時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

現実となった「おとぎ話」

2010年05月29日 | 労働の新次元

 口蹄疫のニュースを見ているうちに、思いがけずもある光景が浮かんできた。ジョージ・オーウエルの名作『動物農場』 Animal Farm の描写だ。このたびの宮崎県の出来事は、動物までも工場生産される資本主義的経営が極度に展開した時点で起きたひとつの事件ともみえるが、なんともやりきれない思いがする。しばらく考えている間に、偶然小さな雑誌記事に出会った。これも同じ『動物農場』からの連想だ。

 ジョージ・オーウエルの『動物農場』の強力な雄馬のボクサーは、大変大きな馬体の持ち主でとても力が強い。ねばり強く、よく働き、仲間の尊敬の的だ。「俺はもっと働くぞ」I will work harder が口癖だ。朝は早く起き、夜は2時間余分に働く。ひずめを割った時でも休みをとらない。それでも彼の先行きに待っているものは、仕事場で倒れれば、膠と肥料用の骨粉にされるだけのことだ。

 『動物農場』の目的は、当時のソ連(社会主義)批判だった。しかし、その後、オーウエルの描いた世界は、資本主義にもあてはまりそうにみえてきた。オーウエルは『動物農場
』 の副題に「おとぎ話」fairy tale と付している。だが、結末で「動物農場」は「荘園農場」Manor Farm となり、豚と人間はどちらがどちらか区別がつかなくなる。

 その「おとぎ話」からの妄想?のひとつ。今日の世界を覆う失業がもたらす変化
が想起される。失業はそれ自体労働者にとって大きな苦難だが、さらにその増加、拡大にともなって、雇用されている労働者に「働き過ぎ」、過重労働という事態を生み出す。失業の恐怖がそうさせるのだ。最近のイギリスのある調査によると、対象となった 1000人の労働者の3分の2は、無給の時間外労働(「ただ働き」)をしている。これに対する報酬はといえば、賃金水準の凍結と休日の減少だ。 『動物農場』のボクサーと共通しているのは、いづれ破滅がやってくることだ。

 これまで労働者たちは、厳しい仕事でもストイックに耐えてきた。それは雇われている間は、ともかく仕事が続いていること、そして会社もなんとか存続していることだ。しかし、『動物農場』に描かれているように、専制的な経営者に反抗したり、異議を唱える勇気ある精神はめっきり衰えている。労働者はおとなしくなってしまった。ストライキもほとんどない。

 いつの頃か、経営者が労働者の自発的な努力を理解せず、単に消耗品とみなすようになっている。必要な時だけ雇えばよいという考えだ。しかし、それがもたらした惨憺たる状況を前に、企業側も「働き過ぎ」のマイナス面に気づき始めてはいる。だが、労働者の働く意欲は以前と比較すると格段に衰えている。そればかりか、企業への忠誠心も急速に薄れた。一度失った信頼は、なかなか取り戻せない。1970-80年代の日本の活気を支えた「会社人間」は、どこへ行ったのだろう。労働者は働きながらも、会社は信頼しきれないと、どこかで考えるようになった。

労働問題はどこでも同じではありませんか。 
ピルキントン氏の言葉:
「あなた方が対処すべき相手に下等動物があるならば、われわれには下層階級ありです。」

'If you have your lower animals to contend with, we have our lower classes!' (Owen Chapter 10)

 経営者側もさまざまな手は打っている。しかし、雇用の二極化はおかまいなしに進んでいる。正規労働者と非正規労働者という二種類の労働者だ。労働条件が異なれば、働き方や労働意欲も異なってくる。どうすれば、労働者のやる気を引き出せるか。潜在能力のある人たちを引き留めておくためにはどうすればよいのだろうか。年々劣化が著しいこの国の姿を見ていると、「おとぎ話」はとうに現実のものに見えてきた。

すべての動物は平等である。
しかしある動物はほかの動物よりも
もっと平等である。

ALL ANIMALS ARE EQUAL
BUT SOME
ANIMALS AEW MORE EQUALS
THAN OTHERS.


Schumpeter Overstretched. The Economist May 22nd 2010.

George Orwell. Animal Farm  a Fairy Story.London: Penguin Books, 2003.

