時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

謎の3人組?:私たちは誰

2017年06月28日 | 絵のある部屋

画題と画家は後出
クリックで拡大 

 なんとなくいわくありげな若者が3人並んで描かれ、右隅には男の子らしい子供が描かれている。しかし、作品自体は描きかけで、未完成な段階にあるようだ。この絵を最初見たとき、筆者は一瞬デュマの「3銃士?」と思いかけたが、もしかすると、ル・ナン兄弟の「集団肖像画」では?と思い直した。その直感はかなり当たっているかもしれないと思う議論に間もなく出会うことになる。

これまでの人生で、筆者は専門としてきた産業経済・労働領域との関連で、一貫して広く「働くこと」(work) の意義とイメージを、新たな観点から探索してみたいという思いを持ち続けてきた。それは歴史上で振り返ると、17世紀のフランスのパン屋や鍛冶や画家の工房などでの画家の熟練の養成のあり方であり、農民や職人たちの働く姿であり、産業革命期から連綿として続く女性や児童労働の姿の再確認であった。さらにそれらは現代社会で緊迫した局面を作り出している移民、外国人労働者たちの諸相へも繋がる課題である。グローバル化に伴う労働の本質的変化の展望でもある。

筆者が長らく探索を続けている17世紀の画家ジョルジュ・ド・ラ・トゥールとほぼ同時代人の画家で、ラ・トゥール同様に大きな関心を抱いてきた画家にル・ナン兄弟がある。「農民の家族」など地味な画題が多い。当時の仕事の世界を思い浮かべるに格好な材料を提供してくれる。しかし、兄弟は実際には宗教画も世俗画も描いていた。ル・ナン兄弟の作品に関わる最大の問題は、ある特定の作品が3人の兄弟✳︎の誰の手になるものかを確認することが極めて困難なことだった。

✳︎アントワーヌAntoine(一六〇〇頃―四八)、ルイLouis(一六〇〇―四八)の双子の兄弟とマティユーMathieu(一六〇七頃―七七)の三人兄弟である 


最近、刊行された本格的な研究書によると、この作品はル・ナン兄弟 Le Nain brothers、Louis, Antoine, Mathieu の肖像画(未完成)であるようだ。1936年にナショナル・ギャラリーの所蔵に決まった当時は、ル・ナン兄弟に倣った無名画家の作品とも考えられたようだ。

近年の専門家の鑑定によると、3つの理由が挙げられている。第一は、描かれた人物が兄弟としてのお互いに類似するかなり顕著な特徴を持っていることである。最も顕著な点は3人の鼻と眼である。第二は、お互いに2−3歳の差を保ち、兄弟としての相応のバランスを保っている。第三は、真ん中に位置する男が見る者へ視線を返している点である。言い換えると、当時オランダで流行した3人の集団肖像画の体裁で、兄弟を描いた中心人物と推定される。となると、その画家はマティユーMathieuということになる。しかし、ストーリーは、複雑化する要因を内在していた。ナショナル・ギャラリーが作品を取得した当時は、作品は未熟で公開には適さないと考えられた。しかし、管内で洗浄などの作業を行なっていると、右側に当初は分からなかった子供の姿が発見されるなどの事実発見があった。画家が当初のアイディアを捨てて、別の発想へ移行した場合、新しいキャンヴァスではなく、現在の画面を塗りつぶして使うことはしばしばあったことが分かっている。この子供と3人の男たちは無関係なのだろうか。実は画面右側下部の未完成部分などを考えると、謎は十分解明されていない。制作年代は使用されている顔料についての研究から1630-40年代と推定されている。

作品は未完成ではあるが、ほぼ完成している3人の男の描写、画家が構想したプロット(真ん中の男が最年少のマティユーとは断定できないように工夫されている可能性もある)などを含めて、今日では優れた肖像画と考えられている。一見単純に見えて、謎はまだ解かれていない。


 C. D. DICKERSON III AND ESTHER BELL, THE BOROTHERS LE NAIN: PAINTERS OF SEVENTEENTH-CENTURY FRANCE, New Haven and London:Yale University Press, 2016. KIMBELL ART MUSEUM, FORT WORTH, TEXAS, FINE ARTS MUSEUMS OF SAN FRANCISCO.

