時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

カブール空港の悲劇:祖国が失われる時

2021年08月22日 | 午後のティールーム




陥落寸前のカブール国際空港、米軍輸送機で逃れる人々
The Economist August 21st-27th 2021 cover (この歴史ある雑誌のユニークな点のひとつは、検討過程で上がった表紙の代替案を示してくれることである。)

歴史は逆走して破綻に向かっているのではないかと思ってしまうことがある。アフガニスタン、カブール国際空港で在留米国人などの撤収をする米軍輸送機によじ登り、しがみついてまで逃れようとするアフガンの人々。死者そして出産まであったようだ。かろうじて機内に入り込めても、将来祖国へ戻れる保証もない。これだけの人々の行先きはあるのだろうかと思うほどの密集度だ。誰も手にはほとんど何も持っていない。空港へ押し寄せた人々の顔色には、再び支配者の座に戻ってきたタリバンへの言いようもない不安と恐怖が感じられた。

タリバン指導者の現状融和的な発言とは裏腹に、兵士などの末端では従来と変わらない暴力的なテロ組織の活動が続いていて、市民に大きな不安と恐怖を与えているようだ。結果として祖国を見限り国外脱出を図る人々が増加している。

幸いにも?脱出できた人々のその後はどうなるのか。祖国を捨てる決意をした人々に待ち受ける運命は?

 TVでこの光景を見て、筆者の脳裏にはヴェトナム戦争のサイゴン陥落(解放)の光景が浮かんだ*1。同じことを思った人たちは多いようだ。

このブログでは、アフガニスタンの問題へは当初からかなり注目してきた。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
*1
ベトナム戦争末期、1975年になると敗北を覚悟した南ベトナムからは、南ベトナムの国民が国外脱出を始めていた。アメリカも南ベトナムの敗北を認め、軍事支援を断ったため、北ベトナムの勝利はほとんど明らかになっていた。1975年4月30日、北ベトナムによって南ベトナムの首都サイゴン(現在のホーチミン市)が接収された時、南ベトナムの人々はサイゴンから必死の脱出を始めていた。アメリカ軍は陥落寸前にサイゴンを脱出、ヘィコプターで空母ミッドウエイ艦上へ搬出された。





ブログ筆者はそれとともに、当時の状況を背景にミュージカルになった「ミス・サイゴン」の場面のいくつかを思い浮かべた。その印象は今でも鮮明に記憶に残っていた。最後のアメリカ人が大使館の屋根からヘリコプターで脱出する光景がハイライトとなり、残されたベトナム人たちが絶望して叫ぶ場面が印象的であった。ヘリコプターはこのミュージカルのアイコンのような存在だった。



ミュージカル『ミス・サイゴン』(Miss Saigon)は、プッチーニのオペラ『蝶々夫人』から発想され、ベトナム駐留のアメリカ兵とアジア人女性の運命のロマンスを描いた作品である。1989年ウエスト・エンドのドルリーリーン劇場で上演され、その後ブロードウエイに移り、2014年以降世界各地で上演されるようになった。アジアの人々や女性への人種・性差別などが問題になったが、興行的には成功したミュージカルだった。
ブログ筆者はウエスト・エンドとブロードウエイの双方で見る機会があったが、手元にあって今回その一部を使わせていただいたカタログはブロードウエイ版である。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

ジョー・バイデン大統領は2011年4月に、アフガニスタン駐留米軍を9月11日(後に8月末)までに完全撤収させると発表した。アメリカは十分長い間、アフガニスタンにいたとバイデンは述べた。確かにアメリカは極めて長い間、この国のために巨額の軍事費を投入し、米軍を駐留させてきた。これだけ支援しても政府軍が自力で戦えないのならば、見切りをつける時だと思ったのだ。その判断自体は誤りではなかったといえよう。

大失策:現実を掌握していなかったバイデン大統領
しかし、バイデン大統領には撤収を決めたアメリカ軍の退き方への深慮が欠けていた。段階的にでも状況を見ながらの撤収であれば、政府軍、タリバン双方への然るべき目配りができたろう。しかし、突如として糸を切られた風船のようになった政府軍は、ほとんど抵抗することなく、戦車、航空機など重装備まで含むアメリカ軍の最新軍装備をそのままにタリバンの手に引き渡してしまうような無責任な撤収を行なった。政府軍の実態がこれほどまで脆くなっていることをアメリカは十分掌握できていなかったのだ。政府軍はほぼ1週間で崩壊してしまった。

