時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

壁の向こう側を見通す力

2014年06月30日 | 移民の情景

 


アメリカ・メキシコ国境は国境パトロール体制が
強化され、両国を隔てる物理的障壁は年々
高くなっている。 





  サッカー、ワールドカップも、日本はほとんど見せ場をつくることなく敗退してしまい、この国には脱力感のような空気が漂っている。一次リーグ敗退が決まった日、全国紙の一面はまるでスポーツ新聞と変わらず、戦争にでも敗れたような大きな文字が躍っていた。ワールドカップは、あたかもサッカー場を舞台にしての参加国間の代理戦争のような光景と見られないことはない。世界の政治・経済などの場では、存在感が薄い国や小国も、ここで大国に勝って日頃の憂さを晴らす。敗退した国は次第に熱が引き、冷静さ?を取り戻す。一時期大きな問題であったフーリガンがどこかへ消えてしまって、まずまず安全で熱狂的な応援の舞台がつくり出されている。


 サッカーのスポーツとしてのおもしろさのひとつは、それぞれのティームが動く壁、一時固定された壁(プレース・キック)など、さまざまな壁を介在して、自陣を守りながら、相手の壁を抜けるという点にある。短い時間ではあるが、虚々実々の駆け引きが展開される。

閑話休題
 最近、アメリカ・メキシコ国境をめぐる移民事情の変化をウオッチしていて驚いたことがある。なんと国境地帯を子供たちだけで、くぐり抜けようとする動きが激増し大問題になっているとのこと。ABC(6月29日)が特別ニュースとして報道していた。事態を重く見たオバマ大統領が緊急事態として迅速な対応を命じた。しばらく前までこれらの年少者、子供たちは大人たちに引率され、砂漠などの危険地帯をくぐり抜け、アメリカへ入り込もうとしていた。しかし様相が急激に変わりつつあるようだ。

 今、メキシコ側からのアメリカへの不法入国(査証、旅券など必要書類不携帯)者が最も集中しているのは、テキサス州に接する部分が多いリオ・グランデ河流域だ。不法入国者が選択する地域はその時の政策環境で変化してきた。


アメリカ・メキシコ国境の変貌
 テキサス州リオ・グランデ河を挟んだよく見られる光景。アメリカ側は必要と考える地域には人工の障壁も設置し、電子探知装置、無人機などかなり強固な監視体制を準備している。しかし、時々パトロールが巡回する程度で、表向きは国境ガードのような人影も見えず、平和な風景が展開する。他方、メキシコ側も、一見穏やかな自然の風景の中で、日々の生活を楽しんでいるかに見えるが、入国を志す者は、それなりの準備をして虎視たんたんと監視の隙をねらい国境を越える。国境のパトロールが見ると、服装、準備などから、直ちに怪しいと分かるらしい。

 このリオ・グランデ渓谷は最近再び大きな関心が寄せられる地帯になっている。およそ2000マイル(3200km)の距離にわたり、不法入国を企てる者と彼らの侵入を防ぎたい国境パトロールがせめぎ合う熱い場所になっている。


急増する子供の越境者
 最近、大きな注目を集めているのは両親などの付き添いもなく、兄弟などの未成年者、あるいは子供だけで国境線を渡ろうとする者が増えていることだ。今年のアメリカ会計年度(10月1日から翌年9月30日まで)に国境で拘束された保護者のいない子供たちの数はおよそ52000人に達した。増加し始めたのは2011会計年からで15700人だった。 こうした子供の入国者はアメリカに隣接するメキシコではなく、ホンデュラス、グアテマラ、エル・サルヴァドールなどの中米諸国から北上してアメリカに入り込もうとするようだ。たとえば、今年度に国境で拘束された者の中で15000人はホンデュラスを国籍としていた。アメリカ・メキシコ国境に到達する前に、メキシコの南部国境で拘束され、本国送還される者も多いという。これら中米3カ国からの出国者は子供を含めて、2010年代以降、急増している。いずれの国も治安状態が悪化し、ギャングが横行している。そして、子供や親を脅し、金品を奪ったり、自らの仲間に組み入れる。