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楽園の腐敗:ジャマイカ

2010年05月27日 | 移民政策を追って

  アメリカ・メキシコ国境の移民・麻薬貿易にかかわる問題は、これまで長期的政策の対象として正面から取り上げられたことはほとんどない。従来の経緯をみると、急に燃え上がり緊張を生むが、目先の対応で下火になると、抜本的政策は講じられることはなかった。その場かぎりの対策の繰り返しに終わるのが常だった。

 近年大きな問題となっているのは、不法移民と麻薬、武器などにかかわる密貿易の拡大と凶悪犯罪の増加だ。麻薬密貿易をめぐる問題は、アメリカ、メキシコにとどまらず、次々と国境を越える。最近ではカリブ海の楽園ともいわれるジャマイカへも飛び火した。ジャマイカの首都キングストンでは5月24日、突如麻薬組織の首領クリストファー・コークの身柄拘束を求める政府側と麻薬組織の間で衝突が起こり、すでに30人を越える死者が出ている。クリストファー・コークについては、アメリカ政府から身柄引き渡しの要請が出ていたが、ジャマイカ政府は消極的であった。しかし、このたび同国政府が首領の拘束を求める動きに出たことから激しい衝突が発生し、鎮圧のために軍隊が出動するまでになった。その背景には、この組織の首領が麻薬取引で得た金の一部を貧民に提供しており、貧民地域ではあたかもロビンフッドのごとき受け取り方をされている事情がある。両者の対決は首都キングストンと周辺地域から次第に拡大、内戦のごとき様相を呈し始めた。

 麻薬密貿易はほとんど例外なく、麻薬組織が関与している。彼らはその目的を果たすために、しばしば関係国の政府首脳を贈収賄、脅迫などで取り込むことを行ってきた。しばしばこうした腐敗が一国の中枢にまで入り込み、組織討伐などの機密が直ちに漏洩してしまう。


 メキシコでも5月14日にはメキシコ・カルデロン大統領の国民行動党 National Action Party (PAN) の幹部・ディエゴ・フェルナンデス・デ・セヴァロスが誘拐され、行方不明になるという事件が起きている。フェルナンデスは、
かつて大統領候補にもなった大物で警察機構にもきわめて近い人物だった。もし、彼が暗殺あるいは長期に麻薬マフィアに身柄を拘束されるようだと、カルデロン大統領はマフィアへ厳しい対応はできなくなると見られている。

 このたびホワイトハウスを訪れたカルデロン大統領は、オバマ大統領と会見し、多くの懸案を話し合ったが、「移民」と「麻薬戦争」はいやおうなしに出てくる問題だった。

 アリゾナ州の新移民法について、カルデロン大統領は「後ろ向き」で「差別的」だと批判している。メキシコ側は自国民に対して、アリゾナ州訪問を控えるよう警告するなど、厳しい対応をしている。他方で国境地帯の安全に関わる問題については、以前よりも両国の協力体制が強化されてはいる。オバマ大統領もアリゾナの新法は「見当違い」と批判的だ。目指すところは「包括的移民改革法」の制定のようだ。しかし、中間選挙が近づき、ヒスパニック系を地盤に取り込む必要があることを考えると、時間も限られ、どれだけ有効な改革がなしうるか疑問が残る。ブッシュ政権時代の議論を大きく踏み出すことはないだろう。

 「移民」と双子の関係にある「麻薬密輸」について、メキシコ国民はカルデロン大統領が実効があがっていると誇示する政策は生ぬるいと見ているようだ。政府内部が調査した密貿易にかかわる死者数は、2006年にはおよそ23,000人に達しており、プレスがこれまで調べた18,000人を上回っている。麻薬の密貿易者は年々したたかになっている。

 現代の移民問題は単なる人の移動にとどまらず、政治、経済、社会のきわめて広い領域に関わっており、動向を見極める確たる視座が必要だ。

Reference
"An unappetising menu" The Economist May 22nd 2010

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アリゾナから裂けるアメリカ

2010年05月20日 | 移民政策を追って

ここは祖先の地
 アメリカ、アリゾナ州が全米の注目を集めている。アリゾナと聞くと、メキシコに接する砂漠の州、グランド・キャニオンのある州というイメージが浮かぶかもしれない。アリゾナはアメリカ・メキシコ戦争の結果、1848年、メキシコより割譲された(一部は1853年)。メキシコ人にとっては現在でもここは奪い去られた先祖の土地という思いが強いともいわれている。

