時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

終わりの始まり(6):EU難民問題の行方

2015年10月29日 | 終わりの始まり:EU難民問題の行方


メルケル首相の心境は
 舞台は急速に暗転する。EUにどれだけ難民が押し寄せようと、メルケル首相はドイツが引き受けるといわんばかりの寛容さを見せていた。ノーベル平和賞は彼女に与えるべきだったというコメントがメディアに載った。わすか数週間前のことだ。しかし、今、映像で見る彼女の表情は心なしか暗い。

EUの命運を背負ったような形で、メルケル首相は激務の中をアンカラへ飛んだ。しかし、トルコ側から期待した答えは得られなかったようだ。トルコは、この突如として降って湧いたような難民・移民問題を、これまでトルコ国民のEUへの自由な渡航、そしてトルコのEU加盟を実現するための梃子として、逆手に使った。トルコのEUへの交渉力は、思わぬ事で急速に強まった。トルコは11月1日に国政の再選挙が予定されており、この時期の訪問は、与党を利するのではないかといわれた微妙な時の旅だった(東京渋谷,トルコ大使館前での乱闘騒ぎも関連している)。イスタンブールからベルリンへの帰途は、恐らくメルケル首相にとって飛行時間以上に疲労の重なる旅であったのではないか。(筆者もかつてパリからほとんど同じ航路を往復したことがあるが、空路でもかなり長い旅路なのだ。アメリカ大陸ほどではないが、ヨーロッパの横断もかなり時間を要する)。陸路をシリアなどから徒歩でヨーロッパへ向かう人たちの旅路は、さぞ大変なものだろう。

ヨーロッパのバルカン化
 EUの基盤が揺らいでいることは、今回の難民問題の発生以前から、さまざまに取りざたされてきた。しかし、その原因となるのが難民・移民の急増によると想定した識者は少なかった。EU域内の人の自由な移動は、EU結成当時からの大きな理想であり、シェンゲン協定に代表される対応はそれなりに進捗していた。このたびの難民・移民の奔流を制御することに加盟国が合意できなければ、EUはその基盤において破綻することを意味する。かつての国境という城壁で囲まれた国民国家時代への逆戻りとなる。

すでに、その兆候は現れている。10月16日、ハンガリーはスロベニア国境を閉鎖する動きに出た。ドイツやスカンディナヴィア諸国への旅路の行く手を閉された難民の流れは、 小国スロベニアを経由することを余儀なくされた。小国を席巻するような難民の大集団が対応する間もなく、押し寄せたのだ。スロベニアの首相ミロ・セラールは「今日解決を見いだせなければ、そして今日できることをしなければ、EUの終わりだ」という切迫した思いをブラッセルでの会議の際、中央・東欧諸国の指導者たちに訴えたという。10月17日の後、62,000人を越える難民がスロベニアに入国してきた。すでに前日も14,000人近くがこの国を通過しつつあった。

シリア難民などの主要移動経路。この後、ハンガリーは国境を封鎖している(Source:

BBC)


ヨーロッパにはすでに冬が目前に迫っている。荒廃した祖国を離れ、ほとんどなにも持たずに長い旅路を歩いてきた難民の間には、疲労が重なり、病人などが急増している。シリアからは、最大規模の難民が移動してきた。ロシアの介入で混迷の度を深めたシリアの内戦はすでに5年近くを経過し、国土は荒廃しきっている。アフガニスタン、パキスタンの場合は、同様に内戦に巻き込まれてはいても、難民認定の条件となるまでにはいたっていない。しかし、今後の展開次第で、アフガニスタン、エリトリア、コソボなどから移民・難民が増える可能性はある。


EU委員会は9月25日急遽、オーストリア、ブルガリア、クロアティア、マケドニア、ドイツ、ギリシャ、ハンガリー、ルーマニア、セルビア、そしてスロベニアの首脳をブラッセルに招集し、EUとして共通のアプローチを検討することを求めた。IOM(国際移住機構)によると、今年はすでに68万人を越える移民・難民が中東、アフリカ、アジアからヨーロッパへ押し寄せていた。会議では難民などの一時的な避難収容先として約10万人分の施設をギリシャなどに設置することで合意した。EUの執行機関欧州委員会のユンケル委員長は「すべての参加国が(隣国に負担を押しつけるような)一方的な決定を避けることを約束した」と強調した。しかし、ハンガリー、スロベニア、チェコ、ポーランド、ルーマニアなどは、EUからの難民割り当てに反対あるいは異を唱えている。

