時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

生涯で一度の機会: ファン・アイクの真髄に迫る

2021年05月23日 | 絵のある部屋


《ヤン・ファン・アイクの胸像》
Attributed to Willem van den Broecke (Paludanus), Portrait Bust of Jan van Eyck, 1545-54, Mas, Antwerp

新型コロナウイルスの世界的感染拡大が始まってすでに1年余りとなるが、収束の気配はない。この間、世界中でさまざまな催し事、展覧会などが延期や中止となった。期待していた大型美術展などで中止になったものもあり、大変残念な思いがした。その中には、ベルギーのヘント(ゲント)で開催されたファン・エイクの特別展もあった。会期途中で中止閉幕となってしまった。この展示では、この稀有な画家の現存作品およそ20点のうちの半数近くが見られるはずだった。イギリスで友人のメモリアル・サービスへの招待など行事もあったので、暫くぶりに長旅をしようかとも思ったが、全てコロナ禍で中止になってしまった。これだけの数のファン・エイクの作品が同時に展示されることはまずなく、大変残念な気がしている。

Van Eyck: An Optical Illusion, 1 February-30 April, Museum of Fine Arts Ghent
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N.B.
ヤン・ファン・エイク(Jan van Eyck, 1335年頃ー1441年)は 初期フランドルのフランドル人画家であり、15世紀北ヨーロッパで巨匠といえる最も重要な画家の一人である。西洋美術史上においても疑いなく画期的な芸術家である。
画家の出自、画業修業についてはほとんど分からない。主にブルッヘで活動、1425年ごろからブルゴーニュ公フィリップ3世に認められ、寵愛されて宮廷画家、外交官として仕えた。15世紀初期のフレミッシュ美術の巨匠である。
ファン・アイクの特別展は、主催者がその内容において 「一生に一度の経験」’a once-in-a-lifetime experience’とまで誇示していただけに、コロナ禍のため会期途中で中止となったのは惜しまれる。特別展カタログではないが、この画期的な展示に合わせて作成された極めて充実した学術図録を手元にon-lineの紹介と併せて疑似体験を試みたが、改めてこの画家が残した偉大な成果に圧倒された。
図録も印刷技術の目覚ましい進歩により、展覧会場ではなかなか確認できない細部が見事に再現されていて素晴らしい。興味深い分析と併せて長時間見ていても飽きることがない。


Van Eyck: An Optical Illusion,Thames & Hudson, 2021, pp.503
On-line:
MFA Ghent’s online tour at 6pm GMT on 8 April
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「ヘントの大祭壇」
今回の特別展の主要な見所は、次のような作品にあった:
『ヘントの祭壇画』または『神秘の子羊』『神秘の子羊の礼拝』といわれる複雑な構成の多翼祭壇画。兄 ヒューベルトとの共同作業としてのヘントの聖バヴォ大聖堂 の祭壇画として知られている。1432年の完成以後、その華麗で精彩な仕上がりで、世界的な名作として500年以上の時を超えて、今日まで継承されてきた。このたび修復作業を経て、大聖堂の新しい場所に設置された。この祭壇画は12枚のパネルから構成され、主題の「神秘の子羊の礼拝」が中央下段に位置している。

《神秘の子羊礼拝》開扉時下段中央

外側パネル(表扉)にも注目すべき点が多々あり、開扉時に下壇中央に描かれている《神秘の子羊の礼拝》が主になっている。

《神秘の子羊礼拝》表扉
Jan (c 1390-1441) and Hubert van Eyck (c 1366/1370-1426) The Adoration of the Mystic Lamb, 1432, Outer panels of the closed altarpiece, Oil on panel, Saint Bavo’s Cathedral, Ghent

8点の外扉パネルは、聖バヴォ大聖堂以外で長らく展示されてきた。1830-1918年の間は、パリのナポレオン美術館、1830-1918年にはベルリンで展示された。第二次大戦後修復作業が行われ、特に2012年に大規模な修復がなされた。この祭壇画が今日まで過ごした数奇な運命の変遷は、それだけで十分一冊の本になる。

