Johannes Vermeer(Dutch, 1632-1675). A Woman Asleep at Table, c. 1657
Oil on canvas, 87,6 x 76,5 cm
Metropolitan Museum of Art, New York
メトロポリタン美術館などニューヨークの美術館に関しては、個人的には興味深いことが多々あるのだが、少し深入りしてしまった。折からのゴールデン・ウイーク、この辺で中休みとしよう。それでも、この連休にメトロポリタンを訪れる方もおられるかもしれない。ひとつだけ記しておきたい。
メトロポリタンのヨーロッパ美術、とりわけオランダ絵画部門は大変充実しており、「オランダ回廊」Dutch Galleries があり、「フェルメールの部屋」もある。この部屋には、レンブラント、フェルメールを始めとして、多数のオランダ絵画が展示されている。しかし、日本からはるばる見に行った知人から、メトロポリタンは大きすぎて疲れる、フェルメールにしても、同じ部屋になぜ全部一緒に展示していないのかという感想を聞いたことがある。確かに同館所蔵のフェルメールの作品は全部で5点(5点も!)なのだが、「フェルメールの部屋」にそのすべてが展示されているわけではない。
メトロポリタン(所蔵点数200万点を越える)に限らず、ルーヴル、プラドなどの大美術館は時間に限りのある旅行者としてみると、展示点数が多すぎて疲れるし、見たい名画も多く注意力も散漫になる。あらかじめ、お目当ての作品に目星をつけて観ることにして、後は時間と気力・体力が許す限りにするのがよいかもしれない。個人的には小さな美術館がはるかに好きだ。
5点のフェルメールのうち、1点だけ別の部屋、「アルトマン回廊」 Altman Galleriesに展示されているのは、メトロポリタン発展の歴史を知る上で興味深い。ブログにも記したが、遺贈者アルトマンからの条件として、作品を館内でばらばらにしないでほしいとの制約がつけられていた。そのため、遺贈目録に含まれていたフェルメールの「眠る女」A Maid Asleep(上掲イメージ)だけは、近くの「アルトマン回廊」に展示されている。メトロポリタン美術館にとってアルトマン遺贈は、空前絶後の大規模な遺贈でもあり、その絶大な好意に応えたのだ。こうした例としては、同様な大遺贈でもある「ロバート・リーマン・コレクション」(いずれ記すことがあるかもしれない)などがある。
こうした遺贈・寄贈者の遺志や希望は、今では必ずしも受け入れられないが、「ロバート・リーマン・コレクション」や「アルトマン回廊」は特別の計らいであった。それだけ、これらの遺贈がもたらした重みが大きかったといえよう。別の美術館の例になるが、メトロポリタンの近くにある「フリック・コレクション」のように、所蔵作品を門外不出とする条件がついているような場合もある。
さて、メトロポリタンが今日所蔵する5点のフェルメール作品の中で、一番新しく追加されたものが、「ある少女の像」Study of a Young Woman (下掲)である。
Johannes Vermeer(Dutch,1632-1675), Study of a Young Woman, ca.1665-67. Oil on canvas. 17 1/2 x 15 1/4 in.(44.5x40cm). gift of Mr.and Mrs. Charles Wrightsman, in memory of Theodore Rousseau Jr.,1979 (1979.396.1)
第二次大戦後、メトロポリタンへの遺贈・寄贈はピークは過ぎたが、1970年代におけるひとつの注目すべき高まりが、この作品を含めたライツマン夫妻 Charles and Jayne Wrightsman の寄贈であった。石油産業で富を成し、長らく同美術館の理事も務めていたライツマン夫妻は、このフェルメール作品を含めて、およそ60点の作品を寄贈してきた。戦後ではかなり大規模な寄贈者になる。
この「ある少女の習作」は、フェルメールが描いた3点の「トローニー」 tronie (オランダ語)の一枚ではないかとされてきた。「トローニー」は今は使われなくなった用語だが、17世紀オランダで、頭、顔あるいは表情を意味する人物画のひとつのタイプを意味している。レンブラントやそのグループの作品にその例が見られる。オランダのトローニー作品は、ほとんどモデルがいたといわれているが、通常の肖像画とは異なる。
後者は、しばしば依頼に基づいており、描かれたモデル(model, sitter)にどれだけ近似しているかが、ジャンル判別の特徴である。さらにモデルの尊厳の維持が暗黙に問われている。他方、前者トローニーは一見肖像画に見えるが、画家の目指すところは習作にあったと思われる。そこで追求されたのは、人物の表情、タイプ、画家に興味ある容貌(外国人、若い女性?など)であった。さらに、モデルが身にまとう衣裳の珍しさ、外国風、古風、高価で豪奢なこと、そして画家が自らの技術の高さを示すに都合がよいと思うものなどが選ばれ、作品として描かれた。美的洗練度、普遍性、美術的実験など、「モデルへの近似性」以外の要因のウエイトが大きい。17世紀オランダには、トローニーへの需要はかなりあったようだ。特定個人に帰着する肖像画と違って、美術市場での商品性も高かった(肖像画の場合でも、実物以上に見目良く描かれている場合が多いが、究極には依頼者など、特定のモデルにどれだけ似ているかが、問われたと思われる)。
1696 年にアムステルダムで行われた、美術界では著名なディシウス Dissius の競売の際の説明に、フェルメールの作品の中に3点のトローニーが含まれていると記されていたらしい。そのうち1点は古風な衣裳で描かれていたともいわれる。しかし、ここに掲げた作品が、それに該当するか、実際のところはよく分からない。
1829年までこの作品が、ベルギー、ブラッセルのアレンベルグ公 Prince auguste d'Arenberg のコレクションに含まれていたことはほぼ確からしい。1850年代末までは作品の所在は判明していたが、第一次大戦勃発とともに、アレンベルグの子孫たちが、収蔵品を安全に確保するためにヨーロッパにあった城に隠匿していたようだ。アレンベルグは大戦中もドイツ国籍を所持していた。戦後、これらの収蔵品は押収され、「敵性財産」として売却されたが、フェルメールのこの作品はどういうわけかその対象指定から免れていたようだ。1950年代半ばに突如として市場に姿を見せた。そして、1955年にアメリカの富豪チャールス・ライツマンがアレンベルグの子孫から$325,000で購入した。
この作品、フェルメールの作品の中では保存状態がよいといわれている。実物に接してみて、確かに画面が大変美しく保たれている。しかし、少し注意深くみていると、なんとなく不気味な感じがしないでもない。実際にこうしたモデルがいたのだろうか。あの「真珠の耳飾の少女」(これもクローニーとの推定もある)とも異なる雰囲気が漂っている。実際の人間ではなく、別の世界から来たようにさえ思える。少女を描いたようではあるが、顔がのっぺりとしていて、少年でもよいような、なんとなく中性的な感じだ。じっと見ていると、魅入られるような気持ちになってくる。そろそろ退散しよう。