時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

一枚のクリスマスカードが語る世界

2013年12月30日 | 午後のティールーム

 

 

  いつの頃からか、まもなくひとつの年が終わるという切迫感、あるいは年の瀬を乗り切るというような多少なりと緊迫した感じが生活の周囲で減衰している。ただ今日の続きとして明日があるという時間軸上の一区切りに近づいている。

 もちろん、大晦日があり、翌日は新年だということは自覚しているのだが、そこには1年を終える感慨や新年を迎える爽やかさや新鮮さが格段に薄くなっている。大きな理由は自分が高齢化したことだろう。しかし、若い世代の人に聞いてみても、少し長い休日がある程度の受け取り方だ。ことさら記すこともないのだが、NHKの紅白なるものを数十年間、ほとんどまともに見たことがない。社会でも外れた存在であることを自認していたが、この頃は私も何年も見ていないというひとが周囲に増えていることを知り、あながち少数派ではないのかもしれないと思うようになった。芸能界に関係する人には大きなトピックスなのだろうが、関心のない人には巨額のお金を投じての空騒ぎにしか映らない。

 そうはいっても、多少いつもの季節とは異なったことも考えないわでけはない。例年、いくつかのことがその材料を与えてくれる。そのひとつを書いておこう。

 数年前からクリスマス・シーズンに受けとるカードの数が激減した。最大の原因はインターネット上のメールに移行したことだ。一時期は年末の忙しい折に、カードを書くことは年賀状の準備と併せてかなり大変な作業だった。机の上に届けられた未着手のカードの箱と年賀状が山となり、数行の文章と自分のサインを記すだけで数日の間、精一杯だった時もあった。。

心なごむカード
 電子メールはその点、大幅な労力軽減になった。しかし、メール上で読む文章はなんとなく印象に残らない。そのことを知ってか知らずか、これまで通りカードで季節の挨拶や家族の近況などを知らせてくれる友人たちがいる。必ずカードに併せて、詳細に一年のあれこれを別紙に記して送ってくれる。その多くに家族のカラーの写真などがつけられていて楽しい。

 数えてみると半世紀くらい前からカードのやりとりをしている友人がいる。その家族のことは、このブログにも記したことがある。カナダ、オンタリオ州に住むカナダ人夫妻である。管理人より数歳上だから、old-old friendsだ。アメリカ時代に留学生仲間として席を同じくしたことがあった。留学生といっても隣国カナダで、長い休みの時などは帰国もできない日本人学生を自宅に泊めてくれたり、大変親切に心配りをしてくれた。後年、娘さんが日本へ英語教師として赴任した折、少しだけお返しができた。

 カナダは最近、5年以内に郵便の各戸への配達を廃止することを決めた。これからは、地域の集配所へとりに行くことになる。アメリカでもニュージャージーのような洲では、かなり以前からこうしたシステムを採用していた。クリスマスの頃には、家まで配達してくれる郵便局員に簡単なプレゼントをする家もあった。

オンタリオからロシアへ
 
さて、このカナダの友人の両親は、かつて白ロシアとも呼ばれたベラルーシ(共和国)からの移民だった。友人のファースト・ネームはニコラス(通称ニック)で、若いころからサンタクロースにうてつけな容貌と体格だった。今もそれは代わらない。数年前に脊柱管骨折の大怪我をしたが、モントリオールの病院の看護部長だった奥さんの介護もあって、奇跡的に回復、初めて故郷ベラルーシへ長距離旅行ができるまでになった。

 大学院の時に結婚しており、今年は結婚50年になることを記念して、オンタリオの自宅を立ち、モスクワからベラルーシ
までの旅行をやってのけた。ちなみにベラルーシは東ヨーロッパの西端、ウクライナの北に位置し、東のロシア連邦と西のポーランドに挟まれた人口1000万人強、スラヴ系ベラルーシ人の小国だ。1991年にソビエト連邦から独立し、国連加盟もウクライナと共にソ連とは別枠で果たしていた。多くの日本人にはあまりなじみのない国だ。管理人は彼らからベラルーシ、そして「鉄のカーテン」時代のロシアについて多くのことを教えてもらってきた。

