時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

額縁から作品を解き放つ(2)

2022年09月30日 | 絵のある部屋


アンドレア・デル・ヴェロッキオ《キリストの洗礼》部分
Andrea del Verrocchio and Leonard da Vinci, The Baptism of Christ,part
ヴェロッキオの工房は15世紀後半のフィレンツェにおいて
最も著名で効率も高いことで知られていた。ヴェロッキオは重要な人物の顔や
しぐさなどは自ら描いたが、その他の部分は輪郭だけを描き、工房職人の手に
委ねたと伝えられる。

パトロンなしには絵は描けない?

読者は現代の画家ならば、自分の創意によって自由にカンヴァスに絵筆を振るうのは当然と考えるかもしれない。しかし、15世紀イタリアの画家たちはそういうわけには行かなかった。市民が自由に美術品の制作を画家に依頼できる時代ではなかった。

画家として生計を立てるためには、彼らは現代とはかなり異なる職業や取引上の制度や慣行の中で活動せざるを得なかった。それはどういうことなのか。前回に続き、美術史家バクサンドールの述べることに注目しよう。

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Michael Baxandall's Painting and Experience in 15th Century Italy, Oxford University Press, (1972), second edition 1988
本書は183ページの小著ではあるが、著者の美術史に関する考えのエッセンスが凝縮した好著である。内容は次の3部から構成されている。
I 取引の条件
II  時代の眼
III 絵画とカテゴリー

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バクサンドールは 本書の第I部 で人々は画家の技量と作品の質をいかに測るかという問いを提示している。何を元に人々は作品や画家の評価をするのか。

バクサンドールは第一章 Conditions for Trade「取引の条件」の冒頭で、次のように記している:(以下引用)

15世紀絵画は社会的関係のデポジット(寄託物)である。一方には絵画の制作に当たった、あるいは少なくともその過程を監督した画家がいた。他方には作品の制作を依頼し、そのための資金を画家のために供与した者がいた。こうした手立てを講じた後、彼らは作品をなんらかの目的用途に使い始めることになる。両者は時代の諸制度や慣習 〜最も広い意味での社会的、商業的、宗教的、知覚的 〜の中で活動したが、それらは今日の我々の時代とは大きく異なっており、両者が作り上げた形態(forms)に影響を与えた(Baxandall p. 1 , 1988)


これだけでは、やや抽象的で分かりにくいかもしれない。この記述を念頭に置いた上で、もう少し具体化してみよう。

ルネサンス期の画家たちはパトロンあるいは(バクサンドール好みの用語ではクライアント、顧客 (clients)の指示と支援なしには、制作活動ができなかった。バクサンドールは、画家のスタイルがいかに彼に仕事を委託したパトロンの考えによって影響を受けるかを強調している。パトロンの作品についての考えは、当時の文化に沿って彼らに体得されていた。言い換えると、ルネサンス期の画家は、パトロンの供与する資金と指図に従って制作にあたり、作品の完成を待って目的を達成したことになるのだった。

パトロンの求める内容の作品を期日までに仕上げるために、画家はしばしば工房を開設し、志や技能をほぼ同じくする職人の画家たちに作品の周辺部分やあまり重要でない箇所の作業を任せた。当時、パトロンから製作費用を支払われた親方画家は、指示された主要人物の容貌とか、主題の意味を暗示するような手指など作品の最も重要な箇所だけしか絵筆を振わなかった。

例:
よく知られた例として画家、彫刻家であったヴェロッキオ(ca1435-1488)が請け負って制作した《キリストの洗礼》の場合を取り上げてみよう。この作品にはヴェロッキオから学んだといわれるレオナルド・ダ・ヴィンチが工房で制作に加わっていたとみられる。



アンドレア・デル・ヴェッロキオ(ca,1435-1488) & レオナルド・ダ・ヴィンチ(1453-1519)《キリストの洗礼》
Andrea del Verrocchio and Leonard da Vinci, The Baptism of Christ, 1470-80 (or 1472-75), oil and tempera on panel, 177x151cm, Uffizi Gallery, Florence*



ヴェロッキオの工房ではレオナルド・ダ・ヴィンチやペルギーノなどの画家たちが腕を競い合っていた。上掲の作品についてはヴェロッキオ自らがどこの部分をどのくらい分担したかについては、鑑定者などの評価も様々で一致していない。しかし、一部分(下掲)についてはほぼレオナルド・ダ・ヴィンチの筆によるものであることで後世美術史家の見解は一致している。



上掲画面左下隅の山と水(スフマートの雰囲気)の部分と長いブロンドの髪の二人の天使は後世においてもダ・ヴィンチ特有の絶妙な描写になるものであることに疑いは出されていない(頭上の光輪は平凡で他の職人によるものかもしれない)。


結局、ルネサンス期のイタリアでは画家は最初パトロンから製作費用に相当する代金を受け取ることが先決で、その後工房などで制作にあたるという順序であった。パトロンの後ろ盾がしっかりしていたボッティチェリ、ミケランジェロ、ラファエル、ヴェロッキオなどの大画家でも、制作に当たって、白地の画布へ自由に絵筆を振るうというわけではなく、パトロンの求める作品イメージや使用する画材(とりわけ金やラピス・ラズリ、など)などへの思いは常に念頭に浮かんでいたのだろう。

アートの歴史に占める取引の重要性
画家といえども生計を立てねばならない。それだから、画業は当時からビジネスとなる特徴を秘めている。15世紀イタリアでは画業は、画家と裕福なクライアント(顧客)の間での契約的関係だった。この関係は時代が進むにつれて広く展開していった。15世紀初期においては、クライアントは画家の使用する画材の質に最も関心を寄せた。彼らはきらびやかな金、銀を重視し、次いでウルトラマリーンとして知られる青色の顔料を重視した。

そして時代が進むにつれて、彼らの関心は画材の質から作品自体の質へと移っていった。
バクサンドールのいう「時代の眼」Period’s Eyeは、こうした時代の変化とともに形成され変化してゆく。

続く


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​額縁から作品を解き放つ(1)

2022年09月20日 | 絵のある部屋
  


現代の人々が油彩画などの美術品を観るのは、主として美術館、展覧会、画廊、個人の所有などの場である。ほとんどの場合、作品は額装されている。作品を観る一般の人たちは、小品や大作の違いはあっても額縁で限られた次元に描かれている限りで、作品を鑑賞し、評価を行う。額縁も時には作品を凌ぐのではないかと思われるほど、精巧、美麗なものもあり、画面より額縁が目についてしまうという場合もないわけではない。

作品の独立性と可搬性を確保するために額縁が生まれた背景については、下記の書籍が興味深い。
望月典子『タブローの「物語」: フランス近世絵画史入門』慶応義塾大学三田哲学会、2020年

しかし、美術史などの進歩もあって、人々は作品の額縁という制約から解き放たれた背後の世界へと評価、鑑賞の次元を拡大していった。美術史の専攻ではないが、筆者の場合も感動を受けたごひいきの画家については、図らずも美術史の研究者以上に画家や作品の追跡、活動した地での実地調査に近いことを半世紀近く行なってきた。そのひとつの表れが、このブログにメモ代わりに記したジョルジュ・ド・ラ・トゥールやL.S.ラウリーである。

実際にこれらの画家の作品を鑑賞するに当たって、作品が制作された時代の政治・経済、文化などの社会的環境、さらには宗教的背景などを考慮することなく作品を鑑賞することは難しい。制作に際し画家あるいはパトロンなど当時の人々が思い描いたイメージとは異なった受け取り方で、現代の鑑賞者が観ていることは十分考え得ることだ。

現代の作品ならともかく、作品が創り出された時代から数世紀を越える時が経過した場合など、現代の鑑賞者が作品を観て思い浮かべる内容との間に大きな乖離が生まれるこはむしろ当然なのだ。イコノグラフィー(図像学)などが生まれたのは、ひとつには作品が制作された時代に意図された通りに、後の時代の鑑賞者が理解、鑑賞できるためとも言える。

我々は作品を正しく観ているのだろうか
ブログ筆者が時折強調してきた「コンテンポラリー(同時代)の視点」に立ち戻るとは、ひとつには作品が創り出された時代の状況に我々が近づくためには何をしたらよいかという問題を提示することになる。

美術史の流れにおいても、この問題領域でいくつかの学派が生まれてきた。これらの問題に近づくために新しい美術史学も生まれた。ここで取り上げるのは、イギリスの美術史家マイケル・バクサンドール(1937~2008)の『15世紀イタリアの油彩画と経験』と題した著作である。

