時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

終わりの始まり:EU難民問題の行方(21)

2016年04月29日 | 終わりの始まり:EU難民問題の行方

 


 一時はヨーロッパ中が移民、難民で溢れかえるのではないかとまで危惧された難民・移民問題だが、3月20日EUとトルコとの間で慌ただしく取り決められた協定によって、表面的には落ち着いたかにみえる。関係国はそれぞれ対応に苦慮し、追い詰められた状況での協定締結だった。しかし、問題の根源は根深く、これで問題が解決したとは到底いいがたい。政治家が一息ついただけのこととの厳しい見解も示されている。

 この協定は、ギリシャなどに滞留する、あるいは入国を目指す難民・移民をすべてEUの域外に位置するトルコへ送還するという思い切った政策である。EUへ間断なく流れこむ移民・難民の大きな流れを、エーゲ海を介在してギリシャとトルコの間で遮断するという内容だ。EUは難民を引き受けるトルコに、シリア難民約270万人の生活環境改善のために30億ユーロを早急に支払う、さらに状況次第で2018年までに30億ユーロを追加支援することことで合意が成立した。メディアを含め多くの人々が予想しなかった協定だった。事態は平静化するかに見えるが、根源の問題は未解決のままだ

 
協定では3月20日以降にギリシャに正当な入国書類なしに不法入国した者は、ギリシャに難民として庇護申請を行わないか、申請が却下された者はすべてトルコへ送還される。トルコを訪れたEUのトゥスク大統領は「難民にいかに対応するか、世界で最善の対応例だ」と、トルコ政府を賞賛したが、トルコのダヴトゥール外相は、トルコが協定の重要部分を充足したからには、EUはトルコ国民にシェンゲン協定区域へのヴィザなし渡航を早急に認めることが重要だと、したたかに応対している。協定では、トルコはそのために72項目の条件を充足しなければならないが、半分程度がクリアされているにすぎないとの見方もある。短時日の間に、トルコはこの問題のキャスティングボートを握った形であり、将来のEU加盟を視野に入れ、EUとの交渉上優位を維持した。

 合意発効を受けて4月4日から上陸地のひとつであるギリシャのレスボス島では、密航者の送還が始まったが、約6千人の対象者のうち実際に送還されたのは、2週間ほど経過しても230人程度にとどまっている。トルコへの送還候補者の審査に時間がかかり、基本的人権の尊重についての批判も相次ぎ、EUの新たな頭痛の種となっている。とりわけ、トルコが難民を送り戻すに「安全な第3国」と認めうるかという点に議論が集中している。トルコの政治情勢は安定しているとは言い難く、難民を生みだすシリアの状況も平静化とはほど遠い。

 ギリシャ側は1人あたり15日の期間で対象者の審査を行うと述べている。しかし、実際にはすでにドイツやスエーデンに父親などが入国していて、後から来た子供や配偶者などをいかに処遇するかなど、多数の困難な問題が提示されているようだ。ギリシャの庇護申請者センターの責任者は、これはヨーロッパや我々にとって実験だと述べ、対応が容易でないことを認めている。実際、さまざまな背景から正式入国が認められない難民・移民は、国境周辺などに劣悪なキャンプなどで、国境が再び開かれる日がくるのではないかと、日々を過ごしている。

ギリシャへ到着した移民は 2016年年初から4月4日までに152,137人
37%は子供
53%はレスボス島に到着
366人がトルコ・ギリシャルートの途上で死亡
2015年の到着人数は853,650人
Source IOM

シリア、つかの間の停戦か
  5日ドイツ・ハノーバーで開催されたオバマ米大統領と英仏独伊の首脳会議でも、シリア情勢をめぐり、アサド政権と反体制派の停戦合意が崩壊の危機にあることに「深い懸念」を表明し、派生的に引き起こされる移民・難民問題がヨーロッパに重大な影響を及ぼすことが議論になった。

さらに、会議の直前に、地中海でまた密航船事故が起きている。陸路が閉鎖されてしまったしわ寄せか、4月20日リビアからイタリアへ向かっていた密航船が転覆、約500人が死亡したとの発表がUNHCRからあった。難民や移民の多くは、行く手に国境などの障壁があれば、なんとか別の経路がないかとあらゆる手立てを尽くす。危険を顧みなければ、どこかに抜け道はある。

