時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

労働市場イメージの再編成

2012年04月26日 | 労働の新次元

 

この人たちはどんな仕事をしているのか

 

 Source:The Economist, March 10th 2012.


  世の中でどんな仕事が増えていて、どんな仕事が減っているのか。「雇用創出」ジョッブ・ジェネレーション、「雇用喪失」ジョッブ・デストラクションともいう。求職者のみならず、労働政策の立案者にとっては大きな関心事だ。しかし、その仕組みはあまり解明されていない。いくつかの理由があるが、政府統計などが、現実の変化に追いつけないでいることが大きい。

 世の中の雇用の数が全体としてあまり変化していなくとも、現実には水面下で、仕事の増加と減少(消滅)が激しく起きている。雇用の総数はその増減を併せ、相殺し合った結果なのだ。これは失業についてもいえる。全体の失業者数がほぼ同じのようでも、その背景では新たに失業者に加わった人たちと、新たに仕事に就いた人たちの数が相殺されている。

 『国勢調査』に代表される公的統計は、実施されてから結果が公開されるまで長い時間がかかる。その他の調査でも現実の求職活動にはあまり役に立たない。公表までの時間が長いことに加えて、職業や産業分類が現実に追いついていないことが分かる。失業率や有効求人倍率は、いわば労働市場の体温を示しているようなものだ。実際に市場の内部でなにが起きているかは、それだけでは分からない。

 いかなる産業・職業的な増減が展開しているのか。たとえば、「販売従事者」、「事務従事者」といっても、どんな販売の仕事についているのか。いかなる事務の仕事をしているのか。分類名を見ても分からない。「生産工程従事者」といっても、なにを作っているのか。自動車工場の生産ライン
で働いている人もいれば、町中の小さな作業場で機械部品を加工している人もいる。その実態をできるだけ早く提供することが、雇用政策の見通しや就職支援には必要なのだ。

 求職支援活動に関わってみると、求職者の要望に応えうる適切な情報を持ち、中・長期の労働市場に関する見通しを持って、確たるアドヴァイスができる人材はきわめて少ないことを実感する。大学などのキャリア支援センターなども、就職活動に本当に必要な情報の提供という意味では、実際にはほとんど機能していない。きわめて危うい状況だ。

 こうした状況で、アメリカの大統領経済諮問委員会は、いかなる産業、職業が大きな増減をしているかを調査するよう民間調査機関に依頼した。
それに関連して、最近、興味深い記事に出会った。LinkedIn というプロフェッショナルといわれる人々を主たる会員とするソーシャル・メディア型(SNM)のウエッブサイトが、世界に広がる1億5千万人近い会員の中で、アメリカ人6千万人を母集団として、会員の職業調査を行った結果の一端が紹介されている。主体となっているのは、プロフェッショナルと呼ばれる職業が主体となっている。ITシステムなので、時間のかかる政府統計と比較して、調査結果は迅速に得られる。
 
 会員の就いている仕事の肩書き、タイトルで、最も伸びている仕事と最も減少している仕事を比較している。それによると、アメリカで最も増加している職業は、”adjunct professor” というタイトルである。日本ではあまり耳にされたことがない方が多いかもしれない。この記事の注釈によると、「低報酬で、過重労働のアカデミックの種族」、(an ill-paid, overworked species of academic)とされている。日本でいえば、非常勤の大学講師に相当するといえようか。肩書きはインテレクチュアルな職業に聞こえるかもしれないが、実際はいくつもの大学を駆け巡って、あるいは多くの授業時間を担当して、やっと生活ができる程度の報酬しか手にしえないアカデミック・プロフェッショナルのことである。大学も教員の労働コストの固定化を避けようと、パートタイムの講師などの比率を高めていることが分かる。

