時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

花の季節:植物の世界を覗く(含む追記)

2015年04月19日 | 午後のティールーム

 

 この白い花は?

 


 4月は花の季節。桜は日本人の心の奥深く根ざしたように、誰もがその開花を待ち望む。桜を楽しむのは日本がベストだが、ワシントンの桜、イギリスの誇る植物園キューガーデンの桜並木Cherry Walkなど、外国でも多くの人の目を楽しませている。

 しかし、桜に限らず、花の種類、数はいったいどのくらいあるのか、分からない。さらに花をつけない植物の数がどのくらいあるのかも分からない。あらかた発見し尽くされたと思っていたが、今日でも毎年2000近い新種が発見されているという。毎年植えるようになったチューリップでさえ、種類がどれだけあるか分からない。前年の秋に球根を植えて、翌年春に開花するのが楽しみだ。今年は例年より開花が早いような気がする(上掲の画像もチューリップ)。

 植物、とりわけ花の咲く植物を愛でる人たちも世界中数知れない。その方法も様々だ。開花の時期にその場所へ出かけて花を実際に自分の目で見るというのは、最も手軽な方法だ。

 しかし、そればかりではない。このブログに登場させたこともあるカナダ、オンタリオに住む友人のように、人生の途上で、ツツジ(躑躅、とても覚えられない漢字! Rhododendron)の栽培に傾倒し、その分野の専門家になった人もいる。脊椎を損傷し不自由な身体で、イギリスのキュー・ガーデン:王立植物園 Kew Gardens: The Royal Botanical Gardens にまで出かけていった。この世界的な植物園はその構想の壮大さ、素晴らしさに圧倒されるものがある。IT上でもCherry Walk を初めとして現在の同園の素晴らしさの一端を知ることができるので、ぜひ訪れてみてほしい。

 管理人もかつてイギリスでしばらく住んだ折訪れて、その企画・構想の壮大さ、素晴らしさに圧倒された思いがある。さらに、日常の場面では隣家の夫妻から四季の植物の育て方について、かなり多くのことを教えてもらった。それまで、ほとんど関心がなかった植物の生育、栽培の方法に多少目覚めるきっかけになった。

 イギリス人の植物好きには、日常の色々な場面で驚いたことがある。ケンブリッジにあるフィッウイリアム博物館(Fitzwilliam Museum, ケンブリッジ大学の一部)を訪れた時、多くの人たちが熱心に見入っているコーナーがあった。近づいてみると、ボタニカル・アートと呼ばれるジャンルの作品展示だった。

 世の中に存在するありとあらゆる植物を、できうるかぎり精細に描いた作品群である。色彩がつけられたものも、ペン書きのものもある。色彩鮮やかに、ストーリー性もある油彩画の世界を見慣れていると、植物学者だけの世界という感じもするが、多くの人たちが実に熱心に覗き込むように見ていたのには驚いた。

 今年、アメリカの友人から一冊の本が送られてきた。

 

Flora Illustrata: Great Works   from the LuEsther T. Mertz Library of The New York Botanical Garden, edited by Susan M. fraser and Vanessa Bezemer Sellersm, Yale University Press, 2014. 

 上掲図は同書表紙 Flora Illustrata クリック拡大

 

同書に掲載されている植物・果実を描いた作品
クリック拡大

 見てみると、ニューヨークの植物園付属図書館が所蔵する植物画を対象とした2015年のアメリカ園芸協会賞の受賞作品である。12世紀から今日にいたる時代に描かれた100万点を越える植物に関係する所蔵作品から選び抜かれた植物画と同植物園の今日にいたる歴史を語る大変な労作であった。ブロンクスにあるこの植物園は、はるか昔に訪れたことがあるが、その素晴らしさだけに感動して、この本に書かれているような圧倒的な事実の重みは気づくことがなかった。

 このニューヨーク市の植物園は、アメリカのキューガーデンを目指すという意気込みで設計されたようだ。新大陸発見以来の原生林が残されているのも、そのひとつだ。アメリカ産業史に残るアンドリュー・カーネギーと J.P.モルガンも登場してくる。これらの植物園のたどった歴史をみると、それぞれに日本では考えられない気宇壮大な構想が背景にあって驚かされる。その歴史も実に興味深く、のめり込んだら植物学者として別の人生が必要なくらい面白い。

 単に植物の見方、植物園の目的、あるいは経営面まで実にさまざまな問題領域がある。ひとつのエピソードを紹介しておこう。キュー・ガーデンズの入場料は、国家助成があってので、かつては名目的なものだったが、マーガレット・サッチャー首相が助成を撤廃したので、一挙に200倍になり、大人一人あたり15ポンド(約2500円)となった。それでも、植物園側のさまざまな催し事などで、入場者数は増加を続けてきた。他方、ドイツが誇る100を越える大植物園のひとつであるミュンヘンの植物園は公的助成によって、大人一人あたり4ユーロ(約500円)に維持されている。以前にベルリン大学の植物園の経営が困難になった話を聞いたことがあるが、広大な植物園の維持管理には怖ろしく費用がかかる。たとえば、温室の維持だけでも大変なのだ。

