時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

ヨブの妻は悪妻か:ラ・トゥールの革新(1)

2015年06月26日 | ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの部屋

 

ジョルジュ・ド・ラ・トゥール
『妻に嘲弄されるヨブ(ヨブとその妻)』
油彩・カンヴァス、 145x97cmj
エピナル、ヴォージュ美術館 



 梅雨模様のこの頃、あまり意欲が高まる時期ではないが、それなりに考えてみたいことはある。「カードゲーム:いかさま師物語」も中断しているのだが、新たに興味深いことが思い浮かぶので、忘れないうちにメモしておきたい。今回のトピックスはまたラ・トゥールである。

 この画家の作品は不思議なもので、今になってもさまざまな疑問が浮かび上がって来る。そのいくつかは再び作品を見たり、文献を読んだりすることを通して、なんとか納得できる答に行き着くのだが、まったく手がかりのない文字通り謎に近いようなものもある。こうした探索・思考の過程は想像以上に楽しいことが多い。

作品との出会い
   そのひとつを取り上げてみたい。初めてこの画家に魅せられたのは、いまやはるか昔となる1972 年、パリ、オランジェリーで開催されたラトゥールの企画展(Georges de La Tour, Orangerie des Tuileries, 1972)を見た時であった。この画家の生涯と作品世界が初めて描き出された展示であった。しかし、当時の作品の中には、カタログを読んでもなにを描いたものなのか、主題を十分理解し得たか、こころもとないものがいくつかあった。

  その中に『妻に嘲弄されるヨブ(ヨブとその妻)』 Job Mocked by his Wife, Musée Departmental des Voges, Épinal と題された一枚があった。その概略については、すでにこのブログでも記したことがある。美術史上でもこの作品の主題の確定については、かなり右往左往したようだ。作品の主題がなにであるか、すぐには分かりにくいのだ。多数の美術家や鑑定家が、現在の「旧約聖書ヨブ記」にある「ヨブとその妻」の一場面を描いたものではないかとほぼ確定するまでには長い年月を要した。 

 この作品を所蔵するフランス、エピナルの美術館を訪ねた時にも、謎は十分解けていたわけではない。それでも作品に接してその絶妙な美しさに心を奪われた。バロックの華麗な作品が多い時代にあって、シンプルな構図でありながら見る人に深い感動を与える作品である。これまでにも多くの人々の思索の源泉となってきた。この作品の主題が明らかにされた後は、数多い評論や推論が生まれた。

主題の発見 
 作品主題の確定については、作品の下部に画家の署名が見出された後、大きな進展を見せたようだ。画面右手に座っている男の足元にある小さな物体が、欠けた土器らしいということが判明したことが鍵となった。サタン(悪魔)によって、平穏な生活を破壊される。家畜(財産)を奪われ、さらに愛する子供たちを失い、ついには自らもひどい皮膚病(腫れ物)に侵されたヨブは、それでも神をひたすら畏れ敬い、絶大な信仰の心を維持してきた。堆肥桶(塵芥)の上に座り、土器の破片で、皮膚の苦痛をまぎらわしていた。その話が美術史家に、「ヨブとその妻」の話を想起、類推させたとみられる。

  しかし、その説明を読んだ後でも管理人は十分納得が行かないでいた。それまで仕事の傍ら調べていた、この物語の内容、そしてとりわけ、それぞれの時代の画家がいかにヨブ記を理解し、作品に表現しようとしたかを考えてきた。その一端を書いて見よう。

社会の通念と革新
  ラトゥールという画家は、それまでの画家たちが繰り返し描いた主題であっても、深く考え抜き、自らの思索の末を描いた。時代の風潮、通説に流されていない。その結果、時には時代の通念とかなり異なる表現、体裁をとった。現代フランスを代表する大作家のひとりで、ラトゥールに造詣の深いパスカル・キニャールも、ラトゥールのエピナルの作品を見て、最初は考え込んだようだ。これがヨブとヨブの妻の話を描いたものだろうか、疑問を感じながらも、最終的には「ヨブ記」を主題にしたという美術専門家の見解を受け入れているようだ(Pascal Quinard, Georges de La Tour, 2005, 57-58)。