 地理的関係もあって、アリゾナには45万人以上の不法移民が流れ込み、麻薬取引を始め、さまざまな問題を生んできた。このたび同州では、外見などの疑わしさで不法移民の摘発を可能にする厳しい州法が4月23日に成立した。アメリカ一厳しい移民規制法といわれている。

 同州当局者らは、国境の治安維持のため不法移民取り締まりを強化する必要があったと主張しているが、この新法をめぐっては、「人種選別につながるもので、違憲である」として激しい反発の声が上がっている。 これを受けて同州知事は4月30日、世論の対立の沈静化を図ることを目的に、人種選別的とされる部分の一部を修正した。

 アメリカの移民政策改革は、ブッシュ政権時代から最重要な国家的政策課題のひとつであった。とりわけ不法移民への対策は、放置していれば遠からずアメリカ社会を二分するような大きな破綻につながるものとみられていた。 しかし、目指す移民法改革は、ブッシュ政権下では実現せず、新政権に持ち越された。だが、オバマ大統領が選挙演説中に公約していた移民法の改革は、その後ほとんど進展していない。アフガン戦争、医療改革などに予想を上回る時間をとられている間に、事態は急速に悪化してしまった。その発火点がアリゾナ州となった。

変わる白人州のイメージ
 アリゾナ州は圧倒的に白人の多いことで知られてきた。現在の不法移民は約50万人、大部分は南の国境を越えて入国してくるヒスパニック系だ。このたびの不法移民を取り締まる新法は4月23日に州議会でジャン・ブリュワー州知事が署名、成立した。ローカルな警察が「合法的な接触」lawful contact をした上で、「妥当な疑念」reasonable susupicionを持たせた者に移民法上の立場を質すことを認めている。言い換えると、警察官に不法滞在か否かの判断を義務付けている。また、移民は外国人登録証を常時携帯することが義務付けられ、警察官も不法滞在が疑われる場合には職務質問することが求められている。

 アメリカ生まれのラティーノでも自動車運転免許を持たずに外出すると逮捕の可能性が生まれると懸念する人もある。不法移民は数が少ない間は、大きな問題とはならないが、数が増加するに従い、きわめて難しい問題を生み出す。カリフォルニア州でかつて大問題となった、不法移民にも学校、病院などの公的サービスを認めることで州民を二分する大問題にまでなったProposition 187がその例だ。1994年の州民投票で承認されたが、施行にいたる前に違憲とされ実現しなかった。

 Proposition187は成立しなかったが、不法移民も増加すると、「数は力となる」ことを示した。不法移民は数の増加とともに、政治的にも発言力を増加するのが通例だが、アリゾナの場合はやや違った動きを見せている。問題の焦点となっているのは、主としてラティーノといわれるスペイン系だ。アリゾナ州に居住するラティーノの多くは、アメリカ人として数世代にわたってアメリカに定住している。スペイン語も十分に話せないほどになっているが、メキシコから入国してくる不法移民については、複雑な感情を抱いている。

 不法移民はしばしば麻薬などを持ち込む担い手となっており、その他の犯罪を犯すことも多い。麻薬密輸事件に絡んだ誘拐事件は昨年1年間で267件発生。国境警備警察に対する襲撃件数も 2008年は前年に比べ46%増の1097件に上った。

 白人の多い州とされてきた実態にも、地滑り的変化が起きている。高齢者の間では白人の比率が8割近いが、彼らの子供に占める比率では43%にまで低下している。ネヴァダ、カリフォルニア、テキサス、ニューメキシコ、フロリダなどでも同様な傾向がみられるようになっている。アメリカの人口におけるラティーノ化現象だ。こうした変化に、白人の高齢者の間には、ラティーノが学校や救急設備を利用することに反対し、納税を拒否する者が増加した。

迫られる連邦レベルの対応
 状況は複雑化し、ラティーノばかりでなく、白人、黒人、アジア系移民などが、より人道的な連邦移民政策を求めるようになってきた。オバマ大統領も移民法改革を先延ばしにしてはいられなくなった。争点はこのブログで何度も指摘したように、すでにアメリカ国内に居住するおよそ1200万人の「不法滞在者」への対応であり、絶えず越境してくる不法移民の阻止である。現実には不法滞在者であっても移民が米社会の労働力を担っているのは事実だ。彼らに依存する経営者、雇用主の反対は強く、不法滞在者全員の本国送還は事実上困難だ。州法を「見当違いの努力」と批判したオバマ大統領は11月の中間選挙をにらみ、 国境管理強化と不法移民への人道的配慮を備えた「良識的な法」を連邦議会が 早期に可決するよう要請した。

