後500年記念特別展カタログ表紙
マドリード・プラド美術館、2016年
『快楽の園』3連祭壇画左側、部分
これは何でしょう?
500年経っても解けない謎
ヒエロニムス・ボスの没後500年に当たる今年2016年、記念事業のひとつとして刊行された「作品篇」(カタログレゾネ)と「技術篇」の2冊の研究成果*は、圧倒的な迫力がある。ページ数は双方で1,000ページをはるかに越え、重量でも2冊併せて9kg近い。もう少し経済的な印刷・装丁が可能ではないかと思うが、記念事業主催者側としては、立派なものを後世に残したいのだろう。
さらにブラバントとプラドで開催されたカタログまで見ていると、それぞれが面白く、今年の夏はかなりの時間、これらを眺めて暑さを忘れた。まるで長編ミステリー小説を読んでいるようで、ついのめり込んでしまう。両者には対抗意識が働いているようで、微妙に面白い。十分消化したとは到底言い難いが、これまで抱いていたこの画家と作品についてのイメージが、一変したような思いがしている。すべての作品を見たわけではないが、すでに1970年代から旅の途上などで、マドリード、リスボン、ベルリン、ヴェネツイア、ウイーン、ロッテルダムなどで、かなりカヴァーしていた。真作といわれるおよそ20点の70%近くは、直接目にする機会があった。とりわけ、ロッテルダムの大学に短期滞在していた折、新たな興味が湧き、多少本格的に調べたことがあった。
ボスは筆者にとって、ジョルジュ・ド・ラ・トゥールやレンブラントほど、贔屓の画家ではない。しかし、その奇想天外、奇々怪々で、想像力をかきたてる作品には、最初見た時から圧倒された。とにかく変幻自在、想像を絶する発想と構成に魅了された。その印象はかなり知識が増えた今でも変わらない。ボスの影響を受けたピーター・ブリューゲル(兄)の作品に接するまでは、他の画家とはまったく断絶した別の世界に生きているような斬新で想像を超える発想に驚かされた。当然、その奇想に溢れた作品の裏側を知りたくなる。
ヒエロニムス・ボス(c.1450-1516)の本名はJheronimus van Aken であることから、祖先の祖先はドイツ、アーヘンであることが推定されるが、画家はJheronimus Boschと作品にサインを残しており、活動の本拠地が's-Hertogenbosch(フレミッシュ)であったことなどから、今日ではフレミッシュの画家ボスとして知られている。ちなみに、レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)はフローレンスで活動していた同時代人である。多分、ダヴィンチもボスの作品について聞き知っていたのではないか。思い当たる点もある。
ボスはその生涯においてすでに大変著名な画家であったが、時代の制約もあって、その詳細は分からないことが多い。1318年に設立された「聖母マリア兄弟会」という信徒の会で誓約兄弟という中心メンバーになっていたことなどから、世俗の人でありながら、指導的な知識人でもあったことがうかがわれる。
ボスの没年1516年から500年が過ぎた今日まで、世界中で出版されたこの破格な大画家と作品に関する書籍は、数にして千をはるかに越えたと推定されている。このたびの記念事業に関連して刊行された書籍もかなりあるようだ。このブログでは上記の研究書やカタログに併せて、その後読んだ本の記憶を少しだけ再現したにすぎないが、この画家について抱いていた既成観念は、かなり塗り替えられた気がした。
「地獄」は描けても「天国」は?
