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ブログなるものに手を染めてから、10年余の年月が経過したことに改めて驚く。しかし、訪れてくださる方で、管理人と関心領域を共有している人たちは、実はきわめて少ない。ブログ・トピックスのほんのわずかな部分が重なっている場合がほとんどである。人間の生い立ちや関心事が異なる以上、当然のことではある。しかし、幸い少しずつ問題を理解いただき、関心領域を共有する読者の方々が増えてきたのはうれしいことだ。セミナーなどで対面してお話すると、かなり当方の意図が伝わっていて、脳細胞を刺激する話ができる。本来、ブログというメディアでは、取り扱いがたい問題をメモのように記している、この小さな試みに辛抱強くおつきあいいただいている皆さまにはひたすら感謝するしかない。
閑話休題
さて、今回も前回に続き、クリミア問題との関連から始めることにしたい。日本と地理的に離れていることもあるが、日本のメディアからは事態の切迫感が感じられない。しかし、世界の重大事は時に思いがけないことから拡大する。今後十分関心を持ち続けることが必要だ。
ロシアのクリミア併合について、EUもアメリカも有効な対抗策がないようだ。「制裁」と称して、ロシアの指導者何人かの入国拒否などをしてみても、すでに出来上がってしまった既成事実を、ロシアが元に戻すとは考えがたい。むしろ、西欧側がこれ以上強くクリミア併合のご破算を要求したら、危うくなるのは西欧側となる可能性が高い。事実上、アメリカなどもロシアによる領土併合を認めたようだ。
前の世紀であったならば、短時日の間に局地戦からヨーロッパ大陸を巻き込む大戦になったかもしれない。リスクの高い地域であり、大戦につながりかねない材料もあった。しかし、関係国の自制もあって、なんとか火薬庫大爆発につながるような危機を回避している。
国境を越えての経済的相互乗り入れが進んで、エネルギーなどをロシアに大きく依存しているドイツなどは、ロシアに強い制裁を加えることで、逆に供給制限などの対抗手段をとられれば、代償の方が大きくなってしまう。グローバル経済が進むと、関係国相互の資本、労働などの乗り入れが進んで、依存関係が強まるため、大きな紛争は起こしにくいことは考えられる。ロシアの行動は、こうした状況を読んだ上でのことだ。万一、戦争状態に入ってしまえば、送油管は大きな武器に変化することはいうまでもない。
したたかな非民主主義国
今回、特にロシア側は周到な計算の上に、クリミア併合に乗り出している。併合という動きに出た場合に、その後他国からいかなる制裁措置を受けるかは読んでのことだ。これによって、ロシアは、G8から外され、仲間はずれの措置を受けたが、プーチン大統領にとっては覚悟の上だろう。西欧側に対抗する手段は当然準備しているので、さほど打撃を受けたとは思えない。
クリミア併合という大きな実利を手に、国民の愛国心を煽り、強い対応に出られる非民主体制の国の方が、行動も早い。クリミア住民の中で、ロシア系のプーチン大統領支持率はきわめて高い。危険なことだが、ロシアはプーチン大統領という戦略に長けた強力な専制的指導者を得て、かなり権謀術数を駆使した活発な動きに出ている。
問題は、今後ロシア軍がウクライナへ侵攻するなど新たな動きに出た時に、どんなことになるか。ロシア側は今回のクリミア併合で、新たな冷戦状態が始まり、かなり長く続くことは、読み込み済みだ。オバマ大統領は冷戦にはならないとしているが、ロシアは懐が深くしたたかな国だけに、西欧諸国としては、かなり扱いがたい相手になっている。
民主主義を希求する世代の力
今後の動きを見通す上で、ひとつの注目点は、ウクライナの政治を再建しようと、ヤンケロヴィッチ大統領の政権を倒した若い世代のエネルギーの行方だ。彼らはウクライナの将来に大きな期待をかけていた。プラカードの文字には、ロシアの介入を拒否し、EUとの結びつき強化への期待が記されていた。
ウクライナに限らず、東アジアで、台湾の行政院を占拠した学生たちの懸念は、大陸中国との関係にある。彼らには、ある日台湾が中国に併合されてしまう怖れを、なんとか今のうちに回避、阻止したいという思いがある。こうした考えは、台湾と中国との経済関係が拡大するに従って急速に強まってきた。これについて、台湾問題はすでに答は出ている、台湾が中国となるのは、熟柿が落ちるのを待つようなものだとの話を大陸側の人から聞いたことがある。大陸側としては、経済関係の拡大などで、台湾の実効支配を強めていけば、武力制圧などせずに自然に手に入るという考えがあるのだろう。プロテストに参加している台湾の人たち、とりわけ若い世代の人たちは、当然その日が近づいているのを感じている。尖閣諸島をめぐる問題も、底流にはかなり同質の部分がある。次世代のために、日中両国指導者の強い自制心を求めたい。