 他方、最も減少率が大きいのは、「セールス・アソシエイト」というタイトルの職業である。なにかの物品やサービスの販売に関わる仕事をしているのだが、なにをしているのか、タイトルからは推定出来ない人たちである。なにかの販売に従事しているが、景気、産業などの盛衰に比例して、短期間に仕事を失う人たちではないかと思われる。こうしたひとたちはすべて雇用期間に定めのある契約である。

 これらのタイトルからはどんな産業で、いかなる仕事をしているのか分からない人たちが増加していることに注目したい。増加が著しいタイトルを見ても、「プリンシパル」、「パートナー」、「コンサルタント」、「ヴァイス・プレジデント」といった名称が続く。他方、減少著しいのは「プロジェクト・マネジャー」、「ヒューマン・リソース・マネジャー」などである。

 情報が十分公開されていないので、この他の職業の増減がいかなるものか、分からないのだが、この小さな標本からも最近の労働市場に起きている変化のいくつかを推定することはできる。

1)    プロフェッショナルといわれる人々の間でも、増加しているのは、かなり働いているのに報酬水準が低い人たちであることが分かる。大学などの一見知的な職業分野でも、労働条件は厳しく、パートタイムで知識の切り売りをしているような状況が浮かんでくる。他方、減少しているのも、販売などの分野で働いている、低報酬で“マージナル”な人たちらしい。

2)    タイトルからは、実際にどんな仕事をしているのか分からない人たちが増減の上位を占めていることが気になる。もっともらしい肩書きだが、彼(女)らの仕事がいかなるものか、ほとんど分からない。一口に「パートナー」といっても、世界的に著名な弁護士事務所のパートナーもいるが、2、3人の小さな事務所のパートナーもいるだろう。

3)    全体として、仕事の世界でのヴァーチャル化が進み、実態が分からなくなっている。こうしたディジタル世界の仕事を含めて、労働市場のイメージの再構成が必要になっている。次の世代の労働市場政策を確立する上でも、新たなアプローチが必要だ。フェイスブックやLinkedInのようなSNMのようなシステムをこうした目的に使うのは、個人情報保護などの点で検討の余地があるが、労働市場の変化を迅速に求職者などに伝達するためには、雇用統計のあり方に根本的な検討が必要と思われる。

 

 ”A pixelated portrait of labour” The Economist, March 10th 2012.

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よみがえるラ・トゥール

2012年04月19日 | ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの部屋

輝きを増す作品

  ジョルジュ・ド・ラ・トゥールは、今日に残る作品がきわめて少ない。17世紀、この画家が生まれ育ち、主たる制作活動の地としてきたロレーヌが、戦乱、悪疫、飢饉などによって、荒廃のきわみを経験したことによる。当時は人気画家だっただけに、実際の制作数はかなり多かったのではないかと推定されている。 

 幸いにも今日まで残った40点余の作品は風雪に耐え、「再発見」されて、今日燦然と光彩を放っている。ひとつの問題は必ずしもこの画家に限ったことではないが、作品をめぐる真贋論争が絶えないことだ。その背景にはいくつかの理由がある。この画家はしばしば同じ主題をさまざまな構図で試みたこと、いくつかの人気テーマについては多くのコピー(模作)がラ・トゥールの工房を含め、複数の画家により制作されたこと、工房で息子エティエンヌが制作過程の一部あるいはすべてに関わった作品が存在する可能性が残るなど、発見された作品と画家の帰属(同定)が難しい。

 作品に年記、署名が必ずしも加えられなかった時代である。今回のミラノ展カタログでは、画家の署名・書体の探索にかなり力が入ったエッセイが含まれ、興味深い。別に真作でも、コピーでも素晴らしい作品は率直に素晴らしいと思うのだが、美術史家・鑑定家、画商などの世界では、コピーになると、作品の美的評価まで大きく下落するようだ。

