時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

『新世界へようこそ』〜グラフィック・ノヴェルの試み〜

2020年10月26日 | 移民の情景
人の地域的移動、流れは文明の拡大を主導してきた。しかし、このたびの新型コロナウイルスの世界的蔓延のように、感染症の拡大という恐怖を伴うこともある。新型コロナウイルスの自国への侵入、拡大を防ぐために、国境を閉鎖するなどロックダウンの動きが拡大している。移民・難民などの流れを定める条件は大きく変わってしまった。コロナ禍が終息したとしても、従来のような考えに基づく日々は戻らないだろう。外国人(移民、難民)の受け入れも、単なる数の次元にとどまらない、新たな構想が必要になっている。


表紙:『新世界へようこそ』

折しも世界の大国アメリカでは、まもなく大統領選が実施される。共和党のトランプ大統領が再選されると、アメリカの国境の壁は更に高まり、閉鎖的になると懸念されている。

偶然ではあるが、ある一冊の新刊書を読む機会があった。2018年、ピュリッツァー賞を授与されたエピック・ストーリーを基に、生まれたジャーナリズム分野のグラフィック・ノヴェルである。ストーリーはちょうど4年前に当たる2016年11月8日、ニューヨークJFK空港に到着し、入国申請をしたシリア難民をめぐる話である。

問題理解への新たな手法
この作品のユニークなことのひとつは、グラフィック・ノヴェルという新しい物語手法が採用されていることにある。若い世代の間にコミックが広く普及していることを背景に考えられたものと思われる。グラフィックな手法というと、レヴェルが低いと思われるかもしれないが、最近ではかなり高度な内容の専門書までにグラフィックな手法が使われている。このブログでも
移民問題などで、いくつかを紹介したことがある。

ヨルダンでの日々

主人公は2人のシリア人兄弟とその家族、合計7人である。彼らはシリア難民として母国を脱出し、ヨルダンに住んでいるが、新大陸アメリカ、ニューヘイブン(イエール大学の所在地でもある)へと移民を試みる。特に中心的役割を担っているのはナジというティーンエージャーである。彼はアメリカの理想への期待が強いが、難民という状態が生み出す恐怖、とりわけ死への恐怖も強く抱いている。


アメリカへの移動機内

トランプの選挙活動中の発言から入国禁止がいつ発動されるかに戸惑い、移住を見合わせる人、移住の決意をする人など、難民の心は揺れ動く。トランプ政権になると、イスラム教徒への風当たりは厳しくなり、結果としてヨルダンに難民として滞在している祖母や兄弟、従兄弟たちとのつながりも絶たれると考えられていた。彼らがヨルダンを離れる時も、同じ難民たちを刺激しないよう密かに旅立つなど、複雑な心境なのだ。

適応のプロセス
そして、大きな問題なく入国を許されても、その後の新しい文化と環境への順応には多くの試行錯誤が必要になる。移民や難民は入国を認められたからといって、それがその後の安定した生活を保証するわけではまったくない。彼らの苦難は入国した段階から始まるといってもよい。長年にわたり、ブログ筆者はその点を強調してきた。単に受け入れる外国人(移民・難民)の数をを増やすあるいは減らすといった次元の問題ではない。移住してくる人々、受け入れる側の人びと、そして地域とのさまざまな対応の長いプロセスなのだ。アメリカは多民族国家であり、現在でも問題は山積しているが、同時に多くの経験を積み重ねてきている。


多民族国家のイメージ

多民族の共生
それまでほとんど知ることのなかった土地で、家庭というようなものがつくれるのだろうか。英語の習得、仕事を得るための訓練プログラム、ヒジャブを被っての高校入学など、不安は渦巻く。仮の家となった場所の近くを車が静かに通ると、連行されるのではないかとの恐怖に駆られる。現実に接するアメリカは時に親切であり、無知であり、寛容であるかと思えば残酷で、元気づけるかと思えば、胸が張り裂けるような思いをさせる。





入学の挨拶

このストーリーの特色は新大陸へ移り住むシリア人家族の挑戦と成功を描くばかりでなく、彼らが住むことになる町や地域のスピリットを良くも悪くも描いていることにある。トランプ政権下のアメリカにシリアから難民として移り住むという、これまであまり描かれたことのなかった家族の物語である。

こうしたグラフィック・ストーリーに慣れないと、違和感があるかもしれない。グラフィックだと、文字数はきわめて少なくなる。しかし、読み慣れると、単調な文字の列を読んでいるのと異なり、様々な感情移入もできるようになる。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
折しも、10月24日NHKスペシャル*2がシリア難民の苦難を伝えていた。映像だけに本書よりはるかに厳しく鮮烈に迫ってくる。併せて見ると、問題への理解は格段に深まるだろう。


 Welcome to the New World by Jake Halpern & Michael Sloan, Metropolitan Books, New York, N.Y., 2020


*2 NHKスペシャル「世界は私たちを忘れた~追いつめられるシリア難民~」
2020年10月24日(土) 午後9:00~午後9:50(50分)
レバノンに逃れた120万から150万人のシリア難民がコロナ禍で窮地に追い込まれている。臓器売買、売春、家庭内暴力…最も弱い存在の女性と子供たちに密着、世界から忘れられたと訴える難民たちの姿を伝えている。

追記:
2020年10月29日、NHKは現地からの報告として、シリアにおける新型コロナウイルスが蔓延し、悲劇的な状況にあることを報じている。BBCは、シリア避難民キャンプでは、ウイルスが拡大し、制御不能な段階に入っていることを伝えている。戦争、極度な貧困、食料不足、不衛生な環境、医療設備などの決定的不足など、解決がほとんど期待できないといわれる。

2020年10月30日 NHK@nycのコーナーで、2006年にニューヨークへ到着した難民、移民の苦難が報じられていた。世界で行き場がない人々へ、支援の手を伸ばすヴォランタリーなグループの存在と活動に安堵の思いがした。


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不法移民を理解するために:映画とグラフィック・ノヴェル

2019年07月02日 | 移民の情景

Illegal: A graphic novel telling one boy’s epic journey to Europe, cover


「基軸」を失った世界
このたび、日本が主催した「G20」大阪サミットは、何を残したのだろう。今後世界がどの方向に進むのか判然としないほど、参加各国の利害が、分裂・錯綜しており、明確な政策的方向づけがなされた領域はきわめて少ない。気候、貿易、技術、政治など、言葉の上では多くのことが語られているが、各国利害の衝突もあり、政策の方向性として何が合意されたのか、茫漠としている。大国に都合の悪い問題は、ほとんど文字にされることもない。現代世界は依るべき「基軸」を失っている。

本来、議題となるべきテーマの中で、浮上しなかった問題の一つは「移民・難民」問題だった。主催国の日本自体が、範となるような確たる政策を提示できるほどの経験も政策論拠も持ちあわせていないので、ほとんど議論の俎上に上らなかったようだ。

壁に固執するトランプ大統領
「大阪G20」の前後にも、アメリカ・メキシコ国境の川を泳いで渡ろうとして果たせず、命を落とした移民の父親と幼い女の子が相並んで溺死している悲惨な写真が世界中に報道され、人々の悲しみと憤りを誘った。エルサルバドルのブケレナ大統領は、国家が何もできない無力さを嘆きながらも、国家の責任を問うている(BBC: BS1, 2019/07/02)。こうした痛ましい事件が起きるごとに、人々は嘆き、現状を憂うが、ほとんど有効な政策が提示されたことはない。人間はどれだけ無駄な時を過ごしただろうか。

トランプ大統領の国境壁の拡大政策は、かえって危険な地域を経由する不法な流入を増やすことになっている。メキシコ人のアメリカ流入は減少したが、グアテマラ、ホンデュラスなど中米諸国からの越境者が増えているようだ。こうした人々は、アメリカあるいは経由するメキシコへ入国するに必要な旅券、査証などの必要書類などを保持していない。そのため、運よく国境を通り抜け、アメリカに入国したとしても、アメリカ国内には、アメリカ市民権を保持しない人がきわめて多く居住している。しばしば「不法移民」Illegals と呼ばれる人たちだ。トランプ大統領は、間もなく実施される国勢調査の項目に、「市民権保有の有無」を含めるよう要求しているが、これまでの経緯からして困難だろう。トランプ大統領は、国境に「容易に通れないような高くて頑丈な壁」を造営すれば、移民・難民は大方阻止できるという一見「分かりやすい」(しかし誤った)内容で、実態に詳しくない市民を説得しようとしている。。

変化の激しい実態
移民と難民の違いも時代の流れとともに、大きく変わってきた。移民・難民に関わる関係国の利害も一様ではなく、実態はしばしば人命を脅かし、深刻化している。その実態を一般に広く知らしめる努力もさまざになされてきた。概して戯画化やマンガの対象にはなり難い過酷な実態だ。しかし、最近では問題の重要化に伴い、数は少ないが、世の中の流れに呼応して、戯画化やグラフィック化などの試みが見られるようになった。このブログでも、そうした数少ないブログや新たな試みも折に触れ紹介してきた。

今回取り上げる例は、地中海をアフリカ側からイタリア、スペインなど、ヨーロッパ側へゴムボートなどで渡る難民・移民のケースのグラフィック化だ

手にとって読んでみると、マンガに近い手法をとりながら、より正確にはグラフィック・ノヴェルという範疇に含めた方が適当なように思われる。日本語にしたら「劇画」と云ったところなのだろうが、なんとなくしっくりしない。個々の描写は実際の事実に準拠しているとはいえ、なんとなく現実離れした印象も受けてしまう。しかし、論点が単純化され分かりやすいというためか、出版界の受け取り方は良いようだ。

今年に入って5月までにヨーロッパへすでに25,000 人近くが地中海を越える難民・移民が上陸している。その内18,000人近くが地中海を渡っている。さらに、ギリシャ、スペインを経てヨーロッパへ入国した者の数は6,043人になった。これから天候の良い夏に向けて、ヨーロッパを目指す難民・移民の数は大きく増加すると推定されている。海上での遭難、病死などの犠牲者は今年に入って2019年5月までに推定で507人に達している。残酷な状況がほとんどなので、多くは「見たくない写真」で片づけられてしまい、人々の目には触れる機会は少なくなる。

グラフィック・ストーリーとしての「不法移民」
こうした実態を背景に、ひとつの啓蒙的な試みとして描かれたのがエボ(仮名)という一人の少年がアフリカのガーナからヨーロッパを目指し旅する物語である。ガーナからヨーロッパを目指す難民・移民はアフリカ出身者の中では比較的少ない。サワラ砂漠という厳しい地帯がリビヤやモロッコなどの地中海沿岸にたどり着く前に横たわっているからだ。1ヶ月前に兄クワメが出稼ぎのために突如としていなくなり、続いて姉もいなくなった。飢えや貧困、恐怖からの脱出のためには、家族は離れ離れに働き場所を求め、生きてゆかねばならない。その道は危険と苦難に満ちている。しかし、エボはかくなる上は自分もヨーロッパへ行くしかないと心を決める。具体的にはサワラ砂漠を越えてトリポリ(リビアの首都)へ向かい、イタリアへ向けて地中海を渡ることになる。そこに到るまでは人身売買のブローカー、天候が変わりやすく恐ろしい地中海を越えねばならない。そして、上陸に成功したとしても、強制送還、虐待、迫害などの別の恐怖が待ち受けている。

地中海をゴムボートなどで渡る危険は、冬から春にかけて最も高まる。そのため、渡航を企図する者は気候が安定する夏から秋にかけてピークとなるようだ。そうした知識は、散発的に次の世代へ伝達されているようだが、現実には国境を命をかけて渡ろうとする人々の流れは絶えない。

大阪「G20]の後、北朝鮮の38度線をトランプ大統領が越えたことが、アメリカ大統領史上、初の快挙と、本人やメディアが喧伝することは、少なくも今の段階では「マンガ」的光景でしかない。当事者双方が都合の良いように政治的に利用しているにすぎない可能性が高いからだ。当事者のどちらかでも、いなくなれば、事態がどう変化するか、明らかだ。その意味でも、状況は流動的でもある。朝鮮半島の統一の実現、そして世界で非核化に向けての歯車が正常に作動し始めるのはいつのことか。すでにいたる所に現れている「ディープ・フェイク」(巧妙に作られた虚報)の濃霧の中から、真相を見出し、その行方を見通すことは、きわめて困難だ。少なくもブログ筆者の生きている間の視界には見えていない。


本書(Illegal: A graphic novel telling one boy’s epic journey to Europe
Hardcover Oct 2017)は、2017年アイルランド児童書の部門で特別賞を授与された。さらに”THE TIMES”, “Financial Times” , “New York Times”などでも激賞された。