バイデンにとって、トランプが結んだ合意は、バイデンの主張してきた完全撤収を正当化する理由の一つとなった。しかし、撤収の仕方には配慮が足りなかったとの批判が内外で高まっている。確かにバイデン大統領はアフガンの状況を安易に考えていた節があった。

アフガニスタン政府軍は、米軍などから20年に渡り、武器を供給され訓練も受けてきた。米軍とNATO軍が撤退するとしても、残された装備を活用すればタリバンとの戦いにおいても、半年から1年程度は持ち堪えることはできるのではないかと、アメリカの諜報機関を含めて思っていたようだ。それが1ヶ月も経たない間に崩壊してしまった。自らの組織に対する信頼や傾倒がなかったら、国家というものはこれほどまでに脆く崩れてしまうものなのか。他方、タリバンは自分たちの大義に情熱を感じ、再びかつてのごとき専制的な支配を夢見ているようだ。

ドナルド・トランプ前大統領は、2020年2月にタリバンと「和平合意」を結び、今春までにアフガニスタンから米軍を完全撤収すると約束していた。アメリカがこの合意に違反したら、米兵に対する攻撃を再開するとタリバンは警告していた。

タリバンの予想を上回る圧倒的な支配力拡大に対して、北部同盟など反タリバンの動きも出ていることが報じられている。しかし、それらの動きがアメリカ軍が在留していた当時の政府軍の版図まで押し戻すとは当面考えられない。

タリバンは現在の段階では圧倒的優位を誇示しているが、混乱の極みにあるアフガニスタンの統治能力があるのか、疑問も多い。指導層と末端の兵士などの間には、新しい事態への対応のあり方に意思統一ができているとは到底思えない。

さらに、新たな体制を確立、運営する指導力も資金源もタリバンが保持しているとは思われないようだ。すでにアヘン、ヘロインなどの原料となるケシ(罌粟)の栽培に取り掛かっていると言われている。タリバンによる新政府の今後には、多くの不安が待ち受けている。

中国、ロシアなどはタリバン支持の考えを示しながら、アメリカと同盟国の関係に揺さぶりをかけようとしているようだ。

ここで、目を東アジアに転じると、そこには強大になった中国の実効支配の拡大に伴い、かつてない緊張感が生まれつつある。それが限度を超えた時、日本政府そして国民はいかなる対応を見せるだろうか。ブログ筆者は恐らく生きていない近未来の次元だが、コロナ禍後の国家的課題として、そのあり方が頭をよぎることが多くなった。

子供たちの将来を定めるのは






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視野を広げると見えてくる新たな現実

2021年08月15日 | 午後のティールーム


時によりすぐれば民の嘆きなり八大龍王雨やめたまへ
                源実朝『金槐和歌集』(1213年)

新型コロナウイルス感染が拡大する中、凄まじい豪雨が日本列島を襲っている。「線状降水帯」の発生など新しい事態を含め、日本列島は明らかに「災害列島」の様相を強めている。こうした大雨をもたらす根源は何なのか。

8月13日、日本全国の新型コロナウイルス新規感染者数は、2万366人と初めて2万人を越えた。東京都については、5773人と過去最多を更新した。重症者数も全国で1478人とこれも過去最多となった。

新聞、TVなどのメディアには、「制御不能」*1との表現が目立つようになった。言い換えると「お手上げ」なのだ。専門家は「自分で身を守る段階」に突入したと述べ、病院などの受け入れ対応も「医療は機能不全」の状況にあると指摘、警告している。

こうした事態になったことについては、多くの問題点が指摘されている。期待された免疫ワクチンの調達と配分も円滑には進まず、デルタ株など新たな変異株の出現もあって、政府のいう「集団免疫」の獲得効果も期待するほどには出ていないようだ。

これまで対策の焦点となったのは、ワクチン接種者の拡大と人の流れの制御であった。

とりわけ筆者が気になっていたのは、感染者数最大の東京都の対応だった。新型コロナウイルスが未だ出現していなかった頃、人口の東京一極集中が問題となり、その分散化が大きな課題となっていた。しかし、小池都政の下では、その意識は顕著に希薄化していたように思われた。

東京都は島嶼部を別にすると、地域は東西に長く東は江戸川区から西は奥多摩町に至る横長の形をとっている。人口についてみると、ひとつの特徴は昼間の人口と夜間の人口の差異が極めて大きいことにあ る。2015年の「国勢調査」*2の数字になってしまうが、昼間人口は1,592万人、常住人口は1,352万人、昼夜間人口比率は117.8%と昼夜の差が極めて大きい。東京都への流入人口は291万人、神奈川・埼玉・千葉の3県で93.6%を占める。大阪市の人口を上回る数が毎日多様な経路で流出入している。

