Michel Houellebecq, Soumission,2015
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アメリカ、ニューイングランドに住む友人からのメールが、このところの猛吹雪が常軌を逸した激しいものであることを伝えてきた。若いころからのスキーヤーで、大雪はいつも歓迎していたが、昨年は自宅周辺の除雪が間に合わないほどの豪雪に、ついに転居を決めたという。今回はそれをはるかに上回る積雪量であったようだ。
この頃は、毎朝の新聞、TVを見ることが恐ろしいほど異常な出来事が増えている。この点については、ブログでも記したことがある。とりわけ、21世紀に入ってから「極限事象」ともいうべき、通常ならほとんど起こりえないことが頻発している。あの9.11(米国同時多発テロ)、3.11(東日本大震災)は世界史上に残る象徴的な大惨事、災害だが、世界中で異常な事象は天災、人災を問わず発生しており、最近では統計的にもかなりの程度、確認されている。単に偶発的に起きているだけのことではないようだ。
しかし、極限事象といっても、地球温暖化、大気汚染、大地震・津波、火山噴火、エボラ出血熱、鳥ウイルス、口蹄疫蔓延のような現象と、テロリズムや無差別銃乱射のような現象では発生の状況や原因もまったく異なる。グローバルな次元で、こうした諸現象が総合的・累積的にいかなる評価がなしうるか、ほとんど明らかではない。さらに、対策については、科学者も個別の事象への対応に追われていて、個別の対応だけで将来も切り抜けられるのか、体系的にはほとんど不明なままになっている。
問題は、こうした事象が発生する背景も十分確認できないままに、それぞれに異なる事象が重複し、解決することなく拡大していることだ。部分的にはエボラ出血熱などへのワクチン開発、大気汚染への対策など、発生源、原因への手立てが少しづつ進んでいる分野もないわけではない。しかし、ほとんどの問題は発生の根源自体が,十分確認されていない。
「イスラム国」問題
このたびの「イスラム国」テロリズム集団による日本人拘束、殺害事件も明らかに極限事象というべき範疇に入るだろう。非人道的で、残虐極まりなく許しがたい出来事である。直前にはフランスでの連続テロ事件もあり、まったく予想ができなかった事件ではない。
人質が焦点となる出来事は日本も経験がないわけではない。中東地域で日本あるいは日本人が巻き込まれる可能性は絶えず存在した。しかし、確率的には小さいと考えられてきたことに加えて、この種の出来事は、それぞれに異なった環境条件の下で発生している。
国際間の協調的行動などで、非常事態において、ある程度共通した対応の手順が合意され、成立している場合もある。しかし、今回のような「時間」という厳しい制約を盾に、巨額な要求を行い、相手の対応が整わない間に非人間的、極悪な行為でさらに次の譲歩を図るという悪のエスカレーションには、言葉を失う。行為自体が非人道的であり、その衝撃はあまりに大きい。
卑劣で狂信的なテロリズムから無縁な国はなくなっている。国際的な連携と絶滅への努力は不可欠だが、たやすいことではない。
イスラムへの理解
「イスラム国」に象徴される過激派によるテロリズムについては、日本人は他の西欧諸国と比較すると、国民一般の認識度が十分でなかったことは指摘すべきだろう。アルカイーダの活動実態についても、多くは映像で見るだけであった。幸いといえば幸いであったかもしれないが、今回のように日本人を直接標的とする現実が起きてみると、到底アクション映画を見ている場合とは次元を異にする衝撃的状況が一挙に生まれる。いうまでもなく、「イスラム国」は国際的に認められた「国家」でもないし、イスラムを名乗っても、イスラム教とは無関係なテロリズム集団だ。
これまで、中東産油国を中心としてイスラム系諸国と日本のつながりは、どちらかというと原油の供給源としての認識度が強く、経済的次元が偏重されてきた。日本におけるイスラムの宗教、文化面でについての理解度はかなり遅れていたといわざるをえない。大学などの高等教育の次元でも、時にアラビア語の講座が設置されている場合などはあるが、イスラム圏全体をカヴァーする政治、経済、文化など、実質的にイスラムを学ぶ講座が準備されている例はきわめて少ない。本格的に学ぶには、イスラム圏の大学、イスラム研究に歴史のある西欧の大学などに留学するなどの選択が必要になる。
