時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

見通すために振り返る:自分で考える力を養う

2015年12月28日 | 午後のティールーム

 


 いったい、この世の中はどうなってしまうのか。その中で自分はなにをしているのだろうか。答がたやすく出てくることはない。先の見えない不安な時代、「テロと狂気の時代」The Age of Terror(News Week December 22,2015) とも総括された一年が終わろうとしている。

自然災害にとどまらず、むしろそれ以上に大事故につながる経営や管理のずさん、無責任、手抜き工事などによる人災事故、そして究極の事態としての
戦争など、ありとあらゆる災害が世界中で起きてきた。シリアやイスラエル、パレスティナなどでは、クリスマスといえども、砲火が絶えなかった。シリアでは一時休戦の話すらほとんど議論されなかったようだ。3.11以降の長い回復の過程にある日本を含めて、世界の大半が後ずさりをしているような印象を受ける。


数は少なくなったが、今年もクリスマスカード(その多くには家族の出来事、世の中の変化についての感想などが記されている)
を送ってくれる友人たちがいる。しかし、そこに記されている1年の回顧は、政治や政治家の質の劣化への嘆き、さまざまな心配、近い将来への不安などが多くなってきた。とりわけ、子供や孫たちのような若い世代の時代への懸念が表明されていた。

例年、この時期には多少身の回りの整理をしながらも、「進歩とはなにを意味するのか」「幸福とはなにか」、「幸福のはかり方」など、答の出ないテーマを記事に取り上げることが多かった。実際、そうしたことを考えさせる材料が身の回りに見出されたこともある。筆者が長らく愛読してきた数種類の内外の総合雑誌の類も、クリスマス特集などの形で、かなり大きなテーマを取り上げていた。日頃の瑣事から一時離れて来たるべき時代における人間のあり方などにしばし思いを馳せてみようというつもりだったのかもしれない。しかし、今年はどれを眺めても、大テーマは後退し、なんとか形がつけられそうな自信なさげなテーマが目立つ。かなり殺伐としたような話題も挙げられている。継続して購読する意味も薄れてきた。

行方を見失った現代人
そのひとつに、「私はいったいどうしたらいいの」という「身の上(人生)相談」が忙しい時代だという記事があった。1000年以上前ならばギリシャの「デルフィ(デルホイ)の神託」がこうした相談を引き受けていたという話から始まる。神託を伝える者は常に女性(巫女)だった。彼女たちは現代の人生相談と違って、謎めいた言葉で神託を語っていた。依頼者はそうした謎の含意とか、やりとりを自分なりに解釈し。神のお告げがいかなるものであるかを推測しようとした。この神託の類は、宗教や歴史は異なるが、寺社のおみくじ、占いなどの形で、現代へ継承されている部分もある。

今日では身の上相談を引き受ける相談(回答)者(俗にagony aunt と呼ばれる;ODE+OSD) がそれに当たる。男性の場合は、agony uncleと呼ばれる。ちなみに、新聞、雑誌などに掲載されている「身の上相談」欄は、agony columnだ。

こうした人生相談に対応する人たちは、状況に応じて、それぞれの問題に通じたと思われるさまざまな識者や、百戦錬磨な?人生経験が豊富な小説家や心理学者などの専門家、あるいは宗教家などが引き受けてきた。しかし、今の時代、デルフィの巫女のように、理解しがたい謎の言葉で答える訳にも行かない。結果として、世の中の多数派が同意するような平凡な内容の答を、言辞を弄して面白く、あるいはなるほどそうかと思わせるように、回答するようになっている。新聞などのメディアに掲載される人生相談のたぐいは、比較的どこにもある主旨の相談が多く、また回答を読まなくとも平衡感覚のある読者ならこうするだろうという内容が多い。「人生相談」欄が、本来の目的から逸脱して、軽く読み流すような軽いエッセイ欄のようになっていることが多い。時代を通して、大方の悩み事は精神的な領域に関わるものが多かったが、今日のように健康面などを含むようになったのは17世紀頃からのようだ。

近世の魔女のように、依頼者の意に沿わないような答をして、火中に放り込まれるというような危険もない。しかし、agony auntが今日のようなものになるまでには、彼女たちが依頼者の評価を通して実績が問われた。相談内容はことの性格から当事者以外には秘密になっているが、相談を受けた側がその内容を判断して、警察に連絡し、犯人を逮捕するというような仕組みもあったらしい。