作品

Le Nain brothers, Three Men and a Boy, National Gallery, London 

 

 

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トランプも勝つことがある

2017年06月27日 | 移民政策を追って

 


新たな混乱の始まりか
 アメリカのトランプ大統領が去る1月に出した中東、アフリカなどからの人の入国を制限する大統領令は、州最高裁、控訴裁などの判決で、全米で執行が停止されてきたが、連邦最高裁判所は6月26日、政権側の申し立てを部分的に認め、一定の条件を満たす人を対象から除いたうえで執行されることになった。人の移動の自由が一時的とはいえ制限されている現状は、「アメリカの国益が損なわれる」などを理由として、政権側の申し立てを部分的に認めることになった。

アメリカに家族が住む人や大学への入学を許可された人、アメリカ企業に雇用された人など、アメリカと「真正な関係」bona fide relationship があるとされた人を入国制限の対象から除いたうえで、大統領令が執行されることになった。また、連邦最高裁判所は口頭だが、大統領令の憲法上の問題は、今年秋に改めて全面的に審理するとしている。

トランプ大統領は、就任直後の本年1月下旬、テロ対策を強化し、入国審査を厳格化するためとして、シリア、イラク、イラン、スーダン、リビア、ソマリア、イエメンの7か国の人の入国を90日間、一時的に禁止し、すべての国からの難民の受け入れも120日間停止する大統領令に署名した。
しかし、入国禁止の措置はイスラム教徒をねらったもので、差別的だという批判や反発が国内外で広がったうえ、事前の予告がなく大統領令が執行されたこともあり、アメリカ各地の空港に到着した人が入国を拒否されたり、入管当局に拘束されたりして混乱も起きた。

トランプ大統領は声明を出し、「国の安全保障にとって明らかな勝利だ。私の第一の責任は国民の安全を確保することであり、今回の判断によって国を守るための重要な手段を使うことができる」と強調した。

アメリカの連邦最高裁判所は、去年2月、9人の判事のうちの1人スカリア氏が死去したあと欠員が生じていたが、トランプ大統領が指名した保守派の判事がことし4月、議会で承認されたことで、現在は判事の過半数を保守派が占めている。今回も9人が基本線で賛同した。

なお、今回、連邦最高裁判所は、トランプ大統領が指名したナイル・ゴーサッチ氏など3人の判事は今回の判断に賛同しながらも、大統領令の全面的な執行を認めるべきだと主張したことも明らかにした。

アメリカが大統領令として、大きな権限を認めてきた背景には、冷戦の最中、共産主義への恐れを反映し1952年に成立した連邦法、the Immigration and Nationality Act の歴史的影響が大きい。共産主義への脅威が、イスラムを背景とするテロリズムに転換したともいえる。今回の連邦最高裁の裁定も、移民政策の根底にある問題を解決するものではないため、トランプ政権による入国管理規制が実施されると、新たな混乱や衝突が再燃、拡大する可能性は極めて高い。勝負はまだまだ序の口だ。最後の勝ちを手中にするものは誰だろう。 

 

✳︎ アメリカ移民制度の主要問題点については、「終わりなき旅:混迷するアメリカ移民制度改革」なども参照いただきたい。
 
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「壁」さまざま

2017年06月19日 | 午後のティールーム

 

ジョンパ・ラヒリ(中嶋浩郎訳)『べつの言葉で』In Altre Parole (新潮社、2015年)
表紙(クリックで拡大) 

 

 いつの頃からか、古書や評価の定まった書籍以外は、自分の手にとって確認しないと購入意欲が高まらないようになった。人生の残りの長さが見えて来た頃から、意図して蔵書を整理して来た。その反動からか、手元に残っている書籍の中には、愛おしく長い間の友人のような気がするものもある。

 元来、長く手にする書籍は表紙や紙質まで気になったこともあった。出版社の好みか、名作に「ゾッキ本」(死語かも)のような品のない表紙が付いていると、他の出版社の版はないだろうかと探したこともあった。実際、海外の出版社の場合、とりわけPBの場合など、これはひどいなあと驚くようなデザインの表紙が付いていたりする。

最近読んだ一冊、ジョンパ・ラヒリ(中嶋浩郎訳)『べつの言葉で』 In Altre Parole (新潮社、2015年)について、少し記してみよう。書店でふと手にしたこの本、表紙に目が止まった。顔は判然としないが少女?が一人、数歩は必要と思われる道(線路?)の真ん中を跳ねるように渡っている。後方には屋台のような屋根のある店が写っている。モノクロの表紙で、何を意味しているのか、一見した限りではわからなかった。