東京都の昼間人口


出所:「東京都の昼間人口」(従業地・通学地による人口)の概要:報道発表資料
2018年3月20日

東京都内においても、千代田区、中央区、港区、新宿区などは圧倒的に昼間人口が多く、江戸川区、葛飾区、足立区、練馬区、板橋区、杉並区、世田谷区などは常住人口が昼間人口を上回っている。

東京都の昼間就業者は801万人、昼間通学者は168万人と極めて多い。新型コロナウイルスの感染拡大が深刻化してから、人流の抑制と過密状態の排除が課題となっている。国内における人の流れ domestic migration のフローとストックに関わる問題なのだ。

東京圏は東京都、茨城県、栃木県、群馬県、埼玉県、千葉県、神奈川県の1都6県から成る広域移動地域とも言うべき状況にあるのだが、都と県という行政区分へのこだわりが強く、最低賃金などでも都県別に微妙な差がつけられてきた。筆者はそれがどれだけの意味があるのか、以前から疑問を呈してきた。

例えば、千代田区、中央区と江戸川区、葛飾区の間で、最低賃金率に差をつけるという議論が成立するだろうか。東京都の賃率が近接県よりも高ければ、それだけ東京都への流入促進要因として働く。同一賃金率の設定は、都、県、区などの行政区分を越えて、現実の労働市場の範囲、労働者の居住地、通勤・移動距離などに則して、より現実に近接して行われるべきであり、労働経済学における測定 measurement に関わる通念や神話 myth からの脱却に関わる重要テーマでもある。

東京都への流入人口


出所:同上

今回の感染状況を改めて考えると、東京都と近接県については、実態に即した広域圏としての視点から、より統一され整合性のある政策運営が必要に思われる。

災害の収束を神頼みにしてはいけない。人智の限りを尽くすべきだろう。



*1「東京 感染「制御不能」『朝日新聞』2021年8月13日朝刊

*2  平成27(2015)年10月1日現在の国勢調査の結果から、総務省統計局公表結果に基づき、東京都が公表した統計に依拠。

Reference:
David Card and Alan B. Krueger, MYTH AND MEASUREMENT: The New Economics of the Minimum Wage, Princeton: Princeton University Press, 2016.

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パンデミックは芸術にいかなる衝撃を与えたか

2021年08月06日 | 特別トピックス




新型コロナウイルスが世界を大きく変えてしまったことは、もはや誰も否定しないだろう。しかし、感染が収束していない今の段階では、その全貌はまだはっきり分からないところが多い。

混乱・混迷の中で、人々はさまざまに救いや慰めを求めている。美術、音楽、演劇などさまざまな文化活動もその大きな対象だ。2020年の春、今年は行こうと思っていた美術展、コンサートなど楽しみにしていた予定がほとんどキャンセルになってしまった。その中には生きている間には再び観る機会はないだろうと思うものも含まれていた。オリンピック競技は無観客としても、TVで観ることもできるので、さほどの打撃ではない。

前回取り上げた『ナショジオ』ほど長くはないが、好んで読んできた雑誌HARPER'S(June 2021)が、この問題を取り上げていた。新型コロナウイルスの世界的感染拡大によるパンデミックが芸術に関わる経済面に壊滅的な打撃を与えているという問題の指摘だ。例に挙げられているのはアメリカだが、日本でも仕組みは変わりない。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
N.B.
HARPER’S Magazine は、1850年創刊のアメリカでも最も歴史のある総合月刊誌である。その時々の重要なテーマを最高レベルの筆者が論じている。これまで、経営的にも多くの波乱があったが、それらを乗り越えて今日まで継続してきた。2000年には An American Album: One Hundred and Fifty Year of Harper’s Magazine と題したアンソロジーを刊行している。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

半世紀近く前、友人からアメリカの知性、ジャーナリズムを知る上で、必読のマガジンのひとつと言われて以来、毎月ではないが出来うる限り読むようにしてきた。今でも全部は到底読み切れないが、興味ある記事は目を通すようにしている。

最近号「アートへの渇望」Starving for Artで興味を惹かれたのは、ウィリアム・デレシーウィックによる「COVID, フリーなコンテント、アーティストの死」(“COVID, free content, and the death of the artist” By William Deresiewicz)と題した記事である。その要旨は次のような内容だ。