「傍観者」?とは
こうした状況で国境閉鎖に踏み切ったハンガリーのヴィクトル・オルバン首相は、勝手な言動で依然からEUの厄介者とされてきたが、国境閉鎖を終えたからには、ハンガリーはこの問題には「傍観者」であり、他国へのアドヴァイスもないとまでいいきったようだ。 確かに人口当たりの庇護申請者の比率でいえば、ハンガリーはドイツ連邦共和国に次ぐ。難民たちは急遽、南バルカン・ルートといわれる経路を選ばざるをえなくなった。当然、その余波を受ける国が出てくる。バルカン半島は小国が多く、入り乱れて複雑な情勢を作っている。国境の壁に行く手を遮られた難民は、少しでも国境が開いている地域へと殺到する。移民・難民問題の研究成果が明らかにした行動様式のひとつだ。

ドイツに隣接するオーストリアなども、国民の反対が強まり、国境管理を強化する方向へ転じた。すでに,スイス、ポーランドなども国民や政党の右傾化による反対で,国境の壁が高まることは必至だ。フランス、イギリスはこれ以上受け入れないことを明言している。とりわけ、イギリスは今後5年間に2万人のシリア難民を受け入れるが,それ以上はいかなる割り当てプランも断ることがはっきりしている。

ドイツ連邦共和国でも、バヴァリア、バーデン・ヴュルテンベルク、ノース・ライン・ウエストファーリアなど、庇護申請者が増えている地域では、住民の反対も高まってきた。さすがの連邦共和国も急遽国境管理を強化することになる。9月25日日曜日から国境管理が復活した。オーストリアとバヴァリアを結ぶ鉄道は、今年およそ45万人の難民・移民を輸送してきたが、ベルリン時間で午後5時で輸送を停止した。EU市民と合法の入国書類を保持する人だけが連邦共和国への入国を認められている。しかし、当然のことながら、これらはあくまで一時的緊急措置であるとされている。

UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)は、EUに対して各国の国境管理が統一されず、バラバラにならないよう要請している。ドイツの方針はその点で、ある程度各国に対するガイドラインの役割を果たすだろう。しかし、現実は中欧・東欧諸国の行動のように、すでに各国の事情でEUとしての統一性を失っている。 

存在感を増したトルコは
 ドイツ連邦共和国だけで、難民の奔流を引き受けることは到底できない。メルケル首相が強調するようにEU加盟国がそれぞれに協力し合って、受け入れる以外にない。それ以上に、EUがその地域共同体としての姿を維持するには、どうしてもシリアに近接する域外国であるトルコに大きな負担を負ってもらうしかない。しかし、トルコ国内にはすでに200万人を越えるシリア難民が庇護申請者として入り込んでいる。レバノンには107万人、ヨルダンには63万人がいる(UNHCRの2015年9月時点推定)。いわば難民の貯水池のような状態で、これらの国々がシリア難民を受け入れている。こうしたダムの堰きが切れたような事態になれば、ヨーロッパは難民で溢れかえる。

なんとかEUの東部戦線の堡塁を強化し、これ以上の難民の流入を防がねばならないというメルケル首相の思いは当然ともいえる。しかし、新たな状況でトルコの地政学的重みは急速に増した。トルコは強気でEUに対するだろう。今後のEUとトルコの政治交渉は目が離せない。トルコに近いバルカン諸国は国力がなく、堡塁の役を果たせない。まもなく成立すると思われるトルコの新政権とEU、とりわけドイツとの政治外交交渉は、ギリシャ問題を横において、EUの命運を定めることになりそうだ。


続く 

 


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飛べなかったかもめ;バック・トゥー・ザ・フューチャー、デロリアンの挫折

2015年10月21日 | 午後のティールーム

 

