時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

苦難の時代:「フローラ」は再び太平洋を渡る

2022年04月25日 | レンブラントの部屋

 
レンブラント・ファン・レイン(1606-1669)
《フローラ》
1654年頃 油彩/カンヴァス 100×91.8cm
メトロポリタン美術館
父コリス・P・ハンティントンの思い出として、アーチャー・M・ハンティントンの寄贈
1926 / 26.101.10


コロナ禍、ウクライナへのソ連侵攻など、騒然とした世界だが、絵画や音楽は荒んだ世の中にしばし癒しの風を吹き込んでくれる。前回に引き続き、現在開催中の「メトロポリタン美術館展」からブログ筆者の心に残る別の一点を選んでみた。これだけは記しておきたいと思う逸品でもある。今回の日本での展示は同美術館が所蔵する作品で「西洋絵画の500年」を表現するというテーマである。展示には多くの傑作、名画が含まれているが、ひとりの画家の企画展とは異なり、いかなる大家であっても、複数の作品を展示することは回避されている。それにしてもひとつの美術館の所蔵品だけでこの大テーマを語ることができるのは驚異的だ。出展されているのは同館所蔵の西洋絵画2500点余から選ばれた 65点であり、内46点は本邦初公開とされている。

今回取り上げるのは、17世紀オランダの巨匠レンブラントが描いた《フローラ》である。ブログ筆者のお気に入りの一点でもあり、
本ブログでも以前に記したこともある。広く肖像画の範疇に入る作品だが、大変美しく優雅な印象を与える。日本には1976年にも来ている作品である。

筆者がこの作品に接したのは、はるか昔1965年のことであった。それ以降、今日まで何度も見る機会があったが、見るたびに新しい発見があった。もしレンブラントの作品で《フローラ》という画題をつけるとすれば、この作品が最もふさわしいのではないかと思うほどになった。

この作品に惹かれるようになったひとつのきっかけは、同じレンブラントの名作《ホメロスの胸像を見つめるアリストテレス》に接してからであった。

春、花、豊穣を司る古代ローマの女神フローラは、ルネサンス期に多くのイタリアの画家が描いており、レンブラントのこの作品も16世紀ヴェネツィア派の巨匠ティツィアーノ・ヴェチェッリオの画風、とりわけ《フローラ》(フィレンツェ、ウフィツィ美術館所蔵)の影響を受けているとされる。この作品( 制作年 1515–20 頃)は現在はウフィツィ 美術館が所蔵するが、1641年までしばらくアムステルダムにあった。レンブラントがこの作品を見たかどうかは定かでないが、影響を受けていることは、対比してみるとほとんど明らかだ。



ティツィアーノ・ヴェチェリオ
《フローラ》Flora  ca.1515-1520年
油彩、カンヴァス 79.7 X63.5cm
ウフィツィ美術館、フィレンツェ



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N.B.
レンブラントには、最愛の妻サスキアあるいはサスキア亡き後、内縁のヘンドリッキェ・ストッフェルをモデルにしてフローラを描いたとされる作品が複数点ある。と言っても、画家が画題として明記したわけではない。画家自身あるいは後世のコレクター、画商、美術史家などが、推定した結果である。
フローラのイメージと重なる作品としては、次のようなものがある:
1633年 《レンブラントと婚約して3日後のサスキア・アイゼンビュルフ》
ベルリン 国立絵画館版画素描室
1634年、《新妻サスキアを描いた作品》(エルミタージュ美術館、サンクトペテルブルク)
1635年《フローラ(サスキア・アイゼンビュルフ )》 (ナショナル ギャラリー、ロンドン)
1654-55年頃《フローラ(に扮したヘンドリッキェ・ストッフェルス)》(メトロポリタン美術館、ニューヨーク)
以上の他にも、サスキアをモデルとしたと推定される作品は多い。
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《アリストテレス》と《フローラ》

