この日、メディアはあの想像を絶した大震災のことで埋め尽くされている。当然ではある。あの日から今日まで1日たりと、頭の片隅から消えたことはなかった。自分が消え去る時まで、そこに残るだろう。
この大震災が起きる前から考えていたことがあった。この世の中の仕事に、「きれい」、「汚い」という区分はできるのだろうか、という問題である。突拍子もない問題だが、前回まで記してきた、貴族の「貴さ」(noble, nobility)とは、いかなることなのかという問にも関連している。
福島第一原発の廃炉化に向けて、その最前線の現場で、多くは下請け労働者として、身の危険と隣り合わせて日夜働いている人たちの仕事は、危険で、しかもきれいさとは隔絶されたように遠いものだ。しかし、今日の文脈でみれば、本質的に最も「貴い仕事」ではないか。しかし、その仕事にいつ終止符が打たれるのか、誰にも分からない。
誰もやりたくない仕事
厭な仕事は誰がするのか Who will do the lousy work? という問いは、アメリカでは1970年代頃から折あることに提起されてきた。最近もある雑誌*が「なぜアメリカ人は汚い仕事につきたがらないのか」Why Americans won't do dirty jobs.というテーマで、この問題をとりあげていた。
いかに失業率が高い国であっても、自国民労働者が働きたがらない仕事がある。これらの仕事はしばしば lousy jobs (汚い、厭な仕事)あるいは文字通り dirty work (ダーティ・ワーク)と呼ばれてきた。しかし、その内容は一口に説明できない。国や時代、あるいはそれらが使われる状況によって受け取り方に違いがあるからだ。ちなみに、ODEによると、lousy とは「非常に劣悪な」という意味で、怒りやさげすみ、迷惑な、などの含意があるという。
より狭めていえば、自国民が就きたくないと思う仕事と考えられてきた。賃金水準、労働環境、仕事のイメージなどが、劣悪、低質であり、失業者といえども働くことをためらったり、拒絶するような仕事である。
他方で、「華やかな」政治やビジネスなどの舞台裏で、取り交わされる裏金取引のように、社会倫理に背く、後ろめたい、時に犯罪の匂いもするような仕事を意味することもある。国民の税金で養われながら、それに相当する仕事をしていない公務員や政治家も含まれるかもしれない。「公僕」とは、遠い昔の言葉になった。
今回は、前者に近い意味で、自国民が就きたがらない仕事の意味に限定して、最近いくつかの国で起きている問題を少し考えてみた。あくまで、メモにすぎない。雇用状況に改善の兆しが見られてきたアメリカでも、消えることのない問題だ。
あなたはこの仕事をしますか Do you want this job?
アメリカでは、典型的には農業労働者、建設労働者、鶏肉、魚介などを処理する労働者、ホテルなどの清掃労働者などが「ダーティ・ワーク」の例として挙げられてきた。たとえば、分かりやすい例*では、南部の魚加工工場で、ナマズなどの魚を処理する手作業である。海に囲まれ、魚好きな日本人と比較して、アメリカ人は魚を食べることが少ない。そのため、魚自体への偏見?もある。工場では、魚の腐敗を防ぐため、室温を低くし、コンベヤーなどの機械音が騒々しい室内で、一分間に8匹の魚を手作業でさばく。水浸しの作業で、汚れ除けの合羽と長靴姿でコンクリート床での立ち仕事である。しかし、時間賃率は7ドル25セント(600円くらい)と、州の最低賃金水準だ。
別の例は、日陰など一切ない炎天の農場で、トマトや苺などを採取する労働者だ。歩合制の仕事だから、がんばらないと生活すらできない。採取したトマトが入った重いコンテナーを担いで朝から夕刻まで働く。一日働くと、腰が痛くて翌日歩けないほどになる。寝るところは近くのトレーラーハウスだ。賃金はこれも最低賃金に近く、国内労働者は見向きもしない。
アメリカでは農業労働は長い間、メキシコ人などの季節労働者に依存してきたことがあり、(一般には)アメリカ人の仕事とは考えられていない。不法移民への規制が厳しくなったこともあって、南部では収穫作業が行われず、野菜や果実が放置されたままの農場などが目立つようになった。
こうした事態は南部諸州の一部で、新たな問題を生んでいる。メキシコなどからの不法移民の増加で、社会的摩擦などが激化したアラバマ州では、2011年9月29日、HB56として知られる移民新法を制定した。これによって、街頭などで不法移民とみられる人物に、警察官が尋問することを求め、合法入国を証明できる書類を保持していなければ、本国へ強制送還される。そればかりでなく、彼らを雇用した企業を処罰するという内容である。これまでもいくつかの州では、移民労働者を雇用する使用者に、合法移民であるか否かの確認を義務づける州はあった。しかし、不法移民抑制という点で、実際の効果ははかばかしいものではなかった。
今回の新法の導入によって、アラバマ州などでは、不法滞在者が他の州へ流出する事態が起きた。さらに、明らかに移民と分かる人々への市民の冷たい対応が目立つようになり、合法的な移民まで州外へ流出するという状況が生まれている。農業労働者などがいなくなり、結果として多くの求人が埋められない事態が発生している。農場ばかりか、魚の加工工場などからも労働者が消えてしまった。
当該新法を施行したアラバマ州では、現在20万人以上が失業している。しかし、アメリカ人はこれらの仕事に、もはや就く気持ちはないようだ。最大の理由は、賃金水準がきわめて低い上に、「移民の仕事」というラベルが貼られているからだという。ひとたび、こうしたイメージが根付いてしまうと、変えることはきわめて難しくなる。
