時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

人生の一瞬にかけた画家:サージェントの試み

2024年06月28日 | 絵のある部屋


昼間の酷暑が和らいだ夕刻、付近の住宅街を歩いていると、庭に白い百合の花が開花している家を見かけるようになった。百合はヤマユリ、そしてカサブランカの名で知られる外来種が目につく。ブログ筆者の庭の片隅にも植えられているが、連日の炎暑にもかかわらず、未だ開花していない★(文末)

そして筆者の瞼に浮かんでくるのが、《カーネーション、リリー、リリー、ローズ》(1885-1887年)の画題で知られる、サージェントの作品だ。百合と日本との関係も興味深い。



John Singer Sargent's Carnation, Lily, Lily, Rose 1885–6 – Tate Gallery

ジョン・シンガー・サージェント(John Singer Sargent, 1856年 - 1925年)という画家を知る日本人は、美術愛好者でも意外に少ない。本ブログ筆者は、元来17世紀のヨーロッパの画家に強い関心を抱いてきたが、それよりはるかに新しいサージェントについては、いくつかの作品に接して以来、かなりのめり込んで作品を見てきた。その一端は、本ブログにも記したことがある。夕暮れ迫る庭園の片隅で、花々に囲まれながら盆提灯に火を灯す二人の少女の姿が幻想的だ。ジャポニズムの影響も明らかで飽きることがない。

画家は多かれ少なかれ、自らの作品における光の効果に敏感である。例えば、印象派の成立に強く影響を与えた「外光派(バルビゾン派)」の画家ウジェーヌ・ブーダンの影響を受けたモネは屋外の自然風景を描くことを唱えた。

サージェントのこの作品も、その中に含まれるだろう。提灯が生み出す人工の光と、夕闇と共に次第に薄くなってゆく自然の光の混然とした幻想的な光景が描かれている。画家はこの作品の制作に関わったほぼ2年間、夏から秋(8月から10月)にかけての外光 en plein air の効果を考えていた。1年の間でも極めて限られた時間である。

特に筆者が惹かれたのは、この作品に限らずサージェントの極めて丁寧な制作態度であり、それを支える絶妙な光への感覚であった。その代表例は、すでに半世紀以上を遡る1967年、ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツでの展示で見た《カーネーション、リリー、リリー、ローズ》であった。その後、この作品は新装なったテート・ギャラリーが所蔵することになった。この経緯は本ブログでも記したことがある。

鋭い光への感覚
サージェントの作品についての筆者の印象は、光に対する感覚が極めて鋭敏で、それに支えられた制作過程が大変緻密で、丁寧という点にあった。最近の研究成果によると、この作品の制作には想像を超える時間とさまざまな努力が注入されたようだ。制作過程もかなり長く、画家が本作品に傾けたエネルギーは想像を超えるものだった。結局、完成まで2年以上かかってしまった。サージェントは、この作品を自ら「大きな作品」と考え、多大な努力とエネルギーを傾注したのだった。

近年、サージェントへの関心が高まるに伴い、カタログの出版、画家の作品制作の過程を発想から作品完成、評価まで、現存する資料に依拠し再検討する研究が進み、多くの成果をあげている。例えば、カタログ制作にも携わった レベッカ・ヘレン&イレーヌ・キルムレイ Rebecca Hellen and Elaine Kilmurray(April 2016)には、サージェントの屋外での制作画面の写真など興味深い資料も掲載されている。ここでは、それらに準拠し、本作品の簡単なレヴューを試みてみた。ブログ筆者にとっては、最初に作品に接してからすでに半世紀以上が経過している。

作品の発想と制作過程
1885年の夏、サージェントは友人のアメリカ人画家エドウィン・オースティン・アベイとテムズ川のバークシャーの村々を航行中、黄昏迫る農園で二人の女の子が提灯に火を灯している光景を見て、創作意欲を喚起された。そして、友人たちの協力を得て制作への具体的活動に着手した。筆者を含め、多くの人は画家が発想を得てから一気に描き上げるものと思ったようだが、サージェントは、自らの発想を大事にして、友人の力を借りさまざまな試み、準備を行った。