在りし日のハンティントン邸の書斎 
2 East Fifty-seventh Street, New York
1919-25年頃

Source: Esmee Quodbach


ブログ筆者がレンブラント《フローラ》(メトロポリタン美術館)に魅せられたのは、オランダ美術のアメリカにおける受容の過程を探索していた過程であった。この作品はメトロポリタン美術館の所蔵になるまでは、アメリカの富豪ハンティントン家の邸宅に飾られていた。その様子を示す古い写真が残っている(上掲写真)。興味深いのはこれもレンブラントの名作《ホメロスの胸像に手を伸ばすアリストテレス》と並べて掲げられていた。


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N.B.
ハンティントン家書斎に掲げられていた4点の作品(右から)
1)サー・ジョシュア・レイノルズ《レディ スミスと子供たち》はコリス ハンティントンが1895年に購入、1925年にメトロポリタン美術館に”1900年遺贈”の一部として贈られた。


2)レンブラントの《ヘンドリック・ストフェルズ》、


3)《ホーマーの胸像とアリストテレス》


4)《フローラ》(アルソップのスペンサー伯爵の所有であったが1919年にハンティントン夫人が取得)


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レンブラントの作品《ホメロスの胸像に手を伸ばすアリストテレス》では、アリストテレスは、右手を伸ばし、ギリシャ叙事詩の創始者であるホメロスの胸像に触れて、ホメロスの精神的遺産について黙考している。ホメロスは知性と倫理の力の模範とされてきた。しかしアリストテレスの顔色を見ると血色が悪く疲れた表情に、深い悲しみがたたえられている。深く考える人間に固有の精神状態であるとみられ、「憂鬱」メランコリアには特別の意義が認めてきた。ルネサンス期の哲学者たちは「憂鬱質」を黒胆汁の過剰によって生じるものとしてきた。17世紀の著述家、哲学者、芸術家などがこの状態に傾斜し、憂鬱が流行していたといわれる。アルブレヒト・デューラーの《メランコリア》を思い出す人もいるかもしれない。

ホメロスの首にかけられたアレクサンドロス大王から下賜された肖像画がついた金のメダルは世俗世界を体現するものと考えられてきた。ホメロスはアレクサンドロス大王の家庭教師であった。ホメロスの精神的価値と世俗価値との間の緊張関係は17世紀においても、考えられるべき真摯な道徳問題だった。

この作品におけるアリストテレスは、離れてみると堂々とした哲学者の姿に見えるが、画面に近づくとその姿は絵具の色彩の中に埋没してしまう。これは「粗い仕上げ」として知られる技法の極致の発露である。この様式を最初に試みたのはイタリアの画家ティツィアーノであるといわれ、レンブラントはこの技法を様々な作品で試みている。

レンブラントの《フローラ》は、横向きであり、ティツィアーノの《フローラ》の正面とは異なっているが、官能的に肌を露出することもなく、左手に手繰り寄せたエプロンから右手で取り出した花を差し出している。そして白い生地の衣装はティツィアーノのフローラのように、袖口がゆったりとしている。この衣服の描写には、レンブラントがティツィアーノの作品を十分に意識して取り入れていることが見てとれる。細部は「粗い仕上げ」だが、全体としてみると、大変美しく春、花の女神としての雰囲気が画面から伝わってくる。ティツィアーノよりシンプルに描かれているが、《ホメロスの胸像に手を伸ばすアリストテレス》に勝るとも劣らない作品に仕上がっている。

モデルはレンブラントの最愛の妻サスキアあるいは内縁のヘンドリッキェともいわれてきたが、そのどちらでもないように思われる。画家は理想としての春と花の女神フローラのイメージに在りし日のサスキアを重ねて、現代風に描いたのではないか。今回の展示では見逃せない指折りの作品と思われる。



Esmee Quodbach, The Age of Rembrandt: Dutch Paintings in the Metropolitan Museum of Art (cover)
The Mwtropolitan Museum of Art, New York, Yale University Press, New Heaven and London, 2007

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苦難の時代:しばし目を休める

2022年04月12日 | 絵のある部屋

ジャン・アントワーヌ・ヴァトー《メズタン》1718-20頃 メトロポリタン美術館、ニューヨーク
Jean-Antoine Watteau (French, Valenciennes 1684-1721 Nogent-sur-Marne)
Mezzetin
ca. 1718-20, oil on canvas, 55.2 x 43.2 cm, The Metropolitan Museum of Art, New York, Munsey Fund, 1934(34.138)



