Georges de La Tour. The Tears of St. Peter, also called Repenting of St. Peter. c. 1645-50. Oil on canvas. The Cleveland Museum of Art, Cleveland, USA
前回記したマグダラのマリアと聖ペテロは、カトリック宗教改革で象徴的な役割を負っている特別の存在といえる。ペテロは12使徒のいわば統率者で、キリストと最も近い関係にあった者のひとりである。そのために、キリスト教史においてもきわめて重要な位置を占め、キリスト教美術の流れでも、さまざまな主題の下に登場してきた。
ラ・トゥールもペテロを主題として、おそらくかなり多数の作品を制作したものと思われる。しかし、今日に伝わるものはほとんどない。模作と推定される作品を別にすると、わずかに「聖ペテロの悔悟」Les Larmes de st Pierre と「聖ペテロの否認」(ラ・トゥールとその工房作)Le Reniement de Saint Pierreの2点のみが、ラ・トゥールの手によるものとされている。これらについては、すでに概略を記したことがあるが、若干視点を変えて付け加えてみたい。
大変よく知られている話だが、いちおう記しておこう:
キリストは捕縛された後、大祭司カヤバから、尋問を受けた。その間、ペテロが中庭に立っていると、カヤバの召使いの女が彼に言った。「あなたもあのナザレ人イエスと一緒だった」と。しかし、ペテロは彼を知っていることを打ち消した。すると雄鷄が鳴いた。彼がそうした否認を3度すると、そのたびに鶏が鳴いた。ペテロは彼にキリストが予言したことを思い出し、泣き出した(「マルコ福音書」14: 66-72)。
ここで、この著名な話を再度取り上げるのは、ペテロの悔悟に関するラ・トゥールの作品のためである。自らの過ちを悔いて泣くペテロは、イタリア、スペインの美術にはかなり見られる。今日に残るラ・トゥールが描いた一枚もこの場面である。カトリック宗教改革の教会は、悔悛もそのひとつとして含まれる「7秘蹟」の信仰を広めるために、このテーマを好んだようだ。バーグは「涙にくれる聖ペテロやマグダラのマリア」が頻繁に表現されるようになったことは、プロテスタントが悔悛の秘蹟に対して行った非難に対する目に見える反論だと解釈されている」(邦訳p85)としている。
ラ・トゥールのこの作品、現在はアメリカのクリーブランド美術館が保有しているが、アメリカにあることも手伝ってか、従来フランスの研究者からはあまり評価をされてこなかったきらいがある。作品を見れば明らかなとおり、簡明直裁に主題に迫った作品であり、一瞬にしてなにを描いたものかが分かる。
一人の純朴そうな男が両手を組み合わせ、涙を流している。彼の顔面は、ラ・トゥールの作品に固有のどこからか分からない光源からの光に照らされている。この作品にはもうひとつ、足下にランタンの光源があり、彼の右足部分を照らし出している。机上には雄鷄が一羽、つくねんと座っている。
前回取り上げたマグダラのマリアと違って、この主題においては、ペテロの悔悛の涙は欠くことができない。雄鷄が3度鳴くことによって、ペテロには自らの裏切りと悔悛の念が一度にこみ上げる。彼の目はしばたき、取り返しのつかない行為への深い悲しみが胸に突き上げてくる。泣くという行為は、大変情緒的であり、直接的である。一見単純な構図のように見えるが、イコノグラフィカルな点でも、謎解きにように多くの工夫が籠められた作品である。
ラ・トゥールという画家は、作品制作に際して、きわめて深く考えていた画家である。カラヴァッジョのように、衝動的な情熱に駆られて一気に描き上げるという気質の画家ではないように思える。制作に先立って、かなりの時間を細部を含めて構想に費やしたのではないか。ラ・トゥールが生涯の多くを過ごしたロレーヌは、カトリック宗教改革の前線として、さまざまな圧力が働いていた。そこに生きた画家は、オランダとはまた大きく異なった風土の下で制作活動を行っていた。同じ17世紀前半のヨーロッパでありながらも、フェルメールやレンブラントのオランダとラ・トゥールの生きたロレーヌは、大きく異なった風土であった。今日、作品に接する者は、その風土の中に入り込む努力が求められる。さもなければ、彼らが描こうとしたものの本質は見えてこない。
ラ・トゥールは、画風としても、自分の構想する主題に直接必要ないものはいっさい描かないというところがある。たとえば、人物が室内、屋外のどこにいるのかさえ、定かでない場合が多い。しかし、必要と考えたものには驚くほどの注意が籠められている。
ペテロの悔やみきれない深い悲しみとそれがもたらす信仰への強い悟りの境地が、生まれる瞬間である。彼の犯した裏切りの行為と深い悔悛の情が一挙に噴出する。原初の意味での聖的・霊的なパッションが未だ存在した時である。ペテロの口元がわずかに開いているのは、涙にとどまらず、叫びとなっていることを示している。一見すると、単純な構図の作品に見えるが、きわめて味わい深い一枚である。
Reference
Peter Burke. Eyewitnessing: The Unses of Images as Historical Evidence, London: Reaktion Books, 2001. ピーター・バーク(諸川春樹訳)『時代の目撃者』中央公論美術出版、2007年