ローマでイタリア人のジョンパ・ラヒリという著者も馴染みはなかったが、どこか耳に残っていた。西欧の名前ではない。ひとつだけ、訳者の中嶋浩郎氏の名前は『ルネサンスの画家ポントルモの日記』で、知っていた。手堅い翻訳者という印象で、この珍しいテーマの本は大変興味深く読んだ。

さて、ジョンパ・ラヒリは女性で、ロンドン出身のベンガル人。幼少時に渡米し、ロードアイランド州で育つ。大学、大学院を経て、その後夫と二人の息子(話には娘も出てくるのだが)とともにローマへ移住。この本はイタリア語で書かれた初のエッセイ集とのことだ。これまでに、O.ヘンリー賞、ピュリツアー賞など、著名な文学賞を次々と受賞している。初めて読む作家の本だが、購入した。

暑さ凌ぎに読み始める。エッセイなのでスラスラと入ってくる。しかし、立ち止まり、少し考えることも多い。そこで少し息継ぎをする。

「壁」というエッセイに出会う。主人公がローマに来て2年目のクリスマス過ぎ、家族で旅をしたサレルノで、買い物をする。イタリア語をしっかり勉強し、上手に話す私(主人公)は容貌も影響してか、イタリア人には見られない。本書に著者の小さな顔写真も付されているが、近年は「典型的な」イタリア人とはいかなる容貌なのか、一口には語れない状況だ。それでもイタリア生まれのイタリア育ちとはかんがえにくい。

他方、アメリカ人の夫はスペイン語は話すが、きちんとした文にもなっていないイタリア語で店員に返事をしても、「ご主人はイタリア人でしょう。訛りもなくて、イタリア語を完璧に話しています」と評される。

彼女が長く過ごしたアメリカでは、「英語を母語話者のように話していても、名前と顔かたちのせいで、どうして自分の母語でなく英語で書くのを好むのかと、と聞かれることがたまにある」(92ページ)。

さらに、彼女の母語の町、インドのコルカタでは、ベンガル語は少ししかわからないと思い、英語で話しかけてくる。

かくして、彼女は壁にいたるところで取り囲まれる。そして、壁は彼女自身なのではないかと思う。

そして、コルソ通りの店のショーウインドウを見ていると、店員が May I help you? と話しかけ、彼女の心は粉々に砕けるという。

国境を越えて、母国とは別の国に移住する移民にとって、言葉の問題がいかに微妙で複雑なものであるかを端的に示すエッセイである。



かつて、筆者はある研究誌の依頼で「見える国境・見えない国境」という巻頭論説(2004年)を寄稿したことがあった。その後、一部大学入試の問題にも使われたようだが、ここで論じた“見えない国境” は、ジョンパ・ラヒリの「壁」の概念にも通じることを意図していた。移民問題は、「偏見」、「差別」、「公正」といった概念と切り離しては論じ得ない。




『ルネサンスの画家 ポントルモの手記』(中嶋浩郎訳、宮下孝晴解説)、
白水社、2001年(新装版)表紙





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燃え上がるインフェルノ:ロンドン高層ビル火災

2017年06月17日 | 特別トピックス

 

 Hieronymus Bosch (c.1450-1516), Inferno, details



 ロンドンの高層ビルの大火災(6月14日発生)のニュースを知って、たちまちいくつかの前例が脳裏を走った。1911年、ニューヨーク市のトライアングル・シャツウエイスト・ファイア事件、映画ではあるが、1974年度のアカデミー撮影賞、編集賞、歌曲賞を受賞した、The Towering Inferno 「タワーリング・インフェルノ(地獄の業火)」、バングラデッシュの繊維工場の大惨事など、このブログにも取り上げたものも多い。さらに、9.11のワールドトレード・センターの同時多発テロなど、大きな火災に関連するイメージが次々と浮かんでくる。かつて、ロンドンのホテルでは、筆者自身が宿泊したホテルで火災に遭遇したこともあった。これらの経験は、多少ブログに記したこともある。

今回のノース・ケンシントンのグレンフェル・タワービルは高層の公共住宅ビルで、24階、127のフラット、そのうち20階が住宅に当てられており、下の4階が商業施設と住居施設が混在している。2010年に改修工事が終了したことになっている。死者は当初の予想を上回り今日現在では30人近くに達するのではないかと憂慮されている。さらに確認できない居住者の数はさらに増える模様だ。火災の実態があまりにひどく、発生時にビル内にいた人の確認はかなり困難なようだ。正確な死傷者の確認にはかなりの時間が必要と推定されている。

40台の消防車と200人以上の消防隊員が、消火活動に当たったが、ビルはほとんど壊滅的な惨状を呈してようやく消火にいたった。最初に発見された犠牲者がシリアからの難民Mobmmed Alhajall であったことは、この火災事故の本質を語っている。この難民は兄弟で14階付近で救助にあたっていたが、別れ離れになり、兄は命を落とした。事故発生当時、このビルには400-600人が住んでいたのではないかとの推測もある。現場は低所得者層住宅の多い地域であり、貧困家庭の比率もイングランドでは有数の高さだったようだ。多分、非合法移民の家族なども住んでいたのだろう。

火災の発生原因は未確認だが、発生階は地上4階付近と見られている。エレベーターも機能しなくなり、上層階の住民はビルの外へ逃れることも極めて困難なようだ。ビル内部の構造が発表されているが、Ground floor (1階) から4階までは事務所、商業施設、住居などが混在しておりそれ以上の階は住居になっていた。23階まで中心部に2基のリフト(エレヴェータ)が並んでおり、その裏側に階段が設置されていた。階段やリフトを立ち上ってくる煙や火炎は、脱出者にとって、文字通りインフェルノだったろう。公式には127戸の住居、24階のビルであり、2000箇所を超える改装工事が終わっていたという。同様な設計・工事の低所得者用ビルなどは、落ち着いて寝てもいられないだろう。

今回の大火災事故の包括的報告書の発表は、かなり先になるようだ。現時点で注目されるのは、改装されたばかりの外壁に、可燃性の断熱材が使用されていたらしいというニュースである。過去においては、こうした大災害は、その後の時代に向けて、様々な予防、防止政策導入の契機となったが、今回はいかなる教訓を学ぶことになるだろうか。

人間は過去の大災害から、どうも真摯に学んでいないらしい。支援物資だけは到着していると伝えられるが、善意だけでは災害を防止、癒すことはできない!


★このたびの痛ましい事故で亡くなられた人々に、深い哀悼の意を表したい。

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天才たちのパズル遊び:GCHQの別の時間

2017年06月09日 | 午後のティールーム

 

THE GCHQ
PUZZLE BOOK

Pit your wits against the people who cracked Enigma
Penguin Random House UK, 2016, cover



 世の中にはパズルや謎解きが大変好きな人たちがいる。日本の新聞にはこの頃はあまり掲載されていないが、海外の新聞、雑誌にはほとんどと言って良いくらいクロスワード・パズルが掲載されている。

海外を旅すると、カフェなどで新聞に顔をつけるようにして、片手に鉛筆を持ち、クロスワード・パズルを楽しんでいる人たちを見かけた。その多くは暇を持て余した高齢の人たちだ。ちなみに若い人の姿はあまり記憶にない。スードク(数独)なども含めて、一定のフアンがいるようだ。筆者もクロスワードは、マニアにはほど遠いが、時々試みることがある。

アメリカで学生生活を始めたころ、来週はクイズをすると言われて、最初は何のことか分からず面食らったこともあったが、要するにテストだった。QuizesもPuzzlesも意味はほとんど同じように聞こえるが、パズルはやや難解で込み入った質問を意味することが多いようだで

以前にこのブログで第二次大戦中、ナチズムと戦い、イギリスの安全を確保するために、敵の暗号解読に日夜当たっていた人たちのことを記したことがある。その人たちの本拠は、GCHQ(Govenmet Communications Headquarters)と呼ばれている。

ほぼ100年近くGCHQの職員は、イギリスの安全を確保するために働いていた。第二次大戦中、ナチズムと戦うため、ENIGMAといわれた暗号解読に全力を入れていた。ミルトン・キーンズのブレッチェリー・パーク Bletchley Parkというところにある。映画化もされた、天才アラン・テューリング Alan Turing などが、数学、機械工学、言語学などの同僚の蓄積を駆使して、暗号コード解読のための斬新な電子機械装置を発明した研究所だ。ケンブリッジからさほど遠くなかったので、日系の自動車工場を見学、聞き取り調査にいった折り、同行した友人の知り合いがいるというので、訪れたことがあった。ここで働く人たちは、その分野の世界でも最高の頭脳の持ち主で、創造的で国家の防衛のために献身的に日夜働いている。時に、我々凡人とは違った世界に住んでいるのではないと思わせる言動の人もいる。