 脅威におびえた親や子供は、多額の金をコヨーテ(人身売買の斡旋業者)に支払い、子供をアメリカなどへ避難させる。最初の頃は、親など成人の保護者が子供と共に、中米からメキシコへ入り、さらにリオ・グランデなどの国境地帯を目指した。しかし、最近、大きな問題となっているのは子供たちだけでこの怖ろしい試みをすることだ。彼らの多くは両親や親族などがアメリカにいる。そこまでなんとか子供だけでたどり着こうという無謀な行動だ。子供たちはメキシコやアメリカに入国するに必要な正式の入国関係書類を一切保持していない。さらに、アメリカにいる親族なども多くは、不法滞在者である。こうした子供たちの数はいまや推定で6万人から8万人、来年は13万人になるとの予想もある。コヨーテに支払われる金額にもよるが、子供たちの多くはアメリカ・メキシコ国境近くで、放り出されてしまう。ひたすら北の方を目指すしか生きる道はない。
 
 子供たちの年齢は低い者でわずかに4歳、シャツにアメリカの身よりの連絡先が縫い付けられているだけだ。こうした子供たちが多数、不法に越境してくるということは、メキシコあるいはアメリカの国境パトロールにとっても予期しない出来事のようだ。短期間に急激に増加したこともあって、国境で拘束された子供たちを収容する設備は整備されておらず、不潔で悲惨な状態にある。なにもない土間のような部屋に多数の子供たちが詰め込まれているような状況らしい。想像するに恐ろしい光景のようだ。オバマ大統領は「緊急な人道的対応が必要だ」と述べた。

 中米諸国からの未成年者の密入国者の急増の背景は、これらの国々の政治・経済的不安定にある。かれらが本国を逃げ出すのは、誘拐、人身売買などを行うギャングの横行、家庭の崩壊による家庭内暴力が主たる原因のようだ。さらに、親たちは、アメリカに居住している家族、親族などを頼りに、夢を子に託して、子供や孫をアメリカに送る。

 中米諸国の惨状が背景:作られたうわさ
 こうした予想しなかった事態の背景には、最近中米諸国の治安が極度に悪化し、殺人などの比率も急増していることが指摘されている。麻薬をめぐる争いもすさまじい。

 そうした中で、アメリカのオバマ大統領が、子供さらに幼い子供を育てている母親については、国境管理を緩めて入国を認めるとの方針転換を発表したとの虚偽の噂が各地に伝わったことが、急増の理由の一つに挙げられている。これだけインターネットが発達し、TVなどのメディアも普及しているにもかかわらず、それすら利用できず、情報の真偽の確認もできないという事態が拡大していることに注意を向けるべきだろう。実際、アメリカ国境で拘束された子供や親たちの多くが、アメリカへ行けば入国が認められると思っていたと回答している。


 入国を企て拘束された者は、国境で入国許可 "permiso" (permit) が交付されると思い込んでいたらしいが、これは両親など明確な親族がアメリカに生活している場合で、ほとんどすべての未成年者は事情聴取の上、本国へ送還される。うわさが生み出す恐ろしさは、これにとどまらない。中には、アメリカは戦争に備えて、若者を入国させているとのうわさまで広がっているという。さらに、フェイスブックなどの映像が見られるインターネット上のメディアの発達で、アメリカに住む知人などが、物質的な豊かさの断片などを映像で知らせ、それに誘われてアメリカ行きを目指すという悲劇も伝えられている。

 ホワイトハウスは、6月にバイデン副大統領を中米に派遣し、アメリカは今日いかなる国境「開放」政策をも採用していないことを説明させた。


ねつ造される根拠ないうわさ 
 しかし、このような根もないうわさを流布させ、信じ込ませてしまうような背景も指摘できる。国境で人身売買をビジネスとしているコヨーテといわれるブローカーは、うわさをねつ造し、移住希望者(多くは不法入国者)を誘う。