上掲書籍と# 映画『ヒューマン・フロー 大地漂流』を併せてご覧になることをお勧めしたい。「グラフィック・ストーリー」と「動画」の長短を比較して考えることができる。

監督・製作:アイ・ウェイウェイ
後援:国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)、認定NPO法人 難民支援協会
配給:キノフィルムズ/木下グループ
原題:HUMAN FLOW/2017年/ドイツ/2時間20分
[映画『ヒューマン・フロー 大地漂流』公式サイト](http://www.humanflow-movie.jp)

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「開かれた都市」の重みと苦しみ

2017年10月22日 | 移民の情景

 

Teju Cole, Open City, New  York: Random House, 2011, cover
画面をクリックすると拡大 

  去る10月14日のETVで短いドキュメンタリーを見た。東京、新宿区大久保にある図書館の館長が、同地域で急速に増加した外国人家族が少しでも出身母国との絆を維持できるよう地道な活動をする傍ら、日本へ永住を希望する人のための支援・努力をしている感動の物語である。とりわけ印象的であったのは、小さな図書館の館長が、外国人の子供たちのために母国語の本を少しでも確保し、読書会を開いたりして、ともすれば孤立しがちな彼らのために図書館を活用、交流の場とする努力である。その対象となっていたのは、図書館に本がほとんど置いてなかったネパール、スリランカなど、日本在留者が少なくこれまで注目されなかった国が多い。

日本に生まれ環境にも慣れて来て、ネパール語の本など読みたくもないと駄々をこねる子供をなだめて、親と協力していずれ帰国できた時のため、ネパール語を教えようとする努力は、心が痛む。館長はそのためにつてを頼って、子供の絵本を取り寄せている。日本語だけでもできれば良いではないかというのはたやすい。しかし、彼らが日本に永住できる可能性は限られている。祖国のことも知らずに育つ子供の心はいずれ引き裂かれる。


祖国と日本の間で
いずれ祖国への帰国を期待して生きている親たちは当惑する。祖国のことを全く知らない移民が生まれ育っている。東京は一体どうなっていくのだろうか。

筆者もかつて1990年代初めに、この新大久保地域に居住する外国人について調査を行なったことがあった。当時は圧倒的に韓国人の街になりつつあった。その後実態は大きく変化した。今は韓国、中国、ベトナム、スリランカ、フィリピン、ネパールなどのアジアや中東の諸国など、住む人たちの出身国は実に多様だ。世界有数の巨大都市東京がこうなるのは当然の結果だ。しかし、東京は「オープン・シティ」と言えるだろうか。

ひところ喧伝された多文化主義の構想はほとんど議論されなくなった。ヨーロッパやアメリカで移民・難民の排斥の動きが強まっている。東京オリンピックの開催国として日毎に深刻な労働力不足を経験しつつある日本にとって、十分検討すべき課題だ。これまでの日本の政策はかなりご都合主義であった。

全国的に外国人旅行者の数が顕著に増えたことを実感する。地方都市などでも、大きなスーツケースを引っ張って歩き回っている外国人をよく見かける。オリンピック後の状況はどうなることか。自国へ戻らない外国人も大きな数になるだろう。観光客増加ということだけで、喜んでばかりはいられない。日本にいかなる状況が生まれるか、今回の選挙でほとんど議論にもならなかった。

都市が「開かれている」ことの意味
番組を見ながら、少し前に一冊の小説
を読んだことを思い出した。最近、日本語訳も刊行されたようだ。原著はPen/ヘミングウエイ賞、ローゼンタール賞などいくつかの重要な賞を受賞したり、受賞候補作となった。

小説の題名は"Open City"、小説の主人公ジュリウスはナイジェリア系アメリカ人でナイジェリア人の父とドイツ人の祖母と母の血を引いており、一時は祖母を探して、ブリュッセルにも住んだ。ニューヨーク、ブリュッセル、ラゴスは主人公の頭に常に去来する大都市だ。

話は、主人公がナイジェリアを後に、1992年以来精神科医としてニューヨークで暮らすほぼ一年の経験を描いたとも言える構成になっている。セントラル・パークの北西、モーニングサイト・ハイツというところに住み、そこを舞台に多数の複雑な背景を持つ人々が行き交うマンハッタンの街中を、一人彷徨する。読者はこの世界的な大都市の構成にかなり通暁していないと、方向を見失うだろう。しかし、この年に住んだことのある人、長い滞在などを通して、町のありように興味のある人にとっては、手元において何度か読み返してみたい魅力を内包する。 

ストーリーがどこへ進むか、当てどもない描写の中に、ニューヨークという大都市の日常を、手探りのような手法で描き出している。主人公は生活に苦労しているわけでではない。地球上で取り立てて住みたい場所があるわけでもないようだ。

主人公はマンハッタンという街中を、特に目的があるとも思えない形で歩き回り、出会う人々のルーツや体験を様々に描き出してみせる。散文体で何か方向性を予想させるわけでもない。散策の過程で出会った人たちを中心に、ニューヨークに住む人々の人生の複雑さ、そこにたどり着くまでの入り組んだ過程を、微妙な陰影を持って描き出す。

ニューヨークで出会った人ばかりではなく、これまでの人生であった様々な人々、ナイジェリアの大都市ラゴスで会った女性、兵学校での生活、ブリュッセルであった女性などの思い出が、各所に顔を出す。その手法は「W.G. ゼーバルトの再来」とも評されている。しかし、ゼーバルトのような鬱屈したような印象もない。 

「オープン・シティ」の未来

 筆者が本書を読んでみようと思った動機は、「オープン・シティ」とは、外国人作家の目からどのように映る都市なのかという点にあった。その実態を知りたい。最近のトランプ大統領の「壁」論争に先立って、アメリカには外国からの移住者が集中・集積し、大きな活動源になっている都市が生まれている。ロサンジェルス、サンフランシスコ、シカゴ、ニューヨークなど数多い。”サンクチュアリィ・シティ”とも言われ、移民の権益保護の意識が他より強い。

主人公ジュリアスはアメリカで教育を受けた精神科医である。彼が街を歩き回り出会う人々の多くは、様々な移民であり、実に多彩だ。そして、この都市は彼らの活動によって存在している。彼ら移民なしには成立しない。この都市には目に見える壁はなく、その意味で「オープン」(開かれている)だが。他方、不安や問題を抱えながら、多くの移民・難民が住んでいる。開放されているが故に、多くの危険や災害も取り込んでいる。2001年の9.11はその例である。ジュリアスは当然ここも訪れている。「オープン・シティ」は「クローズド・シティ」よりは、概して評価される。しかし、そのためには苦しみも伴う。


 いずれにせよ、本著はニューヨーク市という「オープン・シティ」に住んだ主人公が、多彩な、しかしどこへ向かうのかも定かでない姿を一人の外国人作家の目で確認しつつ、最終的に一つの交響曲のごとく描き出している。ニューヨークを訪れたことのある人、そしてこの市を愛する人にとっては、この巨大都市の知られざる次元を斬新な視角で体験するこができるだろう。読み物としても旧知の場所が浮かんできたりして、なかなか楽しい。ゼーバルトのように、多くのことが記憶の霧の中から浮かんでくるが、読後感はかなり異なる。

最後の部分で、主人公ジュリアスが前日、カーネギーホールで、サイモン・ラトル指揮のベルリン・フィルによるマーラーの第九交響曲を聴いた印象が語られる。「第九交響曲」は主人公を含め、それを聴く人々に、ある終焉感を伴う大きな感動を与える(マーラーの生涯については、筆者も多少考えてきたことはあるが、長くなるので、ここには記さない)。本書は小説ではありながら、現代の移民問題について、様々な含意、暗喩を含んでいて、それを汲み取ることで多くの示唆を得ることができる。

巧みな描写で描き出されたんニューヨークのストーリーの最後は、自由の女神像へのクルーズを通して「オープン・シティ」の行方を暗示するかのごとく、なんとも表現しがたい影を落とす。これまで女神像は移民の未来を象徴してきた。しかし、女神像の冠部分には2001年末から上ることが禁止された。今はただ下から見上げるしかない。ミソサザイなどの鳥が女神像や灯台の下で沢山死んでいることがある。鳥類学者たちは天候と風向きが影響しているという。しかし、本書の主人公ジュリアスは、「もっと厄介な何かが作用している気がしてならない」と感じている。


Teju Cole, Open City, New  York: Random House, 2011
テジュ・コール(小磯洋光訳)「オープン・シティ」新潮クレスト・ブックス、2017年。

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国境の暗闇:解決への遠い道程

2017年09月24日 | 移民の情景


アメリカのトランプ大統領が就任直後、アメリカ・メキシコ国境に壁を構築し、費用はメキシコに負担させると豪語したが、各方面の反対は強く実施に至っていない。他方、不法入国者の流れは絶えることなく続いている。

新政権成立後、アメリカ国内の不法滞在者には、格段に厳しい状況が生まれている。とりわけ、中東出身者、イスラム教信仰者は、日常が緊張の連続ともいわれている。街中では警察官などにグリーンカードなどの身元確認書類の提示を求められる。名前がイスラム系とみられるだけで、就職は極めて不利になる(中南米系の労働者にとっても同様な現象が指摘されている)。仕事に応募した際の書類審査で、履歴書の名前、あるいは住所だけで、採用率が大きく異なることはすでに知られている。採否の理由を明らかにしない採用者側の「暗黙の差別」である。トランプ大統領の移民への対応がはっきりして以来、アメリカへの不法入国者は少し減少し、他方で生活環境が厳しくなったアメリカを諦め、母国へ戻ろうとする者も増え始めた。しかし、移民の流れに影響する要因は様々で、状況はかなり不透明だ。

今年の夏、相次いでアメリカのメキシコ湾岸諸州を襲ったハリケーン、そしてメキシコに発生した大地震は、双方にその甚大な被害をもたらした。その結果はいずれ移民の流れにも影響するとみられる。今回はアメリカが抱える問題に焦点を絞ってみたい。

麻薬・薬剤が生み出す社会の劣化
長年にわたり、注目を集めているのは、銃や麻薬の密貿易とそれに伴う犯罪の蔓延だ。新しい世紀になった頃から国境密貿易が急速に拡大、悪化した。麻薬取引に関わるマフィア間の抗争は。闇のカネの獲得を巡って、メキシコなどの中南米諸国で、マフィア間の激しい対立と暴力沙汰、中央政府レヴェルへの汚職浸透に及んだ。状況を反映して、国境の警備、監視などはかつてないほど厳しくなっている。

トランプ大統領が国境壁の増強を公約とし、やや過剰なまでにその実現に固執するのは、不法移民の流入やヘロインなどの麻薬取引に関わる国境付近の犯罪の増大ばかりではない。流入する薬剤にはヘロインなどの麻薬に加え、オビオイド(ケシが原料)などの医療用鎮痛剤の大量流入と蔓延の問題がある。アメリカ疾病対策センターによると、2015年の過剰服用による死者数は以前から違法なヘロインを含めて、33,000人を越え、2000年の4倍近くにまでなった。大半はオビオイド系の違法服用による薬物死と推定されている。働き盛りの世代(25-54歳男性)の労働参加率は、アメリカはOECD諸国中で最低であり、かなり顕著な低下傾向を記録してきた。

同じ世代で仕事についていない男性((約700万人)の半分弱が鎮痛剤を日常的に服用し、そのうち3分の1(約200万人)近くが常習的な薬物依存者と推定されている。

オビオイドなどの服用者は、”プアー・ホワイト”といわれる貧困な白人層が圧倒的に多い。彼らの多くは、ブルーカラーであり、中西部の”ラスト・ベルト”(錆びたベルト)衰退産業地域などに居住しており、長期化した失職などが原因で薬物依存になったりしている。弊害は薬剤中毒者の精神的破綻、家庭崩壊、地域の衰退などに連鎖し、アメリカ社会の基盤を深く侵食している。これらの貧困白人層を大きな選挙基盤としているトランプ大統領にとっては、とりわけ重要な意味を持つ。

トランプ大統領は、白人至上主義的視点からしばしば黒人への差別的発言を繰り返し、人種間の亀裂を深めている。NFLの試合で星条旗に敬意を払わず、起立しなかった選手を、トランプ大統領は激しく批判し、新たな問題を引き起こしている。ちなみに筆者が半世紀前、アメリカの小学校を訪問した時、各教室には星条旗が掲げられており、毎朝子供たちが胸に手を当て、母国への忠誠を誓っているのを見て、日本との違いに衝撃を受けた。しかし、少し冷静に考えてみると、アメリカは多くの政治的、文化的背景が異なった国からの移民で立国した国であり、子供の頃から絶えず国家に忠誠心を抱くよう努力をしていることが必要な国であることを体感するようになった。

