時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

ガザに光が射す日は

2023年12月07日 | 特別記事

ガザの夜間照明時系列推移(2012~2023)




人口衛星によるガザの夜間照明画像(2023年10月22日)
Source: NASA, The Economist November 11th 2023


ハマスのイスラエル攻撃が開始された直後から、本ブログの小さな記事(2012年11月23日)にアクセスが急増しているのに気づいて驚いた。記事はオルダス・ハクスリーの小説『ガザに盲いて』Eyless in Gaza (1936)を題材とした小文に過ぎないのだが。偶々冒頭部分が今回の戦争の実情にほとんど当てはまってしまうことに我ながら驚かされた。人類はなんと愚かなことを反省もなく繰り返しているのだろうか。しかも、事態は悪化の一途をたどっている。


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ハクスリーは1911年に角膜炎に罹患し、ほとんど失明状態となったが、その後拡大鏡を使えば文字が読めるほどには回復したが、視力の弱さは彼の生涯を通して、記憶、思考などの思索的活動に決定的な影響を及ぼし、1937年には治療のためにアメリカに移住するまでになる。
ハクスリーはガザに住んだわけではない。表題はジョン・ミルトンのサムソンの苦悩, Milton's Samson Agonistesからとられている。

『ガザに盲いて』は、ハクスリーの作家としての活動において、決定的な思想的転換を形成した作品とされている。作家個人としては神秘主義への傾斜、そしてそれに基づく社会活動としての平和主義への道であった。本書は全54章から成るが、時系列の叙述ではなく、断片化された上で1902年から1935年までのいずれかの時点を行き来し、最終的には各断片が再集合され、見事な自伝的小説の世界を築き上げている。
世界を良くするためには個人の改良が必要で、その第一歩が自己改良だと認識した平和運動家としての主人公アントニーを描く作者の言葉には改めて胸を打たれる。
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暗黒のガザ
ガザをめぐる惨憺たる状況について、偶然にも The Economist 誌上の一つの記事*が目に止まった。ガザにおける夜間の照明光度に関する記述である。NASAの人工衛星(1時間に地球1回転)による地域の照明度の状態が材料になっている。この衛星の力を借りて、2012年から今日まで、ガザ地域が発するさまざまな照明光度の時系列的変化を追うことができる(写真上掲)。

従来、ガザでは電力のおよそ3分の2は、イスラエルの電力網から直接供給されてきた。残りの燃料のほとんどはガザの発電所で使われる輸入原油であった。通常の時でも供給は不足気味であった。資金に余裕のある家庭などは、ディーゼル発電や太陽光発電で不足分をまかなっていた。

‘Darkening Days’ The Economist November 4th 2023, pp.39-40
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今回ハマスがイスラエルを攻撃し、1400人以上のイスラエル人を殺害したことから始まった戦争では、イスラエルは2008年以来初めて、ガザへの電力と重油の供給を遮断した。これによって、ガザは過去10年間には経験したことのない「暗黒の夜」を過ごすまで追い込まれた。この闇の暗さはその背後に展開する悲惨な殺戮の実態と表裏の関係になっている。

上掲の時系列推移で見ると、戦争以外の要因でガザの光度が増減している部分もある。例えば、2017年には発電所の資金調達をめぐってハマスと競争相手のパレスティナ電力当局との間の紛争で18ヶ月の電力不足が起きている。

しかし、この度の戦争ほど電力不足が危機になったことはない。10月11日までにイスラエルは電力供給を遮断、ガザの発電所は重油燃料の途絶を経験した。私有の発電設備がしばらく稼働したが、まもなくそれも途絶し、多くの病院、医療機関などが深刻な電力不足を伝えている。

イスラエル・ハマス・パレスティナ:解き難い難問
イスラエルとハマスの戦いは、とりわけイスラエルの強硬な姿勢で戦慄、目を覆う状況に至っている。イスラエルは標的をハマスに設定しているといっているが、いまやほとんどパレスティナの全市民が無差別殺戮の対象になっている。一般の民間人が平静に日常生活を過ごせる場所は、無くなっている。イスラエルとハマスは長年にわたり、市民を巻き込む憎悪と殺戮という「悪魔の罠」から抜け出られない。一般市民が無残に犠牲になる残酷な光景は見るにたえない。人間はなぜこのように残酷に争うのか。この地域の紛争は日本人ばかりでなく、西欧の多くの人々にとっても寛容と忍耐の限界を超えたようだ。イスラエル、ハマス両者共に人間としての良識、道徳心を喪失しているとしか言いようがない。

ガザにおける戦争に現段階では決着はついていない。ハマスが守勢に回っていることはほぼ明らかだが、16年間も政権を掌握してきたハマスは、ガザに深く根を下ろしている。イスラエルがこの地でハマスに勝利を収めたとしても、その反動も決して小さくはないだろう。イスラエルがガザに残した殺傷、破壊の結果は、IT上で遠い日本の地で見ても明らかだ。

何人かいるユダヤ系友人に今後の見通しを尋ねても、口数は少ない。パレスティナ問題は、彼らにとっても答えが出ないほどの難題なのだろう。ましてや日本人には並大抵の知識では理解し難い難問だ。

それでもガザにおける戦争は、いずれは終息を迎える。殺伐、荒涼たる光景が残されるだろう。しかし、そこにハマスが見えなくなっても戦いが終わることはない。真の終わりはほとんど見えていない。

漸くその後のあり方についての構想が議論されるようになっている。しかし、その多くは希望が感じられない。イスラエル人とパレスティナ人の間で、構想されるのは再び「2国家解決」案  two-state solution なのだろうか。しかし、有効な解決案となりうるだろうか。

新たな争いの始まりへ
パレスティナ人からすれば、目前の殺伐たる国土、無惨に殺戮された同国人が瞼に浮かぶ限り、イスラエルの海に浮かぶ小さな断片のような自国  ’Gaza Strip’ を再生することは、不安と恐怖そして新たな復讐の再現そのものではないだろうか。プルーストと異なり、アンソニー(『ガザに盲いて』の主人公)にとっては、記憶は過去の破滅的殺戮、嫌悪と復讐の引き金になるばかりではないか。

ガザに光が戻る日は


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N.B.
「川から海へ」“From the river to the sea’; 「パレスティナは自由になる」’’Palestine will be free!”
最近のパレスティナ人の若者たちのデモに掲げられたこれらのスローガンは、いずれも完全な独立国家としてのパレスティナの確立、そしてイスラエルの排除を求める暗喩といわれる。「川から海へ」は、ヨルダン川から地中海、そして自由を意味し、その地域からのイスラエルの排除が想定されている。そして後者の「パレスティナは自由になる」はイスラエルの破壊を暗に意味しているとされる。パレスティナ人でこれらのスローガンを見る者は、その意味を知っている。来るべき戦い、「文化の戦争」はすでに始まっている。

’The culture war over the Gaza war’ The Economist November 4th, pp.52-54
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REFERENCES
‘Dread, disagreement and delay’ The Economist October 28th 2023, pp.18-20
’No place for a war’ The Economist October 21st 2023, pp. 15-18
‘When the shooting stops’ The Economist, do, pp.19-20
‘Darkening Days’ The Economist November 4th 2023, pp.39-40
’The culture war over the Gaza war’ The Economist November 4th, pp.52-54
‘Truce and saved lives’ The Economist November 25th 2023, pp.41-42
’The end of the beginning’ The Economist November 28th 2023, pp.37-38
Aldous Huxley, Eyeless in Gaza, Vintage, Penguin Random House, UK, (1936) 2004

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誰が作品の「美」を定めるのか(8)

2023年08月12日 | 特別記事

photo:YK


明らかに気象上の異常としか思えない酷熱の日々が続いている。カナダ、ハワイなどの熱波による山火事は友人、知人の目前にまで迫ったようだ。「地球温暖化」の時代に有効な政策がとられなかった間に事態は「地球沸騰化の時代」(国連アントニオ・グラーレス事務総長)へと進んでしまった。

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例年、下谷鬼子母神などの「朝顔市」で買い求めていた朝顔の苗に代わり、今年は種子から育ててみようと思い立った。袋詰めの種子を買い、指示に従い、一昼夜水に浸した上で、薄く土を入れたパットに蒔いてみた。数日して2、3枚の葉がついた後、植木鉢に植えてみた。成長は予想外に早く2−3週間の後に開花した。自然の摂理に感動する。しかし、酷暑の日差しには厳しく、花は半日くらいの命である。
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酷熱の日々が続く中、暑さしのぎを兼ねて始めた「美術史の棚卸し」のような試みだが、現代に近づくにつれて美術史自体の展開に迫力を感じなくなってきた。これはあながち酷暑と加齢のもたらした結果ではないと思いたい。前回に論及したWood(2020)の美術論の力作を読んでいても感じられる。

Woodの著作は、序論に始まり、最初は800-1400年、その後は1400-1500年、1500-1550年、1600-1650年と次第に区分が短くなり、1900年以降は10年刻みとなって、1590-1960年での議論で終わっている。著者はこれ以降の時代について、議論することに意欲を失ったかのような論調である。美術史の衰退、終焉? いったい何が起きたのだろうか。

ハンス・ベルティング(元木幸一訳)『美術史の終焉?』勁草書房、1991年(Hans Belting, The End of the History of Art?, University of Chicago Press, 1987, 原著はドイツ語版)



ブログ筆者もこれまで、美術の鑑賞、探索にはかなりの時間を費やしてきたが、20世紀後半からの現代美術については、いつの頃からかあまり魅力を感じなくなった。現代美術の展覧会、美術館にも出かけるのだが、展示された作品の中に惹かれる作品に出会うことが少なくなった。会場の外に出ると、次第に忘れてゆく始末である。

かつては星空の星座の中で、ひときわ輝く星のようなカノン(canon; 規範的作品)のような作品に出会うことがしばしばあったが、そうした体験をすることが少なくなった。なぜ、こうした事態に至ったのか。暑さの中で、いささか荒削りだが、メモ代わりに記してみよう:

