L.S. ラウリー 《工場街の風景》 1935 油彩・カンヴァス
会社とはいったい何なのか
最近、「会社とはいったい何なのか」「会社は誰のためにあるか」というテーマがアメリカ、イギリスなどで静かなブームを呼んでいる。会社(企業)が世の中に及ぼす影響は、想像以上に大きい。第一次産業革命以降、世界における会社(企業)の様相、社会的意義も大きな変遷を遂げた。そして、第四次産業革命とも言われる今、その実態は大きな変化の渦中にある。最近、議論の発端のひとつとなったのが、下に掲げるアメリカ「ビジネス・ラウンドテーブル」(アメリカを代表する主要企業350社のCEOの団体)の宣言である。
Business Roundtable, “ The Purpose of a Corporation,” August 19, 2019
「ビジネス・ラウンドテーブル」Business Roundtableは、8月19日、これまで金科玉条のように掲げてきた「株主第一」を見直し、従業員や地域社会などの利益を尊重する事業運営に取り組むと宣言した。トランプ政権下の税制改革で、企業の利益水準は押し上げられたが、賃金の伸びは鈍い。この議論は新しいものではなく、これまでも幾度となく繰り返されてきた。しかし、以前とは異なる点もある。
BRの会長はJ.P.モルガン最高経営責任者(CEO)のJ.ダイモン氏であり、その他アマゾン・ドット・コムやGMなど、181人の大企業責任者が就任している。同様な機構はアメリカ以外にもあるが、定期的に、コーポレート・ガヴァナンス(企業統治)原則を時代に合わせて公表してきた。
1877年、ラウンドテーブルは加盟企業の基本方針を変更した。かなり唐突だったが、経営と役員会の最大の義務は、企業の株主および彼らの活動に直結する事項におくと主張した。その後、アメリカのトップ主要企業の公式的考えは、株主の利益は、従業員、消費者、地域社会、そして社会全般に優先するものとされてきた。97年からは「企業は主に株主のために存在する」と明記してきた。それを改めるというのが今回2019年の宣言である。
21世紀に入っても、20年余り、アメリカの主要企業は「株価上昇」や「配当増加」など投資家の利益を、従業員、消費者、地域社会など他の全ての利害関係者(ステークホルダー)にまして最優先してきた。それだけに今回の基本方針の変更は、企業利潤の拡大の下で、現状の経営者たちが自社株買いなどで不当報酬を得ていることへの批判や不満を回避しようとする意図が働いていることもほぼ確かだ。大統領選挙がらみ、企業批判回避などへの配慮もあるとはいえ、注目すべき宣言である。
会社が生み出した光と影
アメリカについて改めて振り返って概観すると、ほぼ半世紀以上、貧富の格差など経済的な不平等が続いてきた。1960年代末までは、その間大不況、第二次大戦、朝鮮戦争などもあったが、所得は四世代近くまずまずの増加を示してきた。アイゼンハウアー大統領政権下の比較的平穏な時代、ヴェトナム戦争、その間のさまざまな社会的紛争なども含めても、比較的穏当な所得の成長を予想する人たちが多かった。社会の平等化は、ほぼ順調に進行するかに見えた。しかし、1968年頃から状況は一変した。
社会の経済的格差は激変し、新たな局面に入った。その状況を見るために、主要企業CEOの得る報酬と労働者層の報酬比率を見てみよう(下掲)。1990年代、リーマン・ショック(2008年9月)後に注意してほしい。それまでは30から60倍だった格差が、200-350倍と信じられないほどの比率になっている。
アメリカにおけるトップCEO経営者と典型的労働者の報酬格差推移
Source:Lawrence & Alyssa Davis, "Top CEOs Make 300 Times More Than Typical Workers。”Economic Policy、June 21, 2015, http://@erma.cc/MP6M-KXSF, figure A