途中、画家の怪我など思わぬ出来事もあったが、サージェントは親切な友人に助けられ、コツワルドに友人ミラーが借りた家で制作を始めた。初めはミラーの娘ルシア、当時5歳を、ひとり描くつもりだったが、間もなく二人を描く構想が生まれ、より複雑な構図になった。友人フレデリック・バーナードの二人の娘、 Dorothy (‘Dolly’) 11歳と Marion (‘Polly’)7歳, をモデルに制作を開始した。制作途中で退屈してしまう少女を引き止めるために、画家はいつもポケットにスイーツを用意していた。


Carnation, Lily, Lily, Rose, Details

サージェントは、作品を黄昏時の外光 en plein airの中での光景として描きたいと考えたが、彼のイメージする時間は、一日で僅か十数分しかないという極めて厳しい条件だった。その時間が経過してしまうと、画家が想定する状況は消滅し、制作は翌日以降に持ち越しになった。画家が感じるこの短い時間は、描かれる少女たちにとっても人生で儚くも美しい時間なのだ。画家はカンヴァスの形状の選択を含め、さまざまな模索を試みた。

作品には、自然の光と人工の光の融合する時間、当時の庭園の植栽状況、花々の含意、「子供たちの世界」が、イギリスの農園を舞台に美しく描かれている。しかし、室内より外の光を基調とする作品の雰囲気は、決定的にフランス風であり、モダンである。


REFERENCES
Rebecca Hellen and Elaine Kilmurray, “One Object: Carnation, Lily, Lily, Rose and the process of painting”, British Art Studies
John Singer Sargent's Carnation, Lily, Lily, Rose 1885–6 – Tate
John Singer Sargent: The Early Portraits; The Complete Paintings: Volume I (The Complete Paintings , Vol 1)
John Singer Sargent: Portraits of the 1890s; Complete Paintings: Volume II (Paul Mellon Centre for Studies in Britis) 
John Singer Sargent: Figures and Landscapes, 1883-1899: The Complete Paintings, Volume V

*中野京子『名画が語る西洋史ー黄昏時の妖精ー』『文藝春秋』2024年7月号

★6月30日に大輪のカサブランカが開花しました。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

猫の世界は謎だらけ

2024年06月13日 | 書棚の片隅から



フィリップ・J・デーヴィス作・マーガリート・ドリアン絵(深町真理子訳)『ケンブリッジの哲学する猫』表紙

我々の日常的生活の中で目につく動物で際立っているのは、犬と猫ではないだろうか。それでは、人間から見て「哲学者」のイメージに最も近いのは? これはちょっと難しい。

犬は長らく人間の良き友とされ、その忠誠さがしばしば話題となってきた。忠犬ハチ公のイメージは典型的といえる。しかし、少し近すぎる感がしないでもない。いつも主人である飼い主のことを考えているように見える。犬独自の時間はあるのだろうか。

それでは猫はどうだろう? 猫も多くの人々にとって、大変近い動物なのだが、なんとなく人間と離れた「猫の領域」を固守しているようなところがないだろうか。時々、どこかへ行ってしまうような行動も見せる。ある距離を置いて、人間を観察?しているのではないか。

ここに取り上げるのは、世界の名門ケンブリッジ大学ペンブルク学寮に住みついた若い雌猫(トマス・グレイと名づけられる)と、人間たちのファンタジックなフィクションである。ブログ筆者の愛読書の一冊だが、それほど頻繁に読んだりするわけではない。度重なる断捨離の荒波にも耐えて、書棚のあまり目立たない片隅に置かれてきた。ちなみに邦訳は名訳者の名が高い深町真理子氏の手になるもので、丁寧で独創的な訳文に感嘆する。

