新年おめでとうございます
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新年を迎えるという感じが年々薄れるこの頃です。それでも新しい年は多少なりと人間の心に影響を与えるのではないでしょうか。まだ始まったばかりといってよい21世紀ですが、20世紀の後半50年と比較しても、明らかに多事多難な15年でした。平穏そのもののように見えた友人・知人の間でも,思いがけないことがありました。
そのひとつ、アメリカ・ヴァーモント州に住むMさんのこと、数年前に離婚して、カナダ国境に近い小村に女友達とラプラドールの犬一匹と暮らしていました。本人は州の身体障害者のためのNPO活動を続けていましたが、一昨年の冬は想像を絶する吹雪で家がほとんど埋没状態となり、通信も途絶、大変な思いをしました。除雪車も来られないほどの大雪だったとのこと。今年は自宅を賃貸(借り手ない)に出しながら、数十キロ離れた小村の友人宅に移住、70歳を越えているのに、車で仕事に出ています。とても、私にはできない生活、今年は雪が少ないようにと祈るばかり。
次々と届くクリスマスや新年の知らせを見ていると、一生懸命に生きている人たちのイメージが伝わってきます。頭に浮かぶことは多いのですが、ただひとつ戦争のない平和な年であることを祈っています。
George de La Tour. L'extase de saint Francois, St. Francis in Ecstasy. (Copy of the lost original). c. 1640. Oil on canvas. 154x163cm Musée de Tesée, Le Mans, France
年末が近づくと、多少の感慨も生まれ、いつもと違ったことを考えたりする。1年が終わるといっても、カレンダー上の月の変わり目でしかないことは承知しながらも、この数年、「幸福、豊かさ、あるいは進歩とはなにか」といった答の出ない問題を考えてきた(考えさせられたというのが正確かもしれない)。
こうした哲学的課題を考えるいくつかのきっかけもあった。今、多少頭の中で存在を感じるのは、ある雑誌の特集*や、長年にわたる友人の生き方に触発された「歳をとることの意味」ともいうべき問題だ。これまで考えたトピックスと同様、これも、凡人である私には結論めいたものにさえ達することが不可能なテーマだ。
抽象的な次元の議論は割愛して、今回も具体的なお話を紹介して、皆さんお考えくださいということにしよう;
もう40年余り前からのの友人であるドイツ人の夫妻、E&Aのクリスマス・カードに付けられていた手紙に記されていた話だ。地域の小さな図書館を管理している友人の妻Aの助手をしてくれていた女性が、この年末50歳の誕生日の2週間前に乳がんで亡くなったという。女性は有能な司書として館長を支えてきた。Aは新年から、この女性に自分が長年務めてきた図書館長の仕事をゆだねて、引退する予定でいた。
夫はすでに引退して、自分の生活を楽しんでいるので、Aもその日を楽しみにしていたらしい。年末にそのことを司書の女性に話そうと思っていた。ところが、ひとつの出来事で人生の設計が変わってしまったという。Aはしばらく暗中模索の時を過ごさねばと考えている。「人は死ぬために生まれてくる」というラテン語の箴言が記されていた。
他方、Aの夫であるEは、大学教授の仕事を離れて久しい。悠々自適とみえる毎日の生活だ。最近かなり楽しいと思うことがあると、次の話を書いて寄こした。
彼の友人である82歳の老人が、昨年2度目の脳梗塞の発作で半身不随となり、話すことができなくなった。しかし、人の話すことは十分理解できるらしい。友人Eは何を思ったか、毎週2回彼のところに出かけ、トルコのおとぎ話の本を読んであげることを始めた。ドイツのおとぎ話は暗くて憂鬱だが(なるほど!)、トルコの話は機知に富んで、爆笑する部分も多いという。
老人はEが来る日をとても楽しみにしているらしい。実は本を読む側のEもかなりの老人なのだが、日だまりで老人同士が本を読み、大きな声で笑っているような光景を思い浮かべると、なにか救われるものがある。
Eは正岡子規の句が好きで、なにを思ったか、この話の後に次のフレーズを記してきた。
Where a flower withers away before its painting has been completed.
これが正岡子規のどの句に対応するのか。いまだに思い浮かばないでいる。(この点については、 pfaelzerweinさんの博識なコメントで解決いたしました。コメント欄ご覧ください。)
* ’The joy of growing old (or why life begins at 46.’ The Economist December 18th-31st 2010.