 2013年会計年にアメリカは37万人というかつてないような多くのアメリカ在住の不法滞在者を、本国送還した。しかし、アメリカ国内には、依然として推定1170万人といわれる不法滞在者がほとんど減ることなく存在している。これらの不法滞在者を確定し、本国送還する手続きがいかに困難であるかについては、このブログで再三、記したことがある。


 このたび問題化した未成年者、子供の本国送還についても多くの問題が付随する。安易に送還し、悪辣な人身売買業者などの手にわたらないよう配慮しなければならない。さらに、アメリカの法律では、国境パトロールは子供たちを72時間を越えて拘留できないことになっている。送還あるいは特別の事情で滞在許可が下りる前に、裁判官の事情聴取を受けることが義務づけられている。この分野の専門判事はひとり当たり5千人分の案件を抱えているといわれ、事態はきわめて厳しい。オバマ大統領は裁判官の増員を約したが、それほど容易なことではない。

 いずれ本国送還される子供たちはしばらくはアメリカにいる親戚、知人あるいは地域の慈善施設などに頼って、生活し、担当判事の結論を待つことになる。

遠ざかる解決への道
 
現実がこのように厳しい状況にあるにもかかわらず、移民問題解決の糸口は依然としてない。包括的移民政策の実現はいつになるか不透明になった。とりわけ共和党のかたくなな対応が妥協を困難にしている。ホワイトハウスは中米諸国への援助強化、国境移民管理に当たる裁判官を増加するとしているが、効果が出るとしても遠い先のことだろう。オバマ大統領自身、包括的移民改革の推進について当選当時のような熱意をまったく失ったようだ。


 こうして未成年者、子供の不法入国者が増加する傍ら、入国に必要な書類を保持せずに不法入国を企てる者の数は2000年度の1600万人から、2013年には415,000人まで減少した。その背景にはアメリカの経済がはかばかしくないこと、それに対してメキシコの経済が好調であることが反映しているとされる。そして、国境管理体制自体がかつてと比較して厳しさを増したことが大きな要因としてあげられる。そして、いまや貧困の中心はメキシコから中米へと移動しつつある。

 隣国メキシコからの流入が減少していることについては、別の理由もある。2008年頃の調査では、メキシコからの不法入国者の多くはなんとかアメリカへ入り込み、仕事にありついて貯金を蓄え、時々はメキシコの故郷へ親や親戚に会うために帰国していた。そして、再びアメリカへ戻る適当な手段を活用し、アメリカで生活していた。しかし、国境管理が厳しくなった今日では、国境の壁がアメリカで働く家族とメキシコなど中米に住む家族の間を、お互いが容易には会うことができないように隔離し、遠ざけている。そのため、故郷の両親はアメリカに働きに行っている息子や娘の子供を、なんとかアメリカへ送り届けようとしているようだ。

生死をかけた旅の先には

 オバマ政権が包括的移民改革の実施に大きく手間取っている間に、現実もかなり変わってしまった。国境の体制が硬直的になっているため、当初考えられた農業、建設労働者などを弾力的に両国間を行き来させるという弾力的な運用プランは、実現が難しくなってきた。国内労働者はこうした分野では、働きたがらない。十分な労働力が南にあると思っていた政府、農業関係者は乏しくなってきた供給源に不安を隠せない。

 こうした変化の中で、不法入国を志す者がまったく減少するわけではない。きわめて厳しい経済状況に置かれている中米諸国の人たちは、自分の息子や娘がアメリカで働いているならば、預かっている彼らの子供たちを国境が完全に閉鎖される前に、なんとかアメリカへ届けたいと思っている。しかし、その道はさらに遠くなっている。

 

 

 References

 ABC News June 30, 2014.

”Under-age and on the move” The  Economist June 28th 2014.

