時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

おぼつかない旅

2007年11月27日 | 書棚の片隅から

    本の読み方はさまざまだ。専門書の類はひとまずおくとして、エッセイのように断続的に読んでも、いっこうに差し支えない作品もあるが、小説のように感情の起伏、持続が消えないうちに一気に読みたいものもある。時々立ち止まって、考えながら読む方が深く味わえる作品もある。なんとなく、食べ物に似ている。

  これとは少し違ったタイプの本もある。仕事に追われていた頃、途中でさえぎられることなく時間をかけて集中して読んでみたいと思う本を書棚の一角に積み重ねていた。実はその時読もうと思えば読めないわけでもなかったのだが、断続的に読むのは著者に申し訳ないという感じを持っていた(なんとなく言い訳がましい)。結果として、取り上げるに少し勇気?のいる作品が山積みになる。

  外国作品の場合、しばしば初めに高い言語の壁が聳えていて身構えてしまうことが多い。とりわけ、ブログ筆者があまり得手ではない非英語圏の作品はそうである(そのいくつかはここに登場したが)。かつてドイツ語の恩師からいただいた100ページほどの現代思想の作品を、辞書を頼りに1年近くかけてなんとか読んだこともあった。いただいた以上、なにかの折には話題となるという圧迫感?がいつも背中を押していた。

  これに似たような感じを多少持っていた作家のひとりが、ドイツの現代作家フォルカー・ブラウンである。一寸不思議なご縁で著者には親しくお会いしており、作品に献辞まで記していただいた。それだけにおろそかには読めないという思いがしていた。そんな言い訳も積み重なっている作家の作品だが、これまでに2冊だけ読んでいた。そのひとつは『自由の国のイフィゲーニエ』という戯曲である。幸い日本語訳が刊行されていて、解題を含めても60ページ足らずの小冊子なのだが、読み始めてみるとかなりの難物だった。表題の通り、ギリシャ神話(悲劇)とゲーテに関する素養、そして旧東ドイツの社会についての心象的イメージなしには十分理解できない。中島裕昭氏による「訳者解題」がなかったら、座礁していた可能性が高い。真理は細部にあるのだが、その細部が読み切れない。

    この作家に別の点で関心を抱いていたのは、旧東ドイツのドレスデンに生まれ、その後東西ドイツの統合を自らの人生、作家活動の舞台として今日にいたっていることにあった。あのB・ブレヒトの創設した劇団ベルリーナー・アンサンブルの文芸部員、座付作家であったことも関心の片隅にあった。旧東西ドイツ双方の体制を経験してきたこの作家は、2000年、日本における芥川賞にあたるともいわれる「ゲオルク・ビューヒナー賞」を受賞している

  旧東ドイツの時代と社会がいかなるものであり、そこで作家としての純粋性を貫いて生きることがどんなことであったかは、今日ではある程度の情報が蓄積され、想像をなしえないわけではない。かなり注意して知見を増やそうともしてきた。しかし、第3者としての想像と、そこに身を置いた人の現実の間には越えがたい断絶がある。

  作家として自らが日々を過ごす社会の矛盾に正面から向かい合うほど、軋轢は増す。この作家は、ある時期からあのシュタージ(国家公安局)の常時監視下に置かれていたといわれる。89年に突如として「壁」が壊れた当時、フォルカー・ブラウンは来るべき東ドイツの選ぶ方向として「人民所有+民主主義」を構想していたらしい(訳者解題, p50)。この作家に関心を寄せた理由のひとつに、実はこの問題があった。ブラウンの想定した「人民所有」とはいかなる概念そして実体なのか。

  しばらく「労働者自主管理企業」といわれるモデルを研究課題として探索していたことがあった。主として旧ユーゴスラビアなどの社会主義体制下において試みられていた企業組織である。フォルカー・ブラウンが東ドイツの企業管理組織の下で働く労働者の迷走する姿を描いた戯曲の作者であることは知っていた。社会主義に期待が寄せられた時代は消滅したが、代わって世界を席巻している倫理なき資本主義への望みも薄れるばかりだ。

  今や「平らになった世界」を体験しているこの作家が、彼の人生の大半を過ごした政治体制との比較において、なにを思っているか、改めて聞いてみたい思いがする。そうしたわけで、ブラウンの新しい作品を読んでみようと思っている。とはいっても、目指す地にたどりつけるかは、まったく定かではない。


「作者による注解」からの引用(p.45):