  他方、管理人はその後、展覧会やエピナルでこの作品に接する毎に、細部を確認したり、モノグラフを読んだりするうちに、画家ラトゥールはこれまでの「ヨブ記」の解釈に大きな革新をもたらしたのではないかと思うようになった。ヨブとその妻の話を描いた部分は、神に対する絶対の信仰を信じて疑わないヨブの強い忍耐心とそれを嘲弄する妻の関係が主題となっている。しかし、その作品化に際しては画家が置かれた社会の通念や道徳規範などが背景にあり、画家がそれらをいかに理解し、作品に具象化するかというプロセスがある。

 それまでこの主題を描いた作品は、ヨブの皮膚病に侵された無残な身体、ヨブの妻の厳しく嘲けるような、年老いた女の容貌が、ひとつの特徴をなしてきた。たとえば、ラトゥールと同時代の画家ジャック・ステラの作品は、この時代に社会に浸透していた伝統的なヨブとその妻の認識とほとんど重なっている。

 

ジャック・ステラ「皮膚病に苦しむヨブ」油彩、カンヴァス、パリ、国立文書館
http://www.wikigalllery.org/ 


 ジャック・ステラの他の作品は、バロックの華麗なものが多いだけに、これはあまり見たくない作品である。旧来の社会に定着している社会的通念に忠実に、苦難にひたすら耐え忍ぶヨブとヨブを嘲弄する妻の関係がそのまま描かれている。作品の印象は凡庸で、新味がない。もっとも、この時代までの多くの画家は、ヨブとその妻に対して、ステラ同様にかなり固定した理解をしてきた。それは、「ヨブ記」に記されたこの逸話を、そのままに受け入れてきた社会における理解の反映でもある。長い間、「ヨブとヨブの妻」の話は、ヨブの揺るぎのない神への敬い、信仰心とそうした夫の強い信念についていけない凡庸な妻が、夫を嘲り、からかうという行動として理解し、描いている。ステラの理解にとどまらず、この時代、社会的にはヨブの妻は、問題ばかり起こす女、悪妻の代表のごとく考えられてきた。

 さらに、そこにはヨブあるいは妻(一般に名前は知られていない)についてのきわめてステレオタイプ化した理解がある。ヨブにはひたすら神の与える試練への「忍耐」の象徴であるかのごときイメージを与え、妻には彼女が発した短い一言で、「悪女」という固定化したイメージを創りあげてきた。言い換えると、妻として苦難の極みにある夫を支えることを放棄している妻として、不適な女というステレオ・タイプの形成がみられる。

思索する画家
 実は「ヨブ記」には一般の読者にはよく分からない点が多々ある。たとえば、神とサタン(悪魔)が同じ場(次元)にいて、神はサタンが提示し、実行する暴虐、非道ぶりを制止することがない。しかし、こうした点は、ここではとりあげないでおく。問題にするのは、16,17世紀における「ヨブ記」あるいは聖書の他の部分についての社会の受け入れ方の変化の推移である。たとえば、いつの間にか、この主題の作品にしばしば登場していたおぞましい悪魔のような姿、あるいはヨブが置かれた塵芥の捨て場のような光景は、画家が描かなくなっている。悪女には年老いた女をもってするという通念のようなものも薄れてきていた。

  これと比較すると、ラトゥールの作品は、全体のイメージがまったく異なる。大きな特徴は、ヨブと妻の間に対話の雰囲気が感じられることである。ひたすら罵詈雑言をもって夫であるヨブをさらに苦しめるがごとき妻のイメージは感じられない。そして、同時代の画家たちでもしばしば描いていたおぞましい悪魔のような姿も、ヨブが座る塵芥の捨て場のようなものも見いだせない。ヨブの妻は左手をヨブの頭部に近づけて、右手の蝋燭の光で、夫ヨブの様子を確かめているかにみえる。ヨブの妻の一見窮屈そうにみえるイメージも、洞窟の中の光景と考えれば、理解できる。なによりも注目するのは、通常の夫と妻の間の関係が、そこに復活しつつあるかにみえることにある。。

