時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

ヒエロニムス・ボス没後500年(4):現世は楽園だろうか

2016年08月29日 | 絵のある部屋

 

Garden of Earthly Delights, centre panel,
220x195cm
Museo del Prado, Madrid 

ヒエロニムス・ボス『快楽の園』
センター・パネル(両翼扉は省略) 
画面クリックで拡大

 

 ヒエロニムス・ボスは、かなり好き嫌いが多い画家に入るようだ。女性の中には気持ちが悪いといわれた方もおられた。比較的、絵画が好きな友人でプラド美術館まで行ったのだが「あれは苦手」でよく見なかったといわれた方もいる(もったいない!)。その代表的な作品は、どうもボスの最高傑作の1枚『快楽の園』のようだ。プラドへ行ってもボスの前は素通りという。

 確かに最初プラドでこの作品に対面したときは、かなり驚いた。エル・グレコのような静謐で心が洗われるような絵を見なれていると、ボスの絵には驚愕させられる。作品によっては、胸の中がざわめくような衝撃を受けるものもある。今回の没後500年記念のカタログ・レゾネは、この画家の最高傑作と思われる『快楽の園』を、"BIZARRE IMAGES" 「奇妙な絵」と形容している。一見、これが宗教画と思うほど、雑然、
奇怪、猥雑、倒錯といった形容詞が次々と浮かぶ。構図もあっと驚くが、細部にわたりよく見ると、奇々怪々な裸体の男女、動物、生物、実在するか分からないような奇妙な想像上の怪物、建物のようなもので、画面が埋め尽くされている。ここは「失楽園」なのか。しかし、今改めて見直してみると、なにか中世のディズニーランドのようなイメージもしないでもない。

余談だが、今回の「ヒエロニムス・ボス没後500年:記念プロジェクト」の一環として造られたカタログ・レゾネ、技術編ともに重量級の重さであることは前回記したが、文字のフォントもきわめて小さく、provenance 来歴など、視力の弱くなった筆者にはルーペなしにはとても読めない。またタイプ・ミスをしないようにと、床に腹ばいになって読む始末だ。

 ボスはこの奇怪な作品をなんのために制作したのか。改めてカタログなどを繰ってみる。ハプスブルグ家に仕えたネーデルラントの貴族ナッソー・ブレダ伯ヘンドリック3世(1483-1538下掲)の婚礼を契機に制作されたという説明に出会う。一瞬なるほど、婚礼のお祝いなら明るいテーマかとも思う。しかし、実際は三連式の祭壇画(ここでは両翼は省略)と上掲のセンター・パネルと併せてみると、かなり厳しい教訓を含んだ作品だ。その制作を支えた基底には、この時代までに西欧社会に深く根を下ろしたキリスト教(カトリック)思想の蓄積があるとはいえ、画家としての独創性、構想力、そしてこの時代としては突出した、時に奇々怪々、あふれんばかりの知識と表現力の豊かさに驚かされる。

現存するボスの真作のうち、7点はこの三連式祭壇画方式で制作されている。当時のネーデルラントでは一般的な様式だった。

 左右の扉を閉めた状態では前回も掲載した、下掲のような円形の世界に光が射し込んでいるような不思議な光景があり、左上隅に神の姿が描かれている。そして、
扉を開くと、左側には「楽園(エデンの園)」、中央に 「想像の楽園(快楽の園)」、右側に「地獄」のそれぞれが描かれている。

 原罪を背負った人間が楽園から追放され、現世界で放埒で不道徳な生活(「快楽の園」earthly delights)を過ごしていると、次に待ち受ける世界は想像を超える怖ろしい地獄という一連の教訓で貫かれていると見てよいのか。中心パネルに描かれた光景は、想像上のこの世の悦楽(earthly delights)なのだが。宗教改革が目前に迫る時代に描かれた作品であり、諸国間の戦争、教会、世俗のそれぞれの世界の堕落は、世界の終末が近いことをさまざまに思わせるものだった。世の中には世紀末感が色濃く漂い、不安感が漂っていた。時代の先の見えない不安と恐怖は、今の時代につながる。500年前、画家は制作に際してなにを思っていたのか。夏の夜を過ごすには重すぎる課題を含む一枚である。


ヒエロニムス・ボス『快楽の園』祭壇画表扉



Jan Gossaert,called MABUSE
Portrait of Hendrik III
Count of Nassau-Breda, c.1516-1517
57.2x45.8cm
Acquired in 1979
Kimbell Art Museum, Fort Worth

ヘンドリックIII世、ナッソー・ブレダ伯爵
 このナッソー・ブレダ伯は大変熱心な絵画収集家で、フィリップI世に仕え、ローマを訪れたこともあった。この肖像画はその当時描かれたようだ。1517年あるイタリア人がブラッセルの侯爵宮殿を訪れた時、多数の絵画の中に、ボスの『快楽の園』 が誇らしげに飾られていたことを記している(Kimbell Art Museum collection catalogue)。なお、この肖像画を制作したマビュースは、イタリアの肖像画スタイルを初めてネーデルラントへ移植した画家のひとりといわれる。それにしても、キンベルは選択眼が良いと以前から思ってきた。

