時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

トランプ大統領選出の明暗(3): 壁で不法入国を阻止できるか

2017年01月29日 | アメリカ政治経済トピックス

 

アメリカ・メキシコ国境線と主要出入国地点

Source: U.S. Department of Transportation, Bureau of Transportation Statistics 


これが大統領だとばかり、次々と大統領令を連発しているトランプ大統領。今度はメキシコとの国境に壁を作ると発表した。さらに建設費はメキシコに負担させると一方的に宣言したから、メキシコ側が驚くのは当然。メキシコのペニャニエト大統領は負担するつもりはないと強く反発し、来週に予定されていたアメリカ・メキシコ両大統領の最初の会談はキャンセルされてしまった。

 トランプ大統領はメキシコの反応を見通していたとばかりに、メキシコからの輸入品に20%課税して、それでまかなうと言明、脅迫まがいの対応となった。ほとんど同時に発表された難民の受け入れ禁止も大きな衝撃を生んでいる。大統領のツイッターのやりとりで世界が翻弄されるというのも、冷静に考えれば滑稽な話だが、今のアメリカはどこか正常な感覚を失ってしまっている。

 壁の建造は数ヶ月後になるというが、一体いかなる変化が生まれることになるのだろうか。トランプ大統領の発言から推測するに、越境者は麻薬密輸や人身売買などの犯罪者、テロリストなど諸悪の根源のような言い方だ。あまりに単純すぎてあっけにとられる。もしかすると、トランプ大統領の食卓にはメキシコからの農業労働者が栽培した野菜や果物が載ったことがあるかもしれないのだが。

現実との大きなギャップ
 国境は単に地図上の境界線に止まらない複雑な存在だ。実際の距離はおよそ3200km といわれるが、西は太平洋に面するSan Ysidro(San Diego)- Tijuana から東のBrownsvillle-Matamoros まで延々と砂漠や山野を紆余曲折しながらも貫きのびている。この国境を越える目的は、仕事を求めて、家族の交流、旅行、ビジネスなど、多種多様だ。人の流れとともに、様々な物財、サービス、中には犯罪の手段としての麻薬、銃火器なども国境を通過する。人の数でみると、2000年代初期で各年、およそ2億8600万人の人々が両国間を移動している。さらに、いくつかの拠点を経由して約1億台の車が行き来する。そしてアメリカの税関は、各年約200億ドルの通関収入を記録している。

理解されていない実態
 こうした国境の実態を知る人は数少ない。しばしば一部分のみの印象で判断してしまう。トランプ大統領が国境とそれを行き来する人々や物資などの実態をいかに掌握しているのか、かなり疑わしい。ブログの筆者はかつて日米共同調査の一環として、アメリカ・メキシコ国境の一部を実見しているが、その多様さには圧倒される。毒蛇が潜む酷熱の砂漠地帯、大河を思わせるリオ・グランデ、メイン・ルートのすさまじい数の自動車など、簡単には語りきれない。

抜けられない壁はない
 問題の国境に莫大なコストをかけて壁を作るというこのたびの動きについては、共和党内部にも多くの異論があるようだ。巨額な建設費用と維持費まで考えると、ほとんど採算が合わないという推測も有力だ。
これまでも壁は容易に乗り越えられたり、付近にトンネルを作られたりして、抜け穴だらけだった。壁も作っただけでは意味がない。物理的な壁が持つ欠陥を補填するために、夜間の監視装置、ドローンなどを含めて様々な監視のシステム、それらを維持・管理する国境パトロールの大幅な増員も必要となる。昨年来のヨーロッパの難民問題から推察できるように、通過経路の一部がブロックされれば、移民・難民は必ず別の代替的方法を見つけ出そうとする。トランプ大統領は、NAFTAの廃止まで公言しており、 パートナーでもあるカナダ政府が強硬に反対しているのも当然といえる。ヴェトナム戦争たけなわの頃、徴兵を逃れてカナダ国境を越える若者がいたことを思い出す。ベルリンの壁が作り出した暗い時代との連想を指摘する人もいる。 

 トランプさん、カード・ゲームをしているつもりなのだろうか。それにしても切り札を間違えていませんか。


続く

 

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トランプ大統領選出の明暗(2): 壊れたシステム

2017年01月25日 | アメリカ政治経済トピックス

 