 さて、彼らの旅はモントリオールからセント・ペテルスブルグに飛び、そこから、モスクワまでのリヴァー・クルーズが中心だった。この航路は多数の運河、湖、そして母なるヴォルガ川を経由して、モスクワに達する素晴らしい旅路である。かつて「皇帝ツアーの水路」と呼ばれたこともある。モスクワでは現代ロシアの変貌ぶりに少なからず驚いたらしい。西ヨーロッパをしのぐ華やかで豪華絢爛な店が建ち並ぶ傍らに、多数の貧困者がブリキの缶を持って施しを求めていた。革命前の社会の再現のような気がしたという。ここにも大きな貧富の格差拡大の波が押し寄せていた。

  その後、彼らはアフリカで人道支援の国際機関で働く長女を含めて、自分たちの両親の故郷ベラルーシのピンスクへ旅し、いとこたちと楽しい日々を過ごした。豊かな牧畜・農業の村は、彼らを大きな衝撃なしに迎え入れてくれたらしい。

 ニックの希望で、旅はその後、ワルシャワからベルリン、ポツダムへと続いた。どうもこれは、ナポレオンとヒトラーの軍隊の退却の跡をたどるという夫のロシア人としての血脈が働いたからだと、妻のワンダがからかい気味に記している。

平穏な新年を祈って
 
彼らの旅のある部分は、このブログ管理人もたどったことがあり、大変懐かしい思いがした。カナダという国は大国でありながら、国際政治の舞台でも、あまり派手な立ち回りをしない。しかし、非常に安定感があり、アメリカ以上に移民を寛容にうけいれてくれるようなイメージがある。だが、ここも大きく変わってきたという。移民に反対する動きが強まり、制限的になっているという。大都市などでは、自国に政治的不安感を抱く中国の富裕層などが、子弟を留学させたり、巨額の資金の移転をしていることなどが、目につくようだ。

 折から、TVなどのメディアは、ソチ五輪開催地の近くボルゴラードなどでの連日テロの惨事を伝えている。ロシア的専制政治の流れはプーチン大統領に引き継がれ、テロリストの反抗は、3月に向けて緊張の度を深めてゆくだろう。今後平静でなにもないことを祈るばかりだ。これまで、年末にしばしば話題としてきた The Economist(December 21st 2013) は、年末の論説に「不安とともに振り返る」と題して、第一次大戦前夜のことを記している。明日なにが起こるかは、実は誰も分からない。そして今、この地球上にはいたるところに戦争の火種がくすぶっている。

 ソ連は歴代大統領の性格もあるが、覇権国家としての強権行使がしばしば対立を引き起こす。それに比較すると、カナダは大国で資源も豊富だが、国際舞台でもあまり目立つことがなく、なんとなくゆったりとしている。東アジアで近隣国と厳しい関係にある日本だが、カナダのような国もあることを思い起こしたい。

 今年も残りわずか数時間となった。この1年変なブログにお付き合いいただいた皆様に感謝をこめて、新年が文字通り平穏で実り多い年でありますように。

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クリスマスに集う聖ヒエロニムス

2013年12月25日 | ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの部屋

Georges de La Tour (1593-1652)
Saint Jerome Reading
Oin on canvas, 79x65cm
Madrid, Museo del Prado
イメージ拡大はクリック 

 

 

  老人が拡大鏡で手紙らしき書類を読んでいる。身につけている朱色の衣が美しい。この画像、以前にも掲載したことがある。慧眼の方は、ひと目見ただけで、ラ・トゥールの作品ではと気づかれた方もおられよう。この画家の数少ない作品の中では、最も最近時点で「発見」され、専門家の鑑定を経て、画家の真作と認知された。それまで長い間、マドリッドのセルバンテス研究所の壁に、ながらく誰の作品とも確認されることなく掲げられていた。

 この作品が年末、初めて画家の生地ヴィック・シュル・セイユのジョルジュ・ド・ラ・トゥール美術館に置いて展示された(9月1日ー12月20日)。今年、フランスでも多数の展覧会が開催されたが、その中でも特筆に値する展示のひとつとされた。

 17世紀の宗教画に詳しい方は、この画像が聖ジェローム(聖ヒエロニムス Saint Jerome Latin: Eusebius Sophronius Hieronymus; c. 347 – 30 September 420)を描いた一枚であることに気づかれるだろう。2005年に偶然、マドリッドで発見された時、美術界のメディアが世界にそのニュースを伝え、何人かのブログ読者の方もご親切に知らせてくださった。その当時は、ほとんどラ・トゥールの作品ではないかと専門家は直感したが、これまで模作、偽作のうわさが絶えなかった画家だけに、直ちに真作との評価はなされなかった。
 
