時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

芸術の秋(2):北斎の小布施へ

2017年11月29日 | 絵のある部屋

 



近年、「マンガ」という文字をいたるところで目にするようになった。どちらかといえば、子供の頃だが、筆者も長らく親しんできたジャンルなので、取り立てて違和感はない。しかし、しばらく前から大書店などに設置されている「マンガ」コーナーの棚を探索することはない。ただ、長らく見慣れていた「漫画」をなぜ「マンガ」というカタカナ表示にしなければならないのかということには、多少疑問を感じたことはあった。しかし、その源にまで立ち入って調べたこともなかった。多分、それまでの「漫画」は漢字で、若い世代には覚えにくいので、「マンガ」という安易な表現が流行し始めたのだろうと思った程度であった。このほかにも、「アニメ」,「コミック」、「劇画」など、類似してはいるが微妙に異なる用語、とりわけカタカナが増えた。

しかし、ふとしたことで、辞書を繰ってみた。それによると「漫画」は、①単純・軽妙な手法で描かれた、滑稽と誇張を主とする絵、②特に、社会批評・風刺を主眼とした戯画、ポンチ絵、③絵を連ね、多くはセリフを添えて表現した物語、コミック。」(『広辞苑』第6版)などの説明がある。しかし、「マンガ」というカタカナの見出しはない。世の中で使われているからといって、長い歴史を持つ辞書に採用される訳ではないとことは、これまで『広辞苑』を含めて、いくつかの辞書編纂に関わったこともあるので、理解はできる。掲載用語の選定にはバランスのとれた微妙な社会感覚が必要とされる。流行語に近いものほど、短期間に忘却、使用されなくなってしまう。甚だしい場合には、辞書の企画から出版時までの間に忘れられてしまう言葉も稀ではない。

北斎の「漫画」
ブログのつながりで、今月27日閉幕したばかりの『北斎漫画の世界』(信州小布施「北斎館」開催)を訪れ、チラシを読んでいる時に、なるほどと考えさせられた記事に出会った。それによると
「北斎漫画」の「漫画」の概念は、いわゆる現代のコミックや劇画とは根本的に異なっている。

江戸時代に「漫画」といえば「漫然と描くもの」、つまり筆のおもむくままに描いたものという意味だった。『北斎漫画』は、結果として、絵を学ぶ人々のために描かれた絵手本とういう"教科書"のような存在だった。当時の版木という印刷技術を使った印刷物を経由して北斎の弟子や関心を抱く画家たちが、絵の勉強をする手本だった。その一部はヨーロッパなどへの輸出品の充填材や包み紙として使われ、オランダを中心にフランスなど、ヨーロッパの各地へ広がり、それらに興味を見出した人々の関心を引き出した。まさにジャポニズムの源流となっていた。

北斎はその生涯に93回転居したといわれる「転居魔」であったことで知られている。生まれは現在の東京墨田区深川付近であることも分かっている。その波乱の多い生涯で、天保15年(1844年)、85歳の時に信州小布施の豪商で門人であった高井鴻山の招きで東町祭り屋台天井絵の『龍図』と『鳳凰図』の制作を依頼され、同地に赴いた。その翌年も上町祭り屋台図を描くために、再び小布施を訪れている。今日のように新幹線や長野電鉄などの交通手段がなく、ほとんど徒歩、せいぜい騎馬で往復していた時代であり、高齢であったにみ関わらず、その強靭な制作意欲にはひたすら感嘆する。


豪商:高井鴻山邸宅の一部。北斎が一時期滞在。

 

 

 

「栗と花と北斎の町」
今では「栗と花と北斎の町」として知られる小布施の環境は素晴らしかった。これまで、長野、湯田中、志賀高原など、付近の観光地や温泉地には度々出かけていたのだが、小布施には近年行ったことはなかった。久しぶりに訪れたこの小さな町は素晴らしく変身していた。「栗と花と北斎の町」をテーマに、小布施の町全体が一つの目的に向かって、それぞれ独自の努力をしており、それは見事な成果として実っていた。筆者は長らく地域の産業と雇用の創出の問題に関わってきたが、小布施のケースは見事な成功例と思われる。細部では、問題もあることは十分推定できるが、全体としては優れた創意が発揮されていた。外国人の訪問者も多数見かけた。今後の日本の課題でもある地域再生の素晴らしいモデルの例と言える。