これまで難民の多くはトルコからエーゲ海を渡り、ギリシャ→マケドニア(あるいはブルガリア)→セルビア→クロアチア→スロヴェニア→オーストリア→ドイツという経路をたどることが多かった。ハンガリーは、早い段階で国境閉鎖を行っている。その後、スロヴェニア、マケドニアなども同様の動きに出たため、難民・移民の移動経路は著しく限られ、EU東端のギリシャに滞留しがちになっていた。一時は46,00人近い難民・移民がギリシャとの国境地帯で行き場を失い立ち往生した。

 EUートルコ協定によって、数ヶ月前まで、ギリシャのレスボス島の周辺はギリシャを経由してEUへなんとか入りたいと考えるシリア、アフガニスタン、イラクなどの難民・移民を定員以上に満載したボートであふれていた。しかし、今はギリシャの沿岸警備隊、FRONTEX(EUの国境管理機関)、NATOなどの沿岸警備関係の船舶が動員され、トルコ側からギリシャへ入国しようと企てる人々を海上で規制している。確かにトルコからギリシャへの入国者は減少したかにみえるが、事態は膠着状態といってよい。

現在の状況は水道栓を強制的に閉めたような状況で、締め出された難民はヨーロッパ内部とトルコなどに滞留している。移民政策とは、単に国境の出入国管理という次元での問題ではない。想定すべきことは、国境の背後に広がる受け入れ国社会の次元を包括するものであるなければならない。出入国管理の段階では、その国が必要とする外国人(労働者)を適切な形で受け入れる。ドイツはその判断が現実離れしていた。仮に今回メルケル首相が想定した人数を受け入れることが可能としても、問題がこれほど深刻化する前に受け入れ数を調整するなどの適切な措置がとれたはずであった。それでも、ドイツは実務レベルで入国希望者の減少に様々な手段を尽くした。昨年11月では20,000人近かった庇護申請者は今年3月には2,100人にまで減少している。

大改革が必要なEU難民政策
 財政再建などを抱え、国家的危機を迎えているギリシャの移民問題大臣は今回の協定は現在の状況では最善の案だと述べた。ひとつでも重荷を下ろしたいとの思いが伝わってくる。他方、EUは加盟国の間で難民を分担して受け入れる案は当面難しいことを認識し、今回の協定案で域外を遮断する壁を設定するしかないと考えているようだ。しかし、壁を前提とした対応は、EUの理想とは大きく離反したものだ

すでに、多方面からEU-トルコ協定が持つ欠点が指摘されている。たとえば、ジョージ・ソロスは、次の4点を主要問題として指摘している:
1)この政策は真にヨーロッパの利害を代表したものではない。トルコとの交渉で、ドイツのアンゲラ・メルケル首相が主体に作り出したものだ。
2)全ヨーロッパ的視点から、難民・移民問題に対処するには、資金が決定的に不足している。
3)難民(庇護申請者)の自主性を無視している。現在の対応は、難民が移住したいと思わない国の土地に割り当てて居住させる。他方、条件を満たせず母国へ送還されるものもいる。
4)既にギリシャにいる難民に十分な収容施設も準備されていない。彼らの生活環境は劣悪化がひどい。

  EUは今回のEUートルコ協定で当座を凌ぎ、難民政策の抜本的改革を進める必要に迫られている。現在の協定はいずれ破綻することが目に見えている。根幹的部分で改革が必要なのは次の点である。 

1)難民申請者が最初に入国した国で、申請を行うという「ダブリン方式」は、実態にそぐわなくなっている。2015年8月にドイツが難民に制限を付することなく受け入れると表明したことで、この方式は機能しなくなった。今回も多くの難民が最初入国したギリシャで難民申請をすることなく、ドイツ、スエーデンなど、自分の最終的に望む国で申請したいという要望が強く、制度と実態が乖離してしまった。

2)これも、メルケル首相の寛容な政策も反映して、EU諸国の特定の国に、難民・移民が集中する事態が生まれてしまった。今後、EUが存続するためには、経済力など平等な基準で、加盟国がそれぞれ、応分に難民を受け入れる政策に改革する必要がある。。