 ナッソー・ブレダ伯が仕えたフィリップ(フェリペ)I世(1478-1506: 通称フィリップ美男公、Philip I of Castile, Philip The Handsome, or the Fair)は、美形であったこともあり、こうした通称で知られたが、女性関係も多かったようだ。ネーデルラントを統括し、画家ボスの活動拠点ス・ヘルトーヘンボスにも1504年から翌年まで滞在したことがある。その時、彼はボスに『最後の審判』(ウイーン美術アカデミー付属美術館蔵)の制作を依頼している。この王は1506年、ブルゴスで生水にあたり、突然死去したと伝えられる。『最後の審判』という画題で依頼したのは、なにか心にかかることがあったのだろうか。世界の終末をどこかで思ったのだろうか。この作品も画家の死後500年を経過した今、決して進歩しているとは思えない世界を前に、なにかと考えさせる問題を含んでいる。

ファン・デ・フランデス画『フェリペ一世(カスティーリャ王』
ウイーン美術史美術館蔵
from Wikipedia 


 


 

 

 


 

 

 

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ヒエロニムス・ボス没後500年(3):楽園の裏側?

2016年08月23日 | 絵のある部屋

 

The main character, Simon, explains to David, the small boy he has taken under his wing: “After death there is always another life… We human beings are fortunate in their respect.” The Schooldays of Jesus. By J.M. Coetzee

シモンは自分が面倒を見ている男の子デイヴィッドに説明していった。「死んだ後には必ず次の生がある。・・・我々人間はその点で幸せなのだよ。」J.M.クートシー 『イエスの学校時代』(仮訳)

 

 

 

 いったいこれはなにでしょうか。おわかりの方はきっと人生の表も裏も知り尽くしておられるかも。

プラドに作品が多いのは
 前回のボス・ヒエロニムスの作品に立ち戻ってみる。ボスの作品は今日まで継承された数が少ない上に、祭壇画などの特別な形態をとったものが多く、日本で親しくその作品に接する機会は少ない。最近出会った作品では、「プラド美術館展」(三菱一号館美術館)に出展された「愚者の石をとる」(プラド美術館)だろうか。しかし、この作品は、この画家の代表作とは言いがたい。やはりプラド美術館やリスボン国立美術館などが所蔵する作品が代表作だろう。なにしろ、15-16世紀ネーデルラントの最高権力者フィリップ一世(フィリップ美公と呼ばれた:1478-1506)、ナッサウ伯ヘンドリック三世(1483-1538)、貴族ディエゴ・デ・ゲバラ(c1450ー1520)などの王侯・貴族たちが、金に糸目をつけず集めた作品を、後にスペイン王フェリペ二世(フィリップ美公の孫)がすべて買い取り、プラドやエル・エスコリアル修道院が今日所蔵するところとなった。真贋の点などで一部の作品には議論は続いているが、ほぼ25点の作品中で10点はマドリッドのプラド美術館が所蔵している。今回のボス没後500年記念のプロジェクトも、プラドの協力なしではほとんど成立しえなかった。かつて、プラドを見て少し余分の人生をもらったような気分がした。その後、抜けるような青い空と海の見える道を壮大な修道院のあるエル・エスコリアルまで車を飛ばした時代が夢のようだ。

 当初、ボスの作品に接した時は、同時代の画家たちと比較して、別世界にいるような奇々怪々な生物?が描かれた作品には、なんとなくなじみがたいものを感じた。しかし、この違和感はその後急速に消滅していった。そして見れば見るほど、この画家の天賦の才能、それも100年にひとり現れるか否かと思うような傑出した才能に圧倒されるようになった。生前、ボスの作品はフィリップ一世を初めとして王侯、貴族、宮廷人、熱心な収集家などの間で引く手あまたであり、実際にもかなりの数の作品が制作されたようだ。しかし、ボスの死後の宗教改革による偶像破壊活動などもあって、多くの作品が滅失した。

 ボスの作品、生涯については、筆者がこれまでかなり立ち入ってきたジョルジュド・ラ・トゥールなどのロレーヌやユトレヒトの画家たちとはきわめて異なった魅力を感じるが、あまり深く立ち入る時間はない。しかし、改めて「快楽の園」、「乾草車」、「聖アントニウスの誘惑」のようなきわめて著名で研究も進んだ大作ではない作品も見た結果、これまで気づかなかった新たな魅力も感じた。

『次の世のヴィジョン』再見
 前回記した四枚の作品、『次の世のヴィジョン』もその中に入る。改めてカタログを読んでみる。思いがけなかったことのひとつは、これらの作品がいかなる制作意図で生みだされ、その構成が実際にどうであったかという点についても、今日でも不明な部分が残されていることだった。たとえば、この四枚が画家
の『最後の審判』を中央に配した祭壇画の両翼であるという説や『(1)地上の楽園、(2)祝福された者の天上楽園への上昇、(3)地獄、(4)呪われた者の墜落』の4場面で構成される二連祭壇画という解釈も有力なようだ。筆者はボスの専門家ではないので、かつて見た作品の記憶を頼りに、カタログを読み直し、一時暑さを忘れていた。

 今まで知ることのなかった構図の配置や作品の解釈については、なるほどと思う点も多いが、今回の記念プロジェクトが明らかにした制作に関わる研究・技術的側面もきわめて興味深い。ラ・トゥールの場合もそうであるが、近年作品に関するさまざまな科学的研究が進み、不明であった制作年次、使用された顔料、下地、制作意図などが明らかにされるようになった。