しばらく前まで、TVは朝晩のニュースくらいしか見なかった。TVが特に嫌いというわけではないのだが、単純に画面の前に座っている時間がなかったにすぎない。そのためもあって、朝の連続物、大河ドラマのたぐいはほとんどまったくといってよいほど見たことがない。他方、新聞など活字は割合よく読んでいる。明らかに活字派なのだ。
最近、少し様子が変わってきた。自由になる時間が増えたことに加えて、細かい活字を読むことに疲れ、次第に見るに安易な映像世界派へ傾いてきた。もともと好きなサッカーなどのスポーツ番組を見る時間も少しずつ増えて、思いがけずのめりこんでいたりする。スポーツ番組は嫌いではない。団体競技でも、個人が自分の持つ全力を投入してプレーする姿に惹かれるからだろうか。
他方、最近少し気になっていたことがある。司馬遼太郎の『坂の上の雲』あるいは『竜馬伝』などの明治期、懐古番組が話題になっていることだ。それもこの国唯一の国営TVともいうべきNHKの独占的?制作、放映だ。TV番組の原作となっている作品については、一通り読んではいる。しかし、今頃どうしてと思うほどの入れ込みようだ。この制作側のいささか異様と思うほどの熱の入れ方が気になり、その裏を考えてしまう。近頃、すっかり活力がなくなり、不安に追われているような現代の日本人に、なにかを考えさせ、時代の閉塞感を打ち破るような活力を発揮させようとの誰かの深謀遠慮が働いているのではないかと邪推してしまう。
ところが外国にも同じようなことを考える人もいるようだ。著名な国際的雑誌 The Economist が日本の実質的な国営放送局NHKは、隠れた政治的課題を持って、これらの番組を制作、放映しているのではないかという記事*を掲載している。
真偽のほどはわからないが、「龍馬を殺さずに生かしておいてくれ」という投書がNHKに多数送られてきているという。新年から始まる大型番組『坂の上の雲』にも、制作者の間には方向性を失っているこの国について考えるために、「国民は歴史から学ばねばならない」という意図がかなり明瞭にあるようだ。『坂の上の雲』の原作者司馬遼太郎は、日本人の間に好戦的な愛国心が惹起されることを恐れて、作品がTVなどに映像化されることを望んでいなかったと伝えられている。しかし、その願いは果たされなかった。
人口減少、少子高齢化がもたらした数々の重い問題に加えて、日本の周辺も緊迫感が漂っている。あのThe Economist 誌は、日本の高齢化社会がもたらす問題の特集に、次のような辛辣な表紙を掲載している。
この重圧をいかに取り除くか
時の氏神がご機嫌を損ねたのか、「普天間基地」、「尖閣列島」、「北方領土返還」、さらにはお隣り韓国での「ヨンピョン島砲撃事件」など文字通り「問題山積」の状況が生まれている。東アジアの緊張は明らかに高まっている。いずれの問題も対応を誤れば、一触即発の危機になりかねない。
「日本が大陸と地続きでなくてよかった」という思いがする反面、地政学(ジオ・ポリティックス)上の特性を生かして、悲惨な結果につながるような過ちを繰り返さぬよう、日本人は深く考えねばならない時だ。アジアとアメリカとの地政学的プレート・テクトニクス、深層基盤が重なり合い、上下入れ替わろうとする歴史的転機にさしかかったようにも見える。その先端部での現象が今起きていることではないだろうか。日本の生きる道はどこにあるか。「和魂洋才」を掲げて一世紀半以上の年月を過ごしてきた日本は、これからアジア、アメリカどちらの基盤に比重を移そうとしているのか、あるいは移すべきなのか。坂本竜馬がその答を与えてくれるとは思えない。大河ドラマも心して見なければならない。現実はドラマよりもはるかにすさまじい様相を呈している。時々意識して末端神経を活性化していないと、蜘蛛の糸に縛られてくるような気がしている。
Reference
*“Televised nostalgia in Japan:Those were the days” The Economist December 4th 2010.
今回の尖閣列島問題をめぐる議論を見ていると、人口1億2千万人の日本と13億人の中国が地続きだったら、どんなことになっているだろうかと思う。アメリカとメキシコの比ではないはずだ。ある段階から「数は力となる」。管総理は「一衣帯水の国」だからと努めて冷静を装うが、完全に手の内を読まれている。
個人的に憂鬱なことは、かなりの時間をかけた後に、やっと率直に話ができるまでになった中国の友人・知人たちとの関係が、こうした事件ひとつで、堅苦しい距離を置いた関係へ逆戻りしてしまうことだ。10月にも訪中して久しぶりに歓談しようと思っていたが、出端をくじかれてしまった。
中国は70年代から何度も訪れ、限られた分野とはいえ、かなりの知人・友人も増えた。繰り返し、話を重ねる間に心のわだかまりのようなものも消えて行き、相当深くしかも冷静に、二つの国の間にある問題点も話し合えるようになった人たちもできた。中国ではお互いの間に「信頼」がなければ、本当のことはなにも話してもらえない。しかし、ひとたび人間としての信頼が生まれれば、驚くほど道は開ける。
しかし、今回のような問題が生まれると、とたんに気まずくなり、お互いに解説者のようなあたりさわりのない話に戻ってしまう。せっかく率直に話せるようになってきたと喜んでいた矢先に、吹き込んだ一陣の冷風で空気は一変してしまう。お互いにやはり信頼できない相手方なのだという冷めた次元へ転換してしまう。
中国政府も国内事情があるとはいえ、大人げない。国の権益維持と正当化のためには、通常の外交手段以外のあらゆるものを動員する。これが大国のすることかと思うが、国民の情報管理をしている国にとっては痛痒も感じないらしい。発動も早いが、國際世論の批判の前に、利われにあらずとなると、引くのも素早い。内容の当否は別として、国家戦略として運用されていることが直ちに分かる。
あの食品安全問題にしても結局どうなったのだろうか。事件の印象が遠く薄れた頃まで責任の押し付け合いをし、結論を引き延ばし、結局うやむやにされてしまう。日本はのど元過ぎれば熱さ忘れるという国だ。なんでもすぐに忘れてしまうこの国の将来が心配になってくる。国家戦略室もすっかり忘れられている。
欧米のメディアには、政治や経済について、大変辛辣(シニカル)あるいはユーモラスなコメントや諷刺画を売り物としているものがいくつかある。読者は一見して楽しめばすむだけのことだが、時にはいささかやり過ぎと感じる場合もないわけではない。
日本の最近の政治は、誰が見ても惨憺たるものだ。海外のメディアの方が、えこひいきなく客観的に見ていると思える部分も多い。最新のThe Economist(5th-11th 2010)は日本を取り上げ、「指導者のいない日本」Leaderless Japan と題する論説を掲載している。論説自体はいつものごとく興味深いのだが、少し驚いたのは雑誌の表紙だ。国旗の「日の丸」から赤い丸(日の丸)の部分が脱落して落下している辛辣な絵を掲載している。
ひと頃だったら、ここまでやるかと思ったかもしれないが、最近の政治の惨状をみるかぎり、そうした思いを通り越して深刻に考えさせられる。日本の首相は任期制?という冗談を聞いたこともある。この雑誌、しばらく前には「頭痛を分散する」*と題して、白地に大小の赤丸が散った国旗?を憂鬱な表情で眺める人々を戯画化して描いてみせた。野党に下った自民党から離党した人たちの小政党の乱立ぶりを取り上げ、諷刺している。
国中あの大騒ぎのあげく政権交代しても、結局9ヶ月、259日しか保たなかった。その間、この国が目指す再生、活性化の道は、ほとんど国民に示されることなく終わった。政治家も国民の身の丈に相応しているといえば、それまでだが、今度だけは白旗を描かれないようがんばってほしい。
* 'Splitting headaches' The Economist April 10th 2010
'Leaderless Japan' The Economist June 5th-11th 2010
ナンシーの町の一情景(Photo:YK)
毎日大量に届けられる新聞の折り込み広告、いつもはほとんど見ることもない。貴重な資源の浪費と思ってきた。どうしたことか今回は違った。最初に目に触れた折り込みから、いきなり「ロレーヌ」 Lorraine の文字が飛び込んできた。手に取ってみると、あるデパートの「フランスウィーク」と題する催し事の広告だった。キッシュ・ロレーヌ、マカロン、チーズからリュネヴィル窯のプレートも・・・・・・・・。日本の折り込み広告で、リュネヴィルの文字を目にするなど、思いもしなかった。メッスの一つ星レストラン「レクルーズ」のシェフも来日とのこと(アイスランド噴火騒ぎでも?)。フランス・フェチ?の多い日本人だが、ロレーヌ、ましてリュネヴィルがどこに位置するのか、知っている人はきわめて少ない。フランスでもどちらかといえば、地味な地域だ。ロレーヌに少しばかりのめりこんだこの「変なブログ」だが、一瞬目まいがしそうな朝だった。
立春が過ぎてから日本列島は寒波に見舞われ、各地でかなりの雪が降った。文字通り「春の雪」だ。今年は日本に限らず、世界の各地で異常気象のために大雪が降り、交通機関が麻痺するという状況が生まれた。ニューヨーク州の田舎に住む友人からのメールにも、年末からの大雪で道路が閉鎖され、退職後、町の消防団長でもある彼は雪に埋もれた消火栓の確保などの仕事に追われ、クリスマスカードもとりに行けなかったほどだったと記されていた。ニューヨーク市も国連本部が臨時休日になるなど、かなり大変らしい。
イギリスでは融雪剤として使う砂塩が不足して、除雪ができないという事態が生まれたという。そういえば、かつてアメリカ生活を送っていた頃、豪雪地帯では一冬が終わると、自動車の品質が劣化するという話があった。除雪用に道路に撒かれた塩が車体に付着してしまい、そのつど良く洗車しておかないと、冬の終わりにパネルの裏などが腐食してボロボロになり蹴飛ばす程度で折れてしまう。事実、中古車などではよく見かけた。
除雪用に使う粗塩は、アメリカやイギリスでは1トンあたり40-50ドルとのこと。化学産業で使われるもう少し精製された塩は150ドルくらい。さらに料理でグルメが好む高級な食塩「塩の華」fleur de selにいたっては1トン7万ドル以上もするらしい。いずれも突き詰めれば塩化ナトリウムなのだが、有害な夾雑物などを取り除くのに大変費用がかかる。今回の大雪で苦労しているワシントンD.C.などでは、雪を処理するため川へ捨てたいのだが、有害な塩分などが混入しているため、処理に困っているようだ。「雪害」過ぎて、「塩害」へということらしい。ちなみに、融雪効果を生むには1平方メートルあたり10-20グラムを散布する必要があるとのこと。
意外なことに塩は、取引の範囲、市場の大きさなどがかなり限定されていて、除雪用塩が足りないといっても、簡単には生産拡大、不足地への輸送などができないという。美しい雪も生活に必要な塩も度を過ぎると、思いがけないことが起きることを知らされた。
Reference
”Salt sellers” The Economist January 16th 2010/01/24
アフガニスタン増派についてのオバマ大統領演説を聞く。演説会場にハドソン川上流のウエストポイント陸軍士官学校を選ばれたことを知って、ある記憶がよみがえってきた。ヴェトナム戦争でアメリカの敗色が濃くなったある夏の日、ここを訪れたことがあった。ニューヨークから車で一時間くらいで到着した。ハドソン川を下方に望む風光明媚な高台の一角である。かつてハドソン川を支配する要塞が築かれた意味が説明を受けずともわかる。ハドソン川を航行する船舶の動きは、すべて掌握できる自然の要害だ。
南北戦争のグラント、リー将軍、マッカーサー、アイゼンハウワーなど、歴史に名を残すアメリカの最高司令官たちが卒業した職業軍人養成の名門校である。陸軍士官学校といっても、卒業生は各界で活躍している。アメリカ国内に高まる厭戦気分にもかかわらず、広く美しい校庭では、白い制服をまとった士官候補生(カデット)たちが、整然と行進の練習をしていた。映画の一齣のようだった。実際に、ここを舞台とする映画が何本も制作されたようだ。
オバマ大統領の演説は、アイゼンハウワーの名がつけられた講堂で行われた。かつて見物に訪れた時は女子学生は入学が認められていなかった(1976年許可)。しかし、今は女子学生の姿も見える。最前列には、クリントン国務長官の姿もあった。ワシントンからは車で五時間くらいの距離だが、ヘリコプターで飛んできたのだろうか。
ウエストポイントが選ばれたのはいかなる配慮によるものだろうか。間もなくアメリカ陸軍を中心とする国家の最高戦略を担う士官候補生たちに派兵の意味を訴えて、アメリカの世界政治に果たす役割の重要性について共感を得たいと考えたのだろうか。
サイゴン(現在のホーチミン市)陥落の映像が浮かんできた。アメリカがアフガニスタンの戦争に関わってから8年になる。来年夏までに3万人の増派を説明した大統領は「オバマのヴェトナム」にはならないと強調した。再来年7月に撤退は可能なのか。撤退とはいかなる状況がイメージされているのだろうか。来るべきその日のイメージはまったく見えない。大統領選挙戦の時にみられたあの国民的熱狂は、どこかに消え去ってしまった。アメリカは静かになっている。
アフガニスタンでは、アメリカへの不信や怒りは広がっている。今回の増派で比較的短い期間に、アメリカが彼らの信頼を回復しうるとは思えない。この派兵に伴い、テロ活動などでアメリカ軍の犠牲者が増加することも不可避だ。力による制圧以外に平和実現の道はないのか。世論調査は、アメリカ国民の大勢は今回のオバマ大統領の増派決定を支持しているとしている。ヴェトナムの苦い経験は彼らの中に生きているのだろうか。