 幸い画家が活動していた時代などの記録があっても、所在が不明であった作品が、今でも世界のどこかで発見されることがある。このたびのミラノ展でのカタログを読んでいると、これまで帰属不明あるいは数年前に発見された作品が真作と認定されていることに気づいた。認定といっても、専門研究者がさまざまな観点や時に思惑も含め真作と鑑定するため、すべての研究者、専門家が同意しているとはかぎらない。

 その中でほぼ確実と思われる作品を紹介しておこう。いずれも、ラ・トゥール研究の第一人者であるDimitri Salmonの論文に記されている。

 第一は、マドリッドのセルバンテス研究所で、長い間誰の作品か特定されることなく放置されてきた作品である。この作品については、2006年発見当時の事情をブログに記している。当時のブログの読者の方も知らせてくださった。この『手紙を読む聖ヒエロニムス』は、セルバンテス研究所の所内に誰の作品ということも確認されることなく、掲げられていたらしい。この研究所の内部を知る知人の話では、制作者未確定の作品はまだあるらしい。ラ・トゥールの作品と同定された後、今はプラド美術館が所蔵することになった。ラ・トゥールが好んで描いた主題であり、ルーヴル所蔵の同定されていない作品を含め、類似の作品がいくつか存在する。このたび真作とされているプラド所蔵の作品は、保存状態も良好のようで、聖ヒエロニムスの赤色の上着が美しい。プラドまで飛ぶのは一寸厳しいが、いずれどこか近くの企画展などで、対面できればうれしいことだ。

 

Georges de La Tour, San Gerolamo, olio su tela, 79 x 65 cm.
Madrid, Museo National del Prado
(T-5006), deposio del Ministerio de Trabajo y Asuntos Sociales


主題が類似の作品


Da Georges de La Tour, San Gerolamo, olio su tela,122 x 93cm.
Parigi, Musee du Louvre




Bottega di Georges de La Tour?,  
San Gerolamo che legge,, olio su tela,
95 x 72cm, Girmato in basso a sinistra.
Nancy, Musee Lorrain



 第二は、「アルビ・シリーズ」として知られてきたキリストと12人の使徒を描いた作品の中で、「聖大ヤコブ」を描いた作品(現在ニューヨークの個人所蔵)が、漸く真作と認定されたようだ。これも、作品の状態は良好のようだ。



Georges de La Tour, San Giacomo Maggiore, olio su tela,
65 x 52 cm, New York, collezione private

 

  この作品が真作と認められると、「アルビ・シリーズ」の13枚の現在の状態は、世界レベルで見ると、真作5点、模作(イメージあり)6点、逸失(イメージ不明)2点ということになる。真作と模作の双方が存在するものもある。

ジョルジュ・ド・ラ・トゥール『キリストと12使徒』シリーズの
状況。着色部分は真作、それ以外は模作。
この他、キリストを描いた作品(模作)、聖パウロ(模作)、いずれも
アルビ、市立トゥールーズ・ロートレック美術館所蔵以外は逸失。

聖アンデレ(真作)、聖ペテロ(模作)、聖トマス(真作)
聖ユダ(タダイ)、聖ピリポ(真作)、聖マティア(模作)
聖シモン(模作)、聖大ヤコブ(真作)、聖パウロ(模作)

Tavola della rovosta "L'Amour de l'art", n.9, 1946.
Georges de La Tour A Milano (2011-12).


 ちなみに、今回のミラノ展カタログでは、真贋論争が激しかったあのイギリスのレスター美術館が所蔵する『歌う少年』 The Choirboy も、真作とされている。大変美しい作品であるだけに、世俗の雑音を超えて楽しみたい。

 



 
Dimitri Salmon. L’”invenzione” di Georges de La Tour.
o le tappe principali della sua resurerezione

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花から力をもらう

2012年04月17日 | 午後のティールーム

 
 大震災があっても、津波が来ても、自然の摂理は正確に働いている。4月になると、地上は新しいカンヴァスのように、多くの草花や緑で彩られる。猫の額のような小さな空間もしばらくの間、絵の具箱のようになる。