その後、ディジタル・エイジの到来とともに、彼(女)らは、テロリズム、サイバーアタックへの対応、国家の最も根幹である正義を脅かす犯罪と戦っている。しかし、この人たちの住む世界は、我々凡人のそれとはかなり違っている。

最近、スノーデン問題について関連記事を読んでいた時、一冊の興味深い本に出会った。ブレッチェリー・パークで働くスタッフが、1980年代ころからクリスマス休暇などの余暇に楽しむため、作ってきたパズルの本である。日頃の職業活動の中から副産物のように生まれてきたパズルであり、クロスワードまで含めて実にさまざまな謎解き問題が集められた一冊だ。この世界の分野のマニアには、またとない楽しみの時間を与えてくれる。しかし、天才たちの頭脳の遊びのために作られた問題だけに、一見解けそうにみえて、それぞれがかなりの難問だ。

たとえば、最初の例題は次の1行だけだ。

M, N, B, V, C, X, ?

答は Z
ヒントはタイプライターのアルファベット・キー配列の最下段にあり。

第2問目の例題は:

BAGG is to William the Conqueror as BEJC is to whom?

答は 1492, Christopher Columbus.

ヒント:

BAGG represents 1066, with each letter representing its place in the alphabet minus one, i.e. A=0, B=1, C=2, etc. BEJC iis therefore 1492.

このような調子で、あらゆるタイプの短いパズルが満載されている。有名人の顔を見て名前が分からないと、空欄が埋められないCelebrity sudoku まであり、マニアには大変魅力のある1冊だ。なかには、パズルの説明もなく、自分でこれがいかなるパズルなのかをかんがえさせるもの(PUZZLE HUNT)まである。しかし、ひとりの力で300問を越えるパズルに正解できるとは一寸考えがたい。考えようによっては、それだけ挑戦のしがいがあるともいえる。これからの暑さしのぎには格好な読み物?だ。とにかく、問題を考えているだけで楽しい。

アラン・テューリングやエドワード・スノーデンのような天才たちにとっては、激務の間の軽い頭の体操なのだろう。ご関心のある向きは、書店、図書館などで、実物を手にした後に決められることをお勧めする。ちなみに、筆者の机上にも一冊置かれているが、まだ3問しか解けていない。しかし、凡人には問題を見ているだけで楽しいこともある。解けなくても、嘆くことはないのだから。

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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カラヴァッジョを超えたか?:ヴァランタン・ド・ブーローニュの世界

2017年06月04日 | 絵のある部屋

Valentin de Boulogne
Saint Jean-Baptiste
toile, 178 x 133
Sainte-Jean-de-Maurience, cathedrale Saint-Jean

 ヴァランタン・ド・ブーローニュ
「洗礼者聖ヨハネ」

 カラヴァッジョの名は知っていても、ヴァランタン・ド・ブーローニュの名を知らない人は多い。昨年秋から今年にかけて、ニューヨークのメトロポリタン美術館で、この画家としてはほとんど初めて、まとまった形で企画展が開催された。そのタイトルは、"Valentin de Boulogne: Beyond Caravgio" 「ヴァランタン・ド・ブーローニュ:カラヴァッジョを超えて」であった。

画家はカラヴァジョとほぼ同時代人として、ローマでで活動してきた。17世紀当時のヨーロッパの画家たちの間ではひとつの流行であったが、ヴァランタンもフランス人として生まれ育った後、ローマの光に引き寄せられ、この文化都市を目指した。そして、その後も帰国することなくローマで生涯を終えた。プッサン、クロード・ロランなども同様であった。

ヴァランタンは当時のローマで話題となっていたカラヴァッジョの作風に惹かれ、後年カラヴァジェスキと呼ばれることになった特徴を駆使して、宗教画、風俗画、肖像画などのジャンルで作品の制作を行った。ヴァランタンはキアロスクーロなどの特徴を自ら消化し、リアリスティックな作品を多数残した。