主人公である雌猫(彼女)は、どこからケンブリッジにやってきたのか。別に由緒ある生まれの猫ではない。この大学町の周辺イースト・アングリアに広がる荒涼たる沼沢地(フェン・ランドと呼ばれる)から、縁あって川を伝わって船旅(フェンには浅い川に適した平底船が多い)などをしつつ、ケンブリッジの著名な学寮(カレッジ:発音はコレッジに近い)のひとつ、ペンブルグ・カレッジにたどり着き、階段の下に勝手に住み着くことになった。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
N.B.
フェンという沼沢地は、推察されるように、人間が住むにはあまり適した場所ではない。遠くに灌漑用の風車などが見えたりするが、その他には目立った景観はない。ブログ筆者は、この地の荒涼とした光景が好きで、ケンブリッジに滞在していた間、その中を通る一本道をボロ車を運転しては大聖堂で有名なイーリー(Ely)などへしばしば通った。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ケンブリッジ周辺の略図 本書 p.12

さて、ペンブルグ学寮にたどり着いた名前のなかった猫は、学寮の最高機関であるハイテーブルで、議題とされ、その白と灰色の毛色の縁でトマス・グレイという名前で認知され、学寮の階段下で生まれた5匹(ニャン)の子猫も、めでたく然るべき飼い主に引き取られた。トマスは永住を認められ、出納長の手で養われることになる。

カレッジの正餐用のテーブルで、フロアーが一段高く設定されていることが多い。そこに着席を許されるのは、フェローと言われる限定された人たちに限られる。正餐の時は全員がアカデミック・ガウンの着用が義務付けられている。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
N.B. ペンブルック・カレッジは実在する名門カレッジで、創設は1374年。ケンブリッジで3番目に古い歴史あるカレッジ。

本作品には、次のような仮想の人物が登場する。
学寮長(マスター)、ロード・エフトスーンズ卿、大学全体の副総長を兼ねる。
出納長、文学修士ロダリック・ヘーゼルミア
管理主任ヘッド・ポーター、H・J・スティーヴンズ
25人のフェロー

#ちなみに、ブログ筆者の今は亡き友人となったW.B.は、これも著名な学寮ダーウイン・カレッジのマスターで、大学全体の教学・研究担当副学長であった。経済学部長も務めた。長年の交友の間に普通のヴィジターでは知り得ない興味深い事実を知ることもできた。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

図らずもトマス・グレイと深い親交を結ぶことになったのは、大学で自然科学史を専門とする特別研究員のルーカス・ファイスト博士で、世俗的なものに背を向けた、純粋で心やさしい人物である。詩的素養も深いが、少なからず奇矯な面もある。このふたり(?)を中心に、ファンタジックでユーモラスな物語が展開する。

カレッジの住人たちは、歴史上、妻帯が認められなかったこともあって、長年、外の世界とは一線を画した生活を送っていた。カレッジ内の上下関係は明瞭で、フェローは手紙一通を出すにも、カレッジの外に出る必要はなかったと聞いたことがある。学寮外の世界は、そこに住む俗人に任せておけばよかったのだ。

作者は「猫の世界」に通じていた。猫関連の詩や詩人が作中に散りばめられている。中でも、聖書研究に励んでいた無名の修道士が残した詩(ネズミ捕りに精出すパングル・ボーンという名の猫が出てくる)についての考察など、大変興味深い。

ここに紹介するのは、猫のトマス・グレイとペンブルック・カレッジの教員フェローにして、いくぶん奇矯な性格の持ち主であるルーカス・ファイストの両名の関係である。ふたり(?)の共同研究は知の世界において、双方にすばらしい栄誉をもたらしたが、同時に、結果として、あまたの形而上学的な問題を提起するにいたった。