日本でも取り上げられている飲食業やホテルや観光関連業界のように、目立って取り上げられていないが、アートに関わる活動は想像以上に打撃が大きいとの記事である。詳細は雑誌掲載記事を参照いただきたいが、あらまし次のような諸点が指摘されている。

大打撃を受けたライブイベント
 数ある芸術活動の中で、ライブイベントは最初に打撃を受け、中止や延期を迫られてきた。影響を受ける人たちは、ミュージシャン、俳優、ダンサーに加えて、劇作家や振付家、監督や指揮者、照明デザイナーやメイクアップアーティスト、裏方、案内係、チケット係、劇場支配人など、舞台に立つことができるすべての人々が彼らの仕事で生計を立てている。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
N.B.
2020年夏にアメリカで発表された調査によると、独立した音楽会場の90%が完全に閉鎖される危険にさらされていたが、美術館の3分の1も閉鎖されていた。 Music Workers Allianceの調査では、ミュージシャンとDJの71%が少なくとも75%の収入の損失を報告し、別の調査では、回答者の60%が収入の損失を報告し、平均で43%減少した。 2020年の第3四半期中、失業率はミュージシャンで平均27%、俳優で52%、ダンサーで55%だった。パンデミックの最初の2か月で、映画および録音業界の失業率は31%に達した。一方、9月現在、近現代美術のギャラリー売上高は36%減少しました。芸術全体で起こっていることは不況を通り越した大惨事とされている 。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

パンデミックの前から芸術界に訪れていたもう一つの破壊的傾向も指摘されている。つまり、音楽などのコンテンツを人々が無料で使っているという事実が進行・拡大していたため、被害は加速された。音楽の価格はゼロまたはほぼゼロに追いやられ、続いてテキスト、画像、ビデオなど、ほぼすべての他の媒体での作品の価格も同様な傾向を辿ってきた。

そして 、ビジュアルアートの世界では、2018年の時点で、生きているアーティストによる世界の売り上げの64%を占めるのはわずか20人とのことだ。

もちろん、 _アーティストはアートだけで生計を立てることが困難で、多くのアーティストがウェイター、バリスタ、バーテンダーなどのサービス業界などで日雇いの仕事で働いている。しかし、サービス産業の賃金は最低賃金と結びついており、 連邦の最低賃金は、最後に引き上げられた2009年以来、その価値の18パーセント以上を失っていると推定されている。_ さらに、止めどなく増殖するギグ・エコノミーでは最低賃金に近い水準で働く人が多くなっている。

パンデミックは、おそらく何千もの芸術的キャリアを消滅させると見られている。

パンデミック後のアートは
パンデミックが終わったら芸術経済はどのようになるでしょう。これまでの実態は甚だしく偏在した姿を示しています。_2020年の初めに、Alphabet(Googleの親会社)、Apple、Amazon、Facebook、およびMicrosoft(ビッグファイブ)の市場価値は合計で5兆ドル弱でした。その年の終わりまでにその数字は7.5兆ドル以上に増大したと推定されている。

アートは愛されていますが、アーティストは必ずしもそうではありません。筆者の ウィリアム・デレシーウィックは、パンデミック後の未来について、アーティストは自らができる最高の作品を自由に作成するべきですが、略奪的な独占によって提供される無料のコンテンツではなく、人々が正当に支持する対価があるべきだと記している。

日本について比較しうる客観的資料は筆者は持ち合わせない。しかし、同じ論理が日本でも働いていることは確かだろう。




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REFERENCES(YK)

2021年08月05日 | 桑原論稿リスト
主要著作  
主要著作 (ブログ記事を除く公刊作品) 2020年1月現在(作業中 未定稿)禁無断転載
                

書籍
共著、共編著を含む、人名は共著または共編者、*は表題に掲示されていないが筆者が実質的に主導、編集業務、研究会運営などに従事したもの)外国語(英語、中国語版などは省略)。美術論、美術史関係は未掲載。

『国境を越える労働者』(単著、岩波書店、1991年)東京海上各務記念財団優秀図書賞(1993年1月)
『グローバル時代の外国人労働者~どこから来てどこへ』(編著者、東洋経済新報社、2001年)
『明日の隣人外国人労働者』(共編著、花見忠、東洋経済新報社、1989年)
『あなたの隣人外国人労働者』(共編著、花見忠、東洋経済新報社、1993年)
『外国人労働者を戦力化する中小企業』(共著、稲上毅・国民金融公庫総合研究所、中小企業リサーチセンター、1992年)
『国際労働力移動のフロンティア』(編著、日本労働研究機構、1993年)
『外国人労働者と地域社会の未来』(坂本恵編、桑原靖夫/香川考三、福島大学ブックレット 公人の友社、2008年)

