時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

かラヴァジェスキの真髄:もうひとりのカラヴァッジョ

2017年05月27日 | 絵のある部屋

Cecco del Caravaggio, The Resurection, detail

前回掲示「復活」の部分
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  前回紹介したセッコ・カラヴァッジョの「復活」 resurrectionについてもう少し記しておこう。繰り返しになるが、名前は似ていても、あの17世紀ヨーロッパ画壇に一大旋風を巻き起こしたカラヴァッジオ、本名ミケランジェロ・メリージ Caravaggio, Michelamgelo Merisi da とは別の画家だ。しかし、両者は短い期間だが、師弟のような間柄にあった可能性もある。

セッコ・デル・カラヴァッジョについては、カラヴァッジョ(メリシ・ダ)のことをかなり知っている美術史家でも、気づくことが少ない画家である。二人の間にどの関係があったのか、ほとんど不明である。しかし、ある時期、多分1606年頃、二人は共にローマを離れ、ナポリへ行き、セッコはその後再びローマへ戻ったと推定されている。しかし、その画家としての生涯はほとんど何も明らかにされていない。

今に残る「復活」の大作、縦3メートルを上回るその大きさ、縦型の極めて斬新な構図、綿密に考えられたデザイン、細部まで克明に描かれたリアリズム、一見して圧倒的な迫力である。カラヴァジェスキの面目躍如だ。キリスト教徒であろうと否と、カラヴァッッジョを好きであろうとなかろうと、この作品が与える衝撃は大きい。一目見て、優れた力量の持ち主であることが伝わってくる。

画家としての人生も作品も、あらゆる点で破格、凶暴、狂乱、情熱など、激動の人生を駆け抜け、芸術家でもあったが犯罪者でもあったカラヴァッジョ(メリシ・ダ)だが、その追随者であるカラヴァジェスキは、総じてそれぞれ画家としてその軌道から大きく逸脱する人生を送ることはなかった。しかし、彼(女)らの画業がそれぞれいかなるものであったかは、必ずしも判然としない画家も多い。国際カラヴァジェスキ運動の研究成果などが、これまで知られなかった多くの新事実を明らかにしたが、多くは依然として歴史の闇の中に埋もれている。

セッコ・デル・カラヴァッジョにしても、作品は数点が確認されているが、その画家人生については、ほとんど不明のままである。名前も同じカラヴァッジョだが、二人の家族的あるいは地縁的関係なども不明である。

今日まで継承されている作品の中では、前回紹介した「復活」Resurrection だけが突出した注目作品だ。この作品、一見しただけでその劇場的とも言える迫力に息を呑む。描かれた人物の配置の妙、細部に及ぶ精密な配慮、リアリズムは、カラヴァジェスキの面目躍如だ。カラヴァッジョの画風についての好き嫌いは別として、17世紀美術の傑作に入ると思う。

「復活」の全体
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この作品、「キリストの復活」というキリスト教史上の重要な事跡が題材だ。「マタイによる福音書28」(新共同訳)に記された次の下りに基づいている:

 さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリアともう一人のマリアが、墓を見に行った。すると、大きな地震が起こった。主の天使が天から降って近寄り、石をわきへ転がしに、その上に座ったのである。その姿は稲妻のように輝き、衣は雪のように白かった。番兵たちは、恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。天使は婦人たちに言った。「恐れることはない。十字架につけられたイエスを探しているのだろうか、あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なされたのだ。さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい。・・・・・」(「マタイによる福音書28-10)。

この作品に描かれた人物は、総計8人、画面上部に復活したキリストが墓と思われる中から立ち上がり、左手にはバナーを持っている。そして、羽根のある天使。純白の羽根と衣装が見る人の視線を集める。天使の顔は通常よく描かれる可愛い幼子あるいは若い娘ではない。凛々しい、男性とも女性とも言えない強い意思を秘めた顔立ちで、左指で天を指している。そして、恐れおののく兵士だろうか、5人の男がそれぞれに描かれている(内、一人は注意しないと分からない)。そして画面最下段には、隊長だろうか。他の兵隊たちよリも立派な甲冑の胴着を身につけた男が眠っているのか、気を失っているのか不明なままに横たわっている。