大統領就任後もトランプ氏のツイッター発言は「威嚇効果」ともいうべき影響力を発揮しているかに見える。自分に不利なことは一切無視し、禁じ手に近い策を単純な大衆迎合的手法で発信する。自国さえ利益があれば、手段は問わないという徹底した自国優先主義と言える。ポピュリズムの典型手法だが、伝染力が強いことが恐ろしい。歴史が1世紀単位で逆転したような感じだ。最近ではロシアへの過度とも思われる肩入れと、移民への人道無視とも聞こえる発言が様々な物議を醸している。

 今回はトランプ新大統領の主張する移民制度改革の一面について簡単に記すことにしたい。

強制送還:どれだけ本気?
 トランプ氏はすでに大統領選の過程で、ブッシュ、オバマ両大統領が任期中に成し得なかった移民制度改革について、国内に在住する不法移民およそ1100万人を強制送還すると発言、大きな衝撃をもたらした。大統領就任後はその困難さを多少認識したのか、最初は犯罪歴がある者を対象にすると言い直している。この数は2-300万人になるとしている(シンクタンクのMigration Policy Instituteはその数は82万人くらいと推定している)。送還の理由は異なるが、オバマ大統領が在任中に実施した送還実績とあまり変わらない。

複雑きわまる実態
 実は不法移民 illegal immigrants といっても千差万別だ。不法移民  illegals という用語は、undocumented(入国に必要な書類を保持せず、越境している), irregulars (通常の入国手続きなどを経ていない) などの用語とほぼ互換的に使われてきた。何をもって「不法」というのかという点については、かなり立ち入った議論が必要だ。アメリカの移民擁護者の中には、「不法」といっても、旅券を持たないで国境を越えただけではないかといった、開き直った言説まである。「不規則移民」などの用法が現れたのはそうした背景を反映している。移民の実態は複雑なのだが、いくつかの実例を紹介してみよう:

事例1: (Carens 2013、要約): ミゲル・サンチェスはメキシコの町で生計を立てるのが難しかった。そのため、アメリ カ入国のヴィザ申請を数回行ったが却下された。不法越境を考え、2000年ブローカーをの手を借りて、 徒歩でアメリカへ不法入国した。その後、親戚・友人のいるシカゴの建設労働者として働き、 母国の父親へ送金してき。週末も働き、夜は英語学校へ通学した。2002年 アメリカ生まれの女性市民と結婚、6歳の子供がいる。しかし、常に本国送還されることにおびえている。アメリカでは持っていないと不便な自動車免許も、旅券も申請、取得 ができない。アメリカで働いた結果、自分の家を保有し、税金も支払っている。しかし、現段階では彼と家族の存在を合法化する道はない。 

事例2
 グレイス・マルチネスは、メキシコのヒダルゴからアメリカのダラスへ7歳の時、両親に連れられて、国境を不法に越えて入国した。その後移民保護団体 United We Dreamで働いてきた。新政権になって不法滞在者に強制送還などの措置が強化された時に、
いかに対応するかなどの知識を提供している。彼女はオバマ大統領がようやく任期終了間近の2012年に行政命令で導入した子供の時に入国した者への送還延期措置 Deferred Action for Childhood Arrivals(DACA)の対象となっている。対象者は約74万人と推定されている。トランプ候補は大統領就任後100日の間にオバマ大統領のこうした措置の全てを撤回すると述べている。DACAも就任最初の日に撤廃することもできるが、さすがにそこまでは口にしなかった。しかし、これまでの経緯から程なくなんらかの措置を発表するだろう。あるいは2年毎の更改を拒否して緩やかに終了させてしまうこともできる。

 DACAの申請者は犯罪歴がないなど、いくつかの条件を満たしていなければならない。トランプ大統領は不法滞在者はいずれすべて国外送還するとしているが、彼らの多くは2004年以前にアメリカへ入国していて、経済、社会などの領域でアメリカへの貢献もしていることが多い。

 アメリカは出生地主義を採用しているため、両親が不法移民でもアメリカ国内で生まれた子供はアメリカ国籍が与えられる。しかし、上記の例のように、子供の時に入国した場合は強制送還の対象となってしまう。不法移民が green card (労働許可証)を得て、さらに市民権を取得するまでの道はとてつもなく遠い。