 植物園の歴史をたどると、古くはアレキサンダー大王がペルシャやインドから珍奇な植物を移送し、その維持・栽培のために設置されたものが最初ともいわれる。1540年代には、イタリア・トスカナのメディチ家コシモ大公庇護の下で、ピサで開園され、人気を呼んだようだ。このように、大植物園の維持には国家を含めて,パトロンの存在がきわめて重要になっている。植物園をめぐる単に植物の栽培、維持にとどまらず、薬品材料、医学研究などを含め、新たな産業の創生基盤として国家的注目を集めるようになっている。

 さて、ブロンクスの植物園は1926年まで電灯が設置されていなかったので、入場は昼間だけ、必要に応じてガス灯がつけられたとのこと。こうした状況の中で、トーマス・エディソンは同園の植物学者と一緒に白熱電球のフィラメントに使える植物の繊維を探していたらしい。その結果がどこにたどりついたかは、ご存知ですね。

 

 追記(20150421):
  植物園の歴史は、古くはアリストテレスの弟子の時代まで遡るようだが、ボタニカル・アートについては、18世紀の航海時代にかなり発展したようだ。3月まで東京渋谷Bunkamuraザ・ミュージアムで開催されていた「キャプテン・クック探検航海と『バンクス花譜集』 展も、キャプテン・クックの南太平洋航海に同行したジョゼフ・バンクスらが持ち帰った植物と写生をもとにした銅版画約740点が『バンクス花譜集』(ジョセフ・バンクス、ダニエル・ソランダー編)としてまとめられたものを展示したものだった。当時のイギリス人には、こうしたヨーロッパにない珍奇な植物は驚きの的になったようだ。現代のイギリス人のボタニカル・アートへの強い関心もこうした歴史的背景につながるのだろう。

追記(20150422):
  桜開花前線も北海道に到達。今日は札幌の開花宣言があった。例年より11日も早いとのこと。桜にちなむトピックではイギリスのエリザベス女王の公園の八重桜が美しく咲き、イギリス人の間で訪れる人が多いと報じられた。この桜、今から22年前にイギリスの造園家ジョン・ボンド氏の依頼で、北海道七海町の造園家浅利政俊氏が56品種の中から選んで送った八重桜が接ぎ木されて開花しているらしい。ボンド氏は故人となったが、その選定を感謝してウインザー王立造園協会の造園家が来日し、松前で浅利氏に会い、謝意を述べる機会が生まれた。こうした国際交流は素晴らしい(BSNews)。

 

連載している「カードゲームいかさま師の世界」は、これも限りなく長くなってしまいそうで、時々「ティールーム」でお休みとします。 

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インターミッション(幕間 まくあい):スマホから離れてみる

2015年04月07日 | 午後のティールーム

 
Planet of the phones
The Economist, cover

 


  このトピック、これまでブログにも記したし、それ以上に雑談などの折に話題としてとりあげ、その場で他の人たちの感想を聞いたりしてきた。しかし、ほとんど賛同者に出会ったことがなかった。

 時は桜花爛漫の入学式の時期、うれしそうに輝いた顔の新入児童や新入生の顔が映し出される。心も高揚する。

 4月6日、なんとなくTVニュースを見ていると、「スマホやめますか、それとも・・・・・」という衝撃的な?キャプション(見出し)が映った。思わず、目をこらすと、信州大学の入学式の光景であった。学長式辞で新入生、父兄などの参列者?に向けて、スマホに熱中しすぎると大切なものを失いますよとの学長のお話であった。(キャプションの「それとも・・・・・」の部分は正確には「信大生やめますか」という新入生は一瞬息を呑むようなお言葉だったようだ)。


 我が意を得たり! やっと同考(同好)?の士に出会えたとの思いがした。これまでの人生で、多少、辞書編纂や新語の採否にかかわってきたこともあって、最初はスマホ、ケータイという言葉には、一時期「鳥肌が立った」。なぜスマートフォン、携帯電話と正しく書かないのかと。今は慣れてしまってはいるが、ある原稿に携帯電話と書いたところ、ケータイと赤字で直されてきたのには、言葉を失った。その後はケータイと書かないと採用されないかもしれないと、ケータイ(携帯電話)と多少反発心をこめて記すこともある。

 実はこれまでスマホなるものに触れたことはない。ケータイにしても、職業上の必要で所持はしても、電源を切っていて、ほとんど使用したことはない。土日も仕事で働いていたような多忙な時もあったが、なんの不都合もなかった。