EUの副委員長のティンマーマン氏も、現在のシステムは変わらねばならないとして、”将来に持続可能なシステムを共通のルールにしたがって制度化しなければならない。加盟国のより公平な責任とEUに入りたいと思う人々に安全で法律に支えられたチャネルを準備する」と述べている。また、ドイツ連邦共和国ウルフ前大統領が、指摘するように、イスラムもドイツそしてEUの一部として受け入れられるよう寛容さを増すことが必要だ。しかし、これは現状をみるかぎり、きわめて困難な課題である。ヨーロッパでも国民の平等レヴェルが高いことで知られてきたデンマークで起きているイスラームを排除することを目指す「豚肉給食問題」のように、人々の心の中に生まれる壁を取り除くためには、教育の徹底など、多大な努力が必要になっている。移民政策は、単に国境管理、収容、送還などの域を越えて、その背後に広がる国民の心の領域にまで深く関わっている。

 

 

References
クリスチャン・ウルフ「日曜に考える」難民流入にどう向き合うか」「日本経済新聞」2016年4月24日
”All quiet on the Aegean front”  The Economist April 16th 2016
european Commission, Commuication from the Commission to the European Parliament and the Council, Brussels, April 4, 2016. 



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日出づる時を待つ:不安な時代を生きる力

2016年04月19日 | 特別トピックス

  庭の片隅に植えておいた黄花カタクリの球根が、思いがけなく芽を出し、開花していた。そこに植えたことも忘れていたほどだった。耐寒性があり、日陰や湿地にも強いshade plants といわれる植物でもある。キバナカタクリ(学名: Erythronium ‘Pagoda’、分類: ユリ科カタクリ属)、カリフォルニア原産エリスロニウム・トルムネンセ(E.tuolumnense)の交配種

画面クリックで拡大

 

  ヨーロッパの難民・移民問題をウオッチしていると、今度は日本の九州に大地震が起こり、一夜にして多数の避難を求める人々が続出するという事態が発生、言葉を失う。外国からの難民受け入れには厳しいことで知られるこの国に、住む家や土地を失うなど、ほぼ同様な苦難を背負った人々が一夜にして多数生まれるとは、なんというアイロニーだろう。

  20世紀末から今日まで、被害の甚大さという点から記憶に残る阪神・淡路大震災(1995年)、新潟県中越大震災(2004年)、そして東日本大震災(2011年)を含めて、日本列島を分断するかのごとく、大きな地震が連続して起きていたことを改めて実感する。今回の熊本県に発した大地震(熊本地震)が将来いかなる名称で記憶されることになるかは別として、限られた地域で頻発する地震によって、当初の想像の域を越えた大災害となった。

われわれはどこに立っているのか
 外国に長らく住み、たまたま帰国していた友人との間で、日本はさながら「災害列島」のように見えるという話が出た。実際、日本の震災といわれる大地震・津波などの記録を時系列でみると、ほとんど毎年のようにどこかで大小の地震、噴火などが起きている。列島に2000近いといわれる活断層が走り、休火山、活火山が多数存在する、地球上でもかなり特別な場所に、われわれは住んでいるのだということを改めて思い知らされる。強風と雨に苦しんだ被災地は、翌日の昼には夏日に近い気温になったといわれる。他方、この季節、雪が降っている地域もあるのが日本なのだ。

 天災ばかりでなく、東日本大震災とともに発生し、将来世代への重荷を残すことになった福島第一原発の廃炉、放射能廃棄物の処理問題が重くのしかかる。大きな傷跡と不安を抱えたまま時が過ぎている。時間軸上を移動しつつ、未来の世代にこれ以上の重荷を残さないよう、なにをすべきか考え続ける必要を感じる。

 熊本県だけでも10万人近い人々が避難生活をしている状況をみて、その規模に改めて愕然とする。今年年初から4月4日までにギリシャに到着したシリアなどからの難民・移民の数が、およそ15万2千人(IOM)と発表されていることを考えると、このたびの災害の規模と拡大の速度に改めて驚かされる。人間は自然の持つ恐るべき力を少し軽く見ていたのかもしれない。

