晩秋の一日、予定していた『クラーナハ展:500年後の誘惑』(国立西洋美術館)に出かける。クラーナハ(Cranach, Lucs the Elder, 1472-1553))は、とりたてて好みではないが、以前に記したメッケネムやデューラー、そしてとりわけルターなどの関連で気になる点もいくつかあって、機会があれば作品を見るようにしてきた。
最初にこの画家の作品に改めて惹かれるようになったのは、東西ドイツ統合前の国立ベルリン絵画館だった。それまでは、作品は各地で見ていても、なんとなく好みに合わない感じで、深く考えることはしていなかった。作品の裏に隠れた画家の人生や時代環境についての知識も、十分ではなかった。
ベルリンでは開館して間もなく入館したためか、あまりに空いているのに感動していると、展示室の管理をしている館員が、手持ち無沙汰なのか、遠来の客に多少のサービスをと思ったのか、先方から話しかけ、近くの展示品の案内をしてくれた。次の部屋にクラーナハがあるよと知らせてもくれた。名作だから見逃すなよ、という含意があったのかもしれない。
『ルクレティア』との出会い
記憶が正しければ、その展示作品のひとつは『ルクレティア』という女性の裸体像だった。この時代、画家がこれほど大胆なイメージを描いたということ自体かなりの驚きだったが、クラーナハ(父)は、この画題で何枚も制作したらしい。アルプス以北では最初のことのようだ。宗教戒律が厳しいという地域と思っていたが、画家の制作当時もかなり話題となったようだ。この画家の作品、とりわけ裸体を描いた作品が与える第一印象は、人体の裸像であっても、なんとなく冷たい、どことなくアンバランスな独特な感じを与えることだ。マルティン・ルターの肖像画も見たはずだが、あまり強い印象を残さなかった。
今回の展示作品にも、同じ画題の作品『ルクレティア』があったが、ウイーン造形技術アカデミー所蔵だった。少し気になって、今回の東京展カタログを調べてみたが、ベルリン国立美術館関係からは借り出されていないようだ。この画家はきわめて多数の作品を制作したらしい。息子も画家であったから、その数、2000点を超える ともいわれる。銅版画を多数制作したことも、画家の作品販路の拡大、知名度を高めることにつながった。
本展の注目作品のひとつ『ホロフェルネスの首を持つユディト』のように、ホロフェルネスの首を左手で押さえ、右手に剣を掲げたユディトは、肖像画のスタイルで描かれているが、少なからずグロテスクな感じもして、怖いところがある。カラヴァッジョの作品のいくつかに見るリアリスティックなグロテスクさとはやや異なるが、あまり長く見ていたくはない。この時代の人々にとっては、戦乱の巷などで残酷な光景はさほど違和感がなかったのかもしれない。『洗礼者聖ヨハネの首を持つサロメ』、『ルクレティアの自害』(銅版画)も同様なアイディアで描かれている。特に前者はストーリーの次元で考えている場合はまだしも、美女が持つ大皿の上に置かれた生首の絵は、美的観点からも良い印象ではない。ちなみに、中世の伝統を引き継ぐならば、ユディトは「美徳」を現し「快楽」という悪徳を克服するものとみなされてきた。
ルーカス・クラーナハ(父)
「ホロフェルネスの首を持つユディト」部分
1525/30年頃油彩、板(菩提樹材)
87x56cm
ウイーン美術史美術館
展示を見ていて興味深かったことのひとつに、売れ筋作品のイメージ・パターンが工房には多数類型化されていて、注文主の要望などに応じ、描き分けられていたとのことだった。作品主題が『ルクレティア』、『ヴィーナス』といっても、微妙に異なる作品が存在することになる。こうした型紙に相当するものは、ロレーヌの画家の工房などでも使用されていたことが知られている。売れ筋の人気作品はこうした型紙の使用で、工房の職人や徒弟などの手であらかた整えられ、最後に親方が筆を加えるということもあったようだ。
現代から見るマルティン・ルター
クラーナハに興味を抱いた他の点は、以前にも記したがマルティン・ルターとの親交であった。時代の精神面を支配した宗教に改革の狼煙を上げ、時代を大きく転換させた人物と美術の世界において創造性とその成果の浸透に力を尽くした画家との交流は家族の段階に及んでいた。
1517年に、神学者であったルターが教会の優位性と無謬性に異議を唱えたことをきっかけに、各地で農民戦争が勃発し、1555年に、プロテスタンティズムは正式に認知されることとなった。ザクセン選帝侯領の宮廷画家クラーナハは、本作品以前に別のルターの肖像画を描いたほか、多くの聖書挿絵や布教版画を作成し、ルターのイメージとともにプロテスタントの画像を広めた。大規模な自分の工房で、絵画と版画を繰り返し複製させたことが知られている。この大規模工房の仕組みについても、書きたいことはあるが、今はその余裕がない。作品の出来映え、精粗が大きいことなどが気になっている。
ルターについては、時系列的には最初に下掲の修道士姿のルターの銅版画が継承されている。
ルーカス・クラーナハ(父)
『アウグスティヌス会修道士としてのマルティン・ルター』
1520年、エングレーヴィング(第3ステージ)
144x97cm
アムステルダム国立美術館
油彩画についても、画家はいくつかの作品を残している。誇張した表現ではあるが、クラーナハ(子)は、1000枚を超えるルターの肖像画(多くは銅版画と思われる)を制作し、この宗教改革者のイメージを世に広めることにつとめたといわれる。
ルーカス・クラーナハ(父)の工房
《マルティン・ルターの肖像》
1533年頃 油彩、板
ベルリン国立絵画館
油彩で描かれたルターの肖像は、無地の背景に、3/4斜め正面のマルティン・ルターを、黒髪と黒いマントをまとった学者として描いている。緑色無地の背景と黒色のマントの中に、硬い表情のルターの顔だけが浮かび上がっている。ヨーロッパ世界を揺るがすほどの時代の改革を担った先駆者の姿を、今日こうした形で追憶することができるのは貴重なことだ。ルターの容貌は、かなり独特であるために、修道士姿でなくとも直ぐに判別できる。
ちなみにマルティン・ルターは1525年6月13日、カタリナ・フォン・ボラと結婚した。当時も聖職者の婚姻は公には認められず、ルターは聖アウグスティヌス会を追われた。その後、二人は元修道士と元修道女という立場で、クラーナハの工房で肖像画を描かせた。残念ながら、妻を描いた部分は滅失してしまったようだが、その後1529年頃に描かれた肖像画は残っている。夫妻ともに質実な容貌で独特のベレー帽を被ったルターと中流市民的な裏地に毛皮のついた上着の妻が描かれている。いずれの作品も画法の精緻さという点では洗練されているとはいえないが、写真のなかった時代、きわめて貴重な記録史料となっている。
ルーカス・クラーナハ(父)
『マルティン・ルターとカタリナ・フォン・ボラ』 1529年
油彩、板
36.5x23cm, 37x23cm
ウフィツィ美術館
*Von Martin Warnke, Lucas Cranach; Luther (邦訳マルティン・ヴァルンケ『クラーナハ;ルター』岡部由紀子訳、三元社、2006年)
『クラーナハ展; 500年後の誘惑 LUCAS CRANACH THE ELDER』 国立西洋美術館、2016年10月15日ー2017年1月15日