  その後、プラド美術館へ作品が移され、詳細にわたる鑑定が進み、ラ・トゥールの作品目録に新たな一枚が加えられた。ラ・トゥールはその生涯でかなりの数の「聖ヒエロニムス」を描いたと思われるが、今日の段階で真作と確認されているのは、この度の真作を加えても4枚である。その4枚すべてが、画家の生地を記念して立てられた美術館に集められた。プラド美術館の作品は、今回の展覧会で初めてマドリッドを離れ、公式に画家の生地にお里帰り?したという点でも大きな意味がある。

 この展覧会では、その他にも、画家の失われた真作の模作と思われる作品などもあり、その多くが集められた。上記4枚の真作とは、このプラド蔵の作品に加え、このブログでも再三記してきたブルノーブルおよびストックホルムの美術館が所蔵する悔悛する聖人が自らの身体を鞭打つ場面を描いた2枚(一枚は宰相リシュリューに贈られた)およびイギリス王室のコレクション(ハンプトンコート蔵)に含まれるこのたび発見された真作と同じ主題の「手紙を読む聖ヒエロニムス」である。

 ハンプトンコートの作品と比較して気づくことは、画面の背景に一段の工夫が見られることである。ハンプトンコートの作品は、画面中央部で左右に濃淡が分かれているが、このプラドの作品は斜めに濃淡のある背景となり、特定の場所を思わせる深みのある空間を構成している。さらに、ヒエロニムスの読む手紙もさらに精緻になり、紙面を通して写る文字が読めそうな思いがする。髪の毛や髭の描写も、この画家の特徴として絶妙なものがある。

 聖ヒエロニムスは、聖職者、神学・聖書学者など学者、智の人という側面と自らを絶えず厳しく律する悔悛の人というふたつの側面を持っている。ラ・トゥールもこの聖人の二つの側面をそれぞれに描き分けている。このたびの展覧会には、その二つの側面が描かれた作品が勢揃いした。

 このイギリス王室所蔵ハンプトンコートの作品も、ラ・トゥール研究史上エポックを画した1972年の展示以来、作品の状態が公開には適さないということで長い時間の空白の後に公開展示の場に出たものである。この作品をめぐっては、クリストファー・ライトなどの美術史家の間で、ラ・トゥールの真作か否かをめぐっての論争もあった。グルノーブル、ストックホルムの2枚は、過去50年近い年月の間に何度か、並んで展示されたことがあった。

 ヴィックのような小さな町の美術館で、これだけの素晴らしい展覧会が開催されたのは、設立以来美術館に多大な支援を行ってきたルーヴルのおかげであり、とりわけ今回の展示のコミッショナーを務めた有名な美術史家ディミトリ・サルモン Dimitri Salmonの功績によるものである

 画題が聖人という地味なものだが、ラ・トゥールが得意とした赤色系(ヴァーミリオン)が広く使われ、クリスマス・シーズンに鑑賞するにもふさわしい作品といえる。

  



 展示された作品の多くは、プラドの一枚を除くと大変よく知られたものだが、カタログはDimitri Salmonの他にもHoch Philippe, Laurent Thurnherr, dominique Jacquot, Gabriel Diss, Chiristopher Wright, Elizabeth Ravaud, Iwona Chardel and Marie Goormaghtigh などの研究者がエッセイを寄せており、研究者、愛好者にとっては貴重で大変喜ばしいものになっている。

Sous la direction de Dimitri Salmon, Saint Jérôme & Georges de La Tour , IAC éditions d'art, 2013, 288 p., Editor Dimitri Salmon, Saint Jerome & Georges de La Tour, IAC Art, 2013 288 p., ISBN : 978-2-916373-66-9.

 

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ツァーの呪い:これもラ・トゥールの世界?