 昨年の今頃は、花を見る心のゆとりは失われていた。今年は花がなにかを語りかけているようだ。

 

 

 

 

 

 

 

追悼:山本正氏(日本国際交流センター理事長)、ハワイでの日米比較労働研究会議など、さまざまなことで大変お世話になりました。日米両国を結ぶアンカーのような方でした。ご冥福をお祈り申し上げます。

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おくるみに包まれたイエス

2012年04月10日 | ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの部屋

ジョルジュ・ド・ラ・トゥール『羊飼いの礼拝』油彩、ルーヴル美術館(部分)
Georges de La Tour. L'Adoratione dei pastori, particolare, olio su tela.
107 x 137 cm. Parigi, Musée du Louvre.
画面クリックで拡大します。



 
16-17世紀、 『羊飼いの礼拝』は大変人気のあるテーマで、多くの画家が主題に取り上げてきた。ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの『羊飼いの礼拝』(上掲は部分)
を最初見た時、他の画家の同じ主題の作品とはかなり異なるほのぼのとした雰囲気が画面から伝わってきた。画面全体に素朴な雰囲気が漂っている。当時のイタリア絵画に見られたように華やかでもなく、装飾的なものはほとんど描かれていない。他の画家の作品のように、幼子イエス自らが光を発しているわけでもない。

 右側のヨセフが右手に掲げ、左手で遮る蝋燭の光の中に、5人の男女が描かれている。画面の真ん中には白いおくるみに包まれた幼子が眠っている。左に描かれたマリアとみられる女性は、ただひとり手を合わせ、祈っている。彼女はこれまでに起きたことすべてを、全身で受け止めようとしているようだ。

 さらに右手には二人の羊飼いが光に照らし出された幼子をみつめている。ひとりは帽子に手をかけ、尊敬の念を示している。よく見れば、羊もイエスに敬意を示すかのように、藁を一本くわえて顔を出している。そして召使いの女性が、水の入ったボウルを差し出している。イエスの義父となったヨセフはなにを思っているのだろうか。

ジョルジュ・ド・ラ・トゥール『羊飼いの礼拝』(部分)。  

どこにもいるマリア
 マリアの容姿、衣服にしても、他の多くの画家の作品のように、いかにもイエス・キリストの母であるかのように、厳かにあるいは華やかな衣装を身につけているわけではない。当時のロレーヌならば、どこにもいたかもしれないような普通の女性に描かれている。これはイエスの義父であるヨセフについても同様だ。ひとりひとりを見れば、普通のロレーヌ人としか見えないだろう。

 その中で、この作品を見る人の視線は,光に照らし出された幼子イエスに集まる。真っ白なおくるみにしっかりと包まれた幼子は、これ以上にないほどに可愛く描かれている。画家は最大の努力をここに注ぎ込んだのだろう。筆者が注目するのは、このおくるみだ。あの『生誕』のイエスも、同じようにしっかりとおくるみで包まれていた。他の画家の場合、この生誕にかかわる主題では、イエスは誕生したままに衣服をつけることなく、描かれていることが多い(もちろん、例外はカラヴァッジョを含め、いくつかある)。しかも、イエス自ら光を放ちながら、躍動するかのように描かれていることが多い。しかし、ラ・トゥールのイエスは安らかに眠っており、画面は静止したかのような厳粛な雰囲気が漂っている。

 イエスがおくるみでぐるぐるに包まれていることについては、医学的にもこの方が安心して静かに眠れるからという当時の慣習のようだ。その真偽のほどは分からないが、少なくも17世紀当時のロレーヌの生活の一端を知ることができる

トレント公会議の影響 
ジョルジュ・ド・ラ・トゥールがおくるみにくるまれたイエスを描いたことについては、別の理由もあるように思われる、この画家は主題について深く考え、他の画家とは大きく異なった角度から斬新な解釈を行ってきた。

