いつの頃からか、まもなくひとつの年が終わるという切迫感、あるいは年の瀬を乗り切るというような多少なりと緊迫した感じが生活の周囲で減衰している。ただ今日の続きとして明日があるという時間軸上の一区切りに近づいている。
もちろん、大晦日があり、翌日は新年だということは自覚しているのだが、そこには1年を終える感慨や新年を迎える爽やかさや新鮮さが格段に薄くなっている。大きな理由は自分が高齢化したことだろう。しかし、若い世代の人に聞いてみても、少し長い休日がある程度の受け取り方だ。ことさら記すこともないのだが、NHKの紅白なるものを数十年間、ほとんどまともに見たことがない。社会でも外れた存在であることを自認していたが、この頃は私も何年も見ていないというひとが周囲に増えていることを知り、あながち少数派ではないのかもしれないと思うようになった。芸能界に関係する人には大きなトピックスなのだろうが、関心のない人には巨額のお金を投じての空騒ぎにしか映らない。
そうはいっても、多少いつもの季節とは異なったことも考えないわでけはない。例年、いくつかのことがその材料を与えてくれる。そのひとつを書いておこう。
数年前からクリスマス・シーズンに受けとるカードの数が激減した。最大の原因はインターネット上のメールに移行したことだ。一時期は年末の忙しい折に、カードを書くことは年賀状の準備と併せてかなり大変な作業だった。机の上に届けられた未着手のカードの箱と年賀状が山となり、数行の文章と自分のサインを記すだけで数日の間、精一杯だった時もあった。。
心なごむカード
電子メールはその点、大幅な労力軽減になった。しかし、メール上で読む文章はなんとなく印象に残らない。そのことを知ってか知らずか、これまで通りカードで季節の挨拶や家族の近況などを知らせてくれる友人たちがいる。必ずカードに併せて、詳細に一年のあれこれを別紙に記して送ってくれる。その多くに家族のカラーの写真などがつけられていて楽しい。
数えてみると半世紀くらい前からカードのやりとりをしている友人がいる。その家族のことは、このブログにも記したことがある。カナダ、オンタリオ州に住むカナダ人夫妻である。管理人より数歳上だから、old-old friendsだ。アメリカ時代に留学生仲間として席を同じくしたことがあった。留学生といっても隣国カナダで、長い休みの時などは帰国もできない日本人学生を自宅に泊めてくれたり、大変親切に心配りをしてくれた。後年、娘さんが日本へ英語教師として赴任した折、少しだけお返しができた。
カナダは最近、5年以内に郵便の各戸への配達を廃止することを決めた。これからは、地域の集配所へとりに行くことになる。アメリカでもニュージャージーのような洲では、かなり以前からこうしたシステムを採用していた。クリスマスの頃には、家まで配達してくれる郵便局員に簡単なプレゼントをする家もあった。
オンタリオからロシアへ
さて、このカナダの友人の両親は、かつて白ロシアとも呼ばれたベラルーシ(共和国)からの移民だった。友人のファースト・ネームはニコラス(通称ニック)で、若いころからサンタクロースにうてつけな容貌と体格だった。今もそれは代わらない。数年前に脊柱管骨折の大怪我をしたが、モントリオールの病院の看護部長だった奥さんの介護もあって、奇跡的に回復、初めて故郷ベラルーシへ長距離旅行ができるまでになった。
大学院の時に結婚しており、今年は結婚50年になることを記念して、オンタリオの自宅を立ち、モスクワからベラルーシまでの旅行をやってのけた。ちなみにベラルーシは東ヨーロッパの西端、ウクライナの北に位置し、東のロシア連邦と西のポーランドに挟まれた人口1000万人強、スラヴ系ベラルーシ人の小国だ。1991年にソビエト連邦から独立し、国連加盟もウクライナと共にソ連とは別枠で果たしていた。多くの日本人にはあまりなじみのない国だ。管理人は彼らからベラルーシ、そして「鉄のカーテン」時代のロシアについて多くのことを教えてもらってきた。
さて、彼らの旅はモントリオールからセント・ペテルスブルグに飛び、そこから、モスクワまでのリヴァー・クルーズが中心だった。この航路は多数の運河、湖、そして母なるヴォルガ川を経由して、モスクワに達する素晴らしい旅路である。かつて「皇帝ツアーの水路」と呼ばれたこともある。モスクワでは現代ロシアの変貌ぶりに少なからず驚いたらしい。西ヨーロッパをしのぐ華やかで豪華絢爛な店が建ち並ぶ傍らに、多数の貧困者がブリキの缶を持って施しを求めていた。革命前の社会の再現のような気がしたという。ここにも大きな貧富の格差拡大の波が押し寄せていた。
その後、彼らはアフリカで人道支援の国際機関で働く長女を含めて、自分たちの両親の故郷ベラルーシのピンスクへ旅し、いとこたちと楽しい日々を過ごした。豊かな牧畜・農業の村は、彼らを大きな衝撃なしに迎え入れてくれたらしい。
ニックの希望で、旅はその後、ワルシャワからベルリン、ポツダムへと続いた。どうもこれは、ナポレオンとヒトラーの軍隊の退却の跡をたどるという夫のロシア人としての血脈が働いたからだと、妻のワンダがからかい気味に記している。
平穏な新年を祈って
彼らの旅のある部分は、このブログ管理人もたどったことがあり、大変懐かしい思いがした。カナダという国は大国でありながら、国際政治の舞台でも、あまり派手な立ち回りをしない。しかし、非常に安定感があり、アメリカ以上に移民を寛容にうけいれてくれるようなイメージがある。だが、ここも大きく変わってきたという。移民に反対する動きが強まり、制限的になっているという。大都市などでは、自国に政治的不安感を抱く中国の富裕層などが、子弟を留学させたり、巨額の資金の移転をしていることなどが、目につくようだ。
折から、TVなどのメディアは、ソチ五輪開催地の近くボルゴラードなどでの連日テロの惨事を伝えている。ロシア的専制政治の流れはプーチン大統領に引き継がれ、テロリストの反抗は、3月に向けて緊張の度を深めてゆくだろう。今後平静でなにもないことを祈るばかりだ。これまで、年末にしばしば話題としてきた The Economist(December 21st 2013) は、年末の論説に「不安とともに振り返る」と題して、第一次大戦前夜のことを記している。明日なにが起こるかは、実は誰も分からない。そして今、この地球上にはいたるところに戦争の火種がくすぶっている。
ソ連は歴代大統領の性格もあるが、覇権国家としての強権行使がしばしば対立を引き起こす。それに比較すると、カナダは大国で資源も豊富だが、国際舞台でもあまり目立つことがなく、なんとなくゆったりとしている。東アジアで近隣国と厳しい関係にある日本だが、カナダのような国もあることを思い起こしたい。
今年も残りわずか数時間となった。この1年変なブログにお付き合いいただいた皆様に感謝をこめて、新年が文字通り平穏で実り多い年でありますように。