視覚の革命 Optical Illusion
この画家の作品は、細部と光の表現力がすごい。精密で絶妙な細部描写と輝く色彩美は、図版で見る限りでも観るものを捉えて飽きさせない。順次展示された作品毎に展開される驚くばかりの写実性と絶妙な色彩の変化は、「初期フレミッシュ」の作風がいかなるものであるかを改めて実感させる。



細部についてもこの精彩さと美しさ。
Q. これはどこの部分でしょう? 答は最下段

画家の制作能力
これもよく知られている下掲の《ある男の肖像》Portrait of a Manと《神秘の子羊の礼拝》The Adoration of the Mystic Lambは同じ制作年次が記されている。この二つの大きく異なる規模の作品を同じ場所で展示する意義は、画家とその天才性についての理解を前進させると考えられている。Portrait of a Manも最近広範囲にわたり修復された。下掲のPortrait of a Man (Leal Souvenir) (1432) National Gallery , Londonのコレクションも、1857年にGalleryによって取得されて以来初めて貸し出しが行われた。

《ある男の肖像》(最近の修復前に撮影)
photographed before the recent restoration: Jan van Eyck, Portrait of a Man (Leal souvenir or Tymotheos), 1432. Oil on panel, 33.3 x 18.9cm. The National Gallery, London

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N.B.
『ティモテオスの肖像』(英: Timotheus)は、オーク板に油彩で描かれた板絵で、『レアル・スーヴェニール』あるいは単に『男性の肖像』と呼ばれることも多い。描かれている男性が誰なのかは伝わっていない。『ティモテオスの肖像』は1857年にロンドンのナショナル・ギャラリーが購入し、以後ナショナル・ギャラリーに常設展示されている。現在の研究家たちは、下段に碑銘のように刻まれた法律文書のような文体から、描かれている男性はフィリップ3世の法律顧問官だったのではないかとする見方もある。
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ヤン・ファン・エイクはこの時代に、モデルは異なるが、似たような肖像画をかなり残している。ご存知の方も多いだろう。


《青いシャプロン(飾り布)を被ったある男の肖像》
Jan van Eyck, Portrait of a Man with a Blue Chaperon, c.1428-1430, 22 x 17cm, Muzeul National Brukenthai, Sibiu (Romania)



ヤン・ファン・エイク《赤いターバンの男
Jan van Eyck, Portrait of a Man (Self Portrait?), 25.5 × 19cm, 1433.  National Gallery London

「初期フレミシュ」“Flemish Primitive” の精彩
ファン・アイクは油彩に革命を起こしたといわれる。初期オランダ美術の代表的存在であり、唯一無二の画家であった。ヨーロッパ中からの注文が殺到していた。

この画家は、自らの才能に絶大な自信も抱いており、それを誇示していた。他の同時代画家と違って、アイクは通常作品にサインし、日付を記した。時には、‘As well as I can’ (フレミッシュからの翻訳)という個人的モットーも記入している。自らの画家としての技量について大きな自負を抱いていたのだろう。

作品:


《泉のそばのマドンナ》
Jan van Wyck(Maaseik?, c 1390-1441) The Madonna at the Fountain, Oil on panel 19 x 12cm Royal Museum of Fine Arts, Antwerp


《受胎告知》
The Annunciation, c.1434-1436, Oil on panel , transferred onto canvas 92.7 x 36.7 cm, National Gallery of Art Washington, Andrew W. Mellon Collection

★Answer: 《神秘の子羊礼拝》表扉最上段













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大画家・名画パズル(3)

2021年05月18日 | 絵のある部屋


これまでのパズルはいかがでしたか。メトロポリタン美術館の学芸員の間でのゲームから生まれただけに、多数の凝ったパズルが作られています。基本的には、学芸員がそれぞれ持ち寄った絵画の断片から原画、画家、作品の含意などを推定する仕組みです。書籍では一般向けのものが選ばれていますが、学芸員でも考えこむものも含まれています。対象は西洋美術史の範囲ですが、ルネサンスから現代絵画まで、メトロポリタン美術館の学芸員ならば当然知っていると思われる有名作品が選ばれています。作品は全てよく知られた作品なのですが、部分的な断片を提示されると、学芸員といえども翻弄されるかもしれません。


それでは、もうひとつ次のパズルはいかがでしょう。判断の頼りになるのは、それぞれの断片と短いコメントだけです。ふたつの相互に関連するQuiz (設問)を提示しておきます。

Quiz 1 この絵は誰によって描かれた作品の断片でしょう?