 トランプ大統領は選挙選の間、絶えず口にしていたメキシコとの国境に壁を築くという考えも、実現させるようだ。大統領命令に署名し、直ちに着手させる手はずをとった。ブッシュ大統領政権当時から、国境の壁建造を含む国境管理体制は強化されてきた。現在でも国境のかなりの地域には壁 (fence といったひょう方が適当かもしれない)が設置されている。トランプ大統領は恒久的な壁(wall)で両国を隔絶し、移民・難民の越境を阻止するつもりのようだ🌟。さらに、最近時では、ヒラリー・クリントン候補の得票がトランプ大統領の得票を数百万票上回ったのは、不法移民が不法に彼女に投票したからだとの不穏当な発言をして、大きな社会的議論となっている。こうした言動はどれだけの意味を持つだろうか。この問題については、ブログの域を超えるが、改めて論じる機会を得たい。

壊れてしまった社会システム
 トランプ大統領には「移民」はすべて同じに見えるらしい。もしかすると彼は「アメリカン・ドリーム」の最後の成功者なのかもしれない。貧しくとも、努力すれば大統領にもなれるという成功神話はすでにほとんど壊れている。狭い道でも教育と機会に恵まれれば、上層への道が開かれるという話は、アメリカの建国以来、かなり長い間信じられてきた。実際、そうした事例はかなりあげることができた。しかし、今回トランプ大統領を実現させた「貧乏な白人」poor whites には、その道は当初からほとんど閉ざされてしまっていた。アメリカのダイナミズムを支えてきたシステム自体が壊れてしまったのだ。


⭐️1月25日、トランプ大統領は国土安全保障省において、選挙選中の公約としていたアメリカ・メキシコ国境に物理的な壁 wall を建設するとの大統領令に署名した。およそ3200kmのうち1000kmに建設する。建設は数ヶ月後に着工する。費用負担は当初アメリカが負担するが、いずれメキシコ側に負担させる(メキシコ大統領は容認できないとし、壁の費用も負担しないとの声明を発している)。国境警備に当たる職員5000人の増員。さらにサンクチュアリー地域と言われる不法移民に寛容な都市や地域への連邦資金交付の停止、シリア、イラクなど中東7カ国からの移民・難民の受け入れを中止するとの決定も行った。

 

 ⭐️あめりかの移民制度改革の概略については、「終わりなき旅:混迷のアメリカ移民制度改革」(戦略策定フォーラム)、桑原靖夫編『グローバル時代の外国人労働者』(東洋経済新報社、2001年)などを参照されたい。

 

 







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トランプ大統領選出の明暗(1)

2017年01月22日 | アメリカ政治経済トピックス

 

J.D. Vance, Hillbilly Elegy: A Memoir of a Family and Culture in Crisis, New York: Harper, 2016, cover

トランプの強い支持層となった貧しい白人労働者階級 Hillbilly *の生い立ちからその盛衰を、自らの個人的体験から哀愁込めて描いたベストセラー。
著者のJ.D.Vanceはアパラチア・ヒルビリーの家系を継ぎ、オハイオ州の地方都市ミドルタウンの極貧の家庭に生まれ育ち、貧しくほとんどどん底状態にまで低落し、家庭崩壊した環境から努力して這い上がり、オハイオ州立大学、海兵隊、大学復帰後、名門イエール大学ロースクールを卒業、弁護士となり、シリコンバレーのIT企業のプリンシパルまで上り着いた。その生い立ちから今日までが感動的に描かれ、極貧の状態に落ち込み、社会的上向の道をほとんど閉ざされた白人労働者階級実態を赤裸々に伝える。  

アメリカ南部アパラチア山脈南部山地の出身者。低所得層が比較的多いこともあって、「プアーホワイト」とほぼ同義語で使われてきた。しばしば侮蔑的ニュアンスを帯びているため、近年では「ポリティカル・コレクトネス」political correctness(PC) として、「人種差別、性差別などのあらゆる面で自尊心を傷つけると解釈されかねない言葉は使用を控えるという社会的運動」の対象語になることもある。しかし、本書は著者自身が自著の表紙タイトルに使用している。歴史的にも特別の概念として使用されてきただけに、言い換えることはかなり難しい。日本人にはなかなか分かりにくい概念。