 ラ・トゥールはなぜ、イエスにおくるみを着せたのだろうか。これについて、筆者は画家が、トレント(トリエント)公会議(1545-1563)の示した方向を十分斟酌した結果であろうと思っている。プロテスタントの激しい攻撃に対して、ローマ・カトリック教会側はトレント公会議でプロテスタントの指摘する諸点を検討し、巻き返しを図った。いわば、カトリック布教の戦略会議であった。さらに、ラ・トゥールが活動したロレーヌは、カトリック改革におけるいわば前線拠点であった。画家はトレント会議の布告についても熟知し、深く考えていたのだろう。

 美術はカトリックにとっては布教上の重要な手段であった。公会議は美術のあり方についても布告を発し、「聖性」、宗教的意義の表現は、聖書記述あるいは聖人の生活の正確な表現であるべきことを指示した。過剰な表現や不必要に華美な装飾などを禁じた。神学者の中には、布告をさらに具体化して細部に言及、いかなる表現ならば受け入れられるかを示したものもある。その中には人体の裸体描写の禁止もあり、幼いイエスの場合も含まれることがあった。

 ラ・トゥールの作品は、徹底して不必要な描写を省き、必要と考える部分は詳細に描いた。『羊飼いの礼拝』においても、人物の背景には一切なにも描かれていない。しかし、安らかに眠るイエスは、世界で最も可愛く描かれた赤子といわれるほど、見事に描かれている。ちなみに、
『羊飼いの礼拝』は、ラ・トゥールの作品の中で最初にルーヴルに入った名品である。


このおくるみに包まれたイエスのイメージは、15世紀初めから存在するようだ。
Luca Della Robbia. Bambino fasciato, 1420, terracotta policroma. Firenze, Ospedale Degli Innocenti.
Catalogue, p.114.

 



#羊飼いの礼拝
 ルカの福音書2章8-16節
8 さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。
9 すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。
10 御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。
11 きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。
12 あなたがは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」
13 すると、たちまち、その御使いといっしょに、多くの天の軍勢が現われて、神を賛美して言った。
14 「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」
15 御使いたちが彼らを離れて天に帰ったとき、羊飼いたちは互いに話し合った。「さあ、ベツレヘムに行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見て来よう。」
16 そして急いで行って、マリヤとヨセフと、飼葉おけに寝ておられるみどりごとを捜し当てた。

 

 

 

 

 

 

1

 

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ミラノへ行った「羊飼いの礼拝」

2012年04月06日 | ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの部屋

 

 

  初めてジョルジュ・ド・ラ・トゥールの「羊飼いの礼拝」が「大工聖ヨセフ」とともに,イタリアで展示された。2011年11月8日から2012年1月8日の間、Palazzo MarinのAlessi Roomを会場として企画展が開催された。ルーヴル美術館の協力に加え、ミラノの財力を反映して、入場料は無料であった。なんともうらやましい話だ。

 17世紀を代表する大画家のひとりジョルジュ・ド・ラ・トゥールが、その生涯においてイタリアへ行ったか否かという問題は,この画家に関する重要な美術史上のテーマである。しかし、今日にいたるまで決着はついていない。筆者は長らくこの画家に関心を寄せてきたが、少なくも修業の段階ではイタリアへ行っていないと思っている。

 しかし、作品は画家の生きた17世紀から今日まで、比較的自由に地球上を移動してきた。ミラノでこれまでラ・トゥールの作品を見る機会がなかったのは、大変珍しいことだといわれている。

 今回の企画展の目玉となった上記の2点「羊飼いの礼拝」(関連記事)、「大工聖ヨセフ」については、このブログでも紹介してきた。愛好者として楽しみなことは、こうした企画展などが開催されるごとに、それまでの新たな発見や研究成果を知ることができることだ。今回の展示会のカタログを見ても、 ピエール・ロザンベール、ガブリエル・ディス、ディミトリ・サルモン、アンネ・ランボール、クリストファー・ライトなどの研究者が、エッセイを寄せている。それらの中には新たな発見の片鱗なども含まれ、興味深い読み物になっている。ブログでも、折にふれてすこしずつ紹介することにしたい。