美しい信濃の山々に囲まれた町には、豪商高井鴻山の素晴らしい屋敷内に設けられた北斎の工房や、当時の豪商、豪農の生活をしのばせる屋敷が、整備されて保存されている。北斎が描いた大作品が残る岩松院などの天井画も保存されており、人口約1万人の市ながら、国内のみならず海外からも集客できる吸引力を持つ、日本の美しさを継承する魅力的な観光地に生まれ変わっている。これからこの美しい町がいかに変化しているか、楽しみである。

 

 

 

 

 

 

紅葉の美しい岩松院付近の展望

 

 

北斎 『菊』

 


Reference

浦上 満『北斎漫画入門』文春新書、2017年10月

本書は筆者の浦上氏が家業の古美術商を経営する傍ら、『北斎漫画』の世界一のコレクターとして、その真価を世界に普及することに尽力してきたこれまでを記した魅力ある小著である。北斎漫画の全容、世界的な評価を知るにはきわめて優れた入門書である。こうした地道でややマニアックな努力が集積して、今日の「北斎ブーム」が生まれたと言える。今年、国立西洋美術館で開催された企画展カタログと併せて読むと、北斎という画家の偉大さを実感することができる。 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

芸術の秋:北斎の偉大さを再認識

2017年11月23日 | 絵のある部屋

 

ピエール・ボナール  
洗濯屋の少女
c.1895-96

このキュートな作品の発想の根源は何に求められるのだろうか。
その源が北斎のスケッチ集ともいうべき「一筆画譜」にあるということを
知って しばらく考え込んでしまった。


葛飾北斎
「一筆画譜」 
1823年


いつの頃か、「芸術の秋」といわれる表現を見かけるようになった。語源や初出年次の推測は様々にあるようだが、秋風が吹き始める頃から、美術館などの展覧会も格別に力おが入ったものが多くなる。今秋も京都ほどの雑踏ではないが、東京、とりわけ美術館の多い上野公園界隈はかなり賑やかだ。、今の時点では、注目を集めているのは終幕近い国立博物館の「運慶」展と国立西洋美術館の「北斎とジャポニズム:HOKUSAIが西洋に与えた衝撃」展だろうか。とりわけ前者は、週日でも館外行列ができていた。


「北斎とジャポニズム」展もかねて見たいと思っていたので、混み具合を見計らって出かけた。インターネットで国立西洋美術館は世界文化遺産になってから、館内、庭園などもかなり整備され、人々で賑わっている。特別展ばかりで混み具合を見て出かけるのだが、同じ行動をする人たちも多く、到着して見ると予想外に混んでいることもある。これは人間行動の予測が大変難しいことの表れだ。予測する本人が結果を予測して行動するので、結果は予測と異なるものとなりがちだ。それはともあれ、常設展も人気が高まっているようだ。

葛飾北斎(1760-1849)はかなり前から関心があり、作品を見る機会があればできるだけ見てきたが、90歳近くまで制作活動した多作の人なので作品の全容とその影響を体系化してみたことはあまりなかった。今回の展覧会はその点で、大変よく企画され、多くの知見を得ることができた。カタログもさすがに充実しており、極めて見応えのある出来栄えだ。見ていると、関心は深まるばかりで読み出すと他のことを忘れてしまう。

今回は、北斎の作品とその影響を受けた海外作品の双方が展示されているので、当然展示作品数が多く、混んでいる時はかなりの忍耐がいる。今回のテーマのように、北斎の画風、作品が世界で受容され、ジャポニズムという大きな潮流を形成する道筋を具体的に展示する企てとなると、出展作品数も多くなり、一通り見るだけでもかなりの時間がかかる。影響を受けた西洋作品の展示数だけでも220点近い。展示によっては、前の室へ戻って見直したりする。今回も半日以上を費やしたが、もっとゆっくり見たかった。しかし、入館者も多いので、人混みの中、体力もかなり消耗する。