人間たちは気づいていないのだが、トマス・グレイは独自に学寮内を探索したり、学者たちの会話を聞いたりして思索する猫なのである。学寮内の出来事には、猫の特権?を生かして、どこにでも出入りし、ほとんど全てに通じている。あの有名なフィッツウイリアム博物館も、出入り自由の身なのだ。いつの間にか、カレッジの住人にとって、トマス・グレイは ”絶対不可欠な” sine qua non 存在となっていた。

トマス・グレイは互いに親密感を抱くファイスト博士に大きな知的ヒントを与えることになり、その成果を「共同研究」として発表したり、ユーモラスだが極めて刺激に満ちた世界を作り上げてきた。


読書中の"猫背先生"(p.166)

ユーモアとエスプリに満ちた本書を読み進めると、大きな転機?がやってくる。ある日、トマス・グレイが失踪してしまうのだ。大騒ぎとなり、ケンブリッジ警察まで捜索を依頼するが、問題にもされずあしらわれてしまう(笑)。余談だが、最近ブログ筆者の住む地域では、迷子になった(あるいは逃げてしまった)飼い犬、そして時には飼い猫の失踪で、情報提供を求める広告が入ることがあるようになった。

トマス・グレイが失踪するのも、猫の本性によるものなのだ。それを知らずにここまで過ごしてきた学問の町の住人の行動が滑稽に描かれる。

多少なりとケンブリッジという「蔦とランプという静謐な世界」(p.174)である学者の世界の片鱗をうかがってみると、外の世界の住人には理解し難いことも多々ある。一体彼らが日々やっていることはどんな意味があるのだろう。

長い目で見れば、カレッジ住人の仕事がなにになるだろう? あの有名な警句がここにも記されていた。キングズ・カレッジのジョン・メイナード・ケインズが、『確率論研究』の基本的な概念についての注釈のなかで指摘したように、”長い目で見れば、われわれはみんな死んでいる”のだ(p.175)。

さて、トマス・グレイはどこへ行ってしまったのだろうか。幸い彼女は生きていた。思いがけない場所であった。その場所はブログ筆者にとっても予想外ではあったが、思い出深い地であった。

ご関心のある向きは本書をお読みいただくしかない。


ブログ筆者の感想:かなりハイブラウでエクセントリックな範疇に入る作品だが、多くの学問やそれが生まれる世界は、部外者にはなんの役に立つのか分からないことが多い。その点を理解してページを繰るならば、日常あまり使うことのない脳細胞の活性化に役立つかもしれない。話は下掲の目次のような筋書きで展開する。


フィリップ・J・デーヴィス作・マーガリート・ドリアン絵(深町真理子訳)『ケンブリッジの哲学する猫』(THOMAS GRAY: PHILOSOPHER CAT by PHILIP J. DAVIS, Illustrated by Marguerite  Dorian) 社会思想社、1992年。
ケンブリッジの哲学する猫 (ハヤカワ文庫 NF 275) 文庫 、 2003年4月


目次
登場
1     いかにしてトマス・グレイはケンブリッジに来たりしか
2    いかにしてトマス・グレイはその名を得たりしか
3    ハイテーブルにて
発見
4    ゲダンケンツォー
5    彼女の意味ありげな尾
6    発見
7    数17の平方根
8    ソナタ・アパショナータ
勝利
9    私的な言語
10    ジョージ、ご婦人をもてなす
11      フィッツウイリアムにて
12    デミタス
13    ル・ブランクフォール
14    耳に聞く元老らの喝采をとどろかせ
憂悶
15    失踪
16    ウオーターフェン・セント・ウイローの哲学者たち
17    夕べの祈り
18    貴賤結婚?
決断
19     アーケスデン家にて
20    省察された情熱
21    反芻されぬ学問のかたまり
22    さまざまなシミュレーション
23    ジョージの助力
24       最後の対話
謝辞

追記
偶々、下記の展覧会が開催されているので、ご参考まで:

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする