時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

温故知新の旅

2019年07月26日 | 午後のティールーム

 

 

ある日、急に旅心が高まり、博多まで飛んだ。目的は国立九州博物館だった。これまで何度か訪れる機会はあったのだが、時間の関係で部分的にしか見ていない。東京、京都、奈良の博物館はかなりの回数訪れたのだが、九博は企画展などの噂を聞くばかりでほとんどまともに見ていない。折しも下記の特別展が開催されており、一つの誘いとなった。

室町将軍ー戦乱と美の足利十五代ー
令和元年(2019年)7月13日〜9月1日

経路を考えたが、今回は太宰府から入ってみた。この頃は地方都市でも外国人観光客で溢れていて、宿泊先が制約されることも増えたが、流石に太宰府まではその波は及んでいなかった。それでも天満宮は韓国、中国からの観光客が日本人を圧倒するほどだった。鉄道路線も快適だった。


 

九博は特別展はそれなりに混んでいたが、混雑の原因は修学旅行の生徒たちで、ほどほどの混み方であった。テーマは、「日本文化の形成をアジア史的観点から捉える」ことで、古くよりアジアとの交流が盛んな土地ならではの展示品が並んでいた。

また、常設展示では、通常の博物館のような順路を設けていないので、自分の興味のある時代やエリアから見たり、後ろに戻ってみたり、各々が自由に博物館散策が楽しめるのも魅力になっている。

「戦乱と美」の時代というと、このブログで取り上げることが多いヨーロッパ17世紀を思い出す。しかし、この場合は、少し遡り13世紀から16世紀が対象となる。足利尊氏から足利義昭までの時代である。企画展では現存する13人の室町将軍像を寺外で一挙公開というのが売り物だった。


他方、南北朝・戦国と動乱の時代の将軍家であったため、波乱に満ちた生涯を送った将軍が多く、幕府所在地(京都、室町)を追われた将軍が7人(尊氏・義詮・義稙・義澄・義晴・義輝・義昭)、幕府所在地以外の地で没した将軍が6人(義尚・義稙・義澄・義晴・義栄・義昭)、暗殺された将軍が2人(義教・義輝)、更迭された将軍が3人4回(尊氏[1]・義稙が2回・義澄)、そもそも幕府所在地に入れなかった将軍が1人(義栄)いる。
代数は一般的に「15代(15人)」とされる場合がほとんどであるが、第10代(10人目)の足利義材(足利義稙)が一度将軍職を追われた後に再び将軍職に就いており、就任(任命)と解任(辞任)の正式な手続きが踏まれている。企画展には7代義勝のように、9歳で在位、10歳で亡くなった幼すぎる将軍像も展示されていた。


ブログ筆者は、この時代についての知識が十分ではなかったので、久し振りに音声案内まで借りて大変興味深く見ることができた。もっとも、ブログ筆者は空いていた常設展の方に時間をかけてしまった。館内は撮影禁止だが、見るだけでも十分楽しめる内容だ。東京や京都、奈良の博物館のように、人混みを感じることがなく見ることができるのは素晴らしいと感じた。とりわけ文化交流展示室の対馬宗家の偽造印展示が興味深かった。

この地は「令和」の元号に関連しても、話題の多いところだが、筆者は元号問題はあまり関心がなく、展示は文字通り見るだけだった。

新元号記念特別企画「令和」
「万葉集」巻五(販本)・江戸時代18世紀(原本奈良時代8世紀)[所蔵]九州国立博物館 2019年4月21日(日)~9月29日(日)
「受け継がれる名筆-青山杉雨・髙木聖鶴・髙木聖雨 書展」
太宰府天満宮宝物殿

太宰府駅に出て、太宰府駅→観世音寺・戒壇院→大宰府政庁跡を歩く道も、昔を偲びながらのゆったりとした旅だった。観光ブームはこちらには及んでいなかった。


 

『源氏物語』にも登場する観世音寺は、天智天皇が、母君斉明天皇の冥福を祈るために発願されたもので、80年後の聖武天皇の天平18年(746年)に完成した。古くは九州の寺院の中心的存在で、たくさんのお堂が立ちならんでいたが、現在は江戸時代初めに再建された講堂と金堂(県指定文化財)の二堂があるのみである。境内はクスの大樹に包まれ、紅葉、菩提樹、藤、アジサイ、南京ハゼと季節が静かに移る。

 