さて、すでにオバマ大統領当時から、麻薬と銃砲所持は、大きな議論を生み出したことから明らかなように、アメリカ社会を甚だしく蝕んできた。オバマ大統領も最大限の努力はしたが、ほとんど成果を残すことができなかった。トランプ大統領が国境壁の建造を強く主張する裏には、彼自身も十分に整理できずにいる人種問題の歴史的重圧が存在している。その一つの側面を取り上げてみよう。

アメリカ人が働きたくない仕事
このたび新たな様相で浮上した人種問題の亀裂は、はるか以前から進行している南部諸州を含む農業州における労働力確保にも「深く関わっている。

日本ではあまり知られていないが、「リモネイラ」Limoneira はアメリカ最大のレモン生産者の一つだ。アメリカでのレモン生産は、カリフォルニア、アリゾナ州などが中心となってきた。同社は1893年以来、カリフォルニア州を中心に経営してきた。今や世界規模の柑橘類、アヴォガドなどの生産に特化した企業だ。そのHP(上掲)を訪れてみると、世界の先端にある総合農業企業の一端を知ることができる。

しかし、近年のアメリカ・メキシコ国境管理の厳格化などで、深刻な人手不足に陥り、必要な労働力が確保できなくなった。そのため、対策の一つとして、カリフオルニアの生産地のそばに、農業労働者確保のために、住宅を建築し、運営している。例えば、サンタ・パウラ では、同地域の一般家賃の約55%で、メキシコなどからの農業労働者と家族にこぎれいで機能的な家屋を建築、貸し出している。これまでは、架設のテントやトレイラーハウスなどで、農繁期をしのいできた。しかし、最近では、生活水準の向上もあって、それでは必要な農業労働者を確保できなくなった。今ほど労働力が不足したことはないという。筆者は移民労働の日米調査に従事したことがあるが、実際に訪れてみると良くわかる。灼熱の大地の下での農業労働は、近代化も進み、スタインベックの時代とは大きく変化している。機械化も急速に進んだ。それでもデリケートで手作業が必要な農業や建築業などでは炎天下の労働は極めて過酷だ。

 カリフォルニアなど、アメリカ農業州での人手不足の実態は深刻きわまるようだ。2000-2014年の間に、国内労働力は約20%減少した。機械化が進んだとはいえ、300億ドルの損失を計上した。カリフォルニア州は、アメリカの野菜の1/3、果物、ナッツの2/3を生産しているが、人手不足が原因で果物の採取ができないなどのダメージは他の州より格段に大きい。今日ではアーモンドを枝からふりおとす、トマトを摘み取るなどの作業は機械化されるようになった。しかし、良質なぶどうの剪定、箱詰めなど機械化が当面できないような繊細な果物などを採取する労働者が確保できなくなり、放置するしかないという農場が増加している。不足を補うために国内労働者を雇用することは、ほとんど不可能となり、外国人労働者への需要は格段に増加した。彼らがアメリカ人のためのレモンやアボガドを採取していると言って良いほどだ。 

引き上げられる最低賃金
農業州政府及び農園主は、対応策として、第一に賃金引き上げを考えざるを得なくなった。2000年頃から徐々に引き上げを開始し、時間賃率は8ドルから12ドルまで上昇した。カリフォルニア州ではそれ以上の13ドル近い水準に達している。リモネイラでは時間賃率は19ドルくらいになっており、3-4年前との比較で30-35%高くなっている。これらの外国人労働者は、時には近くの農場にさらに高い賃金で雇われ、追加の賃金を獲得する。トランプ大統領がメキシコ系労働者などが、アメリカ人国内労働者の仕事を低賃金で働くことで奪っているとの批判は当たらない。真実はアメリカの国内労働者、とりわけ白人労働者が低賃金の仕事を忌避し、他のより賃率の高い仕事へと移動していることが主たる原因だ。結果として、アメリカがメキシコなどから不法な受け入れる農業労働者は、2012年頃、60万人台から急増し、2016年には140万人弱まで増加した。アメリカの社会階層において、白人のホワイトカラー層は、彼らの受けた教育的基盤などに支えられ、社会における中核的存在として、アメリカを主導する競争力を保持しているが、その立場はハードワークを辞さないアジア系、中南米系などの移民などによって、次第に侵食されている。教育、地域、家庭環境などの点で、次第に底辺部に”貧乏な白人”たちの環境は厳しい。かつてはアメリカの屋台骨を支えたこともあった白人中間層の復権は著しく前途多難だ。

人種問題は関係者が平静心を維持し、それぞれが継承してきた歴史と立場に尊敬の念を払わない限り永久に解決の道は開くことはない。アメリカが抱える闇は極めて深い。



 

トランプ大統領は9月24日、失効した大統領令を組み直し、北朝鮮、シリアを含む8カ国からの入国を制限する大統領令を発令した。

 Reference

"The market for lemons", The Economist July 29th 2017.

「米労働市場に異変、薬物まん延、政権の課題に」『日本経済新聞』2017年8月19日

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この子たちに未来は

2017年01月04日 | 移民の情景


Time 誌(December 26-Januaarury 2, 2017)


可愛いですね!

しかし、この赤ちゃんには重大な秘密が・・・・・・。

========

ある朝目覚めてみると、黒い旗の下、長いひげの男たちの中にいた。

  
年末から新年にかけても、TVや新聞は世界各地のテロリストによる爆発や射撃の事件を絶え間なく報じていた。年頭からシリアやリビアなどの難民、移民が、海路や陸路で少しでも安全な地へと逃げ惑う姿を思い浮かべることになる。シリアの破滅的状況は隣国トルコへと波及し、新たな惨事を生む。

 一昨年来、シリアやアフガニスタンなどの諸国から多数の難民がエーゲ海や地中海を渡ってヨーロッパへ押し寄せた。多くの写真や映像が人々の目を捉えた。最も衝撃的だったのは、あの波打ち際に打ち寄せられていた小さな男の子の姿ではないか。この一枚の画像に心を動かされ、難民救済への努力は当初加速度的に進んだ。

 しかし、その後、実態が大きく改善したとは到底言い難い。迫害や恐怖から逃れる途上にある難民たちの中には、多数の子供たちの姿もある。そればかりか、文字通り瓦解と破滅の中で、自分か子供のいずれを救うかという急迫した状態に追い込まれた母子あるいは父子もいた。シリア内戦の過程で、500万人を越えるシリア人が2015年から2016年にかけて母国を捨てたと言われる。その過程で彼らを支えてきた母国での地域のつながり、とりわけ人間の共同体も破壊された。

地上に天使がいるならば
 最近、Time 誌(December 26-Januaarury 2, 2017)は、ギリシャの難民キャンプで生まれたシリア難民の子供のことを報じている。この表紙に取り上げられたのはヘルン(Heln)ちゃんという昨年9月13日、ギリシャの難民キャンプで生まれた子供である。

 この世に天使なるものがいるとすれば、この子たちのような存在ではないか。破滅と混乱の極限ともいうべき状況で、この激動の世界に生を受けながら、そこがいかなるところであるかについては、無垢というべき白紙のままにある。その小さな命が果たして永らえるものであるかも、自分では何も知り得ない。
 
 さらに幸い命を永らえても、この子たちには国籍がないのだ。ギリシャや多くの受け入れ国は難民やその子供たちに原則、国籍を与えることはしない。次の受け入れ国が現れる時まで、暫定的に難民キャンプで最低限度の生活を提供しているに過ぎない。幸い受け入れが決まっても、問題が解決するわけではない。難民という存在が単に現在苦難の真っ只中にある人々にとどまらず、次世代の生死に関わる衝撃的影響を秘めていることを改めて考えさせられる。世界の多くの国が国境の壁を高くしている今、難民・移民の問題はさらに深く、深刻な重みを加えつつある。

 Time誌は、この子を含めて同じような状況でこの世に生を受けた4人の難民の子供たちの今後を追って記事とすると公表している。

 

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知られざる移民・難民問題の深奥:移民を餌食とする犯罪・ビジネス組織

2015年05月11日 | 移民の情景

 

悪をなすものの故をもて心をなやめ、
不義をおこなふ者にむかひて嫉(ねたみ)を
おこすなかれ。かれらはやがて草のごとく
かりとられ青菜(あおきな)のごとく
打萎(うちしを)るべければなり。
新約 詩篇  第37篇

 

 EUやアメリカでは移民・難民問題は、時に一国の命運を制するまでの重みを持ったトピックスであり、政策課題である。間もなく行われる総選挙に反映するイギリスのEU離脱論議や、移民に強く反対するフランスの右翼政党「国民戦線」の急速な台頭なども、移民受け入れの是非に直接的に関連している。

 最近ではアフリカからヨーロッパを目指した難民を乗せた船が地中海で再三にわたり転覆し、多数の犠牲者を出し、急遽EU首脳会議を開催するごとき切迫した状況が生まれている。今回は犠牲者数が多いことでメディアの注目を集めたが、同様な事故はすでに1990年代から頻発してきた。密航者を餌食にするビジネスが生まれた。今日では、たとえばセネガルからイタリアを目指す渡航者は、密航業者にひとり当たり裁定1500ドルを支払うという。幸いにもイタリアに上陸しえた時には、ほとんど着の身着のままの姿になる。業者はしばしば漁船や老朽船などに定員を大幅に上回る密航者を満載し、自分は海上などで巧みに逃げてしまうなどの例が多いといわれる。

遠く険しい道
 目をアメリカに転じると、これもかなり以前からだが、未成年の子供が親など保護者に伴われず、ひとりあるいは複数で中米諸国からアメリカ・メキシコ国境を横断、不法越境を試み、その過程でブローカーや犯罪組織の犠牲となることが明らかにされてきた。彼らが単独で中米諸国からメキシコを通り、アメリカ国境にたどりつくことは考えられない。2千数百キロの遠路を彼らが旅することなど不可能に近い。ほとんどすべてがコヨーテなどのブローカーの手を借りての旅になる。
 
 さらに、中国やインドでも児童の誘拐・人身売買が注目を集めている。これらもきわめて悲惨な状況を生んでおり、人道的観点から到底無視できない。中国では一人っ子政策の弊害が顕在化し、近い将来の労働力確保のために、他地域から乳幼児を誘拐、売買するビジネスが闇社会で横行している。

 出来事の背景はそれぞれ異なり、複雑をきわめ、ブログではその一端しか扱えない。しかし、日本の新聞・TVなどのメディアがほとんど報じていない問題について少しだけ記してみようj。メディアの多くは、これらの事件の結果については報じているが、こうした悲惨な出来事が次々と起きる根源については、切り込みがきわめて浅い。

忘れられた根源的対策
 EU首脳会議のレベルでも、かつては、こうした難民を生みだしている国々に、政治的安定、そして雇用機会を創出することが最重要の課題であるとの正当な問題提起があった。しかし、最近のEUの首脳会議の対応は紛争や迫害を逃れた難民の保護や密航者の取り締まり強化などの再発防止策などを打ち出しているが、他方で経済目的の移民の受け入れについては反対の考えだ。最近では難民が地中海を渡るに使用した密航用船舶の破壊、ブローカーの取り締まりなど、制限的措置を強化する対症療法的な対応が多くなっている。EU諸国も余裕がなくなり、長期的視点からの政策実施ができなくなっている。その場限りの対応に終始している。今回は中米諸国、メキシコ、アメリカに関わる最近の事例を観察してみた要点を記してみたい。 

越境者の長い旅路
 最近のアメリカのメディアが伝える一例をみよう。グアテマラ・シティの富裕層が利用するスーパーマーケットで守衛として働いていたアルフレドは、同じスーパーでキャッシャーをしていたメリーダと結婚し、息子2人、娘2人の子供がいる。2000年頃に夫妻はメキシコ・アメリカ国境を越え、ニュージャージ州トレントンで建設労働者として働き、本国の親族などに送金をしてきた。典型的出稼ぎ労働のひとつの形態である。その努力が実を結び、自分の顧客を持つ小さな工務店を経営するまでになった。彼らは本国グアテマラに残してきた息子2人の祖母に託し、送金で地元の私立学校に通わせるまでになった。アメリカでは娘2人と生活している。
 しかし、不運なことに、近年グアテマラの経済そして生活環境が急激に悪化し、犯罪の多発など息子たちが普通の生活を維持することが難しい状況になってきた。この中米の治安悪化はギャングなどの暴力組織の横行による身の危険、子供と親が別れて住むことの不安、そして絶対的な貧困の存在が、これまでの出稼ぎ移民型をきわめて難しくするようになった。アルフレドの場合、事態を憂慮した両親は「コヨーテ」(北米の草原に住む貪欲な肉食動物、転じて主にアメリカ・メキシコ国境における密航斡旋業者)として知られる密航斡旋ブローカーのネットワークに頼り、息子二人をグアテマラから両親の住むアメリカ、ニュージャージー州トレントンへ呼び寄せようとした。