略)核心をなす問いは、延期されているかに見える平和的労働の別の可能性に向けられる/
だがその労働は、旧い人間たちが新しいタウリスの地を踏むことで緊急のものとなる。トーアスが何を「なす」かは、経験が教えるだろう。ポストコロニアル時代には、勝者も敗者も勝手な振る舞いをしていて、区別ができない。その振る舞いが個性も自然も消し去るのだ。敵役となるのは、排除され、失業者として取り残された者たちだ。それは女性の姿をした黒人男か、黒人の姿をした女性である。サチュロス劇の衣装を取り換えて登場する狂気と理性だ。(以下略)

* Volker Braun. Iphigenie in Freiheit. Frankfursst/M. suhrkammp, 1992(フォルカー・ブラウン:中島裕昭訳)『自由の国のイフィゲーニエ』ドイツ現代戯曲選30(論創社、2006年)、pp.59.

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始まりか終わりか

2007年11月25日 | 移民の情景

  月日の経つのは早い。2005年11月にフランス全土にわたって展開した「郊外暴動」を覚えておられるだろうか。フランスはシラク大統領の政権下であったが、この事態に「国家非常事態宣言」を発して漸く鎮圧した。当時のサルコジ内相の強気の対応が功を奏したといえようか。その後、表面的には平穏さを保っている移民問題だが、問題の根源が解消したわけではない。

  こうした中で、先月パリに新しい博物館として、国立移民博物館(la Cité nationale de l'immigration)が開館した。ほとんどメディアには報道されていない。それにはこの博物館を構想したシラク大統領や企画者たちの考えと、移民政策に厳しい方向を設定しているサルコジ大統領の考えが異なっていることが影響しているといわれる。フランス型多文化共生を目指したシラク大統領や支援者たちとは異なり、サルコジ大統領はフランスという国民国家の主権を強化し、「国民」の再定義を模索している。10月に上院、下院で成立した新移民法は、この路線上でこれまで人道上の観点から寛容であった「家族の再結合」についても、海外から呼び寄せる家族のDNA鑑定を義務付けるなど、制限色を濃く打ち出している。

  新移民博物館は開館したばかりで、まだ訪れる機会がないが、労働分野のウオッチャーとしては、ぜひ見てみたい。移民を対象とした博物館は世界にいくつかあるが、今後充実がはかられるならば(そうならないような兆候もすでにあるが)、ニューヨークのエリス島移民博物館と並び注目すべき存在になるだろう。

    とりあえず、ウエッブ上に公開されたサイトを見てみたが、このHPに公開されている「フランスの移民の歴史(1820-2006)」をヴィジュアル化したLe Film は、映像イメージとしては大変良くできていて興味深い。このブログで取り上げたばかりのジャック・カロのジプシーの旅芸人の銅版画も冒頭に出てくる。フランスが多民族文化国家として形成されてきたことを示す歴史的な資料の断片
が多数含まれている。もっとも、最近になるほど迫力が失せてくる。

    製作者が最も悩んだのは、恐らくこのビデオの最後に出てくるはずの「郊外暴動」の位置づけだったのではないか。ビデオの時代区分の最後は2006年となっているが、フランス全土が燃えた「郊外暴動」の衝撃的映像は含まれていない。自他共に認める移民(受け入れ)国となったフランスにとってこの出来事は、「多文化主義」の終わりであったのか、新たな時代の始まりなのか。

* 
Cité nationale de l’histoire de l’immigration
Palais de la Porte Dorée
293, avenue Daumesnil 75012 Paris
場所は旧アフリカ・オセアニア美術館の跡地。サイトには地図もある。

 

コメント (2)
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ジプシーとイタリア

2007年11月18日 | 移民の情景

Jacques Callot. Gypsies(Bohemians) 

  イタリアでジプシー(ロマ)の受け入れ問題が政治論争の的となっている。記事*を読みながら、ジャック・カロのことを思い出した。17世紀ヨーロッパ最高の銅版画家のひとりである。カロは、1592年(ジョルジュ・ド・ラ・トゥール誕生の1年前)ナンシーに生まれた。今日改めてその作品群を見る時、恐らくこの時代のヨーロッパ世界の最も客観的な観察者ではないかと思われる。ヨーロッパ各地の宮廷貴族からジプシーの世界まで、自らの体験を通した確かな目で鋭い観察を残している。