コロナ禍、ウクライナ戦争など憂鬱な日が続く。快晴の日、遅まきながら国立新美術館の「メトロポリタン美術館展」へ出かける。混んでいたら、2回に分けて鑑賞することにしようと思っていたが、適切に入館者が管理されていた。午後2時の予約で入館したが、ほどよい入館者数ではないかと思われた。人気の作品の前でも人の列が重なり合うことは少なく、単眼鏡に頼ることもなく、細部もほぼ十分楽しむことができた。

メトロポリタン美術館(略称:Met)はブログ筆者にとって、ほとんど半世紀前、最初に出会った世界的な大美術館であったから、当時の印象も感動も格別であった。滞米中はニューヨークへ出かけるたびに訪れていた。館内の展示の配置まで覚えていた。最近は訪米の機会が少なくなっていたので、今回日本に来るのはどんな作品か楽しみであった。

絵画作品だけの展示であったから、この世界的美術館の全容をイメージするには十分ではないが、「西洋絵画の500年」という展示のテーマを有期の展覧会でカヴァーするにはほぼ十分であると思われた。

入館してすぐに幾つかの懐かしい作品が目についた。ラ・トゥール《女占い師》は、今回の特別展のPRポスターに採用され、注目度は急速に上昇したようだが、半世紀前から注目していたブログ筆者にとっては、遅過ぎたという感じは否めない。



出展作品についての感想は多々あるが、今回は日本ではあまり注目されていないが、Metが誇るひとつの作品を取り上げてみよう。

アントワーヌ・ヴァトーの作品《メズタン》は著名な作品だが、その内容を正しく理解するにはある程度の基礎知識が必要になる。今回の展覧会カタログその他から要旨を簡単に記しておこう。

メズタンとは、1718ー20年頃に描かれたこの作品に描かれた舞台衣装を着た音楽家の名前ではなく、18世紀に流行した演劇のキャラクターの一つである。それはパリやその郊外で縁日の市にしつらえられた非公式の劇場で盛んに上演され、あらゆる階層の人たちが楽しんだイタリアの即興喜劇、コメディア・デラルテに登場したキャラクターであった。

メズタンは、おどけ者の使用人が従者で、ギターを奏で、むくわれない恋を、虚しく追い求める。そのため、ヴァトーはメズタンの背後の庭園にこちらに背を向けた女性の彫刻を描いている。ベレー帽、ひだ襟、縦縞の上着に膝丈の半ズボンという彼の服装はメズタンの衣装に特有なデザインだが、通常ストライプは赤と白であったため、この作品での色使いは変則的なものになっている。

イタリアの即興喜劇コメディア・デラルテのコミックキャラクターであるメズタンは、パリの舞台で定評のあるパフォーマーであったが、ワトーの生涯における絵画の革新的な主題だった。メズタンは、ワトーが愛する草に覆われた庭園にいる。彼の衣装は通常、縞模様のジャケットと乗馬用ズボン、フロッピーの帽子、ラフ(ひだ襟)、そして短いマントで構成されている。彼の性格は、彼女を彼に背を向ける遠くの女性像によって示されるように、時に邪魔で、嫌われたり、しかし愛情深いものだった。ヴァトーの繊細なタッチは、特に人物の手や衣服に見られるが、この絵では非常によく保存されている。1767年の競売時の目録には、保存状態が良く、人物がルーベンスのような色調で描かれていると記されている。当時の記録では卵形ovalの額装であったようだが、今日残る作品にはその跡は残っていない。

初めてこの絵を見ると、優雅な構図と繊細な色調が印象に残るかもしれないが、最も魅力的な点は粗い筆致で描かれた顔と骨張った大きな手にある。この点はメトロポリタン美術館が収蔵する素描(下掲)との比較で確認されている。上掲絵画作品のモデルと考えられ、この画家については珍しくモデルについての観察力と性格描写の迫真性が際立っている。画家としての修業が確実に生きていることを示すものでもある。この画家はひとりの時間を大切にし、自分の作品を売ることには関心がなく、不安定な生活を送り、自身が制作した膨大な数の準備素描以外には、所有物はほとんど何もなかったと言われる(『メトロポリタン美術館展カタログ』p.146)

上掲の作品は、幸いなことに経年劣化も後年の修復による損傷もほとんどなく、色彩豊かで多彩な色調にはルーベンスの影響が感じられる。

静かな庭園の片隅で一人楽器を奏でるメズタンの姿は、多くの華やかな展示作品の中では見過ごしかねないが、しばらく立ち止まって静かに考えるにふさわしい価値ある作品だ。




アントワーヌ・ヴァトー《男性の頭部》1718年頃、ニューヨーク、メトロポリタン美術館


References:
カタログ『メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年』European Masterpieces from TheMetropolitan Museum of Art, New York, 国立新美術館 2022年2月9日ー5月30日

Watteau, Music, and Theater: The Metropolitan Museum of Art, Distributed by Yale University Press, New Heaven,  2009 (now out of print).
下掲の本書は、ルイXIVの在位の時代に展開した絵画と音楽(視覚芸術)、舞台劇(舞台芸術)を結ぶ豊潤な文化に焦点を当てた作品である。ロココを代表する画家Jean-Antoine Watteau(1684-1721)と18世紀初期のフランス画家の音楽と劇場をめぐる華やかな活動に焦点が当てられている。若い画家ヴァトーが活気に満ちたパリに到着した後、勃興した音楽と演劇の魅力的な発展のありさまが本書の主題となっている。ヴァトーや他の18世紀の芸術家たちの魅力的な素描や版画、陶磁器や楽器も含まれていて興味深い。150ページに満たない小冊だが、この画家の世界を知るには欠かせない多くの材料が含まれている。
本書によると、上掲の作品は当初画家の友人で熱心な支援者であった裕福な織物商ジャン・ド・ジュリエンヌJean de Jullienneが30年以上所有していたが、その後ロシアの女帝エカチェリーナの所有になった。その後画商の手を経て、1934年にメトロポリタンの所蔵するところになったようだ。












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危機の時代にはラ・トゥールが生きる(7)

2022年04月03日 | ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの部屋

Laura Martines, FURIES:WAR IN  EUROPE 1450−1700, New York, Bloomsbury Press, 2013.
ローラ・マルティネス『凶暴 戦争:ヨーロッパの戦争 1450–1700』

戦争は狂気、凶暴を生む

ロシアのウクライナ侵攻が今日のような惨憺たる事態になると、半年なり1年前に予想した人はいただろうか。今年1月時点でイギリスなどの職業的予想屋などの予想では、「ロシアがウクライナに侵攻する」ことがありそう(likely)としたのは43%だった。侵攻直前の予想の試みだった。結果は「予測できないこと」を「予測しようとしていた」にすぎなかったといえるかもしれない。

それにしても人間はなぜ、かくも争い、残酷な殺戮、戦争をするのだろうか。史上最初の危機の時代といわれる17世紀においても、戦争は異常気象、飢饉やペストなどの悪疫流行などと共に、人口の激減、社会的停滞、貧困などを生み出した大きな要因であった。


「危機」と「繁栄」の混在
こうしたヨーロッパの危機的状況にあっても、北部ネーデルラントや毛織物輸出に支えられたイングランドのように繁栄を享受していた地域もあったが、概してその他の地域はさまざまな危機的状況に襲われていた。17世紀のヨーロッパは、全般としてみれば「危機の世紀」という特徴が色濃かった。




「17世紀の危機」

こうした点からも、同じ17世紀ヨーロッパでも、ラ・トゥールが画業生活を過ごした飢饉、悪疫、戦争が絶え間なかったロレーヌと、繁栄し、レンブラントやフェルメールが創造性を発揮、活動できた市民生活が実現していたネーデルラントとは、環境が全く異なっていた。そうした差異は画家の制作活動を大きく制約するものであり、画家の制作に当たっての思想、生み出された作品も地域の置かれた特徴を反映したものとなった。