美術史の誕生と展開
16世紀以前:
現代の視点から見て、芸術家や作品を歴史的視点から体系化し、記述し、美術史といえる試みが登場するのは、16世紀イタリア・ルネサンス期であり、ヴァザーリの『芸術家列伝』がその代表として挙げられる。芸術家(画家、彫刻家、建築家)の評価を歴史の推移に沿って、彼らの作品と共に叙述している。ヴァザーリはその『列伝』において、体系的な図像分析のための基礎的技術を確立したといわれ、20世紀のイコノロジー研究につながる内容を備えていたといわれる。

18世紀から19世紀後半:
この時期は美術史の隆盛期かもしれない。作品の鑑定技術に進歩が見られ、ルネサンス期から継続しての「イコノグラフィ」(図像学)もキリスト教考古学の発展とともに、美術史の重要な方法論として確立された。

20世紀前半:美術史の土台
この時期には、それまでの基礎の上に、「様式」に大きな重みを持たせた「様式論」がルネサンスやバロックなどの様式概念と相まって、美術史学を支える基本的枠組みとしての役割を強固なものとした。とりわけ、ヴェルフリンによる『美術史の基礎概念』(1915)はその発展を支える中心的存在であった。



他方、ヴァールブルグとパノフスキーによる新たな方法論イコノロジー(図像解釈学)は、それまでの様式論が作品の形態や表現形式などの外形を通じて分析しようとしていたが、この新しい方法論は作品の主題や意味自体に着目し、作品を生んだ文化全体と合わせて、作品に込められた意味を解読しようとするもので、画期的であった。

しかし、美術史は次第にそれまでの活力を失って来たかに見えた。様式論とイコノロジーを中心に展開してきた美術史学は、大きな転換期を迎えたように思われた。1985年に刊行されたハンス・ベルティング『美術史の終焉?』(上掲)は、こうした流れを予期する早い時期での問題提起であった。それでは、なにがこうした変化を生み出したのだろうか。

断絶・分裂の時を迎えて
大きな転機は20世紀後半に入って出現した。背景には、これまで「巨匠による傑作」 (masterpiece)、言い換えると「カノン」(canon: 規範的作品)が、時代の主流や表現方式を代表し、主導してきたかに見えた美術史の主流に厳しい批判が加えられた。批判の対象には、これまで「カノン」とみなされてきた「巨匠」による作品や画家のみならず、こうした風潮を支持、形成してきた美術史論の著作までも含まれると考えられる。強固であるかに見えた美術史、とりわけ西洋美術史、美術史論は20世紀後半を迎え、急速に地盤の分裂、崩壊の危機を迎えた。

このように急激に台頭した従来の美術史への批判の論拠には、多様な要因が含まれていた。まず、美術史という歴史の一領域を形成し、時代を牽引してきた背景には、それが西洋という領域概念により強く支配されてきたという重大な偏りが存在することに、初めて批判の矢が向けられた。しばしばアーリア民族の偉大さが誇張され、カノンの選定に反映したとの批判も生まれた(Woodにはそうした考えはないようだ)。

従来の美術史がヨーロッパ、北米中心であったとの強い批判が生まれ、激しい議論があった。さらには、非西洋、女性、マイノリティ、労働者の世界での美術史などが、これまで劣位に置かれてきたことへの批判、そして復権の動きも高まった。

ブログ筆者はかなり以前からジャック・カロ、ハンス・ホガース、オノレ・ドーミエなどの社会批判を含む画家・銅版画家、20世紀初頭の児童労働、L.S.ラウリーなどの産業革命、労働者実態、社会批判などを主題とした画家などに関心を抱き、その一部を記事にしてきた。

さらに、新しく登場した映画、写真、ビデオ、アニメなどの視覚的表現手段は、ほとんどまともに美術史の対象としては顧みられなかったことへの批判も生まれた。これらのどの部分を新たな美術史のどこに位置づけるか。

「ニュー・アート・ヒストリー」の登場
1980-90年代を迎え、さまざまな要因を背景に生まれてきたのが、「ニュー・アート・ヒストリー」(New Art History: NAH)といわれる歴史的な潮流であった。それまでの美術作品、なかんづく「傑作」とされる作品が生まれるに当たっての政治性も明らかになった。NAHはアングロ・アメリカンの産物ではある。ただ、ドイツ語圏ではほぼ同様な潮流が存在した。美術品分析の対象としての「様式」”Form”は「表象、描写」”representation”によって取って代わられた。重点の在処は作品制作の結果から過程へ移行した(Wood pp.405-406)。

美術史領域の拡散と断裂
17世紀以来の美術史は、大きな壁に突き当たり、その存在自体が危ぶまれている。
かなり明瞭なことは、相対主義(Wood 2020)が現代美術史の基礎を占めることである。
カノンが生まれる領域が大きく拡大した。後世に残る偉大な作品は、全ての時と場所での機会をとらえて作られるのだ。

新しく浮上した美術に関わる知識の視野が広がったことで、各社会が適切な基準について独自の考えを持っていることが明らかになった。Woodは作品が制作された時代に関連しての個々の美術作品を判定すべきとの立場のようだ。

カノンは静態で存在するのではない。歴史上、新しいものが来たり、古いものが去り、時には見直されて戻ってくる。しかし、断裂・分断が進んだ美術史が修復され、再生、継続が可能となるだろうか。背景にある社会変動と密接な関わりを持ちながら、急速に崩壊、衰退、分裂、破断が進行した美術史、美術史論の学問領域が、新たな活力を持って再生することは至難に思われる。

「美」を定める者の位置関係や数は大きく変化し、近い時点で安定して説得的な状況が実現するとも思えない。美術史学が近代以前の学問領域へと自らを限定、後退する感も否めない。新たな「美術(史)観」の浮上、安定化にはかなりの時間を要するのではないか。炎暑の中での妄想であれば、それにすぎることはないのだが。

終わり


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謹賀新年 2023年

2022年12月31日 | 特別記事


新年おめでとうございます

激動の時代は2023年も続くことでしょう
今年こそ真に平和と健康の1年となりますようお祈り申し上げます


2023年元旦



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ウクライナの年:「戦争」が「コロナ・ウイルス」を上回った

これまで半世紀近く、この時期に読むことを楽しみにしてきたThe Economist誌が、2022年の世界のニュースを分析した記事があった。アナリスト企業が32のニュース・トピックスについて、650万のデータセットを使い分析したもので、各トピックスがいつ発生し、どれだけの記事が読まれたかを読者の時間数(readership)で測り、時系列で分析している。
その結果は、読者が記事を読むに費やした10億時間の中で「戦争」は2億7800万時間に相当し、(2021年に「covid-19」に読者が費やした時間にほぼ同じ)、ロシアがウクライナに侵攻開始した日には640万時間であった。これはイギリスのエリザベス女王 II の逝去、ウイル・スミスがオスカーでクリス・ロックを平手打ちした事件の当日の合計を上回った。ウクライナ侵攻記事の読者時間は漸減したが、その水準は今日の平均では55万時間相当で、ワールド・カップでアルゼンチンが優勝した日の水準にほぼ匹敵している。
「コロナ・ウイルス」への関心は今日まで途切れなく続いているが、人々が長引くコロナ禍に疲れ(pandemic fatigue)、それに「戦争」(ロシアのウクライナ侵攻)が取って代わった観がある。
「戦争」も「コロナ・ウイルス」も目にしたくない。しかし、それが多くの人々の命を奪っている限り、注視せざるを得ない。新年にはこの二つが消滅することを切に祈りたい。


Reference
’’The year of Ukraine, The Economist , CHRISTMAS DOUBLE ISSUE, December 24th 2022- January 6th 2023 



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artists@war: 17世紀、戦火の下の芸術家たち:危機の時代を生きる

2022年08月06日 | 特別記事




17世紀:「リシリューの時代」?
Geoffrey Parker, Europe in Crisis 1598-1648, second edition, Oxford, Blackwell, 1979, 2001, cover


17世紀のヨーロッパは、戦争やペストなどの疫病、インフレーション、飢饉(ききん)、さらには魔女審問など、多くの混乱と不安にあふれていた。同時代には地域的に見れば「オランダの黄金時代」などもあったが、歴史学ではしばしば「全般的危機(The General Crisis)」や「17世紀の危機」とも言われている。他方、このブログでも一端を論じてきたように、そこに見出される異常な現象の多くは、著しく増幅した形で今日の世界を襲っている。

すでに3年に近いコロナウイルスのグローバルな感染の拡大、ウクライナへのロシア軍侵攻、各地の森林火災、食糧危機、米中対立など、いずれも地球規模での影響をもたらしている。人類の危機さえ感じるほどだ。

17世紀ヨーロッパの戦史を時系列、国別に概観してみると、いかに多くの戦争がヨーロッパで起きていたかが、歴然とする。とりわけ、17世紀前半には戦争が記録されていない年は見当たらないほどだ。政治的動乱などを含めると、大小の戦乱は西はイベリア半島から東はウクライナにまで及んでいた(Parker 2001, Map 1)。平和より戦争が時代を動かし、支配する起点となっていたと言っても過言ではない。


文化的刺激となった戦争
この時代の芸術活動、文学、絵画、音楽、演劇などの多くが、戦争をテーマとしたり、戦争と強い関連を持っていた。「歴史が取り上げる主題、そして議論は戦争だ」(Sir Walter Raleigh)というのもあながち誇張ではない。

17世紀ヨーロッパの画家の中には、各地の王侯貴族の庇護の下に、作品制作をおこなっている者もいた。彼らは従軍画家のように、しばしば軍隊に同行し、戦争の主要場面を絵画作品として記録してきた。著名な画家と作品の例としては、ヴェラスケス《ブレダの降伏》やジャック・カロ《ブレダの包囲》がある。

ディエゴ・ヴェラスケス《ブレダの降伏》
The Surrender of Breda
Diego Velázquez(1634–35)
Oil on canvas, 307 x 367cm
Museo del Prado, Madrid, Spain