  ナンシーに祖父の代からの下級貴族の子として生まれ、画業を志したが反対され、家や周囲との軋轢を逃れ12歳ころに家出をし、当時芸術家たちの憧れの地イタリアを目指した。途中、所持金を使い果たし、ジプシーの旅芝居一座に入れてもらい、フィレンツェまで行く。そこで一行から分かれてローマまで行くが、ナンシーで顔見知りだった商人に見つけられ、両親が悲嘆にくれているからと、実家に連れ戻された。

  このジプシーとの旅の経験は、カロのその後の作品に見事に結実している。カロの描いたジプシーの一団の旅姿、大樹の下での食事の準備の光景など、体験なしには描けない見事な作品となっている。カロはその後も再び家出同然のイタリア行きを試みている。当時のイタリアの魅力がいかに強かったかを感じさせる。今日とは異なり、イタリアへの行路は決して安全なものではなかった。それだけに個人の旅行者は巡礼や商人などに頼んで一行に入れてもらったりして旅をした。

  ジプシーとイタリアの関係は、今日でも切れることなく続いている。最近のイタリアの政界でひとつの大きな論争の的となっているのが、EU新加盟国ルーマニアからのジプシー(ロマ人)の扱いである。彼らはほとんど定住の地を持つことなく、国境を越えて漂泊の旅を送ってきた。

  移民(外国人労働者)問題にとって、地政学的要因が果たしている役割は想像以上に大きい。隣国と離れた島国であるか、地続きの大陸であるかによって顕著な差異が生まれる。地続きであっても、様相はそれぞれ異なる。

  イタリアはヨーロッパ大陸の南端に位置しているが、地続きの部分の国境線はそれほど長くない。長靴状の国土の北部でフランス、スイス、オーストリアなどと国境を接しているが、アルプス山脈などの自然の要害もあって、他の大陸諸国と比較して国境管理は容易なように見える。しかし、現実には長年にわたり、多くの深刻な問題を抱えてきた。

  イタリアは1960年代までアメリカやヨーロッパの中心部の国へ移民や出稼ぎに出ていた国でもある。その後の経済発展とともに、一転して出稼ぎ労働者の受け入れ側になった。今日の大きな問題は、北アフリカやアドリア海側からの不法入国者の絶えざる流入である。特に、困難さを増しているのは、歴史的には6-7世紀から世界中を移動しているといわれるジプシーの問題である。

  ジプシーは、ルーマニアからの移動、進入が多い。ルーマニアは今年1月EU加盟を認められたが、イタリアは5年前からルーマニアからの入国者には査証免除をしてきた。これまでイタリアではルーマニア人は見慣れた存在であり、言語的にも近く、社会的統合もさほど難しくはないと考えられてきた。しかし、イタリア国内にいるジプシーの生活状況はきわめて劣悪なことが多く、政治問題となるような犯罪の温床にもなってきた。最近では、ある犯罪事件をきっかけにローマ市内のジプシーの居住区をブルトーザーなどを使い、強権で撤去したりしている。

  2004年のEU指令は、「国家の安全保障に脅威となるような場合には、国内にいる移民の退去をさせることができる」としている。最近のイタリアではジプシー流入と社会不安を結びつける非難が増大している。確かに絶対数が多いので、犯罪者なども多いようだ。彼らを国民として統合するのは難しいと考えるイタリア人も増えた。

  他方、イタリアで自分たちは差別されているとするジプシー(ロマ)も多い。彼らは大体バスで国境管理の行われていない地帯からイタリアに入ってくる。イタリアとルーマニア両国首脳は最近、協議の上、ルーマニア警察官の連絡オフィスをイタリア国内の置くことにした。さらに、EU本部に対して「ロマ人種のようなエスニック・グループを含むような移民の困難な状況」に特別の構造基金からの助成増加を求めている。「困ったときには手を出して、金を乞え」というジプシーの慣わしがあるようだが、どうやらイタリアもそれに倣うようだ。もっとも、ジプシーの占い師などから「耳に心地よいことを言われたら、財布に気をつけろ」という言い伝えもあったようだが。


*
“Disharmony and tension” The Economist November
10th 2007.

