出所:Eurostat
「貧困率」 at-risku-of-poverty 以下の人々の比率(%) 。社会的給付移転後の可処分所得(メディアン)の60%。 人口構成調整、2003年
「格差社会論」は、いまや日本やアメリカにとどまらず、ドイツでも盛んになりつつあるようだ。新年に送られてきたいくつかの文献を見ていたら、「ドイツよ、お前もか」という感じになってしまった。
日本には、バブル期にみられたような「一億総中流」というおめでたいイメージはとうにない。ドイツでも健全な中産階級の国というイメージはいつの間にか消えてしまったようだ。ドイツは日本とよく比較されるが、格差論議についても似ている部分が非常に多い。資料を眺めながら感想めいたことを少し記してみたい。
最近の日本では「格差社会」を肯定し、「ニューリッチ」の生成を誇らしげに語り、彼らを社会の活力の担い手と持ち上げる動きも高まっている。他方で、「ワーキングプア」に始まり、親子心中、高齢者の独居死など、いたましいニュースも多くなった。日本版「アンダークラス」(最下層階級)の顕在化といえるかもしれない。
ドイツでは、グローバル化に伴う不平等の拡大は、同様に二つの議論を呼び起こした。ひとつはブルジョアの存在やその社会的評価について、もうひとつは「アンダークラス」の問題である。前者はかなり以前からくすぶってきた、後者は2005年頃に外国からの投資増加に伴う社会階層の盛衰をめぐって盛んになったようだ。
「新ブルジョア」Neue Bűrgerlichkeit をめぐる議論は、新聞文芸欄などにみられる、やや行過ぎた知的遊戯のような様相を呈しているという。このまさにブルジョア的再生の風潮として、上等な衣服への嗜好、ラテン語の勉強、個人教授などが復活してきたことがあげられている。他方、新たなブルジョア時代の到来と積極的に評価する向きもあるようだ。
第二次大戦後、「ブルジョア」 Bűrugerlichkeit は、ドイツ社会では居場所がなくなったとの評価が有力だった。この概念は急速に時代遅れのものとされ、1990年代初めでもブルジョアという言葉は侮辱の響きを持ったという。しかし、今日若いドイツ人はあまり抵抗感がないようだ。日本でも「ブルジョア」はいつの頃からか急速に語感が希薄になり、死語になりかけている。70年代くらいまでは頻繁に登場していた「プチ・ブル」 petit-bourgeois という言葉も、若い人にはなじみがないようだ。代わって、「ニューリッチ」が台頭してきた。対する「ニュー・プア」という言葉も目につくようになった。「階級」といういやな言葉も復活するのだろうか。
ドイツではブルジョア論争よりは、新たなアンダークラス論の方が盛んになりそうだ。ドイツ人の8パーセント近くが、熟練度が低く、仕事もみつからず、改善の見込みがほとんどないグループだとの報告もある。グローバル化は経済的・社会的格差の収斂よりは拡大を引き起こすようだ。グローバル資本主義は人を幸福にもするが、不幸にもする。それでも「停滞」よりは良いのだろうか。
多くの豊かな国のように、ドイツでも貧困は増大している。所得再配分後の全国メディアン(中位数)で、60%以下の可処分所得しかない人たちという尺度でみて、2004年にはドイツ人のおよそ16%は貧困者のグループに分類された。この比率は2000年と比較すると、大きな増加となる。数値自体はヨーロッパの平均くらいだが(図表参照)、ドイツの貧困率は、かつてはヨーロッパの平均を大きく下回っていた。いうまでもなく、東西ドイツ統合の影響が現れている。旧東ドイツの貧困率はイギリス型に近く、若年者と移民の間で高い。
「アンダークラス」という言葉自体が差別的と思う人もいるが、新たな「アンダークラス」が生まれていることは事実のようだ。物質面での欠乏という問題も相変わらず深刻だが、文化的格差が拡大していることの方がいまや重要だと考える人もいる。ベルリン自由大学の歴史家ポール・ノルト Paul Norte は、今日のプロレタリアートはかつてのような上昇志向がないという。そればかりか、社会の主流から自らを隔てる生活スタイルとなっているらしい。
こうした新階級社会論ともいうべき議論を見ていると、論点も実に多様化しており、とてもここで概括などはできない。その中で気になるのは、新しいアンダークラスの問題は、貧困それ自体でもあるが、それ以上に社会的移動、モビリティの不足にあると言う指摘である。その背景には、ドイツの教育システムが特定階層について選別的な作用を持ち、階級格差を拡大・固定化するという。
日本の教育改革論議にもつながる論点だが、最近の日本の状況と対応は、労働改革と同様にあまりに拙速だ。教育改革案といわれる内容をみると、これまで長い間無為無策であった状況を、急に思いつきに近いような施策で修正できるのかという印象が強い。
さて、ドイツの連立政権的状況は政党間の競争効果でプラスに働き、政党指導者を大胆な改革者に駆り立てる可能性があるとも予想されている。そうすれば、経済活性化、失業減少につながる良い結果が生まれるかもしれない。日本は連立効果も働かないとなると、どうなるのだろう。
Reference
'Class concerns,' The Economist November 11th 2006.
熊谷徹『ドイツ病に学べ』新潮社、2006年