チェコ、プラハ市内に残るオットー・ペチュカ邸宅跡を
示す銘板。ペチュカ家は1930-40年代、チェコ有数の
ユダヤ人富豪のひとり。ドイツ軍の占領(1939年)前年
アメリカへ亡命。ナチ時代はチェコ総督代理が占拠。
大戦後、在プラハ、アメリカ大使邸として使用。
読み始めると止まらない。フィクションのようで、かぎりなくノンフィクションに近い強い迫力、リアリティがある。語られる時代は1930-40年代の恐怖の舞台だ。そして、読者がその世界にのめり込みすぎたとみると、ほどよく作者の身代わり?が顔を出し、自らの経歴、執筆の舞台裏などを語り、しばし読者を現代に引き戻し、また消えてしまう。読者は適度にじらされて、先が知りたく、他のことを放り出して読み進む。
記憶力の衰えを嘆きながら、しばらく前から始めたフランス人の先生とのレッスンの過程で飛び出した作品である。定番の語学学習用テキストはもう意欲が湧かない。そこで、2010年度のゴンクール賞最優秀新人賞を受賞したローラン・ビネ Laurent Binet の『HHhH』*なる奇妙な表題の作品を手に取る。初めての読者は、この表題からはなにを題材にした作品かまったく分からないはずだ。管理人も、最初は人の笑い声の擬音かと思ったほどである。しかし、少し読み進めるうちに、説明が出てきて、なるほどと作者の才智に感嘆する。
一気に読み切れるとはとてもいえない読解力の上に、作品の巧みな構成に最初は惑わされたが、ストーリー自体はきわめて整理されており、語り口の絶妙さに魅了され、大分時間はかかったが、なんとか最終頁にたどりついた。途中、かなりドイツ語版(電子版)、英語版にも助けられた。今は、日本語版も刊行されたようだ。日本語版は管理人がかなりのめり込んだパスカル・キニャールの翻訳などを手がけられている高橋啓氏なので、信頼できる版に仕上がっているだろう。
心も凍りつく恐るべき「最終計画」
読み始めてフィナーレの段階に来た今月、11月9日の夜から10日にかけて、この小説が、ある歴史的事件が出発点になっていたことに気づかされる。第二次大戦のきっかけになったともいうべき「水晶の夜」kristallnachatが起きた日である。1938年のこの日、ドイツの各地で反ユダヤ主義の暴動が発生し、その後に起こるユダヤ人ホロコーストへつながる契機となったと言われる重要な事件だ。名前の由来は、町の住宅、商店などのガラスが破壊され、月明かりの下で水晶のようにきらめいていたというところからつけられたとされる。命名したのは、後のナチス宣伝相ヨーゼフ・ゲッペルスといわれる。表現しがたい氷のような不気味な冷たさが背筋を走る。この感覚、戦争についての現実感が薄い若い世代に話したが、本当に共感してもらえたか、はなはだ不安だった。ユダヤ人を地上から殲滅するという「最終計画」に向けて、次々に実施される恐るべき行動の数々。当時の人々(コンテンポラリーズ)が感じた恐怖と次に来るべき恐るべき殺戮の空気を感じてもらうには、多くの下準備が必要な気がした。
そして、その翌日11月11日、年次は前後して遡り、1918年になるが、第一次大戦休戦記念日であった。イギリスにいた頃、隣家の住人から今日は Poppy Day といわれて、一瞬聞き直したことも思い出した。この日、特に第一次世界大戦の戦死者をしのんで corn poppy(ヒナゲシ)の造花をつける。ヒナゲシの花言葉は、consolation (なぐさめ)である。
コンピエーニュの森へ
第一次大戦末期、1918年11月11日、連合国とドイツ帝国はフランス郊外のコンピエーニュの森に引き込まれた秘密の客車内で暫定休戦協定に調印する。はるか以前のことだが、この森に保存されている客車を見に行ったことも思い出した。ドイツ側の代表は、銃弾が飛び交う中を車でおよそ10時間走り、連合軍の指定した場所まで行き、そこから列車で森に行ったらしい。
今回は種明かしをしないでおくが、この小説『HHhH』は、ナチのある高官をめぐる実際の暗殺計画という高度に緊迫感のある主題である。ヒットラー暗殺計画を始めとするナチをテーマとする作品はかなり読んできたが、全般に陰鬱、暗澹とした印象が残るものが多く、一時は手に取ることをためらっていた。それでも、『ヒトラーの最後の12日間』を始めとして、このブログでもいくつか取り上げている。
ビネが戦争を経験していない若い世代(執筆時33歳?)、それもフランス人作家の作品であることを知り、急に読んでみたくなった。ひとたび、手に取ると、しばらくなにも出来なくなった。