そのひとつ、この画家は「天国」、「地獄」や「悪魔」を描くにきわめて長けていた。画家ボスが生きていた時代、15世紀の終わりも近く、世界の終末が来ると伝えられてきた。人々は、ボスの絵画を見て来たるべき「最後の審判」とその後に待ち受ける天国と地獄のありさまを想像し、天国へゆけることをひたすら祈った。
ボスはとりわけ恐怖に満ちた迫真力ある地獄の仮想描写に長けていた。そのこともあって、当時は‘悪魔絵描き’devil maker の名で知られていたらしい。地上には、戦争、天災、飢饉などがもたらした残酷、恐怖で満ちた光景がいたるところに展開していた。といっても、現代世界における戦争の殺戮の方が、はるかに残酷・悲惨と思うのだが。いずれにせよ、ボスにとって世紀末に目にするかもしれない恐怖の世界を描く材料には事欠かなかった。"Bosch"という名前は、多かれ少なかれ、地獄を描いたジャンルHellekenとほとんど同じ意味で使われてきた。
ひとつの例をあげてみる。聖アントニウスがさまざまな悪魔や化け物に誘惑されながらも、信仰の深化に努める光景を描いた『聖アントニウスの誘惑』は、当時からきわめて人気のあった画題であった。興味深い事実が見いだされている。ボスの『聖アントニウスの誘惑』の3連祭壇画は、16世紀に30点以上が制作されたと推定されている。いくらがんばっても、生涯にとても一人では描ききれない数の地獄絵Hellがボスの作品として出回っていた。ボスの追随者、模倣者が多数出現し、ボスの署名まで真似て制作していたことは明らかだった。
ボスの真作とみられる3連祭壇画を見ると、人々に「地獄」の恐怖を呼び起こす凄絶な光景と比較して、「天国」の光景はどこか迫力に欠ける。工夫を凝らして大変美しく描かれてはいるが、「地獄」の迫真力にどこか及ばない。現世に「地獄」の凄絶さを思わす光景を見ることはあっても、「天国」がいかなる所かを思わせる光景はほとんどなかったのだからだろうか。
ボス・ヒエロニムス『聖アントニウスの誘惑』3連祭壇画、部分
村落の火災
ボスの作品を見て気づく別の点は、ボスの他の画家から隔絶したような想像力、奇想天外な発想だ。ありとあらゆる実物、あるいは仮想の生物?、化け物のたぐいが画面一杯に登場している。その発想の源、手がかりはなにであったのだろうか。興味がかきたてられる。よく見ると、一見するとぎょっとするような化け物にもなんとなく滑稽さ、奇矯さが漂っている。愛すべき化け物といえるかもしれない。しかも、この画家の作品を見て驚くことは、およそ見たこともない化け物や存在するはずのない生き物?が画面の片隅に描かれていても、一切手抜きがなく、細部にわたってしっかり描き込まれていることである。そして、それはさらに新たな興味をかき立てる。見たこともない化け物や生き物?なのだが、しばしばユーモラスな印象を与える。かくして、ボスは「地獄の画家」とともに「笑い・滑稽な画家」として知られるまでになった。正統の宗教画作品を別にすると、「怪物図鑑」を見ているような気にもなる。不思議な画家である。
ヒエロニムス・ボス『聖アントニウスの誘惑』部分
ヒエロニムス・ボス『地上の楽園』、3連祭壇画
右側パネル部分
右側の男は誰?
作品制作の裏側
この画家はその生涯において、きわめて多くの作品を制作したと推定されている、しかし、今日ほぼ真作とされ、実在する作品は20点ほどである。そのうち、7-8点(一部は欠損、滅失)は3連祭壇画であり、しかも最重要な作品はスペイン、マドリードのプラド美術館が所蔵している。画家の活動したブラバント Brabant には作品は一点も残っていない。
伝承その他でボスが制作したと伝えられる作品、たとえば1521年にMarcantonio Michielが言及した、「ヨナが鯨に飲み込まれる」場面(「大きな魚が小さな魚を飲み込む」)を描いた作品やマドリードの重要な収集家ディエゴ・デ・ゲバラ(1450-1520)*が所蔵していたと思われていた祭礼を描いた作品なども発見されていない。とりわけカンヴァスに描かれた油彩画はすべて滅失している。その多くはアントワープの美術館が所蔵していたと思われる。
さらに現存するボスの作品は、画家ひとりの手で制作されたとは考えられない。ボスの作品のその奇想さ、多様さなどで、一人の画家がすべてにわたって制作したとは考えにくいものが多い。そこで浮かび上がるのが、画家の工房の存在である。ボスが工房を持ち、多くの優れた職人、徒弟などを雇っていたことはほぼ判明している。ボスは親方として、彼らを指導、指示しながら制作活動を行っていたのだろう。こうした工房の仕組みは、技能伝習の装置として大変興味深いが、詳細は別の機会にしたい。
活躍した?多数の贋作者と宮廷のパトロン
さらにすでに名声が高かったボスの踏襲者や贋作者が多数存在し、活動していた。ボスの作品に贋作、模作が多いことは、収集家のフェリペ・デ・ゲヴァラなどは1560年くらいには事実として知っていたようだ。これらの模作や贋作作品は、しばしば画家の署名も真作のそれを模して記されている。さらに作品に箔をつける(?)ために、ストーブの煤などで真作らしくする裏技なども加えられていた。ボスの没後500年記念プロジェクトとして行われた研究では、さまざまな分析技術を駆使して、作品の真贋、制作技法、年代などの推定が行われ、興味深い事実を明らかにしている。たとえば、ボスの作品のほとんどは樫の木などの木板の上に油彩で描かれているが、今回の科学的調査で木材の年輪まで判明している。しかし、不思議なことに真作と鑑別された作品制作時期よりも、使われている木材の年代の方が若いということもある。