展示は「1章 北斎の浸透」に始まり、「6章 波と冨士」に終わる計6室の構成だが、いつもの例のように入り口の第1室が大変混んでいて渋滞していた。北斎の作品がジャポニズムの源流の一つとして世界に影響を及ぼしてきたことは、一通り知ってはいたが、今回の特別展を見て、さらに認識を新たにした。著名な「富嶽三十六景」などの作品に止まらず、「一筆画譜」、「北斎漫画」なども、広く渉猟されていることは、時代を考えると驚くべきことだ。こうした小品の集成は、海外の画家たちにとっては、新しい発想を得る貴重なアイディア・ブックだったのだろう。

とりわけ興味かったのは、当時としては極めて長年にわたり、画業に情熱を燃やした画家の晩年が中心だが、作品、思想、人間関係、社会状況にまでにわたって広範な研究成果が生まれていることである。日本に限ったことではないが、西洋美術の場合でも、よほど著名な画家でない限り、生涯の一部分しか判明しない場合が多い。北斎の場合、日本国内のみならず、ヨーロッパ、アメリカ、中国においてまで影響を受けた人々がいることに改めて驚かされる。

筆者がのめり込んできたロレーヌの世界にも、北斎の風は吹いていた。

 エミール・ガレ
花器:蓮r
1900年 以後   以下、画像クリックで拡大

 

フランシス・ジュールダン
白い猫
1904年以前

葛飾北斎
「一筆画譜」にヒント
ただし、右上に「狐火」と記されていることに注意。 

 


References: 国立西洋館展カタログ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歴史の真実とは何かを知る:アメリカ人種差別問題(2)

2017年11月11日 | 書棚の片隅から

アメリカ南北戦争前の奴隷制度と反乱:
南部の多くは奴隷制度維持の諸州
北部は自由州、西部の白色部分は所有、去就が

未だ定まっていない地域 

1526-1684年
313件の記録:Vieginia 84, Louisiana 42, South Carolina 42
quoted  from the Internet public source

 やや旧聞になるが、MBAのワールド・シリーズでは、不本意な結果に終わったドジャーズのダルヴィッシュ投手に対して、アストロズのグリエル内野手がアジア人への人種差別的行為を示したことで、思わぬ話題を提供することになった。幸い双方の節度ある行動で、それ以上には悪化しなかった。

「差別」への社会的制裁
アメリカではこうした「明白な差別」的行為が時に公然と起きるが、他方ではそれらを批判する社会的正義も働いている。むしろ、「明白な差別」overt discriminationは「隠れた差別」covert discriminationよりは対応しやすいところがある。日本にも様々な要因による「差別」が存在するが、どちらかというと「隠れた差別」で陰湿な面がある。

アメリカを引き裂く人種問題
「差別」という行為はしばしば動機が複雑で解きほぐすことが難しい問題だが、アメリカの場合は、その建国の過程での経緯から、人種問題が今日まで根強く存続している。かつてアーサー・シュレジンジャーが「民族が国を引き裂く」と述べたことがあった。現在のアメリカが分断状態にあることについては、黒人(アフリカ系アメリカ人)、白人、ラテン系、アジア系など、移民国家を構成する人種間に複雑な軋轢が見て取れる。さらに最近では、アメリカが経験しつつある様々な社会的分裂現象には、人種あるいは宗教(とりわけイスラムとその過激派IS)という要因が強く関わっていることが多い。アメリカという複雑な大国を理解するには、この人種や宗教問題の本質と変遷を深く理解しなければならない。