戦争のロジスティックス
近世初期、17世紀ヨーロッパは戦争と反乱が絶え間なく起きていた。17世紀で戦争のなかった時期は、わずか4年しかなかったともいわれるように、至る所で大小の戦乱が起きていた。今日判明している主要な戦争、暴動・反乱だけでも40をはるかに越える。動員されて各地を移動する兵力も2千人から4千人近く、彼らが通過する町や村は略奪、殺戮を免れなかった。実際、この時代の軍隊はすでに多くの町や都市の人口にも相当する規模となっていた。

17世紀ヨーロッパの軍隊の移動は、戦場での殺戮にとどまらず、略奪、暴行、飢餓、悪疫などを持ち込んだ。彼らは移動中の食糧などの必需品は原則、こうした町や村で購入調達するというのが、戦時のロジスティックス(兵站)であった。現在展開しているウクライナのロシア軍のように後方基地から輸送して支給するようになったのは後年のことである。

この方法は étapesといわれ、1550年代にフランス軍が始めたものであった。軍は宿営する小さな町村で食糧などの必需品を購入するなどして調達した。しかし、兵士の多くは傭兵であり、盗み、略奪などの行為は頻繁にみられた。


ラ・トゥールが工房を持ったリュネヴィルも1638年秋のフランス軍の徹底した破壊行為で壊滅状態となった。この画家の作品や記録が極めて少ないのは、こうした出来事で作品などの逸失、滅失が深刻であったためと推定される。

ヨーロッパの近世への移行は激動、危機感に満ちていた。

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時間軸を下り、ロシア軍の突然の侵攻がもたらしたウクライナの惨状は、TVやSNSなどメディアの進歩によって眼前に映し出されている。規模においてはもはや第2次世界大戦にも匹敵するとまでいわれるこの戦争は「劇場化」し、臨場感はあるものの、残酷な光景を前に解決の手段を持たない者にとっては焦燥感が募るばかりだ。

ウクライナ紛争では、ロシア軍の侵攻以来わずか5週間で、400万人以上がポーランドなど他の国に避難を求め、さらに数百万人がウクライナ国内で避難を余儀なくさせている。

ロシア軍の侵攻を指揮するプーチン大統領は「裸の王様」といわれながらも、ヒトラーのごとき専横な独裁者として、“ナチ化“したウクライナを攻撃すると主張している。

他方、世界レヴェルではほとんど無名であったウクライナのゼレンスキー大統領は、今や「国民の僕(しもべ)」として、TVスターの座から要塞化した大統領府へと舞台を移している。キーウの奥深く土嚢や対戦車地雷で守られた要塞には「ウクライナ国大統領府」という札が掲げられている。

今やトレードマークとなった黄褐(カーキ)色のシャツ姿で、大統領はインタビューに答える:

「こんなに難しいとは思っていませんでした。私はヒーローではありません」

「あなたがロシア語で尋ねるとき、私はあなたにロシア語で答えます。あなたが英語で尋ねるとき、私はウクライナ語で答えます」

ゼレンスキーは、一人の男がすべてをコントロールすることはできず、またそうすべきではないと信じている。


References:

Laura Martines, FURIES:WAR IN  EUROPE 1450−1700, New York, Bloomsbury Press, 2013.
著者はイタリア、ルネサンスおよび近代初期ヨーロッパを専門とする著名な歴史家。本書は17世紀ヨーロッパの戦争の実態を仔細に分析した好著である。

Interview: Volodymyr Zelensky in his own world, , March 27th 2022 https://www.economist.com/Europe/volodymyr-zelensky-on-why-Ukraine-must-defeat-putin21808448
大変興味深いインタビューだが、The Economistの購読者のみがアクセス可能。

朝日新聞国際報道部 駒木明義・吉田美智子・梅原季哉『プーチンの実像」朝日文庫、2019年
‘Putin’s botched job’ The Economist February 19th-27th 2022
‘Where will he stop?’ The Economist February 26th-March 4th 2022





最近のメトロポリタン美術展(新国立美術館)で急に知られるようになりましたが・・・・・・。

続く

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