 1521年からCardinal Grimani グリマニ枢機卿の所有となっていたとされる、この四枚の作品はボスの熟年期の最高傑作のひとつと考えられる。この当時は、キャンヴァスの使用がまだ普及していなかったため、オーク材(ブナ科ナラ属、大木となる)などが多数使用されていた。伐採された木材の年輪推定から40-90年を経過した大木が支持材であることが推定される。伐採後、板材の乾燥と安定化のためにおよそ20年が加えられる。支持材にもかなりの年数の熟成が必要なのだ。

ということで、ご推察の通り、上掲の四枚は、前回記した作品『次の世のヴィジョン』の裏側である。順序は次の通り:

左側上、下              右側上、下

祝福された者の楽園への上昇       呪われた者の墜落
エデンの園(地上の楽園)          地獄への川

 

 参考までに『エデンの園』の裏側を拡大してみよう。5世紀もの時の流れの過程で表面は傷だらけになっていることが分かる。


 この今日まで継承されてきた扉型の祭壇画は、これまでの歴史の過程で破壊されており、本来の姿は実はわからない。残存しているのはパネル(87x40cm)だが、上下が厳しく切断されている。そのため、たとえば「地上の楽園」earthly paradise原画の半分くらいしか絵として残っていない。このことはオリジナルのパネルはきわめて細長いものであったと推定できる。言い換えると、地上の楽園(エデンの園)から見上げる天上の楽園(天国の門)は、はるか上方に位置していたとおもわれる。グリマニ枢機卿の所有の時にすでにいまのような状態になっていたのかもしれない。これらの点に画家がいかなる考えを持っていたのか、わからない。この時代、作品を画家から入手した者が、オリジナルの作品を、自分の好みで切断するなどの行為が行われるのは珍しいことではなかった。

  ちなみに、ボスの代表作のひとつ『快楽の園』(プラド美術館蔵)の外面扉の部分を掲載してみよう。所有者が大切にしていたという理由もあるかもしれないが、外面もきわめて美しい。


 

Garden of Earthly Delights, exterior
c.1470 or later, oil on panel, 220 x 195cm

Museo del Prado, Madrid

 16世紀初め、1505-1515年ころに制作されたと推定されているボスの「次の世のヴィジョン」だが、作品の解釈については、ボスの他の作品を検討する過程でほぼ立証されている。宗教改革運動前の教会の考えと一致していると思われる。天国Paradiseと地獄は最後の審判と並んでいた。世俗の生活 earthy lifeの後に来るとされる世界の予告である。地球上の楽園に対比される世界は、いずれ二つに分かれ、神の光が射す真の天国への入口であり、対する地獄の業火が映し出す罪人が抱く後悔と自ら犯した罪への深い精神性を考えさせる暗く、怖ろしい次元が想像されていた。 

 ボスが世を去った1516年の翌年になるが、1517年、ルターはローマ教会に抗議してヴィッテンベルク市の教会の扉に95ヶ条の論題を掲げた。これが、一般に宗教改革の始まりとされる。ルターは当初、教皇と袂を分かつつもりではなかったといわれ、たとえばボスが描いた現世と天上の楽園(天国)との関係などについても、ルターもおそらく大きな違和感を抱いてはいなかったのではないかと推定される。

見えない天国
 ボスの作品は、当時教会などの教えを通して、人々が心の中にイメージしていた内容を具象化して描いたと考えられ、ルターなどが見たとしても、違和感はなかったろう。当時の人々が漠然と心の内に抱いていた「地上の楽園」から祝福された者だけが許される「天上の楽園」への上昇、他方呪われた者が「最後の審判」によって罪深き者として断罪され、地国へと墜落させられ、悪魔から永遠の苦痛を強いられる地獄の様相が描かれている。罪を犯した者が落ちてゆき、終わることのない過酷な日々の次元に組み込まれることへの悔恨と恐怖感が、恐ろしい地獄の業火が陰惨に燃える中で、人々の心の中に定着してゆくことを教会側は期待していたのだろう。ボスの作品にある円筒形のドーム(隧道)のような『天国の門』(入口)は、灰白色で描かれ、その先にあると思われる「天国」の情景がいかなるものであるか、まったく分からない。画家の生地ス・ヘルトーヘンボスに残る運河の隧道のようだとの揶揄もあるくらい、希有な天才ボスの目をもってしても、見えない所なのだ。

  

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ヒエロニムス・ボス没後500年(2):究極のタイムトラヴェラー?

2016年08月16日 | 絵のある部屋

 

さて、何キロあるでしょう?
Hieronymus Bosch, Painter and Draughtsman: Catalogue Raisonne

by the Bosch Research and Conservation Project
Brussels: Mercatorfonds, 607pp., 2016.

重量級カタログ? 