断片1

ヒント:
最初にこの作品が公開された時には、El Claudro de Familia (family painting) 《家族の絵》と画題がつけられていた。一世紀以上経過した後には、絵を観る人たちの心情は普通の人たち(commoners)に傾いていた。そのため王家の家族に仕えた側近の人たちの名誉のために画題が Las Meninas 《女官たち》に変更された。

Q. この作品を描いた画家は?

答は下掲図



Diego Rodriguez de Silva y Velazquez 1559-1660
Las Meninas (The Handmaidens) 1656
Oil on canvas, 109 x125 in (276 x 318 cm)
Prado, Madrid, Spain
ディエゴ・ベラスケス《ラス・メニーナス》(女官たち)

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N.B.
《ラス・メニーナス》は1656年、スペインの黄金の世紀を主導した画家ディエゴ・ベラスケスの傑作で、西洋美術史における重要な作品。画題は当時のスペイン王室、フェリペ4世の宮廷内の風景を描いたものだが、思考の深さ、作品構成など多くの点でその後の画家、美術史家などに多大な影響を与えた。
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Quiz 2 この絵は誰によって描かれた作品の断片でしょう?

ヒント:
この姉は他の3人の姉妹から離れ、影の中に隠れている。しかし、40年後、彼女たち4人は父親の思い出のために、自分たちが描かれたこの肖像画をボストンの美術館に寄贈した。絵画の一部であるこの大きな花瓶も一緒に寄贈された。




John Singer Sargent, 1856-1925, American
The Daughters of Edward Darley Boit, 1882
Oil on canvas, 87 3/8 x 87 5/8 in (221.93 x 221.57cm)
Museum of Fine Arts, Boston
ジョン・シンガー・サージェント 《エドワード・D. ボイトの娘たち》

ジョン・シンガー・サージェントは、イタリア生まれのアメリカ人画家。ローマ、パリ、ロンドンなどで過ごす。アメリカ印象主義の画家ともいわれるが、パリではクロード・モネ(1840-1926)などの印象派の画家たちと交流があった。1984年には、パリのサロンに出展した『マダムXの肖像』という肖像画(メトロポリタン美術館蔵)によってスキャンダルに巻き込まれた。人妻を描いた作品として官能的に過ぎ、品格に欠けるとされた(今日の評価では、取り立てて問題ではないとされる)。こうした紆余曲折はあったが、サージェントは肖像画家としての地位を確立した。晩年は水彩風景画を主として制作。

サージェントは、ディエゴ・ベラスケスなどからの影響を受けたことで知られる。実際、1879年サージェントがプラドを訪れた折、画家はベラスケスの《ラス・メニーナス》の詳細な模写を行い、それをパリのアトリエへ持ち帰っている。

この作品は友人ボイトの4人の娘を、ボイト家のパリのアパートで描いたといわれる。集団肖像画といえる範疇に入るが、4人の娘たちのキャンバス上の配置に大きな配慮がなされている。

この作品が初めて公開展示された時には、ヘンリー・ジェームズなどの当時の批評家たちが、ベラスケスの影響を受けていると指摘している。2010年にはボストン美術館がこの作品をプラド美術館に貸し出し、ベラスケスの《ラス・メニーナス》と並べて展示した。

4人の子供たちは同じピナフォー(子供用エプロン)姿で描かれている。4歳のジュリアが床上に、8歳のマリア・ルイーズが左側に立ち、12歳のジェーンが背後に立ち、14歳フローレンスが陰に入りながらも描かれている。それぞれの子供たちの性格が微妙に描かれているといわれる。成長過程にあるそれぞれの自律性がうかがわれる。例えば、背後に描かれた年長の二人の姿や表情には先が分からない未来に対する不安や成熟の程度がうかがわれるとされる。ちなみに、後年この4人の娘たちのいづれもが結婚することなく、年長の2人は情緒不安定に悩まされたといわれる。