これまでの人生で、比較的広い経験を積むことができた管理人の場合でも、イスラム諸国の知人、友人となると極端に少ない。イギリス滞在時代に家主の友人のつながりなどで、わずかな知己を得ただけであった。その過程で彼らがイギリス社会で置かれている立場や語られることの少ない社会的経験の一端を知ったにすぎない。
若い頃にはエネルギー調査などの縁もあって、いくつかの中東諸国を訪れる機会はあったが、OPECがウイーンの雑居ビルに存在したような時代でもあり、知り得たことも限られていた。その後1970-80年代に「ゲストワーカー」の調査で、ドイツとトルコの実地調査などを行ったが、今考えてみれば、イスラム文化の一端に触れた程度だった。その後様変わりして大発展した中東産油国のドバイ、バーレンなどでも、当時は基本的に砂漠の国であった。自家用車のバンパーを純金にするよう発注した王家のプリンスなどの話がまかり通っていた。その後サッカーなどを通して、イスラム諸国について一部の知識は増えたとはいえ、日本人全体としても本質的な部分での理解が大きく深まったとは思えない。
このたびの残酷な出来事は、未だ継続している問題であり、「イスラム国」を主な対象とするテロリズム撲滅の政策方向がある程度の結果を見せるまでにはかなりの時間が必要だろう。これが唯一の対応であるかについても、かなりの疑問が残る。狂信的なイスラム過激派のような集団・組織が残存し、活動するかぎり、世界に不安と恐怖の種は尽きない。さらに、こうしたイスラムとは無関係なテロリズム集団と、他方長い歴史を持つイスラムとの区分が十分に理解され、明確にされないかぎり、自分の信仰対象ではない宗教(あるいは信仰する人々)へのいわれなき誤解も浸透する。
宗教戦争の時代に
時代は遠く16-17世紀の世界にさかのぼる。このブログで取り上げてきた17世紀のロレーヌ、そして広くヨーロッパは、すさまじい宗教戦争の様相を呈していた。オスマン帝国とヨーロッパの衝突は続いていたが、ヨーロッパ内部ではキリスト教の宗教改革を発端として、大小の宗教戦争が続いた。
宗教戦争はしばしば激烈な様相を呈し、平静、共存の段階に達するまでに長い時を要する。政治と宗教が重なり合う覇権争いが、なんとか平静化し、共存の過程にいたるまでにはきわめて長い時を要する。イスラム教とは関係のない「イスラム国」の問題は別としても、現在進行中のイスラム宗派、部族間の争いは、宗教と政治が重なり合い、当事者でも状況判定が難しいほどに複雑化している。中東イスラム諸国間の混沌とした状況が落ち着くには、かなり時間がかかるだろう。
さらに将来を見通すと、伝統的なキリスト教国である西欧諸国が衰退の色濃い時代が待ち受けている。フランスの連続テロ事件とほぼ合致するように、パリがイスラムで覆われる近未来を描いたともいわれるミッシェル・ウエルベック Michel Houellebecq の小説 Soumission,2015 (英語:submission 服従、屈服の意味)が話題になっている。パリにおけるイスラムの浸透・拡大は個人的な体験を通してみても、驚くほど進んだ。しかし、どれだけ融合したのかは定かではない。それどころか、イスラムに代表される外国人の増加に反対する国民戦線のような右派政党が支持を集めている。
日本についてみれば、これからの若い世代にとって、新たな視点で宗教、とりわけ日本人からは遠い位置にあるイスラム教とその世界を学び直すことがどうしても必要ではないか。「宗教の衝突」が「文明の衝突」に至らぬ前に、少なくもお互いに相手を正しく理解する場を準備・拡大しなければと思う。次の世代のことを考えると、状況はかなり切迫している。
追記
近年の世界の激変ぶりに目を奪われて、ブログの柱のひとつにしてきた17世紀の画家ジョルジュ・ド・ラトゥールの作品と生涯について記す時間が少なくなってしまった。17世紀フランスを代表する著名な大画家であるにもかかわらず、日本では必ずしも知られていない。同時代の周辺画家を含め、若い世代のためにも記してみたいことはあまりに多い。質問や要望も増加しているので、なるべく早期にタイムマシンに戻ることにしたいのだが。