Alexander Nemerov, SOULMAKER; The Times of Louis Hine, Princeton and Oxford: Princeton University Press, 2016, cover..(Exhibition at Cantor Arts Center, Stanford University, May 21-October 30, 2016). 画面クリックで拡大。
この少女はノースカロライナ州ウイットネル綿工場で紡ぎ手(紡績工)として働いていた。工場は夜間も操業しており、50人が働いていた。そのうち、10人はおよそ12歳で、それ以下の年齢の子供もいた。今からほぼ1世紀前、1908年12月に社会派の写真家ルイス・ハインによって撮影された。原写真は合衆国議会図書館印刷・写真部所蔵している。スタンフォード大学カンター・アーツ・センターが企画した回顧展にあわせて刊行された研究書の表紙である。
今回の企画展の呼び物の一つは、1世紀以上前に、子供たちが働いていた職場であった工場の写真や環境が、現代の写真家 Jason Francisco, Stanford MFA, '98)によって多数撮影され展示されたことである。それによって、写真を見る人たちは、ルイス・ハインの時代の子供たちがどこへ行ったかをそれぞれに考えることになる。
この少女の写真については、以前にもブログに掲載したことがある。写真が撮影されたのは、1908年アメリカ、ノースカロライナ州、ホイットネル繊維工場の片隅であった。撮影したのは当時、国立児童労働委員会で働いていた社会派の写真家ルイス・ハイン。ニューヨーク市の学校教員の職を辞し、働く子供たちの実像を記録に残すべく10年間近くをニューイングランド、南部、中西部の工場、炭鉱などでの撮影に費やした。当時の児童労働禁止立法の証拠資料として大きな貢献を果たした。それからすでに一世紀を超える年月が経過した。しかし、それでも忘れ去られることなく、多くの人の網膜に焼き付けられ記憶されている。今ではアメリカ史を象徴する記念すべき一こま(アイコン)とされている。上掲の写真は、昨年スタンフォード大学で開催されたこの画家の展覧会のために書かれた作品の表紙である。
ルイス・ハインの作品のいくつかは、本ブログでも紹介したし、一部分については日本語の説明がついた出版物もある。IT上でも多数の画像が公開されている。ご関心のある方は、この過酷な労働の現場で働いていた幼い少年・少女(児童) たちの一枚、一枚をよく見ていただきたい。時代を超えて、なにか心の底を揺るがされるような感じがするものが必ずあるはずだ。
子供の貧困:なにが変わったか
子供の貧困が大きな国民的問題となっている今日、子供自らが親や家族を支えるために、埃と湿気と騒音があふれた危険な職場で、しばしば一日12時間を越えて働いていた時代のイメージである。
画像の子供たちは、その多くが何かを必死に訴えるように、時には絶望感を漂わせている。とりわけ目の表情を見て欲しい。現代の日本の子供たちの表情とどこが違うだろか。一枚の写真だが、そこには時代の持つ過酷さ、恐怖、そして美しさが凝縮されている。写真機自体が珍しかった時代、その対象となった子供たちはなにを思ったのだろうか。
本書の著者であり、企画展のキュレーターを務めたアレクサンダー・ネメロフ Alesandaer Nemerov (スタンフォード大学美術・人文学教授)は、現代人にとって生きて働くことの意味を深く考えさせる手がかりとし、膨大な数の写真の中から厳選し、編纂している。表題の通り、ルイス・ハイン(1874-1940)の時代である。
子供たちはどこへ行ったか
soulmaker は邦訳が難しい言葉だが、過酷な現実を対象としながら、作品は言葉を失うほど美しい。セピア色の幾多のイメージは、これまでに何を残し、何を失ったのだろうか。ルイス・ハインの作品の多くは、これらの子供たちはその後いかなる人生を過ごしたかということを考えさせる。子供たちがいなくなった後、工場はどうなったろう。企画に際して、ネメロフが思ったことであった。
本書はルイス・ハインの数ある写真集とはかなり異なる。基軸はハインの写真とその意義を時代背景とともに描いているが、出来うる限り当時の職場のその後を追い求め、記録に残している。かくして、1世紀前のハインの時代状況が時を超えて現代と結びつく。子供の貧困が日本などの先進国においても大きな社会問題となっている今日、ハインの子供たちは今も生きているのだ。現代も過酷な時代だ。児童労働も絶えることなく地球上のいたるところに存在している。こうした事実は、人々の心を揺り動かし、その奥底でなにかを考えさせる。
上掲の写真はブログの筆者にとっても、忘れがたい一枚だ(「窓外の世界を見る」も同様)。半世紀ほど前、駆け出しの研究者として、アメリカでの労働経済研究に手を染め始めたころ、膨大な資料に圧倒される過程で、この希有な写真家ルイス・ハインが残した多数の作品に出会った。そして、アメリカの繊維工業、女子・児童労働の資料の山にのめり込んだ*。ルイス・ハインが残した写真は、工場や鉱山のみならず、建設現場、町中で働く子供たちまで、克明に記録していた。
後戻りする時間?
日本ではしばしば migration というと、「移民」のことを想像するが、ルイス・ハインの時代は、アメリカ東部に多数立地していた繊維工業が、南部の原綿産出州へ「産業移転」industry migration することが大きな国民的注目を集めていた。アメリカ史に刻み込まれ、今も進行している。
トランプ大統領が就任後、保護障壁を高め、国内への産業の強圧的な誘致、復帰を促す政策も、似たところがある。船に工場を積んで、アメリカを目指すシニカルな描写も見たことがある。
ルイス・ハインが南部に移りつつあった繊維産業の労働者を記録撮影していたころ、テネシー州ノックスビルでは、「新しい南部」New South の入り口として「アパラチアン・博覧会」が大々的に開催された。この度のトランプ大統領当選を支えた「貧しい白人」poorwhite の原点ともいえるアパラチア山脈の山麓に開かれる新産業と、対照的にその足元で働く奴隷を思わせる綿花摘みの黒人労働者が描かれたポスターがある。ハインの残した写真の中にはこの博覧会の出品展示まで含まれている。その中にはアトラクションであった飛行機、飛行船、パラシュート降下のデモンストレーションまであった。
Appalachian Expoaition Guiswbook, 1910, cover
アパラチア博覧会ガイドブック表紙、1910年
Nemerov, p.48
しかし、その足下、アパラチア山脈の山麓には、ルイス・ハインが、克明に記録撮影したような、貧困と過酷な労働の場が広がっていた。アメリカ東部ニューイングランドから南部への繊維工場の歴史的移転を生んだ要因の一つには、こうした低賃金、劣悪な労働条件があった。さらには各州、地域が提示した課税免除、インフラ提供などの誘致条件があった。100年を越える年月が経過しても、ほとんど変わらない事実もある。今日まで連綿とつながっている問題もある。レガシー(遺産)という言葉が流行している日本だが、その意味をよく考える必要がある。
*桑原靖夫「技術進歩と女子労働力:アメリカ繊維工業の事例分析」佐野陽子編『女子労働の経済学』(日本労働協会、昭和47年)