このブログでも紹介した「合奏」Concert (c.1622-25)は、ヴァランタンの特徴が遺憾なく発揮された作品の一つである。

Valantinn de Boulogne
Concert au bas relief antique
toile 172x214cm
Paris, musee du Louvre

ヴァランタン・ド・ブーローニュ
「古代の浮き彫りのある合奏」

 

ヴァランタンはカラヴァッジョを超えたのだろうか。ヴァランタンの企画展を開催することは、メトロポリタンの西洋絵画部門の責任者キース・クリスティアンセン Keith Christiansen の長年の夢であったことが本人によって語られている。メトロポリタン美術館展は、ヴァティカンの祭壇画からルーヴルが所蔵する作品まで、多岐にわたる展示となった。さすがメトロポリタンと思った企画展だった。

画家の実力
 画家の評価は時代によって浮沈がある。バロックの時代に関心がなければ、カラヴァッジョの追随者のひとりとみられるだけかもしれない。他方、カラヴァッジョのような一見して見る人を驚愕させるような劇場性や鮮烈な迫真力はなくとも、落ち着いた色調で穏やかに宗教画や人生の明暗を描いている作品に惹かれる現代人もいるかもしれない。企画展にはカラヴァッジョの作品は出展されなかったが、観客はカラヴァッジョという17世紀初頭のイタリアを疾風の如く走り抜けた破天荒なひとりの画家が、当時の美術界に与えた衝撃の一端を、ヴァランタンという画家の作品を見ることで感じ取ることができる。『カラヴァッジョを超えて』という企画展タイトルは、集客力のことを考えてつけたものだろう。

この画家が過ごした生涯や制作活動もあまり判然としていないようだ。カラヴァッジョの画風の追随者という点では確かにそうだが、画家自身の生活も放埒で享楽的であったともいわれる。41歳の若さで飲酒後、溺死と伝えられているが詳細は分からない。

それでも、国際カラバジェスキ運動などの研究成果もあって、かなり解明された点もある。画家についての情報が蓄積された現在の方が、ヴァランタンという画家をより客観的に評価をすることができるかのもしれない。

先が見えない人々の顔
 カラヴァジェスキとしての特徴を明らかに発揮しながらも、そこにはカラヴァッジョのような劇的、鮮烈で、残酷なほどの激しさはない。代わって、薄暗い闇の中に沈み込み、行方定まらず、思いつめたような表情の人々が描かれた作品もある。

この時代のローマは、表側の華やかさの裏側に、犯罪、欺瞞、死というような暗く、陰鬱な闇の世界が広がっていた。この点、ユトレヒト・カラヴァジェスキの作品のような道徳的次元まで昇華したような作品は、制作できない環境だったといえるかもしれない。例えば、カラヴァッジョもヴァランタンも「洗礼者聖ヨハネ」を描いているが、描かれた若者の表情や肢体には、一見若々しく見えても、鬱屈、疲労の空気が伝わってくる。

ヴァランタンには「カードゲーム」のような、この時代の画家たちが競い合ったテーマの作品もあるが、作品としては素朴さを残している。しかし、これらの作品を見ていると、画家としての力量の違いにもかかわらず、この時代を支配した空気のようなものが自ずと伝わってくる。

 
ヴァランタン・ド・ブーローニュ
「カードプレヤー」
 

晩年、ヴァランタンは聖ペテロ大寺院の祭壇画という大きな仕事を依頼されていたが、競争相手として対比されたのは、当時人気上昇中のプッサンだった。ヴァランタンはカラヴァッジョの単なる追随者としか見られなかったようだ。

ヴァランタンは、カラヴァッジョを超えることはできなかったというべきだろう。しかし、ヴァランタンには、この世の中の虚栄、鬱積、言い知れぬ不安などが感じられる静かな情景を描いた作品も多い。カラヴァッジョの作品にしばしばみられる、残酷、悲惨、驚愕するような場面に食傷気味の人には、ヴァランタンの作品はかなり温和なものに見えるだろう。「合奏」はそうした特徴が十分に発揮された秀作といえる。

同じ主題を描きながらも、それぞれに工夫を凝らし、微妙に異なった情景を描き出したこの時代の画家たちの作品の世界に入り込むことで、しばし現実を離れ、遠い時代の世界に身を置く疑似体験を楽しむことは、至福のひと時である。

 

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