これまで世界各地で、同様な危機を感じている「人々の意思」は、彼らの力によって新しく生まれる「政府の権威」にもつながってきた。しかし、21世紀に入って、彼らが求める民主主義は、なぜか推進力を失っている。このたびのウクライナ問題について、オバマ大統領は「民主主義が試されている」と述べている。
非民主制側の問題
2007ー2008年の金融危機後の世界では、中国の台頭、イラク戦争、エジプトの凋落、EU諸国におけるポピュリストの台頭など、民主主義への多くの対抗的動きを見ることができる。たとえば、中国では成長さえ実現すれば、国民は彼らの専制的なシステムにも耐えてゆくだろう。いくつかの世論調査でも、中国人の大半は現在の体制に満足しているようにみえる。少なくも、民主主義体制よりも効率的で機能していると考えているようだ。他方、歯止めがきかなくなりつつある大気汚染、幹部の腐敗などへの不満も高まってはいる。習近平国家主席には、毛沢東、小平を初めとする現代中国の節目を生み出した指導者のような強いカリスマ性はない。自らに権力を集中しないと国家運営が危ういと思っているところがある。
西欧に目を移すと、フランス、オランダ、ギリシアなどでのポピュリストの台頭も目立つ。ギリシアの「黄金の夜明け」党のようなナチ型の政党に、民主主義はどれだけ抑止力を発揮しうるだろうか。このたび行われたフランスの右派政党国民戦線の浸透度も注目に値する。
かつて、 J・マディソン、J・S・ミルのような近代民主主義の創始者は、その普及に多大な情熱を注いだ。注意すべきことは、彼らはそれでも民主主義を強力だが、不完全なメカニズムとみていた点にある。そのために、民主主義体制の動きに常に注意を払い、不完全な点を補填する努力を説き、そのために力を尽くした*。
近年の民主主義の失敗の原因はいくつか考えられるが、選挙に過大なウエイトを置き、多数決の結果に流されやすいこと、民主制の持つ他の特徴を軽視していることなどが挙げられる。とりわけ、日本のような国では、民主主義は世俗化し、本来維持されるべきスピリットを失っている。
多数決に過度に依存する危険
そして、これまで細々ながら見守ってきたように、拡大をみせるグローバリズムの潮流にもかかわらず、近年顕著なことはアメリカ、ヨーロッパなどの主要受け入れ国にみられる国境の壁の強化、制限・分断化の進行である。そのきっかけとなっているのは、国境紛争の増加、武器・麻薬などの密貿易、国境犯罪組織の拡大、移民の受け入れ制限などの動きに象徴的に現れている。
難しい課題のひとつは、西欧諸国では十分な見通しと計画のないままに、定着・居住するようになった不法移民が、きわめて対応の難しい存在として移民政策の最難題になっていることだ。定住期間が長引くほど解決が困難となる。今頃になって日本は、「外国人実習生の受け入れ拡大」、「移民一千万人受け入れ」構想などと言い出しているが、こうした場当たり的対応を、次の世代は本当にどう考えているのだろうか。
予想される社会的な緊張と残される重圧を背負うのは、次の若い世代なのだ。最近提示されている議論には、移民という長い歴史と蓄積を持つ問題分野から学び、政策を立案したという思考の進歩の跡が感じられない。国民の反応をみるアドバルーンにしては、あまりに稚拙に思われる。国家の運命を定める問題だけに、短期的な労働力不足の側面だけに目を奪われて、後の世代に大きな禍根を残すことがないよう、将来を見通し、問題点を整理して提示し、十分国民的議論を尽くすべきだろう。
再言するならば、民主主義に潜む危険のひとつは、多数決主義に傾くことだ。成功した民主制はその点にからむ問題を注意深く回避してきた。民主主義については、あまりに論点が多く、ブログなどでは扱いきれないが、国民の間で民主主義の理解と蓄積の浅い日本にあっては、国家の重要問題は国民に明確に開示し、議論を尽くすことが必要だ。
*ここで取り上げている問題は、国際的にも大きなイッシューになっている。さらにご関心のある方のため、いくつかの手がかりを記しておく。
References
*
"What's gone wrong with democracy and how to receive it" The Economist March 1st-7th, 2014.
Joshua Kurlantzick
Democracy in Retreat. The Revolt of the Middle Class and the Worldwide Decline of Representative Government, New Heaven: Yale University Press, 2014
Dani Rodrik, The Globalization Paradox: democracy and the Future of the World Economy, 2011
(ダニ・ロドリック(柴山佳太・大川良文訳)『グローバリゼーション・パラドクス』白水社、2013年)