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N.B.
この作品はヴェラスケスの傑作の一点と言われているが、画家が1625年6月5日、80年戦争の間、ブレダの征服をしたスペイン軍将軍アムブロージャ・スピノーラの軍に同行し、1634-35年の間に完成した。画面にはブレダの市の鍵がオランダの所有からスペインへ渡される光景を描いている。戦いは現在のネーデルラント、ベルギー、ルクセンブルグを含む17州がスペインのフィリップII世に対し反乱を起こしたことによる。作品はスペインのフィリップIVの依頼により制作された。
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ジャック・カロ《地図:ブレダの攻略》
1628年、エッチング
123.0 x 140.5cm
国立西洋美術館

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N.B.
必ずしも画家の作品の中では忘れられがちだが、80年戦争の間にネーデルラントで出版された最も情報量の多い地図と言われる。新教徒軍の要衝であったブラパント地方の町ブレダは、10カ月にわたる包囲戦の後、1625年6月5日スペイン軍の手に落ちた。画面中央の城壁に囲まれた小さな町がブレダ。
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戦争が大きな打撃を与えた文化領域
戦争が時代の文化活動に与えた影響は、多様にわたっていた。例えば、音楽は大きな影響を受けた。大規模なコンサートなどはほとんど中止された。多くの音楽家が戦火を避けて中央ヨーロッパから逃げ出した。

閉鎖を余儀なくされたのは、ドイツが多く、the Musikkranzlein (ウオルムス、ニュールンベルグ)、the Convivia Musica (ゲルリッツ)、musical ‘colleges’ (フランクフルト、ミュールハウゼン)などは閉鎖に追い込まれた。多くは財政的な支援が絶たれて存立不能となった。

多くの音楽家、文学者などの芸術家が戦地を逃れて、離れていった。プロテスタントに対する迫害など、宗教上の理由から各地を転々とすることもあった。

ロレーヌでは戦争の拡大と共に、ロレーヌ公の庇護が無くなり、ジャック・カロ、ジョルジュ・ド・ラ・トゥール、クロード・ロランなどのような画家たちが、それぞれ安全な地へ逃れる状況が生まれた。ドイツなどでは、画家の作品が損傷される、略奪される(特にスエーデン軍が多かったと言われる)、画家が迫害される、殺される、追い払われるなどの厳しい環境悪化が見られた(Parker 2001, p.217)。


30年戦争当時、ロレーヌに侵攻してくる外国軍の中で、スエーデン軍はとりわけ横暴、残虐との噂が流布していたこともあり、その後ドイツの家庭では、ぐずる男の子に手を焼く母親が、(言うことを聞かないと)「スエーデン軍が来ますよ」Die Schweden kommen と脅かしたともいわれる。もちろん、今日では使われない(Geoffrey Parker, 2001, p217.)。さて今ならば?


しかし、この時代、戦争の当事者が長引く戦争に疲弊し、なんとなく休戦状態に入るなどの”ゆとり”があった。平和への希求も強く、平和を求める音楽活動などがあったことも知られている(1627年のミュールハウゼンの会で、音楽家ハインリッヒ・シュルツが「平和の勝利」を意味する Da acem (‘Give us peace’)の作品を披露した例などが知られている。

「美しい戦争なんてあり得ない」 ゼレンスキー・ウクライナ大統領夫人


Reference
Geoffrey Parker, Europe in Crisis 1598-1648, second edition, Oxford, Blackwell, 1979, 2001.
N.A.M. Roger, War as an Economic Activity in the "Long" Eighteenth Century, International Journal of Maritime History, XXII, No.2 (December 2010): 1-18







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新年のご挨拶

2020年12月31日 | 特別記事
古代ベコ 福島

新年おめでとうございます
良い年になりますように

2021年(令和3年)


年頭に当たって:

この小さなブログでは開設以来、「最初の危機」と言われた17世紀ヨーロッパ、そしてグローバルな世界の社会を背景に、今日まで世界史に刻まれた「危機の時代」「恐慌の時期」のトピックスをとり上げてきた。とりわけ、美術を中心としてそれを取り囲む社会・文化史的な断片を柱として記してきた。今日までこの行方定まらぬブログ記事を読んでくださった皆様に御礼申し上げたい。ブログに幕を下ろす時も遠くない。
新年、2021年が、新型コロナウイルスという新たな感染症が生み出した「世界的危機」を、ついに克服した年として、後世の世界史に刻まれるよう心から祈りたい。




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遠からず来る時を前に(4):ひとつの整理

2020年05月02日 | 特別記事

 

ニューヨーク、クライスラー・ビルディング眺望

緊急事態宣言が延長されることがほぼ確定した5月1日、そして今日も日本列島はほとんどが真夏日のような快晴だ。例年ならば、連休のさなか、多くの人たちが国の内外、至る所で休日を楽しんでいる時なのだが。

「危機の時代」は「文化の時代」
前回に続き、1930年代のアメリカについて少し記したい。ブログ筆者はかねてからこの時代にある関心を寄せてきた。というのは、1930年代のアメリカは大恐慌によって深刻な経済危機を経験したが、他方、文化面でも「ニューディール文化」New Deal Culture といわれる社会文化的状況を生み出し、注目すべき時代だった。危機をものともせず、社会に貢献する画期的な発明・発見が活発になされた時代であった。この年代の感想を今は少なくなったが、年配のアメリカ人に聞くと、特別な感慨を抱くという人も多い。筆者の友人の両親(今は故人)なども、浪費を避け、ものを大事に扱うなど、苦難な時代の消費パターンが身についた人たちだった。

この時代は、1929年10月のウォールストリートの株式大暴落と1941年12月の日本軍による真珠湾攻撃という衝撃的な出来事で、あたかもブックエンドのように挟み込まれた特異な期間である。

東京オリンピック開催期待の大輪の花火があっという間に消えて、新型コロナウイルスの世界的蔓延で暗転した世界、そこに何が起こり、何が期待できるか。少しタイムマシンを戻してみた。

筆者が初めてニューヨークを訪れた時、最初に出かけた場所の一つに、クライスラービルがあった。親しい友人の父親が、ここに支店を置く銀行の支店長をしていたので、連れて行ってくれたのだった。以前にブログに記したこともあった。当時その銀行、Manufacturerers Hanover Trust Companyは、アメリカの3大自動車企業クライスラー社のメイン・バンクでもあった。クライスラー・ビルは、アール・デコ風の特徴のある美しいビルだった。内部のオフイスも重厚感ある素晴らしい雰囲気だった。スリーピースを着込んだホワイトカラーがゆったりと仕事をしていた。このことは、以前にブログに記したことがある。

この銀行はそれまでいくつかの合併を重ね、下記のロゴを使っていた。
The 1960–1986 Logo



クライスラー・ビルディングは、高さ世界一の超高層ビルを目指して 1928年に着工した。当時、ニューヨーク市内では高さ世界一を狙う超高層ビルの建設で競争の真っただ中であった。この建設は、特に ウォール街の シンボルを目指したウォールタワーと 世界一の高さを競って、当時としては猛烈なピッチで進められた。建設途上でも競争相手の動向に応じて、設計内容を次々と変更した。ここでは省略するが、その沿革を調べてみると、非常に興味深い。

1930年4月、38 mの尖塔を建設途上で追加し319mとなり、クライスラー・ビルディングは完成した。 ウォールタワーを上回り、世界一高いビルの座につくことができた。しかし、翌年の 1931年エンパイアステート・ビルの完成により、世界一の座を明け渡すことになる。それでもアメリカの1920年代の繁栄の歴史を物語るニューヨークの摩天楼の中の傑作である。エンパイアステート・ビルから見たクライスラー・ビルは大変美しい。とりわけ、ステンレスで輝く尖塔部分が大変印象的だ。

クライスラー・ビルの尖塔

平均して一週間で4階分の高さを増していくというペースにも関わらず、この建設工事中に死亡した作業員はいなかったとの記録がある。労災史上でもかなり注目される建造物である。

クライスラー・ビルの他にも、コカコーラ・ビル、サンフランシスコのゴールデンゲート・ブリッジなど、今日でもアメリカの歴史に残る建造物もこの時代に建設された。さらに、世界史の教科書でニューディールの中心事業として必ず目にするコロラド川のフーバー・ダムも当然建造された。

明日の世界を創る Inventing the world of tomorrow
建造物にとどまらず、多くの斬新な発明、その成果物としての製品もこの時代の産物である。例えば、エレクトロン、マイクロスコープ、レーダー、合成ゴム(ネオプレーン)、ナイロン、テフロンなど、記憶に残るものも数多い。ニューヨークの第3の空港ラガーディアもこの時代に着工している。

さらに、アメリカではカラー映画の制作、スウィング・ジャズ、ハリウッドの黄金時代なども記憶に残る。この時代はアメリカの明日を創り出す時代であったとも言われる。

暗い時代の日本
他方、日本は1929年(昭和14年)10月にアメリカ合衆国で起き、世界中を巻き込んだ世界恐慌の影響が日本にも及び、翌1930年(昭和5年)から1931年(昭和6年)にかけて日本経済を危機的な状況に陥れ、戦前の日本における最も深刻な恐慌をもたらした。そして、満州事変、5・15事件、国際連盟、国際労働機関からの脱退、海軍軍縮条約の破棄、2・26事件、日中戦争勃発などで第二次世界大戦への道をひた走っていた。

コロナウイルスが変える国家の盛衰
コロナウイルスの感染に関して、過去の感染症との比較の上で、特徴的とも言えるのは、この感染症の発症、治療、回復に関わる対応が地政学的にきわめて政治化していることである。これまでのグローバル化へ向けての歯車が急速に逆転し、各国の国境の壁が急速に高まっている。人の流れにも逆流が生じている。世界の移民・難民の流れには、注目すべき変化が現れている。

そして、コロナウイルスへの対応いかんが国家の盛衰を定めている。巧みに対応した国は、国力を大きく損じることなく、次の時代へ向かうことができる。他方、失敗した国は、著しく国力を失い、来るべき時代への対応に遅れをとる。

世界的感染の帰趨が未だ定まらない今、すでに「コロナ後の世界」が語られている。こうした大きな危機の後には、政治、経済などの変化が他に類を見ないほど急激に展開することも多い。危機が革新を必然化するともいえる。平穏な時代ではそれまで確立されている諸制度などが桎梏となって実施できないことが、緊急の必要から実行できるようになる。日本は過去の大恐慌の実態から何を学ぶか。これらの点については、改めて記すことにしたい。