予想を次々と裏切りながら、ついに大統領の座にたどり着いたドナルド・トランプ氏。彼の当選を支えたのはアパラチアン山麓の「プアーホワイト」と言われてきた白人貧困層 poor white につながる中西部「ラスト・ベルト」rust belt の衰退工業地帯に働く白人低所得層労働者と言われることが多い。彼らは一体いかなる人たちなのか。その実態は必ずしもよく理解されていない。実はアメリカにおいても、人によって「プアーホワイト」のイメージは異なり、これまで正しく理解されてきたとは言い難い。その背景には、人種や居住地、教育レベルなどに関わる複雑な歴史的、政治的要因があった。トランプ当選後のアメリカの受け取り方を伝える番組「ザ・リアル・ヴォイス」2016年1月22日NHKBS1)*を見ながら考えた。

白人貧困層 poor white とは
 アメリカでは「貧困」poor は長らく「黒人」black と結びつけて考えられてきた。貧しいが故に福祉 welfare を享受していると想定されるようになった黒人、そうした環境を作り出している貧困の実態は、半ば固定化されたイメージを形成してきた。貧困を生み出す原因として、しばしば理由なく怠惰や無教育とも結びつけられてきた。このごろでは African Americans 「アフリカ系アメリカ人」と呼ばれることもある黒人だが、都市のスラム街の社会的病弊と結びつけられることも多かった。

 しかし、現実には「貧困な白人」poor whiteの方が、「貧しい黒人」を数の点でも上回っていた。アメリカでは長らく先に新大陸に来た者ほど社会階層でも上位につく可能性が高いと想定されてきた(トーテムポール)。アングロサクソン、ホワイト(白人)、次いでイタリアなど南欧、ルーマニア、ポーランドなど東欧からの移民、そしてかなり後になってアジア系、ヒスパニック系(中南米諸国)が位置するとされてきた。しかし、アメリカの先住民族(通称アメリカ・インディアン)と黒人(奴隷として連れてこられた人たちの末裔)はしばしば社会階層の最底辺に位置づけられてきた。こうした階層イメージは、公民権法の成立などによって多少の改善を見た後でも、根強く人々の心底深く残っていた。

 本ブログの筆者は大学院生であった1960年代、東部ニューイングランドから南部への産業移転(特に木綿繊維工業)を調査・研究していた。当時は、J・F・ケネディが暗殺(1963/11/22)された後を継承したリンドン・ジョンソン大統領が「偉大な社会」(Great Society)と題した政策を掲げ、民権の確立と貧困の撲滅を目指す「貧困への戦い」と名付けられたリベラルな政策を展開しつつあった。他方、ケネディ政権から受け継いだヴェトナム戦争への軍事介入・拡大で、国内に激しい反戦運動の展開と世論の分裂をもたらしていた。

'poor white'の淵源
 当時のアメリカで最貧困地域とされていたのは主として東部のアパラチア山脈のおよそ2600キロメートルに及ぶ山麓地帯であり、そこに住む極貧層の白人だった。アパラチア山脈についてはブログで記したこともあるが、北はカナダから南はアラバマ州まで続く山脈である。この地域の住人は長らく他地域から孤立、歪曲されたイメージや作り話で、しばしば固定化した実態として眺められてきた。彼らはpoor whiteと俗称されるとともに、しばしば hillbilly (貧乏人;蔑称)と呼ばれて蔑まれてきた。石炭など、豊富な天然資源に恵まれた地域であったが、現実には、「カンパニータウン」と言われる地域の会社が、住民の生活を実質的に管理する他地域からも隔離されたような貧困地域だった。住民は貧困に苦しみ、アメリカン・ドリームからは遠く隔絶された停滞そのものともいうべき地域であった。1960年代から1970代にかけて多くの社会学的調査が行われ、これらのステレオタイプ化したイメージはかなり払拭されてはいた。

