ジョルジュ・ド・ラ・トゥール
『妻に嘲弄されるヨブ(ヨブとその妻)』
油彩・カンヴァス、 145x97cmj
エピナル、ヴォージュ美術館
梅雨模様のこの頃、あまり意欲が高まる時期ではないが、それなりに考えてみたいことはある。「カードゲーム:いかさま師物語」も中断しているのだが、新たに興味深いことが思い浮かぶので、忘れないうちにメモしておきたい。今回のトピックスはまたラ・トゥールである。
この画家の作品は不思議なもので、今になってもさまざまな疑問が浮かび上がって来る。そのいくつかは再び作品を見たり、文献を読んだりすることを通して、なんとか納得できる答に行き着くのだが、まったく手がかりのない文字通り謎に近いようなものもある。こうした探索・思考の過程は想像以上に楽しいことが多い。
作品との出会い
そのひとつを取り上げてみたい。初めてこの画家に魅せられたのは、いまやはるか昔となる1972 年、パリ、オランジェリーで開催されたラトゥールの企画展(Georges de La Tour, Orangerie des Tuileries, 1972)を見た時であった。この画家の生涯と作品世界が初めて描き出された展示であった。しかし、当時の作品の中には、カタログを読んでもなにを描いたものなのか、主題を十分理解し得たか、こころもとないものがいくつかあった。
その中に『妻に嘲弄されるヨブ(ヨブとその妻)』 Job Mocked by his Wife, Musée Departmental des Voges, Épinal と題された一枚があった。その概略については、すでにこのブログでも記したことがある。美術史上でもこの作品の主題の確定については、かなり右往左往したようだ。作品の主題がなにであるか、すぐには分かりにくいのだ。多数の美術家や鑑定家が、現在の「旧約聖書ヨブ記」にある「ヨブとその妻」*の一場面を描いたものではないかとほぼ確定するまでには長い年月を要した。
この作品を所蔵するフランス、エピナルの美術館を訪ねた時にも、謎は十分解けていたわけではない。それでも作品に接してその絶妙な美しさに心を奪われた。バロックの華麗な作品が多い時代にあって、シンプルな構図でありながら見る人に深い感動を与える作品である。これまでにも多くの人々の思索の源泉となってきた。この作品の主題が明らかにされた後は、数多い評論や推論が生まれた。
主題の発見
作品主題の確定については、作品の下部に画家の署名が見出された後、大きな進展を見せたようだ。画面右手に座っている男の足元にある小さな物体が、欠けた土器らしいということが判明したことが鍵となった。サタン(悪魔)によって、平穏な生活を破壊される。家畜(財産)を奪われ、さらに愛する子供たちを失い、ついには自らもひどい皮膚病(腫れ物)に侵されたヨブは、それでも神をひたすら畏れ敬い、絶大な信仰の心を維持してきた。堆肥桶(塵芥)の上に座り、土器の破片で、皮膚の苦痛をまぎらわしていた。その話が美術史家に、「ヨブとその妻」の話を想起、類推させたとみられる。
しかし、その説明を読んだ後でも管理人は十分納得が行かないでいた。それまで仕事の傍ら調べていた、この物語の内容、そしてとりわけ、それぞれの時代の画家がいかにヨブ記を理解し、作品に表現しようとしたかを考えてきた。その一端を書いて見よう。
社会の通念と革新
ラトゥールという画家は、それまでの画家たちが繰り返し描いた主題であっても、深く考え抜き、自らの思索の末を描いた。時代の風潮、通説に流されていない。その結果、時には時代の通念とかなり異なる表現、体裁をとった。現代フランスを代表する大作家のひとりで、ラトゥールに造詣の深いパスカル・キニャールも、ラトゥールのエピナルの作品を見て、最初は考え込んだようだ。これがヨブとヨブの妻の話を描いたものだろうか、疑問を感じながらも、最終的には「ヨブ記」を主題にしたという美術専門家の見解を受け入れているようだ(Pascal Quinard, Georges de La Tour, 2005, 57-58)。
他方、管理人はその後、展覧会やエピナルでこの作品に接する毎に、細部を確認したり、モノグラフを読んだりするうちに、画家ラトゥールはこれまでの「ヨブ記」の解釈に大きな革新をもたらしたのではないかと思うようになった。ヨブとその妻の話を描いた部分は、神に対する絶対の信仰を信じて疑わないヨブの強い忍耐心とそれを嘲弄する妻の関係が主題となっている。しかし、その作品化に際しては画家が置かれた社会の通念や道徳規範などが背景にあり、画家がそれらをいかに理解し、作品に具象化するかというプロセスがある。