筆者の脳裏ではヴェトナムとアフガニスタンのイメージはかなり以前から重なっている。アメリカ人ならずとも、あのサイゴン陥落のような光景は見たくない。ウエストポイント演説は重要な意味を持つ。オバマ大統領の目にはなにが映っているのだろうか。
* この大統領演説の後、案の定、さまざまな論評が怒濤のごとくメディアに流れている。ABCnews ではクリントン国務長官とゲーツ国防長官がインタービュに答えていた。ソ連のアフガニスタン侵攻とは異なると述べてはいたが、説得的ではない。さらに、アフガニスタン新戦略をめぐって円卓議論も行われていた。しかし、論者の見る角度は異なっても、誰もこの戦争の行き着く先は読めないのだ。9年目に入る戦争に関わっているアメリカでは、国民の間に次第に孤立(不干渉)主義が高まっている。アフガン介入を正当化させているのは、唯一、9.11がこの地で画策されたからということにすぎない。オバマ演説が支持を得たかに見えたのは、ひとえに彼の言葉の力だ。しかし、それも次第に空虚に響くようになってきた。ノーベル平和賞はやはり早過ぎたのでは。
新聞が、米アマゾン・ドット・コムが前年同期比69%増益となったことを伝えていた。新製品の電子書籍「キンドル」も好成績の一因らしい。ふとしたことで、この端末を手にすることになった。書籍や論文の電子版などをネット上で購入したり、ディスプレイで読むことは、しばらく前から経験していたので、いずれこうした電子書籍リーダーが実用化されることは十分予想はしていたが、実物に接してみると、ある種の衝撃を禁じ得ない。
「キンドル」は想像以上に良くできていると思った。使ってみて戸惑う点はいくつかある。紙の書籍のように立体感がない、印刷物としての全体像が直感的に把握しがたい、新聞など大きな印刷物は紙面全体が視野に入らない、そのこともあって記事のウエイトづけが把握できない、どこになにが書かれているのか、すぐには分からないなどの問題はあるが、ここまできたIT技術の進歩に素直に感動する。
使い方に慣れてみると、思ったより操作性はよい。単語にカーソルを動かすと、辞書の説明が表記されるなど、紙の書籍では期待できないことも可能だ。紙の書籍だと、書き込みやマーキングすることはためらうが、電子書籍ではそれも簡単にできる。ワンクリックで瞬時に本や新聞が購入できてしまうというのは、衝撃的だ。本好きな人には、たまらないかもしれない。それでなくとも、なにか購入しないとただの空箱なので、たちまち何冊か購入してしまった(笑)。
紙の書籍と電子書籍の間には、まだ大きな隔絶感がある。ふたつはまったく別の世界にあるようだ。同じ本を紙か電子版のどちらで買うかと聞かれれば、今の段階ではためらいなく紙の書籍を選ぶだろう。
書店や図書館で実際の本を手に取る楽しみは、IT上のショッピングにはとても代え難い。紙の書籍の持つ独特の手触り、匂い、そしてなによりも慣れ親しんだ立体感は、電子書籍では得られない。それでも、電子辞書がいつの間にか紙の辞書を追い出して机の片隅を占拠したように、いずれ電子書籍が書棚の本のかなりを追い出すことは十分予想できる*。古書は、そして50年後の図書館はどうなっているだろうか。時空を超えて、その光景を予想してみようとは思わない。
* 偶然見たTV番組「日本全国俳句日和」(NHK衛星第二、10月25日)から:
「広辞苑 手首痛めり 秋の夜」(山本太郎)
サガニ川河口付近
「9月1日、われわれはその港からカナダへ向かって進んだ。そして、港から15リーグ(1リーグは約4.8km、およそ70キロ)ほど西南西へ航行した時、大河の真ん中に3つの島を見つけた。島の向こうに大変深く、流れの速い川があった。それがサガニー王国とその土地へ向かう水路であり、道だった。」 ジャック・カルティエ 『カナダ探検記』
「サガニ(サグニ)王国」"Kingdom of Saguenay" (仏:Royaume du Saguenay)の名を知っている方は、かなりの北米通といえよう。セントローレンス川とハドソン川については、興味深いことが数多いのだが、とても簡単には書き尽くせない。小説家なら、長編小説、大河小説?が書けそうだ。
ただ、ケベックについて断片を記した関連で、思い出したことを少しだけ書くことにしたい。「サガニ川」*は、セントローレンス川をケベックから少し下った左岸で合流する最大の支流である。合流点付近は、大洋を航海する船が航行できるほどの大きな川であり、氷河が残したフィーヨルドがある。水深も深い。謎の「サガニ王国」は、このサガニ川をはるか遡った奥地にあるといわれてきた。
この王国の中心には、美しい湖水地帯があるといわれてきた。今日ではサン・ジャン湖 Lac Saint-Jeanと呼ばれる地域のようだ。長い間、そこへ到達するには、セントローレンス川との合流点タドウザックTadoussac からサガニー川を遡る以外に手段はなかった。タドウザックは1600年にフランスがこの地域で最初に植民拠点とした、カナダで最古の港だ。世界で30の最も美しい港のひとつに挙げられている。しかし、その名を知る人は少ない。
