時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

新年おめでとうございます

2021年12月31日 | 午後のティールーム

Photo:NK/yk

新年おめでとうございます

2022年元旦


普通の年ならば、もろ手を上げて新しい年の始まりを祝いたい。しかし、今年はかなり様子が違う。

オミクロンという多くの人々がこれまで聞いたこともなかったウイルスの変異株が、世界を揺り動かして不安な様相を呈している。日本でもほんの僅か前には、今度は収束に成功したかと安堵しかけたのも束の間、新年早々から第6波の到来に脅かされる状況が生まれている。

新型コロナウイルスに限らず、気象変動、米中対立など、世界に甚大な影響を及ぼす可能性のある問題が山積している。世界はしばらくの間、先のよく見えない時代を過ごさねばならないだろう。

年末に配達されたばかりの英誌 The Economist は、巻頭に、’The new normal:The era of predictable unpredictability is not going away’* (「ニューノーマル:予測不可能なことが予測される時代はまだ終わっていない」)  と題した短い論説を掲げている。内容を紹介する機会があるかもしれないが、タイトルが暗示する通りである。

なんとか、禍いを転じて福としたい。

The new normal:The era of predictable unpredictability is not going away
The Economist , December 18th - 31st 2021



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17世紀の色(10):《聖セバスティアヌス》は「危機の時代」のお守りになるか

2021年12月22日 | ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの部屋

コロナ禍の再燃が懸念される傍らで、「メトロポリタン美術館展:西洋絵画の500年」が、大阪市立美術館で開催されている。期間は2021年11月13日~2022年1月16日。その後東京へと巡回してくる。マスメディアでも注目作品の紹介などが行われるようになった。筆者にとっても懐かしい作品が多数含まれていて再会が楽しみだ。同館所蔵のラ・トゥール《女占い師》なども出展されるようだ。

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新聞紹介記事にも、《女占い師》などの解説が取り上げられるようになった。その余波か思いがけず本ブログ関連記事へのアクセスが増えたりしているが、このブログは、半世紀近くラ・トゥール・フリーク?として過ごしてきたブログ筆者の記憶の断片を掲載しているので、今回の展覧会を意図したものでは全くない。
「美の履歴書 724 ジョルジュ・ド・ラ・トゥール 「女占い師」」『朝日新聞』2021年12月7日

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そこで、今回はラ・トゥールの作品の中でも、最も人気が高かった主題《
聖セバスティアヌス》シリーズに関わる科学分析の成果を少し掘り下げてみたい。


ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの失われた真作の模作
《イレーヌに介抱される聖セバスティアヌ》
Attributed to Georges de La Tour
Saint Sebastian Tended by Irene
Oil on canvas, 104.8 x 139.4 cm
Acquired in 1993
Kimbell Art Museum


この画題は、ラ・トゥールの作品の中でも、際立って人気があった。17世紀ロレーヌに蔓延した疫病や戦乱に対する護符(お守り)として、多くの人々が身近に置きたがった作品であった。縦型と横型の二つのヴァージョンが知られているが、とりわけ上掲の横型については今日、少なくも11点のヴァージョンが見出されている。しかし、いずれも専門家の間で一致してラ・トゥールのautograph (自筆)とは認められていない。

1751年にロレーヌの歴史家が2点の作品について記しており、1点はロレーヌのシャルルIV世に、もう1点はフランスのルイXIII世に贈られたとされる。とりわけ後者はルイXIII世が大変なお気に入りとなり、「この作品のために、それまで自分の部屋にあった他の作品をすべて取り除かせた」という逸話が残っている。

キンベル美術館所蔵の作品は真作か
今日世界各地に残る10点の横型のヴァージョンは、その質や状態が大きく異なっている。その中でアメリカのキンベル美術館が所蔵する上掲の作品は、恐らくシャルルIV世に贈られた作品のラ・トゥール自らの手になる模作と考える専門家が多い。このヴァージョンは元来、アメリカのカンサス・シティにあるネルソン・アトキンス美術館が長年画家のオリジナル作品として展示してきた。1993年に現在の所蔵者であるキンベル美術館へ移転している。

しかし、作品は1950年代半ば、劣化を防ぎ作品の状態を安定して維持する目的で、新しい画布に下地ごと移された時に生じた損傷が激しいこともあって、専門家でも鑑識がかなり困難になっている。特に黒色の部分、オリジナルの地塗り部分は修復途上、紙やすりなどで除去されている。