 民主党内では「移民に関する連邦法の改正は、国境警備の強化が先決だ」(ネバダ州選出の 民主党上院議員、リード院内総務)との考えを軸にしながら、すでに米国内にいる不法移民には 滞在資格などで配慮するという政策も検討されている。議論はブッシュ政権末期の包括的移民法案のレヴェルまで戻ることになろう。

 ホワイトハウスで
オバマ大統領と会見したカルデロン大統領は、アメリカで働き、経済に貢献している人たちを不法に扱うとして、アリゾナ州の新法を厳しく攻撃し、オバマ大統領もこうした事態へ陥ったのは、連邦レベルでの怠慢であると述べた。不法移民、麻薬問題ともに早急には解決できない問題だ。両国に深く根付いてしまった麻薬問題は、解決まで1世紀はかかるとまで述べる識者もいるほどだ。メキシコ湾の原油採掘設備の故障による原油流出が手遅れになったように、不法移民、麻薬密貿易問題もすでに有効な対応ができる時期を失してしまった。ヒスパニック系の政治力も強まった今、アリゾナの実態は、アメリカ社会で深く進行しつつあるエスニック断層の拡大の現れであることは間違いない。中間選挙を目前に難題山積のオバマ政権に、さらに大きな試練が付け加わったといえよう。

 

 

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ひとつの生き方

2010年05月17日 | 午後のティールーム
 5月に入り、先月とは打って変わったような晴天、新緑の美しい日が続く。それに合わせたかのように、次々と外国の友人たちがやってくる。今年は天候も異変続きだったが、こちらもあまり例がないことだ。予定表のやりくりがつかないほどになった。

  多くは人生の長い「仕事」の時期にようやく終止符を打ち、これまでできなかったことを楽しみたいと思っているようだ。皆、元気溌剌としていて、驚くばかりだ。仕事の世界が持つさまざまなしがらみや束縛から解放されて、生まれ変わり別の人間になったような人もいる。こうした人たちを見ていると、経済学でしばしば単純化して形容されるように、「余暇」leasureに対して「労働」labour は「苦役」toil and trouble なのかと思ったりする。

 今週は現役時代ずっとニュージャージーに住み、ニューヨークなどで仕事をしていたが、2年ほど前から生活の場を、ヴァーモントの小さな村へ移した夫妻に再会する。ほとんど24時間の空の旅をして、日本へやってきた。大学出たての若い頃は日本に住んだこともある親日家だ。金融・保険業界で活躍し、数年前までは映画「キャピタリズム」の世界にいたと冗談まじりに話す。

 この夫妻が、ニューイングランドの小村へ移住した理由に驚かされる。積雪の日が最も長い所を選んだとのこと。夫は冬季オリンピックのスラローム種目で、一時はアメリカ・ティームの選手候補に選ばれたくらいのスキーヤーだ。日本に初めて銀メダルをもたらした前IOC副会長のI氏と共に滑ったことを誇りにしている。スキーばかりかゴルフ、フットボールなどスポーツ万端に優れ、活力に溢れている。大のジャズ・ファンでもあり、来日直前にはニューオリンズのジャズフェスティバルへ行っていた。

 スキー歴も50年近くになる。出発前にも肋骨と腓骨を骨折したようだが、いっこうに止めるつもりはないようだ。仕事をしていた時も自分の思うように人生を設計し、大方その通りに過ごしてきた。うらやましいが、なかなかできないことだ。これまでにいくつか挫折もあったのだが、強い精神力で乗り越えてきた。その生き方に、大きな力をもらう。5月は久しぶりに充電したようだ。
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絵が日の目をみるまで

2010年05月10日 | ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの部屋

 最近、ニューヨークのオークションで、スペインの画家パブロ・ピカソ(1881―1973)の油絵「ヌード、観葉植物と胸像」が、1億648万2500ドル(約100億円、手数料込み)で落札されたと、競売業者クリスティーズが発表した。同社によると、美術品としては過去最高額とのこと。 この作品は縦162センチ、横130センチの油絵で、1932年3月8日に当時の恋人だったマリテレーズをモデルに1日で描き上げられ、官能的な描写が特徴とされる。絵画は昨年11月に死去したロサンゼルスの実業家夫人のコレクションの一部であった。第2次大戦後は一度しか展示されたことがなく、関係者の間では“幻の名作”として知られていた。50年以上も公的な場に出ることはなかったのだ。 

 クリスティーズは落札者を明らかにしていないが、電話での入札という。同社によると、競売にはロシアとアジアのある国を含む8人が参加し、落札予想額は7千万~9千万ドルだった。画商に近い知人の話では、この頃は中国人の富豪などが落札している場合も多いという。


Pablo Picasso. Nude, Green Leaves and Bust.1932.
 