『労使の関係』(単著、放送大学教育振興会、1995年)
『労働の未来を創る』(編著、第一書林、1997年)
『現代ホワイトカラーの労働問題』(共編著、神代和欣、日本労働協会、1988年)
『1992年EC統合と社会憲章への道』(単著、日本労働研究機構、1990年)

『先進諸国の労使関係』(共編著、G.Bamber and R.Lansbury, 日本労働協会、
 英語版はG.Allen & Unwin、1988年) 改訂新版

『ソフトウエア産業の経営と労働』(共著、稲上毅、川喜多喬、梅沢隆、日本労働研究協会、 
 1986年)
「サービス化・情報化と新たな就業形態の展開:展望」『サービス化と新たな就業形態』
 (日本労働協会編)1986年*
「新聞産業」『技術革新と労使関係』(隅谷三喜男編、日本労働協会、1985年)*
「海外投資と今日問題:文献展望」「事例分析」『海外投資と雇用問題』(日本労働協会編、 
 1984年)* 
「労働組合の産業的基盤」「最近の技術革新と労働問題」『80年代の労使関係』(日本労働協会編、1983年)*

論文(邦文)
「21世紀日本社会の構造変化と雇用システム:国際化・外国人労働者の観点から」『日本労務学会誌』第4巻第1号、2002年1月
「労働力人口の減少と外国人労働者問題」『ECOレポート』No.31、(財団法人統計研究会)2001年9月
「企業福祉システムにおける規模間格差」『変化する企業福祉システム』桐木逸朗・(財)統計研究会編(第一書林、1998年)
「UPSストライキの教訓」『エコノミスト』1997年10月
「せめぎ合う国民国家と移民・難民」『エコノミスト』臨時増刊1994年2月7日
「外国人労働者の未来」『ヒューマンリソース』堀絋一編(総合法令)1993年
『1992年EC統合と労使関係への影響』多国籍企業労働問題関係資料、日本労働協会、1989年9月
「国際労働移動の一断面:フィリピン出稼ぎ労働者と日本経済」『日本労働研究雑誌』    
 1990年11月 (労働問題リサーチセンター沖永賞)
「5000万難民・移民が地球上をさすらう:”国際人流”を促すグローバライゼーション」『エコノミスト』1991年5月21日増大号
「外国人労働者と明日の国民」『国際世論』10号1990年9月
「我が国企業の経営構造と経営・管理者の養成・配置『日本労働研究雑誌』1990年6月
「経営参加の新潮流」『日本労働研究雑誌』1990年1月
「外国人労働者受け入れと日本の課題」『地域開発』1990年4月
「アメリカへの産業移転と雇用問題」『社会政策学会年報:産業空洞化と雇用問題』
 (お茶の水書房)1989年
「新たな労使関係システムを求めて」『日本労働協会雑誌』353号 1989年1月
「産業・企業の盛衰と雇用創出プロセス」『低成長下の構造調整と労働市場の変化』
 (雇用促進事業団・統計研究会)、1988年
「外国人労働:日本で欠落している視点」『エコノミスト』1988年9月13日
「石油危機後の国際労働力移動の動態」『日本労働協会雑誌』348号、1988年8月
「経済発展と家庭の変容」『現代幼児教育』(安田生命保険財団)14巻8号1988年
「欧米における男女の雇用分野における均等取り扱いの進捗状況の経済的評価」『諸外国の
 男女機会均等の進展状況に関する調査研究』(女性雇用財団)1988年
「日本的経営論再考」『日本労働協会雑誌』342号1988年1月
「国際化と雇用・労働:日本の対先進国直接投資と労働をめぐる諸問題」『国際化と労使関係』 
 (岡本秀昭編、労務行政研究所)1988年
「日本的経営は先進モデルか:新たなパラダイムを求めて」『労働問題専門家国際会議:成熟 
 技術社会における労働問題』(労働問題リサーチセンター・国際文化会館)1988年
「仕事を持つ母親・持たない母親」『母親の就業と家庭生活の変動』(原ひろ子編、弘文堂)、 
 1987年)
「変わり行くパートタイム労働とその行方」『経済と労働』(東京都労働経済局)、61号、 
 1987年
「福祉社会における労働のあり方」『転換期の日本社会と福祉改革』(木村尚三郎・伊部英男 
 編、全国社会福祉協議会)1985年
「ヨーロッパにおける中小企業研究動向」『中小企業における労働と活性化研究会報告書』
 日本労働協会、1987年9月
「産業構造転換への道」『公明』305号、1987年6月
「社会経済の変動と女性の就労の増大」『昭和61年度家庭教育国際セミナー報告』
 (国立婦人教育会館)1987年
「専業主婦の経済的役割」『現代のエスプリ』236号、1987年
「先進モデルとしての日本的労務管理のVIABILITY」『日本労務学会報告』1987年
「産業・企業の盛衰と雇用」『日本労働協会雑誌』337号、1987年8月6月
「時間短縮は消費拡大につながるか」『働き蜂はこう変わる』(佐野陽子・小野旭編、
 東洋経済新報社)1987年