それでも、画家の制作途中の変更、ペンティメント(pentimento; 制作途中の変更の跡の残存)と並び、ラ・トゥールの作業手順の特徴のひとつとして、輪郭を設定する上での準備的な印や刻み目と思われる跡が確認される。最も重要なのは、損傷の少ない部分には画家が使用した絵の具の種類、モデル設定、絵筆使いの跡などが残されていて、ラ・トゥール自らの手になる作品ではないかと思わせる。

1993年、所有がキンベル美術館へ移った時に、この作品のクリーニングと修復作業が行われた。全体の印象は改善した。損傷部分も主として鉛白で補填され、ラ・トゥールの制作手続きと一貫したステップが採用されている。

こうした補修と科学的分析は、前回記したようにさまざまな技術を駆使して、ラ・トゥール作品についても行われてきた。

1960年代後半から、オートラディオグラフィ Autoradiographyといわれる技術を使っての調査が行われるようになったが、この技術はレオナルド・ダ・ヴィンチの《モナリザ》に描かれたモデルの推定のためにも活用され、極めて興味深い成果を挙げている。


キンベル美術館所蔵作品のオートラディオグラフィによる2時間半照射の画像:
主にマンガン分を写像として残している。

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N.B.
今回の「メトロポリタン美術館展」とは直接的関連はないが、NHK・BSプレミアムが「4人のモナリザ~ ”謎の微笑”モデルの真実~」と題した番組を再放送していた。2017年5月17日に放送されていたが、見落としていたので大変興味深く見ることができた。フランスの絵画分析の専門家パスカル・コット氏が、《モナリザ》を2億4千万画素という超高速のデジタルカメラ「マルチスペクトルカメラ』で撮影した分析結果である。照射時間の経過とともに、表面のイメージから順次古い時代の層へと古い画像が映し出される。その結果は我々が目にするモナリザの下層にさらに時代を遡って3人の女性が描かれていたという衝撃的で興味深いものであった。そして表層から2人目の女性こそ真のリザではないかと番組は推測していた。新たな知見を加えた出色の番組であった。
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こうした先端技術を通して作品の分析が行われるのは、今のところダ・ヴィンチやルーベンスのような超有名な画家の作品に限られている。調査費用が極めて高額になるためである。幸いラ・トゥールの場合、画家や作品についての謎が多かったこと、所蔵者がルーヴルやメトロポリタン、キンベルなどの有名美術館であったことなどもあって、こうした先端技術を駆使した分析が可能となった。

しかし、モナリザの場合と比較して、ラ・トゥールの場合、画家は制作に当たって書きなおし、塗り直しなどを極力防ぐため、作品の最終完成のイメージを熟考した上で、絵筆を振るったと思われる。下地塗りの上に直接イメージが描かれたことが多く、他の画家にしばしば見られるような古い作品の上に新しいイメージを描くことが少ない、絵具・顔料の厚みも1層程度で修正などの厚塗りが少ないなどの特徴もあって、最新技術をもってしても、真作と模作の判別などの点で、十分解明できないところも多い。言い換えると、この画家特有の顔料や絵筆使い、修正の少なさと、後世の所蔵者などによる修復の跡などが混在して、真の制作者が誰であるかを確定できないという問題が生まれている。

問われる美術史家の鑑識力

こうした諸点を総合して考えると、キンベル版の《イレーヌに介抱される聖セバスティアヌ》は、1971年まではオリジナルと考えられてきたが、その後の修復作業などの結果に見る限り、誰もが一致してラ・トゥールの真作として支持するには難点が残ってしまう。結局、最終的判定は、専門家の総合的鑑別、判断次第となる。そこで問われているのは、鑑識力 connoisseurshipだ。半世紀近くの時をこの謎の多い画家の作品や生涯の探索と過ごしてみると、これほど謎が多く見る人の力を試す画家は少ない。作品は長らく見ていても飽きることがない。

時代は異なるが、21世紀という激動の時代に生きる人々に大きな癒しをもたらす画家ではないだろうか。「危機の時代」、コロナ禍に翻弄される人々にとって、《イレーヌに介抱される聖セバスティアヌ》は、改めて対峙して見るにふさわしい作品だ。