日本最古の梵鐘がある「西日本随一の寺院」

昭和34年(1959年)多くの仏像を災害から守り完全な形で保管するため、国・県・財界の有志によって、堅固で正倉院風な周囲の景色に馴染みやすい収蔵庫が建設された。
この中には平安時代から鎌倉時代にかけての仏像16体をはじめ、全て重要文化財の品々が収容されており、居並ぶ古い仏たちに盛時がしのばれる。西日本最高の仏教美術の殿堂のようで、特に5m前後の観音像がずらりと並んでいる様には圧倒される。また仏像の多くが樟材で造られたのも九州の特色といえる。


この太宰府地域、歴史的には極めて興味ふかい所で、長い時間をかけて見てみたい所が多い。思いがけない事実を知らされたり、温泉もあって、心身ともに癒される。これまで、かなりの地域を旅してきたつもりだが、お勧めしたい場所のひとつであることは間違いない。

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失われた真実は元に戻らない?

2019年07月16日 | 書棚の片隅から

 


MICHIKO KAKUTANI ミチコ・カクタニの名を知る日本人は、それほど多くはないかもしれない。いつもこのローマ字表記で記されているから、日系のアメリカ人二世であろうと思ってはいた。(漢字では角谷美智子と書くようだ)。

ブログ筆者がその名を知るようになったのは、正確には記憶していないが、『 ニューヨーク・タイムズ』The New York Times を読み始めてからのことであることは確かだ。 常時読んでいたわけではないが、そのうちに、彼女はジャーナリズムの世界に大きな影響力を持つ同紙の指折りの文芸評論家であることを知った。彼女が担当していたのは、主に書評であったが、政治や文化の領域にも広い視野で論評を展開していた。ピュリツアー賞(批評部門)の栄にも輝いている。いつも歯切れの良い鋭い論評で、目にするとその部分だけは必ず読んでいた。

その著名な評論家が刊行された自著(邦訳)を手にしてみると、ブログ筆者の好むシンプルで、好感の持てる装丁でもある。早速、読み始めた。

今回(1997年)、34年間にわたるニューヨーク・タイムズ紙上での書評担当の後、2017年に退任することを発表されたことで、彼女が歩んできた道を詳しく知ることになった。これだけの有名人でありながら、新聞紙上などの論評はともかく、自著としての書籍刊行は今回が初めてであることも知った。「ニューヨーク・タイムズ」紙の文芸批評で名を馳せた著名な文芸評論家が、同紙からの引退を機に、今日の世界を揺るがしている政治、そして文芸に関わる倫理上の問題に正面から対する書籍を著したのだ。

取り上げられている最も重要なテーマは、なんとロナルド・トランプ大統領が当選してからの世界の変化であった。確かに、この前代未聞の大統領が当選してから、世界は大きく変化した。最大の変化は、トランプ大統領が多用する、自説に反する報道は、すべてフェイク・ニュース fake news (捏造、偽造、でっち上げ)とされることで、真実ではない言説、ニュースが世界に流布され、氾濫したことから始まる。真実を主張するメディアがあっても、”フェイク”の名の下に埋没してしまう。その結果、真実が何かということを知ることが難しい時代となってしまった。そのこと自体は淵源を辿ると、ベルリンの壁崩壊当時から徐々に世界を蝕んできた潮流の現時点の状況ともいえる(Tony Judt, 2019)。

カクタニ氏はこうした一連の変化の根底には、ポスト・モダニズム(とりわけ脱構築主義)、ニヒリズム、インフォティンメント(infotainment, edutainment:特に小学生向けの教育効果と娯楽性を合わせ持つテレビ番組、映画、書籍など)の拡大、浸透が根底にあるとしている。日本についても同様な傾向を感じる人も多いだろう。インターネットの発達もあって(真実か虚偽か分らない)情報が氾濫し、一般の人々には何が真実であるか判別できなくなっている。

政治・外交の世界でも当事者のどちらが主張ししていることが正しいのか、善悪の判断も容易につきにくくなった。真実を主張していると思われる側の立場が、「フェイク!」の一言でいとも簡単に覆される。事実から遠く離れている者ほど、正否の判断ができなくなる。そして、この疫病ともいえる手法は、アメリカから世界へと拡大してしまった。結果として、民主主義の基盤が大きく揺らぎ、精神的な荒廃が人々の心を蝕んでいる。

文芸評論家としてミチコ・カクタニが活動してきた 「ニューヨーク・タイムズ」も、トランプ大統領から名指しで、フェイク・メディアとまでいわれるまでになる。いうまでもなく、トランプ大統領は、その手法を存分に使い、今にも崩れ落ちそうな自らの政治家イメージを、大方の予想に反して、思うがままに立て直してきた。大統領再選期を前に、民主党側にはこの奔放で何を考えているか分からない現職大統領に対抗しうる有力候補は未だ現れていない。