  ラトゥールの作品はイメージとしても実に美しい。ヨブの妻も同時代の他の画家の作品とはまったく異なった姿、形で描かれている。なにかの聖職者のようにもみえる。おぞましいサタンや不潔な環境はどこにも見当たらない。ラトゥールの生きた17世紀といっても、地域差や画家の作品嗜好の違いもあり、同時代の画家といっても、かなり相違が見られる。画家の生まれ育ったロレーヌはその点、きわめて厳しい環境にあった。なにが、ラ・トゥールをしてこうした作品を制作させたのだろうか。

続く 

 

 

参考
『ヨブ記』 (2-7~10)
 敵対者はヤハウエの前から出ていって、ヨブの足の裏から頭の天辺まで悪い腫物で彼を打った。そこでヨブは陶器のかけらをとって体をかきむしり、灰の上に座っていた。彼の妻が彼に言う、「あなたはまだ自分を全きものにしているのですか。神を呪って死んだらよいのに。」ヨブは彼女に言った。「おまえの言うことは愚かな女の誰かれが言いそうなことだ。われわれは神から幸いをも受けるのだから、災いをも受けるべきではないか」。これらすべてのことを通じてヨブはその唇をもって罪を犯さなかった。

『旧約聖書ヨブ記』 (関根正雄訳)岩波書店、(1971)2015

 

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ここまで来てしまった外国人技能実習制度の実態

2015年06月13日 | 移民政策を追って



  すでに数え切れないほどの問題が起きてきた。「外国人技能実習制度」のことである。低賃金労働、休日無視、賃金未払い、詐取、労働災害、実習生の犯罪、失踪など、ほとんど労働問題の全域にわたる問題が発生している。国際的批判にもさらされてきた。

1993年度に導入された「技能実習制度」の段階から、近い将来こうした問題が発生することはかなりの確度で予想されていた。その後毎年のように違反事例が報告されてきた。このブログでもとりあげたこともある。部分的手直しは行われても抜本的改善のための制度改革は今日までなされることがなかった。欠陥が露呈し、社会問題化するたびにその場かぎりの対応が繰り返されてきた。

 6月11日のNHKニュースは、「外国人技能実習制度」の下で働く技能実習生が実習先の企業などを離れて、失踪(行方をくらますこと。失跡。『広辞苑』第6版)するケースが増加していることを報じていた。そして、昨年失踪した実習生4800人余りのうちで4割近い38.4%が来日して1年以内に失踪していたことをを報じていた。制度発足以来の経緯を知る者にとっては、制度の破綻以外のなにものでもない。

 本来、この制度では 実習生が現在の実習先から他の働き先へ無断で移動することは認められていない。失踪の原因については、当該実習生の調査で最も多いのは、実習先の労働条件があまりに劣悪なことに由来する。ニュースで報告された事例(農作業)では、1日働いても2742円、時間当たり340円という最低賃金を大きく下回る水準である。

 実習生にとって、本国出国前に考えていた働いて得た報酬の中から、本国送金をすることなど、到底不可能なのだ。働いている本人自身が日本でまともな生活ができないと述べている。ニュースでは、中国から来た実習生が、円安が影響して手取りが予想していたより3割近く低くなってしまい、中国国内で働いても同じくらいであり、日本まで働きに来る意味がないと答えていた。