 なんとなくけだるい感じがする猛暑の日の昼下がり。前回も記したが、展覧会のカタログ・レゾネを眺める。このところ比較的良く見ているのは、画家没後500年を記念し、世界的に話題を集めているヒエロニムス・ボス(c.1450-1516)の特別展カタログだ。このカタログ、並大抵のものではない。ボスの作品の研究・保存プロジェクト (The Bosch Research and Conservation Project) がその成果を、作品篇 Catalogue Raisonne と技術研究篇 Technical Studies の2冊に分けて刊行したものだが、作品篇は607ページ、技術研究篇は463ページの大作である。驚くことのひとつは、その装丁、とりわけカタログ(正確には研究書)の重さである。

 前回ブログで、カタログ・レゾネの多く、とりわけ海外の展覧会の場合は、とても片手に持って読めるような代物ではないものが多くなってきたと記したが、試しにこのカタログ(研究書:作品篇)を手元の体重計?で計ってみたら、なんと4.5kgもある。別に重いことがよいカタログの条件ではないのだが、今回のように美術館などが作品の所蔵を誇示したいような場合には、しばしば現作品に忠実な高級印刷を目指し、必要以上に豪華な装丁となってしまうのだろう。美麗で堅牢な箱入りできわめて立派なカタログだが、表紙も硬い厚紙で、両手で持っているだけでも一苦労する。足に落としたら今度は確実に病院行きだ。やはり床に置いて、気楽に眺めるのが安全だ。

どこかでつながる伝承の流れ
 前回記したように、ボスの作品は若い頃見た時は、その奇怪で異様な画風などに違和感を覚え、しばらく遠ざかっていたが、50歳代くらいから急速に魅惑され、深く関心を抱くようになった。とはいっても、ジョルジュ・ド・ラトゥールやホントホルストのような17世紀後の画家への関心とは動機や目的が
かなり異なったものだ。両者にはほぼ1世紀の年代差があり、作風も大きく異なる。しかし、前回取り上げた『手品師(奇術師)』のようにネーデルランド、ユトレヒトの画家たちとの細く通じる流れを感じる。

 ボスの家系は画家が多く、父アントニス・ファン・アーケン Antonisu van Aken、兄のホーセン Goossen および3人の叔父が画家であった。ボスは生涯のほとんどを現在のベルギーに近いス・ヘルトーヘンボス(デン・ボス)で生まれ、この地で過ごした。今年、その没後500年を記念する展覧会が各地で開催されているが、とりわけ、この地とスペインのプラド美術館が大規模な特別展を企画した。生前はスペインのフェリペ2世を始め、各地に熱心な愛好家がいたようだが、作品のほとんどは16世紀の宗教改革の偶像破壊のあおりを受けて、滅失してしまい、現存する作品は30点あまりと数少ない(油彩画の他にペン画が数点ある)。事情は異なるが、ラ・トゥールやフェルメールと同様に、今日に継承されている作品数が少ない。ボスの作品には前回取り上げた世俗画のようなものもあるが、多くはその後のシュルレアリズムを思わせる怪異で幻想的な画風が特徴となっている。同時期の他の初期フランドル派とは一線を画している。この時代によくこれだけ、奇怪で、グロテスクで、不可思議だが、全体として不思議な美しさを秘めた作品を創造しえたのか、やはり天才としか考えられない。

謎多いボスの人生と作品
 パトロンには各国の枢機卿、貴族、宮廷人、大商人、などが多数いたようだ。それにもかかわらず、
この画家の生涯については、意外に不明な点が多い。作品の多くが滅失したのが惜しい。ボスの作品は人気が高く、贋作、模作なども多く、その来歴 provenanceはまるで小説のように興味深い。

 ボスの同時代人で有名画家としてはレオナルド・ダ・ヴィンチが思い浮かぶ。両者ともに人体を描くについても、必ずしも美しい対象とはみなかった。とりわけボスの作品には聖書に基づく寓話がひとつの発想の源と思われるが、どこから思いついたのたのだろうと思うような奇怪で不可思議な動物?、魚、鳥、そして人間がいたるところに描かれている。とにかくその不思議でこの世とは思えない情景には息をのむような感がある。作品を制作するに際しての画家の想像力の豊かさ、広い世界への知識欲にはひたすら驚かされる。この画家について深入りすると、もうひとつ人生が必要に思えるほどだ。

ヒエロニムスの代表作で一般によく知られているのは次のごとき作品だろうか:

『快楽の園』(1480-1500年頃)プラド美術館蔵
『干草車』(1490-1500年頃)プラド美術館蔵

『聖アントニウスの誘惑』リスボン国立古美術館蔵
『いかさま師』(1475-80年頃)サンジェルマン=レー市立美術館
『放蕩息子(1480年-90年頃)ホイマンス・ヴァン・ブクニンゲン美術館蔵』

『当方三博士の礼拝』(1510年頃)、プラド美術館蔵
『最後の審判』(1510年以降、ウイーン美術アカデミー付属美術館蔵

 これらの作品の中でも最も知られているのは『快楽の園』だろう。続いては『干し草車』、『聖アントニウスの誘惑』、『東方三博士の礼拝』などだろうか。真作の確定が難しい画家のようだが、今では研究が進み、たとえば、絵画の支持体として使われているオク材の伐採時期から乾燥年数まで推定が進み、制作年次の推定が行われている。

 ボスの生地であるデン・ボス(正式名称はスヘルトゲンボス)には、聖ヤン聖堂、ヒエロニムス・ボス・アートセンターなど、偉大な画家の業績を記念する場所はあるが、画家自身の作品はこの町になにも残らなかった。しかし、郷土の大画家を賞賛・記念するために、町は画家の没後500年の今年、ノルドブラバント美術館が中心となって、町を挙げての大イベントを立ち上げた。画家の出生地に一点も作品がないのにという批判はあたらない。確かにこの画家の作品は生地に残らなかったが、多くの伝承や教会などが残っている。日本の例を見れば明らかだが、日本人の好きなフェルメールにしても、日本の美術館は一枚も所有していないのだ。それでも、これまでに何度フェルメール展が開催されたろう。