トランプ氏は、就任当時は大統領の任期をまっとうできるかとの危惧を、その強引とも横暴ともいえる対応で巻き返し、一時代前なら軽佻浮薄な時代のメディアにも思えたツイッターを駆使して世界を翻弄してきた。前言を覆すことなど、トランプ氏にとっては、なんの良心の呵責もないようだ。

著者の問題への切り込み方は、新聞評論の影響もあってか、いつも鋭く、問題の核心へと導く。しかし、なぜこのようなことが起き、しかも伝染病のように拡大するのか。世の中には真実を知る人もいるはずだ。なぜ、彼らはそのことをもっと力強く語らないのか。そのための手がかりを本書を手にする読者は得ることができるだろうか。民主主義の将来を含め、多くのことを考えさせる好著である。

 

 

Reference
トニー・ジャット『真実が揺らぐ時:ベルリンの壁崩壊から9.11まで』慶応義塾大学出版会、 2019 (Tony Judt, WHEN THE FACTS CHANGE CHANGE ESAYS 1995-2010)

 

*ミチコカクタニ MICHIKO KAKUTANI
『真実の終り』岡崎玲子訳 集英社 2019 (THE DEATH OF TRUTH: Notes on falsehood in Age of Trump)

本書目次:
第1章 理性の衰退と没落
第2章 新たな文化戦争
第3章「わたし}主義と主観性の隆盛
第4章 現実の消滅
第5章 言語の乗っ取り
第6章 フィルター、地下室、派閥
第7章 注意力の欠如
第8章「消火用ホースから流れ出す嘘
 プロパガンダとフェイクニュース
第9章 他人の不幸を喜ぶトロールたち
    おわりに

 
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不法移民を理解するために:映画とグラフィック・ノヴェル

2019年07月02日 | 移民の情景

Illegal: A graphic novel telling one boy’s epic journey to Europe, cover


「基軸」を失った世界
このたび、日本が主催した「G20」大阪サミットは、何を残したのだろう。今後世界がどの方向に進むのか判然としないほど、参加各国の利害が、分裂・錯綜しており、明確な政策的方向づけがなされた領域はきわめて少ない。気候、貿易、技術、政治など、言葉の上では多くのことが語られているが、各国利害の衝突もあり、政策の方向性として何が合意されたのか、茫漠としている。大国に都合の悪い問題は、ほとんど文字にされることもない。現代世界は依るべき「基軸」を失っている。

本来、議題となるべきテーマの中で、浮上しなかった問題の一つは「移民・難民」問題だった。主催国の日本自体が、範となるような確たる政策を提示できるほどの経験も政策論拠も持ちあわせていないので、ほとんど議論の俎上に上らなかったようだ。

壁に固執するトランプ大統領
「大阪G20」の前後にも、アメリカ・メキシコ国境の川を泳いで渡ろうとして果たせず、命を落とした移民の父親と幼い女の子が相並んで溺死している悲惨な写真が世界中に報道され、人々の悲しみと憤りを誘った。エルサルバドルのブケレナ大統領は、国家が何もできない無力さを嘆きながらも、国家の責任を問うている(BBC: BS1, 2019/07/02)。こうした痛ましい事件が起きるごとに、人々は嘆き、現状を憂うが、ほとんど有効な政策が提示されたことはない。人間はどれだけ無駄な時を過ごしただろうか。

トランプ大統領の国境壁の拡大政策は、かえって危険な地域を経由する不法な流入を増やすことになっている。メキシコ人のアメリカ流入は減少したが、グアテマラ、ホンデュラスなど中米諸国からの越境者が増えているようだ。こうした人々は、アメリカあるいは経由するメキシコへ入国するに必要な旅券、査証などの必要書類などを保持していない。そのため、運よく国境を通り抜け、アメリカに入国したとしても、アメリカ国内には、アメリカ市民権を保持しない人がきわめて多く居住している。しばしば「不法移民」Illegals と呼ばれる人たちだ。トランプ大統領は、間もなく実施される国勢調査の項目に、「市民権保有の有無」を含めるよう要求しているが、これまでの経緯からして困難だろう。トランプ大統領は、国境に「容易に通れないような高くて頑丈な壁」を造営すれば、移民・難民は大方阻止できるという一見「分かりやすい」(しかし誤った)内容で、実態に詳しくない市民を説得しようとしている。。