1919年、4人の姉妹はこの絵を父の思い出のために、ボストン美術館へ寄贈した。

ちなみに作品画面の後方に置かれた大きな花瓶(有田焼と思われる)は、ジャポニズムの影響と考えられる。これも作品とともに美術館へ寄贈された。

このブログでは、この画家の別の作品も紹介しています。
カーネーション、リリー、リリー、ローズ》1885-1887年、テート・ギャラリー、ロンドン さらに、サージェントのアメリカ印象派としての位置づけについても記している。


このQuiz、いかがでしたか。2問目のサージェントは少し難しかったかもしれません。幸いブログ筆者はご贔屓の画家であったので、正解できましたが。


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大画家・名画パズル (2)

2021年05月12日 | 絵のある部屋
 

今回のパズルは少し難易度が上がる。
これは誰が描いた、いかなる作品の一部でしょうか。

ヒント:
⭐️この作品を観る人は、誰かが背後から近づいているような感じを受けることがある。

⭐️この時代の画家にとって、自分の署名を作品に残すことは習慣ではなかった。しかし、この天才画家は自分の作品のいくつかには署名を残したばかりでなく、/Als ich kan (as I can)/ と付け加えたこともあった。この句に込められた謙遜さは、興味深い。というのもこの画家は西欧文化における偉大な画家のひとりだから。

もうお分かりですね。


このブログを読んでくださっている方は、この画家の作品をご存知のはずである。そう、《
アルノルフィーニ夫妻像として知られるヤン・ファン・エイクの名作の中にこの鏡は描き込まれている。画面の中にもうひとつの画面を描きこむという発想の斬新さに感嘆する。そして、その精緻な仕事ぶりに圧倒される。



Jan van Eyck (active 1422; died 1441)
Portrait of Giovanni(?) Arnolfini and his Wife (Portret van Giovanni Arnolfini en zijn vrouw: The Arnolfini Portrait)
1434, oil paintings on 3 oak panels, 82.2×60.0cm
The National Gallery, London

《アルノルフィーニ夫妻像》

もう一度、見てみよう。凸面鏡の枠に刻まれた小さな円型の飾りはイエス・キリストの受難を表現している。凸面鏡は結婚の誓いを見届ける神の目のようでもある。同時に曇りない鏡は聖母マリアの処女懐胎と純潔の象徴でもある。

鏡の中で戸口に立つ二人の人物のひとりは、画家自身と考えられる。

もし、この作品が婚姻証明であると考える後世の学者の説に従うならば、二人の人物はこの結婚を法的に正当なものとするために招かれた立ち会い人であろう。

扉の近くに立つ二人の男のうち、赤い服の男性がファン・エイク自身と考えられている。
さらに、鏡の上に「ヤン・ファン・エイクここにありき。1434年 (Johannes de eyck fuit hic. 1434)」 と日付入りの署名がある。この署名は木製の額縁にだまし絵風に彫刻されているかのように書かれている。

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N.B.
この構想と似通っているベラスケスが、絵画制作中の自らの姿を描き入れた《ラス・メニーナス》とは異なり、ファン・エイクは絵を描いている姿では描写されていない。ちなみに、ベラスケスはファン・エイクのこの絵を見たのではないかと推測されている。ベラスケスは国王夫妻が制作の場を訪れている光景が鏡に映されている。



Diego Rodriguez de Silva y Velazquez(1559-!660)
Las Meninas (The Handmaidens), 1656
Oil on canvas, 109 x 125 in (276 x 318 cm)
Prado, Madrid, Spain
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この作品、「アルノルフィーニ夫妻像」として知られているが、近年調査が進むにつれて、さまざまな謎が生まれてきた。その一部は、これまでのブログで記事としたが、ここでは立ち入らず「アルノルフィーニ夫妻像」としておこう。