 ニカラグアからアメリカへの道はいたるところ危険に充ちている。鉄道と徒歩での長い旅。とりわけ乾燥地帯は、昼間はキルンの中のような灼熱状態、夜は冷凍庫といわれるように気温の変化が激しい。熱中症、脱水状態となり死亡したり、ガラガラ蛇のような毒蛇に咬まれたり、オオカミのような野生動物に襲われて命を落とす者も多い。それでもアルフレドなどがアメリカへ旅してきた2000年頃までは、アメリカ国境の体制は未整備で、密航者にとっては抜け穴だらけとも言うべき状況だった。

国境を変えた同時多発テロ
 しかし、9.11を境に国境の状況は大きく変わり、アメリカ、メキシコ両国ともに管理体制が格段に厳しくなった。そして、ドラッグ、不法入国者、テロリストへの対応が大きな課題となった。とりわけアメリカではブッシュ大統領政権末期以来、600マイルにわたる国境フェンスの増強、ドローン(無人飛行機)による空中偵察、レーダーその他の科学的探索装置が増強され、正規の入国に必要な書類を持てない越境者たちが不法入国を試みる地域は大幅に限定された。

 国境管理が厳しくなり、越境の困難さが増したことで、暴利をむさぼることになったのは、コヨーテなどのブローカーだった。彼らは越境希望者あるいはその家族を身代金の強請、強要、強奪などの手段で、横暴のかぎりを尽くすようになった。すでにアメリカなどで働いている者の故郷の家族などから、金品を強奪するなどの犯罪が増加し、国境をめぐる犯罪は拡大、組織化された。従来の越境の手助けをしていたコヨーテなどのブローカーは、麻薬貿易や人身売買を手がける、さらに大規模な国際的犯罪組織の傘下に組み込まれてしまった。子供の密輸を狙ったスクールバス・ハイジャックまで起きている。

 危険な道程を予見したアルフレド、メリーダ夫妻は、息子2人を故郷グアテマラからアメリカ国境をなんとか越境させるため、多額の金を支払い、コヨーテに手助けを依頼した。コヨーテは最初は親切な対応を装っていたが、間もなく正体を露見し、少年の旅の途上で、さらに多額の身代金を要求するようになった。息子たちのグアテマラからアメリカ国境への旅にしても、長距離移動は貨物列車の貨車の屋根で過ごしたり、地域の支援施設のサービスで飢えをしのぐなど、決して安全なものではなかった。

 グアテマラ・シティの祖母の家から車でピックアップされ、他の子供たちと集団でバスでメキシコを縦断し、アメリカ国境、リオ・グランデを渡河し、テキサスに近い場所までは、コヨーテは何度か代わったが、まずまず順調な旅のように見えたをちょうちょうはhじっさ。。しかし、コヨーテはその正体を現した。彼らは息子から夫妻の家の電話番号を聞き出し、グアテマラで両親が依頼したコヨーテとは自分たちはまったく関係の無いコヨーテであるとして、息子2人の身代金として5000ドルを直ちに送金するよう脅迫した。夫妻はなけなしの貯金すべて2000ドルを送金した。しかし、電話の主は当のコヨーテは逮捕され、金も届いていない。自分とそのコヨーテは関係ないが、息子の安全を望むならさらに5600ドルを送金せよと脅した。金策尽きた両親は、官憲に息子たちの捜索・保護を依頼した。ここも、金の支配する社会だった。とりわけメキシコ側の腐敗は遙か以前から問題となってきた。

 2人の息子はアメリカ国境で発見、拘束され、両親の手に引き渡された。しかし、彼らのアメリカ滞在が認められたわけではない。息子たちをグアテマラに強制送還するか否かの簡易判決を受けることになる。移民法の裁判では弁護士が自動的につくわけではない。弁護士の出席が工面できないと、強制送還になる確率は極めて高い。これもアルフレドがやっと工面した金でやっと弁護士費用を支払い、なんとか強制送還を免れた。


 昨年11月20日、オバマ大統領はおよそ500万人の入国審査用書類を保持しないで入国、アメリカに居住している者の本国強制送還を延期する一連の大統領令を発表した。その中には400万人近いアメリカ市民および永住者の親たちも含まれている。アメリカで出生した子供たちがアメリカ市民権を持っていても、親や保護者が所持していない、不法滞在者である場合は多い。

 ここではグアテマラからアメリカへの長い怖ろしい道をなんとか歩んだ移民の子供の例をとりあげたが、アフリカから地中海をわたるまでの過程でも、いまや悪質きわまりない強請(ゆすり),脅迫の組織ネットワークが中南米、中東・アフリカに張り巡らされ、その経路に頼る以外に、密航すらできない。恐怖の密航犯罪組織 extortion network の撲滅は、移民・難民問題に対処するための最重要課題となりつつある。


 上掲の新約「詩篇」の一節は、2人の兄弟がかろうじて救助された後、両親が設定した集会で唱えられた。しかし、その通りに事態が進む可能性は少ない。



追記 2015/05/11
 BS1が『地中海”密航”の実態:救助でジレンマ』 と題して、この問題をとりあげていた。救助されることを見越しての密航者とそれを介在して暴利をむさぼる業者が存在するかぎり、ヨーロッパへの難民・移民の流れは耐えることがない。EUが難民の国別受け入れ割り当てを設定することは、各国の実情を考えるときわめて難しい。密航者を餌食にしている犯罪組織を根源で撲滅し、送り出し国の政治の安定化、経済の向上を目指すことが重要だが、短期的に実効があがる対策はない。

Reference
"Briefing Europe's boat people" the Economist April 25th 2015. 
UNHCR. Children on the Run, 2014
”Where are the children? ” The New Yorker, April.

★しばらくお休みしました。すこしずつ再開する予定です。

 

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壁の向こう側を見通す力

2014年06月30日 | 移民の情景

 


アメリカ・メキシコ国境は国境パトロール体制が
強化され、両国を隔てる物理的障壁は年々
高くなっている。 





  サッカー、ワールドカップも、日本はほとんど見せ場をつくることなく敗退してしまい、この国には脱力感のような空気が漂っている。一次リーグ敗退が決まった日、全国紙の一面はまるでスポーツ新聞と変わらず、戦争にでも敗れたような大きな文字が躍っていた。ワールドカップは、あたかもサッカー場を舞台にしての参加国間の代理戦争のような光景と見られないことはない。世界の政治・経済などの場では、存在感が薄い国や小国も、ここで大国に勝って日頃の憂さを晴らす。敗退した国は次第に熱が引き、冷静さ?を取り戻す。一時期大きな問題であったフーリガンがどこかへ消えてしまって、まずまず安全で熱狂的な応援の舞台がつくり出されている。


 サッカーのスポーツとしてのおもしろさのひとつは、それぞれのティームが動く壁、一時固定された壁(プレース・キック)など、さまざまな壁を介在して、自陣を守りながら、相手の壁を抜けるという点にある。短い時間ではあるが、虚々実々の駆け引きが展開される。

閑話休題
 最近、アメリカ・メキシコ国境をめぐる移民事情の変化をウオッチしていて驚いたことがある。なんと国境地帯を子供たちだけで、くぐり抜けようとする動きが激増し大問題になっているとのこと。ABC(6月29日)が特別ニュースとして報道していた。事態を重く見たオバマ大統領が緊急事態として迅速な対応を命じた。しばらく前までこれらの年少者、子供たちは大人たちに引率され、砂漠などの危険地帯をくぐり抜け、アメリカへ入り込もうとしていた。しかし様相が急激に変わりつつあるようだ。

 今、メキシコ側からのアメリカへの不法入国(査証、旅券など必要書類不携帯)者が最も集中しているのは、テキサス州に接する部分が多いリオ・グランデ河流域だ。不法入国者が選択する地域はその時の政策環境で変化してきた。


アメリカ・メキシコ国境の変貌
 テキサス州リオ・グランデ河を挟んだよく見られる光景。アメリカ側は必要と考える地域には人工の障壁も設置し、電子探知装置、無人機などかなり強固な監視体制を準備している。しかし、時々パトロールが巡回する程度で、表向きは国境ガードのような人影も見えず、平和な風景が展開する。他方、メキシコ側も、一見穏やかな自然の風景の中で、日々の生活を楽しんでいるかに見えるが、入国を志す者は、それなりの準備をして虎視たんたんと監視の隙をねらい国境を越える。国境のパトロールが見ると、服装、準備などから、直ちに怪しいと分かるらしい。

 このリオ・グランデ渓谷は最近再び大きな関心が寄せられる地帯になっている。およそ2000マイル(3200km)の距離にわたり、不法入国を企てる者と彼らの侵入を防ぎたい国境パトロールがせめぎ合う熱い場所になっている。


急増する子供の越境者
 最近、大きな注目を集めているのは両親などの付き添いもなく、兄弟などの未成年者、あるいは子供だけで国境線を渡ろうとする者が増えていることだ。今年のアメリカ会計年度(10月1日から翌年9月30日まで)に国境で拘束された保護者のいない子供たちの数はおよそ52000人に達した。増加し始めたのは2011会計年からで15700人だった。 こうした子供の入国者はアメリカに隣接するメキシコではなく、ホンデュラス、グアテマラ、エル・サルヴァドールなどの中米諸国から北上してアメリカに入り込もうとするようだ。たとえば、今年度に国境で拘束された者の中で15000人はホンデュラスを国籍としていた。アメリカ・メキシコ国境に到達する前に、メキシコの南部国境で拘束され、本国送還される者も多いという。これら中米3カ国からの出国者は子供を含めて、2010年代以降、急増している。いずれの国も治安状態が悪化し、ギャングが横行している。そして、子供や親を脅し、金品を奪ったり、自らの仲間に組み入れる。

 脅威におびえた親や子供は、多額の金をコヨーテ(人身売買の斡旋業者)に支払い、子供をアメリカなどへ避難させる。最初の頃は、親など成人の保護者が子供と共に、中米からメキシコへ入り、さらにリオ・グランデなどの国境地帯を目指した。しかし、最近、大きな問題となっているのは子供たちだけでこの怖ろしい試みをすることだ。彼らの多くは両親や親族などがアメリカにいる。そこまでなんとか子供だけでたどり着こうという無謀な行動だ。子供たちはメキシコやアメリカに入国するに必要な正式の入国関係書類を一切保持していない。さらに、アメリカにいる親族なども多くは、不法滞在者である。こうした子供たちの数はいまや推定で6万人から8万人、来年は13万人になるとの予想もある。コヨーテに支払われる金額にもよるが、子供たちの多くはアメリカ・メキシコ国境近くで、放り出されてしまう。ひたすら北の方を目指すしか生きる道はない。
 
 子供たちの年齢は低い者でわずかに4歳、シャツにアメリカの身よりの連絡先が縫い付けられているだけだ。こうした子供たちが多数、不法に越境してくるということは、メキシコあるいはアメリカの国境パトロールにとっても予期しない出来事のようだ。短期間に急激に増加したこともあって、国境で拘束された子供たちを収容する設備は整備されておらず、不潔で悲惨な状態にある。なにもない土間のような部屋に多数の子供たちが詰め込まれているような状況らしい。想像するに恐ろしい光景のようだ。オバマ大統領は「緊急な人道的対応が必要だ」と述べた。

 中米諸国からの未成年者の密入国者の急増の背景は、これらの国々の政治・経済的不安定にある。かれらが本国を逃げ出すのは、誘拐、人身売買などを行うギャングの横行、家庭の崩壊による家庭内暴力が主たる原因のようだ。さらに、親たちは、アメリカに居住している家族、親族などを頼りに、夢を子に託して、子供や孫をアメリカに送る。

 中米諸国の惨状が背景:作られたうわさ
 こうした予想しなかった事態の背景には、最近中米諸国の治安が極度に悪化し、殺人などの比率も急増していることが指摘されている。麻薬をめぐる争いもすさまじい。

 そうした中で、アメリカのオバマ大統領が、子供さらに幼い子供を育てている母親については、国境管理を緩めて入国を認めるとの方針転換を発表したとの虚偽の噂が各地に伝わったことが、急増の理由の一つに挙げられている。これだけインターネットが発達し、TVなどのメディアも普及しているにもかかわらず、それすら利用できず、情報の真偽の確認もできないという事態が拡大していることに注意を向けるべきだろう。実際、アメリカ国境で拘束された子供や親たちの多くが、アメリカへ行けば入国が認められると思っていたと回答している。