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政治の中の移民労働者

2007年11月12日 | 移民政策を追って

    移民(外国人)労働者問題は、政治家はあまり正面からとりあげたくないというのが各国にかなり共通した事情である。そのために、問題を先延ばしにして、ある日突然破綻に直面して大慌てするという状況が生まれる。物財や金の移動と違って、人の移動の問題は抽象的な経済理論の次元では解ききれない。必然的に政治経済学の視点が要求される。

  移民問題はとりわけ右派の政治家にとってはあつかいにくい厄介なものである。移民問題を軽率に口にすると憶測が加わり、人種差別主義だとの非難を受けることもある。しかし、それを無視することは、移民問題を憂慮している中核的な選挙支持者を失うことになりかねない。たとえば、イギリスの保守党は2005年の総選挙で、この問題もからんで敗退した。

  今年になって、10月29日デイヴィッド・キャメロン保守党党首は、党首として初めて移民について重要な演説を行った。それには次のようなかなり重要な内容が含まれている。1)政権を獲得すれば、不法移民を退去させる力を持たせた国境警備boarder police forceを創設する。2)将来のEU加盟国からの移民受け入れを制限するだろう。3)EU外からの移民は経済的給付に対するインフラと需要のバランスを測って年間目標を設定する。4)イギリス在住者の非ヨーロッパ地域の配偶者がイギリスで共に住むには、21歳になるまで待たねばならない。加えて、彼は移民は「実質的に少ない数で」と他の政党が明言しないことを述べて、自党の右派に応える発言もしている。

  キャメロン氏が移民という微妙な問題にあえて発言した背景には、かなり周到な配慮があったと思われるが、ひとつには移民に関する統計が錯綜、混沌としており、議論を生んだという偶然の事情もあったようだ。当初イギリス政府が発表した受け入れ移民労働者数(1997年以降)が80万人から110万人へと訂正され、さらに担当統計官の書簡公表で、過去10年間に150万人の外国生まれの労働者が仕事を得たということにまでなった。政府公表の110万人ではなくて、さらに40万人の外国人がイギリスのパスポートを所有している事実が示されたことになる。

  統計をめぐる疑惑はさらに、これまで政府が主張してきた移民は経済成長に寄与しているという発表に疑念を持たせるようになった。教育、医療などの大きな負担が地域は背負っているという反論が生まれた。

  移民の雇用への影響の評価は、さらに混迷している。低賃金の厳しい労働に耐えて働く、教育のある外国人労働者は、彼らを雇用する使用者には利益をもたらしている。しかし、地域の低熟練の国内労働者にとっては、雇用機会を奪う圧力になる。さらに別の統計に基づいて、あるエコノミストは、1997年以降に生まれた仕事のほとんどはイギリス人の雇用につながったという政府見解は誤りだとして、半分以下が国内労働者のものとなったにすぎないことを示した。2005年春以降の2年間、54万人の外国人労働者がイギリスで仕事を得たが、その反面で27万人のイギリス人労働者が仕事を失ったとした。

  このように移民問題は与野党にとって強力な政治的爆薬になりかねないが、各党の政策は大変似たものになっている。たとえば、キャメロン党首が今回提案している将来のEU諸国からの受け入れや配偶者に対する政策は、労働党の政策にも含まれている。さらに労働党も今年初めEUに加盟したブルガリアとルーマニアからの受け入れについての一時的制限は延長するとしている。

  今年初め、政府は国内在住者の配偶者受け入れの最低年齢を16歳から18歳へ、さらに近く21歳までに引き上げるとしている。これに関連して、イギリスの第3勢力、自由民主党は非EU諸国からの移民に対する「ポイント・システム」を最初に提示したのは自分たちだとしている。保守党と同様に、彼らは国境警備隊を提案し、人口変化に対するローカル水準での政策・企画の必要を強調している。

  移民に関して、政党が急に多弁になったのは、2004年以降の移民の増加が漸く公開され、それが政府の予想をはるかに越えるものであったことが一因とみられる*

  イギリスに限らず、移民をめぐる議論は再燃の兆しが見えている。折からデンマークではEU加盟国の間でもっとも厳しい移民規制策をとってきたが、労働力不足が経済成長の制約となり、移民政策が大きな焦点となっている。EU各国は11月13日の選挙結果で、デンマークの移民政策がいかなる方向へ向かうか、注視している。あのフランス全土を震撼させた「郊外暴動」が世界の注目を集めてからまもなく2年を迎える。ここにも静かな緊張が漂っているようだ。こちらも見落とさないよう注目を続けたい。



2004年、EUに加盟した10カ国からのイギリスへの移民労働者は60万人に達したとみられる。これは政府予測の20倍以上だった。しかし、誰も正確な状況は知りえていない。最近改定された数字もふたつの調査に基づくものであり、直接集計されたものではない。

