時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

ロレーヌ魔女物語(15)

2010年06月27日 | ロレーヌ魔女物語

 梅雨時の夜半、17世紀の闇の世界、魔女審問の記録などを読んでいると、しばしば形容しがたい不思議な気分になる。およそこの世に本当にこんなことがあったのかと思われるような奇々怪々な話が出てくる。到底、箒に跨って空を飛ぶおとぎ話のような魔女の次元ではない。それでも、もしかすると現代の世界の方がはるかに怪しく不気味だと思うようなこともあり、興味は尽きない。格好の暑さしのぎかもしれない。
 
 17世紀前半のロレーヌで魔術を操る者(魔術師 wizard, witch, )によって被害を受けたとされ、告発、審問などの対象になった案件では、牛、馬、豚、羊など、主として農民が飼育する家畜にかかわるものが最も多かった。農民たちが自分の飼育する牛や馬などが魔術師の妖術?によって、疫病に罹病したり、死んでしまったというような事例が非常に多い。そして、その原因をめぐって犯人捜し、魔女狩りが始まる。

 当時でも明らかに家畜に伝染する疫病があったのだろう。人間の場合は疫病が流行し始めると、城門を閉じ、家の戸口も閉めて、自分の周りにバラの香りを振りまいたり、薬草を焚いたりして、「別の空間」を作り出すくらいがせいぜいだった。魔術師、healer と呼ばれる魔術による治療を勧める者などが跳梁する時でもあった。最近の口蹄疫問題などでの騒ぎをみると、医学的進歩で伝染予防、ワクチン注射など、対応はかなり変わったとはいえ、人間の行動様式は根底ではあまり変わっていないのではないかと思う部分もある。

 さて、前回のブログに記したが、16世紀後半から17世紀前半にわたる近世前期といわれるこの時代、なぜ「魔女」といわれるように、女性の比率が高かったのか。そこには女性に対するなんらかの特別の要因が働いているのだろうか。

  
 実は、この問題、現代における魔女研究でもきわめて大きな関心を集めているテーマだ。しかしながら、すでに遠く離れた時代、しかもきわめて異常な内容のジャンルであるために、納得できる答を出すことは非常に困難だ。迷信、妖術のたぐいが未だ広く蔓延していた近世初期の闇の次元、情報も不確かであった時代に形成された話の多くは、それ自体かなり怪しげな要素を含んでいる。審問の過程も不明な部分が多い。立証の資料も十分でなく、なぜ「魔女」が多かったのかを確定する統計的あるいは時系列分析も容易ではない。重要なことは最近の研究者たちが指摘するように「悪のジェンダー」探しをすることではなく、いかなる社会のどんな人たちが、どのような場合に、魔術を体現  bewitchmentする傾向があったかを探求することにある。

 再三述べたように、こうした状況で、ロレーヌの魔女審問アーカイヴ(史料館)は、
きわめて豊かな情報を含んでいる。しかし、ロレーヌの魔女裁判の研究者ブリッグスが認めるように、アーカイヴが充実すればするほど、その一般化が難しくなる面もある。多数の事例が蓄積され、事件の内容が多様化すると、中心的な課題を抽出することが難しくなる。ロレーヌでは他の地域で見られたような集中的な魔女狩りが行われた証はない。1620年代にひとつの事件で50人近い犠牲者を生んだ例があるが、むしろ例外であった。起こった時間と地域もかなり分散していた。

 ブリッグスがその著書で取り上げている審問事例は、すべて男の魔術師が関わったものだ。その例を分析したかぎり、犯罪とされた基本要因には、魔術師が男だからあるいは女だからという男女のジェンダーに関わる特有の要因はなく、なににもまして怪しげな魔術を操った者(魔術者)としての行為が基本だとされている
。魔術治療者 healer としての面でも、ジェンダー・レヴェルで区分線を引くことは難しいという。とはいっても性別の違いがまったくないわけではない。 男の魔術師はしばしば農民の収穫を損なう企てを行った者あるいは狼人間(werewolves 伝説で満月に狼に変身する人間)として登場している。 

  ブリッグスはいくつかの注目すべき点を挙げている。被疑者となった魔術師の多くは、長年、時には数十年にわたる魔術師としてのうわさや非難に基づいている。しばしば特定のうわさがある家族が対象となってきた。この点は、この時期の社会的コミュニティにおける噂や偏見の形成あるいは地域性、階層といった要因についても深く考える必要を示唆している。

 ブリッグス が例示する、男女それぞれ96例について、魔術師が魔術をかけたとして告発された場合をみると、大変興味深いのは、馬、牛、豚などの家畜にかかわる問題が圧倒的に多く、人間については誰か(多くは成人)が病気(死亡を含む)に罹病したという事例が多い。しかも、ブリッグスが指摘するように、魔術師のジェンダーによる差異は少なく、多くの審問例について男女の魔術師がほぼ等しくかかわっている。しかし、魔術をめぐるジェンダー問題について、十分説得的であるとは思えない。継続して考えてみたい問題として残っている。

 近世初期 early modern といわれるこの時代。1632年、ペストの大流行があった時代だが、1637年にはデカルトの『方法序説』が発表され、理性の光がヨーロッパに射した時でもある。ロレーヌに生まれ、ナンシー、パリなどで当時の新たな思想にも触れる機会が多かったと思われるジョルジュ・ド・ラ・トゥール、ジャック・カロなどロレーヌの知識層の精神世界の深奥がいかなるものであったか、興味が尽きない。
(続く)

Robin Briggs. 'Male Witches in the duchy of Lorraine.' Witchcraft and Masculinities in Early Modern Europe, Edited by Alison Rowlands. London:Macmillan palgrave, 2009.

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しばし目を休める

2010年06月27日 | 午後のティールーム

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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梅雨の合間に

2010年06月21日 | 午後のティールーム

 梅雨の合間を縫って、古寺探訪に出かける。お目当てはいくつかあるのだが、閉幕寸前の奈良国立博物館の特別展『大遣唐使展』が最大の目的だ。特別展は充実していて大変楽しめた。集客数目当てのお化粧ばかり目立つ昨今の美術展と比較して、脳細胞に活気が戻ってくる。色々と考えさせられたので、しばらく熟成させよう。

 出発前の気象情報では、かなりの降雨が予想され、覚悟して出かけた。ところが予想に反して、着いた日の朝に雨は上がり、素晴らしい好天に恵まれる。日中は暑いほどの日射しとなる。雨上がりの日本庭園は、木々が洗われて美しく絶佳の一言に尽きる。

 





 絵に描いたような美しい庭園が展開

 

 

 飾り気ない古寺のたたずまいにも感動

 

 大寺も訪れる人少なく、スケッチを楽しむ人も

 

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ロレーヌ魔女物語(14)

2010年06月14日 | ロレーヌ魔女物語

ロレーヌの魔女審問の研究者ブリッグスの著書


  しばらく雑事に時間をとられ、このテーマについての思考の糸が途切れてしまっていた。何を考えていたか思い出さねばと、しばし、衰えてきた思考力の歯車を逆転させる。どうもこちらの油も切れてきたようだ。 

 きっかけは、もはや旧聞になるが、世界的なベストセラーとして40カ国以上の言語に翻訳され、4000万部以上売れたというダン・ブラウン『ダ・ヴィンチ・コード』The Da V inci Codeに遡る。少し、確認したいこともあって映画も見た。原作は小説とはいえ、キリスト教の初期の歴史に関わるかなり刺激的な問題提起が含まれていた。

 とりわけ、マグダラのマリアに関する議論は、白熱したものとなった。ダン・ブラウン自身はあくまで小説であると言っているが、キリスト教会への挑戦ともいえる問題が多数含まれているし、かなりの論争に耐えうる考証もなされている。たとえば、小説ではマグダラのマリアMary Magdaleneはベンヤミン部族出身のユダヤ女性であり 、イエスの最も重要な弟子と解釈され、愛人でもあり、妻でもあり、彼らの間にできた子供サラの母親でもあったとされる。そうだとすれば、単なる使徒にとどまらずイエスに最も近い存在であったはずだ。キリスト教史に関心を持つ人にとっては、容易には認めがたい多くの挑発を含んでいる。なぜ、マリアの存在がその後の歴史的過程で、ことさらに表面から隠され、歪められるようなことになったのか。マリアは実際にいかなる人物だったのか。ここでその内容に立ち入るつもりはまったくないのだが、議論は、このブログでとりあげてきた17世紀ロレーヌの画家たちの精神風土を理解するに欠かせないマリアの評価、さらに背景として中世以来の魔女狩りの実態ともある脈絡を持っている。  

 16世紀から17世紀前半のヨーロッパは、近代初期とはいえ、社会には多くの矛盾、不合理さ、不安、恐れ、そして闇が充ちていた。魔術師の存在もそのひとつだ。とりわけ興味を惹く問題はなぜ、迫害の対象となったのが男性の魔術師よりも女性が圧倒的に多かったのか。  

 先の『ダヴィンチ・コード』によると、魔女狩りの時代にヨーロッパでは教会が500万人の女性を魔女として火刑台に送ったとされる。しかし、17世紀前半における魔女狩りの時代に関する現代の研究者によると、この数字はまったく根拠のないものであり、小説のベストセラー化とともに、誤解も広まったという。数字自体をみると、これまで900万人という驚くべき数さえ挙げられたこともあった。いずれにせよ、今日の研究者の間ではまったく根拠のない数字とされている。

  ダン・ブラウンの『ダ・ヴィンチ・コード』には40カ所を越える根拠なき誤りがあるともいわれるが、著者自身はあくまで小説としているので、議論はかみ合わない。しかし、小説とはいえ、その構想の巧みさと資料的考察は膨大なものだ。だが、時代についての誤解を広げてしまったとすれば、ベストセラーの影の側面でもある。  

 実際はどうだったのだろう。17世紀前半という現代とはかけ離れた時代の空気や精神の継承がわれわれには途絶えていて、直ちに伝わってこない。時代を遡り、史料を読み、推理力を駆使して、その次元を支配した空気や人々の心の中までを推し量ることで、ようやく見えてくるものがある。 

 絵画作品についても、現代とつながり、画面の中にほぼすべてを見ることができる印象派以降の作品とは明らかに違うところだ。画家はいったい何を伝えようとして作品を描いたのか。それを読み解くためには同時代の空気を推し量り、読み取る作業が欠かせない。画中にその鍵が隠されていることもある。観る者にとって、あたかもパズルを解くような作業でもある。 

 すでに何度か記したように、16世紀から17世紀にかけてのロレーヌは複雑怪奇な地域でもあった。17世紀前半でも魔術や錬金術が広く受け入れられ、魔女狩り witch craze がかなり見られた。この実態を知ることなく、近世初期のヨーロッパを正しく理解することはできない。ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの重要な作品主題の一つである「悔悛するマドレーヌ」シリーズの背景には、なにがあったのか。  

 ヨーロッパの魔術研究は近年大きな進歩を見せた。その成果は、これまでかなり一般化していた知識や理解に修正を迫るような内容を持っていて興味深い。 ダン・ブラウンの場合のように、伝承や「魔術学者」たちの限られた著作の内容をほとんどそのままに受け入れてきた側に問題があったのだ。少しでも正確な評価を取り戻すためには、信頼できる客観的なデータの確保と再現は欠かせない。近年では主要研究者は自分の開発したアーカイブ(史料ベース)を持っている。たとえば、このシリーズの記事を書き始めた動機のひとつとなった
ロレーヌの魔女裁判に関するブリッグスの貢献だ。 その他の著名研究者の例を挙げると、マクファーレンはイギリス、エセックスの史料、カルロ・ギンズバークはフリウリに、ドイツの研究者はしばしば自分の居住する都市の史料庫に論拠の基礎を置くようになった。

  ブリッグスたちが開発・整理し、公開しているロレーヌの事例は、実に膨大であり、とてもたやすく読み切れるものではない。現代のフランス人でも難解きわまるといわれる手書きの古文書をここまでに読み解き、整備した努力は、敬服の他はない。現代人にはしばしば大変理解しがたい内容だが、興味の赴くままにいくつか読んでみると、大変興味深い内容に充ちている。 

 今回、記してみたいのは、呪術した魔術師の男女比の問題だ。1570-1630年の間にロレーヌ公国の審問官は2000例近い裁判を経験していた。このうち、史料として信頼できる審問事例としておよそ400例が整備され、公開されている。ブリッグスによると、魔術を悪用し、人々をたぶらかしたとされる容疑者の約28%は男であり、数で見れば合計500-600人だった。他方、72%は魔女とされたのだから、女性の比率はきわめて高い。当時のロレーヌ公国は、人口およそ30万人の小国であり、人口比でみると、ヨーロッパで最も徹底した魔女審問が行われた地域であった。ヨーロッパで魔女として女性の比率が高かったのは、このほか、ルクセンブルグ公国、ケルン選帝領などであった。 

 ロレーヌ公国の裁判システムはフランスにならっていたが、上級審への上訴は行われなかった。魔術師審問の過程で、拷問は自白を強制する手段として組み込まれ、ルーティン化していた。 ブリッグスなどによって、完全に記録化されたケースの79%が有罪の判決を受けている。

 それにしても、女性の比率がこれほどまでに高かったのは、いかなる理由、背景によるものだろうか。ブログ読者の皆さんはどう考えられるのでしょうか。(続く)

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日の丸は戻るか?

2010年06月09日 | 雑記帳の欄外
 

  欧米のメディアには、政治や経済について、大変辛辣(シニカル)あるいはユーモラスなコメントや諷刺画を売り物としているものがいくつかある。読者は一見して楽しめばすむだけのことだが、時にはいささかやり過ぎと感じる場合もないわけではない。  

 日本の最近の政治は、誰が見ても惨憺たるものだ。海外のメディアの方が、えこひいきなく客観的に見ていると思える部分も多い。最新のThe Economist(5th-11th 2010)は日本を取り上げ、「指導者のいない日本」Leaderless Japan と題する論説を掲載している。論説自体はいつものごとく興味深いのだが、少し驚いたのは雑誌の表紙だ。国旗の「日の丸」から赤い丸(日の丸)の部分が脱落して落下している辛辣な絵を掲載している。  

 ひと頃だったら、ここまでやるかと思ったかもしれないが、最近の政治の惨状をみるかぎり、そうした思いを通り越して深刻に考えさせられる。日本の首相は任期制?という冗談を聞いたこともある。この雑誌、しばらく前には「頭痛を分散する」*と題して、白地に大小の赤丸が散った国旗?を憂鬱な表情で眺める人々を戯画化して描いてみせた。野党に下った自民党から離党した人たちの小政党の乱立ぶりを取り上げ、諷刺している。  

 国中あの大騒ぎのあげく政権交代しても、結局9ヶ月、259日しか保たなかった。その間、この国が目指す再生、活性化の道は、ほとんど国民に示されることなく終わった。政治家も国民の身の丈に相応しているといえば、それまでだが、今度だけは白旗を描かれないようがんばってほしい。





'Splitting headaches' The Economist April 10th 2010

'Leaderless Japan' The Economist June 5th-11th 2010
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さて満足度は:「ボストン美術館展」

2010年06月02日 | 絵のある部屋

 初夏を思わせる一日、『ボストン美術館展』 *へ出かけた。出展される作品については、概略は知っていた。ボストン美術館が一部改装を実施するため、その間所蔵品の一部を海外などの美術館へ貸し出すことにしたため実現したとのこと。オルセー美術館も同様な事情のため、通常では貸し出されない作品が館外へ出るとのことだ。『棚からぼた餅』のような話ではあるが、結構なことだ。貸し出される作品には日本人が好む印象派の作品が多いため、今年は便乗派?も含めて日本中に印象派の文字が溢れる。

 今回の展示は、かなりの作品がどこかで見たことがあるものだった。かなり著名な作品が含まれていることでもある。ここも印象派の作品が多い。 せっかくの機会だから、もう一度確認してみたいと思う作品がいくつかあった。17世紀オランダの画家ヘンドリック・テル・ブリュッヘンなど、オランダ画家の作品である。このブログでも紹介したことがある。 印象派マニアの日本人にはほとんど人気がなく、画家の名前さえあまり知られていない。案の定、テルブリュッヘンの作品の前には幸い?誰もいなかった。

 テルブリュッヘンは、ユトレヒト・カラヴァジェスキ、3人組(バビューレン、テルブリュッヘン、ホントホルスト)のひとりである。展示されている『歌う少年』も一見して楽しい作品だが、とりたてて深い意味があるわけではない。しかし、バビューレンも同じ主題で描いているように、当時は人気のテーマだったようだ。白と黒が多い17世紀オランダの服装からすれば考えられない、明るく華やかな色合いである。衣装のひだも陰影豊かに描かれている。茶、緑、白の配色が美しい。なんとなく南国の雰囲気を漂わせている。いうまでもないが、バビューレンは長らくイタリア、ローマで画業生活を送り、故郷ユトレヒトへ戻ってきた。明るい光のみなぎるイタリアの画風を、故郷で試そうとしたのだろう。見ていて心のなごむ作品である。

  出展された80点の作品は、次のような区分で配置、展示されていた。

I     多彩なる肖像画
II     宗教画の運命
III    オランダの室内
IV    描かれた日常生活
V     風景画の系譜
VI    モネの冒険
VII    印象派の風景画
VIII   静物と近代絵画

 何の変哲もない区分だが、主催者の自主的構想、企画に基づく特別展ではないので、しかたがないだろう。区分と内容が十分対応できていない部分もある。

  ただ、本展カタログについては苦言をひとつ。作品の説明にばらつきが多すぎることだ。ファンの多い印象派の作品は、それなりにページが埋まっているが、その他の画家についてみると、作品解説
部分のページに空白部が目立ち、大変残念な気がした。解説ページの半分から3分の1が白紙という作品がかなりある。「歌う少年」にしてもページの半分は白紙状態だ。比較のために、ボストン美術館からこの作品を借り出し展示した Städel Museum のカタログで、同じ作品部分を参照したら、しっかりとページ一杯に有益な情報が詰まっていた。あまりの違いに唖然とする。

  他方、今回の展示ではカタログの表紙だけは、3種類の中から選べる仕組みになっている。カタログを購入するほどの愛好家にとって、作品解説はきわめて重要な情報源のひとつであり、鑑賞の楽しみでもある。カタログを読み終わって文字通りしらけた思いだった。

 

「ボストン美術館展:西洋絵画の巨匠たち」森アーツセンターギャラリー

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