 入国を企て拘束された者は、国境で入国許可 "permiso" (permit) が交付されると思い込んでいたらしいが、これは両親など明確な親族がアメリカに生活している場合で、ほとんどすべての未成年者は事情聴取の上、本国へ送還される。うわさが生み出す恐ろしさは、これにとどまらない。中には、アメリカは戦争に備えて、若者を入国させているとのうわさまで広がっているという。さらに、フェイスブックなどの映像が見られるインターネット上のメディアの発達で、アメリカに住む知人などが、物質的な豊かさの断片などを映像で知らせ、それに誘われてアメリカ行きを目指すという悲劇も伝えられている。

 ホワイトハウスは、6月にバイデン副大統領を中米に派遣し、アメリカは今日いかなる国境「開放」政策をも採用していないことを説明させた。


ねつ造される根拠ないうわさ 
 しかし、このような根もないうわさを流布させ、信じ込ませてしまうような背景も指摘できる。国境で人身売買をビジネスとしているコヨーテといわれるブローカーは、うわさをねつ造し、移住希望者(多くは不法入国者)を誘う。

 2013年会計年にアメリカは37万人というかつてないような多くのアメリカ在住の不法滞在者を、本国送還した。しかし、アメリカ国内には、依然として推定1170万人といわれる不法滞在者がほとんど減ることなく存在している。これらの不法滞在者を確定し、本国送還する手続きがいかに困難であるかについては、このブログで再三、記したことがある。


 このたび問題化した未成年者、子供の本国送還についても多くの問題が付随する。安易に送還し、悪辣な人身売買業者などの手にわたらないよう配慮しなければならない。さらに、アメリカの法律では、国境パトロールは子供たちを72時間を越えて拘留できないことになっている。送還あるいは特別の事情で滞在許可が下りる前に、裁判官の事情聴取を受けることが義務づけられている。この分野の専門判事はひとり当たり5千人分の案件を抱えているといわれ、事態はきわめて厳しい。オバマ大統領は裁判官の増員を約したが、それほど容易なことではない。

 いずれ本国送還される子供たちはしばらくはアメリカにいる親戚、知人あるいは地域の慈善施設などに頼って、生活し、担当判事の結論を待つことになる。

遠ざかる解決への道
 
現実がこのように厳しい状況にあるにもかかわらず、移民問題解決の糸口は依然としてない。包括的移民政策の実現はいつになるか不透明になった。とりわけ共和党のかたくなな対応が妥協を困難にしている。ホワイトハウスは中米諸国への援助強化、国境移民管理に当たる裁判官を増加するとしているが、効果が出るとしても遠い先のことだろう。オバマ大統領自身、包括的移民改革の推進について当選当時のような熱意をまったく失ったようだ。


 こうして未成年者、子供の不法入国者が増加する傍ら、入国に必要な書類を保持せずに不法入国を企てる者の数は2000年度の1600万人から、2013年には415,000人まで減少した。その背景にはアメリカの経済がはかばかしくないこと、それに対してメキシコの経済が好調であることが反映しているとされる。そして、国境管理体制自体がかつてと比較して厳しさを増したことが大きな要因としてあげられる。そして、いまや貧困の中心はメキシコから中米へと移動しつつある。

 隣国メキシコからの流入が減少していることについては、別の理由もある。2008年頃の調査では、メキシコからの不法入国者の多くはなんとかアメリカへ入り込み、仕事にありついて貯金を蓄え、時々はメキシコの故郷へ親や親戚に会うために帰国していた。そして、再びアメリカへ戻る適当な手段を活用し、アメリカで生活していた。しかし、国境管理が厳しくなった今日では、国境の壁がアメリカで働く家族とメキシコなど中米に住む家族の間を、お互いが容易には会うことができないように隔離し、遠ざけている。そのため、故郷の両親はアメリカに働きに行っている息子や娘の子供を、なんとかアメリカへ送り届けようとしているようだ。

生死をかけた旅の先には

 オバマ政権が包括的移民改革の実施に大きく手間取っている間に、現実もかなり変わってしまった。国境の体制が硬直的になっているため、当初考えられた農業、建設労働者などを弾力的に両国間を行き来させるという弾力的な運用プランは、実現が難しくなってきた。国内労働者はこうした分野では、働きたがらない。十分な労働力が南にあると思っていた政府、農業関係者は乏しくなってきた供給源に不安を隠せない。

 こうした変化の中で、不法入国を志す者がまったく減少するわけではない。きわめて厳しい経済状況に置かれている中米諸国の人たちは、自分の息子や娘がアメリカで働いているならば、預かっている彼らの子供たちを国境が完全に閉鎖される前に、なんとかアメリカへ届けたいと思っている。しかし、その道はさらに遠くなっている。

 

 

 References

 ABC News June 30, 2014.

”Under-age and on the move” The  Economist June 28th 2014.

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遙かなる昔、そして今:ルーマニア移民の明暗

2014年05月25日 | 移民の情景

  

Victoria Arcade, Bucharest




  偶然見たTVに、なつかしい光景が映っていた。『世界ふれあい町歩き』(NHKBS1 2014年5月20日)で、ルーマニアの首都ブカレストを映していた。いたるところ、これはパリではないかと思わせる雰囲気のある街並みを見かける
。ここは小パリ(Micul Paris)ともいわれてきた、東欧で唯一ラテン系の文化を継承する洒落た雰囲気が感じられる都市だ。隣国ウクライナは紛争地帯として世界の注目を集めているが、同じ農業国でも両国の印象はかなり異なる。

 遙か昔、この国を訪れたことがあった。このブログにもその印象を少し記したことがあったが、最初はまだ共産党一党支配によるチャウシェスク政権下(1918-1989)の時だった。その後まもなく、1989年の民主革命でチャウシェスク大統領夫妻が逮捕、処刑され、大きく体制が変わった。

革命前のイメージ
 最初に訪れた時は革命前であり、ブカレスト
にはいたるところ厳しい、陰鬱な雰囲気が漂っていた。電力不足で町は暗く、食料不足もあって人々の表情もさえなかった。言論統制が厳しく、印刷はすべて国家の印刷局で行われていた。ブカレストの町中を歩いても、首都としての活発さ、生気がほとんど感じられなかった。共産圏の専制国家とは、これほどまでに人々を変えてしまうのかと、暗澹たる気持ちで旅をした。

 それでもいくつか思い浮かぶことがある。TVにも映されていたが、街角に花屋が多かった。北駅から旧市街へ向かう道路の交差点にあった花屋が映っていた。TVのカメラマンを通してだが、なんと24時間営業しているとのこと。よほど花の好きな国民なのだろう。TVではカメラマンへの挨拶が「ボンジョルノ、アリデヴェルチ」とイタリア語だった。最初訪れた時は、ルーマニア語しか聞かれなかったが、こちらがルーマニア語を知らないことがわかると、フランス語をに切り替え
て試してくれた。暗い印象が残ったブカレストだったが、住宅のベランダなどを彩る花々が印象に残った。

 地理的な近さもあってか、今ではイタリアの影響も大きいようだ。この国はかつてロシア、オスマン・トルコに囲まれていた時期があった。そのためか、東西文化の複雑な影響を受けている。町中にはjフランス風のバケットなどをウインドウに並べたパン屋があるかと思えば、水煙草を吸わせる店なども残っている。チャウシェスク時代に、かなり歴史的な建造物が破壊されてしまったが、今に残る19世紀に作られたといわれるヴィクトリア・アーケードなどは、当時の美しさを伝えている。

変わりゆくブカレスト
 ブカレストの街並みは今大きく変わっているようだった。古い街並みを残しながらも、新しいビルがあちこちに建てられ、多数の新しい車が走っていた。かつて共産主義体制下、あまり人の姿が見られなかった有名なチェルニカ修道院は400年以上の歴史を誇るが、今は美しく補修され、多数の人で賑わっていた。かつて訪れた時は、人も少なかった。多少、観光地化したようだ。歴史的な街並みを自らそこに住みながら、補修事業を行っている若い人たちもいた。

 2007年にルーマニアとブルガリアは、希望していたEUへの加入が認められた。しかし、EU諸国の中で両国共に、経済的に遅れが目立つ後発国だ。そのため、ドイツ、フランス、イギリスなどEUの基軸国へ出稼ぎに出る人が多い。かつてポーランドがEUに加入した時にも、EU側はどれだけの移民労働者がやってくるか、推定が難しく大変憂慮していた。

移民労働者規制を強化するEU
 ほぼ無条件でポーランド労働者を受け入れたイギリスなどは、予想を上回る流入で対応に苦慮した。そのため、今回のルーマニア、ブルガリアの加入については、最初から警戒的であった。イギリスの移民労働者統計は複雑で、実態を知るのが難しく、しばしば物議を醸す。2013年3月時点でイギリスで働くルーマニア、ブルガリア人労働者は144,000人と公表された。今年2014年3月では140,000人と少し減少している。右派政党などが掲げたような大量流入はなく、イギリス政府もひとまず胸をなでおろしたようだ。このところ急速に移民労働者の受け入れ制限に動いているイギリスは、ルーマニア、ブルガリアからの労働者が失業給付を申請するには、最低3ヶ月は待たねばならないという新たな規制措置を導入した。*1

 フランスもルーマニア、ブルガリアからの労働者受け入れには厳しい対応を見せてきた。とりわけ、ロマ(ジプシー)人のフランスでの行動をめぐって激しい議論が行われてきた。ヨーロッパ諸国とジプシーの関係は長い歴史があり、さまざまな問題を経験してきた。ロマ人の多くはルーマニアから旅をしてくると言われている。現在のフランスにはおよそ2万人のロマ人が100近い都市の外縁部に掘っ立て小屋などを作り、住んでいる。しかし、地域住民との間では度々紛争を引き起こしてきた。極右政党の国民戦線などは、以前からロマ人をシェンゲン協定を結んでいる地域(シェンゲン圏★)に受け入れることに強く反対してきた。フランスにおける反移民感情は年々高まっており、その先頭には反EUを掲げる極右政党、国民戦線が立っていて、今や第一党に迫る勢いだ。

 ルーマニアとブルガリアは2014年のEUへの加盟によって、シェンゲン圏に入ることが予想されている。 しかし、加盟国の多くはルーマニア、ブルガリアがEU域外からの移民労働者の突破口になることを心配している。というのは、この両国は国境管理、旅券、査証審査、警察などとの関係が緩く、十分でないと懸念しているためである。そのため、域外から両国へ入り込んだ移民労働者が、EUの基軸国などへ自由に移動してくることを恐れている。

外国へ行った人・残った人 
 再び、今のブカレストを映したTVに戻る。ブカレストには活気が戻っていたが、それでもなんとなく寂しげな雰囲気が町や人々の表情に残っている。念願のEU加盟を果たしたが、多くの国民が外国へ出稼ぎに行ってしまう。しかし、出稼ぎ先で彼らの多くは良い仕事にありつけない。受け入れる側はますます規制を強化している。他方、外国へ出稼ぎに行けない人たちには、折角の機会を放棄しているような挫折感もあるようだ。活力のある人たちは出国してしまい、さまざまな事情で出国出来ない人たちがブカレストの仕事を支えているような雰囲気だった。

 こんなことを考えている時に、これも興味深い記事に出会った。ドイツのある研究機関によると、移民労働者は自分の行動が正しかったか否かを、離れてきた自国の経済状況との比較で判断する傾向があるという。ドイツで働く移民労働者についての調査結果である。その要旨は、彼らは外国で働きながら、母国の経済状況が良くなると憂鬱になるが、自国の失業率が悪化すると、自分の決断が正しかったと思うのか、かなり元気になるという。こうした感情はこのブログでとりあげたこともある、ドイツの Schadenfreude (他人の不幸を喜ぶ心情)に近いもので、彼らはおそらくそれまでにこうしたドイツ語を知るにいたるほど、ドイツに住み着いているのだろうというオチがついていた*2。

 

 ★ 1985年にシェンゲンで署名された協定でヨーロッパ26カ国が加入。その地域をシェンゲン圏という。渡航者はシェンゲン圏に入域あるいは圏外へ出る場合には国境検査を受けるが、圏内で加入国の国境を越える際には検査は必要ない。シェンゲン圏にはアイスランド、ノルウエー、スイスなどEUに加盟していない国も含まれている。ただし、アイスランド、イギリスは例外でシェンゲン協定を施行していない。シェンゲン圏内の人口は4億人を越える。

References

*1 ”Bulgarian and Romanian immigration-what are the figures?” BBCNEWS 14 May 2014


*2 "The great escape" The Economist 17th May 2014



 

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波の彼方に見えるものは:イタリア海難事故の悲劇

2013年10月07日 | 移民の情景

 