上体部分を覆う甲冑、白い革製の着衣、靴にいたるまで克明に描かれている。そして右下に置かれたランタンは、カラヴァッジョ(メリシ)の「キリストの捕縛」を思わせる。カラバッジョ自身、この主題で製作したと伝えられているが、今は滅失して見ることができない。

この作品には、極めて興味ふかい点が多々あるのだが、ブログとしては深入りすぎる。改めて、この「ほとんど知られていない傑作」(Fried, 2016,pp.109-133)を見てみると、カラヴァッジョ(メリシ・ダ)のような鮮烈、熱情のおもむくままに描かれた作品と比較して、十分な検討の上に制作された、画題にふさわしい傑作である。

 

 

After Caravaggio, by Michael Fried, New Heaven and London: Yale University Press, 2016

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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After Caravaggio or Beyond:忘れられた画家

2017年05月22日 | 絵のある部屋

 

セスコ・デル・カラバッジョ「復活」1619-20、
油彩、カンヴァス、339 x 199.5 cm,
シカゴ美術館 

Francesco Boneri (or Buoneri), known as Cecco del Caravaggio, The Resurection, 1619-20. Oil on canvas, 339x 199.5cm. Art institute of Chicago, Charles H. nd Mary F.S. Worcester Collection, I934.390.

 

 昨年2016年から今年にかけて、リアリスティックで衝撃的な画風で知られる17世紀イタリアの画家カラヴァッジョ及びその画風の追随者(カラヴァジェスキ)をテーマとした企画展がアメリカ、イギリスなどで、いくつか開催された。これまで、これらの国々では、カラヴァッジョあるいはカラヴァジェスキの作品の国内での所蔵が比較的少ないこともあって、イタリアあるいはオランダなどと比較して、その受け取り方にこれまで多少温度差を感じるところがあった。

この点にはついては日本の事情と類似するところもある。カラヴァッジョを含め、同じジャンルの画家たちの真作を体系化した形で鑑賞・評価し、その全体像を理解することは、他国美術館との共催での大規模巡回企画展などが開催されないかぎり、ある限界があった。作品の移動なども困難が多い。カラヴァッジョの名前は、日本でもかなり知られるようになったが、印象派の画家たちなどと比較して、その浸透度は未だかなり低い。

 こうした点を念頭においた上で、近時点で、アメリカ(ニューヨーク)、イギリス(ロンドン、ダブリン、エディンバラ)、フランス(パリ)などで開催された巡回企画展に合わせて刊行されたカタログ、研究書などを見ると、そのタイトル、内容に微妙な差異があることを感じる。前回に続き、筆者の手元にある幾つかの下記関連出版物のタイトル、開催地のなどを見て見よう。

Beyond Caravaggio:
an exhibition at the National Gallery, London, October 12, 2016-January 15, 2017; the National Gallery of Ireland, Dublin, February 11-May 14, 2017; and the Scottish National Gallery, Edingburgh, June 17-September 24, 2017
Catalog of the exhibition by Letizia Treves and others, London: National Gallery 

Valentin de Boulogne: Beyond Caravaggio
an exhbition at the Metropolitan Museum of Art, New York City, October 7, 2016-January 22, 2017; and the Musee du Louvre, Paris, Februey 20 - May 22, 2017

After Caravaggio, by Michael Fried, New Heaven and London: Yale University Press, 2016

Beyond and After
これらの刊行物を見て感じたことは、Beyond あるいは After という一つの前置詞に、微妙な意味が含められていることだった。一般に、beyond あるいは after には、時間との関連では「[時間]・・・・の後に」という意味があるが、どちらかといえば after が使われるようだ。