 電車などに乗ると、向かい側の席に座った乗客のほとんどがスマホ、ケータイの画面に没入している光景は、もはや日常のことだ。今でも異様な光景、社会的病理現象?ではないかと思うが、「ケータイ無携帯」の少数派ゆえにあきらめている。

 それでも、最近、テニスのマイアミ・オープンであったか、試合途中でプレーヤーがプレーを中断して、満員の観客席に向かって、なにやら注意している光景を目にした。観客の中にスマートフォンを使っている人がいて、その音にプレーヤーが平静さを乱され、注意したのだった。プレーヤーがどれほど神経を集中して試合に臨んでいるかを明瞭に伝えた光景だった。コートは一瞬静まりかえり、注意された人はばつが悪そうにしていた。

 信州大学の学長が述べられたことは、1-2分の短いTVニュースだったので、正確に理解しえたか心許ないが、スマホにあまり熱中すると、大切な自ら思考する力を失いますよ、それよりも学生ならばこの人生の貴重な時期にもっと本を読み、友人と対面して話しをし、自ら考えなさいというお話のようであった。
 
 普通の人は、聖徳太子ではないから、同時に多くのことはできない。スマホに没入している時間は、思考が浅いか停止している。スマホの文字は瞬時に消え去るから、書籍の文字のように脳細胞に長く残らないのではないか。ほとんど本を読まないという若い人たちが増えてから、ゼミなどでの議論が面白くなくなった。議論が展開してゆかない。知らないことはスマホで調べればいいという思いもあるのだろう。少し難しい言葉などが出てくると、すぐにスマホに手が伸びている。スマホに脳細胞を吸い取られてしまったのではないかと、思ってしまう。

 世界は「フォーンの惑星」Planet of the phones (The Economist)と化して、スマホで覆い尽くされているから、いまさらスマホから離れなさいといっても仕方がないのかもしれない。就職活動もスマホに依存する時代になっている。実際、学長式辞の感想を求められた学生の顔には困惑、反発の色もあったようだ。しかし、一度スマホから離れてみる勇気も必要ではないか。きっと、新しい機会、世界が見えてくると思うのだが。


 

 

 
  

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カードゲーム・いかさま師物語(10):ギャンブルの視点(6)

2015年04月06日 | いかさま師物語

 

カラヴァッジョ『いかさま師』部分
画面左側には、「バックギャモン」らしき遊び道具が描き込まれている。

これも、当時いかさま、詐欺の手段に多用されていた。


 カラヴァッジョという画家は、西洋絵画史では文字通り衝撃的な革新をもたらした画家なのだが、日本ではその名前を知っていても、作品の実物に接したことのある人はあまり多くない。2001年東京の庭園美術館でのカラヴァッジョ展にも出かけたが、出展場所の選定や出展作品に一工夫あったらと思った。 その割りには訪れた人はかなりあったようだ。この画家に関する書籍は文字通り汗牛充棟、とても読みこなせない数に上っているが、日本語で読める文献は比較的少ない。しかも、キンベル美術館が誇る『いかさま師』にはあまり強い関心が寄せられていない。

知られることの少なかった作品
 カラヴァッジョの作品の中で、『いかさま師』ほど、多くのコピーや類似の作品を生みださせる影響力を持った主題は少ないといわれる。それについては、デル・モンテ枢機卿の所蔵になった後、作品の行方が長らく不明だったこと(1987年にキンベル美術館が購入)もあるようだが、カラヴァッジョの作品自体がきわめて革新的で、それまでに制作されたこの主題の作品と比較しても、図抜けて美しい作品に仕上がっていることにあると思われる。この画家の天才性を最初に世に知らしめる端緒になった作品なのだが、日本では一部の専門家や愛好者を除いては、あまり知られていない。

 この作品は画家の最盛期よりも前に制作されたにもかかわらず、その後も長らく注目を集めてきた。主題は当時の画壇において高い格付けを与えられていた歴史画、宗教画のような精神的深みを求める作品とはほど遠く、かなり怪しげな世俗の世界の一場面にすぎないのだが、それをこれほどの水準にまで高めたのは、ひとえにこの画家の力量にある。

 作品自体が、デル・モンテ枢機卿の目にとまるほど斬新であったばかりでなく、画家の画壇における急速な知名度向上の嚆矢になった。そして、当初はローマ在住の画家たちに世代を超えて、過去の路線を追うばかりではない、画家自らの創造力が重要なことを気づかせた。(前回記した『女占い師』は、『いかさま師』とペンダント(対)の作品ではないかとの推定もあったが、その後作品の寸法などからそれぞれ独立した作品と考えられている)。