「企業の人事政策はどう変わったか」『雇用均等法下の経営と労働』(花見忠・篠塚英子編、 
 東洋経済新報社)1987年
「フリート街の革命:イギリス新聞産業における技術革新」『日本労働協会雑誌』1986年 
 9月
「注目集める小企業の雇用創出力」『エコノミスト』1986年1月27日
「技術革新・雇用・労使関係~80年代の評価と展望」『公企労研究』1986年12月
「欧米の労働市場と労使関係」『国際的視点からみた我が国労働市場の柔軟性に関する
 調査研究』(労働問題リサーチセンター)1986年
「アジア・太平洋の時代と出稼ぎ労働者」『労働時報』1988年12月
「日本的経営論再考」『日本労働協会雑誌』1988年1月
「動揺するホワイトカラー層の基盤とその行方」『ESP』168号、1986年4月
「米国で労働者所有企業が増えている」『エコノミスト臨時増刊』1985年6月3日
「技術革新・雇用・労使関係:80年代の評価と展望」『世界の労働』1985年6月3日
「企業者精神ブームの底流を探る」『エコノミスト』1985年12月10日
「国際的観点からみた技術革新と労使関係」『日本労務学会報告』白桃書房、1985年
『21世紀のサラリーマン社会:激動する日本の労働市場』(経済企画庁編、東洋経済
 新報社)1985年
「サービス化・情報化と新たな就業形態の展開:展望」『日本労働研究協会雑誌』317~318号、 1985年10~11月
「日本におけるME化についての労使の理念と対応」『マイクロエレクトロニクスと労働に
 関するシンポジウム論集』(雇用職業総合研究所)1985年
「雇用平等立法の効果と限界」『ジュリスト』1984年8月1・15日
「技術革新で再編進む労働市場と労使関係」『エコノミスト』1984年8月14・21日
「女性労働と家庭崩壊:アメリカの事例」『経済ソフト化時代の女性労働:日米欧の経験』
 (水野朝夫編)有斐閣、1984年
「国家の盛衰と労使関係:80年代労使関係研究のための覚書」『日本労働研究雑誌』      
 1984年4・5月合併号
「失業におののく欧米のホワイトカラー」『エコノミスト臨時増刊』1983年11月21日
「テクノポリス」『エコノミスト臨時増刊』1983年9月19日
「先端技術産業の雇用創出効果」『労働市場の地域構造に関する研究』(雇用職業総合研究所 
 ・統計研究会)1983年
「ハイテク産業にかける雇用の将来」『エコノミスト』198年9月19日(英語、
 ハングルに翻訳される)
「アメリカ産業新生への動き:日本的経営に期待と反発」『エコノミスト』1983年5月
17日
「技術変化と雇用:disemploymentの概念」(木村文勝と共著)『日本労働研究雑誌』   
 1983年2月
「経済のサービス化と雇用構造の行方」(辻村江太郎・神代和俊・桑原靖夫)『エコノミスト』1984年1月17日
「米・大量失業の不気味な影」『エコノミスト』1982年12月7日
「高齢化する日本の人口」『ILOニュース』1980年12月
「技術変化と労使関係」『企業における生産システムと雇用に関する調査研究:理論編』
 (雇用職業総合研究所)1982年6月
「実態に見るアメリカの雇用問題」『労働時報』1982年3月
「アメリカ労使関係の新潮流」『官公労働』1982年6月
「混迷するアメリカ労使関係の行方」『季刊労働法』1982年秋
「我が国製造業部門におけるサービス経済化進展のメカニズム」『日本労働協会雑誌』      
 1982年7月
「マイクロエレクトロニクス革命と労働問題」『海員』1981年11月
「我が国海運業における労使関係とQWL」『交通産業における労使関係』(運輸経済研究
 センター)1980年
「分断的労働市場の理論と構造」『労働市場研究』(職業研究所)No.IV-3、1981年
「我が国労働市場における専門職の地位と展開」(神代和欣と共著)『組織科学』
 1980年12月
「性差別経済理論の展望」『季刊現代経済』38号、1980年
「アメリカにおける中・高年問題の展開:平等の追求と新しい労働体系の萠芽」『日本労働
 協会雑誌』1980年1月
「家事労働と市場労働」『労働時報』1979年4月
「アメリカにおける中・高年問題と労使関係」『総評調査月報』1979年8月
『雇用問題に関する文献展望』(島田晴雄・稲上毅と共著)(三菱総合研究所)1979年
「職種別・性別労働市場の構造」『年報日本の労使関係』(日本労働協会)1979年
「高齢化社会と労働供給の問題点」(神代和欣と共著)『季刊社会保障研究』15巻2号、  
 1979年
「労使関係における平等」『ジュリスト増刊総合特集:企業と労働』14号、1979年
「差別の経済分析」『日本労働研究雑誌』235~236号、1978年10~11月
「労働供給に関するこれまでの研究成果」「技術進歩と女子労働力-アメリカ繊維工業の事例分析」『女子労働の経済学』(佐野陽子編、日本労働協会、1972年)