デン・ボスの場合も、ラ・トゥールのヴィック・シュル・セイユの場合も、小さいながらも画家を記念する美術館も出来て、郷土の天才を称える人たちの努力によって、こうした貴重な遺産は継承されてゆく。これまで謎であった工房の仕組みもかなり明らかになった。彼らの手助けもあってボスの膨大で細微にわたった作品も完成することができたことが次第に明らかになってきた。

 最後に、暑さを忘れる作品をご紹介しておこう。『次の世のヴィジョン』 the Visions of the Hereafter と題する作品である


From left to right:
Hieronymus Boash   
The Garden of Eden, The Assent of the Blessed,  c.1505-15 、The Fall of the Dammed and The River to Hell      oil on oak panel, both 88.8 x 39.6cm(left two panels): 88.5 x 39.8cm and 88.8 x 39.9cm(right two panels
Venice, Museo di Palazzo Grimani, 184 

ヒエロニムス・ボス『次の世のヴィジョン』 
(パネル:左から右へ)
『エデンの園』、『祝福されて天国へ』、『堕落者の落下』、『地獄の川』

 作品は四枚のパネル(板材)に描かれ、大別して「天国への道」と「地獄への道」に2分される。これらの作品は元来は画家の晩年の作とみられる『最後の日』と『最後の審判』に付帯していたものが、後年切り離されて継承されたのではないかとみられている。簡単に説明を付け加えるならば、天国と地獄の世界自体の光景はそれぞれ描かれてはいない(ただし、地獄の一部とみられる言葉を失う光景は描かれている)。描かれているのは、エデンの園から祝福されて天国へ導かれる少数の人たちと、底知れる地獄の暗闇へと落ちる人々(右から2枚目)の明暗分かれる姿である。左上の天国へ通じるであろう道は、白色系の不思議な明るさで隧道のような光景が描かれ、天使が導いている。しかし、その先は描かれていない。天国の本当の光景は知り得ない(下掲図、原画の部分)。 

 ヒエロニムス・ボス
『祝福されて天国へ上る人たち』   


他方、地獄への転落は、まさに底知れぬ暗黒が待ち受ける光景だ。右側の岩山のような上には怖ろしげな火が、底には地獄の業火が燃えているのだろう。不気味な明るさが伝わってくる。左側の枯れ木には鳥とも動物ともつかぬものが枝に止まり、右側の岩山にも猛禽のような鳥が描かれている。そして、地獄ではその救われることのない怖ろしい光景の一端が描かれている(四枚パネル右1枚目下段)。

  これらの作品を見ていると、
この時代の人々が、いつとはなく心の内に思い描いていた来たるべき世の有様が思い浮かんでくる。多くの人々は「煉獄」という苦難に満ちた長い道を歩んで、このいずれかの分かれ道にたどり着くと考えられたようだ。

 現代社会は、不安に充ち、先が見えがたい。 画家ヒエロニムス・ボスの死後、17世紀は「危機の時代」として知られる苦難に満ちた時代になった。そして、画家没後500年を経過した今、現代人にとって、来たるべき時代はどう見えているだろうか。



ヒエロニムス・ボス
『地獄への川』 


 

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ヒエロニムス・ボス没後500年(1);「いかさま師」の原風景?

2016年08月08日 | いかさま師物語


Hieronymus Bosch, The Conjurer, pen and brown ink on paper,27.6x20.2cm, Paris, Musee du Louvre, Department des Arts graphiques, 19197.
ヒエロニムス・ボス『手品師(奇術師)
』 

クリックで拡大 

 

 酷暑の日々、過熱気味の脳細胞を冷やそうと15世紀の世界へタイムマシンを駆動する。日本ではあまり知られていないヒエロニムス・ボスの世界への小旅行を試みた。 

 カラヴァッジョやラ・トゥールの作品で知られる『いかさま師』のシリーズは、画家が当時の日常生活の中で出会った光景に触発されて構想し、制作したことは間違いない。こうした光景は形を変えて、時とところによっては今日でも経験することがある。他方、このようなテーマが絵画などの作品の対象となったのはその源流をたどると、人類史のかなり遠い昔までさかのぼるように思われる。絵画など、利用できる資料によると、社会生活では少なくも15世紀近くまでさかのぼり、その有様を推定できる。

  今年2016年は、オランダの希有な画家ヒエロニムス・ボス(c.1450-1516, August 9th)の没後500年に当たる。まさに、8月9日は命日である。奇想天外で凡人の想像力の域を超絶した、この初期フランドル派の画家の生まれ育ったベルギーの国境に近いヘルトー・ヘンボス、あるいは傑作の多くを所蔵するマドリッドのプラド美術館など、世界各地で企画展などの催しがさまざまに開催されている
 
  この画家については、当初はその怪奇とも、奇想ともいえる異様な世界に圧倒されて、あまり好みではなかったが、主要作品はラ・トゥールと違って、マドリッド、ロッテルダム、ヴェネツイア、ワシントンDCなど、ヨーロッパ、アメリカの大都市の美術館に所蔵されている作品が多いこともあって、これまで比較的多数を見ることが出来た。とりわけ、ロッテルダムのエラスムス大学の友人が招いてくれた折、ベルギーを含め、周辺の美術館所蔵の作品はかなりなじみ深くなった。日本のアニメの影響などもあってか、奇怪でグロテスクな描写にもかなり慣れて?、今ではボスはごひいきの画家のひとりとなっている。現代社会の方がはるかに異様で、グロテスク、壮絶で悲惨な実態を呈していて、まるで現代の世界を描いたような感じさえ受ける。

 画家ボスの作品は、宗教改革当時の偶像破壊活動によって、滅失、破壊されたものが多く、今日に残る作品は30点くらいといわれているが、発想、表現とともに奇想天外、現代人であっても驚愕するほどの驚くべき世界観をもって、作品を制作した希有な画家である。この画家の作品集をつぶさに見ていたら、現代の人間社会の複雑怪奇さ、世界の荒廃した風景と本質的に重なるものを感じ、最近の異常な暑さをしのぐ格好な銷夏法(あつさよけ)になるかもしれない。

さて、ここで取り上げる「いかさま師」などのテーマに関連する作品として、ボスは2枚の自筆の『手品(奇術)師』 The conjurer を描いた左上に掲げるペン画を残している。さらに、弟子たちの手なるものと思われる同じテーマで数枚の作品があることが今日では判明している。16世紀半ば頃の作品とみられるプリント(版画)も発見されている。選ばれた対象は、ボスの作品群の中では、きわめて穏当な?テーマだ。

 これらの残存する作品の中では、上掲のルーヴル美術館が所蔵する二枚のペン画
が主題にかかわる原風景的作品として注目されている。ペン画であるから、大変地味ではある。その中で後の油彩画につながる原型ともいえる1枚が上に掲載した作品であり、当時の手品師が路頭で手品を演じている光景を題材に発想し、素描したものとみられる。画面のまん中に机を前にして立つ男が手品師とみられ、それを囲み10人近い男女が思い思いに、眺め、談話し、恐らくさまざまわるだくみをしていると思われる。

その後、このペン画の構想を発展させ、油彩画に描いたと思われる作品(下掲)が発見された。ボスは工房に多くの優れた弟子を抱えていたと推定されており、そのうちの誰かが描いたのではと思われる。ボスがその一部に関わった可能性も高い。

Follower of Hieronymus Bosch, The Conjurer, c.1510-30, oil on oak panel, 53.6x65.3cm, Saint-Germain-en-Laye, Musee muicipal de saint-Germain-en-Laye, 872.1.87
クリックで拡大 

  この作品は、10人近い人物とその相互関係が描かれている。ひとりの手品師と思われる男が真珠のような珠と円錐形のコップを使って、奇術を実演してみせる僅かな時間に、複数の詐欺師(掏摸)が観客の財布、金品をかすめとる状況が描かれている。被害者は手品に夢中で、それに気づかない。

 この詐欺の仕組みは、テーブルを前に立った男(手品師)が、真珠のような小さな珠と円錐形のカップを操って見物人の注意を引き、その間に見物人に混じった仲間に悪事をさせるというストーリーだ。手品師に加担して掏摸などの悪事をしているのは、当時のジプシーの一団とみられ、ターバンのような帽子を被っている。上掲のペン画では奇術師の後ろに立つ女は太鼓をたたいて、演技の雰囲気を盛り上げているようだ。この人物は油彩画ではとりあげられていないが、当時の市井の雰囲気を想像するには貴重な光景だ。

 油彩画では、前屈みになって奇術のからくりを凝視している見物人が、いわば最大のカモになっている。カラヴァッジョやラ・トゥールの同様な作品でも、こうした人物がさまざまに描かれている。この人物の口の中から出たと思われる小さな蛙も机上にある。蛙はこのカモになった人物の放埓で堕落した行為を象徴しているとみられる。怪しげな手品に、のめり込んでいることを嘲笑しているのかもしれない。さらに、机の下にかがんでいる少年も明らかに彼ら掏摸グループの一味だろう。

このボスの作品を初めて見る者は、画家の作品にこめた構想を理解するにしばらくの時間を要するだろう。しかし、その後、この一場の光景が、ジプシーの一団によって巧みに設定されたいかさま行為であることを理解するにいたる。カラヴァッジョ、ジョルジュ・ド・ラ・トゥールなどの時代にいたると、構想、技法も一段と巧妙化し、ひとつのj完成の域に達している。

 Saint-Germainen-Laye 美術館に所蔵されている上掲の作品は油彩画であり、かなり大きく、人物の容姿、役割などがペン画よりはるかに鮮やかである。右側に立つ黒い帽子を被った手品師は、右手指で小さな真珠のような珠を観衆に見せている。手品師は腰に籠をつり下げ、そこにはフクロウが顔を見せるというような工夫をこらしている。

ちなみに、ボスは、その作品で多くのフクロウを題材に描いている。ボスの研究者はほとんど例外なく、彼が好んで描いたフクロウは知恵よりは(古典ギリシャで考えられたように)悪徳の象徴とみられてきたが、ボス自身はふくろうの姿態の優雅さと広い視野(視力)とに惹かれていたようだ。手品師の足下には子犬が座っており、意味ありげだ。なんとなく玩具の犬のような印象を与える。ジャック・カロやラ・トゥールの『犬を連れた音楽師』を思い出させる。

左側の人物、かなり社会的な地位のある男性のよういもみえるが、こんな様子を見せていることを考えると、品性に問題がある人物なのかもしれない。腰を折って、手品師の手元を凝視している。手品師などにだまされるかと思っているのだろう。その後ろに立つ男は鼻眼鏡を外し、目が悪いようなふりをしているが、前にいる男の財布の紐を切り取ろうとしている。悪いやつはこの男ひとりなのか。どうもそうではなさそうだ。

テーブルの前にかがみ込んだ子供も一味なのだろうか。怪しげな目つきだ。右側の緑色の服を着た男は、左の眼をつむった女性の方に手を伸ばしている。なにをしようとしているのか。机の上に這い出た小さな蛙にも、なにか企みがあるのだろうか。なぜ、そして、左側後方の黒い衣装の男は隣の女性の胸元に手を伸ばしている。金細工と思われる首飾りをなんとかせしめようとしているのか。個々に描かれた人物の関係を画家が構想したとおりに推測するのはかなり難しい。しかし、これが当時の手品師をめぐる一場の悪徳行為のいわば絵解きであり、恐らく見る者にある教訓を示唆しているのだろう。

この作品はボス本人が手がけたものではなく、その追随者あるいは工房の弟子がボスのデッサンを参考にして描いたのではないかと推定されている。しかし、ボス自身もペン画の『手品師』を描いたことから、この主題にはある関心を抱いていたのだろう。古典的で素朴な雰囲気を色濃く漂わせながら、人間の持つ深い、救いがたい本性(さが)を描いた興味深い作品だ。


Reference
Hieronymus Bosch: Visions of Genius, Exhibition Catalogue, Het Noordbrabants Museum, 13 February to 8 May 2016. Mercatorfonds distributed by Yale University Press.

Hieronymus Bosch, Painter and Draughtsman: Technical Studies by the Bosch Reseach and Conservation Project, Brussels: Mercatorfonds, distributed by Yale Uinversity Press.

The Bosch Research and Conservation Project: 
http://boschproject.org

北ブラバント博物館  www.hetnoordbrabantsmuseum


追記 2016年10月20日
本作品は、本年開催された下掲のプラド美術館企画展カタログでは、ヒエロニムス・ボスの追随者 follower の手になるものとされている(pp.368-370)。いずれ記すことがあるかもしれないが、ボスはその生涯においてはきわめて多くの作品を制作したと推定されている。仮に真作ではないとしても、ボスはこのテーマで作品を制作したと考えられる。 

Bosch: The Fifth Centenary Exhibition
an exhibition at the Museo Nacional del Prado, Madrid, May31-September 11, 2016. Catalog of the exhibition edited by Pilar Silva Maroto, Madrid, 397 pp. 



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タイムトラヴェラーの夏: 歴史に逆流はあるのか

2016年08月04日 | 午後のティールーム

 

 酷暑の日々、いつもは考えもしないようなことが頭に浮かんだ。都内で電車に乗ったところ、前の座席に座った人たちのほとんどが、なにかに憑かれたように小さな画面を覗き込んでいる。これ自体はもうお馴染みの光景だ。最近では屋外で歩きながら、画面に目を据えている人たちがさらに増えた。駅の階段を下りながら、横断歩道を渡りながら、自転車に乗りながら、あるいは道路の片隅で立ち止まって自分の世界にのめり込んでいる。他の歩行者と衝突して言い合いになった光景も目にした。今日、あるお寺と墓地の前を通った折、双方に日本語と英語で「「ポケモン」 pokemon の探索のために、当該敷地内に入らないでください」との掲示が出ていた。これで今日のIT社会が目指している方向への違和感は、ひとつの頂点に達した。

多発する極限事象
 他方、近年メディアで報道される世界の出来事の多くが、異様、殺伐、荒廃といった表現があてはまるほど、常軌を逸している。ちなみに「常規」とは「普通に行われる道・やり方。常道」(広辞苑第六版)とある。

 いくつかの例をあげてみよう。世紀が代わる頃からか、異常気象、飢饉、干ばつ、地震などの地球規模での天災が目立つようになった。続いて増えてきたのが、さまざまなテロリズム、とりわけ自爆テロ、銃犯罪などの異常な人災ともいうべき出来事である。さらに最近では、国内外で多くの衝動的殺傷、時代遅れともみえるクーデターまで起きている。シリアなどで激しい戦争状態が続き、飢餓に苦しむ人々が増加している映像が世界各地に配信されている一方で、莫大な資金を投下してオリンピックに人々が熱狂している。歴史的継承の産物とはいえ、解決できない不安を一時忘れるための催しのようにも見える。

  世界に大きな衝撃を与えたBREXIT、アメリカの大統領選の低劣な議論、中国の露骨な覇権主義など、文明の劣化、衰退を思わせる現象は世界中を覆い尽くしている。これらを見るかぎり人類が進化しているとは思えない。

 身の回りでは、地球温暖化、大気汚染などの変化が明らかに進んでいることを否応なしに感じさせられる。子供の頃は東京のような大都市でも珍しくなかったトンボや蝉、あるいはツバメの類も、目にしなくなって長い年数が経過した。戦後しばらく、日本の子供たち、そして親たちも夏休みの宿題に野山を走り回っていた。今の子供たちは昆虫採集などイメージできないのではと思う。