Beyond には、単にあるものを時間軸の上で経過しただけでなく、そのものを超えた向こう側にあるという含意が込められている。それに対して、After の場合は、「あるものの後に」という意味に加えて、そのものに倣って、あるいは(忠実に)沿って、という意味が付帯しているようだ。

再評価される画家たち
こうしたことを念頭に置いて、ロンドンのナショナル・ギャラリーの Beyond Caravaggioを読んで見ると、カラヴァッジョのイギリスにおけるこれまでの受容の回顧、評価の妥当性、逸失した機会の指摘などに続いて、ブオネリ、グラマティtカ、マンフレディ、セロディーネ、バグリオーネ、バルトロメオ・マンフレディ、オラジオ・ジェンティレスキ、ガリ、ボルジアーニ、サラセーニ、レニ、ゲリエーリ、アルティミシア、ジェンティレスキ、マネッティ、カラシオーロ、リミナルディ、リベラ、カラブレーゼ、バビュレン、レグニエ、ブーローニュ、トルニエ、ホントホルスト、ストム、ヴリエット、コスター、ジョルジュ・ド・ラ・トゥールにいたるカラヴァジェスキと見なされる画家の作品が紹介されている。カラヴァジェスキの画家をかなり見てきた筆者にも、あまりなじみのない画家も含まれている。これらは、「国際カラヴァッジョ運動」International Caravaggio Movement として知られるカラヴァッジョとカラヴァジェスキの活動と成果にかかわる国際的な研究の産物である。

ヴァランタン・ド・ブーローニュのように、別途類似のタイトルで企画展が開催されてもいる。この場合は、カラヴァジェスティとしての評価が早くから確立されている画家である。カラヴァッジョが生存、活動していた時代の後に、その作品などを通してカラヴァッジョの作風を継承してきた画家たち、カラヴァジェスキというグループに誰が含まれるかについては、後世の美術史家などによって見解が異なり、完全に一致しているわけではない。当該画家の置かれた環境、作品の特徴、美術史家、鑑定者、画商などの評価など、様々な要因で区分がなされるが、異論も少なくない。

ほとんど忘れられていたカラヴァジェスキ画家
さらに、時には今までほとんど忘れられていた画家や作品が再発見されて脚光を浴びることもある。その代表例がここに紹介するフランセスコ・ボネリ(あるいはブオネリ)、通称セッコ・デル・カラヴァッジョの名で知られる画家のほとんど唯一真作とされている作品である(上掲)。

After Caravaggio by Michael Fried, 2016 では、さらに限定されたトピックスで「ほとんど知られざる傑作:セッコ・デル・カラヴァッジョのキリストの復活」、画家のほとんど唯一確認されている作品である。来歴を見て見ると、1619年当時トスカナからローマへの外交官として赴任していたPiero Guicciardiniの注文でフローレンスにあった家族の教会 Santa. Felicitaのために制作されたが、1620年完成したものの依頼者の好みに合わず、まもなく別人の手に渡り、転々として、こんにちはシカゴの美術館に展示されている。この画家については、ほとんど何も分かっていないが、1606年にカラヴァッジョとともにローマへ移り、ナポリへ行った後、しばらくそこに住んだのではないかと推測されている。その後、ローマへ戻ったのではないかと思われるが、記録は何も残っていない。この名前の付された画家の作品は他にもあり、筆者もオックスフォードのアシュモリアン美術館で「フルート奏者」なる作品を見たことはあるが、この画家と同一人物であるとは気づかなかった。

「キリストの復活」を描いたこの作品、なんとも壮大な構想を背景とした大作であることに加えて、極めてダイナミックに描かれている。素晴らしい劇場性を備えている。しかも極めてリアリスティックである。カラヴァッジョに近い画家であったことが伝わってくる。いずれ、改めて細部を検討してみたい。

続く

 

 

 


 



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スマホが変えた社会:書籍がなくなる日?