報告書(筆者が取り纒め責任を持ったもの、主要なもののみ)
『小子・高齢社会の海外人材リソース導入に関する調査研究報告書』(社会経済生産性本部)2001年
『企業内福祉施策および企業福祉の共同化事業の充実に関する調査研究:ゆとりと多様化の
 中の企業福祉』(雇用開発センター)1990年3月
『国際労働力移動の展望と政策的課題』日本労働研究機構、1990年
『民間大企業における労使協議制度の運用と問題点』(公企労センター研究121号)      
 1985年3月

その他新聞・雑誌などへの寄稿、論評、座談会などは省略

翻訳書(*桑原寄稿を含む、翻訳論文は除く)
『先進諸国の労使関係』桑原靖夫、G・バンバー、R・ランズベリー編著、日本労働協会、  
 1988年*
『職場の安全衛生と労使関係』L・バコウ著、桑原靖夫監訳、日本労働協会、1986年
『オーストラリアの労使関係』J・ナイランド=B・ダブスチェック著、桑原靖夫監訳・
 菅野栄介訳、日本労働協会、1984年

英文論文(書籍の章を含む、年代順)
”Are Workers really in Short Supply?” Highlights in Japanese Industrial Relations, The Japan Institute of Labour, 1993
To tie the untied string:Migrant workers and Japan's economic
cooperation, working paper, World Employment Program. Geneva:ILO,
1992.
Managerial Employees in Japan. Roles of Management and Managers in
Industrial Relations. Proceedings. Tokyo:Japan Institute of
Labour, 1991.
Industrial Relations System in Japan: A New Interpretation. The Japan 
Institute of Labour, 1989
Changing Industrial Relations in the Context of Industrial
Restructuring. Bulletin of comparative Industrial Relations.
Bull.20, Kluwer, 1990.
New Technology in the Context of Structural Change, with special
reference to Japan. Current Issues in Labour Relations. ed.by
A.Gladstone et al., Berlin: de Gruyt, 1989.
Japan's Technological Policy and Technological Development. Trends
of Economic Development in East Asia. ed.by W. Klenner, Berlin:
Springer Verlag, 1988.
The Process of Job Creation and Job Destruction in Japanese
Industry. Japan Labour Bulletin. March 1988.
Towards Re-establishing a Foreign-Workers' Policy. Japan Labour
Bulletin. November 1988. 
The Impact of Technological Change in the Service Industry in
Japan. Geneve:ILO 1987.
Job Creation and Job Destruction Process in Japan. mimeo.
Paris:OECD, 1987.
The Impact of Microelectronics on Employment in Japanese Offices
and Service Industries. Geneva: ILO, 1987.
Employment generation in high technology industries in Japan,
Paris:OECD,1987.
Industrial Relations in Japan. International Comparative
Industrial Relations. ed.by G.Bamber and R.Lansbury, London:George
Allen and Unwin, 1986.
Decision-making in Multinational Enterprises Operating in Japan.
Geneve:ILO, 1986.
Labour and Management Views of and Their Responses to
Microelectronics in Japan. Proceedings of International Symposium
on ME and Labour. held in Tokyo, September 25-27, 1985.
What Does the Increase of Temporary Workers Bring to the Japanese
Labour Market. Japan Labour Bulletin. February 1985.
The Entrepreneurs in the Japanese Software Industry. Japan Labour
Bulletin. January 1985.
From 'Adaptation' to 'Control': Labor and Management Response to
Technological Innovation in Japan. Japan Labour Bulletin. March
1984.
Employment Generation in the High Technology Industries. Employment
Generation in the Context of Structural Change. Paris:OECD, 1984.
Employment and Japan's High Tech Industries. Euro-Business Review.
INSEAD, no.2, vol.3, April 1984.
Technological Change and Industrial Relations. Bulletin of
Comparative Industrial Relations. vol. 12, Netherlands: Kluver,
1983.
Living with Technology: Japan's Experience with Robots.Employment
Gazette. HMSO(U.K.), August 1982.
Employment Effects of Foreign Direct Investment in ASEAN Countries.
Geneva:ILO, November 1979.
Japan's Productivity in Perspective. Japan Labour Bulletin. October
1979.
Occupational Structure by Age and Sex in Japan. Japan Labour
Bulletin. April 1979.
Employment in the Latter-half of 1970's. Japan Labour Bulletin.
April 1979.