2013年12月21日 | 午後のティールーム

 

 

『ツァーの呪い』(児童書)表紙

 

 世の中のブログとはおよそ違った方向に進んできたこのブログだが、当初からそうなることはほぼ予想していたことでもあった。元来、ブログがいかなるものかまったくイメージがなく、初期のHPからの移転以降、ただ思いついたままに細部、ディテールを記し、それを蓄積することで少しずつイメージを形作り、全体像を理解していただくという試みで、なんとかここまでやってきた。最初から時間がなかったこともあり、体系的に記事を書いてきたわけではない。思いつくままに、ひとりで小さなブロックの山を手作業で積み重ねている感じとでもいったらよいかもしれない。底辺部を作っている頃は、どんなブロックを積んでも手直しがきくが、少し形ができてくると、ブロックの種類や形を選ぶ必要も出てくる。

児童文学に入り込んだラ・トゥール

 今回は少し趣向を変えて、お子様向き?のテーマを選んでみた。ジョルジュ・ド・ラ・トゥールは当初からこのブログの柱の一本である。しかし、日本では知名度がいまひとつ低いこともあって、その実像は正しく伝わっているとは言いがたい。この画家はながらく「失われた画家」として多くの謎を秘めた存在であったが、現代のフランスでは17世紀を代表する大画家としてすでに名声は確立している。

 いまや美術史に限らず、さまざまな分野でこの画家とその作品に触発された成果に出会う。今回はそのひとつの例として、児童文学におけるラ・トゥールの浸透を見てみよう。実は児童文学の分野だけでも、関連作品はかなり多数に上るのだが、たまたま手元にある一冊の児童書を取り上げてみた。

 この絵本の表紙(上掲)タイトルは、 La Malédiction de Zar
ツァーの呪いと題されている。2人の男がカードを挟んで対峙している。右側の男は王冠らしきものをかぶり、クラブのカードのごとき衣服を身につけている。笏を持っていることから、さしづめ、カードの王国のキングなのだろう。左側の若い男は貴族風の身なりだが、背中に回した左手は腰帯に挟んだ二枚のカードの一枚を取りだそうとしている。なんとなく、不安げなところがある。若い男の左上にはスペードのカードに半身を隠し、マスクをして容貌が分からない怪しげな人物が手を伸ばしている。

 このブログの読者の中には、左側の若い男の姿に、もしかするとあの男かと思われた方もおられるかもしれない。その通り、ラ・トゥールの数少ない「昼の作品」の一枚、『(ダイアのカードの)いかさま師』 le Tricheur à l'as de carreauに描かれた人物がモデルになっている。そのアニメ?版は下に掲げる。

 

  ここまで来ると、もうお分かりですね。あの怪しげな目つきをした女たちも登場するカード・ゲームの光景が浮かんでくる。しかし、今回の話では、このいかさま師の若い男は、ゲームの途中で突然死んでしまう。悪事をする者は長生きできないという含意があるのかもしれない。

試される若者
 そして、彼は天国に行くことはできず、天国と地獄の間の世界をさまよう。たどり着いた先は、カードの城であった。そこにはカードのキング、クイーン、ジャックなどの裁判官による厳しい審問が待ち受けていた。地獄へ落ちるか、天国へ行けるかの狭間、カードの煉獄であった。そこで試されるカードの腕前。俗界ではいかさまを駆使し、負けることはなかったこの若者、まったく勝つことができない。焦燥と悔恨に苛まれる。

 厳しい煉獄の試練の連続の日々。そこに突如として現れたのは髪を赤いスカーフで包んだ謎めいた美女。名前はファニー、どこかできっとお目にかかっていますね。

  そして、かつてのいかさま師ツァーは、とあることで、このファニーと出会う。ファニーもかつて俗界ではジプシーの女掏摸グループの仲間であった。彼女自身、その美貌の故か、幼い頃にジプシーに拐かされて、掏摸仲間に入っていたとの話もあった(最近のBBCニュースでも、アイルランドのダブリンで、あるジプシー(今はロマ人という)の夫婦の子供の金髪の容貌に疑問を抱いた警察が、拘留してDNA検定をしたところ、両親のDNAと合致し、親元に戻したという事件が報じられた。ギリシャでは逆のケースも発生したようだ)。

 さて、いずれもなにか曰くありげなツァーとファニーの出会いは、その後どんなことになるのでしょうか。そしてツァーの呪いとは。後は想像のままにお楽しみを。

 この絵本、読者の対象は6歳以上の児童向け(大人でもかまいません)となっていて、ストーリー自体は単純なものだが、ラ・トゥールの原作がそうであるように、観る者にさまざまなことを考えさせる仕組みになっている。

 この本の特徴は、絵本の作者が、有名な絵画の一枚を見て、それから想像を膨らませてストーリーを考え、一冊の絵本にすることにある。すでにゴーギャン、ベラスケスなどかなりの数の作品について、「芸術の架け橋シリーズ」として刊行されている。いずれも巻末には画家と発想の源になった作品の解説が付されている。こうして子供たちは幼い頃から名作に親しみ、単に絵を見るのではなく、制作した画家の心を読むトレーニングをしていることになる。


課題:
さて、皆さんは、この絵からどんな物語をイメージするでしょうか!




Source
Kérillis et Xaviére Devos
La Malediction de Zar
CNDP-CRDP, l'éelan vert
Marseille, 2013

  
 

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アメリカ市民になれる日は?:座礁した移民改革

2013年12月16日 | 移民政策を追って

 

我にゆだねよ
汝の疲れたる 貧しい人々を
自由の空気を吸わんものと
身をすり寄せ 汝の岸辺に押し寄せる
うちひしがれた群衆を
かかる家なく 嵐に弄ばれた人びとを
我がもとへ送りとどけよ
我は 黄金の扉のかたわらに
灯火をかかげん

Give me your tired,
your poor,your huddled masses yearning to breath free, 
The wretched refuse of your teeming shore,
Send these, the homeless, tempest-tossed to me,
I lift my lamp beside the golden door!

Emma Lazarus, 1883
(田原正三訳)
ニューヨーク 自由の女神像台座銘板に刻まれた詩

 

 

 オバマ大統領の大統領就任当時、アメリカは幸いにもケネディ大統領のような若く理想に燃えた人材に恵まれ、再び1960年代のような繁栄の道に戻るかに見えた。新政権に委ねられた課題は多かった。中でもブッシュ前大統領が最後の花道にと考えた包括的移民改革も、結局実現することなく、新しい大統領に引き継がれた。オバマ大統領は就任当初、自分の政権中にこの問題もほぼ解決しうると考えていたようだ。実際、ブッシュ政権までに移民政策の目指す方向はほとんど議論が尽くされ、整理されていた。新大統領は自信に満ちあふれていたかにみえた。

 しかし、2013年が間もなく幕を下ろす今になっても、移民改革は実現の兆しはない。もはや移民改革は挫折したと書き立てるメディアも増えている。最近では、自由の女神像の前で座礁した移民船にたとえた記事もある。前回記したEU、とりわけイギリスと同様に、アメリカでも移民受け入れについて、国民が全体に保守化していることは否めない。


共和党の抵抗
 なぜ、こんなことになったのか。オバマ大統領就任前から、中国などの急速な台頭などもあって、アメリカの世界における地位は相対的に低下していた。国民の間の経済格差も拡大、その底辺部にいる貧しい人たちの状態改善のために、社会保障、とりわけ医療改革などに多大なエネルギーを注がねばならなくなった。医療改革はアメリカにとって、移民改革と並ぶ重要課題であったが、共和党などの強い反対できわめて歪んだ結果になってしまった。9.11後のテロリズムへの不安感が、移民への対応を厳しくしたことも否めない。

 移民改革も上院を中心に主要な議論は尽くされていた。しかし、下院で共和党、とりわけ保守系右派の強硬な反対に会い、挫折を繰り返してきた。現在、下院を数で支配する共和党には、上院案を通過させる考えはまったくない。移民問題は、十人十色といわれるように、議員が経験してきた人生経験などで、議論が拡散し始めると、収束できなくなる。オバマ大統領が移民法改革を口にする機会はほとんどなくなった。その過程はこのブログでも時々記してきた。

不法滞在者の処遇
 最大の問題は、アメリカ国内に居住する1100万人とも1150万人ともいわれる(入国に必要とされる書類を保持していない)
不法移民とその家族への対応だ。共和党保守派の間には、依然こうした不法滞在者を国外へ強制送還せよとの考えも根強い。民主党にもこの不法滞在者の”合法化”を一括して実施ことがきわめて難しいことが分かってきたようだ。一口に不法滞在者といっても、その内容がきわめて複雑であり、具体的対応が容易ではないことに気づいたことにある。こうした不法移民をいかに合法化の道へ導くについては、具体的な次元では多くの難題が待ち受けている。その主要点は、すでにこのブログでも論じてきた(特に「分裂するアメリカ:(1)-(7)」)。

 下院で多数派を占める共和党には、民主党優位の上院で作成された移民法改革の議案を通過させるつもりはない。上院の法案は、国境のボーダーコントロールを2万人増員する、新たな国境障壁を増加する、そして、企業寄りのゲストワーカー・プログラムを導入せよなどの右派の案と、組合側に寄った職場ルールの導入、入国書類を保持せずに国内に居住する不法移民に市民権への道を開くという左派の主張をなんとかバランスさせたものだ。しかし、最近の状況では、これについても異論が出ており、分解の怖れがある。他方、下院の共和党議員の間には、使用者が特に必要とするかぎりの移民受け入れだけの内容に改革案を縮減するなど、最低限の手直し程度にすべきだなどの意見も出てきている。