   気のせいか、今世紀に入ってから明るい話題が少なくなったような感じがする。20世紀と21世紀の違いといっても「世紀」は長い歴史の時間軸を区切る手段にしかすぎない。しかし、このブログで再三記してきたように、新しい世紀を迎えたころから、世界の時間の経過とともに、歴史の深部を流れるなにかが次第に変化し、それも従来の同種の変化の限界と思われた域を越えている。そのことについては、一部の歴史家、文明評論家などによっても指摘され、このブログでも時折記してきた。

 時代を画する典型的事象(メルクマール)として挙げられてきた出来事としては、アフガニスタン戦争につながった2011年の9.11アメリカ同時多発テロ事件であったり、
2008年のリーマンショックであったり、自然災害としては、2011年日本の東日本大震災(3.11)であったりして論者によって必ずしも同じ事象ではない。しかし、天災、人災を含めて、それまで想像したこともないような、ある仮想していた限界を超えたような出来事、現象が次々と起きている。あらゆる惨禍がヨーロッパを見舞ったともいわれる17世紀「危機の時代」を、別の形で経験しつつある気がするほどだ。このブログの出発点となった画家ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの生きた時代である。

「新たな危機の時代」を生きる
 J.K.ガルブレイスが形容したように、「普通の時代」は終わりを告げたのかもしれない。このブログを立ち上げた背景のひとつに、そうした「不安な時代」の輪郭を確かめてみたいという思いがどこかにあった。ラ・トゥールが生涯を過ごした17世紀ヨーロッパはありとあらゆる災害、災厄が人々を襲った惨憺たる時代でもあった。とりわけ、画家の生きたロレーヌという地方(公国)は、
30年戦争などの戦場ともなり、フランス王国と神聖ローマ帝国という巨大勢力の間にあって、現代のシリアやアフガニスタンのような荒廃を極めた状況にあった。ジャック・カロの銅版画に克明に描かれている。


 今、大きく揺れ動いている現代の日本は、世界で唯一の被爆国であり、人道上想像を絶する惨禍を経験し、自ら関わった戦争によって国土の多くが焦土と化した他に類を見ない悲惨な経験を持ってもいる。その後列島を襲った大震災など幾多の災厄からも立ち直り復興の道を歩んできた。今回の苦難も、人々が互いに未来を信じ助け合い、必ず乗り越えて、世界にその強靱な国民性を誇りうる日につながることを信じたい。それこそが、不安な未来を生きるこれからの世界にとって最も必要なことなのだから。






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カラヴァッジョ展偶感(2); 『女占い師』再考

2016年04月11日 | 絵のある部屋

 

カラヴァッジョ 『女占い師』 
クリックで拡大

Michelangelo Merisi da Caravaggio
The Fortune Teller
1597. oil on canvas, 115x150cm
Rome: Musei Capitolini

 NHKが4月8日、ゴールデンアワーともいえる時間に、カラヴァッジョの生涯と作品を取り上げていた。「日曜美術館」よりも力がはいっていた感じさえした。案内役にイタリア、そして美術史に詳しいヤマザキマリさんを起用したのがよかった。他方、国立西洋美術館で開催中の「カラバッジョ展」を側面から支援するプログラムのような印象も受けた。実際、そうなのだろう。これまで国内外で開催された「カラバッジョ展」のいくつかあるいは個別に作品を見る機会があったが、どうも日本での知名度や関心はいまひとつだ。観客やメディアの反応がかなり違っていた。しかし、今回は「日伊国交樹立150周年記念」という形容詞がついている。関係者の心の内が伝わってくる。NHK番組で少しでもこの名実共に希有な美術界の風雲児ともいうべき画家についての理解、そして美術館への観客が増えればと思う。

前回は2001年、東京都の庭園美術館での開催だったが、今回は会場も格上げ?されて国立西洋美術館である。この間、世界的にもカラヴァッジョの評価は大きく上昇した。しかし、桜の開花真っ盛りで雑踏の上野公園界隈だが「カラヴァッジョ展」は、他の展覧会とあまり変わらない程度の入場者であった。会期が長いことを考えても、拍子抜けした。

