いったい、この世の中はどうなってしまうのか。その中で自分はなにをしているのだろうか。答がたやすく出てくることはない。先の見えない不安な時代、「テロと狂気の時代」The Age of Terror(News Week December 22,2015) とも総括された一年が終わろうとしている。
自然災害にとどまらず、むしろそれ以上に大事故につながる経営や管理のずさん、無責任、手抜き工事などによる人災事故、そして究極の事態としての戦争など、ありとあらゆる災害が世界中で起きてきた。シリアやイスラエル、パレスティナなどでは、クリスマスといえども、砲火が絶えなかった。シリアでは一時休戦の話すらほとんど議論されなかったようだ。3.11以降の長い回復の過程にある日本を含めて、世界の大半が後ずさりをしているような印象を受ける。
数は少なくなったが、今年もクリスマスカード(その多くには家族の出来事、世の中の変化についての感想などが記されている)を送ってくれる友人たちがいる。しかし、そこに記されている1年の回顧は、政治や政治家の質の劣化への嘆き、さまざまな心配、近い将来への不安などが多くなってきた。とりわけ、子供や孫たちのような若い世代の時代への懸念が表明されていた。
例年、この時期には多少身の回りの整理をしながらも、「進歩とはなにを意味するのか」「幸福とはなにか」、「幸福のはかり方」など、答の出ないテーマを記事に取り上げることが多かった。実際、そうしたことを考えさせる材料が身の回りに見出されたこともある。筆者が長らく愛読してきた数種類の内外の総合雑誌の類も、クリスマス特集などの形で、かなり大きなテーマを取り上げていた。日頃の瑣事から一時離れて来たるべき時代における人間のあり方などにしばし思いを馳せてみようというつもりだったのかもしれない。しかし、今年はどれを眺めても、大テーマは後退し、なんとか形がつけられそうな自信なさげなテーマが目立つ。かなり殺伐としたような話題も挙げられている。継続して購読する意味も薄れてきた。
行方を見失った現代人
そのひとつに、「私はいったいどうしたらいいの」*という「身の上(人生)相談」が忙しい時代だという記事があった。1000年以上前ならばギリシャの「デルフィ(デルホイ)の神託」がこうした相談を引き受けていたという話から始まる。神託を伝える者は常に女性(巫女)だった。彼女たちは現代の人生相談と違って、謎めいた言葉で神託を語っていた。依頼者はそうした謎の含意とか、やりとりを自分なりに解釈し。神のお告げがいかなるものであるかを推測しようとした。この神託の類は、宗教や歴史は異なるが、寺社のおみくじ、占いなどの形で、現代へ継承されている部分もある。
今日では身の上相談を引き受ける相談(回答)者(俗にagony aunt と呼ばれる;ODE+OSD) がそれに当たる。男性の場合は、agony uncleと呼ばれる。ちなみに、新聞、雑誌などに掲載されている「身の上相談」欄は、agony columnだ。
こうした人生相談に対応する人たちは、状況に応じて、それぞれの問題に通じたと思われるさまざまな識者や、百戦錬磨な?人生経験が豊富な小説家や心理学者などの専門家、あるいは宗教家などが引き受けてきた。しかし、今の時代、デルフィの巫女のように、理解しがたい謎の言葉で答える訳にも行かない。結果として、世の中の多数派が同意するような平凡な内容の答を、言辞を弄して面白く、あるいはなるほどそうかと思わせるように、回答するようになっている。新聞などのメディアに掲載される人生相談のたぐいは、比較的どこにもある主旨の相談が多く、また回答を読まなくとも平衡感覚のある読者ならこうするだろうという内容が多い。「人生相談」欄が、本来の目的から逸脱して、軽く読み流すような軽いエッセイ欄のようになっていることが多い。時代を通して、大方の悩み事は精神的な領域に関わるものが多かったが、今日のように健康面などを含むようになったのは17世紀頃からのようだ。
近世の魔女のように、依頼者の意に沿わないような答をして、火中に放り込まれるというような危険もない。しかし、agony auntが今日のようなものになるまでには、彼女たちが依頼者の評価を通して実績が問われた。相談内容はことの性格から当事者以外には秘密になっているが、相談を受けた側がその内容を判断して、警察に連絡し、犯人を逮捕するというような仕組みもあったらしい。
頻発する異常現象
少し、次元を拡大してみる。20世紀と比較して、21世紀はどこが異なるか。いくつかの実験的研究から、すでに21世紀に入って未だ4分の1世紀しか経過していないのに、多くの極限的事象(extreme events)が起きていることが知られている。その範囲は、政治、経済、社会、そして非常に稀にしか起きない自然現象などに及んでいる。それらの原因、背景についても、複雑な要因が交錯していることが多いとみられ、推測の内容も大きく揺らぎ複雑化している。事象は単に偶発的に増加しているわけではないようだ。アメリカ、ニューハンプシャー州ハノーヴァーに長年住むスキーヤーの友人からのカードには、今年は異常で、まだ雪が積もっていないと記されている。学生時代から雪のことにくわしい彼の記憶では、きわめて稀なことのようだ。イギリスでは大洪水が発生していることが記されたメールが届いた。
EUにおけるシリアなどからの難民急増の経緯、その過程で勃発したパリ同時多発テロなどの影響を追いかけていると、自分の力の及ばぬ所で起きた出来事(戦争)で、予想もしなかった状態へ追い込まれる人たちの姿が見えてくる。いったい、これからどうなるのか。苦難の道を歩いても、少しでも光の見える所へ到着したいと思う人たちの心情は十分に理解できる。
しかし、「デルフィの神託」の足下が崩れてしまった。現代ギリシャが再生しうるか、今年は正念場だ。事の大小を問わず、人生経験の浅い若い人たちにとっては、先の見えない、苦難の時代が待ち受けている。ご神託に頼れないかぎり、自分を信じ、考え、解決する能力を強化する以外に道はない。そのためには、時にこれまでの歴史の流れを振り返ってみることが、見えない前方を見通すために欠かせないようだ。
新春の神社・仏寺などの初詣に、多くの人が押し寄せることは間違いなさそうだ。 「苦しい時の神頼み」から、解放される日はどうも来そうにない。
Reference
'Whatever should I do ?' The Economist December 19th 2015