  このピカソの作品、制作された後、チューリッヒの美術館が所蔵していたが、1951年海を越えてアメリカへ渡り、ロスアンジェルスの土地開発業者シドニー・ブロディ夫妻が取得し、同夫妻のモダーンな邸宅に飾られていた。昨年11月にブロディ夫人も世を去ったため、他の26点の美術品とともにオークションにかけられた。2億2400万ドルという個人の美術品売却額としては、史上最高の額となった。

 多くのファンが見たいと思っても、個人のコレクションになってしまうと、特別の機会でないと見ることもできない。作品が私蔵されてしまうことは問題だ。こうした状況を生む美術作品の市場や公共性については、考えさせられる点は多いが、論点が多すぎて、ブログには書きにくい。少しずつ解きほぐしてゆくしかない。

 この話を読みながら、ラ・トゥールの『いかさま師』、『女占い師』が、フランスからアメリカへ移った話を思い出した。とりわけ、『女占い師』 The Fortune Teller をめぐる経緯だ。この作品は、現在ニューヨークのメトロポリタン美術館が所有している。作品が最初に発見されたのは、ひとりのフランス人アマチュア美術愛好家ジャック・セリエ Jacques Celier の記憶と努力の成果だった。第二次大戦中にドイツ軍の捕虜となっていたセリエは、抑留中に差し入れられたラ・トゥールにかかわる書籍を読み、叔父の田舎の邸宅で、この画家ではないかとみられる作品を見たことを思い出した。彼は戦後解放されるやすぐに、叔父の家を訪れ、作品を確認し、その重要さを知らせた。

 1948年に叔父が死んだ後、ルーブル美術館と美術商ジョルジュ・ウィルデンシュタインGeorges Wildenstein が、この作品の取得をめぐって競いあった。結局、ウイルデンシュタインが競り勝ったのだが、1949年時点での購入価格は750万フランといわれていた。その後長い間、作品は一般の人たちの目前には現れなかった。長らく忘れられ、再び話題に上ったのは、1960年にニューヨークのメトロポリタン美術館へ売り渡された時だった。しかし、その購入価格は「きわめて高額」といわれただけで今日まで明かされていない。米仏の紛争のほとばりもさめた今、そろそろ公表されてもよいのではないかと思う。

  この売却をめぐって、大西洋の両側で別の騒ぎも起きた。フランスでは、こうした素晴らしい作品がフランスを離れ、新大陸へ移ることに強い反対の声が上がった。当時のフランス文科相アンドレ・マルローが議会で経緯を説明させられるまでになった。ジャーナリズムが格好のトピックスとして取り上げる傍ら、アメリカではメトロポリタンは贋作をつかまされたのではないかという騒ぎも起きた。 こうした論争はラ・トゥールの他の昼光の作品『カード・プレーヤー』(アメリカ・フォトワースのキンベル美術館、ルーブル美術館が各一点所有)にまで拡大した。

 ひとつの疑惑は1940年代頃に行われたある贋作師の手になるものではないかということであった。 論争は続いたが、その後の歴史的・科学的調査の結果、これらの作品がラ・トゥールの手になるものであることについては、専門家の評価もほぼ一致している。この贋作論争も画壇や美術史家間の泥仕合のような所も感じられるのだが、一時はかなりの注目を集めた。論争には興味深い点も多々あり、美術業界の暗黒面を垣間見せてもくれる。いずれにせよ、当の画家にとっては関係ない迷惑な話だ。