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ワールドカップの後に来るもの: 次の世代のために

2014年06月20日 | 書棚の片隅から

 

国立西洋美術館は、ル・コルビュジエ氏(1887-1965、スイス生まれ、フランスの建築家・画家)の設計で1959年に建設された。2011年6月パリ(フランス)で開催された第35回世界遺産委員会において「登録延期」となったが、推薦書を再提出することによって登録の可能性が残っている。6月21日、富岡製糸場は世界文化遺産に決定。

 

危機の前の陶酔?
 世界はサッカー・ワールドカップに湧いているが、
実はワールド・カップの後の世界が大変気になっている。このブログでは何度か記しているが、世界経済の見通し、来たるべき世界の姿がどうなるかという問題だ。ワールドカップのニュースに隠れているが、イラク戦争はフセイン時代に逆戻りしたような様相を呈している。ウクライナ問題もこのブログで懸念したように、ウクライナを経由する天然ガス・パイプラインが大きな駆け引きの手段になってしまった。早急な解決の目途はなく、EUの前線はきわめて緊張度が高くなっている。東アジアの対立も緩和の見込みはない。一触即発の可能性が高い、かなり危うい地域となっている。この小さなブログでも、そのいくつかの問題を取り上げてきた。たとえば、長期的な人口爆発に関連する諸課題である。世界を脅かす危機が近づいているといっても過言ではない。さらに、相互に関連しながらも別のきわめて重要な根本的問題がある。

 昨年来、経済学の世界で大きな話題を呼んでいる一冊の書籍がある。フランスの経済学者Thomas Piketty, Capital in the Twenty-First Century 『21世紀の資本論』というタイトルも壮大だし、英語版でもページ数も600ページを越える大著である。著者トマ・ピケティはパリ経済学院の教授である。昨年夏、フランス語の研修の途上、書評欄で出会い、早速購入し読み始めたが、三分の一くらいで息切れがしてきた。幸い、今年初めに英語版が出版されたので、そちらに切りj替えて読んでいるが、大変な力作である(ちなみにフランス語版は900ページ近く、英語版はその全訳だが、ページ数もかなり少なくなる)。日本語版はかなり時間がかかるようだ。関心のある方には仏英版をお勧めする。かなりの大冊なのだが、論旨は明快、18世紀以来の膨大な長期統計の裏付けもあって、説得力もある。仏英版共に、経済学の知識がなくとも十分理解できるほど、説明が巧みで分かりやすく、多くのことを考えさせられる。Amazon.comの売り上げ総合一位にランクされたりしているのだが、日本では一部の新聞が短く紹介しただけで、専門家でも知らない人が多い。

 タイトルからみると、マルクス経済学者かと思いがちだが、まったくそうではない。主題は18世紀以来のヨーロッパとアメリカにおける富と所得の不平等を扱っている。日本のデータも部分的ながら使われている。本書の基軸は、資本利益率が経済成長率を上回るかぎり、富の集中が起きることを立証したことにある。そして長期的視野から、富の集中と経済的不安定が今後も存続することを予想している。ワールドカップ、オリンピックなどスポーツ・メディアがつくり出すつかの間のユーフォリア(陶酔感)に浸っている間に、世界の底辺部では、世界の平穏を、そして次の世代の運命を根源から揺るがしかねない変化が進行している。

資本主義に内在する格差拡大への動機
 
本書が強調するのは、経済的不平等が歴史的な偶然ではなく、資本主義が内在する明白な特徴ともいうべき点である。それだけに、必然的なものではなく、国家の介入次第では改善しうる可能性が残されてはいる。しかし、すでに多方面で指摘されている通り、世界の格差の問題は、いまや次世代の存在を危うくせしめるほどの危機的内容を含んで進行している。ほとんどの人たちは、自らが関わる目前の仕事に従事し、世界の広い範囲で進行している重大な変化やその意味することを考えることをしていないか、先延ばししているのだ。ウオール・ストリートの反乱など、時折噴出するマグマによって、足下で進行している重大な変化の存在に気づかされているにすぎない。

 この小さなブログでこうした大著の全面的な紹介や分析を行うことはできない。せいぜい問題の所在を指摘して、注意を促すくらいだ。しかし、次世代の人たちはこうした提示に真摯に立ち向かうべきだろう。その責任があるというべきだろう。世の中には安易に資本主義の終焉や改革のあり方を内容とする書物が溢れているが、そのほとんどはピケティが鋭く提示する事実への対応姿勢という点では、ほとんど的外れか蟷螂の斧(はかない抵抗のたとえ)に近い。たとえば、資本主義の崩壊の後に残る世界があるとすれば、いかなる姿なのか。

 もちろん、ピケティの作品を読んでいると、多くの問題点を感じる。しかし、大変抑えどころが良い。これらのいくつかについては、時に応じて議論にとりあげてみたいと思っている。格差問題というのは、必ずしも資本主義という制度に限定されるわけではないが、資本主義が引き起こしてきた格差問題には固有の特徴が指摘できる。

 ピケティはヨーロッパや日本など
では経済の低成長(g)に対応して、資本(r)の利益率が高くなっていると指摘する。ここで資本(r)には利潤、配当、利子、時代、その他の資本からの報酬が含まれる。他方、成長(g)は所得か産出物で測定される。そして成長率において、r>gという形で、所得の格差、富の不平等が均衡を失して、急激に拡大、継続すると推論されている。

 ピケティの大きな功績は、他の経済学者の協力を得て、ほぼ200年間にわたる経済格差の推移を推計したことにある。そして、世界の富の偏在はますます拡大し、不平等は歴史上、19世紀の水準に達するか、それを上回る結果になるとされる。

つかの間のベル・エポック?
 
アメリカはヨーロッパに比較すると新しい資本主義国だが、そこでは不平等はヨーロッパ以上に拡大する可能性もある。信頼できる統計の利用可能性の関係で中国や新興国における不平等については、触れられていないが、これらの国々においても急激な不平等の発生と拡大は、すでにさまざまに伝えられている。ピケティが指摘するように、不平等の拡大傾向は、必ずしも時系列的に一直線に進行してきたものではなく、1930年から1975年のように、世界大戦期(二つの大戦、大恐慌を含む)、傾向線から離反した時期もある。しかし、その他の時期で富の不平等が反転、縮小する要因、傾向は見出されず、さらに拡大すると推定される。現在の欧米は最後のベル・エポック(belle époque、良き時代、特にフランスで文化、芸術の栄えた19世紀末から20世紀初頭を指す)にあるとピケティは言う。さらに、世界は「世襲財産的資本主義」 "patrimonial capitalism" ともいうべき、富裕な家族などによって、同じ家族の次世代に引き継がれた財産の比率が高く、その富によって動かされる社会に戻りつつあるともいう。そのほか、本書には多くの考えるべき問題点が多数記されている。

 ピケティは世界の先進国の成長率が今後1-2%で推移するならば、資本/所得比率は増加を続けると考えられ、富の格差はさらに拡大し、世界経済において重大な問題を引き起こす。これまで、世界は「公正」という課題をなんとかかわして今日までやってきた。しかし、すでに多くの国で問題化しているように、もはや避けて通ることはできず、真剣に対決しなければならなくなる。

 これまでの論理で明らかなごとく、ピケッティの提示する問題へのほとんど唯一の対応は、富裕税(資本への累進課税)、それもグローバルな次元での課税である。ブログ管理人は幸い見ることのない世界だから、ここで議論を拡大するつもりはないが、緻密で壮大な歴史分析に比して、政策面での実現可能性という点では、大きな疑問を感じてしまう。現在の世界の多極化の中で、発展段階の異なる国々の政策をいかにして整序してゆくのか。地球温暖化への対応ひとつを見ても、それがいかに困難な課題であるかが分かる。しかし、格差がこれ以上大きな問題となり、保護主義やナショナリズムがさらに拡大した時に気づいても手遅れだろう。若い世代(たとえば50歳代以下)の方々は避けては通れない問題であり、どうしても考えていただきたい、かなり切迫した課題である。