 ヒルビリー(貧乏人)と俗称された彼らは、レッドネック(無学な労働者)、ホワイト・ラッシュ(白いゴミ)などとも呼ばれていた。その後、政府の政策的後押しなどもあって、数少ない志のある若者などは北に向かい、五大湖周辺のオハイオ、ペンシルヴァニアなどの工業州へ向かった。そしてかなり長い年月をかけて鉄鋼、自動車、製紙業など、当時のアメリカを支えていた製造業などで仕事の機会を見出してきた。しかし、そこまでたどり着けた者は数少なかったし、貧困の罠から脱却できた者は数少なかった。ベストセラー『ヒルビリー・エレジー』の著者ヴァンスのように、極貧で家庭も崩壊した中から、大きな個人的努力と偶然のように出会った様々な支援者などの励ましもあって、「アメリカン・ドリーム」を体現できた者の成功事例は、極めて稀であり、それだけに大きな注目を集めたとも言える。地域の他の人々に同じようなキャリアを期待することは無理だろう。

貧困の罠から脱却できない人
 さらに、彼らが確保したと思われた安定した雇用の機会は、その後グローバル化した競争に敗退した企業が密集する「錆びたベルト」rust belt と称される衰退地域へと変化する過程で、劣悪な雇用機会しか存在しない新たな貧困地帯へと変わっていった。「貧しい白人」の住む地域はこうして中西部へ拡大し、新たな問題を生み出してきた。

 かつてのデトロイトに象徴される自動車産業は、今日においても地域再生の鍵を握っている。電気自動車、ナノテクノロジー、情報技術などの関連産業が活性化し、新しいタイプの雇用機会を創出することができれば、再び輝いた産業地域へと復活しうる素地は残されている。

 トランプが大統領選で強調したのは、こうした地域へ保護主義という強引な手法で流出した産業を引き戻し、仕事を創出させることであった。トランプはそれを古いタイプの労働者に分かりやすい、間の説明を省いた表現で示したのだ。労働者たちはその直裁な表現に幻惑され、トランプを支持した。しかし、具体的な政策がほとんど示されていない。新産業の誘致、労働者の再教育、労働条件の改善など、地域再生には多くの時間を要する極めて困難な課題が残されている。この道はかつてアメリカ資本主義が歩んだ道への復活を目指したものであろう。トランプ大統領の「アメリカ・ファースト」などの歯切れの良い発言に幻惑されている間は、いっとき生気が戻ったかに見えるかもしれない。しかし、その先には新たな深い闇が待ち受けている。

続く


2024年7月21日、Hillbilly及びpolitical correctnessについての部分追記。

 


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ルターはドイツ人をどれだけ変えたか

2017年01月16日 | 絵のある部屋

  

マルティン・ルターの妻、カタリナ・フォン・ボラの肖像

Portrait of Katharina von Bora, wife of Dr.Martin Luther
24 x 38 cm, oil, wood
Location: Uffizi Gallery, Florence, Italy

 

激動の年であった2016年の出来事を省みながら、考えたことがいくつかあった。そのひとつは、16世紀の宗教改革の影響が、現代のドイツ(連邦共和国)の国民性にどれだけ継承されているのだろうかという問題だ。筆者の手に余るテーマであり、ブログ記事にもなじまないが、念頭に浮かんだことだけをメモとして記しておく。

宗教改革500年の年
 発端は、今年2017年が、マルティン・ルター(Mrtin Luther, 1483-1546, ルーテル)宗教改革500年記念の年として、ドイツ連邦共和国を中心に多数の行事が行われることに気づいたことにある。1517年の著名な「95か条の論題」がウイッテンベルグの教会の扉に掲示された出来事がその出発点とされる。ドイツ国内だけでも1,000以上の行事が国内各所で予定されているようだ。現在のドイツ連邦共和国では、キリスト教信者の比率は、国民の人口比でおよそプロテスタント30%、カトリック30%くらいで両者はほぼバランスしているようだ。しかし、国民性から受ける感じとしては前者の方がかなり優位のように感じられる。ドイツの場合、プロテスタントといっても、圧倒的にルター派だ。”Deutschland, Lutherland” (Christine Eichel)と言われることからもほぼ確かなことといえるだろう。

 宗教の世俗化がきわめて進んだ日本では、国民の宗教が何であるかを議論すること自体が、きわめて難しい。新年の初詣などに驚くほど多数の人々が押し寄せる傍らで、葬儀などの面では寺社、教会などに頼らない終末のあり方が議論され、実際に進行している。宗教が風化したと考えるべきだろうか。他方で、未見だが遠藤周作の『沈黙』が映画化され、静かな話題を生んでいる。書籍では読んでいるが、映画は未見である。日本人が初めてキリスト教に出会った時代の衝撃が追体験できるのだろうか⭐️。