2017年05月12日 | 午後のティールーム

スマホの普及でパソコンを使えない人が増えているとの議論があるようだ。客観的な調査を見たわけではないので、なんとも言えない。さらに、パソコンが使えないのではなく、ワードやエクセルなどのソフトを使えないのが問題だとの議論もあるらしい。インターネットが使えないので、世の中の話がわからないと聞かされたこともある。パソコンやインターネットなど、関心もないし、キーボードなどに触れたこともないという人にはしばしば出会う。概して高齢者が多い。「キーボード・アレルギー」も多いようだ。

タイプライターの時代から
 幸い筆者は半世紀以上、キーボードに付き合ってきたので、最近の新機種もなんとか使っている。振り返ると、最初はタイプライターとの出会いから始まった。当時パソコン(personal computer)は商品化されていなかった。タイプライターも電動ではなく、機械式だった。アメリカの大学院に入学するため、応募書類、論文など、タイプライターでの印字が必要だった。友人のアメリカ人から中古のタイプライター、「レミントン」を譲ってもらったが、一本指では到底長い文章を作ることなどできない。その後アメリカ人でも時々一本指打法?でかなり早く打ち込める人にも出会った。機関銃のよう?と形容された英文タイピストの仕事ぶりを見て、いずれキーボードとの勝負になると思い、当時千駄ヶ谷駅前にあった「津田スクール・オブ・ビジネス」のタイピスト科?に申し込み、夏休みに1ヶ月くらい特訓?を受けた。当時、タイピストという職業は秘書などを目指す女性がほとんどで、20人くらいのクラスで男性はただ一人だった。居心地悪く、途中でやめてしまったので、今でも、かなり自己流だ。英語はともかく、ドイツ語、フランス語の文章を打ち込むことは一苦労する。

 渡米した後は、論文作成などで、タイプライターにはいつも対面していた。しかし、機械式で行変えなども全て手動でバーを操作した。PCと違い、打鍵すなわち印刷であり、内蔵メモリーがないので、打ち間違えると、修正液などを使ったり、訂正に大変苦労した。そのうち、電動タイプライターが売り出され、スミス・コロナという機種に乗り換えた。しかし、これもメモリーのない機械だった。行替えなどが多少楽になった程度だった。

 

パーソナル・コンピューターの登場
 そして、ついにパーソナル・コンピューター(PC)の時代がやってくる。これなしで仕事はできないと思い、中古車が買えるくらいしたPCを買い込んだ。当初は国産のPCを使っていたがワープロなども開発途上で「松」、「一太郎」などの名がついた日本語用ソフトが流行していた。

その後、投資した額を考えると恐ろしくなるくらい、ガジェットに類するものまで含めて様々な機種と付き合った。その中で最も愛着が残るのは当時の先端であったマッキントッシュSE/30という機種である。今の若い人たちは見たこともないだろう。この機種との出会いについては、ブログに記したこともある。

現在も、ウインドウズ、Mac の双方となんとかつきあっている。しかし、最近は目も弱くなり、タイプ・ミス、変換ミスが多くなった。やめ時なのだ。一国の大統領までが、ツイートなどの安易な手段で人格を疑うような粗暴な応対をするようなひどい時代になっている。

冒頭のテーマに戻るが、若い世代と一緒にすごしてきて近年かなり気になるのは、本を読まなくなったなあと思うことだ。読書人口は激減した。かつてよく見られた電車内で本を読んでいる人も少なくなった。ご贔屓だった大書店も次々と撤退し、駅前書店まで少なくなった。駅名に大学の名を掲げた町でも、まともな本屋がない。仕方なく、インターネット上で購入した本が、全く見当違いの内容でがっかりしたことも多い。書籍は実物を手に取らないと分からないと思うのだが、将来はどうなるのだろう。小さな画面で、無機質な活字の本を読む時代には生きたくない。

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「貧乏な白人」は救われるか:トランプ大統領選出の明暗(7)