References
"Undercounted and over here" The Economist November 3rd 2007

「移民への扉せめぎ合い:規制厳格デンマーク13日総選挙」『朝日新聞』2007年11月11日

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内なる敵?: アメリカ移民法の行方

2007年11月08日 | 移民の情景

  アメリカ連邦移民法の改正失敗は、さまざまな問題を露呈し始めた。すでにいくつかの変化については、ブログの話題としてきた。ひとつひとつは小さな動きではあるが、今後のアメリカを含め、先進諸国の移民労働者政策の潮流変化の兆しと考えられるので、継続してウオッチを続ける。

  最近のメディアが伝えるアーカンソー州の実態を見てみたい*。今週、同州の食肉加工業など大企業のいくつか、州政府のお歴々、ローカルの組合American Civil Liberties Union などが「アーカンソー・フレンドシップ連合」Arkansas Friendship Coalition なる組織を結成することになった。目的は連邦移民法の欠陥を埋めるために、州がなにをすべきかを協議することにあるという。

  こういう動きが生まれたのは、同州に隣接するオクラホマ、ミズーリーなどの諸州が反移民の色彩が濃い新州法を制定したからである。たとえば、オクラホマの「租税者と市民保護法」Taxpayer and Citizen Protection Act は、本年11月1日から施行されている。この法律はこの種の立法としては、アメリカでは最も厳しいものになる。とりわけ使用者に対する責任を強化し、実質的に入国に必要な書類を保持しない労働者は仕事につけなくすることを狙っている。不法移民は教育、医療などの給付を得ることも難しくなる。

  アーカンソー州でも、反移民のグループは同様な立法を考えるようになっている。同州の北西部には多数のヒスパニック系の住民がいるが、4つの地域の警察が移民法を今までより厳しく、「効率的」に適用することで合意した。 同州民主党のマイク・ビイブ知事は、州兵が不法移民にもっと厳しく対応するよう求めている。

  こうした動きは、批判も強い。アーカンソー州では、移民労働者のほとんどはヒスパニック系だが、州経済に直接・間接、年間29億ドル近くの貢献をしていることを無視しているという指摘もある。アーカンソーは、アメリカで2000ー2005年にヒスパニック系人口が最も増加した州である。州の人口予測について国勢調査局は2010年には3百万近くになり、そのうち6%が移民となると予測している。

  アーカンソー州への移民の中で20-45歳層は60%であり、全国平均の54%を上回っている。この相対的な若さは、同州でベビーブーマーが退職した後を代替する動きが進行していることを示しているともいわれている。ウインスロップ・ロックフェラー基金の推測では、彼ら移民労働者がいないと、アーカンソー州の製造業の年間収入は14億ドル近く減少するとされる。まさに「不法ではあるが、いなくては困る」存在になっている。

  移民(外国人)労働者は、国境を越えて流入してくるという「フロー」の側面にばかり目をとられることなく、すでに国内に滞在している「ストック」の側面にも注目をする必要がある。

  こうした批判を前にして、アーカンソー・フレンドシップ連合は、不法移民に歓迎のためのマットを敷くのが目的ではないという。近隣諸州の対応変化に、自分たちも対応せざるをえないからだとする。地続きの州の難しさではある。手をこまねいていれば、「厄介者」の不法移民は開いている門を目指してくるからだ。しかし、彼らなしには動かない部分も増えてきた。「内なる敵」といかに折り合うか、課題は厳しい。

  アメリカの移民法が新大統領の下で再検討され、立法化されるまでには、早くとも2009年まで待たねばならない。不法移民への風当たりは地域レヴェルではかなり強まっており、反移民的、保護主義が連鎖反応的に拡大する兆しが見える。大統領選に向けて、移民問題が国政レヴェルで政治問題化するのは時間の問題だろう

  同じ問題はこの極東の島国でも不可避的に進行している。末世的な政治の混迷もあるが、日本は外国人労働者問題を正面から取り上げることを意識的に回避してきた。女性と高齢者を「総動員」して労働力不足に対応するという。しかし、労働環境の劣化と「生活の質」の低下は覆いがたい。頼みの綱の「ワーク・ライフ・バランス」も根付くまでにはかなりの時間が必要だ。すでに200万人を越える外国人登録がある。「内なる敵」を味方にする視点が必要なことはいうまでもない。なににつけても「破綻」しないと目が覚めないこの国の姿、いつまで続くのだろう。

 

 

* "Illegal, but useful." The Economist November 3rd 2007.

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ネールはいずこに

2007年11月03日 | ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの書棚

Georges de La Tour et les femmes par Claude Petry. Paris:Flammarion, 1997, pp.127. 