 このところ、ブログの話題としてきた16-17世紀の画家や文人たち、たとえばヒエロニムス、デューラー、クラーナハ、エラスムス、トーマス・モアなどにとって、いかなる神を信じるかという問題は、人生のあり方、生死までを左右する重大問題であった。その後、宗教と人間のあり方の関係は、しばしば国家を介在しつつ、多岐にわたる展開をたどった。プロテスタントについても、ルター派は、カルヴァン、ツウィングリなどの厳格なスイス的流れとはかなり異なり、トーマス・モアが命を賭けたようなイギリス国教会などとも違って、それぞれに特異な点がある。

音楽好きな国民
 プロテスタントの流れにあって、カルヴァン、ツゥイングリなどは、音楽は官能的な風潮を喚起するとのことで消極的であったが、ルターは音楽に積極的な意義を見出していたようだ。今日、全国的にも330を越える公的なオーケストラが存在することからも、その流れが継承されていることがうかがわれる。書籍などの出版文化も世界の上位を占め「本好き」bookish な国民性が継承されているかにみえる。

 さらにルターは、ヴィジュアルな芸術には積極性を示さなかったと言われるが、自らの肖像画の頒布などに必ずしも消極的ではなかったようだ。実際、クラーナハなどの画家たちと親しく交流していた面もあった。

節度を保った衣装
 ルターの配偶者となったカタリナの肖像画などを見ると、派手ではないが当時の市民社会の中層を代表するような、聖職者の妻としての控え目ながら一定の贅沢さを楽しみ、人前で誇示してもみたいという現れが感じられる。髪は美しく整えられ、毛皮の襟のついたジャケットは、当時としてもかなり高価であったろう。修道士であったルターと結婚する前は、彼女は修道女であった。26歳の時、修道院を抜け出し、41歳の修道士ルターと結婚した。この画像はルーカス・クラーナハと彼の工房で制作されたものと思われるが、正確には不明である。落ち着いた容貌や衣装から1517年より前に制作されたものと推定されている。

 こうした流れはいまや世界的な政治家となったアンゲラ・メルケル首相の独特の衣装にも継承されているようだ。父親が教会牧師であり、東ドイツ出身であることの影響は、当初いわれてみれば感じられたが、今では自ら選択した一定のパターンの中で、色彩その他を変えることで、その独自な存在を確保しているようにみえる。より華美でファッショナブルな衣装を選択することは十分可能であるにも関わらず、政界デビュー当時からほぼ同じスタイルを維持している。まさにそれがメルケルであり、今では違和感を覚えることはない。一見してメルケル首相がそこにいることが分かる。隣国フランスのファッションとはおよそ次元が異なった選択基準である。

新たな宗教改革は生まれるか
 ドイツ連邦共和国の直面する課題は、イギリスがEUを離れる状況下で、格段に困難さを増している。就任式を間近に控えた トランプ大統領がその毒舌をメルケル首相にも向け、寛容な難民・移民受け入れ策を批判しているが、対面する時が楽しみ?なほど、二人の間には距離がありそうだ。

 このたびの難民受け入れの拡大で、ドイツ連邦共和国におけるイスラム信者の数については正確な統計は得られないが、300万人くらいではないかとの推定を見た。「EUはドイツだ」とは、トランプ氏の暴言だが、ドイツが難民・移民として受け入れたイスラム教徒との関係は、難しい時期を生むだろう。2000年にはドイツ・イスラム会議が開催されたが、その後新たな動きはない。しばらくはすでに頻発している騒動や右傾化を起こしながら、悲惨で難しい時が続くのだろう。今はキリスト教とイスラム教が並立しうる最後の時期であり、新たな宗教改革戦争の前章かもしれない。人類にこれ以上の悲劇を招かないためにも、グローバルな宗教間対話はなぜ推進されないのかと思う。


🌟『沈黙 サイレンス』マーティン・スコティッシュ監督、1月21日、全国封切り


References 

Max Wever, DIE PROTESTANTISCHE ETHIK UND DER GEIST DES KAPITALISMUS (大塚久雄訳『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』岩波文庫

Neil MacCregor, Germany: Memories of a Nation, Prnguin Random House, UK, (2014) 2016

Charlemagne: Nailed it, The Economist January 7th 2017

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メランコリックな時代に

2017年01月08日 | 絵のある部屋

 

国立西洋美術館の『ルーカス・クラーナハ展』も終幕が近い。この画家の作品は必ずしも好みという訳ではないが、アルブレヒト・デューラーやマルティン・ルターとの関係などもあって、画家の辿った人生経歴や同時代の人的な交流にかかわる興味はかなり強く今日まで続いてきた。

 先行き不安で明るい話題が少ない中で、ゆったりと新年を迎えるという気分が薄れてきたこの頃だが、いつものように床に積み重なり、崩れている重い画集や紙の束を少し整理する。実際には一つの雑然が別の雑然に変わるだけなのだが(笑)。断捨離は簡単ではない。心の底に残っていた記憶や思い出まで捨ててしまう感じがするためだ。16-17世紀のドイツ画家たちの画集なども目にすると、再び懐かしさがかき立てられる。

 ルーカス・クラーナハというと、なんとなくコルマールを連想する。小さいが美しい町だ。かつて須賀敦子さんの未発表のエッセイとの関連で記したこともある。町にある美術館 UNTERLINDEN MUSEUM も中世、ルネサンスから印象派、現代美術まで一通り揃っている。

 その中でも最も有名な作品といえば、通称マティアス・グリューネヴァルト(Mathias Grunewald, c.1470/1475-1528)の手になる『イーゼンハイム祭壇画』だろう。この時代、政治環境もあって地味な感じがするドイツの絵画史上、最も優れた作品の一つと位置付けられる。この画家の生きた時代はドイツ・ルネサンスの巨匠アルブレヒト・デューラーとほとんど同時代なのだが、作風からすればルネサンスというよりはゴシックという位置づけが適切だろう。作品を見ればすぐにわかる。

祭壇画の宝庫:アイゼンハイム祭壇画
 
この時代、祭壇画の黄金期であった。コールマールの美術館でもいくつか重要な祭壇画を見ることができるが、その中の白眉はイーゼンハイム祭壇画 The Isenheim altar piece の名で知られる作品である。制作年次は、c.1512-16年頃と推定されている。一見して傑作であることはわかるが、キリストの磔刑の描写がリアルすぎて、たじろいてしまう。現在はコルマールのウンターリンデン美術館の所蔵になっているが、元来コールマールの南方20kmほどのイーゼンハイムの聖アントニウス会修道院付属の施療院の礼拝堂に置かれてあった。施療を求める病んだ人々を慰める目的もあって、キリストの肉体も美化されることなく、凄烈、過酷に描かれている。施療を受ける患者が自らの苦難をキリストのそれと重ね合わせ耐え忍ぶ意味もあって、キリストの肉体も苛酷で生々しく描かれている。いつも見ていたいと思う作品ではない。

時代のメランコリア:デューラーとクラーナハ
  コールマールの美術館ではデューラーとクラーナハの『メランコリア』を比べてみることができる。巨匠デューラーの作品『メランコリア』(銅版画)は、極めてよく知られているが、メランコリア(憂鬱)は16世紀ドイツ画壇の主流のテーマだ。デューラーの作品は哲学的、象徴的な複雑さで、メランコリックな状態にある天才の心的風景を描いたと考えられている。それとともに当時の人文学的雰囲気を濃密に伝えている。この作品についてはすでに多くのことが書かれているので、そちらに詳細は任せよう。

 他方、クラーナハは、1528-1533年の間にこの主題で4部作を製作している。銅版画と油彩画(板材)の違いはあるが、与える印象もかなり異なる。右側の翼を背にした女性、犬など同じものがアトリビュートとして描かれているが、後景には黒雲に乗った悪魔や異形な姿が描かれ、その前に並ぶ子供(キューピッド)の姿にも暗示を与えるようだ。迫り来る時代の不安のようなものも感じる。デューラーの作品世界とはかなり異なった印象をうける。クラーナハの作品からは、何か不穏な空気が迫ってくる。メランコリーは基本的に 'acedia' と呼ばれる精神の弛緩した病的状態であり、精神的な前進が停滞し、鬱屈した状態を意味するとされてきた。しかし、画家の受け取り方はそれぞれかなり異なるように思われる。

 

 