  こうした状況に陥れば、実習生は苦境からの脱却を図る。その一つの道が失踪である。インターネット世代の彼らにとって、頼るところは友人・知人であり、インターネット上の情報である。IT上の仲介業者の情報を利用し、次の働き口を探す。新たな働き口として浮上するのは労働需給が著しく逼迫している建設業関係が多い。東北大震災復興、オリンピック関連事業などが重なって、人手不足で受注した工事が出来なくなっている例は、いたるところで耳にする。小規模事業者ほど、人手確保に苦慮しているようだ。建設業で不法に働けば、1日当たり11,000円近くになるという。しかし、今や建設業にも外国人は応募してこないという。

 失踪した実習生が働く業種は、こうした建築業に限らず、人手不足に悩む業種が多い。しかし、初めて就いた仕事から移動することが認められていない現在の制度では、彼らの行動は違法であり、失踪に該当する。当初は合法的に入国しても、その行為は不法就労(黒工)になり、不法滞在へと姿を変える。失踪者は居所も不明となり、犯罪などの温床となりやすい。

 この制度は最初の制度設計の政策方向が誤っている代表的な例といってもよい。技能実習の名称が付された制度だが、実習は多くの場合、人手不足を補う低賃金での労働となってきた。実習する職種についても、そのほとんどは来日した実習生が希望するものではない。しかも制度が本来目指してきた帰国した場合に、本国の産業で日本での就労経験が生きる場合は少ない。かくして今では「低賃金労働の隠れ蓑」と、国際的にも厳しく批判されてきた悪名高い制度になっている。

 現行制度を”柔軟に”運用して、ある程度の労働移動を認めるなどのこそくな手段では到底対応出来ない段階に来ている。不法就労者、不法滞在者がこうした制度上の欠陥から増加することは、望ましいことではない。人手不足の使用者に、低賃金労働者を実習や研修の名で外国から調達して供給するというような実態では、制度はたちまち破綻する。日本に来る実習者の多くが、「実習」を「労働」と読み替えていることは広く知られている。

 オリンピックなどを控えて、年間2000万人近い外国人観光客の来日を目指す状況で、制度上の欠陥のために、失踪者などを通して不法滞在者が増加してゆくことは決して好ましいことではない。日本における不法残留者が減少してきたこと自体は、望ましいことだ。アメリカやイギリスで、不法滞在者がいかに大きな国家的問題となっていることを思えば、評価できる。しかし、増加した失踪者などのために、昨年は増加に転じた。少子高齢化の拡大による労働力不足、来日外国人の増加などを考えると、不法残留者(不法滞在者)の数を大きく増加させない政策対応が欠かせない。

 「移民」という言葉は人によって受け取り方が異なるが、世界の人口が増加する中で、人口減少を続ける日本において、外国人の受け入れのあり方は、この国が目指す全体的政策視野の中で考えねばならない。「外国人技能実習制度」の抜本改革もその一環として位置づけられるべきだろう。「技能実習」と「労働」を明確に区分し、秩序だった「労働者」の受け入れを柱とし、「研修生」制度は廃止または大幅減少とする方向で、抜本的に改革すべきだろう。すでに遅すぎたと言っても過言ではない。


 

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映画『ナショナル・ギャラリー』を見て

2015年06月03日 | 絵のある部屋

 

Claude (Claude Lorrain, 1604/5?-1682), A Seaport, 1644
クロード(クロード・ロラン) 海港風景 


 映画『ナショナル・ギャラリー:英国の至宝』National Gallery(制作2014年)を見る。昨年末ころからメディアの話題となっていたので、いずれ見てみたいと思ってはいた。映画の主題は、ロンドン、ナショナル・ギャラリーそのものだ。ナショナルの名が冠せられているだけに、国家的威信もかけた多くの名画が集まっている世界的な美術館だ。

 個人的にも訪れた回数は、1960年代末から今日までかなりの回数になり、人生の中では断片とは言い難い重みを感じる。とりわけ、在外研究などでイギリスにいた頃は、ロンドンに出る機会があれば、しばしば足を運ぶ場所であった。もっともイギリスには若いころからのお気に入りの美術館が他にあって、訪問回数はそちらの方がかなり多い。