ヤン・ファン・エイク『アルノルフィーニ夫妻像』1434年、ナショナル・ギャラリー、ロンドン
2020年2月〜4月にかけてゲントで開催されたこの画家の特別展では、Optical Revolution と題してこの画家の知られざる側面に光を当てている。これまで公開の美術館の展示では充分見ることができなかった部分が、印刷技術の進歩もあって、驚くほど鮮明に写しだされている。
この画家の他の作品も素晴らしく、図録もきわめて綿密に仕上げられており、よく見かける展覧会用の平板なものではない。読んでいて多くのことを教えられる。学術的にも水準が高い。ひとつだけ難を挙げるとすれば、図録が年々大部で重量感のある出版物になっていることぐらいだろうか。


Van Eyck: An Optical Revolution, catalogue cover
Museum voor Schone Kunsten, Ghent
1February - 30 April 2020


続く
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大画家・名作パズル(1)

2021年05月10日 | 絵のある部屋



MASTER PIECES 
コロナ禍で社会的な閉塞感が強まる中で、多くの時間を室内で過ごす人が増えている。そうした人たちにとって、格好の気晴らしの材料となるかもしれない一冊の本を紹介したい。

Thomas Hoving, Master Pieces: The Curator’s Game, W.W. Norton, New York, N.Y., 2006


美術館学芸員のパズルゲーム
この本、作られた背景が興味深い。ニューヨークのメトロポリタン美術館のさまざまな絵画部門の学芸員が毎週1回、特別に長く設定されたコーヒー・ブレークの時に、それぞれが多数の絵画の部分(断片)の写真を持ち寄り、それがどの作品の部分であるかを当てるゲームである。勝者はその週のコーヒー代がタダになる決まりのようだ。

学芸員は仕事柄、作品の細部にわたり、仔細に調べ検討するのが日常になっている。少なくとも自分の専門領域の作品については、精密に調査研究し熟知していると自負している。ゲームに提出される断片は2枚(容易な部分と難しい部分)であり、提示されるのは有名作品ばかりでなく、それほど有名でない絵画作品もある。対象とする時代は13世紀から現代にわたり、専門の学芸員でもかなり頭を使うようだ。本書はこれまでゲームに使われた素材の中から、一般的な57点を選んでパズル・ゲームブックの形としたものだ。

この本を使ってのゲームの楽しみ方は、色々考えられているが、普段使わない脳細胞の部分を活性化させてくれ、美術の愛好家、専門家といえどもかなり手こずる難題もある。初心者から専門家まで、それぞれに新しい視点や知識を得ることができるユニークな試みである。これを手がかりに皆さんもそれぞれ標本を持ち合い、ティータイムを楽しむこともできるでしょう。

ひとつの例を紹介してみよう。
本書の表紙に空けられた下掲の3つの窓の絵は、誰のなんという作品の一部だろうか。
 


答は:





Sandro Botticelli (Firenze 1445 -1510)
《La Primavera 春》
1482 circa, Tempera on wood, 126 x 82in (314 x 203cm)
Uffizi, FLORENCE
サンドロ・ボッティチェッリ
春(ラ・プリマベーラ)(La Primavera)1482年頃

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N,B,
サンドロ・ボッティチェリほど視覚的に甘美な作品を描いた画家はいないといわれる。15世紀後半の初期ルネサンスで最も業績を残したフィレンツェ派を代表する画家。明確な輪郭線と、繊細でありながら古典を感じさせる優美で洗練された線描手法を用いて、牧歌的で大らかな人文主義的傾向の強い作品を手がけた。当時、フィレンツェの絶対的な権力者であったメディチ家から高い信用を得る。

この画家は1444年フローレンスに生まれ、生涯をその地で過ごした。フィリッポ・リッピとアンドレア・ヴェロッキオに師事したが、彼の作品はより彫刻的で直線的といわれる。

1470年、フィレンツエの商業裁判所に作品名「剛毅」を描き好評を得たのがきっかけとなりメディチ家と生涯に渡りつながりを結ぶこととなる。以後、上層階級の市民を次々にパトロンとし画壇の寵児となる。1481年にはローマに呼ばれシスティーナ礼拝堂の壁画制作に携わる。同年代には《ラ・プリマベーラ》や《ビーナスの誕生》など神話を題材にした名作を制作した。

しかし、1490年ごろからメディチ家や富豪の腐敗政治に批判が集まるようになりボッティチェリのパトロンたちの没落が始まると作品の制作依頼もなくなり、そのうえフランス軍のイタリア侵攻などフィレンツェの黄金時代は急速に衰退した。