 

References

Thomas Pikety, Le Capital au XXIe siecle, Editions du Seuil, 2013, pp.696

English edition, Capital in the Twenty-First Century, Translated by arthur Goldhammer, Harvard University Press, 2014




★やや遅きに失した感がありますが、NHKも取り上げるようです。
NHK グローバルWISDOM
BS1 2014年7月26日(土)午後10時ー11時49分

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夏の日のテラス:花と海を眺めて

2014年06月09日 | 書棚の片隅から

 

クロード・モネ『サンタドレスのテラス』

Claude Monet(Paris, 1840-Giverny, 1926)

Garden at Sainte-Adrresse、Oil on Canvas, 98.1 x 129.9cm
1867
New York, The Metropolitan Museum of Art
Source:http://jenl.pagesperso-orange.fr/frame.html

 

  6月に入ったばかりというのに、真夏のような暑さの日が続いて、この夏は厳しいかとおもったが、梅雨入りして、少し気温は下がったようだ。呼吸器が強くない管理人は、冬よりは夏の方が好きだ。汗をかくことで、新陳代謝が促され、夏の方が過ごしやすい。それでも、この蒸し暑さには異常さを感じる。子供の頃も暑かったけれど、真夏は7-8月頃であり、5月や6月ではなかった気がする。

暑気忘れの読書
 この数年、いつとはなく、ある暑さ対策を始めた。酷暑の日であっても、気軽に手にとれ、読み始めたらしばし暑さなど忘れて、ページを繰っているような書籍を近くに積んでおく。これはいつの間にか習慣のようにになってしまった。海外に滞在していた時は、夏休みのお勧め本のようなリストが、書店などから多数送られてきたが、大体読みたい本は含まれていないので、自分で選び積み上げておく。多くは大きな書店へ出かけた時に選んでおく。最近の例では、ブログに記した「HHhH」などはその一冊だ。このところ、フランス語のレッスンの関係で、フランスものが多くなっている。

 その中の一冊を取り上げてしてみたい。ブノワ・デュトゥルトル(西永良成訳)『フランス紀行』(早川書房、2014年)なる小説だ。実は、この作品、フランス語版の刊行時に書店で見ているのだが、今日まで手にとって読むことはしなかった。この小説に気づいたのは、平積みにされていた書籍の表紙(クロード・モネの作品)に惹かれたことにある。最近の書籍の場合、表紙と内容が必ずしも直接的な関係がないことも多いのだが、これはもしかすると面白いかもしれないと直感した。



ガリマール社文庫版表紙



印象派好きの日本人
 
 日本人は印象派の絵画が好きな人が多いが、
印象派の巨匠のひとりクロード・モネについては、フランス人以上にファンがいるのではないかとさえ思う。オルセー美術館、オランジェリー美術館、マルモッタン・モネ美術館、シカゴ美術館など、モネの作品がある所には、必ず日本人がいるといってもよい。とりわけ、あの睡蓮が描かれた作品は多くの日本人を惹きつけてやまない。

 モネの真作が何点あるのか数えたことはないので知らないが、おびただしい数になる。世界中に分散しており、日本にもかなりの点数が所蔵されている。モネの作品の大多数はフランスにあると思い込んでおられるとしたら、大きな思い違いだ。そのこともあって、モネ好きを自称される方でも、
フランス以外の美術館に所蔵されているモネの作品をご存じない場合も多い。

 この小説の表紙になっている作品も、モネの手になるものであることを知る人は案外少ない。作品がアメリカにあることも影響しているかもしれない。モネの初期の代表的作品『サンタドレスのテラス』である。ひと目見るだけで、心が開かれるような風景だ。輝くような日の光に照らされて、足下には美しい花々が咲き乱れ、さらに前方の視界には美しい青色の海が飛び込んでくる。爽やかな海の風が感じられるほどだ。実際にはこの日の空は曇天であることを気づかせないほど、光が満ちている。画面をよく見ると、はるか地平線の彼方にはセーヌ川左岸河口に位置するオンフルール Honfleur と思われる町が望まれる。今はル・アーブルとノルマンディー橋で結ばれている。

家族のための作品 
 
作品の色彩がモネ独特の印象主義的なものというよりは、きわめて現実に近い鮮やかな色彩である。モネは自らのこの作品を『旗の翻る中国画』と呼んでいたらしい。たまたま、前回のブログに掲載した浮世絵「横浜名所之内渡せん場」の光景にもフランス国旗と日の丸が描かれていることに気づいた。画面は花の溢れる庭園、海、そして空と水平にほぼ3分割されており、モネは制作当時、かなり冒険的な構図と言っていたようだ。多彩な色、画面を縦に切るような旗、そして水平線上の多くの舟のマスト、煙を上げる煙突など、細部にもこだわりが感じられる。

 
この作品は、フランス、ノルマンディ地方のル・アーヴルに近い港町サンタドレスに住むモネの父親アドルフ(白いパナマ帽を被っている)と伯母ソフィー・ルカドルの一家の人々を描いたとみられる。椅子に座っているのは、モネの父親アドルフとルカドルの他の従姉妹ソフィー(白い日傘で顔は見えない)、海辺に近い垣根の近くに立っているのは、モネの従姉妹ジャンヌ=マルグリット・ルカドルと彼女の父親アドルフと推定されている。

 特にモネをごひいきにしているわけではないのだが、この絵画作品については、最初アメリカでお披露目があった時の印象が強く、好きな作品である。たまたまニューヨークに滞在していた1967年に、メトロポリタン美術館が美術館友の会の募金と基金で購入した。またフランス絵画のアメリカ流出と、当時かなり話題となった。画面の両側にフランス国旗とサン・タドレスの旗だろうか(カタログなどにも説明はない)が翻っている。モネの作品としては、初期の珍しいもので、フランス美術関係者としては大変残念に思ったのだろう。

「パリのアメリカ人」新ヴァージョン?
 モネの作品についての前置きが長くなってしまったが、このブノワ・デュトゥルトルの『フランス紀行』は、フランスに憧れるニューヨークに暮らすアメリカ人青年デイヴィッドが、「俗悪な」アメリカを離れ、「洗練された」フランスへ旅行する話だ。印象派の絵画を好み、ドビュッシーを聴き、パリに憧れる。すでに出来上がっている「パリのアメリカ人」の現代版ともいえる。この手の話はイギリス人から見たフランス版「パリのイギリス人」も生まれており(たとえばStephen Clarkeのシリーズもの)、テーマとしては、それ自体とりたてて目新しさはない。双方共に、ユーモアと社会風刺に充ちている。

 いまやインターネットが発達し、フランスでマクドナルドのハンバーガーが若者の間に定着している時代だけに、それよりテンポが遅れているアメリカ人青年の行動、考えが笑いを誘う。ちなみに本書は2001年に刊行され、フランスでは著名なメディシス賞を受賞している。作者のブノワ・デュトゥルトル自身は、それまでに多数の作品を世に送っているフランス文壇で地位を確保している作家である。原著の出版と翻訳の間には、少し年月の経過があるので、その後フランスのグローバル化(アメリカ化)は急速に進んだこともあって、今読むとその間のギャップも面白い。

 ただ、ブノワ・デュトゥルトルの方は、より文学的でアメリカからやってきたフランスかぶれの青年に、中年のフランス男の「私」を対峙させてのかつての旧大陸と新大陸の関係を、巧みに今に再現させている。