 カードプレーを詐欺、騙しの含意をこめて描くこと自体は、現実にヨーロッパ全体に広まっていた。そして、カラヴァッジョと同様なテーマでの作品も先行して存在した。

 カードプレーが単なる遊戯の域を越えて、詐欺という犯罪的行為の場に使われるようになったのは、16世紀初めのようである。しかし、ダイス(dice、さいころ)はそれより以前から、ギャンブル、博打の手段になっていた(play at dice, 博打を打つの意味がある)。 教会などの宗教家の間ではダイスとそれにからむ暴力がしばしば問題になっていた。たとえば、10戒を版画にした印刷物「日曜日の休息」Rest on Sundayで、カードプレーヤーは悪魔の様相で描かれていたが、流行を阻止、減少させる効果があったかは疑わしい。他方、悪疫の流行などの折に市内に掲示される注意書きなどは、かなり効果があったようだ。

犯罪の巣窟:ローマの繁栄の裏側で
 絵画作品としては、ヨーロッパ北方ルネサンス美術に最初現れたようだ。そして16世紀にはカラヴァッジョの故郷ロンバルディアでも画家の関心を引き始めた。そして、カラヴァッジョがローマへ活動の場を移してから、この画家はこの世界の中心ともいわれた大都市のいたるところでみられる犯罪的行為に自ら関わると共に、自らの生業としての画家の視点から、主題として取り上げた。実際、カードゲームやダイス、あるいは占いは当時のローマの街路や旅籠屋、居酒屋など、いたるところで目にする光景だったようだ。1590年代において、ローマはその文化的な華麗さの裏側に、多くの犯罪、暴力などを生みだしていて、社会的な不安の源ともなっていた。時には賭博行為が行われる場所に武装した取り締まり隊が踏み込んで、逮捕するなどの対策がとられていたため、表向きは犯罪として扱われ、ローマの繁栄の裏側で密かに行われていた。


 ローマは、プロテスタント宗教革命に対するカトリック宗教革命の過程で、再生したカトリックの中心としてプロテスタントの脅威に立ち向かっていた。そして1594年には聖ペテロのバジリカ(basilica: 特にイタリアで身廊(nave)、側廊、半円形の後陣、拝廊などを特徴とするキリスト教の教会堂)は、ブロンズで覆われ、遠くからやってきた巡礼の目にも燦然と輝いていた。しかし、この輝かしいドームの下では、驚くはどの犯罪行為が渦巻いていた。ローマは「犯罪の都」とまでいわれた。

 ヨーロッパ世界の中心を誇示していたローマには、各国からの訪問者を含めて、貴族、枢機卿などの聖職者、外交官などが多数集まっていた。しかし、市内の治安は決して安全な状況ではなかったこともあり、彼らの周囲には16世紀の度重なる戦争で常態化した傭兵などが、身辺護衛のためについていたらしい。カラヴァッジョは自らもこうした裏の世界に出没していた。そして喧嘩や刃傷沙汰を繰り返していた。1605年には許可無く武器を携行していたとの理由で逮捕されてもいる。当時の画家としては異例なほど、生涯の有様、時代状況を後世の人たちが知ることができるのは、画家がかかわった犯罪的行為などの取り調べ調書、法廷証言などが残っていることもひとつの背景にある(たとえば、1597年の法廷証言)。

 



カラヴァッジョ『いかさま師』部分
無知な若者をいかさまで騙す若者。
短剣を身につけていることに注意。
原則、武具携行が違法とされていた当時のローマで
あまり目に付かない短剣だけを携行していたのは、いかさまの
犯罪組織の一員であったことを暗示している。ゲームを
めぐっていざこざがあれば、脅しの手段として使った
ことが予想される。 

 
 文化的な栄華と犯罪が共に存在していたローマについては、教会の側からすれば、悩みの種でもあり、カード、ダイス詐欺などを犯罪とし、そうした行為を禁止する警告は度々出されていたようだ。しかし、その絶滅は難しく、画家自身がその世界に身を置いていた。カラヴァッジョの生い立ちや生涯に関する伝記は、数多いが、この希有な画家にはその稀に見る天才性と共に、自分を律しきれないほど激情的な性格を一身にしていたようだ。多くの敵を持ちながらも、反面で数少ないが有力な支援者、友人もいた。人間的にも、彼らを惹きつけるなにかがあったのだろう。作品一点からも,実に多くのことを知ることができるが、人物論としての観点からも大変興味深い。



Reference
Nancy E. Edwards, "The Cardsharps",  Caravaggio & His Followers in Rome, edited by David Franklin and Sebastian Schűtze, New Heaven, Yale University Press, Exhibition Catalogue at the National Gallery of Canada, Ottawa in 2012.

 宮下規久朗『カラヴァッジョ 理性とヴィジョン』(名古屋大学出版会、2004年)は、邦語文献として数少ない労作。入門書としては、同氏の『もっと知りたいカラヴァッジョ:生涯と作品』(東京書籍、2009年)がわかりやすい。

続く

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