時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

コロナ後を生きる道標:オードリ・タンさんの世界を垣間見る

2020年11月21日 | 特別トピックス



前回の記事を掲載した直後、オードリー・タン(唐鳳)さんのインタビューに基づく新著『オードリー・タン 自由への手紙』(講談社、2020年11月17日刊行)を書店で目にした。早速購入し、読んでみた。改めてオードリーさんの考えに感動するとともに、優れた人材は年令、性別などに影響されることなく登用する台湾(中華民国)という国の自由、闊達さに驚かされた。

台湾:暖かな国民性
これまでの人生で台湾はかなりの回数、訪れているが、そのつど、この国の人々の暖かな人間性、親切な応対にはいつも驚かされてきた。政治的立場のいかんにかかわらず、日本では到底会うことのできないような方々も、インタビューなどの時間を割いてくれた。中国本土(中華人民共和国)にも、それに比肩する友人、知人がいないわけではないが、近年国家的統制の色が次第に個人レヴェルまで浸透しているように感じられる。それまでは大変開かれた発言をしていた知人が、習近平政権が成立したころから、香港と台湾の問題はすでに解決済だとの断定的な発言をするにいたって、返す言葉を失ったようなことがあった。それから数年、香港と台湾を取り巻く状況は大きく変わってしまった。

とはいっても、台湾の人々の国民性が最初からこのように暖かな人間性に溢れたものであったというわけでは必ずしもない。この国が経験した厳しい歴史の中から生まれたものだ。親しい友人から1945年連合国軍への日本の降伏後、1949年から1987年までの38年間に及んだ戒厳令下の時代、苛酷な日々の話を聞いたこともあった。とてつもない苦難な日々を克服した結果の間に培われた今日なのだった。友人の中にはアメリカ、カナダなどへ移住した人たちもいた。米中冷戦の間で、国際社会での居場所を狭められ、国名表記すらままならない日々があった。友人から母国の国名すら思うように記せず、勝手に書き換えられてしまう話を涙ながらに聞かされたこともあった。

オードリーさんの新著の基調となる「誰かが決めた「正しさ」には、もう、合わせなくていい」という言葉の意味は大変深く大きい。

スマホを使わない自由
冒頭、オードリーさんがスマホを使っていないということを知って驚かされた。逆のイメージを抱いていたからだ。

オードリーさんがタッチペンやキーボードがあるPCを主に使い、スマホを使わない理由は、「アンチ・ソーシャルメディア」を標榜しているからと記されていた。テクノロジーの支配から自由になるためにあえてそうしているとのこと。指ですぐに操作できるとなると、常にスマホをスクロールしてしまう。そして、ついには依存症になってしまう。スマホに触れないことでSNSに過剰に注意を払わずにすんでいるとの興味深い指摘に出会った(5ページ)。

筆者もPCはテープカセットの時代からなんとか使ってきたが、スマホには長年なじめずにいた。今年年初、新型コロナ感染で万一入院するなどの場合を考え購入はしたが、未だなじめないでいる。小さな画面を見つめていると、思考範囲が狭くなってしまうように感じることもある。電車内で人々が一斉に小さな画面に見入り、歩きながらも読みふける光景には今でも強い違和感がある。しかし、世界はすでにこのテクノロジーにかなり支配されており、それなしに生きることはかなり困難を感じる。

自由が脅かされる今
本書は下記の4部門 Chapter* 毎にに分類された17通の手紙「ーーーーーから自由になる」という構成になっている。それぞれがきわめて重い意味を持っているが、台湾にとってとりわけ重要なのはやはりCHAPTER3に分類されている「13  支配から自由になる」だろうか。その自由が今脅かされているからだ。

CHAPTERS:
*1 格差から自由になる
*2 ジェンダーから自由になる
*3 デフォルトから自由になる
*4 仕事から自由になる

「絶望の切れ間に光がある」(124ページ)
台湾は、現在大きな危機のさなかにある香港を支援するという立場をとっている。1980年代、戒厳令が解除されたばかり、報道の自由もなかった当時の台湾を香港に多数いた国際ジャーナリストが援助したことに、台湾が今恩返しをするというスタンスが強調されている。そして台湾がもっとも長期に及んだ戒厳令時代に苦しんだ国民であり、「すべての希望がついえた」と思われる時こそ、希望を持ち続ける術(すべ)を知っているとの自負の思いが記されている(124 ページ)。