 今日、2015年10月21日は、1989年に公開されたアメリカのSF映画『バック・トゥー・ザ・フューチャー』で、タイムマシンのベースカーDMC-12(通称「デロリアン」)が、1985年から30年後の2015年にタイムスリップして戻ってくる日に当たるということで、話題を呼んでいるようだ。実は、この車の車名「デロリアン」は実在の車だった。このデロリアン社のことは、かなり以前に別の背景から、このブログでも短く記したことがあった。

ゼネラル・モーターズの副社長であったジョン・ザッカリー・デロリアンが理想の車を作るために若くして得た
GMの職を辞し、独立して1975年10月24日に設立した企業の名前が「デロリアン・モーター・カンパニー」(DMC)であった。本社はアメリカ、ミシガン州デトロイト、工場はイギリス、北アイルランドのベルファスト郊外にあった。自動車産業、とりわけ「ビッグ・スリー」の名がいまだ輝いていた時代の歴史は、想像を上回るドラマティックなものだった。このデロリアン自身の生活、そして人生も破天荒なものだった。

1981年に製造され販売が開始されたこのスポーティな車「デロリアン」は、鳥の翼のように開くガルウイング( gull-wings かもめの翼)ドアなど、斬新なデザインで当初話題を呼んだが、高額と大量キャンセルなどで、翌年には売り上げ不振で、経営困難に陥ってしまった。さらに、北アイルランドへの工場誘致の条件として提供されたイギリス政府からの補助金を、社長ジョン・デロリアンが私的に流用していたことも、後日判明した。さらに1982年10月に社長のジョン・デロリアンが空港でコカイン所持容疑で逮捕されるなどのスキャンダルによって、会社は資金繰りができず、年末には倒産してしまった。デロリアンは後に裁判を経て無罪釈放されたが、斬新な車作りをするという夢を果たすことなく、2005年3月に亡くなった。当時としては、大変なイノヴェーターであったが、かもめは羽ばたけなかった。

それにしても、30年という年月は、なんと短いものかと感じられる。デロリアンは、自らの名がついたこのスポーティな車は、適度な大きさの車体サイズで、耐久性があり、燃費効率が良く、しかも安全性が高いものでなければならないとした。当時のアメリカの自動車産業が不承不承認めつつあった考えだった。OPEC成立後の世界が求めるイメージでもあった。デロリアンはそれを ”ethical sports car” という名で呼んだ。安全性、環境対応など時代の要請に応える車という意味なのだろう。しかし、現実に作られた車は社会に受け入れられなかった。

最近のVW事件などを見ていると、人類社会は映画の世界と異なり、果たして前へ進んでいるのかと思ってしまう。 




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終わりの始まり(5):EU難民問題の行方

2015年10月18日 | 終わりの始まり:EU難民問題の行方

 

EU and Turkey
Source, Wilipedia Commos, EU and Turkey, png 


メルケル首相は事態を読み違えたのでは
 1ヶ月という時間が、これほどの違いを生み出すものか。このことをメルケル首相ほど身にしみて感じている人はいないのではないか。9月3日の夜、メルケル首相は、シリアなどからの難民の流入に抵抗し国境封鎖の動きに出たハンガリーを迂回し、オーストリアを経由してドイツに受け入れる決断を下して、その人道的対応はEU諸国ばかりでなく、世界に大きな感銘を与えた。ノーベル平和賞はこの時点では、彼女が最もふさわしいのではないかと思わせた。

難民受け入れには上限はないという使命感に裏付けられたメルケル首相の言葉は、多くの人々の心を打った。他方、ガウク大統領の「どこが上限かはまだ見えていないが、受け入れる人数には限度がある」という言葉は、より政治的なものであった。変化は驚くべきものだった。ドイツに流入した難民は、9月だけで実に20万人を越える数になっていた。8月に行われた今年の受け入れ想定数は45万人から80万人に引き上げられていた。このことはメルケル首相の耳には当然届いていただろう。さらにこの数は150万人近くに達するかもしれないとの推測も報じられた。ミュンヘン市の人口に相当する数である。
 
奔流のごとき難民に苦慮する地域
ドイツなどにやってくる難民の流れはとどまるところがない。隣国オーストリアを通過する難民の数は、1日1000人から1万人になるといわれる。日本人にはなかなか実感が湧かない光景である。さらに法的に認められた難民は、受け入れ国に落ち着いた後、母国から家族を呼び寄せる権利も保証されている。こうした状況でありながら、ドイツは難民受け入れに多くの努力をしてきた。しかし、予想をはるかに上回る増加は、想定外の問題を生み出した。たとえば、難民の集中が著しい大都市では深刻な住宅問題が起きている。廃校になった校舎の利用などが進められてきた。たとえば、ハンブルグ市は難民の住居のために、空室になっているオフイス・ビルを充当することなどで対応してきた。ベルリンやブレーメンなどでも事態は同様のようだ。

しかし、多数の難民が押し寄せた地域では、住民の間に当惑の動きが高まり、ドレスデンなどでは、外国人排斥を掲げる極右運動Pegidaが支持を増やしている。先日の集会には9000人が参加したといわれる。ベルリン市長選での候補のひとりが傷をおう事件が最近あったが、被害者はメルケル首相の難民政策を支持しており、加害者はそれに反対していたと報道されている。

EUにやってくる難民の20%あまりを受け入れているドイツでは、次第に食料、医療、住宅、医療などの費用を誰が負担するのかという問題が、浮上してきた冬が近づき、慣れない異国の環境で健康を損なう難民も増えてきた。医師の治療が必要な人も増えている。地域の医師はこれまでは人道的観点から誠意をもって難民の治療に当たってきたが、増え続ける費用を誰がまかなうのかという問題が深刻化してきた。窮迫してきた状況で支出予算の切り詰めが焦眉の急務となっている。難民に与えられる給付額もこれまでは約月143ユーロ($160)だが、現金給付でなく食料、医療などの切符に切り替えられているようだ。難民による犯罪の増加なども問題となってきた。警察官も増員された。


東部戦線異常あり
予想を大きく上回った難民の増加に、EU側は難民の発生源に近いトルコなどへの対応の重点を移さざるをえなくなっている。EUが加盟国を東へ一途に拡大してきたために、かつては存在した中東地域との間の緩衝地帯が急速に消滅してしまった。その結果、このたびのシリア難民のように、あっという間に難民がEUの中心へ大量流入するという状況が生まれるようになった。

EUは加盟国の数が増大した結果、かなり発展段階の異なる国がEUの中に存在するようになった。すでにハンガリーはセルビアとの国境封鎖を行い、10月に入ると、クロアチアとの国境を閉鎖すると発表した。国境管理をの自由通過を禁止し、事実上の国境封鎖を発表した。ドイツなどを目指す難民はオーストリアを経由するなど、迂回を余儀なくされている。そしてEUは難民発生源のシリアの内戦の早期沈静化、トルコ国内の難民の支援へと対応を変えてきた。とりわけ、EUと中東のいわば緩衝地域差ともいうべきトルコのへの依存度が高まってきた。トルコにEUへの難民流入の抑制の役割を期待する方向へ急速にシフトが見られるようになった。トルコにはすでに200万人を越える難民が滞留している。10月15日のEU首脳会議では、トルコにシリア難民などの流入抑制に協力を依頼するとともに、トルコがEUに求める支援強化に応じる行動計画での合意をアピールした。しかし、トルコもしたたかであり、どうなるかまだわからない。トルコ自体、これ以上難民を収容できるか疑問であり、EUへの難民流出はさらに増えるという観測も有力だ。

EUとトルコの関係もこれまで決して良好ではなかった。トルコのエルドアン大統領の強権政治には賛同しない国も多い。加えて、ウクライナ情勢の変化の過程でトルコがロシアに接近したことで、EUとの関係は冷えている。トルコがEUに望むことは、トルコ国民へのヴィザ発給の迅速化、そしてトルコのEU加盟の早期化だ。ながらく棚ざらし状態だった。

難民問題で大きく変わるEUとトルコの交渉力
EU難民問題の発生を機に事態は急展開した。トルコでシリア難民・移民の流れなんとかを食い止めないとEUは奔流のごときその衝撃をまともに受けることになる。難民問題は対応いかんではEUを分裂させ、崩壊させる力を持っている。加盟国内でも増加する一方の難民に、国民の不安が強まっている。ドイツ国内でも、同様だ。

こうした事態にメルケル首相など、EU首脳部の考えも大転換を迫られつつある。これまでトルコに対して厳しかったEUだが、いまやトルコはEUの命運を定めるほどに地政学的立場を強めた。トルコに対するEUの交渉姿勢は急速に軟化している。

EUの行動計画では、トルコに対し)追加の資金援助、2)EU域内への旅行ビザ免除の早期導入、3)EU加盟交渉の早期再開などを約束する。トルコは1)EUの援助で国内に難民受け入れ施設を新設、2)難民の就労容認、3)国境管理をや不法移民の本国などへの送還の強化などを盛り込だ。

しかし、EU
加盟交渉などについては、直裁な表現ではなく、不透明さが残っている。ドイツとトルコの間の移民問題は長い歴史を持つ。メルケル首相は急遽アンカラに飛び、イスタンブールでエルドワン大統領、ダウトオール首相と会見し、トルコから移民のEUへの流出を抑止するため、国内にある収容施設の拡充などに多額の資金援助を約束するなどの提案をしたようだ。他方、トルコ側はEUのヴィザ発給の迅速化、トルコのEU加盟の見通しの明確化などの懸案を強く求めたようだ。トルコ側は、この機会を国の立場を有利にするために最大限使うだろう。しかし、ドイツ国内には難民対策としての追加の資金供与などは、選挙前のエルドワン大統領を利することになるなどの反対あり、メルケル首相の立場も難しい。

メルケル首相自身10日前は、トルコのEU加盟に反対していた。しかし、いまやトルコはEUの近未来を左右しかねない切り札を手にしている。EU加盟国ばかりでなく、
スイスなどでも移民受け入れへの反対が強まっている。メルケル首相の手腕をもってしても、この難民問題は早期解決の目途はつかないだろう。EUは域外に対する城壁を高くする(国境管理の強化)など、EU設立の理想から大きく後退をよぎなくされることは必至だ。高見の見物のような日本だが、北朝鮮、中国など近隣諸国へのリスク対応を誤れば、手痛い傷を負うことになりかねない。日本の近未来、多数の難民が押し寄せる、あるいは日本人自身が難民化する可能性もなしとはいえない。移民・難民問題への対応は、その国の命運を左右しかねないことに気づく時である。





References

Merkel at her limit, The Economist October 10th 2015

Merkel backs multibillion-euro refugee package for Tuurkeey, October 16th 2015

Merkkell at heer limit,,,The  Ecconoomist,,Octoberr 10th 20155

Beesst  ssereed coold,,  The Econnomist,, Octooberr   10th  22015

BDF heute October 10, 2015 



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終わりの始まり(4):EU難民問題の行方

2015年10月10日 | 終わりの始まり:EU難民問題の行方


 

 EUの移民・難民にかかわる次の記事を書き始めている時に、TVニュースが、10月10日、トルコの首都アンカラの中央駅近くで大きな爆発があり、多数の死傷者が出たことを報じていた。訪日の旅から戻ったばかりのエルドアン大統領は、国内の民族的対立をあおるテロリストの行為であるとして、強く非難した。

不思議な因縁だが、前回の記事で、多くのシリア難民が、トルコからドイツなどへ、苦難の旅を続けていることを書いた。実はトルコは、このEU難民問題において、戦略的ともいうべききわめて重要な意味を持つ。

ヨーロッパを目指す二つの道
 今日、ヨーロッパへやってくる移民・難民のたどる経路は様々だが、大別するとリビアなどアフリカ北部から老朽化した船などに溢れるばかりに乗り込んで、イタリアなどを目指す道と、シリアやアフガニスタンの難民のように、トルコの海岸から船で最も近いギリシャの島に渡り、バルカン半島を抜け、マケドニア、セルビア、ハンガリー、オーストリアなどを経由して、ドイツやイギリスを目指す道がある。

前者の道を経由する移民・難民のボートが転覆したりして、多数の犠牲者を生み、しかもイタリアなどの特定の国に多大な負担をもたらしてきたことは、これまでブログでも何度か記した。これに対して、バルカン半島を経由する道は陸路が多いが、ヨーロッパの中心部にたどり着くまでには、多数の国々を通らなければなく、これも多くの複雑な問題があった。

シリアからドイツへ
 最近この経路をたどってドイツに入国したあるシリア難民の記事を目にした✴1。このシリア人バセルは24歳。ギリシャの海岸から小さな舟でトルコへ入り、バルカン半島を抜けて、オーストリアを経由してドイツに入国し、今は南東部バイエルン地方の静かな町フライウンクの難民施設に落ち着いている。ドイツの大都市の難民施設はすでに満員で、地方の町でもこうした受け入れ施設が必要になっている。難民施設の運営には、専門職員の数が足りなく、ヴォランティアの手助けが欠かせない。

今年8月31日の記者会見で、ドイツのメルケル首相は、同国への難民申請が2015年には、最大で80万人に達するかもしれないと述べた。しかし、その後の変化をみると、実際にはこの数を大幅に上回る模様だ。メルケル首相もかなり衝撃を受けた様子で、EU加盟国が公平に受け入れる必要があると強調し、それができなければ、EU域内の自由な人の移動を認めている「シェンゲン協定」の見直しも必要になると述べている。「シェンゲン協定」の再検討次第では、ひとたび廃止した国境管理が復活することにもなり、EU域内の人の自由な移動を目指したEUの理想が大きく後退することになる。難民の受け入れ能力がないとして国境管理を強めたり、事実上閉鎖するような国が多数出てくれば、EUにとっては事実上の分裂ともいうべき事態になりかねない。その可能性は決して低くない。

EUの死命を制する東部国境フロンティア
 シリア難民などの数がとめどなく増加し、ヨーロッパの中心部へと移動している事態にどう対処するか。最も重要な政策はいうまでもなく、難民の発生する源を断つことにある。しかし、シリアの現実は、ロシアとアメリカの2大国が、国内のアサド政権と反体制派にそれぞれ加担し、あたかも2大国の戦争ゲームのような状況を呈している。ロシア、アメリカ双方がイスラム過激派(IS)の制圧を旗印にしてはいるが、戦況は錯綜して、アメリカの誤爆問題のような悲劇を生んでいる。

イスラム過激派を制圧して、シリア国内に平静を取り戻すことを目指すことは共通していても。ロシアとアメリカの思惑は対立し、国内政治の安定を取り戻すには長い時間を要するとみられる。そうなると、EUにとっては、とめどなくやってくる難民をいかに抑止し、EUを中心に各国が真の難民だけを、平等に受け入れることを考えねばならない。きわめて難しい課題である。たとえば、本来は、難民が最初の到着する国が責任をもって難民申請の処理に対応することになっているが、現実は十分ではないとの不満がドイツなどに広がっている。

あたかも奔流のように流入してくる難民・移民の動きに対応するため、ドイツ、フランス、イギリスは、ヨーロッパにおける難民、移民の最初の到着国になることが多いイタリアとトルコにEU主導による大規模な難民センターを年内に設置するよう求めている。

トルコなどにEUの主導で難民審査センターを設置し、真の難民か、難民にまぎれてEU諸国に入国しようとする者かを短期間に判別し、不法移民は本国送還するというのが、その狙いのようだ。しかし、前回のガウク大統領の感想のように、資金を注ぎ込んで、そうした難民センターなどを設置しても、必ずしもうまく機能しないことも分かってきたようだ。

難民を生み出す根源の地域が、ロシアとアメリカの対立の場と化していて、幸い戦火が途絶えた後でも荒廃した母国へは戻れない、あるいは戻りたくない人たちが急増している。さらに、近年の内戦や紛争はほとんどが民族的問題が介在している。たとえば、今回のテロリストによる爆発事件に先立つ今年7月、トルコでは政府軍がクルド人武装組織に対して大規模な軍事作戦を展開して、各地でテロや衝突事件が頻発していた。

国境が分断した民族
 クルド人問題*2に明らかなように、彼らは第一次世界大戦後に引かれた国境によって、トルコ、シリア、イラク、イラン、アルメニアなどの国に分断された民族であり、トルコや他の居住地政府からの分離独立を目指して長年武力闘争を続けてきた。

多くの日本人にとっては、移民・難民の問題は、関心度がかなり低い部類に入るのではないか。「外国人労働者」という限定されたイメージは、1980年代からかなり浸透したが、日本への定住・永住を前提とした移民・難民の受け入れという問題は、国民的レベルで議論されることはほとんどない。そして、この問題の背景にはしばしば民族・人種問題が存在することも、あまり注目されない。EUの難民問題も記事の量は増えたが、多くは「対岸の火事」に近い受け取り方である。現在進行しているシリア難民あるいはクルド人などへの対応いかんが、ヨーロッパの基盤を大きく揺るがし、歴史の歯車を逆転させるような動きにつながりかねない危険を秘めていることまで考える人は少ない。

難民・移民問題は、わかりやすいようにみえて、実際はきわめて複雑で奥深い。このたびのEUの難民問題を考えているうちに、少し前に読んだことのある一冊の本(概略は下に掲載)のことを思い出した。バルカン半島などの地理的、政治的状況を十分理解していなかったこともあって、地図を傍らに置いて読んだ。イスラム教徒といっても、多くの宗派があり、その差異を理解することはかなり難しい。ましてや、イスラムあるいはキリスト教徒の側から、異なった神を信じる人たちのことを理解するには多大な時間と努力を要することが分かる。ヨーロッパの将来はイスラムとの共存なしには想定できない。

Behzad Yaghmaian, EMBRACING THE INFIDEL, Stories of Muslim Migrants on the Journey West, New York, Delacorte Press, 2004. 『異教徒を抱きしめて:モスリム移民の西欧への旅路」

やや時代をさかのぼるが、イラン系アメリカ人の著者が、イスタンブールからパリ、ロンドン、そしてニューヨークにいたるまで、イスラム移民としての波瀾万丈の旅を綴った希有なドキュメンタリーである。



✴1 "The kindest and the angriest, Germany", Newsweek, 26 September 2015.

✴2
1923年 ローザンヌ条約でクルド人の民族国家構想は否定され、居住地域はトルコ共和国および当時の英仏委任統治下にあったイラク、シリアに分断された。分断された状態では各国ごとの国民統合の過程で少数派になるが、民族そのものはイラクの総人口を上回った規模になる。クルド人問題の根本といえる。

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終わりの始まり(3):EU難民問題の行方

2015年10月04日 | 終わりの始まり:EU難民問題の行方

 


 今回の国連総会は、世界が次第に多くの面で、復元不可能な荒廃する局面へと移行していることを思わせる問題を提起したようだ。国連は持続可能な世界の構想を提示しているが、現実は違った方向に進んで行きそうだ。その象徴的問題は、いうまでもなくシリア難民に代表される難民問題である。国連総会の開催中に事態は急速に深刻化した。

EUなどに脱出したシリア難民はその数およそ400万人ともいわれるが、国内にとどまる難民は800万人に達しているとも推定されている(戦争前の人口は国連によると約2050万人)。世界で難民が生まれる原因はさまざまだが、近年の問題は、大量難民の発生である。原因はシリア、アフガニスタンなどにみられる内戦の激化に端を発する場合が多くなった。国内の対立勢力に事態を抑止、沈静化する能力が欠如してくると、国外の勢力がすかさず入り込む。

崩壊する国家と大国の責任
シリアの場合も、アメリカ、ロシアなどの大国が介入し、覇権を争う修羅場と化した。大変不幸なことは、シリア国民にはもはや自らの力で自国の戦火を鎮圧、復元する力がないことだ。国連はまったく無力に近く、きわめて憂慮すべき事態に陥っている。こうした当事者能力が欠如した状況では、軍事力の強大さが支配してしまうことが多い。

ウクライナに続き、強力な軍事力をもって領土を拡大しようと企てるプーチンのロシアは、過激派組織ISの制圧を理由に、アサド政権を支援し、ISの支配領域を空爆などで叩くと主張。他方、アメリカのオバマ大統領は国内の反政府勢力を支援し、アサド政権とISの双方を叩くことが必要だと主張してきた。地政学的状況から有利な立場に立つプーチンはアメリカを圧倒している。先日の両首脳会談でもロシアのプーチン首相はウクライナ紛争に続き、強弁をもって押し通し、対するオバマ大統領はかつて見せたことのないほどの苦渋の表情であった。シリア、アフガニスタンなどでの大国の戦争介入をめぐって、「プーチンの厚かましさ、オバマのうろたえ」と評する記事もある('Putin dares, Obama dithers'The Economist October 3rd 2015)。

なにより不幸なことは、精確さを究めたと豪語する大国の近代兵器が、絶えず誤爆を引き起こし、多数の市民や支援に当たる医療関係者などが犠牲になることだ。見るに堪えない無残な光景だ。あの世界の涙を誘ったアラン・クルディの幼い遺体がトルコの海岸に流れ着いた写真を見て、多くの人々がこれまでとは違った衝撃を受けた。これをただ傍観しているのは、政治家以前に人間性を問われる。閉ざされていた難民・移民への扉は、わずかながら開かれた。しかし、難民を生みだす発生源では、悲惨な光景が日夜続いている。こうした映像に人々は慣れてしまったのだろうか。

難民問題の「包括的解決条件」とは
近年、あまり例を見ない大量難民の実態について、これまで巧みな外交手腕でEUの難題を抑えこんできたドイツのアンゲラ・メルケル首相も、今回は事態の展開を読み違えたかもしれない。
ドイツは、過去70年間、その過去を償うために多くのことをなしてきた。今回も普通のドイツ人が政治家に代わってシリア難民を歓迎する主導の役割を果している。すでに過去70年間、EUにやってくる難民の40%を受け入れている。今年は約80万人が庇護申請をすると考えられている。9月7日には、難民を受け入れてくれるドイツ人にメルケル首相は感謝の言葉を送っている。しかし、その後急増したドイツへの難民流入はメルケル首相の想定外だった。折しも今年は東西ドイツ統一25周年、首相を含めてドイツ国民の心情は複雑だろう。

こうした中で、メルケル首相は「加盟国間に障壁を張り巡らすことは解決ではない」と述べる一方、「包括的解決の条件はまだ整っていない」とも発言している。彼女のイメージする「包括的解決の条件」とはいかなる状況なのだろうか。

時間との競争
ヨーロッパに難民危機をもたらしているのは、EUの意志決定よりはるかに早く難民が移動してくることだ。トルコから南ドイツまではおよそ10日間で到着するといわれる。メルケル首相はトルコが事態緩和のひとつの拠点とみているようだ。資金をここに投入し、難民の収容施設、雇用機会などを生みだそうと考えているのだろう。しかし、トルコから戻ったばかりのトゥスクEU大統領(Donald Tusk, the president of the European council)は、「資金は大きな問題ではない。事態はわれわれが予想したほどたやすくない」と述べている。

 EUの難民問題は、時間との勝負でもある。加盟国の政治家たちがそれぞれに自己主張を続けている間に、難民・移民は大挙して東から西へと移動している。あふれ出た流浪の民はどこへ向かうか。人道上の寛容さをもって、EU加盟国の信頼をつなぎ止めてきたメルケルのドイツも、このままではいられない。次の手をどこに打つか。残された時間は少ない。




References
”Germany ! Germany ! The Economist 12th 2015

“EU refugee summit in disarray as Tusk warns‘greatest tide yet to come’The Guardian September 24, 2015

 A new spectacle for the masses. The Economist October 3rd 2015

アジアの主要国は総じてEUの難民問題には関心度が低い。ロシアを別にすると、日本、中国、韓国、シンガポールはシリア難民受け入れに積極的発言をしていない。日本のように、資金は出しても、難民は厳しく制限して受け入れないという政策はいつまで続くだろうか。EUのトゥスク大統領の「資金は大きな問題ではない」との言葉の意味を良く考える必要がある。

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