実現への遠い道
 このままではオバマ大統領に残された任期の間に移民法改革をなしとげること自体が困難に見えてきた。これらの点を考慮してか、このところ移民法改革の内容説明にかなり乗り出してきた。

 アジア諸国などの歴訪を終えたばかりのバイデン副大統領自らが「旅疲れ」だがと前置きしつつも、ホワイトハウスのHPで説明に当たっている。「ホワイト・ハウスに移民改革の今後を聞く」と題する映像対話で副大統領自らが答えているが、登場する不法滞在者など、質問者の立場は、それぞれかなり異なり、一様な対応は難しい。副大統領自身が、市民権付与まで何年かかるかわからないと答えているケースもある。1100万人近い不法滞在者の申告を審査するだけで、大変な事務処理と判定時間がかかることになる。何年にもなりかねない申請者の列が生まれることになる。

 こうした状況で、たとえば下記のThe Economist誌はひとつの案を提示している。次のごとき内容である:まず現在の不法滞在者に恒久的居住権を与える。しかし、アメリカの市民権は与えない。それは最初の入国時に必要な書類を不保持あるいは提示することがなかったという違法行為への罰則を意味している。ただ多くの不法滞在者は法の犠牲者というよりは、さまざまな場で活性化の源となっている。もし、改革の意味を考え直すとしたら、こうした点を考慮すべきだろう。彼らが市民権を与えられることなく、アメリカ国内に居住することは、多くの点で将来に煩瑣な問題を残すことにもなる。同誌は現状のままでいることは本人ばかりでなくアメリカにとっても、よくないことだと結んでいる。

 管理人としては、これは基本線としては妥当な方向と考えるが、問題はこれを個々の事例で、いかに具体化し、処理を実施してゆくかという点にあると考えている。バイデン副大統領も率直に答えているように、市民権取得への道は遠く、オバマ政権に残された時間は少ない。

 


ホワイトハウスHP、「移民改革に答える」Ask the White House: The Immigration Reform

 

 

Ask The White House: Immigration Reform

 

*"Forget the huddled masses" The economist November 9th 2013

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EU離脱の日は近いか:移民に決断迫られるイギリス

2013年12月07日 | 移民政策を追って

By Giandrea/Ssolbergj at en.wikipedia. Wikimedia Commons

 

世界を見る目を養う
 今年も残りわずかとなった。年を追う毎に、暦(カレンダー)の区切りが、単に年月を数えるための物差し程度に希薄化している。それにもかかわらず、世界では気象異変、イラク内戦、イスラエル・パレスチナ紛争、難民増加、東アジアでの国境をめぐる紛争など、緊迫感が薄れることはない。さらに少し先には、人口爆発、エネルギー不足、深刻な大気汚染、大規模な地震、台風など、新たな危機につながりかねない変化が予想され、不安感が募る。問題がクリティカルになる時を確認する新たな歴史軸が必要だ。多くの問題をグローバル・イッシューとして、人類の歴史の延長軸の上で考えることを迫られている。これからの時代を生きる、とりわけ若い世代の人たちは、自分の位置を確認した上で、より広い視野で世界を見ることがどうしても必要だろう。

歪んだイメージを正す
 こんな弱小ブログでは、限度があるので開設当初から取り上げる課題は絞ってきた。それでも、現代の問題は広がりが大きく変化も激しいため、フォローが不十分だといたずらに振り回されてしまい、脈絡も分からなくなる
。一貫して長い目で問題を注視する定点観測の視点が必要になる。

 現代のマスコミ、メディアはしばしば問題を他の次元から切り離し単純化して報道するので、視聴者や読者の側がしっかりフォローしていないと歪んだイメージが生まれてしまう。そのひとつにグローバル化と呼ばれる現象がある。今日、グローバル化は、ヒト、モノ、カネなどを国境を越えて流動化させる、抗しがたい一方的な流れというイメージを、多くの人の頭脳に植え付けているかにみえる。