頻発する異常現象
少し、次元を拡大してみる。20世紀と比較して、21世紀はどこが異なるか。いくつかの実験的研究から、すでに21世紀に入って未だ4分の1世紀しか経過していないのに、多くの極限的事象(extreme events)が起きていることが知られている。その範囲は、政治、経済、社会、そして非常に稀にしか起きない自然現象などに及んでいる。それらの原因、背景についても、複雑な要因が交錯していることが多いとみられ、推測の内容も大きく揺らぎ複雑化している。事象は単に偶発的に増加しているわけではないようだ。アメリカ、ニューハンプシャー州ハノーヴァーに長年住むスキーヤーの友人からのカードには、今年は異常で、まだ雪が積もっていないと記されている。学生時代から雪のことにくわしい彼の記憶では、きわめて稀なことのようだ。イギリスでは大洪水が発生していることが記されたメールが届いた。

EUにおけるシリアなどからの難民急増の経緯、その過程で勃発したパリ同時多発テロなどの影響を追いかけていると、自分の力の及ばぬ所で起きた出来事(戦争)で、予想もしなかった状態へ追い込まれる人たちの姿が見えてくる。いったい、これからどうなるのか。苦難の道を歩いても、少しでも光の見える所へ到着したいと思う人たちの心情は十分に理解できる。

しかし、「デルフィの神託」の足下が崩れてしまった。現代ギリシャが再生しうるか、今年は正念場だ。事の大小を問わず、人生経験の浅い若い人たちにとっては、先の見えない、苦難の時代が待ち受けている。ご神託に頼れないかぎり、自分を信じ、考え、解決する能力を強化する以外に道はない。そのためには、時にこれまでの歴史の流れを振り返ってみることが、見えない前方を見通すために欠かせないようだ。

新春の神社・仏寺などの初詣に、多くの人が押し寄せることは間違いなさそうだ。 「苦しい時の神頼み」から、解放される日はどうも来そうにない。



 

Reference
'Whatever should I do ?'  The Economist December 19th 2015  

 

 

 

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終わりの始まり(12):EU難民問題の行方

2015年12月19日 | 終わりの始まり:EU難民問題の行方

 

  「今年の人」として、Time などの表紙を飾っているアンゲラ・メルケル首相だが、彼女の存在を際立たせた最大の問題、EUの難民受け入れはきわめて難しい局面を迎えている。EUの加盟国の多くが、難民受け入れを拒み、次々と国境審査の強化などで制限的動きを強めてきた。そのなかにあって、ドイツ連邦共和国は、メルケル首相の人道主義的な観点から、寛大な対応を掲げ、受け入れ数に上限を示すことなく、今日までEUの中心国として指導力を発揮してきた。今年2015年にドイツが受け入れた移民、難民は100万人を越えた。これだけでも特記に値する。

激流のごとき現実
 しかし現実の変化はきわめて早い。事実の推移を客観的に見る必要がある。EU加盟の28カ国が分担して、2年間に、計16万人の難民受け入れ枠を設定、それぞれが割り当て枠分を引き受けるとのプランが9月にEUから示された。しかし、12月17日の段階で受け入れ決定数はわずか232人にすぎない。人口比率では移民・難民の受け入れ率が高く、その人道主義が世界で好感をもって迎えられていたスエーデンも、ついにこれ以上の難民受け入れは不可能であることを表明した。

トルコにシリアなどの難民200万人を収容するためのセンター設置案も頓挫している。トルコの政治状況が一挙に不安定化したためである。その原因は、11月トルコ軍によるロシア軍機の撃墜事件であった。両国間の関係は急速に悪化、12月17日、ロシアのプーチン大統領は、政府レヴェルでトルコのエルドアン大統領とは交渉しないと明言、公式の外交交渉は途絶している。領空侵犯問題の真相は不明だが、エルドアン大統領としては、EUとの交渉を有利に展開している矢先、思いがけない事件で、自らの足下を危うくしてしまったと思っているのではないか。

変化に対応出来ないEU諸国
 全般に、現実の変化に対策が著しく立ち後れている。年末迫る12月17-18日にブリュッセルでEU首脳会議が開催されたが、これまで約束した対策を加速して実行することを強調するにとどまった。移民をめぐる危機が深刻化した9月以来、6回にわたり会議を持ちながら、実効ある対応がほとんどなされていないことに現在のEUの抱える欠陥が露呈している。