2017年05月03日 | 特別トピックス

アパラチア山麓の炭鉱から出てくる炭鉱労働者
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トランプ大統領就任100日に達した段階での政策評価がメディアで取り上げられている。客観的に見れば、ほとんど見るべき成果はなく、暗礁に乗り上げた感じだ。ただ、選挙戦の過程から主たる支持層であった中西部の白人貧困層の間では文字通り圧倒的な支持を維持し続けている。彼らは「プアーホワイト」poor whiteと呼ばれてアメリカ社会で長らく忘れられた存在だった。このブログでも最近では1 月22日に取り上げた。

NHKBS1(4月21日)で、白人貧困層をテーマとした番組を放映していたが、「ヒルビリーズ」(アパラチアン山麓の極貧層)から身を起こした若者をテーマとした番組はいささか安易な作りだった。アメリカで制作されたいわば既製品を日本語化し、少し手を加えた程度の内容だった。べストセラーとなった作品のあらすじ紹介のような印象だった。番組は、主人公ヴァンスがどこかの大学で自著の背景となった生い立ちについて講演したビデオを、ほとんどそのまま流した内容であり、かなり雑な構成で、一般の視聴者には問題の本質が伝わらない

オハイオ州南部鉄鋼業の町ミドルタウンに生まれたJ.D.ヴァンス という若者が、地域の産業が崩壊し、地域社会、家庭に大きな絶望感が支配する環境から努力してオハイオ州立大学、海兵隊、そして名門イエール大学・ロースクールへ進学し、弁護士となり、さらに自ら1T企業の起業化も果たし、衰退地域の再生に尽くすまでになったという成功談である。

しかし、ヴァンス氏が極貧きわまりない荒れた家庭、地域環境の中から必死に努力を重ね、高等教育を受け、再生に尽力している「ラスト・ベルト」(錆びた帯状の地域)と言われる地帯は、実際に訪れてみると、国際競争力を失った鉄鋼、石炭業など、一瞬息を飲むほどの惨状だ。

著者ヴァンスが生れ育ったのは、アパラチア山脈山麓のほとんど忘れられたような極貧の地域である。その後、半世紀を越える長い時間、この地の労働者とその家族が置かれた実情は、アメリカ人の間でもほとんど理解されてこなかった。トランプ大統領といえども、言葉を弄ぶだけで、問題の核心と解決のための政策はほとんど準備していないように見える。彼の生い立ちも、極貧層とはまったく反対の極に近い社会階層でもある。ましてや一般の日本の視聴者には、問題状況の全容を理解することはほとんど不可能だろう。

実際、こうした極貧地域で全く競争力を失い、廃墟のごとくなっている産業を再生させ、「貧困のわな」に落ち込んでしまっている労働者に雇用の機会を提供することはは、極めて至難なことだ。トランプ大統領が考えていることは、貿易や労働力(移民受入)を制限し、障壁を高めることで、いわば「温室経済」を実現し、なんとか雇用機会を創造しようと漠然と考えているのだろう。しかし、実際に「ラスト・ベルト」地帯を訪れてみると、製鉄所などの設備なども著しく老朽化し、地域全域が 廃墟のような工場群を目にすることになる。

筆者は半世紀近く、アメリカの産業移転の実態を見てきたが、「絶望」の文字がそのまま当てはまるような実態を目前にすれば、「再生」「創造」を構想することがいかに困難であるかを思い知らされる。筆者の産業・労働調査は、最初アメリカの大学院生時代に南部の繊維工業から始まったが、その後、石炭、鉄鋼業を含む金属産業、自動車産業などの実地調査へ広がった。