晩年のボッティチェリは人気が急落し、暮らしが極端に貧しくなり画業をやめるにいたり、孤独のうちに死去。

本作に描かれる主題は、≪ヴィーナスの王国≫と推測されているが、その幾多の画家が描いてきた三美神の描写は、ルネサンス期の絵画作品の中でも特に優れており、卓越した表現や図像展開からルネサンスを代表する三美神として広く認知されている。
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もうひとつのパズル断片を紹介しよう。これは誰の作品の一部でしょう。これが分かれば、かなりの風景画通といえるでしょう。
ヒント:この風格ある建物は風景画家の作品に描かれており、画家は印象派が生まれる以前にイーゼルを野外に持ち出し、細部の仕上げは屋内で行っていた。




答は:


John Constable, 1776-1837, English
Wivenhoe Park, Essex, 1816
Oil on canvas, 23.5 x 19.5 in (56.1 x 101.2 cm)
National Gallery of Art, Washington D.C.

この作品の依頼者はこのパークの所有者であり、画家の父親の親しい友人であったフランシス・スレーター・レボウで、コンスタブルの最初の重要なパトロンとなった。コンスタブルは1812年にレボウ夫妻の当時7歳の娘の肖像画を描いている。邸宅は、遥か遠くの森の中。

いかがですか。今回紹介したのは平易な部類。美術マニアを自認する方でもかなり手こする問題もありますよ。
続く


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歴史の軸を遡る(8):ウール・タウンの栄光の日々

2021年05月02日 | 絵のある部屋

ホーリー・トリニティ教会のステンドグラス

ラヴェナムなど、画家コンスタブルが活動していた「コンスタブル・カウントリー」、イースト・アングリアのことを書き出すと、すっかり喪失してしまったと思っていた記憶の数々が、断片的ではあるが脳裏によみがえる。かつてこの地を訪れた時に記したノートもあるのだが、今見るとしばしば文字列間の脈絡がつかなくなっている。記憶の糸をたどり、多少なりと記しておきたいことがある。「コンスタブルの世界」は作品や図録を見た程度では表面的にしか理解できないからだ。

ちなみにブログ筆者がかなりまとまった形でコンスタブルの作品を観たのは、1991年に開催されたテートでの企画展だった。Tate Gallery Constable Exhibition, 1991
以前に掲載した作品 Dedham Vale (National Gallery of Scotland, Edinburgh)も出展されていた。


コンスタブルが家業の製粉業を継ぐことなく、画家への道へ進む志を捨てきれずにいた頃、一時期だが「ウール・タウン」 “wool towns”の一翼を占め、繁栄していたラヴェナムの寄宿学校に在学し、悶々としていた時期があったことは以前に記した。人生の先行きが決まらないでいた少年は、いじめも経験したようだ。

ウール・タウンとは中世以来、毛織布工業で知られたイギリス、サフォークおよび北部エセックスの町や村々につけられた名称である。今回記すロング・メルフォード(通称:メルフォード)もその中できわめて繁栄し、一時はヨーロッパ指折りの美しい町とまでいわれていた。

ロング・メルフォードの位置
イギリス東南部イースト・アングリアの地図
ロンドン、ケンブリッジ、コルチェスターなどから行くのが便利


ロング・メルフォードの繁栄
当初この地に住み着いたのは、100年戦争によって住む所を追われたオランダやフランドル地方からの繊維織物業の職人であった。それまではこの地の主たる産業は、ほとんど原料としての羊毛の輸出だった。

フランス王位の継承とフランドル地方の領有をめぐって14世紀から15世紀にかけてイギリス・フランス間で断続的に行われた戦争

しかし、その後貿易の内容はデザイン性や加工度が高い毛織物製品が主たるものとなっていった。ギルドが結成され、多くの富がこのサフォーク地域に集積していった。最盛期15世紀半ばには30ほどの織物工場があった。その繁栄を伝える象徴は、今に残る壮大で優美な教会建築である。なかでもロング・メルフォード Long Melford, Suffolkのホーリー・トリニティ教会は今に残るイングランドの教会で最も壮大で美しいものとされている。イーストアングリアで最も富裕な教会、俗に「ウール・チャーチ」と言われる毛織物貿易で富を形成した商工業者たちの寄進によるものである。