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Michael Baxandall's Painting and Experience in 15th Century Italy, Oxford University Press, (1972), second edition 1988
最初は1972年に出版されて以来、各国語版に翻訳され、第2版は1988年
刊行以来好評に推移してきた。
マイケル・バクサンドールは、イギリス出身の美術史家。長くヴァールブルク研究所の教授を務め、その後、コーネル大学、カリフォルニア大学バークレー校で教壇に立った。20世紀後半の欧米の美術史学において中心的な役割を果たした。ブログ筆者はたまたま生前のバクサンドールの講演に参列できた経験があったが、その博識には圧倒される思いがした。バクサンドールは若い頃、エルンスト・ゴンブリッチの下でヴァールブルグ研究所の研究員を務め、自らを‘Gonbrichan’と称してもいた。ブログ筆者は美術史とは全く異なる領域を専門として生きてきたが、同時代人で身近に感じたことのあるバクサンドールの著作にはしばしば関心を掻き立てられてきた。

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バクサンドールが大きな関心を寄せた問題のひとつは、絵画の鑑賞者がいかに作品を見るかという点での理論化にあった。ハスケル、ラカン、ゴンブリッチ、チェンバースなど、バクサンデールの前にも類似のテーマで貢献してきた美術理論家もいた。

バクサンドールの『15世紀イタリアの油彩画と経験:描写スタイルの社会史入門』(第2版)は、182ページ、3章から成る一見小著だが、かなり手強い。アメリカ型のテキストによく見られる平易なトピックから段階的に高みに上るような叙述ではなく、読者の予想しなかったテーマから出発する。J.M.ケインズの『雇用・利子及び貨幣の一般理論』などに近似するものがある。問題のコンテクスト(文脈)を十分理解していないと、全体像の俯瞰に困難が伴う。

バクサンドールの著書の中核は、第2章 THE PERIOD EYEで展開される認識スタイルの全概念にある。著者の叙述の根底には、それまで作業を共にしてきた文化人類学者的思考が流れている。それに沿って、バクサンドールのいう「時代の眼」’Period Eye'の概念の深化に当てられている。

最初は人間の生理学的接近の説明から始まり、われわれはすべて同じものを見ているとする。しかし、続く解釈の段階で、視覚的認識への人間の対応は一人一人異なり同一ではないとされる。

単純に表現すると、バクサンドールの提示する「時代の眼」(period eye)とは、ある文化において視覚的形態を形作る社会的行動であり、文化的行為であるとされる。さらに、これらの経験はその文化によって形作られ、それを代表するものとなる。

バクサンドールの「時代の眼」に関する章は、我々21世紀の観衆が、15世紀の観衆と同様のレンズで、美術作品を見るに際して使われる道具箱ともいうべきものである。この意味で「時代の眼」は、美術の理解のための共時的な概念 synchronic approach なのだ。

例を挙げれば、我々21世紀に生きる者が15世紀のイタリア絵画を見るについては、相応の準備をしなければならないということになる。これは図らずもブログ筆者の「コンテンポラリーの視点」に通じるものがある。しかし、バクサンドールの論理は、かなり定式化されており、専攻領域の異なる筆者から見てもそのまま受け入れ難い部分もある。

バクサンドールが何を言おうとしているのか。その具体例は第1章 CONDITIONS OF TRADE で提示されている。このブログで以前に簡単な紹介をしたことがあるが、次回では、さらに立ち入って考えてみたい。


続き

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コピー文化の黄昏? 〜大芬は再生できるか〜

2022年09月07日 | グローバル化の断面

 
Henri Fantin-latour(1836~1904), Grand bouquet de chrysanthemes
アンリ・ファンタンーラ・トゥール《菊の大きな花束》1882


現代人にとって、絵画などの美術品を見ることは、疲れた心身を癒すセラピーの効果があるのだろう。コロナ禍、ウクライナ侵攻など、地球規模の大規模な激変以前から、世界各地の美術展には多くの人が集まり、入門書や画集などの美術出版物も多数、書店などで目にするようになった。美術は世界的なファッションのようだ。

本ブログでも取り上げたことがあるが、かつては ”世界の美術工場”として知られた中国の大芬 Dà fēnという村(現在は深圳に含まれる)がある。この地を訪れた観光客が驚いたのは、多数の画家たちがまさに工場のような場所で、ヴァン・ゴッホ、レンブラント、レオナルド・ダ・ヴィンチなど有名画家の名作のコピーを次々と作り出している光景だった。彼らの主たる顧客は、世界中の商店、ホテル、観光客などであった。超一流ホテルでもなければ、世界のホテルの客室や廊下の壁に架けられているのは、こうした形で製作される工業製品?のようなコピーやプリント製品だ。この地を知る人は「文化の生まれる土地」というよりは有名絵画のコピー「生産工場」をイメージしてきた。しかし、この「コピー文化」の一大産地にも黄昏が迫っているようだ。新着のThe Economist誌が、その衰退ぶりを伝えている。