「サガニ王国」の名が最初に歴史に現れるのは、フランス人でカナダの発見者だったジャック・カルティエ Jacques Cartier (1491―1557)が記した1535―36年の旅行日誌が初めてのことらしい。フランスそしてイギリスの王たちが、新大陸での利権を争っていた16-17世紀の頃は、かなり知られていたようだ。「王国」(Kingdom, Royaume) の名は、そうした遠い冒険時代の伝説的な響きを秘めている。
元来、「サガニー王国」は、北米の先住民族アルゴンキン・インディアンの伝説から生まれたらしい。それによると、この地域の北方に金髪で金銀、毛皮で豊かに暮らす人々が住む地があると伝えられてきた。ちなみに「カナダ」というのもイロコイ族の使っていた地名だ。
本格的な植民が始まる以前の時代、セントローレンス川自体が探検の対象であり、地理的にも謎めいた話が多い地域だった。フランスは、17世紀、あの敏腕・狡猾な宰相リシリューが新大陸に布石を打っていた時代でもある。このケベックからセントローレンス川の左岸の奥深く広がる広大な森林・湖沼地帯は、ヨーロッパでは金や銅などの資源、豊富な毛皮の産地として豊かだが、神秘的な土地として話題となっていた。
カルティエは最初の航海の時に、インディアンの部族長ドナコナ Donnacona の息子をフランスへ連れて帰り、この謎の王国の話を聞き出したともいわれている。その話がどれだけ真実性をもっていたのか、今となっては分からない。何らかの目的でつくり出された架空の話であったのかもしれないし、初期の探検家、山師などの姿から先住民が想像したのかもしれない。
16世紀には数少ない探検家、山師、漁師、商人、宣教師などが、この幻の王国の伝説に誘われて、山奥深く分け入ったにすぎない。この王国の存在は、度重なる探検家などの探索でも確認されていない。利権争いの中で生まれた架空の、王無き王国であったのかもしれない。この地域に白人の定住者が入ったのは確認されるかぎりでは1838年のことであった。当初は毛皮貿易、農林業、そして19世紀になって電力、そしてアルミニウム、製紙などの産業が立地する地域になった。
サガニ川はサガニ地溝帯を流れ、合流点タドウザックはベルーガ(白いるか)が多数見られ、ホエール・ウオッチングができることでも知られる景勝地だ。太古の昔、氷河が大地を深くえぐった跡が豊かな水の流れる大河となっている。水量も豊かで、初期の探検家たちが東洋への水路ではないかとして、さぞかし心を躍らせたのではないかと思う。この地域を旅すると、サミュエル・ド・シャンプラン、ジャック・カルティエ、あるいはリシリューなどの探検家、宣教師、政治家などの名前をつけた道や地名に出会う。リシリューの名にカナダで会うとは? 17世紀の世界の広がりは面白い。先住民でもあるインディアン部族の名前に由来する場所も多い。幻のサガニー王国は果たして存在したのだろうか。
白い部分のどこかに「サグニ(サガニー)王国」があった?
セントローレンス、ガテナウ付近の紅葉
*
綴りはSaguenayだが、土地の人の発音は「サガニ」に近い。
オバマ大統領の医療保険制度改革に関する議会演説(9月9日)を聞いた。大統領支持率も大きく下がってきただけに、大統領選の演説を思わせるきわめて力の入ったものだった。もうすっかりおなじみになった「オバマ節」だ。大統領の議会演説は基本的に敬意を持って聞くという慣行のようだが、緊迫した情景があった。
大統領が「民主党は新医療改革を不法移民にも適用しようとしていると云われているのは正しくない」と述べた時だった。サウス・カロライナ選出のジョー・ウイルソン共和党議員が「貴方は嘘をついている」と叫んだ。大統領に対する尊敬の念を欠いた不適切な発言ということで、ウイルソン議員には非難も集中し、本人も直ちに謝ったようだ。一部の共和党議員の間に存在する、建設的な議論を頭から拒否するという最近の風潮が暴発したようだ。オバマ大統領も今回のことは水に流すとしている*。
今や1200万人近いといわれる不法移民が、医療、教育などの公共サービスをコストを負担せず使っているとの批判は、以前からある。オバマ大統領はとりわけ新医療改革案が、増税などでこれ以上余分の負担を国民にかけないということを例示する意味で、あえて不法移民にまで言及したのだろう。
大統領が演説の最後に引用した、亡くなったばかりのテッド・ケネディ上院議員の遺言との関係で感じたことがあった。ケネディ議員は生前共和党マッケイン議員との連携の下に、「新移民法」構想のひとつの原案ともいえる法案を提出した。法案は実現にいたらなかったが、いずれ議論が再開すれば十分土台となりうる内容だ。ケネディ議員はマケイン議員と連携することで、民主党と共和党の架け橋を作り、新移民法案の成立を図ったが果たせなかった。