[参考]
1910〜1962年のアメリカ合衆国の失業率推移


上掲グラフの青色着色部分は、大恐慌期(1930-40年)。失業率がきわめて高いことに着目。

 

続く

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遠からず来る時を前に(3):ひとつの整理

2020年04月28日 | 特別記事


Alan Greenspan and Adrian Wooldridge, CAPITALISM IN AMERICA~ A History ~
New York, Penguin Press, 2018

 

このたびの新型コロナウイルスの世界的蔓延が、人類の歴史にいかなる傷痕を残すか、今の段階では十分に確認できない。感染の拡大がどこまで及ぶのか、ウイルスの活動が終息に向かわない限り、正確にはわからない。勝敗はまだついていない。しかし、政治や経済面では次第に新型コロナウイルスがもたらした影響のあらましが見えるようになってきた。コロナ後の世界は明らかにこれまでとはかなり違ったものになるだろう。

 

経済的損失は「世界大恐慌」に次ぐ?
ウイルスが蔓延する過程で社会の生産活動は顕著に低下し、人々の働く機会を奪ってきた。グローバルな経済的損失は極めて大きく、ある推定では、1930年代アメリカに端を発した「世界大恐慌」 the Great Depression 以来の規模であるといわれている。どの程度、似ているのか、あるいはどれだけ異なっているのか。このたびのコロナウイルス大不況の全面的な評価は、ウイルスの終息を待ってのこれからの課題であることは言うまでもない。

比較の対象となる1930年代の大恐慌の記憶が人々の網膜からほとんど消えてしまっている。それだけに、その展開の輪郭を辿ってみることは意義があることと思う。大恐慌については、すでにおびただしい調査・研究が残されており、時系列的にも評価が変化してきた。筆者も長らく関心を抱いてきたが、到底書き尽くせるものではない。

わずかに、今回の新型コロナウイルスの感染過程での対策を考える上で、1930年代、アメリカにおける大恐慌の発端と政策の輪郭だけは心覚えに残しておこう。


youtubeでNY Stock Exchangeでの株価暴落に至るまでの経緯を映像で見るには下記がお勧めです。1929 Stock Market Crash and the Great Depression -Documentary (日本語版、英語版)
https://www.youtube.com/watch?v=ApC8U_myIPA

大恐慌突入まで
大恐慌はほとんどなんの前触れもなく突然に起きた。1920年代は「轟く20年代」Rroaring Twenties といわれ、アメリカ社会は活況を呈していた。株式市場も発達し取引も活発だった。人々は将来に大きな期待をかけて、日々の活動にいそしんでいた。信用市場も発達して国民の生活に浸透し、人々は次々と生まれる家電など耐久消費財を現金がなくとも次々と買い集め、当時大きな人気の的となっていた自動車まで購入していた。

大恐慌の影はこうした中で静かに、しかし急速に忍び寄っていた。今回の不況が、新型コロナウイルスという目に見えない原因で生み出されたように、大恐慌も株式市場を発端とする信用崩壊、そして1930年代のダスト・ボウル  the Dust Bowl と呼ばれた破滅的な被害をもたらす干ばつと砂嵐の発生が大きな破壊力を持った。大平原 Great Plains 、そして南西部が最も凄まじい影響を受けた。特にテキサス、カンザス、コロラド、ニューメキシコ、そしてオクラホマが惨憺たる被害を受けた。被害は急速に全米に及び、人々の生活に深刻な影響をもたらした。砂嵐を吸い込むと、砂塵は細かいガラス状の細粉状になり、珪肺症になる恐れが多分にあった。当時の写真を見ると、目前から地平線まで竜巻のような砂嵐が立ち上り、全面土色でこの世のものとは思えない光景を呈している。

ジョン・スタインベックの小説『怒りのぶどう』はこのダスト・ボウルと呼ばれた灼熱の空気と共に生まれた砂嵐から逃れて、ジョード Joadという家族がオハイオ州の農場からカリフォルニアへ仕事を求めて旅をする話である。小説は実話ではないが、スタインベックは新聞記者として、”Okie”と呼ばれた同様な旅をした農民にインタヴューしたことがあった。

こうしてカリフォルニアへやってくる貧しい労働者家族に、連邦政府は対応に苦慮したあげく、カリフォルニアに10カ所のキャンプを設置し、出稼ぎ家族は仕事が見つかるまでそこで過ごした。今に残る映像や資料で見る限り、東日本大震災の惨状と甲乙付け難い。貧困と疲労に打ちひしがれた出稼ぎ労働者の母親と子供のイメージをブログに掲載したこともある。

 

Jean Edward Smith, FDR,  New York: RANDOM HOUSE TRADE PAPERBACKS, 2007  
F.D.ローズヴェルトの伝記は様々な視点から数多く存在するが、本書はそれらをほとんど取り込んているという意味で、安定した伝記といえる。

1930年代、大恐慌のアメリカにおける対応について、ブログ筆者には大筋の印象として次のような諸点が脳裏に残っている:
1)迅速な政策着手
2)斬新な改革案〜ケインジアン的視点
3)大規模な実験的プロジェクト
4)国民との密接な交流

ひとつの例を挙げてみる。フランクリン・ローズヴェルトが大統領就任後の100日間は、「100日議会」と呼ばれた。この3ヶ月くらいの間に、初期ニューディール政策の主要法案15件が次々と成立し、改革へと結びついていた。失業者救済、全国産業復興法(NIRA)など、注目すべきスピードと包括性をもって実行に移された。今回の新型コロナウイルスへの対応と比較すると、よくこれだけのことができたと驚嘆する。

政府による経済への介入は、総じてケインジアン的な特色を帯びていた。テネシー渓谷開発公社、民間公共工事局 (Public Works Administration, PWA)、 公共事業促進局  (Works Progress Administration, WPA)、 社会保障局、連邦住宅局 (Federal Housing Administration, FHA)などを設立し、大規模 公共事業による 失業者対策を実施した。また 団体交渉権保障などによる 労働者の地位向上・ 社会保障の充実なども次々と実施に移された。

ローズヴェルトが就任した1933年以降、 アメリカ経済は回復過程に入り、実質GDPが1929年を上回った。1936年 の 大統領選挙では当時の一般投票歴代最多得票率(60.80%)で再選を果たした。しかし、1937年の金融・財政の引き締めによる景気後退25もあり、結局任期の1期目と2期目である1933年から1940年の期間には名目GDPや失業率は1929年の水準までは回復しなかった。

ローズヴェルト大統領の閣僚として、初めて女性で労働長官として任命されたフランセス・パーキンス女史とその周辺で働いた人たちの話は、このブログにも少し記したことがある。建国以来の大きな危機に対し、懸命に働いた人たちの話はかなり強く記憶に残っている。

ローズヴェルトの行った毎週のラジオ演説は「 炉辺談話」 fireside chatsと呼ばれ、国民に対するルーズヴェルトの考えを表明する場となってローズヴェルトの人気を支え、大戦中のアメリカ国民の重要な士気高揚策となった。

このたびの新型コロナウイルス恐慌で、いち早く感染規制の緩和を発表したニュージーランドのアーダン首相の親しく国民に寄り添うという姿勢は国民は好評なようだ。

比較して、今日の安倍政権には苦言を呈したい。このたびの新型コロナウイルスの蔓延に伴う急速な不況の浸透にも関わらず、実効ある政策がほとんど提示されず空転している。新型コロナウイルスが発見されてからすでに4ヶ月余りが経過した今でも、ほとんど政策効果が見えてこない(大騒ぎしたマスク2枚も配達されたのは4月28日であった!)。

〜〜〜〜〜   〜〜〜〜〜   〜〜〜〜〜

FDRと大恐慌時代 (1929–1939)を回顧する際の私的メモ
1929年10月29日 ウオール街、株式市場で株式大暴落 「暗黒の火曜日」
1931年 フーヴァー・モラトリアム
1932年 失業率25%に
11月8日 フランクリン・ローズヴェルト大統領選でフーヴァに勝利する
1933年 3月4日 ローズヴェルト大統領就任(1933-45)、ニューディール政策に着手(NIRA, AAA, TVAなど実行)
     3月9日〜5月16日 大統領就任100日が経過、多くの新政策が導入された
     4月19日 アメリカ合衆国は事実上金本位制離脱
1934年 最初のDust Bowl
1935年 4月14日 「暗黒の月曜日」
8月14日 社会保障プログラム制定
     ワグナー法成立
     CIO成立
9月20日 フーヴァーダム(ボルダーダムを改名)竣工
1937年6月25日 連邦最低賃金制定
1938年11月 CIO、AFLから独立
1939年 第二次世界大戦ヨーロッパで始まる
     4月30日 ニューヨーク世界博開幕
1940年 ローズヴェルト大統領史上初めて3期目に当選
1941年 12月7日 日本の真珠湾攻撃
      12月8日 アメリカ第二次大戦参戦

 

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遠からず来る時を前に(2):ひとつの整理

2020年04月24日 | 特別記事

ケンブリッジ大学 『数学橋』Mathematical Bridge (popular name)         

新型コロナウイルスが世界で猛威を奮い始めた今年2月、アメリカで行われた調査(YouGov poll)によると、アメリカ人の29%が人生のどこかで「黙示録」( Apocalypse) 的大災害、災厄が起きると感じているとの結果が報じられた。世界の終わりが近づいているという不安や恐れである。さらに子供の世代まで含めると、その比率はもっと高まるという。

核戦争、大火災、大地震などの震災、疫病、そして近年では地球温暖化がもたらす結果への恐怖心が急速に高まってきた。こうした終末観ともいうべき考えは、キリスト教に限らず、地球上のほとんど全ての宗教に何らかの形で見出されるともいわれている。