それまでこの主題を描いた作品は、ヨブの皮膚病に侵された無残な身体、ヨブの妻の厳しく嘲けるような、年老いた女の容貌が、ひとつの特徴をなしてきた。たとえば、ラトゥールと同時代の画家ジャック・ステラの作品は、この時代に社会に浸透していた伝統的なヨブとその妻の認識とほとんど重なっている。
ジャック・ステラ「皮膚病に苦しむヨブ」油彩、カンヴァス、パリ、国立文書館
http://www.wikigalllery.org/
ジャック・ステラの他の作品は、バロックの華麗なものが多いだけに、これはあまり見たくない作品である。旧来の社会に定着している社会的通念に忠実に、苦難にひたすら耐え忍ぶヨブとヨブを嘲弄する妻の関係がそのまま描かれている。作品の印象は凡庸で、新味がない。もっとも、この時代までの多くの画家は、ヨブとその妻に対して、ステラ同様にかなり固定した理解をしてきた。それは、「ヨブ記」に記されたこの逸話を、そのままに受け入れてきた社会における理解の反映でもある。長い間、「ヨブとヨブの妻」の話は、ヨブの揺るぎのない神への敬い、信仰心とそうした夫の強い信念についていけない凡庸な妻が、夫を嘲り、からかうという行動として理解し、描いている。ステラの理解にとどまらず、この時代、社会的にはヨブの妻は、問題ばかり起こす女、悪妻の代表のごとく考えられてきた。
さらに、そこにはヨブあるいは妻(一般に名前は知られていない)についてのきわめてステレオタイプ化した理解がある。ヨブにはひたすら神の与える試練への「忍耐」の象徴であるかのごときイメージを与え、妻には彼女が発した短い一言で、「悪女」という固定化したイメージを創りあげてきた。言い換えると、妻として苦難の極みにある夫を支えることを放棄している妻として、不適な女というステレオ・タイプの形成がみられる。
思索する画家
実は「ヨブ記」には一般の読者にはよく分からない点が多々ある。たとえば、神とサタン(悪魔)が同じ場(次元)にいて、神はサタンが提示し、実行する暴虐、非道ぶりを制止することがない。しかし、こうした点は、ここではとりあげないでおく。問題にするのは、16,17世紀における「ヨブ記」あるいは聖書の他の部分についての社会の受け入れ方の変化の推移である。たとえば、いつの間にか、この主題の作品にしばしば登場していたおぞましい悪魔のような姿、あるいはヨブが置かれた塵芥の捨て場のような光景は、画家が描かなくなっている。悪女には年老いた女をもってするという通念のようなものも薄れてきていた。
これと比較すると、ラトゥールの作品は、全体のイメージがまったく異なる。大きな特徴は、ヨブと妻の間に対話の雰囲気が感じられることである。ひたすら罵詈雑言をもって夫であるヨブをさらに苦しめるがごとき妻のイメージは感じられない。そして、同時代の画家たちでもしばしば描いていたおぞましい悪魔のような姿も、ヨブが座る塵芥の捨て場のようなものも見いだせない。ヨブの妻は左手をヨブの頭部に近づけて、右手の蝋燭の光で、夫ヨブの様子を確かめているかにみえる。ヨブの妻の一見窮屈そうにみえるイメージも、洞窟の中の光景と考えれば、理解できる。なによりも注目するのは、通常の夫と妻の間の関係が、そこに復活しつつあるかにみえることにある。。
ラトゥールの作品はイメージとしても実に美しい。ヨブの妻も同時代の他の画家の作品とはまったく異なった姿、形で描かれている。なにかの聖職者のようにもみえる。おぞましいサタンや不潔な環境はどこにも見当たらない。ラトゥールの生きた17世紀といっても、地域差や画家の作品嗜好の違いもあり、同時代の画家といっても、かなり相違が見られる。画家の生まれ育ったロレーヌはその点、きわめて厳しい環境にあった。なにが、ラ・トゥールをしてこうした作品を制作させたのだろうか。
続く
*参考
『ヨブ記』 (2-7~10)
敵対者はヤハウエの前から出ていって、ヨブの足の裏から頭の天辺まで悪い腫物で彼を打った。そこでヨブは陶器のかけらをとって体をかきむしり、灰の上に座っていた。彼の妻が彼に言う、「あなたはまだ自分を全きものにしているのですか。神を呪って死んだらよいのに。」ヨブは彼女に言った。「おまえの言うことは愚かな女の誰かれが言いそうなことだ。われわれは神から幸いをも受けるのだから、災いをも受けるべきではないか」。これらすべてのことを通じてヨブはその唇をもって罪を犯さなかった。
『旧約聖書ヨブ記』 (関根正雄訳)岩波書店、(1971)2015