国際的には多大な賛辞をもって迎えられたメルケル首相だが、パリの同時多発テロに伴う状況の急転に伴い、ドイツ国内でも批判が強まるようになってきた。連立与党内部でも彼女の危機管理の在り方に強い反対がたかまってきた。彼女はラジオ・ステーションARDなどで、将来を危惧する国民の関心をも考慮して、ドイツにやってくる難民の数を大幅に削減する必要に迫られていると発言するまでになった。残念ながら、メルケル首相のグローバルな観点からの勇気ある受け入れは、EUそして連邦共和国の現在の環境ではそのまま受け入れがたいようだ。

 ドイツ連邦共和国の今年の難民受け入れ数は34万人近くになると推定されている。これでも、加盟国中で最大の受け入れ数ではある。しかし、メルケルの人道主義は、ドイツに災厄をもたらすばかりとの批判まで現れた。ドイツが連邦共和国という体制であることも、各州への割り当ての拒否、地域住民の難民・移民反対などの動きが生まれている。

根付かない多文化主義
 ドイツばかりではない。オランダになど移民1500人を収容する受け入れセンターを設置することにも反対が強まり、暗礁に乗り上げている。反対のほとんどは、センターが設置される地域住民の間から生まれている。「多文化主義」の花が開花するのは特別な土壌が要求され、きわめて厳しい現実があることを知らされる。

EU首脳会議で注目されているのは、以前にも記した「欧州国境・沿岸警備隊」の創設であり、加盟国の国境管理に不備がある場合に、当該国の同意がなくともEUが介入し、対外国境の警備・維持に当たるという考えだ。しかし、これも国境管理という当該国の主権に抵触する部分があり、東欧諸国などが異議を唱えている。新年2017年1月から半年間、EUの議長国は輪番制でオランダが務める。その間になんとか実効性あるEU域外管理の仕組みの導入にこぎつけねばというのが、EUならびに主要国の本音だろう。

 さらに事態を混迷させているのが、英国のEU離脱問題だ。すでにその是非を問う国民投票の実施を公約しているキャメロン首相は、英国がEUに残留する条件として4つの改革を提示している。そのひとつが、近年増加しているEU域内からの英国への移民について、入国から4年間は社会保障給付を行わないという厳しい条件である。

英国はユーロに立脚せず、すでにEUから片足を抜いているような立ち位置にある。さらに人の流れの自由化を拒否することになれば、英国抜きのEUの地盤沈下は避けがたい。新年の前半、EUは英国の去就をめぐり、世界の注目を集めることになるだろう。

極東の島国、日本は,世界の難民の流れの圏外にあるかのごとく、傍観者のごとき立場だが、その壁が崩れる日は迫っている。EUの苦難に充ちた経験はその時、反面教師となりうるだろうか。ある時代を画した体制の終わりが始まっていることは確実だが、次の次元の「始まり」に人類は期待を抱けるだろうか。緊張感をもって新しい年を迎えたい。



 

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終わりの始まり(11):EU難民問題の行方

2015年12月12日 | 終わりの始まり:EU難民問題の行方

 

 

Angela Dorothea Merkel, chancellor


  アンゲラ・メルケル首相が雑誌 TIME の「
今年の人」(Time's Person of the Year)に選ばれた。きわめて妥当な選出だろう。女性としては、1986年以来とのことである。The Economist も表紙にとりあげたことは以前に記した。最近は、しっかりとした信念を持って世界をリードする政治家が少なくなった。世界的に政治家の知的資質が顕著に低下している。メルケル首相の10年間は、一見地味ではあるが、きわめて堅実であった。ドイツ連邦共和国の置かれた位置を正しく理解しての政治対応であったといえる。

彼女はしばしば逆流に抗して、自ら正しいと考えた方針を選択してきた。とりわけ、ヨーロッパを揺るがせたギリシャの国家的な負債危機に際しての断固とした決意、そして、EUに大挙押し寄せた難民の激流に対して、人道主義的見地から寛容な受け入れ姿勢を維持したことが評価された。今年に入ってのロシアのプーチン大統領によるウクライナの(密かな)奪取の動きにも、西側の主導者として対峙してきた。EUの盟主となったドイツだが、メルケル首相の果たした役割は大きかった。メルケル首相の政治思想あるいは哲学がいかなる背景の下に形成されてきたか、筆者は一通りのことしか知らない。いずれさまざまな評価が飛び交うことだろう。

政治家の人生は激動する。今年の9月までは順風に支えられていたかに見えた彼女の政治生活だったが、パリの同時多発テロ以降、激しい逆風にさらされている。ドイツの今年の移民・難民受け入れ数は100万人を越えると推定され、国内からも批判の嵐にさらされている。

難民対策に日夜を忘れていたであろう時に、パリの同時多発テロが発生したことは不運ではあったが、その中でもメルケル首相は、EUに残された選択肢を慎重に選んできた。少なくとも政治的には正しい選択をしてきたと考えられる。トルコをEUの東の域外における緩衝地帯として保持することで、今後のEUへの大量難民の流入をひとまず抑止することができそうだ。地政学的にも、トルコはシリアと国境を接し、それも反政府、クルド、IS(イスラミック・ステート)地域と接している。EUがトルコという緩衝地帯を持つことは、この点でもきわめて大きい。EUは、シリア出身者以外は即時退去を求めることになることになる。現代社会では次の瞬間になにが起きるか分からない。緩衝帯があるとないとでは大きな違いを生む。

 
不安定化したトルコ
 パリの同時多発テロ事件ほど大規模にメディアでは報道されなかったが、トルコ軍によるロシア機撃墜事件で、ロシアとトルコの関係は急速に悪化した。プーチン、エルドアン大統領それぞれが、力で相手を威圧するタイプの政治家なので、こうした事態では双方が激突する。ロシアが先に発動したトルコ製品の禁輸、人的交流の停止などの措置は、当分の間続けられるだろう。簡単に取り下げるわけにはゆくまい。ロシア側もそうした対応が自国にもたらす不利益は予期してのことだ。ひとたび発動したからには、対立は短期には解消しない。

トルコはほとんどの国民が、トルコはヨーロッパ人から成り、西側に属すると思っている。その支柱と頼むのは、EUとNATO(北大西洋条約機構)である。トルコはアメリカが主導する有志連合に加わっており、シリアを本拠とするISISを攻撃している。ロシアは内戦が続くシリアの和平を探る協議で、アサド政権存続を主張しており、この事件をロシア側に有利に使いたいと考えている。トルコはシリアについては、反政府勢力を支持し、アサド大統領の即時退任を求めてきた。他方、経済面ではロシアが輸出する天然ガスの約5分の1をトルコが引き受けている。ロシア側は、一時エルドアン大統領の一族がISISから石油を買っていると揺さぶりをかけたが、エルドアン大統領はそうしたことは政治的生命をかけてありえないと応じ、駆け引きは微妙だ。

EU域外・域内国境の破綻・脆弱化 
しかし、ロシア、トルコ共に今後軍事的領域まで踏み込む可能性は低いと思われる。両国が戦火を交えるようなことになると、中東、東欧は破滅的状況となり、世界は収拾がつかない新たな危機に陥る。とはいっても新たな火薬庫の可能性が生まれたことは否定できない。EUの東の最前線は、一段と不安定になった。しかし、EU移民問題で最重点課題である対域外国境線を堅固にするという方向は、かろうじて維持される。EUはこれもで活動していたFRONTEXという沿岸での対移民・難民対策の機関と併せて、2000人の人員を投入し、問題があればどこへでも出動する統一的な沿岸防備機構の設置に動き出すようだ。これも従来、イタリア、ギリシャなど特定の国にかかっていた負荷を軽減し、同一基準で移民・難民に対応するという意義を持つ。


他方、EU域内のシェンゲン協定地域の人的交流の自由を維持することは、しばらく棚上げになってしまった。中・東欧諸国などのエゴイズムと国力不足で、難民受け入れ能力がなく、分断状態となっている。12月15日に開催予定のEUヨーロッパ委員会では、こうした点の再確認も行われるだろう。シェンゲン協定は1985年に調印され、加盟国間の国境という障壁を除去してゆく上で、重要な役割を負ってきた。今回の出来事で、協定は歪曲され、破綻状態にある。EU域内の人の移動の自由を確保するという意味で、早急な復元が求められるが、その道はきわめて多難となった。

EUを構成する中心的国、ドイツ、フランス、イギリス、イタリアなどで移民・難民の受け入れに反対する勢力が急速に伸長してきた。フランスの国民戦線はその象徴的存在だ。こうした国々では、移民・難民への風当たりは一段と強まる。政治的対立も深刻化する。冬を目前にして、国境で閉め出され、行き場のない難民の状況は、今後もさまざまに問題となろう。現在の状況は、たとえてみればEUの外壁は穴だらけで崩れそうであり、ひとたび域内に入り込むと、その国の事情で城門(国境)の開け方に統一性がない。今回の難民への対応でも、ハンガリー、ポーランド、スエーデンなど、いくつかの国が、EUレヴェルでの協議を前に、独自に国境管理や受け入れ対応を変化させている。さらに城内は、利害が錯綜して全体が保守的になっている。かつてのEUの目指した理想は、薄れて感じられなくなっている。

アメリカ大統領選候補の選出過程でのイスラームをめぐるポピュリズム的議論の影響もあって、EUの難民・移民問題はイスラームという宗教にかかわるきわめて複雑で困難な次元へと移行する。これは、さらに一段と対応の難しい問題を提示する。


続く 




 

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終わりの始まり(10):EU難民問題の行方

2015年12月01日 | 終わりの始まり:EU難民問題の行方

 

 

  11月13日金曜日、パリで起きたIS(イスラミック・ステート)による凄惨な同時多発テロ、そしてその実行犯を追いつめて、郊外サン・ドニでおきた惨劇は、射殺された犯人の数を別にすれば、フランス近世の宗教・政治史に残る聖バルテルミーの虐殺(Massacre de la Saint-Barthélemy、1572年8月24日)を思わせる凄まじさだった。サン・ドニでは犯人の立てこもる狭い空間に5000発の銃弾が注ぎ込まれたという。宗教が関わる争いは、しばしば想像を絶するものとなる。

この一連の惨劇に先立って、ヨーロッパに流れ込んだシリアなどからの難民の流れは、急速に行き場所を失いつつあった。国内事情から受け入れができないとする国あるいはEUから割り当てられる難民の受け入れなどに反対して受け入れを拒否する国などが目立ってきた。難民の受け入れ国が急速に少なくなっている過程で、パリの同時多発テロは発生した。その衝撃はすさまじく、また予想もしなかった問題を引き起こした。まず、事実を客観的に見る必要がある。その流れを追ってみたい。その先にEUそして世界が直面するであろう近未来の輪郭が見えてくる。

強まるメルケル首相への圧力
難民とテロリストを同じ次元で考えてはならないことは、いうまでもないことだ。しかし、現実には、過激派組織ISのメンバーなどが難民に紛れて入り込むことを恐れた国々は、次々と難民の受け入れ停止あるいは国境管理を強化するなどの手段で、国境を事実上閉鎖してしまった。

EUの難民受け入れに主導的役割を果たしてきたメルケル首相への風当たりは国内外できわめて厳しくなっている。しかし、テロが起きたからといって、メルケル首相だけにその後の責任を負わせてはならない。EU諸国はこの問題について共同責任があり、加盟国は力を合わせて対応すべきなのだ。加盟国が増えたEUには、エゴイスティックな主張も目立ってきた。

難民受け入れに上限はないとして人道的観点から寛容な姿勢を崩さなかったメルケル首相だが、隣国フランスにおける一連の惨劇には、口に出さずとも大きな衝撃を感じたことだろう。感情を表に出さないことでも知られる首相だが、公的な面でも次第に寡黙になっている。シリアのIS支配地域への空爆要請についても、側面支援に徹し、慎重な対応を維持している。

難民問題については、前回記した通り、トルコのあり方が当面きわめて重要になっている。トルコはEUの東の域外にあり、すでに200万人を越えるシリア、アフガニスタンなどの難民などを受け入れている。この国が政治的にも安定し、EU域外におけるいわば緩衝地帯として、当面シリアなどの難民のEU側への流出抑止の役割をしてくれることを、メルケル首相そしてEUは期待してきた。とりわけドイツはこれまでトルコ移民の最大の受け入れ国として、政治面でも深い関わりを持つ。

トルコは国政選挙も終わり、形の上では与党が過半数を制し、安定を取り戻したかに見えた。しかし、エルドアン大統領にとって予想外の出来事が、トルコを激震地に変え、EUのみならず、その他の世界にとっても難しい国にしてしまった。