異なるイメージ
イメージの形成は、仕事の内容と必ずしも関連していない。たとえば、ヨーロッパでは自動車工場の労働は、しばしば移民労働者と結びつけてイメージされてきた。単調で厳しい流れ作業の労働は、国内労働者から敬遠されてきた。
他方、アメリカでは自動車生産は、今でもアメリカ人が就くべき工場労働の仕事と考えられている。最近のデトロイトの復活に際しても、アメリカ人の仕事が戻ってきたと歓迎されている。
別の例を見る。韓国では製造業の大半を占める中小企業が、厳しい人手不足に直面している*2。これまでかなりの部分を外国人労働者に依存してきたが、政府が導入した割り当て制(「外国人雇用許可制度」)のために、必要な数の労働者を確保できないという。今や同世代の8割近くが大学を目指すという高学歴指向のお国柄だ。国内労働者はIT産業など、高度な産業分野を目指し、賃金が低く労働条件の悪い中小企業には就労したがらない。
そのため、外国人雇用許可制度の下で、外国人労働者の争奪戦が起きている。この制度では、外国人労働者を最長4年10ヶ月雇用できる。しかし、その数は割当制であり、政府の雇用センターへ申請の上、規定数の労働者が割り当てられる。国内労働者が働きたがらない職種がほとんどである。国内労働者の6割程度の賃金といわれ、自国民労働者では充当できず、外国人労働者を受け入れて、かなり依存してきた。発展めざましい韓国の産業を支える基盤の一部になっている。IT、自動車など、今では日本を追い抜く勢いの韓国産業だが、底辺部分の中小企業の様相は大きく異なる。
厳しい労働環境と高い労働移動率
日本では国民的議論にはならない。しかし、現実には同じ問題が、この国でも進行してきた。日本人が働きたがらない仕事の増加である。例として、1980年代の人手不足時代に急増した外国人労働者が働く仕事が挙げられる。「単純労働」といわれてきた熟練度の低い、労働条件が厳しい仕事である。日本人の労働者が集まらなくなり、外国人労働者が働くようになった。
外国人労働者に依存する仕事の分野はその後、かなり拡大・多様化した。当初は土木、建築工事などの下働き、中小企業の肉体労働、農林・漁業、サービス業などの仕事が多かった。その後、彼らの就労する場は、自動車、電機など大企業のかなり基幹的仕事まで拡大した。日本の労働者には賃金などの労働条件が厳しく、魅力が少ない仕事と考えられた。。
21世紀に入り、長く停滞した経済環境の下で、状況はかなり変化した。仕事を失った外国人労働者の中には、帰国する者も増えた。さらに、高齢化の進行に伴い、人手不足がゆえに放置されたり、減衰した産業分野も多い。中小・零細企業、伝統的職業などでは、消滅してしまったものもある。
他方、介護・看護などの職業分野は高齢化の進行を反映して、仕事の数自体は拡大したが、労働条件が厳しく、離職率が高い。最も人の道に沿った仕事であるにもかかわらず、従事する人たちの労働実態は過酷である。
地元に吸引力を取り戻す
アメリカ人のイメージする「ダーティ・ワーク」にしても、さまざまな改善の試みがなされてきたが、速効が期待できる対応策はない。中期的に効果が期待できるのは、こうした仕事の対価を着実に引き上げて行き、国内労働者を含めて、働き手が集まってくるような仕事の環境作りだ。移民受け入れ制限も程度が過ぎると、アメリカの農業労働者のような事態が生まれる。移民の受け入れ政策は、壁を高めるのではなく、適切な受け入れの経路と秩序の設定で対応すべき問題なのだ。
福島県を含め、東北被災県から人々が流出している最大の理由は、原発の放射能という「見えない壁」の存在にある。津波の被害もさることながら、不安の源である原発の存在が人々の定着を難しくしている。「壁」の外へ心ならずも、移住しなければならない。そして、壁の存在故に故郷へ戻ることができない。壁の外に安心して働き,家族を養う場所も少ない。その不安の源を解消することが最大の問題であることはいうまでもない。
復興庁本庁は霞ヶ関ではなく、被災県域内に置くべきだった。問題の根源に実行主体を出来るだけ近づけることは必須のことだ。やっと看板が掲げられた復興庁だが、その役割を果たすについては、被災地の要望に迅速かつ強力な支援で応えねばならない。被災疲れがありありと見える人々をこれ以上、流出させてはならない。震災後一年を経過した今、被災地の衰えた「地域力」だけでは、もはや復興はおぼつかない。ボランティアにも疲労の色が見える。精神的支援にとどまらず、地域の復興力を物心両面で支援・創出することは欠かせない。多様な能力を持った人たちが、域内に移住してくるように、魅力ある地域に発展させねばならない。
そして、首都直下型地震の勃発が遠くないことを考えるならば、やはり「東北都」の実現に向けての政治、産業・雇用基盤の充実が欠かせない。復興庁は復興都庁になるべき役割を負うべきなのだ。この小さな日本列島で、次に被災するのは首都圏の人々である可能性はきわめて高い。マグニチュード7程度の大地震が、首都圏直下で起きる可能性は、30年で実に70%とまでいわれている(地震調査研究推進本部)。その時、支えになってくれるのは、現在の被災地であるかもしれない。
* ”Do You Want This Job? ” by Elizabeth Dwoskin. Why Americans won't do dirty jobs. Bloomberg Businessweek, November 20,2011.
*2 World Web Tonight, February 9th 2012