  色々な理由が考えられる。第一はカラバッジョという画家の知名度がこの国では決して高くないことにある。以前から感じていたが、日本の美術史教育に問題がありそうだ。西欧美術についてみると、印象派以降に力を入れすぎて、それ以前の時代の美術とのバランスがきわめて悪いと思っていた。印象派以前の画家の作品は、往々にして基礎知識が必要となる。宗教画にしても、キリスト教の歴史を知らないと画題だけでは真髄は分からない。

  筆者は元来、美術とはまったく縁の無い分野を専攻してきたので、系統的な美術史教育を受けたことはほとんどなかった。人生の過程で、たまたま友人となったアメリカ、イギリス、オーストリア、フランス、そして日本などの美術史家、画商やコレクターとの雑談と美術館めぐりなどを通して、自然と身についたにすぎない。しかし、幸いカラヴァッジョについては、ラ・トゥールなどの鑑賞を通して、かなり長い年月のおつきあいだ。

 今回の「カラヴァッジョ展」の全体的印象は、画家の展示作品数が少なかったこと、個人的にはこれまでなんども見ている作品がやや多すぎて満足感がいまひとつであった。ラ・トゥールやフェルメールと比較すれば、帰属(アトリビュート)作品を含めれば、貸し出し(借り出し)余裕度はずっと大きいはずなのだが。

 しかし、さすがにカラヴァッジョと思わせる作品もあって、考えさせられることは色々とあった。そのひとつは、展示の最初にあったったカラヴァッジョの「占い師」である。すでに何度も見ている作品だ。この主題はカラヴァッジョやラ・トゥール「いかさま師」として取り上げられているカードゲームと同じ世俗画のジャンルに含まれる。最近、スポーツ選手のギャンブルとの関わり合いがジャーナリズムに頻繁に登場しているが、カードゲームは絵画の上でも、しばしばある種の”いかがわしさ”と切り離せない。

 さて、カラヴァッジョの「占い師」は、2点継承されているが、今回はカピトリーノ宮殿所蔵の作品が展示されていた(このブログでもかなりの回数、記してきた)。ルーヴル所蔵の作品の方がやや後年に制作されたと推定され、より洗練されている感がある。ルーヴルの作品の方が画面が明るく、ロマ(ジプシー)の女性、だまされる若い男(貴族の子弟?)もそれらしく描かれていて、細部の装飾的部分などもより洗練されている。全体に、ルーヴル版の方がファンは多いようだが、読者はどちらだろうか。いずれにせよ、今回の『カラヴァッジョ展』でも、最初に展示されているので、注目度は高いようだ。

 この作品(カピトリーノ宮殿蔵)は、カラヴァッジョの天賦の才にいち早く目をつけ、パトロンとなったデル・モンテ枢機卿の一室に「いかさま師」と共に架けられていたといわれる。16世紀当時のローマでは、画家は習作のモデルには古代の彫刻などを対象にすることが慣行のようになっていたが、カラヴァッジョは身辺にいる人物をそのままモデルにして描いたといわれる。この「占い師」のモデルも街路を歩いていたジプシーを自分の作業場に連れてきて描いたといわれている。ラ・トゥールの場合も同様だ。

  ジプシーの女性が占い師として手相を見るふりをして、その間に指輪などの装身具を盗み取る構図は、15ー16世紀の北方絵画に見られるが、注目すべきはジプシーの女占い師の特徴ある衣装だ。生地の厚い外衣(ローブ)を、着ていて、片一方の腕の脇の下から反対側の肩の上で結んでいるという特徴のある衣装だ。当時のジプシーはイタリアではその名の由来が示すように、エジプトの出身と考えられていた。ジプシーは5ー6世紀頃からヨーロッパのほぼ全域を、動物の曲芸、占い、手工芸、音楽、(時には盗み?)などを生活の手段としてカラヴァンを組み、遍歴していた。カラヴァッジョはリアリズムに徹した市井の画家であったことは、こうした点からも如実にうかがわれる。

  さらに興味ふかいことは、一見世俗の光景を描いたかに見えるこの一枚に、画家はひとつの教訓を含めていることだ。一言でいえば、なんだろう。「美しい花には棘がある」?