  40点余しか残っていないラ・トゥールの作品だが、見方を変えると意外なことも分かってくる。これまでの人生で、数としてはかなり多くの特別展なるものを見てきたが、その個人的印象では、展示される画家の作品によって観客の男女別分布も異なるように思われる。要するに男性と女性によってごひいきの画家が多少?異なるのではないか。

  このごろは特別展の観客動員数などは時々公表されるようになったが、さすがにその性別までは調査されていない(企画者側は調べているかもしれないが)。ということで、この感想は統計調査に基づいたものではなく、単に印象に過ぎない。観客の性別分布を決める要因は、考えてみるとかなり多くありそうで、展示される画家や作品ばかりでもないようだ。

  こういうわけで、はなはだ頼りない主観的感想にすぎないのだが、このブログで時々話題とする17世紀の画家について例を挙げると、フェルメール、シャンパーニュなどは女性ファンが多いような気がする。これに対して、カラヴァッジョ、レンブラントは男性の方が多いのでは。数年前、ロンドンでゲインズバラの特別展を見た時、週日であるにもかかわらず圧倒的に中高年男性の観客が多いので驚いたこともあった。偶然だったのかもしれないが、それぞれ大変熱心に観ていた。ちなみに、日本人らしき人はほとんど見あたらなかった。

  さて、ラ・トゥールはどうだろうかと思っていた時に、この一冊に出会った。ラ・トゥールが描いた作品に出てくる女性たちの美術史評論である。表題を見た時、少し意外な感じがした。しかし、改めて考えると、この画家が残したわずか40点ばかりの作品には、かなり多くの女性が描かれていることに気づく。それも、ひとりひとりが、かなり個性的、ユニークな容貌で描かれている。

  この書籍は美術関係出版で著名なフラマリオン社のシリーズの一冊である。すでにヴァトー、マネ、ブーシュ、クリムトなどが同じテーマで刊行されている。いずれも女性を美しく描いた画家である。その中でラ・トゥールは際だってユニークに思われる。40点余りにすぎない作品に描かれた女性の範囲が大変幅広いのだ。天使、聖女から農民、召使、修道女、娼婦、占い師、詐欺師など当時の社会のイメージを思い浮かべるに好個な素材になる。その中には画家が好んで描いたマドレーヌも含まれている。

  注目する点の中には、女占い師のような不思議な容貌をした女性も描かれていることだ。以前にも記したが、絵画史の上でも忘れがたい顔である。当時の人ならばきっとその生い立ち、背景などを知っている女性であるに違いない。残念なことに、ラ・トゥールが長らく忘れられていた画家であったこともあって、断片的な情報から推測するしかない。しかし、このミステリアスなところが好奇心、探求心をかきたてる源でもある。



  
    そして、もうひとつの関心。ラ・トゥールはどこかで配偶者であるディアーヌ・ル・ネール*をモデルにしているのではないかという推測である。貴族の娘と結婚したラ・トゥールだが、ネールは当然最も身近にいた女性であり、多くの画家がそうであったように、モデルとして描いた可能性はきわめて高い。

  ラ・トゥールは比較的若い頃に制作したと思われる「キリストとアルビの使徒」シリーズ以外には、レンブラントのように肖像画のジャンルに入る作品をほとんど残していない。当時すでに大変著名な画家であっただけに、パトロンなどの依頼に応じて肖像画を描いた可能性は十分にある。この画家の力量をもってすれば、迫真力のあるイメージで描かれたに違いない。「キリストと12使徒」シリーズを見れば、その点は疑いない。もしかすると、作品があったとしても、戦火の中に失われてしまったのかもしれない。

  レンブラントがサスキヤ、ヘンドリッキェなどを描いたように、明瞭に妻や愛人をモデルとしたという作品がラ・トゥールの場合は、見当たらない。今日、美術史の関連領域は心理学、医学、化学など、かつては予想もしなかった学問にまで広がっている。作品の時代確定や真贋鑑定にX線写像や顔料の化学分析が果たした役割はよく知られている。フェミニズムの観点からのアプローチも行われているほどだ。今後、なにか新しい発見もあるかもしれない。

  「ラ・トゥールと女性たち」の謎解きも、始まったばかりといえる。もしかすると、これがそうではないかとのイメージもないわけではない。さて、ネールはどこかにいるのでしょうか。


 
* ジョルジュ・ド・ラ・トゥールは、Dianne le Nerf (ディアンヌ・ル・ネール)と1617年ヴィック=シュル=セイユで結婚

 

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