Holy Trinity Church, Long Melford


ラヴェナムなどの町が15世紀に入ると、急速に衰退の道をたどったのに反して、ロング・メルフォードの町は、時代の動きを先取りして、その後も長く繁栄を続けた。この町の起源は古く、およそ8300BCまで遡るといわれる。17世紀には黒死病や戦乱の時期が続いたが、その後18世紀末には繁栄を取り戻し、時代の流れを反映したチューダー、ジョージアン、ヴィクトリアンなど様々な様式の家並みが継承されている。当初からこのように街並みを設計したのではなく、異なった時代の建築物が時代とともに生まれ、展開し、美しい街並みを形成しており、大変興味深い。

ロング・メルフォードのハイ・ストリートの街並みは、中心部はローマ人が構築しており、その後古代遺跡そして中世以来の建物の面影を今日に伝えている。ヨーク、ウインチェスター、ハルなどでも同様である。


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N.B.
メルフォードの繁栄にはthe Cloptons of Kentwell, the Cordells of Melford Hall, and the Martynth of Melford Place という3大豪商の存在が大きく寄与している。ホーリー・トリニティ教会には彼らが残した中世英国美術の数々が宝庫のように継承されている。彼らとその子孫たちが残した寄進の跡は、メルフォードの町のあちこちに残っている。
この教会は17世紀の偶像破壊運動などにも耐えて生き残った中世以来の美しいステンドグラスで知られる。’Alice in Wonderlands’ glass として知られる部分は、『不思議の国のアリス』の作者ルイス・カロルのためにジョン・テニエル が描いた挿絵に影響を与えたと伝えられ、観光客の見所のひとつになっている。



3匹のうさぎ(Trinity)のステンドグラス
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骨董市としても繁栄
イギリスで最も美しい町のひとつと言われるロング・メルフォードだが、さまざまな店、画廊、カフェ、レストランなどが散財する小さな町だが、レトロな雰囲気が漂う骨董家具の町としても広く知られている。

ここでは毎月一回最後の土日に骨董市 antiques and vintage fair が開催される。出展されるのは通常考えられる骨董品、宝石、陶磁器、古い衣服、レコード盤、軍装品、書籍や郵便切手など多岐にわたる。

ケンブリッジに滞在している間に、数回訪れたことがあった。半ば見物であったが、自宅を改修中であったので、2、3お目当ての品物も頭にあった。この町は、イギリス中から骨董屋が仕入れに来るといわれ、購入された家具はロンドンなどで補修され、新骨董品としてきわめて高い価格で売りに出されるようだ。骨董店に展示されている品は、近隣の町村などから集められた家具などが中心だが、かなりガラクタに近い品もあった。それらの中で特に関心のあったのは、最近再び話題となっている『おじいさんの時計』Grandfather’s Clock として知られる大きな柱時計だった。

この大きな時計は、骨董市などではかなり見かけたのだが、購入対象として見てみると、いくつかの難点があることが分かった。実際にかなりの大きさであること、故障を含めメンテナンスが難しいことなど、手入れの行き届いた良質のものは極めて高価なことだ。故障した場合に修理ができる店は、イギリスでも少ないことが分かり、あきらめることになった。

結局、イギリスにいる間に購入したのは、壁にかける姿見の鏡、仕事場の机などであった。鏡はまずまず本来の役割を果たしているが、仕事場の机は断捨離作業の物置き場になってしまっている。筆者の生きている間に、本来の目的で使われる可能性は少なくなった。



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N.B.
Grandfather’s Clock 『おじいさんの時計』
作詞・作曲:Henry Clay Work
レリース:1876年
My grandfather’s clock was too large for the shelf,
So it stood ninety years on the floor.
It was taller by half than the old man himself,
Though it weighed not a penny weight more.
It was bought on the morn of the day that he was born,
And was always his treasure and pride.
But it stopped short, never to go again
When the old man died.
CHORUS:
以下略
Quoted from Wikipeia
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