大芬は再生できるか
長年の「コピー文化」から脱却し、大芬は創造的な動機に支えられ、世界から尊敬される芸術の拠点に再生できるだろうか。この地の将来に投げかけられてきた課題である。

大芬 Dafenに関わる状況に変化が現れ始めたのは、2008年の世界金融危機の勃発であり、この時が転機になり、世界中からの注文が激減した。代わって中国国内から注文が来るようになったが、彼らは中国風の絵、とりわけ山水画を好むようになっていた。これは中国の貿易がかつての輸出依存型から内需依存型に変わってきたことのひとつの反映ともいえる。

中国は金額面では世界第二の美術市場とされる。世界のオークションで、中国人の富豪などが匿名で有名作品を巨額を支払って落札する例も報じられるようになった。しかし、今日、大芬の地を訪れる美術家は、そこには美術を育む文化的素地のようなものは何もなく、単なる工場群に過ぎないと感じるようだ。さらに、この度のパンデミックの間に、多くの工房は仕事がなくなり閉鎖してしまった。

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 N.B.
絵画工場の地として大芬が知られるようになったのは、1989年に複製の工房が生まれたことに遡る。彼らは、そこでゴッホ、ダリ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、レンブラント、ウオーホールなど有名画家の複製を作り始めた。1990年代にはおよそ5万点の模造品を2週間で製作していた。中国の中央政府、地方政府ともに大芬 Dà fēnを「文化産業」の地域として指定し、各種の助成を行なってきた。

2014年の時点で、7,000人の画家が居住して、「美術工場」で絵画のコピー作業などをして働いていた。毎年およそ500万点の絵がアメリカ、ヨーロッパなどに輸出されていた。画家の中には100点近い作品を12時間で仕上げていた。コピーの上に一寸だけ絵筆で手を加えるのだ。こうした作品の制作のために、同地では大規模なプリンターやテンプレート作成のための多数のタブレットやiPhonesの類を開発し、活用していた。
出所:[Dafen Village - Wikipedia その他]

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中国政府は依然として大芬を「創造の地」としているが、果たして今後生き残りうるだろうか。地元の画家たちは、自分たちには「数十年の模写の蓄積がある」としているようだが、それがどんな意味を持つだろうか。最近、大芬を訪れた客が、模写ではないオリジナルだという作品に1,000元($145)を請求され、後退りしたという。後2年もすれば大芬は失くなってしまうとみる美術家もいるという(The Economist, Sept. 3rd, 2022)。

絵画が持つ不思議な力
この事例を追いかけていると、いくつかの疑問が生まれてきた。人々は美術作品のどこに、癒しやセラピーの源を見出すのだろうか。工場であっという間に製作されたモナリザやレンブラントのコピーを自宅の壁に架ける人々は何を期待するのだろうか。あるいはオフイスの自室の壁にコピーされた有名画家の作品を掲げ、自分の趣味の良さ?を誇示する経営者などもいるようだが。

かく言うブログ筆者も、美術館ショップや専門店などで購入したご贔屓の画家の作品のポスターや精密プリントなどを、時々は物置から引っ張り出しては仕事場の壁に掛けたりしてきた。そうした作品でも見ていると、過去の思い出がよみがえり、多少は癒されるような気もする。真作は遠い外国の美術館や個人が所蔵しており、頻繁に見ることはできない。プリント・コピーの類は、かつて心に刻まれた感激や強い印象を思い起こすよすがに過ぎないのだろうか。

これまで、17世紀を中心とした美術作品の歴史を多少追いかけてきて、真作、模作(模写)、工房作、偽作などをめぐる論争の実態も知ることができた。しかし、作品が生み出す感動や癒しの源については、探索したいことが未だかなり残っている。


References
[Dafen Village - Wikipedia]
https://en.wikipedia.org/wiki/Dafen_Village#cite_note-al-5

“The painters of Dafen: An art factory in decline” The Economist September 3rd ,2022

「モナ・リザもびっくり:中国絵画市場の実態 」- 時空を超えて Beyond Time and Space, 2006年6月15日

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