この天賦の才に恵まれた30代半ばの若い作家の手になる作品は、強い迫真性を保ちながら、陰鬱一辺倒に傾くことなく、最後まで読者を魅了し尽くす。この悲惨きわまりない戦争を知らない世代が、よくここまで描ききったという感嘆の思いにみたされる。文中にしばしば登場する作家の身代わりらしき人物が、2ページ書くのに2000頁の資料を読んだと述懐するくだりがあるが、実際それに近いのだろう。
この作品の主たる舞台は、チェコスロヴァキア、それもチェコの首府プラハだ。舞台設定も絶妙だ。日本人にはともすれば分かりがたい遠い国だが、チェコとスロヴァキアの違いを始め、この地域の複雑な関係の一端も知らせてくれる。
文学とはなにか
「虚実皮膜の間」という表現があるが、フィクションのようでかぎりなくノンフィクションに近い。その間合いの取り方は絶妙だ。伝統的スパイ小説の流れを受け継いだ作品との批評もあるが、この小説家はひとつの新しい次元を切り開いたと思う。21世紀という別の激動の時代に生きる人間が、1930-40年代、厚い秘密と恐怖のヴェイルに覆われた重大事件を、あたかもわれわれの目前に展開するがごとくに仮想体験する。
このブログが漠然と考えていたことも、「時空」という障壁を超えて、過去と現在の仕切りなしに、障壁のないトピックスを論じることだった。そのひとつのモデルを見たような思いがした。
しかし、ビネの新しい方法は、文学とはなにかという困難な疑問を再び提起する。フィクション(虚構)とリアリティ(現実)との距離が問われる。ビネの作品はこの時代に関する綿密な事実考証の上に書かれている。ナチスの時代は体験していない若い世代が、そのために費やしたであろう時間と労力にひたすら感服する。作品のプロットは当時の世界で最も怖れられ、嫌悪されたナチ・ゲシュタボの長官を追い詰める2人のチェコ人とスロヴァキア人の軍事スパイ(暗殺者)の話といってしまえば、元も子もないが、そこに存在した事実は短い言葉に尽くせない、ユダヤ人に対する「工業化された大量殺人」ともいうべき狂気に対して、細い糸のようにわずかに残された抵抗、レジスタンスの試みと顛末だった。戦後書かれたナチを題材としたフィクション、ノンフィクションは数知れない。管理人もそのいくつかを目にしたにすぎない。しかし、この作品はそれらの多くと明らかに一次元を画していると感じるものがある。極限の恐怖の時代を、サスペンス・ドラマのような感触も感じさせながら、現代人(同時代人)として追体験させる。
読み始めた時、すぐに頭をかすめたのは、フレデリック・フォーサイスの小説『ジャッカルの日』(篠原慎訳、1971、1979年角川書店)であった。シャルル・ド・ゴール大統領暗殺を企てたテロリストグループOASが雇ったプロ暗殺者ジャッカルとフランス官憲の追跡を描き、映画化もされた。両作品が実際の歴史的事実を主題としている点とそのプロットには、多くの近似性があると管理人は見ている。現代史上の含意では、『HHhH』はナチのユダヤ人大量殺戮とその計画・実施過程への接近という意味で、計り知れない荷重を負っている。
そして、ほぼ同時にかつて愛読したもう一冊の作品と人物が念頭に浮かんで来た。チェコ生まれの文人カレル・チャペックであり、愛してやまない故国のさまざまな情景を描いた『チェコスロヴァキアめぐり』(1996恒文社、2006年筑摩書房)である。ビネはフランス人であるが、兵役に従事し、チェコスロバキアに滞在していたことがあった。そのことがこの国への深い愛と、そこに起きた驚くべき陰惨な出来事をできうるかぎり現実に近い形で小説化するという目標に向かわせた。現実は、いたるところ、描ききれない恐怖、残酷、悲惨、非人間的冷酷で充ちていたはずだ。ビネは、その点を和らげて描きながら、「小説」として、見事に時代を再現している。
*Laurent Binet, HHhH, Grasset et Fasquelle, 2010(邦訳:高橋啓『HHhH』東京創元社、2013年)
幸い、邦訳も刊行された。ドイツ語訳も含め、多数の言語に翻訳されているようだ。たまたま手にしたドイツ語版は、管理人には少し異なった響きがする。ドイツ国内の読者の文学としての評価は、フランス、イギリスなどでのそれとさほど変わらないようだが、当然他国での反応とは微妙な違いがあるようだ。
ドイツ語版は下記。
Laurent Binet, HHhH, Rowohlt Taschenbuch Verlag, 2013
テーマを推測するヒント:
Himmlers Hirn heißt Heydrich.
「ヒムラーの頭脳はハイドリッヒと呼ばれる」
ドイツ語の動詞が生きていますね!