ランペドゥーサ島の位置
拡大はクリック


  10月4日、久しぶりにCNNを開いたところ、耳を疑うような事件を報じていた。イタリアのシチリア島に近いランペドゥーサ島沖合で、アフリカからの移民・庇護申請者 nugrants and asylum seekers 500人近くを乗せた船舶が沈没、155人は救助されたが、すでに死者が100人を越え、残りは行方不明で捜索中との報道であった。整備不良のエンジンが発火、救助を求めて燃やした毛布から船内へ延焼、バランスを失い転覆したことが原因のようだ。日本では小さな記事にとどまり、関心も低い。あの豪華客船の座礁とはまったく異なったジャーナリズムの取り上げ方だ。同様な事故があまりに日常的に起きているからだろうか。実態があまりに悲惨で、前回記した
Schadenfreude を感じる人が少ないのだろうか。
 
 実は7月にもイタリアの沿岸警備隊が、398人のシリア難民をランペドゥーサ島で救出した。天候の比較的安定している夏には6000人近い不法移民などが1-2日をかけて海を渡る。今回沈没した船も全長20mくらいの小さな船であったようだ。地図が示すように、アフリカからヨーロッパ大陸に渡る最短の場所であり、チュニジアの海岸からランペドゥーサ島は、航路で110キロ程度の近さだ。

ヨーロッパを目指す海路
 この地域では20年ほど前からアフリカからEU諸国を目指す人たちの船が、天候異変、定員過剰、海賊との遭遇などで、沈没などの事故を頻発してきた。今回事故を起こした船舶にはエリトリア、ソマリア、ガーナ人などが乗っており、リビアの沿岸から出港したようだ。折からリビアとソマリアでは、アメリカが対テロ作戦を展開している。こちらは、大きく報じられている。

 ランペドゥーサ島は日本ではほとんど名前さえ知られていない。しかし、ヨーロッパ、アフリカの両大陸では大変よく知られた存在だ。アフリカからヨーロッパ、とりわけEU諸国へ不法に入り込みたい、あるいは難民として庇護申請をしたいと考える人々が、最初に考える、いわば両大陸間の踏み石のような存在になっている。彼らはなんとかこの小さな島にたどり着き、その次のステップで、ヨーロッパ大陸を目指す。結果として移民・難民問題の発生する前線基地のようになり、人口も6000人くらいに増加した。今回に類似した事故は過去にも頻発し、このブログにも何度か記したことがある。関連して、この地の移民を主題とした映画についてもコメントした。海岸線が長く、沿岸警備が難しいという意味では、日本も同じ問題を抱えている。かつて台湾が中国本土に動乱が起きるような事態について、真剣に検討していた時期もあった。

肌を焦がす太陽

 彼らの多くはイタリア入国に必要な書類を保持していない。沿岸警備隊などによって発見され、拘束されると、イタリアで庇護申請を求める。そして、ランペドゥーサで1日から一週間を過ごし、アフリカへ送り戻されたり、ヨーロッパ大陸へ渡る。ランペドゥーサには250人定員の拘留施設があるが、この頃では常時1200人を越え、収容能力を越える。彼らの多くは航海中に脱水症状、過度な日焼け、小さな船のためエンジンの排気ガスなどで体調を崩し、医療施設に収容される者も多い。地中海上の太陽光線は、日本の穏やかな日光とは異なり、瞬く間に目を痛め、皮膚を焼いてしまうような厳しさだ。携行する水や食料の量も限られ、しばしば重大な脱水症状を起こす。

 ボートで移動、相手先国に入国を目指すのは、今日の越境者にとって有力な手段・経路になっている。アフリカとヨーロッパなど、大陸間移動も航空機では入国審査が厳しく、生存のために移動を考える人たちは、人身売買業者などにわずかな所持金も奪われながら生命を賭して小舟などで海を渡るしかない。受け入れ国側はかつてなく受け入れに厳しい制限策をとるようになった。これまでは難民や庇護申請者に、比較的寛容な政策をとってきたオーストラリアなども、近年のボートピープルの増加に手を焼き、強硬な政策に転じている。


 イタリアの沿岸警備隊は最近でも3万人近い違法な渡航者を発見、保護し。必要に応じ、病院などへ搬送してきた。イタリアの沿岸警備隊は、アフリカ側と共同して、できうるかぎり人身売買、密輸などの犯罪行為取り締まりにも当たっている。しかし、経済停滞でイメージの暗いヨーロッパだが、あえて危険な海を越えようとする人たちの流れは絶えない。

 アフリカからヨーロッパ大陸への主な密航の場所は、7年ほど前はカナリア諸島であった。その後、地中海の中央部からギリシャへと移り、「アラブの春」とともに、イタリアへ舞い戻ってきた。イタリアはEU加盟国の中で、最も海岸線が長く、不法に入国しやすい。逆にイタリア側とすれば、不法な越境者の阻止、そして今回のような問題の対応に大変なコストをかけてきた。これまで再三にわたり、EU本部と協議を重ねてきたが、有効な解決策にいたっていない。

アンダークラスは覚悟の上だが、
 
国連の移民・難民調査では、すでに今年前半だけでおよそ8,400人がイタリアとマルタの海岸に上陸したが、イタリアに残っているのは600人程度と推定されている。イタリア、スペイン、ポルトガルなど南欧諸国は、経済に復活の兆しが見えない。そのため仕事を求めて、経済情勢が少しでもよいとみられるドイツやオランダなどのEU諸国内に移動したと思われる。しかし、これらの国々でも、雇用市場の実態はきわめて悪化している。たとえば、しばらく前までポーランド、ポルトガルなどを中心に5万人近い移民労働者を受け入れていたオランダも失業率は7%を越え、外国人労働者への風当たりは厳しくなっている。2005年以降、同化テストが課され、300ユーロを支払い、受験する。これまでに25000人以上が国外退去となった。デンマークでは難民認定申請者が10年も一時拘留施設に10年も拘留されているなどの例が報告されている。EU各国がさまざまな形で移民の受け入れを拒んでいる。幸いに受け入れられたとしても、アンダークラスの生活が待ち受けている。

 EU市民は加盟国内の移動は自由だが、経済停滞で仕事の機会は限られている。広く世界を見渡しても、移民受け入れに寛容な国は見当たらなくなった。

 民主・共和党間の対立で、政府機関などの閉鎖などが行われているアメリカでは、上院は移民改革法案がなんとか通過しているが、下院では紛糾しており、今回の出来事で議決される見通しはさらに遠ざかった。アメリカの政治の劣化は著しい。オバマ大統領もレイムダック化が取りざたされるまでになった。なんとか逆転のヒットが打てるだろうか。

 海上の波ばかりか、国際政治の波も激化している。天候は荒れ模様だ。

 



  

CNN, BBC 2013/10/04

 

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戦争が生み出す移民・難民: なにが分かってくるか

2013年09月13日 | 移民の情景

17世紀30年戦争当時の甲冑。
なんとなく化学兵器戦争や福島原発作業を連想してしまう。 
クリックすると拡大


ようやく気づいた国民
 
シリア問題について、オバマ大統領の思惑が外れたことで、アメリカの威信は大きく揺らいだ。盟友イギリスまでもが、国民の過半は新たな戦争に関わることはごめんだと早々と引いてしまった。イギリス国民としても、今回はきわめて冷静な判断をしたといえよう。

 酷暑しのぎに、目が疲れる分厚い書籍を読まずに、トニー・ブレヤー(第73代イギリス首相、第18代労働党党首)
の回顧録 A Jouney を聞いていた。著者自身の朗読だが、なんと13枚のディスクで計16時間かかった。ブレヤーは演説のうまいことでも知られた人物である。それだけに現代史の難しい時期に関わり、内容は濃く、興味深いのだが、聞くのも楽ではない。日本ではほとんど報道されなかった話も多い。それはともかく、イギリス国民も指導者の誤った判断で、犠牲を強いられる他国への派兵、犠牲の大きさにようやく気づいたのだ。さらに、外国での戦争はテロリズムの輸入という形をとって、結局自国まで拡大してしまうことになった。ブレヤーが首相在任中、北アイルランド和平への協議(1998年ベルファスト合意締結)、アメリカのブッシュ政権が主導した対テロ戦争(アフガニスタン紛争、イラク戦争)への参加などの経験が、いかにその後の国民の意思に反映したかが伝わってきて、聞き始めると、案外時間は早く経過してしまう。    

 このブレアの回顧録は、ひとりの政治家の目から見たイギリス現代史の一齣だが、総じて大変興味深い内容である。現在進行中のシリア内戦がいかなる帰結を生むか、まだ分からないが、現在の段階で、米ロなど大国間の覇権争いの方向はほぼ見えている。これまでの数々の難局で、関係する国々の政治家たち、そして国民がなにを考え、いかなる意志決定にいたったかという問題を考える上で、イギリスの経験は多くのことを教えている。今回、孤立してしまったオバマ大統領としては、イギリスに準じた手法をとるしかなくなった。



Tony Blair, A Journey: My Political Life
Read by the Author, New York: Random House
13 compact discs, 2010

拡大はクリック

効力を失った「米国例外論」
 オバマ大統領にノーベル平和賞を授与したことは、明らかに早すぎたのだ。ロシアのプーチン大統領がオバマ大統領の「米国例外論」を逆手にとって批判し、窮地に追い詰めたところで、シリアの化学兵器の国際的管理なるカードを持ち出し、疲労困憊の色濃いオバマ大統領はかろうじて一本の枝にすがりつけることになった。

 もっとも、このカードがジョーカーとして解決の切り札になるかは予断を許さない。シリアに平和が戻るのは、大変長引きそうな予感がする。しかし、今の段階ではロシアは大国復活の一歩を誇示し、シリア、アサド政権に恩を売り、アメリカはかろうじて面子を維持している形だ。アメリカが現代世界における「正義の味方」という超法規的国家であるというイメージはとうに消えている。

 カーニー米大統領補佐官は、9月12日の記者会見で、米国は世界中の民主的価値観や人権のために立ち上がる「例外的な国」でロシアとは異なると述べ、プーチン大統領に反論したが、もはや迫力はなくなっている。他方、ロシアは安保理の対シリア決議案に拒否権を行使してきており、米ロ双方が大きな責任を国際的には負っていることを自覚すべきことはいうまでもない。問題はそのことを当事者が自覚しないことにある。化学兵器の使用をめぐって、内戦下の議論は泥沼化する可能性が大だ。他方、これも大国となった中国はロシア側に寄りながらも静観のかまえだ。というよりも、国内に深刻な問題山積、それどころではなく、今は国際紛争に介入できる時ではないと思っているのだろう。しかし、隣国日本には執拗な示威を繰り返している。

 ようやく猛暑が収まりつつある今、こうした世界の動きを見ていると、このブログに度々記してきた17世紀と、どれだけ違うのだろうかと度々思う。危機の時代」といわれた17世紀からは多くの点で学ぶことが多い。

犠牲はいつも難民 
 
気の毒なのは大国の駆け引きと武力介入で、右往左往させられる当事国の無力な国民だ。シリアでもすでに200万人を越える多数の難民が生まれた。内戦によって住む場所を失った難民が、少しでも安心できる地へ逃げのびたいと思うのは当然だ。しかし、その状況は映像上でも見るに痛ましい。シリアはヨーロッパに近く、イタリアなどへはアドリア海を船で越える難民が増加している。

 難民あるいは移民を受け入れ側は、以前にもまして冷たい対応だ。世界全般で移民や難民への対応が冷淡になっている。EUの受け入れ国、イギリス、フランス、オランダなど、いずれも国境管理を強化し、閉鎖的対応を強めている。他方、EUの中で唯一抜きんでた存在のドイツは、かなり積極的に難民受け入れに動いた。

 シリア問題にふりまわされているアメリカでは、懸案の移民法改革もどこかへ棚上げされてしまったようだ。移民法改革で超党派グループの共和党の有力マケイン議員も、軍事力行使の立場をとったが、住民集会などで、まったく支持されず、答えに詰まり腕を組んで立ち往生だった。「米国例外論」の終わりを象徴するようだった。シリア問題でブログに記した通り、「鯖の鮮度」は落ちてしまった。

 イギリスの例を見る。非常に評判が悪いのは内務省のとっている政策だ。たとえば、ロンドン市内に「帰国しなさい、さもないと逮捕されるかもしれません」"Go Home or Face Arrest" という看板をつけた広報車をはしらせているからだ。その対象は不法(滞在)移民だ。しかし、イギリス生まれの人種的には少数の市民、そして連立政権の閣僚の何人かを反発させている。

 他方、新任のイギリスの中央銀行総裁マーク・カーニー氏は、カナダ人の英語アクセントと独特の表現で、今のところイギリス特有のうるさい議論を抑えこんでいる。これまでの管理人の人生で、イギリス人とのつきあいもかなり長くなったが、自国に適任者が見当たらないとなれば、時に政治的判断を含めて、有名大学の学長や中央銀行総裁まで、外国人を登用するというカードを使うイギリスという国はやはり興味深い。日本で日銀総裁や東大総長に、中国人、アメリカ人など外国人が就任する日は考えられるだろうか。