Albrecht Durer(1471-1528) Melencolia 1
1514, engraving on copper
23.5 x 18cm,, purchase, 1986

 

Luccas Cranach the elder (1472-1553) Melancholy
1532, Oil on panel, 76.5x56cm Purchase 1983

 こうして並べてみると、同じ主題でありながら印象はかなり異なる。クラーナハの作品はデューラーよりも20年近く後に製作されたようだが、何がその違いをもたらしたのだろうか。現代人から見ればデューラーの作品は銅版、単色であることもあって陰鬱感は根底から伝わってくるが、クラーナハの作品はその含意を感じ取るにはかなり苦労する。翼を背負った女性の表情もメランコリックなものを感じさせない。精神的に弛緩した鬱状態というよりは、なにかこの時代に忍び寄る暗鬱な脅威のようなものを筆者は感じる。世界の近未来になにか不穏な、出口のない環境を感じる現代は、まさにメランコリアそのものである。 

 

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この子たちに未来は

2017年01月04日 | 移民の情景


Time 誌(December 26-Januaarury 2, 2017)


可愛いですね!

しかし、この赤ちゃんには重大な秘密が・・・・・・。

========

ある朝目覚めてみると、黒い旗の下、長いひげの男たちの中にいた。

  
年末から新年にかけても、TVや新聞は世界各地のテロリストによる爆発や射撃の事件を絶え間なく報じていた。年頭からシリアやリビアなどの難民、移民が、海路や陸路で少しでも安全な地へと逃げ惑う姿を思い浮かべることになる。シリアの破滅的状況は隣国トルコへと波及し、新たな惨事を生む。

 一昨年来、シリアやアフガニスタンなどの諸国から多数の難民がエーゲ海や地中海を渡ってヨーロッパへ押し寄せた。多くの写真や映像が人々の目を捉えた。最も衝撃的だったのは、あの波打ち際に打ち寄せられていた小さな男の子の姿ではないか。この一枚の画像に心を動かされ、難民救済への努力は当初加速度的に進んだ。

 しかし、その後、実態が大きく改善したとは到底言い難い。迫害や恐怖から逃れる途上にある難民たちの中には、多数の子供たちの姿もある。そればかりか、文字通り瓦解と破滅の中で、自分か子供のいずれを救うかという急迫した状態に追い込まれた母子あるいは父子もいた。シリア内戦の過程で、500万人を越えるシリア人が2015年から2016年にかけて母国を捨てたと言われる。その過程で彼らを支えてきた母国での地域のつながり、とりわけ人間の共同体も破壊された。

地上に天使がいるならば
 最近、Time 誌(December 26-Januaarury 2, 2017)は、ギリシャの難民キャンプで生まれたシリア難民の子供のことを報じている。この表紙に取り上げられたのはヘルン(Heln)ちゃんという昨年9月13日、ギリシャの難民キャンプで生まれた子供である。

 この世に天使なるものがいるとすれば、この子たちのような存在ではないか。破滅と混乱の極限ともいうべき状況で、この激動の世界に生を受けながら、そこがいかなるところであるかについては、無垢というべき白紙のままにある。その小さな命が果たして永らえるものであるかも、自分では何も知り得ない。
 
 さらに幸い命を永らえても、この子たちには国籍がないのだ。ギリシャや多くの受け入れ国は難民やその子供たちに原則、国籍を与えることはしない。次の受け入れ国が現れる時まで、暫定的に難民キャンプで最低限度の生活を提供しているに過ぎない。幸い受け入れが決まっても、問題が解決するわけではない。難民という存在が単に現在苦難の真っ只中にある人々にとどまらず、次世代の生死に関わる衝撃的影響を秘めていることを改めて考えさせられる。世界の多くの国が国境の壁を高くしている今、難民・移民の問題はさらに深く、深刻な重みを加えつつある。

 Time誌は、この子を含めて同じような状況でこの世に生を受けた4人の難民の子供たちの今後を追って記事とすると公表している。

 

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新しい年を迎える: 破壊や激変を乗り越えて

2017年01月01日 | 特別記事

 

 

新年おめでとうございます。

新たな激動の時代の幕開けです。

今年も多くの苦難が予想されますが、果敢に前へ進みましょう。

2017年元旦

  

 

 

 

 

 

 

 

 

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