ボスの数少ない作品を所蔵し、今日に継承するに重要な役割を果たしたのは、パトロンの存在と庇護だった。とりわけ、前回に記したフィリップ美公といわれたフィリップ1世(1478-1506)が、ボスの作品を好み、注文を出していた。ボスの生まれたブラバンド公国は1494年からフィリップ美公が統治していた。スヘルトーヘンボスにも滞在し、『最後の審判』の制作を依頼している。
フェリペII世肖像
Anthonis Mor, Philip II, c.1549-50
oil on oak panel, 107.5x83.3cm, Bilbao,
Museo del Bellas Artes, inv. 92/253
ナッサウ国ヘンドリック3世(1483-1538)はフィリップ美公のスヘルトーヘンボス滞在時に随行していた貴族だった。当時のネーデルラントの最高権力者だった。1499年、伯爵である伯父の跡継ぎとしてネーデルラントに移り、その後現地の司令官として重きをなしていた。彼の結婚に際して制作された作品が、ボスの最高傑作といわれる『快楽の園』である。
そして、もうひとりの重要なパトロン、ディエゴ・デ・ゲバラ(1450-1520)はスペインの貴族だが生涯の大半をネーデルラントで過ごした。ゲバラはナッサウ伯とともに、ボスもメンバーであった聖母マリア兄弟会に属していた。美術品収集家として知られ、ボスの作品を6点(内4点は行方不明)所蔵していた。スペイン王フェリペ2世(フィリップ美公の孫)はゲバラの孫から作品を買い取っている。そして、フェリペ2世はボスの作品の収集・所蔵家として、後のプラド美術館、エル・エスコリアル修道院のコレクションを貴重な継承遺産として今日に伝えた。
ディエゴ・デ・ゲバラ(?)肖像
Michel Sittow, Diego de Guevara(?)
c.1515-18, oil on panel, 33.6x23.7cm
Washington, D.C.;National Gallery of Art
Andrew W. Mellon Collection
ボス・ヒエロニムスの代表作は、ほとんどこのプラド美術館に集中している感がある。とりわけ『快楽の園』、『干し草車』、『東方三博士の礼拝』などの3連祭壇画の名作を保有しているのは、この画家の研究にとっても大きな強みだろう*。スペイン宮廷の貴族たちが、いかなる点に惹かれてボスの作品を収集してきたのか。彼らの美術観も興味深い。ゴヤ、ベラスケス、スルバラン、グレコなどの名作と並んで、別世界を創りあげたようなボスの作品が加わり、さらに最近ではジョルジュ・ド・ラ・トゥールの作品も意欲的に集められているようだ。スペイン経済の停滞の中で、プラドは燦然と輝いている。
*さらに、スペインはマドリード郊外に『十字架を担うキリスト』(エル・エスコリアル修道院)、『荒野の洗礼者聖ヨハネ』(ラザロ・ガルディアーノ美術館)を所蔵する強みがある。加えて、隣国のリスボンには多数の模作、贋作を生んだ人気の『聖アントニウスの誘惑』(国立古美術館)があり、ボスの愛好者にとっては忘れがたい地である。
References
Hieronymus Bosch, Painter and Draughtsman: Catalogue Reisonne
by the Bosch Research and Conservation Projet
Brussels: Mercatorfonds, 607 pp.
----------------.Technical Studies
by the Bosch and Conservation Project
Brussels: Mercatorfonds, 463 pp.
Hieronymus Bosch: Visions of Genius, an exhibition at Noordbrabants Museum, 's-Hertogenbosch, the Netherlands, February 13-May 8, 2016
Catalogue of the exhibition by Marthijs Ilsink and Jos Koldeweij
Brussels: Mercatorfonds, 191 pp.
Bosch: The Fifth Centenary Exhibition
an exhibition at the Museo Nacional del Prado, Madrid, May 31-September 11, 2016
Catalogue of the exhibition edited by Pilar silva Maroto
Madrid: Museo Nacional del Prado, 397 pp.
続く