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追い風吹くアメリカ移民制度改革

2012年11月28日 | 移民の情景




  

  再選されたバマ大統領は精力的に活動を開始している。 これまで頓挫していた政策を再生させようとの動きが見え始めた。11月27日にはメキシコのペニャ・ニエト次期大統領と会見し、両国懸案の課題解決に着手し始めたようだ。PBSの対談に出演したS.オニール(外交問題評議会)、M.シフター(インターアメリカン・ダイアローグ)の両氏は、共にアメリカにとって経済問題に次ぐ課題は、移民問題への対応という点で意見が一致していた。

  移民制度改革については、オバマ大統領、前半の4年間は、共和党の反対が強く、ほとんどさしたることができなかった領域である。移民制度の改革案は、すでにジョージ・ブッシュ大統領の時に概略は提示されながらも、多くの共和党員が反対し、実現を阻止されてきた。とりわけ賛否が分かれた問題は、およそ1200万人ともいわれる不法滞在移民への対応だった。

大統領選を左右したヒスパニック系
 
このたびの大統領選挙戦を通して、民主、共和両党に、この問題についての共通基盤が生まれつつある。いくつかの理由があるが、最大の変化は不法移民の大半を占めるヒスパニック系、とりわけメキシコ系移民についての認識が変化したことだ。ヒスパニック系への対応が、大統領選などの成否を決めることが、やっと認識されるようになった。特に共和党内には、これまでヒスパニック系選挙民に冷淡であったことについて、反省が生まれている。

 今回の大統領選で、ヒスパニック系は、アメリカ全土の選挙有権者の10%を占めた。2008年当時は9%であった。わずかな変化にみえるかもしれないが、数は着実に増え、キャスティング・ボートを握った。ロムニー候補が不法滞在者は「自分で強制的に帰国せよ」 self-deportという発言をしたこともあって、ロムニーは、ヒスパニック系投票者の27%の得票しか得られなかった。

 他方、オバマ大統領は一定の条件をクリアした若い不法滞在者に労働許可を与える方針を示し、彼らの抱える問題に理解を示したこともあって、71%を獲得した。これほど明瞭な差異が生まれると、共和党もヒスパニック系選挙民の重要性を認めざるをえない。依然、不法移民に市民権を与えることはアムネスティであるとして、反対する勢力も強いが、状況は明らかに変化しつつある。共和党員の間にも大統領案に同調する者も増え始めた。

 変わる移民の現実
 
変化をもたらしている要因は他にもある。アメリカ・メキシコ国境は約2000マイル(3200km)近くになるが、およそ1日1人の率で越境を試みる者が死亡している。不法越境は状況が急速に厳しくなっている。

 結果としてみると、メキシコの人口のおよそ10人に1人に相当する1200万人が不法移民である。アメリカで生まれたメキシコ系は約330万人である。ロサンジェルスは、いまやメキシコの首都メキシコ・シティに次いで、メキシコ系人口が多い。 

 1995-2000年の間に約300万人のメキシコ人がアメリカへ入国した。他方、メキシコへ戻ったのは70万人くらいだ。2005-10年には、新規入国は140万人くらいだったが、戻った数も同じ140万人程度だった。今は帰国者の方が多くなってきた。

 ボーダーパトロールによると、2000年にはおよそ160万人が越境しようとして拘束された。昨年2011年は286,000人、過去40年間で最低の水準だった。 

 移民の波は、増えたり減ったりしている。かつてはカナダ、イタリア、ドイツからの入国者の方が、メキシコよりも多かった。メキシコ系の入国は1970年代から増え始め、80年代から急速に拡大した。アメリカの移民システムの対応は緩やかだった。入国ゲートは比較的開いていたといえる。ピークは2000年で、75万人以上が入国した。


Source: The Economist 24th November 2012

減少した移民の仕事
 
2000年はアメリカの失業率は約4%だったが、今では8%台である。これは最近のメキシコの2倍の水準である。アメリカの建築業はひどく不振であり、庭園業も需要が減少している。強制送還は厳しくなり、年間30万人近くになっている。

 メキシコのティフアナとサンディエゴを結ぶ経路は、これまでボーダーコントロールが間に合わないくらい多数の越境者が通過したが、今は閑散としている。 

 最近では国境を不法越境する人たちの”人気の地点”は、アリゾナ砂漠に移っている。ここは最短でも越境に徒歩72時間を要する難路である。日中は酷熱の砂漠、毒蛇やコヨーテなどが出没し、夜は急速に気温が下がり酷寒の地となる。多くの人が途中で命を落とす。しかし、最近はメキシコの麻薬ギャングの暴力の方が怖い。メキシコの人権委員会によると、毎年およそ2万人がメキシコ国境まで北上の途上で誘拐されたり、死亡するという。カルデロン大統領の6年間には,麻薬カルテルに関連しておよそ6万人が死亡したという。                                    

 メキシコ人の間でも、豊かな人たちはメキシコ側ではアタモロス、モンテレーなど、アメリカ側ではサンディエゴ付近に移住するようになった。コロニーが生まれている。

 北からメキシコへ戻る人たちは、女性が多い。アメリカで子供を産み、育てて、しばらくすると帰国を考える。ある40歳代の女性はプラスティック・リサイクル工場で週給250ドルで働いていた。メキシコに戻ると、$4.20の日給水準となる。アメリカに戻るために再入国することは難しくなっている。

 今日、アメリカにいるメキシコ人から本国への外貨送金は、228億ドル、観光業収入を上回る。しかし、2007年の260億ドルを下回るようになった。

 総じて、アメリカに住むメキシコ人はまずまずの暮らしをしている人たちが多くなったが、メキシコにいる人たちは、家族を含めて苦しい生活を送っている。オバマ大統領が改革に着手し、不法滞在移民が合法化されれば、彼らの地位は向上し、労働条件も改善されよう。メキシコの家族への送金も増加し、良い結果につながるだろう。

 新年早々にオバマ大統領は、移民制度改革の具体化に着手すると思われる。共和党の対応も変わる。先が見えなかった道の前方にようやく光が見えてきた。

 

      

Reference
PBS November 27 2012
'This time, its different' The Economist 24th November 2012  

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北北西に進路をとれ:バルカン半島、国境を抜ける人たち

2012年03月18日 | 移民の情景

 

 

Source: wikitour


  経済活動のグローバル化がもたらした負の側面から回避しようと、さまざまな動きが起きている。自国民の雇用が脅かされるとして、移民の受け入れを制限する国が増える一方で、少しでも経済状態が改善されると思う地域へ潜り込もうとする人々の流れが生まれている。

 最近注目を集めているのはバルカン半島だ。かつては「ヨーロッパの火薬庫」ともいわれ、民族問題の複雑な地域でもある。世界を震撼させたギリシャ財務危機もここから起きた。その中心であるギリシャ、そしてEU加盟を目指すトルコは、越境移民が注目する国だ。

ギリシャが出発点、ゴールは西欧
 
ギリシャ財政危機の余波で、仕事が見込める西ヨーロッパへ潜り込もうとする人たちがいる。その中には、内戦状態が激化しているパキスタン、シリアなどから避難を試みる人もいる。しかし、彼らが目指すEU諸国の基軸国ドイツ、フランス、イギリスなどは、最近移民受け入れ規制を強化しており、入国条件が厳しい。しかし、国境でのパスポート・コントロールがないシェンゲン協定地域へ入り込めれば、目的は達成できると考える人たちは多い。

 
そうした中、不法越境の手引きをする密航業者が目立つのが、トルコ、ギリシャである。彼らの手引きで、トルコからEUの東の前線であるギリシャに入り込み、バルカン半島を北上して西へ向かい、ヨーロッパを目指す不法移民の道が生まれている。

 その出発点となるトルコとギリシャの国境を隔てるイヴロス川は、越境者が目指す最初の拠点になっている。闇に乗じて冬の冷たい川を小さなボートなどで渡る。ここにも人身売買・密輸業者が待ち受けている。グループで入国を試みる場合、一人当たり300ユーロ、約400ドルを彼らに支払う。

 Frontex(EUの国境警備機関)は係官を派遣、ギリシャの警官と国境警備に当たるが人手が足りない。3月に入っても、渡河を手引きする密輸業者とFrontexの警備官との間で銃撃戦が起きた。この時、船に乗っていたのは、19人のバングラデッシュ人と6人のパキスタン人だった。

 越境を志す側からみると、ここを抜ければ、ヨーロッパへの第一関門の突破だ。もし発見され、逮捕されると、警察に短期間拘留される。強制送還されることもある。2009年にギリシャ入国のためにエヴロス川を渡った不法移民は、8800人。2010年は47000人。2011年は55000人と急増している。最も多いのはパキスタン、続いてアフガン、バングラディシュ、アルジェリア、コンゴ人などである。ある推定ではギリシャには50万人近い不法移民が滞留しているとされる。ギリシャから逃げる人もいれば、潜り込んでくる人もいる。 

 最初拘留されると、多くの場合、30日間、ギリシャ滞在が認められる書類を入手できる。すると、彼らは越境地点に近い鉄道駅にある「カフェ・パリ」へ行く。そこには若いモロッコ人密輸業者がいて、その先の密航の相談に乗る。彼らの一部は、ギリシャからフランスへ、タンクローリーなどに隠れて密航するのだが、その費用は4000ユーロくらいが相場とされている。航空機での出国は極めて難しい。

バルカン半島を北上する長い旅
 そのため、多くの場合、陸路でバルカン半島から北上して、その後ヨーロッパへ入る。ギリシャからマケドニア→コソボ→(モンテネグロ)→セルビア→ハンガリーの経路をたどる。かつては、ルーマニア、ハンガリーから不法越境でギリシャに入り込む移民たちが多かった。名画「永遠と一日」の世界だ。今、流れは逆転している。

 ギリシャからオーストリアへ入り込もうとする越境者もいる。彼らは、ギリシャ、アルバニア、セルビア、モロッコ人などの密輸業者の手引きに頼る。費用はおよそ2800ユーロ。いずれにせよ、長い危険な旅路だが、越境者は所々で長期滞在し、身分証明書を確保したり、旅の費用を稼ぐ。ヨーロッパへの旅は長い。

移民で溢れるトルコ
 実はギリシャと国境を隔てるトルコも移民で溢れているという。彼らはアフガニスタン、イラン、パキスタン、そして最近では内戦状態のシリアからやってくる。トルコは不法移民をなんとか減らしたいと考えている。そのため、ギリシャへ向けての越境者に厳しく対していない。さらに、トルコ政府は膠着状態のEU・ブラッセルとの外交関係を改善するために、この移民を交渉材料に使おうとも考えているようだ。

 越境者の多くはギリシャからバルカン半島を北上し、ハンガリーをめざす。そうすれば、オーストリアへも容易に入国できるし、シェンゲン協定のおかげで国境管理なしに、イギリスを望むフランス大西洋岸カレーにまでも行けるからだ。越境者たちは、金さえ稼いでいればなんとかなると考えているようだ。かくして、アジア、中東から西ヨーロッパへの越境者の流れは絶えない。門扉を閉ざす者がいれば、それをくぐり抜ける者もいる。

 移民をめぐる議論は果てしない。極東の島国に住む日本人には、今でも遠い国の話としか聞こえていない。しかし、移民も観光客も来たくないような国に、日本をしてはならない。




Illegal immigration, The Economist  March 3rd-9th 20
ATHENS NEWS 17 March 2012

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いつまで続くか?ギリシャの現実

2010年08月26日 | 移民の情景

 
いつまで続くか:ギリシャの日々
 財政破綻でEUを震撼させたギリシャだが、今度は不法移民の入り口として新たな頭痛の種となっている。EUの加盟国増加に伴って、EUと域外を隔てる障壁は東や南へ向かって拡大してきた。周知の通りEU市民の域内の移動は自由だが、域外からEU諸国への移動は合法的な入国書類の提示などが要求される。

 不法移民はこれらの書類を提示しないか、所持することなく国境を越えて入国する。そして、入国してしまえば、その後はEU諸国内で仕事がありそうな場所へと移動する。しかし、合法的な入国書類などを保持していないために、良い仕事につける可能性は少なく、しばしば搾取の対象となったり、犯罪組織に巻き込まれたりする。あの名画「永遠と一日」(テオ・アンゲロプロス監督、1999年上映)をほうふつとさせるような殺伐とした光景が生まれている(映画はたまたま、8月26日BS2が再放映していた。映像の美しさと不法移民に突きつけられた苛酷な現実が衝撃的だ。映画の冒頭は、街路で一時停車中の車の窓を洗い、わずかな金をもらう不法移民の子供たちが警官に追われて逃げる光景だ。彼らは人身売買の形でアルバニアからギリシアへ送り込まれてきた。この状況は今もまったく変わらない。アテネなどのギリシャの都市は、アフリカ、アジア、中東などからの移民が増加し、治安上も危険になっている。