N.B.
「黙示録」の流れ
世の中に今日流布している「黙示録」的考えには、次の2つの基本的な理解の流れが存在するとみられる。
(1) ヨハネ黙示録。 ヨハネ黙示録は新約聖書としては唯一の預言書で、ヨハネが神に見せてもらった未来の光景を描いたとされる。この書には、戦乱や飢饉、大地震など、ありとあらゆる禍が書かれている。天使と悪魔の戦いや最後の審判の様子も記されている。
『ヨハネ黙示録』は、破滅、破局やこの世の終わりだけを語るものではなく、その後に訪れる「千年王国」を経て、新しい世界の到来を示す救済の書である。しかし、その救済の前に起こる破滅的な災害の模様が、想像を絶する衝撃的な内容であるため、「黙示録」は「世界の終わりの大災害」と重複し、イメージされるものと考えられる。

(2) 紀元前2世紀から紀元後2~3世紀までのものとされるユダヤ教やキリスト教の預言書。 それら預言書の中でも特に世界の破滅と正義の救済について記述があるもの。預言者の名、あるいは匿名で、未来を預言する書物が多く書かれた。それらは宗教的文学ジャンルの「黙示文学」として分類される。

いずれにしても『黙示録』には「世界の終末」と「最後の審判」、そして「新しい世界の到来」が記されている。


注目される現代人の考え

コロナウイルスが世界に蔓延しつつある今年、タイミングよく出版された一冊の本が注目を集めている。広がる所得や資産の格差、激化するナショナリズム、毎回拡大する森林火災、大地震、津波、南極氷河の顕著な消失など、世界には逆転しない大きな問題が増えてきた。なんとなく大崩壊の崖淵にあるような感じを著者オコネル O’Connell は抱くようになった。人類が長い年月をかけて構築してきた文明の体系が崩壊するのではないか。折しも世界を脅かしつつあるコロナウイルスの大感染は、最後の審判の日のイメージに近づきつつあるようだ。

著者のオコネル は、コロナウイルス感染拡大の4年ほど前から本書を企画していた。終末論に着目し、その日に備える人々( ”preppers”といわれる)のあり方を訪ねて世界中を旅し、そこで出会った人々の対応の有り様を描いた。

世界にはこの世の終わりの最後の審判日にいかに備えるかを考え、様々な対応をしている人々がいる。オコネルが執筆に取りかかった動機には、現代にはその先に何もないという未来の姿を考える人たちが少なくないという認識があったといわれる。世界の終末が近いとしたら、人々はどうするか。


Mark O’Connnel, Notes From an Apocalypse’ Is a Timely Tour of Preparing for the Worst, Doubleday, Granata, 2020.


近世以降に限っても、人間は戦争、疫病、火災、地震、チェルノブイユや福島の原子力事故など様々な恐怖の時代を過ごしてきた。そしてコロナウイルスに世界中が怯える現在が最後の時だとしたら、あなたはどうするか。世界にはもし地球に最後の日が来ても、人類全てが絶滅するわけではないと考える人たちもいる。極端な例としては火星移住を考えたり、金にまかせて、ニュージーランドを購入しようとする人たちまでいる。

スウェーデンの環境保護活動家グレタ・トゥーンベリさん(16)は [ニューヨークで行われる気候変動会議に出席するため、2週間をかけてヨットで太平洋を横断した。彼女は言う:

「あなた方は、自分の子どもたちを愛していると言いながら、その目の前で子どもたちの未来を奪っています。」

信仰の力でその日を迎えるという人たちがいるかと思うと、財力をもってすれば、なんとか自分たちは対応できると考える人たちもいる。後者の中には広大な土地を購入し、強固な掩蔽壕 (shelter , survival bunker)を構築し、それらを購入した人たちとその時に備えている人々もいる。オコネルが訪ね歩いた場所の実態はとにかく驚くばかりだ。これほどまでにして、その日を迎えたいのだろうかと、いささか滑稽に思えることもある。現在進行しているコロナウイルス感染の拡大も、人類が迎える終末の前段階と見る人たちもいる。

猛暑の続くイギリス東部ケンブリッジで2019年7月25日、気温38.7度を記録した。英気象庁が29日、国内の観測史上で最高の気温だとあらためて発表した。
ケンブリッジ大学植物園で7月25日に観測された摂氏38.7度は、2003年に南東部ケント州で観測された最高気温38.5度を上回った。
気象庁職員が植物園に出向き、温度計が正確かどうか確認した上で、新記録だと29日に正式に発表した(BBC 07/25/2019)。

 

世界の近未来はいかなるイメージとなるか。「コロナ後の世界」は少しづつその輪郭を現しつつある。

 

 

続く

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遠からず来る時を前に(1):ひとつの整理

2020年04月21日 | 特別記事

ケンブリッジの春                                                       YK


このブログともホームページともつかない筆者のメモ(心覚え)では、17世紀から現代まで、世の中の様式に制約されることなく脳細胞の片隅に残る様々なことを書き連ねてきた。

原型が作られたのは、ウエッブ上にホームページなるものが増加し始めた今世紀初めの頃であり、ほとんど20年くらい前まで遡ることになる。トピックスはブログ筆者の関心のままに記してきたので、本サイトを訪れてくださる方々にとっては、記事相互間の脈絡も掴みがたく、何を意図しているのだろうかと思われた方も多いことだろう。事実そうした感想をいただいたこともある。

当初から歳とともに衰えてゆく脳細胞記憶能力の外部補完装置のようになればと考えてはいた。思い浮かんだことをその都度、短い記事にしておけば必要な時になんとかなると、索引用語(キーワード)のような役割を期待してきた。そのため、文体も硬くなりがちで、読者の読みやすさは二次的になっていた。

扱われているトピックスは、17世紀の美術から現代の経済社会の出来事までカヴァーしているので、いかなる糸でつながっているのだろうかと思う方が多いのは当然なのだが、筆者が意図したように、ある程度メモが記事の形で累積してみると、少しずつながら共感してくださる方も増えてきた。記事の累積効果と言えるだろうか。

17世紀への想い:危機に生きた画家
最初は17世紀「危機の時代」に生きた画家ジョルジュ・ド・ラトゥールのブログ筆者なりの理解を書き記すことに始まった。単なる作品の印象ではなく、画家の生きた時代へ作品を置き戻してみたいという想いがあった。スタートラインとなった17世紀ヨーロッパは「危機の世紀」といわれたが、その範囲は当初ヨーロッパにとどまると見られていた。ヨーロッパに限っても、小規模のものを含めて、戦争のなかった年はわずか4年しかなかったといわれる。小氷期の到来により気候が寒冷化し 農作物の不作が続いて経済が停滞し、魔女狩りをはじめとする社会不安が増大した。 さらにペストの流行で人口が減少に転じた。 これにより今までの封建的なシステムは崩れ、資本制が広がるようになる。そして、世界は天災、飢饉、疫病、宗教上の争い、魔女狩りなどの政治や社会不安などで溢れていた。

「神聖ローマ帝国の死亡診断書」とも言われる ウェストファリア条約 が結ばれて以降、 「ウェストファリア体制」と呼ばれる 勢力均衡体制が支配する社会となり、安全弁のごとくに各国の相互内政不干渉が保証される。こうして成立した近代主権国家は、20世紀に至るまでの国際社会の基盤を作り上げた。さらに、その後に研究が進み、17世紀は今日では初めて「グローバル危機」を経験した戦争、飢饉、疫病などに覆い尽くされていた世紀とみられるようになった。

「危機の世紀:17世紀」から世界大恐慌まで
この頃のメディアは、文字通り新型コロナウイルスの問題で埋め尽くされている感がある。最近のIMFの成長予測では、この衝撃で世界経済が大きく縮小し、「1930年代の大恐慌以来、最悪の不況を経験する可能性が高い」と強い危機感を示している。現在の見通しでは世界経済は500兆億円超を失うとの見通しである。IMFは2020年の世界経済は前年比で(ー)3.0%と、2009 年のリーマンショック時の(ー)0.1%を上回る減少が予測されている。文字通り「グローバル・クライシス」である。

長らくお読みくださっている方は、ブログ筆者が1930年代の大恐慌期にかなり比重を置いてきたことにお気づくかもしれない。

筆者自らが生きてきた時間の大部分を占める20世紀は「大恐慌」、2度の世界大戦を含む危機の時代であった。最近、「大恐慌」というと、「リーマンショック」(the Great Recessionと呼ばれることもある)のことですかという若い世代に出会っていささか愕然としたが、1930年代の大恐慌 the Great Depression (the Great Crash) をある緊張感を持って思い浮かべることのできる世代も少なくなった。幸いというか、筆者はこの大恐慌からの脱却に多くの形で実際に携わった人々の経験を直接に聞くことができた。

アメリカに国民皆健康保険制度がいまだに存在しないことに、アメリカ人のかなり多くの人は焦燥感を抱いているだろう。民主党大統領候補のバーニー・サンダースが大統領選から撤退することで、悲願でもあり、スローガンのひとつ、アメリカ版「国民皆保険」(メディケア・フォー・オール)制度が誕生する可能性はかなり薄れてしまった。バイデン候補を支持することで、どれだけその志はかなえられるだろうか。コロナウイルスは共和対民主ばかりでなく、民主党の中でもアメリカの政治思想の断絶をさらに深めることになっている。

このたびの新型コロナウイルスの世界的蔓延で、21世紀は前の世紀に続き、後世に「危機の世紀」として記憶されることは決定的となった。すでに、9.11(2001年)、リーマンショック(2008年)、3.11(2011年)と、予期せざる危機を経験してきた人類は、新たな世紀の初頭から並々ならぬ衝撃に対してきた。このたびの危機をいかなる形で乗り切るかで、その後の世界の姿は大きく異なるだろう。

続く

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危機は飛躍の時:見えないものに翻弄される世界(9)

2020年04月17日 | 特別記事

 

緊急事態宣言が全国に拡大された。あまりに遅すぎたとの感は否めない。さらに、一律一人当たり10万円給付の案が急に浮上してきた。与党公明党からの提案となれば、安倍首相、自民党もすげなく断れない。予算はおよそ12兆6000億円ほどになるとのこと。きわめて異例のことだが、新型コロナウイルスの発生と拡大の実態を見れば、1世紀に一度あるか否か、大恐慌以降最悪の国家的危機であることは間違いない。対策も従来の延長線から逸脱して、大きな決断が必要となる。

ブログ筆者としては、こうした危機の時でなければ実験的政策は導入できないと記してきた。歴史を見ても、大恐慌などの時にはそれまで考えられなかった斬新な政策が実行に移された。世界恐慌時、ケインズ理論の政策的体現ともいわれたニューディール政策は1932年、F.D.ローズヴェルト大統領によって テネシー川流域開発公社の設立、更に 農業調整法や 全国産業復興法 の制定の形で導入された。後年、様々な評価がなされたが、当時は大きな不確実さを前提としての飛躍的決断だった。

今回の日本での給付案は、ブログ筆者が示唆したことのあるユニヴァーサル・ベーシックインカム(UBI)の社会実験になるかもしれない。いうまでもなく、このUBIが構想され、前提となっての給付ではない。動機も給付もそれとは全く無関係である。急激に起こった所得機会の減少、滅失などへの緊急対応である。しかし、実施するからには十分にその効果を見つめ、将来の事態への参考とすべきだろう。この給付に人々がいかに反応するか、いかなる形で使われるか、実施してみないと不明な点は多い。しかし所得制限などを考えだすと、議論はとめどなくなり、この危機ではタイミングを逸してしまう。実施するからには、こうした給付が見出した問題を十二分に読み取って今後の検討課題としたい。

日本ではUBIについては、国民的議論がこれまで詰めた形でなされたことはほとんどない。政治家の理解度も様々であり、大多数は平時に実現の可能性はないと思ってきたのではないか。国民の多くはUBIがなんであるかも知らないだろう。

今回は目的も全く異なり、当面、一回限りの給付になるだろうが、国民としてその意味をよく考える得難い機会となる。公平性の問題などについては、後日に租税公課の変更などの道がないわけではない。今は早急、果断に実行することが最重要とされる。危機は通念を離れ、飛躍できるチャンスでもある。


無条件で国民に一定の金額を給付するベーシックインカムは、概念を明確化するため、UBI(Universal Basic Income)と表現されることがある。例えば被災者への給付など、限定かつ特定条件に当てはまる人だけに給付することもベーシックインカムと表現される場合もあり、それではこれまでの社会保障の枠内の施策と本質的に変わらない。

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体温計の新たな可能性:見えないものに翻弄される世界(8)

2020年04月09日 | 特別記事

 

ついに7都道府県に「緊急事態宣言」が宣言された。実施期間は本年4月7日から5月6日まで、外出自粛など人との接触を遠ざける様々な規制が導入される。果たして、これ以上の蔓延は阻止できるだろうか。

「社会的隔離」という哲学的にも聞こえる対策が急速に世界に出回っている。一般に理解されている限りでは、とにかく人との接触をしばらくの間できるだけ避けるということに尽きるようだ。人の集まっている所はウイルスや細菌も多いという事実の裏返しともいえる。世俗の騒がしさを避けて、しばらく静かな環境に身を置くということは、ウイルス対策ばかりでなく、この世界の来し方、そして今後のあり方を考える意味でも良いことだ。

このたびのコロナウイルスの世界的蔓延で、世界中で多くの医療機材や薬剤の不足が発生している。マスクの争奪は世界規模で起き、現在も続いている。その傍ら、新型コロナウイルスに有効なワクチン、治療薬の開発、簡易人工呼吸器などの開発が、世界中で進められている。

国立病院機構新潟病院(柏崎市)の石北直之医師が、3Dプリンターで量産できる簡易な人工呼吸器の実用化を目指し、耐久テストなどを進めている。

体温計:縁の下の力持ち
簡単な医療機材の中で、比較的話題とならないものに体温計がある。日本では一般家庭にも広く普及しているので取り立てて不足は感じられないようだ。しかし、世界にはこれも供給が十分行き届かない地域もある。しかし、体温は病状の確定に欠かせない要件のひとつだ。今回はこの目立たないが重要な医療機材を取り上げたみたい。

最初にウイルス蔓延の地となった中国、武漢では、市民が最も頻繁に目にした医療機材は、マスクと共に、ハンドヘルド型の非接触型体温計(”thermometer guns”)であるといわれている。市内の至る所で額や耳に向けられたピストルのような体温計には多くの人々が辟易したようだ。ハンドヘルド型の体温計は、一般に“spot pyrometers”といわれ、元来機器や工程などでの過熱を予知、測定するために産業用に開発された。

今回のウイルス感染者の発見のプロセスで、空港、港湾などの検疫や街中で使われたのは、ほとんどがこのハンドヘルド型であった。測定のために時間をとれず、公衆衛生面での配慮が必要な場所では、より精度は高いといわれる脇の下、口内などで計る接触型は使えない。

使いやすくなった体温計
日本では体温計はほとんどの家庭で常備品になっていること、マスクのような消耗品ではないことが、逼迫した状態を生んでいないことの理由だろう。子供の頃は家庭、医院を含めて、水銀体温計が多かったが、水銀中毒や破損事故など安全性の点から、今では電子回路のサーミスタが1980年代頃から最も広範に使われている。測定数値もデジタルで表示されるものが多い。水銀計のように測った後で、体温計を振るお馴染の動作は必要なくなった。

さらに高性能だが高価格な赤外線式耳体温計なども開発され、使用されている。人体表面から出ている赤外線を検知することにより、瞬時に測定できるタイプがこれに相当する。安静を保つことが難しい乳幼児の体温を測定することもできる。他の方式と比べて高性能であるが、その分高価となる。

体温計とITの連結
さらに感熱カメラ thermal camera とも言われる計器とスマホとの連携が図られている。サンフランシスコに拠点を置く Kinsa Health Inc *2は、自社が開発したスマホにリンクした体温計アプリを販売している。これを使用していれば、もしスマホの保持者がウイルスに感染すると、体温が即時に測定され、通知を受けたセンターから性別、年齢、体温など症状に応じて、アドヴァイスがなされる仕組みになっている。これまでは同社の目的はインフルエンザ対策にあったが、今や急速にcovit-19に重点が移されている。万一、病状が悪化したりで体温が上昇すると、情報は直ちに Kinsa に送られ、同社は個人の情報の集積を通して、新型コロナウイルスの拡大がいかなる状況にあるかをリアルタイムに近い形で把握しうるようになっている。

こうしたアプリと体温計(感熱カメラ)が組み合わされると、スマホの位置確認とリンクして感染者の多い地域の確定が可能になっている。アメリカではすでに一部は実用化されているようだ。日本ではあまり話題となっていないようなので取り上げてみた。個人情報の保護の問題がここにもあるが、今後の感染症の大規模な蔓延防止を考えると、今のうちに考えておく必要は十分にある。このたびの新型コロナウイルス蔓延の問題に限っても、オンライン診療、クラスターの追跡など多くの可能性も考えられる。人類にとって試練の現在は、未来の勝利につながる時でもある。

References

最初に体温計を考案したのはイタリア の医師サントーリオ・サントーリオ ( 1612年 説もある)といわれている。サントーリオ・サントーリオは ガリレオ・ガリレイ] の同僚であり、その発明である温度計を使って人体の温度を測定した。長く使われていた水銀体温計は、1866年、ドイツのC.エールレが考案し、日本においては1921年、北里柴三郎博士などの医学者が設立した会社が製造した。

*2 “And now here is the fever forecast ”  The  Economist March 28th-April 3rd 2020

 

追記(20200410):

日本でも和歌山県立医科大学などが新型コロナウイルスの濃厚接触者の「健康管理」を目的としたアプリを開発、同県保健所などで使用されていることが報じられた。アメリカ、イギリス、シンガポールなどでも同様のアプリが開発され、導入されていることが短いニュースだが報道されている。
(4月10日朝NHKニュース) 

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必要なのは個人の確立: 見えないものに翻弄される世界(7)

2020年04月03日 | 特別記事


新型コロナウイルスの感染力は想像以上に凄まじい。2019年末に中国において発生したこのウイルス COVID-19はわずか3ヶ月くらいの間に、地球上の大部分に拡大、蔓延した。その感染のメカニズムはインターネット上のウイルスのそれに似通っているところがあるが、それよりも短期間で世界を席巻しパンデミックとなった。なによりも恐ろしいのはウイルスが持つ致死力だ。人類の歴史において、こうしたウイルス、細菌は何度か出現して多くの人命を奪ってきた。

過去150年くらいの間で、人類は医学、薬学など諸科学の進歩でなんとかウイルスや病原菌に対抗する術を獲得してきたが、感染症は絶滅することなく、新たな姿で突如として現れ、人類を脅かしてきた。過去に起きた感染症の歴史を見ると、しばしば人口の大幅な減少を招き、文明の基盤を脅かした。すでにアメリカではまもなく行われる国勢調査への影響が話題となっている。トランプ大統領は最大24万人の感染者が出るとしている

現在進行しているCOVID-19との戦いが如何なる結末を迎えるか、その帰趨の輪郭はいまだ見えていない。東京オリンピック、パラリンピックは来年、2021年に延期されたが、果たして人々が安心して競技をし、それを楽しむことができるような環境が取り戻せるか、本当のところ誰にもわからない。今後、アフリカ、南アメリカなどにウイルスが拡散、浸透して行けば、今後一年余りで開催ができるほどに終息にこぎつけられるのか、大きな不安の暗雲が漂っている。関係者の関心はすでにアフリカ、南アメリカなどの開発途上国のウイルス感染に移っている(例えば、’The next calamity:Covidー19 in the emerging world’ The Economist March 28th-Aoril 3rd 2020)。

ピンチをチャンスに
日本は政府の政策発動が遅いため、地域レベルなどでの対応が必要だ。こうした中で、福島県の中高一貫校がオンライン教育を本格的に導入することがTVで伝えられていた。それを見ていると、来るべき新しい教育の姿の一齣が見えてきた。未だ試行錯誤の試みだが、成果は上がり始めているようだ。例えば、学校のクラスではなかなか発言できない子供たちが、IT上の授業では他人を意識せずに発言する機会が生まれているようだ。