今回は、企画展の概略を示す動画とカタログの概略を記しておこう。

 Adorazione dei Pastori









GEORGES DE LA TOUR A MILANO

L’Adorazione dei pastori
San Giuseppe falegname

Esposizione straordinaria dal Museo del Louvre
a Palazzo Marino
Sala Alessi, 26 novembre 2011-8 gennaio 2012
Milano: SKIRA, 2012, pp.203.

Sommario
Alla Gloria di Georges de La Tour
Pierre Resenberg, dell’Académie francaise

Georges de La Tour e la Lorena del Seicento
Gabriel Diss

”L’invenzione” di Georges de La Tour o le tappe principali della sua resurrezion
Dimmitri Salmon

Firme e attribuzione: la questione della bottega
Anne Reinbold

Georges de La Tour,genio solitario, IL viaggio, l’Italia
Anna Ottani Cavina

Il San Giuseppe falegname e L’Adorazione dei pastori del Louvre: due capolavori di Georges de La Tour
Dimitri Salmon

Arte non impetus: Georges de La Tour, I suoi modelli e un autoritratto?
Mauro Di Vito

I due san Giuseppe di Georges de La Tour: teologia, devozione e collegamenti con l’Italia rinascimentale
Carolyn C. Wilson

Georges de La Tour a la sxienza del fagotto, Storia della fasciatura neonatale nella Francia del XVII secolo
Annarita Franza

Bari, vagabondi, santi e maddalene: la verita a lume di candela, fra poesia, romanzo picaresco
e vita quotidiana, nell’universo di Georges de La Tour
Vittorio Maria de Bonis

Georges de La Tour: unico pittore del lume di candela?
Christopher Wright

Due notturni di Georges de La Tour: la material in questione
Elisabeth Martin

Indagini scientifiche 2011
Elisabeth Martin

Una candela nel buio: luci e ombre nella pittura di Georges de La Tour
Claudio Falcucci, Simona Rinaldi

Adoremus
Valeria Merlini, Daniela Storti

Georges de La Tour, cenni di cronologia
Dimitri Salmon 

L’allestimento



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行動の人マーガレット・サッチャーのある日

2012年04月01日 | グローバル化の断面

 

 

  映画評論家ではないので、映画「鉄の女」The Iron Ladyがどう評価されているか、特に興味はないのだが、やはりそうではないかと思ったことはいくつかある。

 そのひとつは、マーガレット・サッチャーを演じたメリル・ストリープの演技評価だ。ざっと目にした限りでは、ほとんどの評論が絶賛しているのだが、これが客観的なサッチャー像かという点については、かなり議論があるようだ。マーガレット・サッチャーの映画ではなく、メリル・サッチャーの映画だという評もある。確かに、メリル・ストリープのこの役への入れ込みようはすごい。

 さらに、映画がイギリスではなくアメリカの映画会社(WB)の制作になったということは、多くのイギリス人とって、かつてのサッチャー首相への政治的立場を超えて、複雑な心情を生んだようだ。2時間足らずの映画に、この世界の注目を集めたひとりの女性の政治家が過ごした濃密な時空を描き出すことはもとよりできることではない。しかし、よくここまで描きこんだという批評も多い。

緊迫の日々
 
折しも昨日、BBCがフォークランド紛争勃発30周年の日が近いことを告げていた。最近フォークランド諸島は新たな紛争の火種を内在している。30年前の4月2日、アルゼンチン軍はフォークランド諸島に上陸した。サッチャー首相は極度に緊迫した時間を過ごしていた。紛争の場が遠く離れ、戦略的にはきわめて不利な地勢学的状況で、国内に開戦反対の議論が沸騰する中でフォークランド諸島への大量の軍隊、艦船、航空機などの投入を決断した。彼女の心情は同時代人 contemporary として生き、自ら事態の一部始終に没入しないかぎり、理解できないだろう。このフォークランド紛争の部分だけでも、十分映画化できる内容を持っている。

 同じアングロサクソンの国とはいえ、戦争当事国イギリスと同盟国アメリカの間にも微妙な受け取り方の相違があった。サッチャー首相は盟友レーガン大統領を通して、多大な支援をとりつけた。当時、多くの日本人にとっては、対岸の出来事のように感じられていたのではないか。

 さらに、サッチャー首相の在任中は、同僚議員との確執、炭鉱争議、労働組合の没落、労働党の変質、IRAのテロ事件など、めまぐるしく背景が移り変わった。11年半にわたる年月を乗り切った彼女の強い意志は、チャーチル以来の政治家という評価をも生んだ。

記憶に残る一齣
 
筆者の網膜に小さな残像として残っているのは、日産自動車のイギリス、北イングランド、サンダーランドへの直接投資にかかわる一幕である。John Cambellの伝記にも現れてこない出来事ではある。

 サッチャー首相は就任当時から、炭鉱閉鎖などで失業者が多いイングランド北東部地域における雇用創出のために、地域の内発的な産業・雇用の活性化を強調していた。さらに、国内資本が投資をしないならば、外国資本を積極的に導入して、産業基盤の育成、雇用の創出を促進するとし、産業が地域に生まれないならば、外国資本に優遇措置を与え、産業育成を図ろうとしてきた。

 その重要な事例のひとつが、日産自動車のイングランド北東部サンダーランドにおける工場設立の育成・助成であった。今では日本の自動車企業の海外工場は珍しくないが、当時は投資リスクが大きいとして、慎重な企業が多かった。とりわけ、労働党政権以来、強力であった労働組合の力を恐れる日本の企業が多かった。日本企業はおとなしい企業別組合に慣れていて、同一企業内に多数の労働組合が存在し、経営者に強力な交渉力を発揮することを恐れて、投資をためらう風潮があった。

 1986年9月、たまたま、この地に近いダーラム大学で教壇に立っていた友人Bと、日産自動車を初めとする日本の自動車関連企業の地域開発に与える実態調査を行っていた筆者は、工場開所式の前日、旧知のイギリス人人事部長へのインタビューを行っていた。話には「カイゼン」、「カンバン」、「ジャスト・イン・タイム」などの言葉が頻発した。帰りがけに、明日の開所式のテープカットには大変興味深い人が来られるよとのリーク?があった。その時は誰だか分からなかったが、翌日の新聞を見て驚いた。サッチャー首相自らが現れたのだった。外国企業の工場開所式に首相自ら足を運ぶとは、当時の状況からも想像していなかった。あたりはまだ企業も少なく草深い荒野のような状況だった。

 実は、この2年ほど前に来日した彼女は、日産自動車の社長に自ら北イングランドへの工場進出を強く働きかけていた。その結果、彼女の説得が実り、およそ2年間という短時日で、サンダーランドに年産30万台の乗用車生産工場が建設されたのである。筆者が訪れた頃は、工場周辺は身の丈ほどの草が生い茂る、ほとんどなにもない荒野だった。英国日産は今や20万台を欧州などへ輸出、英国にとって最大の輸出企業に成長している。 

 日系メーカーの在英工場はサッチャー首相就任前には十指に満たなかったが、80年代の後半以降急増した。雇用の増加を通じて英国経済の活性化に寄与する外資を国内企業以上に優遇すべしとの割り切った考え方の成果といえる。

 サッチャー首相は決断と行動の人であった。日本も輝いてみえた時だった。

 

 

 

 NISSAN サンダーランド工場開所記念

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