新年おめでとうございます。
私たちはどこから来て、どこへ行くのでしょう。
2020年(令和2年)元旦
ペシミズムでもオプティミズムでもなく
新年の予想あるいは見通しがさまざまに提示されている。いまだ実現していない近未来のことであるから、近い過去に引きずられることが多い。加えて、人間の常として、いまだ実現していない将来には少しでも明るい光景を期待したい。これまでは、戦争前夜など、いくつかの例外的時点を除いては、多くの場合、明るい楽観的な基調の見通しが提示されてきた。
急速に後退するオプティミズム
しかし、今年はかなり異なる印象を受ける。2020年の日本はやや例外で、オリンピック開催国として、ことさら明るさを前面に出しているかに見える。しかし、世界の多くの国々では、楽観、オプティミズムは急速に影を潜めている。地球温暖化、異常気象、人口爆発、核の脅威、米中対立、テロリズムの脅威、保守主義の抬頭、BREXIT、自国第一主義、政治的対立・紛争、長い経済停滞など、ペシミスティックに傾く要因は数多い*。実際、前途についての楽観は影をひそめている。
*元旦のNHK番組、「これからの10年が地球と人類の運命を定める」
NHK :10 Years After, 2020年1月1日
その流れの中でひとつの注目すべき点に気づく。近未来についてあえてひとつの方向性を提示することを回避し、現在を大きな流れの中での転換点と捉える動きだ。その代表的な例は、The Economist 誌(Christmas double issue, 2019)のように、「ペシミズム」と「進歩 」(pessimism v. progress)を対比し、現時点はそれらが交差する段階にあるという。(「ぺしみずむ」と「進歩」は対比概念では必ずしもないが、今は問わないでおこう。)
技術がもたらす負の側面への不安
同誌が指摘するように、過去においてはこうした時期には、停滞を破る要因として、新しい技術に期待がかけられてきた。技術は戦略的な閉塞打開の武器と考えられる。しかし、このたびは様子が異なる。いかなる技術も善悪双方に使用される可能性がある。なかでも最も恐ろしいのは、核技術あるいは遺伝子を扱う生化学だが、他の技術でも起こりうる。これまで社会メディアは人々を結びつけると思われてきた。例えば、2011年のアラブの春には、歓迎された。しかし、それはいまやプライヴァシーを侵し、時にフェイク・ニュースまで伴って、プロバガンダを広め、民主主義を破壊しているところがある。親たちは子供がスマートフォンに入り浸り、広い世界が見えない中毒・視野狭窄症になるのではないかと心配している。ネット世代の子供たちは、SNSの負の側面を知らないのだ。
過去においても長い停滞を打破すると期待された新技術について、手放しで明るい期待が込められていたわけではない。21世紀の最初の20年が過ぎようとしているが、次の10年を支配することがほぼ定まっている技術 AI (人工知能)は、これまで人類が開発してきた新技術以上に前途に不安な暗い影を落としている。
歴史軸上の産業革命
産業革命は蒸気機関、繊維機械などを中心に、多数の労働者が生み出された。1920年代 自動車産業の興隆期にそれが文明へ及ぼす影響について、その社会的費用をめぐり、単調労働、大気汚染などネガティブな受け取りが生まれたこともそのひとつの例だ。L.S.ラウリーが描いた世界でもある。多くの人の仕事を脅かし、専制的なルールを生む可能性も出てきた。莫大な富を数少ない富豪が手にする反面、多数の貧困な人たちが生まれ格差が拡大する。しかし、これまでは生活水準の向上など、光もさしていた。
健全な懐疑主義の役割に期待
現在進行している第4次産業革命では、スマートフォン、ロボット、ソーシャル・メディアなどが形成するペシミズムのムードが漂う。技術はエイジェントがない。結果は、それを使う者次第となる。廃絶が期待できない核技術への脅威、さらに遺伝子を取り扱う生化学については、神の世界へ踏み込み、冒涜することへの恐れがつきまとう。核技術が専制的為政者の手によって軍事力拡大のために使われる可能性も大きい。ペシミズムを生むものは技術それ自体ではなく、それが根ざす社会が抱く政治的ペシミズムと思われる。社会に根ざす健全な懐疑主義は、技術の無謀な利用、暴走を防ぐ重要な装置だ。それをいかにして育み、維持して行くか。2020年はその成否が問われる残された短い期間の始まりではないか。
昨年はとうとう コメントにお邪魔することが出来ませんでしたが、記事の投稿があると ああ、御元気でいらっしゃる!と ホッとしておりました。
怠惰な読者で申し訳ないです。今年は記事への感想を少しでも書き込めるように 頑張りたいと思います。
昨年は貴blogのお蔭で 北斎の作品に富士川「甲州石班澤」(鰍沢)を知り、感動のあまりコピーを求めたこともありました。この景色の上流に私の故郷があると思うと 北斎が急に身近に感じられ 大好きな作品になりました。