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N.B.
ラ・トゥールの作品制作に際しての特徴:
《イレーヌに介抱される聖セバスティアヌ》に限らず、現存する作品から推定する限り、ラ・トゥールという画家はひとつの主題を様々な観点から描くという特徴があった。
制作技法について見ると、アメリカの美術館などが所蔵する10作品の調査から判明したことは、作品に使われた画材、顔料はどは17世紀当時のフランスのものとほとんど同じ。カンヴァス枠、画布はほどほどに粗雑で、特に注目すべき特異性、格段の配慮は見られない。
これに対して、技法については画家独自のものが感じられる。特に地塗りには注目すべき点がある:画家はイメージ構想の段階から作品の全体的色調を考えていたと見られる。昼光の下での作品と考えられる「世俗画」といわれる範疇の作品には、白色又は明るい灰色の地塗りを施している。他方、夜の光景を描いた作品(「宗教画」の範疇)については、地塗りは褐色から黒褐色に近い下地になっている。
画家はカンヴァスに直接イメージを描いたと見られるが、インクや乾いた画材などで輪郭を描いていた痕跡は見当たらない。自らが描く対象について、深く考え、制作途上での塗り直しなどの修正は極力しなかったようだ。

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References
Kimbell Art Museum, Handbook of the Collection, Ed. by Timothy Ports, 2003.
Claire Barry, Appendix: La Tour and Autoradiography, Georges de La Tour and His World, Ed. by Philip Conisbee, National Gallery of Art , Yale University Press, 1996

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17世紀の色:闇の深さ(9)

2021年12月12日 | ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの部屋


ジョルジュ・ド・ラ・トゥール真作に基づく模作《聖アレクシスの遺骸の発見》
油彩・カンヴァス 1.58x 1.15、ナンシー・ロレーヌ歴史美術館


ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの真作に基づく模作《聖アレクシスの遺骸の発見》
1.43 x 1.17 油彩・カンヴァス、ダブリン・アイルランド国立美術館

上掲の2点の作品は、いずれもラ・トゥールの真作に基づく模作とされている。真作の制作年次は1648年末頃と推定されている。真作はロレーヌのラフェルテ総督にリュネヴィル市から1649年の新年に贈られたものとされている。しかし、この真作は発見されていない。上に掲げた作品は、この真作に基づき、ラ・トゥールの工房あるいはエティエンヌの手になるものではないかとされている。しかし、その推定根拠は弱く、ラ・トゥールの真作との推定も消えてはいない。作品の含意については、本ブログでも以前に記したことがある。

ナンシーの歴史美術館が所蔵している作品は、残念なことに作品下部が切り取られ、別の部材が上部に継ぎ足されている。この作品は真作ではないかとも推定されているが、決定には更に科学的調査が必要なようだ。作品の構図は他の画家を含めて例が少ないが、この主題はローマのPietrona da Cortona、そしてパリのClaude Mellan、そして多くの地方画家が試みたことが知られている。聖アレクシスに関わる逸話は、当時はよく知られていた「黄金伝説」に記載された話に由来するとされている。興味深いことは同様な逸話が、ヴィックで地域的な尊敬対象として崇拝されていたベルナルド・デ・バーデ Bernard de Badeについて残っている(ヴィックに銅像が存在)(Tuillier 1995, p.218)。ラ・トゥールがこうした状況で、アレクシスに関わる逸話を制作対象にイメージしたことは想像できる。

敬虔な信仰の対象としての聖人が秘かに亡くなっていたことを発見した若い従者(小姓)の真摯な尊敬の念に満ちた表情が見る人に迫ってくる。松明で闇を切り裂いたような厳粛な張り詰めた空間である。

ラ・トゥールの特徴のひとつである衣装の描写の美しさは、ここでも遺憾なく発揮されている。聖人の纏った外衣、従者の明るい胴着などが、松明の光に照らされて絶妙な美さである。構図は同じでありながら、画家は様々な実験的な試みをしているようだ。

松明の光度が強い下段の作品(ダブリン版)では、聖人、従者の表情が一段とクローズアップされている。他方、上段の作品(ナンシー版)では、光度が抑えられている反面、陰影の効果が絶妙である。ナンシー版は、従者の頭上に空間があり、松明の光量が抑えられていることもあって闇の深さが際立っているといえる。他方、ダブリン版は聖人と従者の表情がより明瞭に描き出されている。

この作品は真作ではないとの評価がなされているとはいえ、きわめて美しい作品であり、ブログ筆者としてはこれぞ真作と思いたい。とりわけ、背景の闇を描いた黒色の美しさについては、パストロウの色シリーズでも黒色(Black)が使われた象徴的作品として表紙に使われている。

作品の購入者などが、観る者の集中度を強めるために、作品の一部を切断したり、後付けをすることは、この時代では珍しいことではなかったようだ。画家の製作意図がこうした行為で歪められてしまうことは大変残念なことだ。


続く



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