 しかし、良く観察すると、現実はそれほど単純ではない。たとえば、ヒトの移動については、逆にそれを遮ろうとして、国境の壁が再構築され、「城砦化」のごとき状況が形成されていることを最近も記した。グローバル化はよく言われるような一辺倒な流れではない。現実にはそれを妨げたり、抗うようなさまざまな動きが起きている。ひところ議論されていたような国民国家の崩壊は、それほどたやすく進むわけではない。たとえば、スイスでは富裕なフランス人の移住と資産に課税することが企図され、議論を呼んでいる。放置していれば、スイスにとっては働かない人口の増加、フランスにとっては資本逃避そして人的資源の喪失になる。国家はさまざまな手段をもって、自国の壁を保守し、実体の維持に努めている。今回はひとつの例として、イギリスの最近の動きを見てみたい。

 このところ、BBCなどの番組に頻繁に登場しているのは、移民問題である。連日のように保守党のキャメロン首相、主要閣僚が登場、野党とのやりとり、党内異論の実態、国民の反応などが生々しく伝わってくる。

預託金導入は取りやめ
 イギリス政府は最近、アフリカ、アジアの特定の国からイギリスに入国してくる移民労働者に預託金 deposit
を求め、出国時にヴィザと引き替えに返却する方式の導入を提案していた。しかし、11月末になり、急遽導入を中止すると発表した。野党労働党や移民団体などからの反対が強まり、強行するのは得策ではないと判断したようだ。

 対象とされたのは、インド、パキスタン、バングラデッシュ、スリランカ、ナイジェリア、ガーナなどの諸国からの6ヶ月滞在ヴィザの申請者で、彼らに入国時、3000ポンド(4,800ドル)というかなりの額の預託金を要求するものであった。イギリス政府としては、これらの入国者は仕事が無くなった後も不法滞在者として国内に居座ってしまう事例が多いなどの判断があったようだ。

 これについては対象国となった国々からの移民のイギリス経済への貢献、歴史的関係などを考慮して、強い反対があり、取り下げられた。イギリス連邦 Commonwealth of Nations というつながりは、イギリスにとっては大きな財産なのだ。

保守党内部の見解相違
 他方、新年2007年1月1日を期して、ルーマニア、ブルガリアがEU加盟に際して、移行期の暫定措置として、イギリスが設定してきた移民労働者受け入れの条件が期限切れで失効する。これまで受け入れが認められていたのは、果実採取などの季節労働者、自営業者に限られていた。受け入れの上限は、年間
最大限5万人とされてきた。

 この問題についてはすでに、各方面からキャメロン首相に対して、期限切れの後も無制限な移民労働者受け入れは認めないよう立法化を図るようにと、強い圧力がかけられている。受け入れ制限をそのまま失効させ、無制限受け入れとしてしまうことについては与党内部にも反対者が多い。現閣僚内部からも造反者が出て、キャメロン首相の立場は苦しい。

 そのひとり住宅・地方自治体担当大臣のクリス・ホプキンズ氏は、新年1月の移行措置失効後も、ルーマニア、ブルガリア両国からイギリスへの労働者移動の制限期間を延長すべきだとする一部与党議員の考えを閣僚の立場で支持している。そして、制限措置撤廃で、これらの国からの移民労働者のイギリスにおける行動についてのイギリス人の懸念や怖れを増長するようなことがあれば、極右政党の誕生、過激派の増加などにつながるという。党内にはこれら両国からの労働者受け入れを2019年まで禁止すべきだとの見解を示す議員もいる。確かに、イギリスへ入国した移民労働者の中には、仕事に就けず、放浪、不法在住、社会保障制度への依存で生活する者が目立つようになった。

 こうした状況の下で、キャメロン首相の立場も厳しくなり、このままでは東欧諸国からの移民をめぐり、ブリュッセルのEU本部との間で法的な対決を迫られることになる。


移民への社会給付制限?

 イギリスでは国民の間にも移民、とりわけ不法移民をめぐる不満も高まっている。これに対してキャメロン首相は、具体的には11月末、EU諸国からの移民がイギリスで求める社会保障などの給付条件を削減したい、さらには同じ考えの国々と連携し、これまでEU域内で認められてきた労働者の移動の自由に関する法律を見直し、域内の貧しい国々からの労働者の大量流入を制限したいとの意向を示した。

 これについては、当然ながらEU本部や東欧諸国から激しい反発、非難の声が上がっている。もし、イギリスがキャメロン首相の述べているような方向を選択するならば、EUの諸協定違反になるとして、法廷での対決になるとしている。