東部戦線異状あり
10月24日、トルコ陸軍が、ロシアのスホイ24爆撃機を自国の領空侵犯を理由に撃墜するという事件が起きた。ロシアのプーチン大統領はこれに激怒し、トルコのエルドアン大統領との関係は一挙に険悪なものに変化してしまった。10月にはエジプト発のロシア航空機がISを名乗るものの手で撃墜されたばかりだ。New York Timesなどのメディアが伝えるところでは、ロシア機はシリアのISの制圧のため、シリア国内を飛行中であった。他方、トルコ側によると、ロシア機には領空侵犯の警告を10回したが応じないため撃墜したという。その空域とは距離にしてわずか2マイルほどシリア側に指のように突出した微妙な地域である。撃墜されたロシア機はシリア国内に墜落した。ロシア、トルコが示している当該機の航路は異なっている。 状況からしてロシアとしても当然言い分があろう。真相が明らかにされない段階で、プーチン大統領は、トルコに対する一連の経済措置を発表し、両国間の人と貿易の流れを厳しく制限する動きに出た。(11月28日時点)。ロシアはトルコが明確に撃墜の謝罪をするまで、これらの措置を継続する方針と伝えられる。エルドアン大統領は、この不幸な事件が起きなければよかったのだがと、述べたといわれるが、両者ともに力を誇示したい性格で、譲歩は容易ではない。シリアのアサド政権への考えも一致していない(両者の仲介ができる人といえば、ロシア語が話せ、両国の事情に通じたあの人かもしれない)。

EUの東側最前線は一気に緊張感が強まった。撃墜事件ばかりでなく、トルコは人口の1割近くを占めるといわれる自国のないクルド人との間で、民族間対立が激化し、国内の社会情勢も不安定化している。トルコは長い間、東と西の間にあって安定的な緩衝地帯の役割を果たしてきた。しかし、世俗化してはいるがトルコを含めて中東は、そこに住む人々の思いとは裏腹に荒涼とした風土に変化している。自国の政治体制の弱点を自力回復できない弱みに、外国がつけ込み、覇権争いの場と化している。テロリストも凶暴化する。ISのようなしたたかな過激派組織が空爆で壊滅するとは到底考えがたい。実際、さらなるテロ攻撃が予告されている。

他方、この間、急務となっている難民問題については、トルコは現在国内に滞留している難民、さらにEU諸国に受け入れられずに戻ってくる難民を受け入れる反面、国内に居留するシリアなどの難民のため、30億ユーロ(約3900億円)の財政支援をEUから受けることになった。さらに、トルコが期待するEU加盟計画の交渉再開、自国民のEUへのヴィザなし旅行の迅速化などの成果を得て、EUとの交渉力を回復した面もある。

閉ざされる国境の先に見えるもの
近未来を見通す水晶珠は曇っていて、見えがたい。しかし、あえて目をこらすと、見えてくるものもある。グローバリゼーションとは裏腹に、国境はしたたかに復活し、障壁となっている。テロリズムが雑草のごとく自国内(移民先の国)
生き残るように、国境に象徴される制度もひとたび形成されると、容易には元に戻らない。概観だけを試みれば、次のようだ。

ひとつは20世紀のアメリカのように、一国で世界の覇権を掌中にするような国は無くなっている。アメリカの国力は明らかに劣化しており、次期大統領選の候補者の資質にも露呈している。アメリカ自体がいまだに包括的移民政策が実現しえないでいる。メキシコとの国境はさらに障壁が高まる可能性が高い。

EUは「バルカン化」が強まり、分裂の可能性も高まった。進行途上の加盟国の国境管理の強化は、「シェンゲン協定」を事実上破綻させ、域内での人の移動の自由を目指すEUの理想から逆行している。再びあるべき道に戻るとしても、長い道のりとなろう。そして、その結果はユンケルEU委員長が危惧するように、ユーロの地位低下、消滅につながりかねない。イギリスのように、EU離脱が近づいている国もあり、共同体としてのEUを結びつける靱帯は切れかけている。

世界のその他の地域の状況はさらに厳しいといえよう。アジア、南米、アフリカなどの諸国も、従来の大国との靱帯が脆くなっている点が目立ち、その再編は容易ではない。

数十万の移民・難民が雪空の下を落ち着き場所を求めてさまよう光景は、17世紀のジプシー(ロマ)のキャラヴァンのそれと重なってくる。(10月には20万人を越える
人たちが寒風の中、トルコを経由して海を渡り、EU側のギリシャの島々などに避難し、さらに行き先を求めている)。21世紀は最初に世界史上、「危機の時代」と認識された、17世紀に似た危うさがいたるところに潜む「危機の時代」となりつつある。 



続く 

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