Vicki Leon, Uppity of Women in the Renaissance, Conari Press, 1999
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ラ・トゥールのこの絵は、様々な所で使われているので、見たことのある人は多いだろう。これもその一つである。タイトルの uppity というのは、「高ぶった、偉ぶった、横柄な、高慢な」「自己主張(自我)の強い、我を張る、素直さのない、不遜な」(ランダムハウス)という意味の形容詞である。『ルネサンス期の我の強い女性たち』というテーマの書籍の表紙に使われている。左側は前回取り上げた主人公(右側)の召使だが、二人ともかなり意味ありげな(怪しげな)表情である。17世紀の宮廷にはこうした女性が出入りをしていたことが史料に残っている。必ず実在のモデルを題材にしていたと思われるラ・トゥールの近辺にも、恐らくこのモデルに近い女性がいたのだろう。
錬金術まで手がけた女性
前回は左側の召使いの黄色の帽子の顔料を取り上げたが、17世紀当時の画家たちが使っていた顔料は、出所、原材料が極度に秘密にされていたものが多かった。そこでは錬金術師 alchemists といわれる秘密の材料、工程から最終的には「金」を作り出そうとするかなり怪しげな職業が大きな勢力を持っていた。彼らはその過程で生まれる様々な色を顔料として、高価な価格で薬剤師や画家たちに売りつけていた。
今回は、16世紀にこの怪しげな世界へ足を踏み入れた勇敢な女性の話である。現代では疑問の余地がない「機会のことを別にすれば、男女はあらゆる点で平等である」というコメントは、マリー Marie le Jars de Gourney という自らの人生における機会を創り出したことで有名な女性が述べたものだ。彼女はフランスの小さな田舎の下層貴族の家に生まれた。しかし、とりたてて学校教育のようなことも受けなかった。しかし、彼女は積極的に学ぶことで自分自身を教育し、人生に機会を創り出した。
モンテーニュに手紙を書く
最初の機会が大きく道を開いた。彼女は物怖じすることなく、当時ヨーロッパきっての哲学者・思想家モンテーニュMichel de Montaigne(1533-1592) へ手紙を送った。彼女の知性に溢れた手紙は、この偉大な哲学者を動かし、その後長い交友がつづいた。さらに1593年にはMontaigne の寡婦から「私の夫の遺稿を編纂してくれますか」との依頼まで受けた。Marieはこの仕事に飛びつき、程なくしてフランスの知的なサークルでの有名人へと変身していった。1597年にはさらに各地のインテリ・サークルを訪れるヨーロッパ旅行をしている。
この経験に勇気ずけられ、彼女はパリへ行き、文化人のサークルへ入ろうと試みた。しかし、まもなく生活費を使い果たし、所得を得る必要に迫られる。そして、なんと錬金術師の世界へ飛び込む。錬金術師の目的は「金」gold を作り出すことにあった。現代では金を作り出すことはあり得ないのだが、当時の錬金術師はそれが可能と考えられていた。しかし、錬金術師になることは、費用の点でもかなり大変であった。そこで、彼女は謎の多い錬金術師の世界について書くことで十分な所得を稼いだ。秘密の世界をあからさまにするという当時としては考えられないことだった。
錬金術師の工房を開設する作業
きわめて大変なことが一目瞭然
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さらに当時、錬金術は魔女とかなり重なるところがあった。1610年にはボルドー Bordeauxだけで400人を超える女性が魔女として処刑された。さらに錬金術は器具や材料に極めて高額な資金を要した。しかし、幸いなことに彼女には溶鉱炉のある工房を持つ友人がいた。そこで、ほとんど10年近くをそこで過ごし、香水師として生活費をまかなっていた。香水をつくることにもかなりの経験と技術を要した。貴婦人を中心に多くの顧客がいた。
さらに、未婚であった彼女は当時のフランスでは社会的に偏見の目で見られたのだが、1622年と1626年にフェミニズムについて2冊の本を出版した。伝統的な考えに縛られていた彼女の母親には大変衝撃的だったこの本、『男女の平等』Equality of Men and Women と『女性の苦難』 The Grief of Women はヒット作となり、再版にまでこぎつけた。かくして彼女は時代の波に乗り、フェミニズム、言語、詩、政治のジャンルまでカヴァーして執筆依頼を受けるまでになった。当時としては大変稀であった80歳まで生きたマリーは自立した女性として、若い世代のロール・モデルとなった。
本書ではルネッサンス期における100人近い図抜けた女性たちの群像が描かれている。
当時としては破天荒なマリー
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