 この映画、触れ込みによれば巨匠フレデリック・ワイズマン監督が、実に30年の構想を基に制作されたとのこと。2014年ヴェネティア国際映画祭栄誉金獅子賞を受賞している。巨匠には勲章が必要なのだろう。かなりの水準の作品と期待して見に行った。実際には、期待が大きすぎたのかもしれないが、やや拍子抜けした。1824年創立で、すでに190年の歴史を誇る重厚な建物に多くの名画を収め、連日世界中から多数の訪問者を受け入れる、この輝かしい大美術館の表ばかりでなく舞台裏も隠すことなく映し出してみせるというスタンスが、この映画の売り物とされていた。

 確かに、この美術館に限らず、ひとりの観客として、展示されている作品だけを見て帰る人たち(実際にはほとんどがこの範疇に入るのだが)にとっては、ナショナル・ギャラリーというひとつの巨大な美術館の内実を少なくも映像の上では、かなり包括的に見せてくれるので、興味深い作品であることは間違いない。この一度や二度訪れたのでは、とても全体をイメージすることなどできない巨大な美術館を、なんとなく分かったような気にさせてくれる効果はある。ロイヤル・バレーまで登場させてくれる。今後のキャリアとして大きな美術館の学芸員などを志望する若い世代にとっては、新入館員教育プログラムのような役割をしてくれるかもしれない。

 他方、すでに厳しい批評もあるようだ。「腐ったトマト」というのは最も酷な批評だろう。3時間近い映画であるにもかかわらず、あまり強い印象を与えない。カメラがこの巨大な美術館の表面を一点にとどまることなく、足早になめているような感じがする。多少美術史や美術館経営などを見聞きしている管理人などにとっては、3時間で見られる良く編集された美術館ガイドのような感じもした。う少し焦点を絞り込んだら、きっとはるかに面白い作品に仕上がったのではないかという贅沢な思いもある。たとえば、ある画家の作品の修復作業の過程がどれだけ長い時間をかけて行われているのか、表には出ることのない地味な作業がいかに深い熟練を要するかをみせてほしい。実際、上映後の周囲の人々の会話が耳に入った。テンポが早すぎてよく分からなかった、期待ほどではなかったという声が聞こえてきた。

 とはいっても、次々と移り変わる画面を見ていると、色々考えさせられることも多い。突然、長い回廊のはるか向こうに、フィリップ・ド・シャンパーニュの『リシュリュー枢機卿』の立像が見えて、この作品はここに掲げられていたのか(同一主題の作品は複数ある)ということなどを改めて思い知らされる。何度も見たような気がする作品だが、脳細胞に残っているのは、どこの作品であったかと画面を見ながら考えるうちに、次々と映像は移り変わってしまう。同様に、ヤン・ファン・エイクの『アルノルフィーニ夫妻像』(1434)、カラヴァッジョ『トカゲに噛まれた少年』(1594)、プッサンの『パンの勝利』(1635--36)、クロード・ロランの『海港』 (1644)など、画面は観客に考える余裕を与えず、移り変わる。監督はいったいいかなる基準で作品を整理しているのだろう。美術史の記憶テストのような感じもする。

 

 この映画で興味深いのは、もしかすると、映し出される名作よりも、人間の多様さかもしれない。美術館を訪れる人たちの表情や行動だ。たとえば、欧米の美術館では子供のころから先生に引率され、作品の前の床に座り込んで興味深くみている子供や絵にはまったく興味なくせわしなくあたりを動きまわっている子の姿をよく見てきた。美術館にはありとあらゆる老若男女が訪れる。そうした人たちがいかなる作品あるいは作品のどこに興味を感じてみているのか、この映画は流れが早すぎて、そうした関心にはまったく答えてくれない。

 この映画を見るよりは、実際に美術館で作品に接した方がはるかに有益という厳しい批評も少なくない。それでも、この世界的美術館に行ったことのある人、ない人を含め、入場券代の価値は感じるのではないか。これも厳しい批評かなあ。

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