今回はその中で印象に残る石炭産業の実態を少し記してみよう。1960年代、世界的にエネルギー革命の嵐が吹き荒れた。安い重油に押され石炭鉱山は日本ばかりか世界の多くの地域で閉山に追い込いこまれていた。日本と比較して、はるかに恵まれていたアメリカの炭鉱業も、閉山への道をひた走っていた。アパラチアン山脈付近に多数存在していた炭鉱町は、かつて日本でも九州や北海道によく見られた炭住街が立ち並び、地域の炭鉱以外に生きるすべのない炭鉱夫とその家族たちが、まさに文字通りどん底の生活を送っていた。アパラチア山麓などでは地域再生の芽はほとんど何もなく、人々は極貧の生活に沈むか、どこか他の地へと移っていった。アメリカの歴史ですっかり忘却されたような地域なのだ。

重要産業としての石炭業の衰退を憂慮したアメリカ政府は1979年大統領令12062で、アパラチア山脈から西部にかけて17州55鉱山の実態調査を実施した。アメリカでは産業や労働者の実態が深刻化する度に、こうした調査を行い、関係者、国民の関心を喚起してきた。ブログでも何回か取り上げたルイス・ハインの記録写真もその先駆ともいうべき役割を果たした。石炭業については、1922年に最初の調査が行われた。

手元にある1980年刊行の報告書は、ルイス・ハインの伝統を継承するかのように、写真集のごとき内容だ。写真はモノクロだが石炭労働者とその生活環境を伝えるに、見る人に文字よりもはるかに強く訴えてくる。被写体にはアパラチア山脈の鉱山町や炭鉱労働者の住宅環境、家庭の生活などが多数含まれていて強い迫力がある。それまでのほぼ30年に及ぶ変化をカヴァーしようとした調査だ。


アパラチア山麓の炭鉱町の光景

石炭産業報告書の表紙

The American Coal Miner, A Report on Community and Living Conditions in the Cpalfields, The President's Commission on Coal, Chaired by John Dockfeller IV, Washington:  1980.

NHKは続いて4月29日、「ラスト・ベルト」の白人貧困層をテーマとした番組を放映したが、これも平板な作りだった。アパラチア山麓から「ラスト・ベルト」に至る産業と労働者層の全体的構図が提示されていないので、アメリカの産業の現状に詳しくない人には、わかり難い。さらに、「貧困な白人層」を背景に当選したトランプ大統領に地域再生の具体的政策があるとはとても考えられない。

J.D.ヴァンスの物語は、強い意志と驚嘆すべき努力を尽くした一人の若者の成功談であるだけに、全米の注目を集め、賛辞の的になった。確かに驚くべき努力の人である。しかし、こうした個人的成功を収められる人は極めて例外的だ。地域再生にはこうした個人の努力が必要なことは言うまでもないが、多くの人々を救う教育機会、それを支える社会基盤などの枠組みが決定的に欠如している。停
滞と貧困が支配する地域の再生には、並並ならぬ努力が要求されており、とりわけ自立の努力をする人々を支援する「社会資本」の充実・整備が欠かせない。

筆者もNHK番組が取り上げたインディアナ州ゲイリー製鉄所や全米鉄鋼労働組合支部を訪れたが、政策が体系的に構想・整備され、強力な社会資本の充実を伴う長期的視点に立った膨大な努力がない限り、こうした地域や産業の再生は見込めない。かつては、強大な交渉力を誇った労働組合も、今では組合員や地域の雇用を守ることも十分にできない。組織原理や運動のあり方が、大きく変化している産業社会に対応できなくなっている。トランプを支持層の多くを占める白人貧困層は、概して鉱業、鉄鋼、自動車などの製造業に従事してきた労働者が多く、熟練の程度も低く、ITなどの新産業への転換は極めて困難だ。

トランプ政権には視野が広く、産業、労働、教育などの分野に通じた政策スタッフが極端に欠けているようだ。かつてない激動の時代への布石が全くできていない。

政治的混迷で先が見えなくなったアメリカの前方に待ち受けるのは、社会の一層の分断化、両極化であり、アメリカの覇権の終焉だろう。


石炭を積んだ長い貨車の列。この先に出口はあるだろうか。

 

 

 

 

 

 

  




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