生態系の異常な変化
 しばらく前、日光の戦場ヶ原を訪れた時に、鹿が増殖し、立木の皮を剥いで食べてしまうとのことで、害獣ネットなる防護網を張る仕事が大変と聞かされた。かつては、自然の美しさを楽しみに歩いた所だ。折しも送られてきた第33回「日本の自然」写真コンテスト(朝日新聞社・全日本写真連盟・森林文化協会主催、ソニーマーケティング株式会社協賛)の優秀作品「夜明けの入浜」は、広島県宮島付近で日の出に映し出された樹木と鹿3頭を題材とした「日本の原風景」といわれるそれ自体はきわめて美しい写真だ。

 問題は日本だけではなさそうでもある。ニューハンプシャー州の小さな町に住む友人から、ヒグマが日中も出没し、家庭のゴミを入れる大きな缶をひっくり返している画像が送られてきた。ここでは、10数年前から人手不足もあって郵便配達もできなくなり、地域の人たちの寄付を募って、廃局となった場所に共同の郵便ポストを設置しようとの運動が立ち上がっているとのこと。

タイムマシーンを駆って、後世の人たちが現在の世界を展望したら、何が見えるだろう。テロ鎮圧のため武装した兵士の姿をTV画像で見たとき一瞬愕然とした。全身を金属で覆い、まるで中世の騎士の甲冑のようだ。『帰ってきたヒトラー』がベストセラーになる時代だ。歴史はどこか逆流しているかにみえる。

歴史家の視点
 暑さしのぎに、2年ほど前に亡くなった偉大な歴史家ル=ゴフ(1924-2014)の遺作ともいうべき作品を手にした。「時代区分」という概念にかかわる議論だ。少し長いが発端の部分を引用してみよう。

「過去を組織するために人はさまざまな言葉を用い、「年代」と言ったり、「期 époque」と言ったり、「周期 cycle」と言ったりしてきた。しかし、もっとも適当なのは、「時代 période」という言葉であろう。periodeは、循環する道を意味するギリシャ語のperiodos から来ている。この言葉は、14世紀から18世紀のあいだに、「期間」や「年代」の意味をもつようになる。20世紀には、ここから時代区分 périodisation が派生した」(邦訳、p.12)。

ル=ゴフはさらに続けて、「「時代」と「世紀」はしばしば結びつけられるが、「世紀」という言葉が、厳密には「00」のつく年(の翌年)からはじまる「百年で区切られた時代」という意味であらわれるのは、16世紀のことにすぎない」(13-14頁)という。「歴史家にとって、18世紀は1715年[ルイ14世逝去の年]にはじまる」(14頁)。確かに、あのローマの1600年が特別の意味を持ったのは、ジュビリー年であったことによるのだ。

アナール派第3世代の旗手として知られるル=ゴフは、紀元2世紀もしくは3世紀から産業革命前までの時の流れを、「長い中世」として見る史観で知られてもいる。「中世」という表現は、17世紀の終わりまでは普及しなかったようだとされる。そして、フランス、イタリア、イングランドでは、16世紀とりわけ17世紀には、むしろ「封建制」という言い方がなされていた。イングランドでは、教養人たちがこの時代をしだいに「闇の時代」 dark ages という表現で指すようになった(33頁)と述べている。

 ル=ゴフの歴史観からすれば、中世は「闇の時代」とはほど遠い。闇は光があってはじめてその存在が成立する。アナール派の学術的成果は、きわめて多く、到底ここに記せるたぐいではない。ここでは、その一端を記すだけである。

この著作で、ル=ゴフの提示する「適切な歴史区分とはなにか」というテーマは多くのことを考えさせる。そのひとつを挙げてみたい。人間と同様に、世界も老いて行くのだろうか。ル=ゴフは、終わりへの歩みという強迫観念は中世を通して執拗に存在したが、ほとんどつねに「復活」という考えかたによって退けられてきたという。「復活」は、現代の歴史家は「再生」と考えている(170-171頁)。

 われわれが生きている現代の世界には、終末観に似た先の見えない不安感がいつの間にか広く漂っている。それと対比しうるように、ゆるやかではあったが、はっきりとした進化が12世紀から15世紀にはあった(171頁)。1492年の新大陸発見のように、新たな世界への外延的拡大と期待が生まれた。知的活動においても多くのフロンティアが開けていた。

時代はどこへ向かうか
 しかし、今の世界からはいつの間にか、そうした広がりや明るい展望は消え失せている。「成長の限界」が提起されてからかなりの時間が経過した。一時は大きな期待が寄せられたグローバル化にも、さまざまな障害が立ちはだかっている。ル=ゴフの考えは、必ずしも未来への道を明示するものではないが、そのことを考える多くの手がかりは与えてくれる。結論も特に鋭利な部分は少なく、穏当な域にとどまっている。しかし、体裁は小著でありながら、各部分に小さな宝石のような輝きを感じ取ることができる。ほぼ同時代を生きたひとりの偉大な歴史家の生涯を記念するにふさわしい充実した作品だ。

 酷暑の列島、脳細胞もオーバーヒートしそうだ。読む人次第だが、ル=ゴフの遺作は、読後に一時の爽やかさを感じることができるかもしれない。




Jacques LE GOFF, FAUT-IL VRAIMENT DÉCOUPER L'HISTOIRE EN TRANCHES?  Éditions du Seuil, 2014. (
ジャック・ル=ゴフ(菅沼潤訳)『時代区分は本当に必要か?』 藤原書店、2016年)。

 

 

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