ある日、急に旅心が高まり、博多まで飛んだ。目的は国立九州博物館だった。これまで何度か訪れる機会はあったのだが、時間の関係で部分的にしか見ていない。東京、京都、奈良の博物館はかなりの回数訪れたのだが、九博は企画展などの噂を聞くばかりでほとんどまともに見ていない。折しも下記の特別展が開催されており、一つの誘いとなった。
室町将軍ー戦乱と美の足利十五代ー
令和元年(2019年)7月13日〜9月1日
経路を考えたが、今回は太宰府から入ってみた。この頃は地方都市でも外国人観光客で溢れていて、宿泊先が制約されることも増えたが、流石に太宰府まではその波は及んでいなかった。それでも天満宮は韓国、中国からの観光客が日本人を圧倒するほどだった。鉄道路線も快適だった。
九博は特別展はそれなりに混んでいたが、混雑の原因は修学旅行の生徒たちで、ほどほどの混み方であった。テーマは、「日本文化の形成をアジア史的観点から捉える」ことで、古くよりアジアとの交流が盛んな土地ならではの展示品が並んでいた。
また、常設展示では、通常の博物館のような順路を設けていないので、自分の興味のある時代やエリアから見たり、後ろに戻ってみたり、各々が自由に博物館散策が楽しめるのも魅力になっている。
「戦乱と美」の時代というと、このブログで取り上げることが多いヨーロッパ17世紀を思い出す。しかし、この場合は、少し遡り13世紀から16世紀が対象となる。足利尊氏から足利義昭までの時代である。企画展では現存する13人の室町将軍像を寺外で一挙公開というのが売り物だった。*
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他方、南北朝・戦国と動乱の時代の将軍家であったため、波乱に満ちた生涯を送った将軍が多く、幕府所在地(京都、室町)を追われた将軍が7人(尊氏・義詮・義稙・義澄・義晴・義輝・義昭)、幕府所在地以外の地で没した将軍が6人(義尚・義稙・義澄・義晴・義栄・義昭)、暗殺された将軍が2人(義教・義輝)、更迭された将軍が3人4回(尊氏[1]・義稙が2回・義澄)、そもそも幕府所在地に入れなかった将軍が1人(義栄)いる。
代数は一般的に「15代(15人)」とされる場合がほとんどであるが、第10代(10人目)の足利義材(足利義稙)が一度将軍職を追われた後に再び将軍職に就いており、就任(任命)と解任(辞任)の正式な手続きが踏まれている。企画展には7代義勝のように、9歳で在位、10歳で亡くなった幼すぎる将軍像も展示されていた。
ブログ筆者は、この時代についての知識が十分ではなかったので、久し振りに音声案内まで借りて大変興味深く見ることができた。もっとも、ブログ筆者は空いていた常設展の方に時間をかけてしまった。館内は撮影禁止だが、見るだけでも十分楽しめる内容だ。東京や京都、奈良の博物館のように、人混みを感じることがなく見ることができるのは素晴らしいと感じた。とりわけ文化交流展示室の対馬宗家の偽造印展示が興味深かった。
この地は「令和」の元号に関連しても、話題の多いところだが、筆者は元号問題はあまり関心がなく、展示*は文字通り見るだけだった。
*新元号記念特別企画「令和」
「万葉集」巻五(販本)・江戸時代18世紀(原本奈良時代8世紀)[所蔵]九州国立博物館 2019年4月21日(日)~9月29日(日)
「受け継がれる名筆-青山杉雨・髙木聖鶴・髙木聖雨 書展」
太宰府天満宮宝物殿
太宰府駅に出て、太宰府駅→観世音寺・戒壇院→大宰府政庁跡を歩く道も、昔を偲びながらのゆったりとした旅だった。観光ブームはこちらには及んでいなかった。
『源氏物語』にも登場する観世音寺は、天智天皇が、母君斉明天皇の冥福を祈るために発願されたもので、80年後の聖武天皇の天平18年(746年)に完成した。古くは九州の寺院の中心的存在で、たくさんのお堂が立ちならんでいたが、現在は江戸時代初めに再建された講堂と金堂(県指定文化財)の二堂があるのみである。境内はクスの大樹に包まれ、紅葉、菩提樹、藤、アジサイ、南京ハゼと季節が静かに移る。
日本最古の梵鐘がある「西日本随一の寺院」
昭和34年(1959年)多くの仏像を災害から守り完全な形で保管するため、国・県・財界の有志によって、堅固で正倉院風な周囲の景色に馴染みやすい収蔵庫が建設された。
この中には平安時代から鎌倉時代にかけての仏像16体をはじめ、全て重要文化財の品々が収容されており、居並ぶ古い仏たちに盛時がしのばれる。西日本最高の仏教美術の殿堂のようで、特に5m前後の観音像がずらりと並んでいる様には圧倒される。また仏像の多くが樟材で造られたのも九州の特色といえる。
この太宰府地域、歴史的には極めて興味ふかい所で、長い時間をかけて見てみたい所が多い。思いがけない事実を知らされたり、温泉もあって、心身ともに癒される。これまで、かなりの地域を旅してきたつもりだが、お勧めしたい場所のひとつであることは間違いない。