ケネディ上院議員の未亡人も列席する中で、大統領はケネディ議員の遺言を引用し、「(医療保険改革は)優れて道徳的問題であり、重要なことは政策の細部ではなく社会的正義とわれわれの国の品位にかかわる基本原理にある」と述べた。民主党きっての良識派ケネディ議員の「白鳥の歌」だ。この言葉に力を借りて、オバマ統領は、自らの政治的命運を左右する医療保険制度改革を乗り切ろうと思ったのだ。これまでFDR(フランクリン・ロースヴェルト)からクリントン大統領まで、歴代大統領が果たし得なかった困難な政治的課題だ。自らつくり出した大不況に足下が揺らいでいるアメリカの国民が、自国のあるべき姿をいかに考えるか、その行方を計る重要な試金石だ。
アメリカ国民が建国以来の伝統的「アメリカン・ドリーム」の考えを維持し、社会の格差の存在を認めるのか、社会的弱者を積極的に救済し、そのための負担増もやむなしとする方向へ舵を切るのか。大きな潮目だ。この問題はもはや「対岸の火」ではなくなった。間もなく発足する新たな政権の下で、われわれにも形こそ違え同じ問題が突きつけられている。
* その後、事態は同議員に辞任を求める動きにまで発展しているようだ。
イギリスの雑誌 The Economist の表紙が、しばしば奇抜で秀逸なことは、このブログでもすでに記したことがある。今回の日本の民主党への政権交代の反応がこれ(上掲)である。「日本を変えた投票」The vote that changed Japan という表題がつけられている。多くの日本人の受け取り方が、このような衝撃的なものか、すぐには答えられない。
むしろ、ブログ管理人としては、波高い海上で沈没寸前のボートから別のボートへぎりぎり跳び移ったような印象だ。激変であることはその通りだが、突然の噴火のような衝撃ではない。国民の多くは不安ながらも他に選択肢がなく、選ばされたようなところがあるのではないか。苦難は、厳として目前にある。新しいボートが国民を安全な航海に導いてくれる保障はない。結果は乗組員全員の英知、勇気ある決断と行動にかかっている。ここまで来たからには、しっかりと行方を見つめたい。
The Economist が指摘する今回の選挙がもたらした変化は、次の3点だ。第一はいうまでもなく民主党の圧倒的な勝利である。308議席。「数は力なり」だが、力が質の改善につながる保証はない。第二は、自民党の敗北は、日本の政治文化の深部における変化の累積が生み出したものという点だ。国民の我慢が耐え難いところまで来たのだろう。そして、第三は、自民党政治をひっくり返すことで、日本の選挙民は自民党という政党を放り出しただけでなく、全体のシステムを放り出したのだという。これらの指摘がすべてその通りか、今はまだ答えられない。
具体的な次元で最重要な点のひとつは、新設される「国家戦略局」*という新組織だ。すでに注目が集まり、多くの議論が始まっている。日本という沈みかけた船の復元に残された時間はそう多くない。必要なことは、新生日本のイメージと進むべき道筋を国民と世界にはっきりと示すことだ。問題の軽重をしっかり見極め、政治家の真骨頂を示してほしい。
今はただ、次の表紙が「大山鳴動して鼠一匹」にならないことを望むのみだ。
* 戦略 strategiesという概念が、今日では軍事的意味から脱して、経営や国家のあり方などの領域にまで拡大して使われていることは理解していても、名称としては「国家基本構想局」くらいが良いのではと思う。法案化の過程で検討を望みたい。
# 追記、このブログ記事の後、『朝日新聞』9月13日「私の視点」(投稿)に、歌人の道浦母都子氏が「国家戦略局」という名称に違和感を覚えると記されている。管理人と異なり、「戦略」はともかく、「国家」なる言葉が「国家総動員法」、「国家非常事態」といった過去の言葉との暗い連想を生むことを指摘されている。管理人の私の方は、世界に「国民国家」 nation state が歴然と存在する以上、「国家」という語は(使わない方がよいが)入っても仕方がないという感想だ。「国民」では意味が異なってしまう。「国家」と「戦略」が結びつく連想は最悪だ。いずれにせよ、両者ともに言葉をもっと大切にしてほしいという点では変わりはない。
星空を眺めて
日本人宇宙飛行士の活躍などで、天空の仕組みは少し分かったような気がするが、宇宙の果てがどうなっているのか、全く想像できない。天文学は子供の頃から割合好きで、野尻抱影『日本の星』とか雑誌の付録の星座表などを片手に星空、星座は飽かず眺めてきたが、想像力が欠けているのか、未だ一番知りたいと思うことは理解できていない。国際宇宙学会 International Astronomical Union に関する記事*を読みながら、真夏の夜の夢?を見た。