リーマン危機後の過去10年間、アメリカの企業社会は回復を見せたが、中間層の縮減、上層・下層への2極化などの社会的問題に対決を迫られるようになった。背景のひとつには、次の大統領選を控えて、富裕者増税や大企業解体要求などを求める民主党系の声も高まっており、経営者層の危機感も強い。次の大統領が共和、民主のいづれになろうとも、主たる論争の場が企業に課せられた課題、そして来るべき社会のあり方になることはほとんど確実だ。
実態を見るほどに、現在のアメリカ、そしてヨーロッパなどの資本主義は、国民の所得・資産などの格差の拡大、貧困層の蔓延に十分な改善の手を差し伸べることができないでいる。
今回の「ビジネス・ラウンドテーブル」によるステークホルダー資本主義へ転換の旗印は、以前にも掲げられた。少なくも会社法学者や先進性を誇示したい企業経営者にとっては、格好のスローガンだった。しかし、実際には”株主資本主義”へとさらに傾斜するばかりだった。
アメリカの労働者の大多数の賃金は、ほぼ40年間にわたり押さえ込まれてきた。健康保険や退職に際しての制度上の配慮も劣化していた。他方、企業利潤は記録的に上昇し、多くはCEOを含む株主の報酬増加へと向けられてきた。大企業のCEOたちが一般労働者の賃金の300倍もの報酬を得ていても、当然のごとく受け取られてきた。トランプ大統領が当選したのは、こうした状況においてであった。
トランプ大統領による「アメリカ・ファースト」のスローガンは、自由貿易の流れに逆行し、高い関税率の壁で国内市場を守るかに見えて、実際は価格上昇をもたらし、アメリカをさらなる孤立化へ追い込んでいる。世界一の経済大国アメリカの資本主義は、このままでは有効な手立てがなくなり、内部破綻へと追い込まれることは必至だ。
足元揺らぐ資本主義
関連して、日本の状況について簡単に触れておくと、社会の上層と下層への2極化、中間層の分解など、議論はないわけではないが、アメリカほど国民的議論にはなっていない。これについては、いくつかの論点があるが、かつてブログ筆者は企業の組み立てが、”従業員管理型”ともいうべき、企業の最高経営者の多くが、従業員出身のいわば内部昇進者であることが、重要な意味を持つことを指摘したことがある。経営者と労働者の社会的出自が異なることが多い欧米企業の多くとは異なり、経営者と従業員が基本的にほとんど同じ社会的出自であり、ほぼ同質である。言い換えると、とりわけ、戦後の大企業では経営者は従業員からの昇進者が多く、両者の間に欧米のような隔絶がない。
こうした背景の下で、戦後の日本企業の統治改革corporate governance はアメリカ、ヨーロッパ諸国などからの圧力もあって、会社法改革でもステークホルダー重視などの表現を使いながらも、実質は従業員重視から株主重視へと向かって動いてきた。その結果、会社の実体はよく分からない名前だけの社外取締役配置など、実効性の薄い制度が作られる。
近年、会社法改革は頻繁に実施されてきた。なかでも2014年の改革(2015年施行)はよく知られているが、次の改革は早ければ2020年施行が予定されている。日本の場合、恒久的な労働人口の不足に直面し、突如多数の外国人労働者を受け入れ始めた。労働需要は逼迫しても、労働者の賃金は低迷して上がらない。アメリカほどの経営者・労働者間の報酬格差の拡大はないが、資本主義としてのダイナミズムは著しく低下している。最近では、「定年後2000万円必要」などの無責任な論議もあって、70歳までの定年延長など、一生を働き尽くして終わるような社会的イメージ形成の動きもある。人はただ働くために生まれてきたのではないはずだ。企業統治のあり方は、資本主義のあり方を定める。そして、そこに生きる人々の姿を変える。
(続く)
References
米経済界「株主第一」見直し『日本経済新聞』2019年8月20日夕刊
米企業「株主第一」に転機『日本経済新聞』2019年8月21日
桑原靖夫「日本的経営論再考『日本労働協会雑誌』1988年1月号