変化の激しい実態
移民と難民の違いも時代の流れとともに、大きく変わってきた。移民・難民に関わる関係国の利害も一様ではなく、実態はしばしば人命を脅かし、深刻化している。その実態を一般に広く知らしめる努力もさまざになされてきた。概して戯画化やマンガの対象にはなり難い過酷な実態だ。しかし、最近では問題の重要化に伴い、数は少ないが、世の中の流れに呼応して、戯画化やグラフィック化などの試みが見られるようになった。このブログでも、そうした数少ないブログや新たな試みも折に触れ紹介してきた。

今回取り上げる例は、地中海をアフリカ側からイタリア、スペインなど、ヨーロッパ側へゴムボートなどで渡る難民・移民のケースのグラフィック化だ

手にとって読んでみると、マンガに近い手法をとりながら、より正確にはグラフィック・ノヴェルという範疇に含めた方が適当なように思われる。日本語にしたら「劇画」と云ったところなのだろうが、なんとなくしっくりしない。個々の描写は実際の事実に準拠しているとはいえ、なんとなく現実離れした印象も受けてしまう。しかし、論点が単純化され分かりやすいというためか、出版界の受け取り方は良いようだ。

今年に入って5月までにヨーロッパへすでに25,000 人近くが地中海を越える難民・移民が上陸している。その内18,000人近くが地中海を渡っている。さらに、ギリシャ、スペインを経てヨーロッパへ入国した者の数は6,043人になった。これから天候の良い夏に向けて、ヨーロッパを目指す難民・移民の数は大きく増加すると推定されている。海上での遭難、病死などの犠牲者は今年に入って2019年5月までに推定で507人に達している。残酷な状況がほとんどなので、多くは「見たくない写真」で片づけられてしまい、人々の目には触れる機会は少なくなる。

グラフィック・ストーリーとしての「不法移民」
こうした実態を背景に、ひとつの啓蒙的な試みとして描かれたのがエボ(仮名)という一人の少年がアフリカのガーナからヨーロッパを目指し旅する物語である。ガーナからヨーロッパを目指す難民・移民はアフリカ出身者の中では比較的少ない。サワラ砂漠という厳しい地帯がリビヤやモロッコなどの地中海沿岸にたどり着く前に横たわっているからだ。1ヶ月前に兄クワメが出稼ぎのために突如としていなくなり、続いて姉もいなくなった。飢えや貧困、恐怖からの脱出のためには、家族は離れ離れに働き場所を求め、生きてゆかねばならない。その道は危険と苦難に満ちている。しかし、エボはかくなる上は自分もヨーロッパへ行くしかないと心を決める。具体的にはサワラ砂漠を越えてトリポリ(リビアの首都)へ向かい、イタリアへ向けて地中海を渡ることになる。そこに到るまでは人身売買のブローカー、天候が変わりやすく恐ろしい地中海を越えねばならない。そして、上陸に成功したとしても、強制送還、虐待、迫害などの別の恐怖が待ち受けている。

地中海をゴムボートなどで渡る危険は、冬から春にかけて最も高まる。そのため、渡航を企図する者は気候が安定する夏から秋にかけてピークとなるようだ。そうした知識は、散発的に次の世代へ伝達されているようだが、現実には国境を命をかけて渡ろうとする人々の流れは絶えない。

大阪「G20]の後、北朝鮮の38度線をトランプ大統領が越えたことが、アメリカ大統領史上、初の快挙と、本人やメディアが喧伝することは、少なくも今の段階では「マンガ」的光景でしかない。当事者双方が都合の良いように政治的に利用しているにすぎない可能性が高いからだ。当事者のどちらかでも、いなくなれば、事態がどう変化するか、明らかだ。その意味でも、状況は流動的でもある。朝鮮半島の統一の実現、そして世界で非核化に向けての歯車が正常に作動し始めるのはいつのことか。すでにいたる所に現れている「ディープ・フェイク」(巧妙に作られた虚報)の濃霧の中から、真相を見出し、その行方を見通すことは、きわめて困難だ。少なくもブログ筆者の生きている間の視界には見えていない。


本書(Illegal: A graphic novel telling one boy’s epic journey to Europe
Hardcover Oct 2017)は、2017年アイルランド児童書の部門で特別賞を授与された。さらに”THE TIMES”, “Financial Times” , “New York Times”などでも激賞された。

上掲書籍と# 映画『ヒューマン・フロー 大地漂流』を併せてご覧になることをお勧めしたい。「グラフィック・ストーリー」と「動画」の長短を比較して考えることができる。

監督・製作:アイ・ウェイウェイ
後援:国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)、認定NPO法人 難民支援協会
配給:キノフィルムズ/木下グループ
原題:HUMAN FLOW/2017年/ドイツ/2時間20分
[映画『ヒューマン・フロー 大地漂流』公式サイト](http://www.humanflow-movie.jp)

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