教育にとって、距離は壁ではないという近未来の新たな可能性も見えてきた。IT上の授業は現在の場所に束縛された教育のあり方を考え直す良い機会だ。大学を例にあげれば、校舎やキャンパスの立派なことは、教育にとって本質的に意味がない。オンラインの教育システムが整備、確立されれば、キャンパスは教育の内容をチェックし検討する場であり、必要に応じて時々集まる場所でさえあれば良いはずだ。こんなことを考えながら、ふと目にしたTV番組が「自学ノート」を学齢期から書いている子供の番組を見た。子供の持つ好奇心や探索心を正しく認め、誘導できる大人がいれば、画一的な教育ではなし得ない知的潜在力の開発が期待できる。

COVID-19が発生し、猛威をふるい始めて以来、きわめて多くの虚実入り混じった情報が世界を飛び交っている。それらの中から真実と思われる情報をフルイにかけて選び出すには、受け取る側に多大な努力が必要とされる。そこで柱となりうるものは、理性的判断としか言いようがない。何を選び、何を捨てるか。

社会にも休息を
最近、コロナウイルスへの防備措置として、急速に注目を集めている言葉に、本ブログにも記した「社会的距離」social  distancing という対応がある。一般には、社会生活において他者との物理的距離を2m程度 保ち、人混みを避けるという意味で使われているようだ。あまり分かりやすい用語ではない。

ブログ筆者はこの言葉を使うなら、さらに進めて、社会との関連で個人の独立の程度を深めるという意味で理解したい。混迷の只中にある現在、求められているのは、偽りの情報を判別、排除し、他人や権威への安易な依存から脱却し、個人の独立を深めることではないか。都市の外出規制などで、これまで実現しなかった大気汚染の減少など思いがけない効果も生まれている。スモッグで汚れきったパリ、ロンドン、北京など大都市に久しく忘れられていた青空が戻っている。これまで休むことなく走り続けてきた社会に休息を与え、適切に定義された望ましい社会と個人の関係を考える良い機会ではないか。

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1918年のパンデミックに学ぶ:見えないものに翻弄される世界(6)

2020年03月28日 | 特別記事

時代の科学
コロナウイルスを取り上げた科学論文の数の推移
中国人の論文投稿が急速に増えているという。
The Economist  March 20th 2020

 

新型コロナウイルスという経験したことのない危機に直面することになった世界だが、3月25日、東京都の小池知事は記者会見を開催、東京都の現在の状況が「感染爆発:重大局面」として極めて憂慮される段階を迎えたと危機感を表明した。感染者が爆発的に増加するオーバーシュートが起こる危機的段階にあるとの認識である。

この日、東京都は1日に発表する人数としては最高の41名の新型コロナウイルス感染者を公表した。知事は、週末は不要不急の外出を控えるよう要請した。この翌日には発表された東京都の感染者はこれまでの最多の47名となった。

他方、外務省は世界全体の感染状態を「レヴェル2」に引き上げた。特に必要ではない海外渡航はやめるよう国民に要請した。現在は164カ国が日本人あるいは日本人を含む外国民に関し、移動の制限を行っている。

一世紀に一回の病原体蔓延:1918年のパンデミックの例
人間はこのたびのパンデミックのような事態を経験すると、ほとんど本能的に過去に同様な出来事があったか、判断基準になるようなものを求める。このたびの新型コロナウイルスの蔓延に直面して、しばしば話題となっているのは1918年に起きた「スペイン風邪」の例だ。この年5月にそれまで発見されなかった新種のウイルスによる風邪のような症状を呈する感染症がアメリカ、ヨーロッパなどで蔓延した。当時は第一次世界大戦の最中で、アメリカが参戦し欧州に大規模な軍隊を派遣したことで、軍隊と共に欧州に持ち込まれたと推定された。

「スペイン風邪」の名は、当時は数少ない中立国であり、戦時報道管制の外にあったスペインの名が使われてしまったようだ。実際、スペインでも1918年5月にマドリッドを中心に大規模な蔓延が起きたことが記録されている。そうしたこともあってか「スペイン風邪」の俗称で知られることになった。
    

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N.B.

実際にはフランス、中国起源説を含めて諸説あるが、ひとつの有力な説は1918年春、アメリカ・カンザス州にあるファンストン基地(現在のライリー基地)の兵営からだとされる。カナダガンから豚にウイルスを移し、それが変異して人に感染するようになったとの説が有力だ。
1918年から1920年までの約2年間、新型ウイルスによるパンデミックが起こり、当時の世界人口約18億人の半数から3分のが感染、世界人口の3〜5%が死亡したと推定されているが、必ずしも信頼できる数値ではない。その後の研究でパンデミックを起こしたのは、「ヒトA型インフルエンザウイルスH1N1型」と特定されている。
日本については、最終的に当時の日本内地の総人口約5600万人のうち、0.8%強に当たる45万人が死亡した。当時、日本は台湾と朝鮮等を統治していたので、日本統治下全体での死者は74万人、0.96%と推定されている(速水、200年)。


石弘之『感染症の世界史』(角川ソフィア文庫、平成30年、pp212-227)

 速水融 『日本を襲ったスペイン・インフルエンザ 人類とウイルスの第一次世界戦争』  藤原書店 2006年
速水書については、「活字の海で 歴史人口学者の遺作が警鐘」『日本経済新聞』2020年3月28日 でも取り上げられている。

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コロナウイルスに打ち勝つには
今回の新型コロナウイルスはその感染拡大の速さと規模から見て、1918年のパンデミックがそうであったように、1世紀に1回あるかどうかの大事件として後世に記録されることはほとんど間違いないだろう。有効な治療が期待できないままに経過すれば、心臓血管系の病気で死亡する場合の3倍近くの死亡を覚悟しなければならないとの厳しい見通しもある(Report  of Imperial College, London, 2020)。

こうした事態を回避するために有効とされているのはウイルスとの接触を回避するために、感染源から「社会的距離」(social standing 実際には物理的な距離)を保ち、ウイルスの嵐が過ぎ去るのを待つことが唯一有効な対応のようだ。地域での対応として、中国のように「抑圧」suppression という強硬手段を取り難い西欧や日本では「緩和」mitigation という手段しかない。

東京五輪という重要課題を抱えた日本は、さらに大きな難題に向かわねばならない。現在の新型コロナウイルスの制圧には少なくも1年を要するとされる。なんとか本年中に鎮静化したとしても、来年2021年の冬にウイルスの再燃が起きたりすると、全ては水の泡になりかねない。開催期間は延期されたとはいえ、東京五輪の今後も楽観できない。

このたびの新型コロナウイルスについては、WHOによると、現在の段階では使用できるワクチンの開発も早くて1年から1年半を要するといわれ、不幸にして感染、入院治療を受けるような場合には、現在他の病気に使われている治療薬などを出来る限り使用する以外はないようだ。

本ブログでは、以前に21世紀が「グローバル危機」の世紀として後世に記憶されるものとなることを記した。今世紀初めの9.11、日本が経験した3.11に続き、このたびの新型コロナウイルスの世界的な蔓延によって、我々が生きている時代が尋常なものではないことが決定的になった。

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歴史を行き来して今後に備える: 見えないものに翻弄される世界(5)

2020年03月20日 | 特別記事

 

新型コロナウイルスの猛威はグローバルな次元へ広がり、瞬く間に感染者が増大した。トランプ大統領のように自分は戦時下の大統領だと胸を張ったり、フランスやドイツのように、現時は戦争状態あるいは第二次大戦以来の危機と主張する首脳も増えた。終息の見通しは未だついていない。ブログ筆者は比較的早い時期に指摘してきたが、今では世界がパンデミック(世界的流行病)状況にあることを否定する者は少ない。

世界に緊張が走る中で、とりわけ目立つのは、国境を越えて移動する人々の激減である。日本についてみると、訪日外国人数は対前年同月比でマイナス58.3%の激減となってしまった。しかし、少し冷静に見れば日本はあまりに手放しでインバウンドに期待をかけすぎてきた。外国人労働者にはかなり厳しい制限を実施しながら、購買意欲の高い観光客なら多ければ多いほどいいという風潮が生まれていた。

ヒトの移動と共に生まれるエピデミック、パンデミック
本ブログは、当初から歴史の軸上を行き交う時空の旅を試みてきたが、人類の歴史で疫病や天災が人類に与えた衝撃の例は数多い。そして、エピデミック(病気の一時的蔓延)やパンデミックは経済成長に伴い、不可避的な随伴物として出現したといえる。言い換えると、経済発展がヨーロッパなどの旧大陸から、新大陸アメリカあるいはアジアなどへ拡大するに伴って、病原菌やウイルスも人の往来の増加に伴い、見えない手を広げてきた。

人類の歴史は、古代の帝国から今日の統合された世界へと拡大を遂げてきた。相互に関連する貿易のネットワークと繁栄した都市は、社会を豊かだが壊れやすい脆弱なものにしてきた。人口増加、都市集中、環境 破壊などによって、感染症流行のリスクは格段に増加してきた。

新型コロナウイルス蔓延の結果は、過去の病原菌蔓延のそれとは大きく異なる点がある。公共衛生を含む科学的知識が普及する以前は、過去の病原菌は多くの人々の生命を奪い、しばしば窮迫した状況をつくりだしてきた。原因となった病原菌についての同時代人の知識も極めて乏しく、なす術がなかった。しかし、今回の事態ではかなりの程度、人間は自己防御の術を身につけるまでにいたっている。しかし、対する見えない敵は一段と手強さを増している。

感染=死であった17世紀
このブログ開設以来の中心的関心事である17世紀ヨーロッパにおいては、黒死病やペストなどの疫病に感染すれば、ほとんど例外なく死亡につながった。それだけに人々の恐怖心も強く、なんとか救いを求めて、宗教に頼り、祈り、絶望し、妖術や魔術などに救いを求めようとの動きも高まった。

ブログ筆者が長年、追いかけてきた17世紀ロレーヌの画家ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの一家の晩年にも、感染症の嵐が襲ったことが記録から推定される。