「地下鉄道」という舞台装置
いずれ邦訳も出るようだが、前回、例に挙げた作品も単なる過去の話ではない。アメリカ社会に深く根付いた偏見・差別の根源についての理解が欠かせない。邦訳もいずれ出るようだが、 C.ホワイトヘッドのピュリツアー賞受賞(2017年の小説部門)作品「地下鉄道」 The Underground Railroadは、アメリカ南東部ジョージアのプランテーションで過酷な労働に明け暮れる少女の奴隷コーラ Cora が自由を求めて逃亡を企て北を目指す。時は1820年頃に設定されている。「地下鉄道」は複雑な意味を持つが、逃亡についての知識、隠れ家、逃亡の経路など奴隷、自由を獲得した奴隷、奴隷への白人同情者などの間で築かれたものだ。逃亡奴隷をなんとか安全な地帯へ逃すため、様々な手助けをする一種の秘密結社だ。「鉄道」も貨車、客車、馬車、山林地帯の秘密の通路、その他さまざまな手段が想定されている。一見、事実を背景とする逃亡小説のようだが、ホワイトヘッドは想像力を駆使して、歴史を生き生きと見せる装置として工夫を凝らしている。人種問題を知る人にとっては、強い迫真力がある。単なる皮膚の色の違いが差別を生むわけではない。今日の社会に根強く残るアメリカでの人種差別の根源には、奴隷制度が作り出した暗く、残酷なトラウマが拭い去られることなく残存していることが大きく影響している。

緊迫した雰囲気
奴隷制度が存在していた当時は、逃亡奴隷は、プランテーションの経営主、奴隷捕獲人 slave catcher などが後を追い、多くは捕らえられ、連れ戻されて首吊りなどの極めて残酷な処刑の対象となる。見せしめのために恐ろしい手段が使われる。コーラの場合も、一度は捕らえられるが、逃亡に成功する。逃亡は通常、徒歩で伝聞による経路をたどり、北部諸州やカナダまで歩くしかない。話は第3者によって語られる形式だが、波乱万丈、息を継がせぬ迫力がある。ジョージアからサウス・カロライナ、ノース・カロライナ、テネシー、インディアナと北の自由州への道を必死にたどる。各州 stateそれぞれが対応、環境が大きく異なるのだ。初めて、広大で見知らぬ旅をする逃亡奴隷にとっては、大きな恐怖と危機が付きまとう。地下鉄道の内容については、機密維持の必要があって、全て口頭の伝承で秘密裏に伝えられてきた。経路は文字では全く記されず、すべて伝聞で密かに伝えられてきただけであった。複雑で危険に満ちた網目をたどり、彼女はようやく追っ手から抜け出し、西へ向かうキャラバンに合流する。彼女はたまたま出会った黒人のワゴンへ乗り、自由な地を目指す。しかし、その先に待ち受けるものについては、これまでの経験以上に全く分からない。


ナット・ターナーの反乱
アメリカにおける差別の問題は、対象は人種、性、宗教、思想など様々だが、研究の蓄積という点でも「人種」差別、とりわけ白人と黒人の間に生まれる差別が最も多い。背景には長い奴隷制度の歴史があるので、その点を理解しない限り、今日でも頻発している問題を理解することは難しい。アメリカ社会の奥深く潜在し、人々の生活風土のあり方を定めている。

南北戦争前の奴隷制度は極めて過酷なものであったため、しばしば限度に達した奴隷の反乱など衝撃的犯行もあった。中でも、ウイリアム・スタイロンによるナット・タナー(1800-1831)に率いられた反をテーマとした小説は大変良く知られていて、本ブログでも記したことがある。ナットが神の存在を感じ、反乱の時と決断したような幻視を見た情景など、今も思い出すことがある。反乱後に捕らえられたナットの「告白」と思っていた裁判文書が、実は弁護人によるもので、本人の手によるものではないことも驚きだった。歴史における真実とは何であるかを後に身にしみて感じた。「事実」factsと「真理」truth の区分を思い知らされた。

 

* 桑原靖夫『国境を越える労働者』岩波新書、1981年。

* Colson Whitehead, The Underground Railroad, Fleet, 2017.(コルソン・ホワイトヘッド、谷崎由依訳『地下鉄道』早川書房)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする