Photo YK(2009)
富岡製糸場が世界文化遺産へ登録される見通しとのニュースは、最近暗い出来事ばかり多い日本に一点の輝きをもたらした。このブログにも5年前の5月に、製糸場再訪の記事を載せたこともある。あれからもう5年も過ぎたかという思いもする。
不思議なことに、このたびのニュースに接したのは、ちょうど「富岡製糸場総合研究センター」所長の今井幹夫さんによる新著*を読み終わった時でもあった。この書籍、新書版ながら、大変正確かつ平易に、富岡製糸場がたどった推移と状況が記されており、この日を待っていたような著作である。これを機会に「富岡製糸場と絹産業遺産群」のことをもう少し勉強したいと思う人たちには格好の入門書としてお勧めできる。
若いころ、この製糸場の歴史に関わる資料を読み、アメリカ、イギリス、フランスなどの製糸・繊維工場のいくつかを訪ね歩いたことなどもあって、富岡は大変なじみのある場所でもある。最初に富岡を訪問した頃は、まだ片倉工業という企業の工場として操業していた。今では知る人も少なくなったが、東京駅北口前の『日本工業倶楽部』の屋上正面には、織機の杼(シャトル)を手にした女子労働者とつるはしを持った男子鉱山労働者の像が置かれている。日本の産業発展を担った二つの基軸産業の労働者の象徴である。
富岡製糸場は、1872年に明治政府が設立した官営の製糸場であり、国内の養蚕・製糸業のモデルとして大きな役割を果たした。日本はフランスと共に、絹産業については古い歴史を持ち、産業の発展をリードしてきた。これも偶然ではあるが、今年4月5日まで、パリで日本の皇室が継承されているご養蚕にかかわる展覧会も開催され*2、日本とフランスの絹産業の交流もテーマとなっていた。
イギリス、アメリカなど欧米諸国では、繊維産業が産業革命の中心となり、産業発展の原動力となり、アメリカ、ニューイングランドや南部の主要な繊維産業の栄えた町では、当時の工場が操業していた状況が工場建屋などとともに、博物館などとして維持・継承されてきた。富岡製糸場の原型となったフランスでも、リヨンやトロワなどには立派な博物館などがある。
富岡製糸場は、日本のみならず世界の絹産業の発展に大きな役割を果たした。その意味でこの製糸場の具体的なイメージを遺産として残し、製糸場とそこで働いた人たちの姿を、なんとか次世代に継承してほしいと思っていた。そのため、今回の世界文化遺産としての決定で、最も望ましい形で継承されることになったことは、非常にうれしい。工場建築物としても、今日まで損傷が少なく在りし日の状況がきわめて良好な状態で保存されている。赤い煉瓦の壁面が美しい建物である。よく見ると、製糸場責任者が住んだブリュナ館、現場で指導に当たったフランス人女性労働者がすんだ女工館、工女の寄宿舎なども、それぞれに時を超えた美しさを留めている。さらに同時に認められた周辺の絹産業遺産群も、他ではほとんど見られない良好な状態で今日まで保存されてきた。そのために注がれた関係者の大きな努力が伝わってくる。
日本の産業遺産ということを考えると、喜んでばかりいられないことがある。いうまでもなく、あの福島第一原発のことだ。人類史上の負の遺産ではあるが、しっかりと廃炉工程を完了し、放射性廃棄物の処理に目途をつけ、次世代の人たちが、深い反省と安心とを併せ持って、発電所跡地を訪れることができるようにすることが、現世代が負うべき責任だろう。この難事を成し遂げ、福島第一原発跡を世界遺産へ申請できる日は、果たしてくるのだろうか。
* 今井幹夫編著『富岡製糸場と絹産業遺産群』ベスト新書(KKベストセラーズ)2014年3月刊
*2 フランス、パリ、宮内庁主催『蚕-皇室のご養蚕と古代裂、日仏絹の交流展』。2014年4月5日閉幕