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ラ・トゥール夫妻の最後
1652年1月15日 ラ・トゥールの妻ディアヌ・ル・ネール夫人、熱と心臓動悸の症状で死亡。
同年1月30日 画家ジョルジュ・ド・ラ・トゥール胸膜炎で死亡。 
病状は急激に悪化したようだ。法律的知識も深く、家族などへの配慮も怠らなかったラ・トゥールだが遺言状も書き残す時間すらなかったとみられる。1月22日にはモントバンの名で知られていた同家の使用人も同様な症状で死んでいる記録があり、当時流行していた感染症が一家を襲った結果と推定される。
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ペストの蔓延時には多くの死者が出たために、結果として農民の農耕能力よりも大きな土地が残った。黒死病はヨーロッパの人口を1/3~2/3にまで減少させるような大きな影響を残した。突然の働き手の希少化は領主との交渉力を引き上げた。結果として封建制の解体を早めた面がある。マルサスの理論が生まれる基盤があった。

新型コロナウイルスのパンデミックがもたらす人的損失は恐ろしいが、医学の進歩もあり、感染者の全てが死亡するわけではない。

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N,B.
世界史上最初のパンデミックといえる1918年のインフルエンザ(スペイン風邪)は 4000万以上の死者を出したと推定される。 

2007年のHIV感染者は3320万、新規感染者250万、 エイズによる死者210万、 マラリアは、全世界で年間に3億~5億人の患者、150万 人~270万人の死者(90%はアフリカ熱帯地方) を出した。
さらに、新興感染症(SARS:感染者数8096人、死者数774人、MERS: 感染者数 約2500人、死者数 約860人、新型インフル エンザウイルス感染症: 感染者多数 死者数1万8千人以上など)、再興感染症(結核、性的感染症、薬剤耐性 の進化 etc.)などによって、感染症撲滅に関する1980 年代までの楽観論は消滅した。 (資料:『朝日新聞』2020年3月21日 WHOその他)
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パンデミックが残す傷痕
パンデミックはその嵐が通り過ぎた後に必ず傷痕を社会に残す。このたびの嵐の行方は未だ見えていないが、歴然とした影響を社会の様々な分野に残すだろう。すでにかなりはっきりしているのは、国境を越えて移動する人々の流れは減少することである。例えば、クルーズ・シップでの観光の旅に出ようとする人々の数は、明らかに減少する。一般のツーリストもすぐには復元しないだろう。観光業は苦難の時が続く。

オーバーシュート(爆発的増加)に苦慮する国々
公衆衛生、医療の充実への人々の欲求は明らかに強まるだろう。隣国からの言われなき批判も受けながらも、現在までのところ日本はなんとか持ちこたえている。

ヨーロッパでは、国別の差異が顕著だ。イタリアの事態はある程度予期されていた。ブログ筆者が北部の「第3イタリア」に注目し、調査を続けていた頃から、ミラノ、プラトーなどでの中国人低賃金労働者、小規模経営者の隠れた増加が話題となっていた。隠れた不法就労者も多く、地元の伝統的企業との間に軋轢も生まれていた。これら中国人低賃金労働者に基づくイタリアン・ブランド復活の影が、今回の同地の惨状にも影響していると思われる。経済的停滞が医療サービスの劣化も生んでいた。湖北省の感染鎮圧の行方が見えてきた中国政府が、イタリアに多額の医療支援の手を伸ばすのは、単なる人道的支援を目指す熱意にとどまらない相当の理由があってのことである。さらに「一帯一路」構想のヨーロッパの終点は、イタリアが予期されていた。

ヨーロッパの他国に目を移すと、ドイツは感染者数は多い。しかし、感染しても死亡率は格段に低い(死亡率約0.2%)。この背景には、国民皆保険があり、外来による治療は無料、ホームドクターへの専門的教育、かかりつけ医と専門病院、総合病院、大学病院との役割分担の明確化が進んでいることが大きな要因と考えられる。日本も制度的には類似しているが、ドイツほど相互の関係がはっきりと順守されていない。どちらが良いと一概に決められない問題がある。

アメリカが苦戦している背景には、国民皆保険が存在しないことが影響している。民主党大統領候補バーニー・サンダースがこの点の充実を旗印にしながらも苦戦しているのは様々な理由があるが、「社会主義思想」に関するアメリカ固有の思想環境が影響している。

新型コロナウイルスとの戦いは未だ終わっていない。激戦の時はこれからかもしれない。その帰趨をしっかりと見定めることは、次世代に残す我々の責任であると言えよう。

 

Reference
’The ravages of time’ The Economist March 14th-20th

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ピンチをチャンスに:見えないものに翻弄される世界(4)

2020年03月14日 | 特別記事


パンデミックの世界に生きる
これまで春先の花粉シーズンの風物詩のようになっていた日本社会のマスク姿だが、今年(2020年)は年初から大きく一変した。3月の東京都心などでは歩行者の7〜8割がマスクをかけているのではないかと思われる。これまでは花粉シーズンでもマスク姿は2−3割ではなかっただろうか。いまやマスクをかけていない人の方が注目を集めてしまう異様な社会となってしまった。

新型コロナウイルスの感染者が発見されてから、3ヶ月に満たない期間に、世界は瞬く間に不安と恐怖の渦に巻き込まれてしまった。その範囲は単に健康面に限らず、マスクからトイレットペーパーにいたる日用品などの買い占め、商品払底、インバウンド客の激減、学校や企業の活動制限、さらに国家レヴェルでの外国からの人の受け入れ制限、株価急落など、止めどもなく広がっている。3月13日、新型コロナウイルス改正特措法が成立し、緊急事態宣言を出すことも可能になった。

世界も一時のように日本の対応を生温いなどと批判、傍観しているどころではなくなり、多くの国が足元に火がついたように、混迷状態に陥っている。日本の現状はなんとか「持ちこたえている」と判断されているが、オリンピック開催国としてこの国は最も難しい決断を迫られていると言えるだろう。日本が感染者を押さえ込んだとしても、選手を送り込んでくる国々で感染を終息できなければリスクが大きく、開催は難しい。

かくするうちに、新型コロナウイルスの脅威は世界を席巻し、中国、韓国、日本などからイタリア、フランス、ドイツなどヨーロッパへ、そしてアメリカへと拡大した。今後は冬を迎える南半球がウイルスの嵐に襲われる。

中国の思わぬ挫折で米中対決に一息ついたかに見えたトランプ大統領だが、足元に火がつき、3月11日、イギリスを除く欧州26カ国からの渡航停止を発表し、大西洋を挟むアメリカとヨーロッパの人流は制限解除までは激減する。3月13日には非常事態宣言が発せられた。

3月9日にはニューヨーク株が2000ドルを越える急落を記録し、下げ幅は史上最大となった。原油、金融関連商品も大幅に下落した。1930年代の大恐慌を彷彿とさせる。3月12日には2352ドルと取引停止になる程大きく急落し、ほとんど右往左往の状態となった。

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1929年10月24日、後にBlack Thursday(暗黒の木曜日)と呼ばれるようになるこの日、ウォール街のニューヨーク証券取引所で株価の大暴落が起こっている。
1933年3月4日 ローズヴェルト大統領は、就任演説で国民を勇気づける名言を残した。:「我々が唯一恐れなければならないものは、恐れる気持ちそのものです」”The only thing we have to fear is fear itself.”
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ピンチをチャンスに変える
現在必要なことは事態の深刻さを冷静に捉え、あるべき政策秩序を実行、維持することではないか。緊急の対応処理という目前のレヴェルから進んで、この降って沸いた災難をチャンスと捉え、これまでできなかった中長期の構造的な改革に向けて方向を切り替えることに活路を見出すべきだろう。

ひとつの手がかりは、1930年代の大恐慌のさなか、1933年に大統領に就任したフランクリン・ルーズベルトのもと、「ニューディール政策」を実施した歴史的出来事を振り返ることにある。それまでのアメリカは、政府の市場への介入を限定的にした自由主義的な経済政策をとっていたが、ここからは政府が積極的に市場に介入する方針へ転換した。その際掲げられた目標は、Relief(救済) Reconstruction(回復) Reform(改革)という3本の柱を軸とする政策体系だった。ニューディールは、この3つのRの頭文字から成り立っていた。 ブログ筆者が若い頃アメリカで師事した教師には、「ニューディーラー」といわれる社会主義的とも言える革新的な考えを持った人たちが多かった。今日、民主党の大統領候補、バーニー・サンダースの演説を聞くと、彼らの面影が重なってくる。

今回の危機的状況でこれに倣うならば、例えばひとつの案として次のような整理ができるかもしれない:
 
1) Rescue & Relief (緊急救済)・・・・・感染者の発見から重傷者の治療まで目前の事態への的確な対処。PCR検査(今月中に8000件まで可能に)、X線、CTなど検査・診断方法の充実と果断な実行。自宅を含め隔離措置など。窮迫世帯への生活費助成など。「新型コロナ対策特措法」はその手がかりになるだろう。

2) Reconstruction&Remedies(治療、再建復興)・・・・・ワクチン開発、治療薬・措置の確立。医療・ヘルス・システムを根本的に改善、改革。医療崩壊に至る危険を極力回避する。日本版CDC( 米疾病対策センター)の検討、確立など、医療・衛生システムを根本的に見直す。消費税大幅軽減を含め、経済体力を充実するための諸手段の実施。最低賃金引き上げを含む格差縮小、繁栄から取り残された人々の救済など。
  
3) Reform(改革)・・・・・社会保障制度、医療制度など新たな視点からの抜本的見直し。金融・財政面での秩序を取り戻す。

強調されるべきは、混迷している問題群を整理し、緊急度に応じて分類、平常時には実現し難いような抜本的制度改革などに着手することだ。こうした非常事態の時には、平時には導入し難いような様々な実験的な施策も実験できる。(ユニヴァーサル)ベイシック・インカムなどは格好の検討候補となりえよう。

 

Reference
“The right medicine for the world economy” The Economist 7th-13th 2020
Annie Lowrey, Give People Money, Crown 2018 (アニー・ローリー (上原祐美子訳) 『みんなにお金を配ったら』みすず書房、2019年)

☆ベイシック。インカム(ユニヴァーサル・ベイシックインカム:UBI)以外にも、多くの革新的政策が考えられるが、平時には新たな政策導入へのためらい、利害関係者の反対などがあり、実験的にも導入が極めて困難なことが多い。しかし、今回のような危機的状況にあっては医療上も従来使用していなかった新薬の投与など通常は障壁が高い対応も実験的実施がなしうることが多い。

 

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