  これまではイタリア、スペインなどが不法移民がEUに入り込む地域として、大きな問題になっていた。しかし、近年これらの国では、国境管理体制の整備などもあって、不法入国者の数は減少してきた。EUへの表口からの入国ができない移民希望者は、国境監理の最も不備な地帯を探し求める。今は、経済が混乱しているギリシャがその対象になっている。

 2009年にEUへ不法入国し、国境などで拘束された106,200人のうち、4分の3はギリシャで摘発されている。2010年前半についての暫定統計では、不法移民の全体数は減少しているが、その80%近くがギリシアからEUへ入ろうとしていた。2007年では、半数に留まっていた。

 EU域内で発見された不法入国者は、最初入国した国へ送り戻されることになっている。そのため、最近でほとんどギリシャへ送還されてくることになる。しかし、彼らを出身国へ送り戻すまで拘留するセンターは、対応する人手も不足し、完全にパンク状態だ。さらにギリシャ国内には30万人近くの不法滞在者がいると推定され、失業や犯罪などの温床として、すでに大きな問題になっている。財政破綻したこの国には、対応しようにも資金がない。

 こうした事態に、ブラッセルも頭を痛め、ワルシャワにあるEUの域外からの進入を防ぐ機関Frontexの事務所を、ギリシャのピラウス港に設置し、なんとか対応しようと懸命だ。しかし、アフリカ、中東からの潜在的な不法入国者の流れに対応するには、きわめて弱体で、「大海の水一滴」とまでいわれている。それでもここに投入されている資金は、EU全体の米生産補助金の半分近くに当たる8800万ユーロという額に達している。
 
 これまでEUへの不法入国はスペイン、イタリア、そしてギリシャが多かったが、スペインがセネガル、モーリタニア、イタリアがリビヤと協定を結び、不法出入国を規制する措置を図ったこともあって、一挙にギリシアへ集中する形になっている。もちろん、ギリシャもトルコなどと同様な協定を締結する線で交渉中だ。EUの経済が回復し始めると、不法入国者の数も増加することが予想され、ギリシアは、財政危機と不法移民阻止という二つの難題克服に懸命だ。しかし、この国にとっては、あまりにも重い課題となった。EUが閉鎖性を強めるほど、不法入国を志す者は、残された狭い入り口を求めて、ギリシャのような国境警備の行き届かない地域へと集まってくる。



Reference
"Border burden" The Economist August 21st 2010

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国家を脅かす密貿易

2010年04月02日 | 移民の情景

底なしの麻薬密貿易の世界:アメリカ・メキシコ  

 アメリカ経済の停滞で、国境間の人の移動が頭打ちになる中で、執拗に増加しているのが、麻薬密貿易だ。アメリカ・メキシコ国境で、新たな動きが注目を集めている。そのひとつの例を紹介しよう。

  アメリカ税関に勤務するマルガリータ・クリスピンは、テキサス州エルパソとメキシコ・シウダ・ヒアレスの間で麻薬取引などに関わる情報収集員を務めてきた。しかし、FBIはクリスピンが麻薬取引のマフィア組織に取り込まれたと内偵を進めてきた。

 ある日、彼女が運転し、FBIに追跡されて逃げた車から2.7トンという大量のマリファナが見つかった。彼女は告発されたが、FBIが驚いたことには、彼女は自白取引 plea bargaining(自白すると刑が減じられる) に関心を示さず応じなかったことだった。メキシコの麻薬組織は、FBIなど捜査当局に不利な情報提供をするようなことがあれば、ただではすまないぞと彼女を脅迫しているようだ。実際、こうした麻薬組織はアメリカ・メキシコの国境パトロール組織やメキシコの政府高官にまで深く入り込み、さまざまな犯罪を生む元凶であった。

アメリカこそが犯罪の元凶
 アメリカに流通するマリファナ、コカインなどの麻薬のほとんどは、メキシコ側から入ってくる。原産地はメキシコばかりでなく、コロンビアなど南米も大きな産地だ。そして、麻薬カルテルがあげる巨大な利益のほとんどは、アメリカ市場で生まれている。昨年メキシコのカルデロン大統領が勇敢にも挑戦、摘発対象としたような大きな偽善と巨悪がそこにはある。カルデロンはメキシコ中央政府高官の間に深く巣くっている積年の汚職、犯罪組織に、身の危険もかえりみず勇気あるメスを入れようとした。

 彼はアメリカ当局にも同様な行動を求めている。「アメリカの出入国管理などの腐敗や汚職が、世界最大の麻薬市場を繁栄させている。私がメキシコで行ったように、どれだけの高官がアメリカで実際に取り調べられたか」とカルデロンは厳しく問う。 これまでメキシコの麻薬密貿易問題に距離を置いていたアメリカも、最近ではクリントン国務長官自身、「麻薬密貿易戦争」にメキシコとアメリカ両国が共同してあたることを約束させられている。麻薬の最大市場がアメリカであることを、否応なしに認めざるをえない状況のためである。

正面突破を試みる麻薬組織
 麻薬取締機関がアメリカ・メキシコ国境で摘発した麻薬・薬物の量は2007年の357トンから、2008年には661トンまで増加した。関連して今年は6600人が死亡している。昨年は5800人だった。この増加の背景にはなにがあるのか。大きな理由として、国境管理の強化、とりわけ辺境地帯での取締体制の強化が影響したとみられている。従来、密輸の経路に使われた砂漠地帯でのパトロール体制が強化されたことで、密輸を企てる者は、逆に公的に開かれている国境の出入り口を使って、正面からくぐり抜けようとして発覚したりで、国境パトロールなどと対決、紛争などを起こしたようだ。

 税関でのトラック検査の腐敗は、しばしば贈賄か脅迫かという形をとるようになっている。アメリカの国境管理にあたる秘密情報員は、ギャングなどによる銃砲などでの物理的脅迫にはあまり動かされないといわれてはいる。

 他方、麻薬ギャングは、密輸取引に伴って目的以外で、余分な暴力沙汰などを起こさないように注意しているらしい。言い換えると、砂漠などで銃砲火を交えたりすることなく、正規の税関などから貨物などに隠蔽して麻薬などを持ち込もうとしている。他方、アメリカ国境の管理体制は強化され、パトロールの数も2001年の9000人から今日の20,000人近くに増強された。

 憂慮すべきは麻薬取引の発見、摘発にあたる捜査情報員が早い段階から組織へ取り込まれることだといわれている。増員される捜査・情報員の多くは新人なので、密貿易組織は彼らが仕事に慣れないうちから、組織に取り込んでしまおうとしているらしい。しかも、その魔手は、まだ国境税官吏や捜査員に任官しない若者にまで伸びているとされる。国境問題には関係国の社会の深部まで目をこらして見ることが求められる。事実は小説よりも奇なり。


References
Assets on the other side: Corruption on the border ” The Economist March 13th 2010
"Reaching the untouchables." The Economist March 13th 2010.
”Turning to the gringos for help." The Economist March 27th 2010.

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イギリスは移民がお嫌い?

2010年01月11日 | 移民の情景

EU+北米8カ国世論調査(German Marshall Fund et al. 2009)


 外国人労働者
(移民)についての国民的感情について考えている時、短いが興味深い記事に出会った前回の記事にも関連するので、少し記してみよう。移民受け入れについてのイギリスの特別な位置が主題だ。

 イギリス人は、ヨーロッパ大陸の主要国あるいは北米のアメリカ、カナダと比較して、移民受け入れに消極的(反移民的)になっているという内容だ。EUのイギリス、フランス、ドイツ、イタリア、オランダ、スペインに、アメリカ、カナダの2カ国を加えた8カ国の国民の意識調査が判断材料になっている。この調査では、これらの国々の中で、イギリスだけが際立って移民受け入れに消極的という結果が出ている。なぜだろう。

 かなりのイギリス人が自国に移民が多すぎると感じているようだ。さらに、ポイント方式など他国から先進的と評価されている移民受け入れ策にも相当多くの国民が否定的だ。政府の積極的移民(受け入れ)政策は間違っていると考える人も多い。移民は自国民の仕事を奪うと考えがちであり、移民に公的給付が等しく与えられることに反発しがちだ。最近話題に上っている「ゲストワーカー」(一定期間就労後、帰国するタイプ)の導入案についても、賛否相半ばしている。一時的労働者導入よりは定住型移民への賛成者が多いようだ。

 イギリスの移民の人口比率は、フランスやイタリアよりは高いが、突出して高いというわけではない。ただ、近年ポーランドなど東欧諸国などからの移民労働者の流入が急増したこともあって、失業率の上昇を背景に、移民への国民的関心は高まっている。

 少し前まで、イギリスは移民受け入れに大陸諸国より寛容であり、政府やメディアもそれを喧伝してきたところもあった。今回の調査に反映されている移民への消極的な感情には、12年間続いた労働党政権への不満も影響しているかもしれない。イギリスの人口に対する移民比率はおよそ10%だが、調査に答えた人たちは平均すると27%くらいと考えたようだ。実際より移民の存在を大きく感じている。移民の影におびえるのだろうか。正確な事実を知ることの難しさを感じる。メディア側にも問題があるかもしれない。

 確たる分析が行われたわけではないが、人口に占める移民の比率が10%のラインを越えると、移民への反発などマイナス面が目立つようになるともいわれてきた。しかし、この調査で対象として取り上げている8カ国の中で、イギリスよりも人口に占める移民比率が低いのはフランスとイタリアだけだ。しかも、フランスでもイタリアでも、外国人(移民)労働者をめぐる多くの難しい問題を経験してきた。したがって、イギリスが移民受け入れに消極的になっている原因としては、移民・人口比率以外の背景があると考えられるべきだろう。

 移民はある特定地域へ集中する傾向があるので、そうした地域では、平均以上の移民集積が起きて、住民との軋轢・摩擦などが生まれる可能性は高くなる。

 さて、イギリスを含む上記調査では、「自分は人種差別主義者(racist) ではないが」という条件付きで、いくつかの質問に対する各国別の回答者の結果が示されている(上掲図)。

  「移民は自国民の仕事の機会を奪うか」という問いに「その通り」と答えた比率は、イギリスが図抜けて高く50%を超えている。アメリカ、スペインが続く。

  「合法移民は犯罪増加につながるか」という問いに、「その通り」と答えた比率はオランダ、ドイツに続いてイギリスが高い。

  「公的給付は移民に平等に与えられなくともよい」と回答したのは、やはりイギリスが50%近い高さで第1位、ドイアメリカが続く。

 「政府の移民政策は誤っている」との答も、イギリスが70%近くで第1位、スペイン、アメリカが続く。

 これらの結果を見る限りでは、確かにイギリス国民の間に移民受け入れについての懐疑的な思いが高まっていることは、推測できる。しかし、そうした変化が何に起因しているかは、簡単には分からない。考えられる短期的な要因としては、EU新加盟の東欧諸国からの移民増加、相次いだテロ事件の衝撃、厳しい雇用状況などが挙げられる。そして、長期的には移民比率が傾向的に上昇してきた。こうした状況で、移民への消極的、否定的な感情が高まっているようだ。好況時には、移民労働者は人手不足もあって、受け入れは歓迎されることが多いが、不況時には逆の反応が強くなる。移民への国民感情は冷静に判断する必要がある。
  
 同じ島国である日本は、イギリスと比較すると、人口に占める移民比率は数分の一であり、移民受け入れへの国民的感情はイギリスほど切迫感を持ったものにはなっていない。しかし、外国人の集中・集積が高い都市や地域では、深刻な問題も発生している

  ここで、注意しなければならないことは、移民問題はいずれの国においても、好況・不況という景気循環の動きにきわめて左右されやすいという特徴があることだ。さらに地域における外国人との現実の接触、交流において、どれだけの蓄積があるかということも強く関係している。言い換えると、交流経験の蓄積の程度が対応のあり方に大きく影響する。移民、外国人労働者の受け入れという点では経験の浅い日本だが、国民的合意形成への方向性が見えぬままに、なし崩し的に受け入れは進んでいる。行方定めぬいつものやり方だが。さて、行き着く先はどこだろうか?

 

 日本でも「外国人集住都市」と呼ばれる地域は、さまざまな問題に直面している。ちなみに現在は7県28市町が「外国人集住都市会議」と呼ぶ自治体組織を設立・運営し、共通の課題の解決、政府関係機関への提言などを行っている。群馬県大泉町のように外国人登録者数が全人口に占める比率が16.6%(2009年4月1日現在)と国全体の平均(2008年末1.74%)を大きく上回る地域もある。

 

Reference
This skeptical isleThe Economist December 5th 2009

コメント (4)
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