 


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終わりの始まり:EU難民問題の行方(20)

2016年04月04日 | 終わりの始まり:EU難民問題の行方

送り戻される難民・移民:追い詰められたEU

危機の連続の中で
  3月18日、EU28カ国とトルコ政府間で締結された協定で、ドイツ、フランス、イギリスなどEU28カ国の首脳は、これでひとまずEUに流れ込んでくる移民・難民の激流を東の域外国境で堰きとめることができ、当面の危機は回避できると安堵したかもしれない。しかし、危機は去ることなく、しばしの余裕もEUに与えなかった。

 EU-トルコ間首脳会議が終了して間もない22日午前8時ごろ、ベルギーの首都ブリュッセルの空港で爆発があった。さらにブリュッセル市内にある欧州連合(EU)本部近くの地下鉄駅構内でも爆発が起きた。この連続テロによって32人が死亡し、合わせて180人以上が負傷した。過激派組織「イスラム国」(IS)系のメディアは22日、事実上の犯行声明を伝えた。テロが発生した空港現場はNATO本部と5kmしか離れていない。地下鉄の駅はEU本部に近接していた。まさにヨーロッパの中心で、テロが勃発したのだ。空港は復旧に時間を要し、12日後一部のみ再開されたが、全面復旧には時間を要するようだ。EUにとっては、文字通り本丸を急襲されたような衝撃だったろう。

協定は機能するか
 昨年夏以来、混沌とした状況が続いた状況の中からやっと生まれたEU-トルコ協定 (EU-Turkey Statement, 18 March 2016)である。EU全域にわたる移民・難民の流れをEU圏の東の境界に位置するギリシャと域外のトルコを隔てる国境線でなんとか阻止、管理するという、これまで経験したことのない内容となった。しかし、きわめて短時日で合意にこぎ着けたこともあって、具体化に当たっての実務上の問題検討は間に合わない。加えて協定自体の合法性、さらに協定が果たして実際に機能しうるのかという深刻な疑問や批判が直ちに提示されている。前回ブログに一部重なるが、プレスリリースにしたがって、協定の骨子を紹介すると

1)トルコからギリシャの島々へエーゲ海を渡ってくるすべての新しい不法移民をトルコへ送還する。この対応は3月20日以降に到着するすべての移民・難民を対象とする。トルコへ送還するに必要なコストはEUが負担する。

2)この措置の見返りに、ギリシャの島々からトルコへ送還されるシリア人ひとりにつき同数のシリア人をトルコからEUが受け入れる。これまでにEU加盟国に入国したことのない者に優先権を与える。必要な手続きなどは、EUの示唆するところにもとづき、EU加盟国、UNHCRなどが定めるものによる。これらの人々の受け入れ場所は、2015年7月に協定した18,000人分とし、必要な場合、54,000人分を追加する。この数を超えた場合には、この方式は停止される。

⒊)トルコは関係諸国との協力のもとに、新たに海路あるいは陸路でトルコからEUへ入国しようとする者を防ぐことに尽力する。

4)トルコからEUへ不法区入国を企てる者が、大幅かつ持続的に減少する状況となれば、代わって自発的で、人道的な入国受け入れ計画が作動する。

5)トルコ国民がEU域内を自由に旅行しうるためのヴィザの自由化は、すべての必要要件が充足されることを条件に、本年六月末を目標に進められる。トルコ政府はその実現のために必要な手続きに努力する。6)EUはトルコ政府の協力を前提に、30億ユーロをトルコ国内の難民収容施設の充実のために支給する。さらに設備のじゅうじつなどの進捗を待って、必要ならば同額を2018年末までに支援する。

高まるポピュリズムへの不安
 このEU-トルコ協定が成立するにいたった背景には、各国の事情に差異はあったが、それを越えて合意に結集させる力が働いたと考えられる。簡単にいえば、EU主要国の指導者にとって、絶えることなく高いレベルで流入してくる難民・移民の動きが引き金となって、各国で高まりつつある外国人嫌い、右傾化、ポピュリズムの勢力拡大という政治的脅威になんとか歯止めをかけたいという思いが強く働いたようだ。政治家ばかりでなく、各国の国民がそれぞれ感じているヨーロッパはどうなってしまうのかという、漠とした不安だ。

今回、EUで最大の難民受け入れ国であるドイツ連邦共和国でも、ある世論調査では難民の問題に政府は十分「対応出来ていない」との考えが80%を越えたといわれる。難民・移民受け入れに反対する右派の支持率も12%近くになったといわれる。寛容な「歓迎」政策の維持を標榜してきたアンゲラ・メルケル首相の支持率も顕著に低下した。いずれ改めて検討してみたいが、EUの他の諸国でも、保守化・右傾化の動きは明らかに高まった。

 この協定で注目しておくべきは、EU域外に位置するトルコの存在と役割だろう。かねてからEUにはトルコへの不信感ともいうべきものがあったが、事態がここにいたっては、トルコの地勢学的な戦略上の役割に期待するしかない。ギリシャが頼りにならないばかりか、EUの”お荷物”といわれる状況にあっては、ギリシャに期待はできない。昨年来、トルコへの多大な注目と支援で、トルコの存在感は急速に増大した。「いつも笑顔の」首相と言われるトルコのダウトオール首相の顔は、渋い顔のEU諸国首脳と比較して輝いていた。しかし、首都アンカラでも自爆テロが発生するようになり、社会的混乱も増加して、最近はその笑顔もあまり見られない。

 トルコについては、「送還に適した安全な第3国」とみなしうるかについて疑問が提出されている。これまでの経緯からも、トルコからギリシャへ渡航してくる難民、移民は、入国申請などに必要な書類も保持していないか、書類偽造など入国条件を充足しえない書類しか提出しえない者も多く、しかも悪質な渡航斡旋業者も暗躍し、国境付近ではかなり混乱が生まれているようだ。国内の治安もかなり悪化してきた。

協定が意味するもの
 結局、この協定はなにを意味するだろうか。きわめて象徴的にいえば、EUという共同体の東の外壁が崩れ、全域の危機に近い状態が生まれたことについて、まずその応急措置として壊れた城壁の修復を図ったといえよう。しかし、あくまで異例の応急措置に過ぎず、どれだけの効果を挙げ得るか不明な点が多い。しかも、最前線の当事国であるギリシャ、トルコの両国ともに、国内外に財政不安、(トルコのクルド人問題など)内戦の火種となりかねない深刻な問題を抱えている。

このたびのEU-トルコ協定で、トルコはEUからの多額の資金援助を期待できるとしても、短期に目に見える効果がでてくるとは思えない。4月4日からギリシャからトルコへの送還プログラムが始まっているが、初日からギリシャやトルコの国境線付近では、国境警備官との衝突、暴動などの混乱が生まれている。EUやトルコなどの都合で、発言の機会もなく東西へ送還・収容される難民・移民の心情を考えると、やりきれないものがある。トルコにしても国境や沿岸の警備、難民収容施設の維持・管理など、果たして大きな問題を惹起することなくやっていけるのだろうか。

  今回の協定に対する根本的な疑問や反対も強まっている。最重要な批判は、この協定が、EUがその創設以来掲げてきた近隣諸国からの庇護申請者に対する人道的で寛容な受け入れに反する動きとみられることである。さらに国連、とりわけUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)などから難民の集団移動(一括送還)などについて強い反対が表明された。EUの理念の根本に関わる問題でもある。

 EUは外からの圧力に加え、内部でも加盟国間の政治思想、経済格差などの差異が目立ち始め、衰退の色は覆いがたい。かろうじて分裂を回避しているような状況に近い。EUはどこへ向かうか。中心となるドイツ、フランス、イギリスなど主要国の推進力にも陰りが目立ち、混迷の度は急速に深まっている。大きな危機を生みかねない火種はいたるところにあるが、当面、不安が解消しない「EU東部戦線」(ギリシャ、バルカン諸国)からは目が離せない。EU「分裂」の可能性は依然高いが、「スーパー・ステート(超大国)」への道からは確実に遠ざかっている




References
Dalibor, Rohac, Towards an Imperfect Union: A Conservative Case for the EU (Europe Today) Paperback,  2016

John peet and Anton La Giardia, Unhappy Union: How the euro crisis-and Europe- can be fixed, London:The Economist, 2014.

"Is there 
a better way for Europe? break-up or superstate" The Economist, May 1st-June 1st, 2012.

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