 アメリカとフランスの双方について、ある程度知識のある読者には、テーマとともに、細部の記述に工夫がこらされていて、大変興味深く、暑さしのぎにはお勧めの一冊と思う。 





ブノワ・デュトゥルトル(西永良成訳)『フランス紀行』早川書房、2014年
Benoit Duteurtre Le voyage en France (Éditions Gallimard, 2001)

   

 

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富岡→横浜→フランス→世界

2014年06月04日 | 特別トピックス



横浜浮世絵
横浜名所之内 

渡せん場
一港斉永林 明治5年(1872年)
神奈川県立歴史博物館蔵
(博物館ショップ絵はがき) 



 酷暑の1日、かねて気にかけていた展覧会を見に横浜まで出かけた。神奈川県立博物館で開催中の『繭と鋼:神奈川とフランスの交流史』と題した特別展(6月22日まで開催)である。今月はブログにも記した富岡製糸場の世界文化遺産指定が、決まるといわれている。今から150年ほど前、日本とフランスの間に国交を開かれて以来、生糸貿易を初めとして、多くの交易や文化交流が両国の間に展開した。


 とりわけ生糸、絹製品の貿易は明治初期、両国の交流において、きわめて重要な意味を持った。この流れの中で、多くの人がそれと気づかぬうちに、富岡製糸場と横浜は、富岡に技術を伝授したフランスを介在して、世界につながる太い糸となっていた。その実態の一端を今日に残る史料などを通して、実感してみたいと思ったことが、横浜へ出向いた理由であった。結果は期待をはるかに上回る素晴らしいものであった。その展示内容は感動的であり、日本人ならば富岡製糸場と併せて、是非見るべきものと思った。富岡の人気の急速な拡大にもかかわらず、こちらの展示は訪れる人が少なく、落ち着いた静かな環境で、十分時間をかけて見ることができた。

 大変多くのことを学ぶことができた展示であった。富岡製糸場の場合もそうであったが、「百聞は一見にしかず」である。このブログで紹介したことのあるティモシー・ブルックの『フェルメールの帽子』の日本版といってもよいかもしれない。富岡製糸場に代表される日本の養蚕、製糸の道は、横浜、そしてフランスを経由して世界につながっていた。

 そのひとつ、富岡製糸場の生糸の束に付された商標に、大きな感動を覚えた。そこには、立派な製糸場の写真に「大日本上墅國富岡製絲所」FILATURE DE TOMIOKA, PROVINCE DE KOTSUKE, JAPONと誇らしげに記されている。印刷は大蔵省印刷局である。この事業に全力そして青春を投じた人々の意気込みが伝わってくる。

 富岡製糸場の商標ばかりでなく、当時の日本の生糸貿易に関わった企業のさまざまな商標や記念物を見られるのが、この特別展の見どころのひとつでもある。そこにはいたるところに「大日本」、「愛國」の文字が記され、まさに発展をとげようとする在りし日のこの国の姿を偲ぶことができる。貧しくとも真摯に働く日本人がそこにあった。この国では自分の能力を生かす場がなく、台湾やヴェトナムなどにその場を求める今日の技術者とはまったく違った世界であった。

 この特別展は単に絹産業の貿易にとどまらず、横須賀製鉄所、造船所、さらに当時の日本や日本人のさまざまな姿を今に残す多くの写真や史料が展示されていて、きわめて興味深い。1872(明治5)年1月1日、横須賀造船所の開所式に行幸した明治天皇をオーストリアの写真家が密かに撮影した写真(直ちに発禁処分になり、外交問題になりかけた)まで含まれている。
 
 よく知られているジョルジュ・ピゴーの風刺画もある。朝鮮半島をめぐるロシア、清国、日本の緊迫した関係を風刺した絵もあり、最近の状況を改めて考えさせられる。

 見かけは小さな展覧会でありながら、内容はきわめて充実している。日本の在りし日、そして未来を考えさせる多くの材料がそこにある。酷暑を忘れ、この国の帰趨を考えるにお勧めの展覧会である。

  

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