書評(新聞、新聞紙上などでの書評は省略)
後藤純一『外国人労働者の経済学』(東洋経済新報社)『エコノミスト』1990年11月6日
カブリンスキー「新しい労働組合主義」『トレンズ』(アメリカ大使館)1978年9月
神代和欣『日本の労使関係』(有斐閣)『アカデミア』(横浜国立大学経済学部)1989年9月
G.ジェンクス『誰が成功するか』『日本労働協会雑誌』1980年11月
K.カー・J.M.ロゾウ編『ワーク・イン・アメリカ』『日本労働協会雑誌』1978年12月
W・モアハウス編『変化する世界経済とアメリカの労働』『日本労働協会雑誌』1979年10月
M.R.ウオルシュ『医師募集:女性応募の要なし』『日本労働協会雑誌』1978年5月
A.J.ジャフィー・A.フル?ムキン『技術と職務』『日本労働協会雑誌』1969年10月

金属産業論関係

OECD, PROBLEMS AND PROSPECTS OF THE PRIMARY ALUMINIUM INDUSTRY, 1973 (『アルミニウム製錬工業』OECD工業委員会作業部会編著(軽金属協会刊行、1974年)原著編纂作業、邦訳

「アルミニウム産業」『戦後日本産業史』日本産業学会編 東洋経済新報社 1994年

「塗りかえられる世界のアルミ製錬地図」『アルミニウム』520号
「アルミ産業浮上の構図いまだなし」『プレジデント』1976年12月
「資源ナショナリズムと海外投資の環境変化」『化学経済』1975年3月
「新局面を迎えるアルミニウム工業」『化学経済』1971年7月号
「試練に迫られるアルミニウム工業~70年代前半の回顧と展望~」『アルミニウム』      No.545
「資源開発の経済学(I)   アルミニウム工業における諸問題」      『アルミニウム』529号
「資源開発の経済学(II)  アルミニウム工業における諸問題」    『アルミニウム』531号
「資源開発の経済学(III) アルミニウム工業における諸問題」    『アルミニウム』536号
「資源開発の経済学(IV) アルミニウム工業における諸問題」    『アルミニウム』541号
「資源開発の経済学(IV) アルミニウム工業における諸問題」    『アルミニウム』549号
「資源開発の経済学(V)  アルミニウム工業における諸問題」    『アルミニウム』549号
「資源開発の経済学(VI) アルミニウム工業における諸問題」    『アルミニウム』552号
「資源開発の経済学(VII) アルミニウム工業における諸問題」    『アルミニウム』557号
「アメリカ・アルミニウム産業と反トラスト法(1):産業組織論からの考察(1)」『アルミニウム』502号
「アメリカ・アルミニウム産業と反トラスト法(2):産業組織論からの考察(2)」『アルミニウム』505号
「アルミニウム工業における価格形成(1)」『アルミニウム』515号
「アルミニウム工業における価格形成(2)」『アルミニウム』516号
「アルミニウム工業における価格形成(3)」『アルミニウム』517号
「アルミニウム工業における価格形成(4)」『アルミニウム』518号
「アルミニウム工業における価格形成(5)」『アルミニウム』519号
「アルミニウム工業における価格形成(6)」『アルミニウム』525号
「アルミニウム製錬立地と電力(1)」『アルミニウム』492号
「アルミニウム製錬立地と電力(2)」『アルミニウム』493号

この他新聞、雑誌論稿など約200点

以上
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