ほぼ400年前、1609年8月25日、あのガリレオ・ガリレイは、ヴェニスの商人に新しく製作した望遠鏡を見せたといわれる。倍率はおよそ20倍だったらしい。そしてまもなく、ガリレオ・ガリレイは自分が作った望遠鏡で天空を観測した。そして、月に映る影などから文字通り足下が揺らぐような大発見をした。それはギリシャ人の想像に基づき、長くカトリック教会を支えてきた宇宙観をも揺るがせた。そればかりでなくガリレオはあまり注目されていないが、天の川 Milky Way が多数の星から成っていることを発見している。
天文学の最新の推定によると、宇宙の年齢はおよそ137億光年であり、地球の年齢の約3倍、現在の人類が存在する時間的長さの約10万倍に相当するそうだ。宇宙の真の大きさは未だ分からないらしい。宇宙の年齢、光の速さを考えると、どんな天文学者といえども137億光年を超える先は見通せないという。しかし、宇宙の果て?は、それよりもはるか先らしい。
さて、最近ガリレオ・ガリレイの評価が一段と高まっているようだ。人類が自らの相対的位置を認識する上での知識という意味で、ダーウインの自然淘汰による進化論と肩を並べると考える人もいる。ガリレオ・ガリレイが生まれた時代の世界は、当時の一般の人々にとっての知識は、地球の大きさ、月への距離など、なんとか理解できる範囲に収まっていたようだ。
しかし、現代人にとって天文学者でもないかぎり、宇宙の大きさは想像するのさえ難しい。少なくも普通の人にとって宇宙の限界?は、見えがたい。幸いなことに現代は、ガリレオ・ガリレイの時代のように、世界観がひっくり返ってしまうようなことにはなっていないということのようだ。
それにしても仰ぎ見れば満天の星というような天空は、久しく見ていない。あの輝くような星空はどこへ行ってしまったのだろう。
References
ジェームズ・マクラクラン(野本陽代訳)『ガリレオ・ガリレイ』大月書店、2007年
* Galileo, four centuries on: As important as Darwin” The Economist August 15th 2009.
Photo: YK
大雪山系の遭難事故の報道を見ながら考えたことがあった。比較的最近、この山系の一部に登った。いや登ったというよりは、中途で登頂を断念したというのが正確だ。
今回事故を起こしたツアーの出発点となっている旭岳温泉から登り始めたのだが、気候の変化、体調などを考え、途中で登頂を断念、引き返した。ロープウエイなども平常通り動いていたが、かなり濃い霧で視界がさえぎられたり、絶えず天候が変わっていた。ほとんどの人は遠路はるばる訪れたこともあってか、あきらめずに登っていた。引き返すことに多少の未練は残ったが、さほど残念とは思わなかった。
数分前までは晴れて青空も見えていた山容(上掲)が、見る見るうちにこの下の写真のように濃霧で見えなくなる。夏とはいえ温度は急速に低下して寒い。あたりには雪渓が多数残り、雪解けも進み、登山道を踏み外すとかなり危険だ。
旭岳に残る雪渓
最近は情報の氾濫、商業主義の弊害などで、山岳、河川など自然への畏敬の念が薄れているのではないか。道路、ロープウエイなど交通手段の発達によるアクセスの平易化、登山者の基礎体力の低下、経験不足などで、危機への対応能力が落ちているのではと思う。登山に限ったことではないが、未知の分野の試みには、常に起こりうる最悪の事態への備えをしておくことが欠かせない。
この「変なブログ」もいつの間にか熱心に読んでくださる方が増え、それ自体はひたすら感謝するばかりなのだが、多少当惑することもないわけではない。端的にいえば、読んでくださる方の興味の対象と、書いている本人の関心は、多分かなりずれているということだ。
これは、記事別のアクセス数の分布から推測がつく。書いている本人の最大関心事とは異なるトピックスにアクセスが多い。ふと記憶の底からよみがえった過去の断片を、単に心覚えのために記したにすぎないような場合、なぜ、このトピックスにご関心を持たれるのかと思うことがままある。また、想像もしなかったはるか遠方の地やメディアの方々からアクセスや照会があって、驚くことも稀ではない。なにごとも地球規模で考えねばならない時代だ。しかし、取り上げたトピックスの多くは、およそ現代離れした時代への後戻り、それも小さな世界のわずかな切れ端にすぎないのだから。やはり「変なブログ」であることは確かなようだ。
こんなことを考えている間に、ごひいきのマーク・トゥエインの次の言葉が浮かんできた:
「ひとりの人間の動きや言葉なんて、その人の人生のなんと些少な部分にすぎないことか。人の真の人生は頭脳の中にあって、その人だけにしかわからないのだ」
What a wee little part of a person's life are his acts and his words!
His real life is led in his head, and is known to none but himself.
ーMark Twain ー