  この作品『女占い師』の意味するところは明らかだが、隠れた含意としては「放蕩息子」prodigal son あるいは劇場の一場面という解釈もある。 17世紀美術が興味尽きないわけのひとつは、画家や作品の provenance (出所、由来、履歴など)が十分確定できないことが多く、後世さまざまな推論が生まれることだ。同じ時代で、ラ・トゥールなどよりもはるかに史料などの情報が豊富に蓄積され、知見が充実、定説が確立したと思われているレンブラント、フェルメールにしても、最近次々と新発見、新説が現れている。あたかもミステリーを読んでいるような雰囲気がある。専門でもない変な分野に首を突っ込んでしまったなあと思いながらも、飽きることなく続いている。

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幸福を育むものは

2010年05月04日 | 午後のティールーム

鎌倉鶴岡八幡宮大銀杏(Photo:YK) 

 

 連休を挟んで、外国からの友人の来客があった。その一人、オランダのSさん夫妻は長年の友人でもあり、このところ毎年のように会っている。今回は「幸福」についての国際会議に出席のため来日した。自然、話題はそれから始まる。

 世界第三位の経済大国でありながら、日本はどうも元気がない。大都市デパートの雑踏などをみるかぎり、不況の影響など感じられないという。それなのに、日本人はあまり現状を幸せとは感じていなという。なぜなのだろうと聞かれる。適切な答はとても思いつかない。人々の心の底はそう簡単には読めない。

 政府の「新成長戦略」にも新たな視点が求められている。これまでのように、GDPなど、経済指標の大きさだけでは、国民の政策への満足の程度は計り得ない。「幸福度」(well-being)という主観的な指標の導入も議論されている。人間の幸福とはなにか。 先が見えない不安な時代、人はなにを考えて生きているのか。幸福とはいったいなんだろうか。人が幸福と感じるのにはなにが必要なのだろうか。この哲学的な問いにはとてもすぐに答えられない。

 幸福については、
このブログでも取り上げたことはあるが、しっかりと議論するのはかなり難しいテーマだ。しかし、「幸福」についての研究は、このところファッショナブルなようだ。経済学の分野でも「幸福研究」happiness research は、注目を集めている。たとえば、最近話題になっているリチャード・イースタリン教授(南カリフォルニア大学)の幸福の形成についての研究はそのひとつだ。 「イースタリン逆説」といわれるものがある。経済成長は、必ずしも人生の幸福度を増加させないという内容だ。イースタリンの研究は物質的な富の水準が上昇しても、必ずしも人生の幸福度(well-being)を増加させないということを示している。もう少し説明を加えると、社会で相対的に豊かな者は、平均的には幸福度もそれだけ高くなる。しかし、ひとたび基本的ニーズを満たすある厚生水準が達成されると、経済成長がさらに進んでも個人あるいは社会的幸福度はそれ以上増えることがないという意味である。

 経済的に豊かな国の国民が、その豊かさに対応した幸福度を感じるわけではない。高い所得を得ても、周囲のグループとの比較で低ければ、主観的な幸福度は影響を受けて低くなる。さらに所得が上昇すると、人々の要求水準も高くなり、富の増加が必ずしも幸福度の増加につながるわけではなくなってくる。経済的に豊かな国の国民は、所得が上昇し、衣食住などの点で十分な水準まで達すると、貧しい国の国民と比較して、マクロの水準に見合った高い生活上の幸福度を感じるわけではない。 例えば、所得の額や失業は、本当に幸福に影響するだろうか。インフレや不平等はどうだろう。仕事の仕方、雇われているか、自営の仕事かの違いは、幸福にどの程度関わっているのだろうか。  

 こうした考えは、これまでもさまざまな機会に提示されてきた。それ自体ほぼ推測できることであり、新味を感じない。世の中の常識?である程度類推がつくともいえる。しかし、経済学のような制度化が進んだ学問領域では、主観的な概念である幸福度のような尺度が、主題として導入されるようになることは、かなり大きな変化である。新しい研究分野が開かれる可能性は高い。 「幸福」という概念を構成する要素が分析され、関連データ(たとえば、World Data Base of Happiness) が充実してくると、興味深い研究が生まれてくる可能性は高い。


References
Richard A. Easterlin. Population, Labor Force, and Long Swings in Economic Growth, 1968.
________. Happiness in Economics. Edgar, 2002. 
________. "Building a Better Theory of Well-being. In Economics and Happiness. Framing the Analysis. ed. L.Bruni and P. Porta, Oxford University Press, 2005.

大竹文雄「研究進む『幸福の経済学』」『日本経済新聞』2010年5月3日


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