 それでも、法廷で係争中は受け入れ制限が継続できるとする議員や、先の二カ国からイギリスで働きたいと考える労働者は、出国前にイギリス国内で個人の市民としてどんな立場に立つことになるかよく考えよ、イギリスに貢献できるような仕事の目途はあるのか、などの点を考え抜いた上で出国を決断すべきだなどの厳しい見解が示されている。イギリスは近時点では、ポーランドからの移民問題で苦労した経験を持っている。しかし、今回は困難度がはるかに大きいと多くのイギリス人が考えているようだ。

 東欧諸国などからイギリスへ移民労働者が無制限に流入すれば、すでに苦難の路上にあるイギリス人労働者の仕事が彼らに奪われてしまうとの危惧感が、かなり強く高まっていることがこうした動きに現れている。移民労働者への社会保障、失業手当などの給付を削減せよとの要求も同じ流れから生まれたものだ。特に、今回は本国を出国する時からイギリスで仕事に就く機会を目指すばかりでなく、国民健康保険(NHS)、失業給付などの社会保障の恩恵を得ることを目当てにやってくる労働者が多いとの不満がイギリスの一般大衆の間に強まっていることが、政府の背中を強く押している。これらの外国人労働者の行動は、一部では benefits tourisim とも言われ、非難の的になっている。確かにたとえば、NHS(National Health Services)という医療サービスは、外国人という区分はなく、正当な居住ヴィザを所有していれば無料で誰でも受けることができる。

 書くほどに脇道へ入り込むばかりだが、イギリスにかつて住んでみて分かったことは、外国人というイメージが一般の日本人が抱いているものとはかなり違うということだった。行きずりの旅行者の目では分からない。日常生活でイメージする外国人と政府などの行政上の対象となる外国人は、大きく異なっている。

EUとの水掛け論争 
 すでにイギリス政府とEU本部の議論は始まっているが、EU側は協定違反としてイギリスの対応を強く批判している。イギリスは、ルールを守らない度し難い ”nasty”な国になっているとの批評も聞かれる。しかし、メディアの側などには、それならどうしてそんな国へやってくるのかとのやりとりもある。もっとも、キャメロン首相は、イギリスの労働者の側にも問題がないわけではない。新技術への適切な対応、教育への意欲などで、見直すべき点があると発言、ごうごうたる非難と、よく言ってくれたという支持、双方の拍手で迎えられている。

 こうした動きの中、イギリスではEUから離脱も辞さない、あるいは離脱することでEUの束縛から自由になって発展する可能性が生まれるとの議論も高まっている。EUに加盟していることが、かえって足かせになっていると考える国民さらには経営者などの間でも同調する動きが増えてきた。

 
すでにイギリスは1992年のポンド危機の際、ERM(欧州為替相場メカニズム、ユーロの準備段階)から離脱することを余儀なくされた経験がある。キャメロン首相は、その当時財務相の顧問として、その全過程を経験している。金融に続き、労働市場においても、EUからイギリスが離脱する可能性は高い。

 そうはいってもイギリスのEU離脱の道には、さまざまな難問もあり、それほど容易なことではない。これまでしばしば危機に瀕したEUをなんとか支えてきたイギリス、フランス、ドイツの主要三カ国の微妙な関係が壊れることで、EU自体大きな危機を迎えるだろう。これからのEUの政治世界は紆余曲折は避けがたい。ヨーロッパの混乱と不安定化は一段と強まるだろう。

 地球上の人口が激増する中で、逆に人口が減少し、高齢化が極度に進み、放置すれば国の活力の衰えが必至という日本、移民労働者が増えすぎて国内労働者の職が奪われるというイギリス。地球上、東西に位置し、大陸に近い島国としての両国は、表面的には似ている部分もあるが、互いに反面教師のようなところもある。新年はイギリスからしばらく目を離せない。

 


 

 

 "If we're a nasty country, why are people queuing to come here?" by Charles Moore, 29 Nov 2013.

"Promise to cut net migration to 'tens of thousands could be broken, David Cameron admits'" MailOnline, 3 December 2013. 

# イギリスにおける出生国別移民労働者数

EU14カ国 797,000
EU加盟東欧諸国 683、000
アフリカ 625,000
南アフリカ 160,000
オーストラリア、ニュージーランド 115,000
インド  422,000
パキスタン、バングラデッシュ 292,000
USA 116,000
その他 1,021,000

 

コメント (2)
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