かつて、この国の指導者は教育水準が高くバイリンガルな人たちが多いことに驚かされたが、オードリーさんも台湾語の他に標準中国語、英語、日本語、フランス語などを含む多文化に通じた人のようだ。たくさんの原住民がいる台湾には20を越える言語があるという。そのためもあって「2030年バイリンガルカントリー・プロジェクト」がすでに発足している。

中国とアメリカ、ヨーロッパの間にあって独自の立場を維持するには、言語の点でも格別の努力が必要だ。オードリーさんに代表される台湾の指導者層は、その点でも大きな研鑽を続けてきたことがうかがわれる。

自由への道のりは想像を絶する苦難に満ちている。しかし、オードリーさんの『自由への手紙』には、苦難を克服する多くの処方箋が示されている。それぞれが深い意味を持つが、オードリーさんを含めて、今日の政治家に求められる次の要件がとりわけ頭に残る。優れた政治家は施政方針や現状についての透明性と説明責任能力をすべてネット上に開示し、それをもって「風上へジグザクに進む」という思考法だ。日本ではどれだけ現実化しているといえるだろうか。納得できる説明なしに次々と過去に追いやられ、無理やり風化させれてゆく問題に考え込むばかりだ。






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柔らかな境界へ:コロナ後の世界を見通す

2020年11月15日 | 特別トピックス


J.M.Keynes, Economic Possibilities for Our Grandchildren
J.M.ケインズ『わが孫たちへの経済的可能性』1930



このブログという仮の名で始めた覚書(メモ)も、そろそろ幕を下ろす時が近づいている。思いがけず筆者の予想を超えて、今日まで10数年の年月を経てきたので、中途から訪れてくださった方々には何を目指しているのか大変分かり難い内容になっている。多くの断片的記述の集積効果によって、ブログ筆者の意図する多面的な考えが伝達できればと思い試行錯誤もしてきたこともあり、これまで筆者と対面してのコンタクトがない方々には、格別取りつきにくい内容になっていることは想像に難くない。

偶然目にしたTV番組で、台湾のデジタル担当政務委員のオードリー・タン氏とメディア・アーティスト、大学教員など多彩な活動をされている日本の落合陽一氏の対談を見る機会があった。共感することが多かったので、感想を少し記しておきたい。

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オードリー・タン、落合陽一対談:NHK BS1、2020年11月14日

唐 鳳 (とう ほう、タン・フォン、オードリー・タン、Audrey Tang、1981年- )。2016年10月に台湾の蔡英文政権において35歳の若さで行政院(内閣)の政務委員(デジタル担当)を務めている。
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「危機の時代」に生きた画家と作品を見直す
このブログを始めたきっかけとなったのは、歴史上初めてヨーロッパ、そしてグローバルな次元で、「危機の時代」として認識されるようになった17世紀ヨーロッパに生きた画家ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの作品と生涯を見直すことであった。”時空を超えて”、当時の政治社会環境に出来うるかぎり立ち戻り、再発見し、新たな資料を含めて理解し直すことを目指した。そして、美術をひとつの手がかりとして、さらに時代を下り、20世紀の「大恐慌」からこのたびの「コロナ危機」にいたる道筋を「人の動き」と「芸術」作品の観点から見直し、たどってきた。

筆者のブログで記事として選ばれたトピックスは、タン氏のいういわば過ぎゆく”時間のしおり”とも考えてよいかもしれない。

「共生」の概念と徹底
時代を追うにつれて、戦争、地球温暖化、感染症など世界が直面する「危機」の規模や被害の大きさは深刻さを増し、対応いかんでは次の世代の存亡に関わるほどになっている。もはや、ある国や一部の地域だけが生き残る可能性は少なくなり、地球上の人々が助け合い、協力しあって共に生きる道を求めねば次の世代は存立できないまでにいたっている。

オードリー・タン、落合両氏が提示した世界規模で conviviality 「共に生きる」「共生」の道を求める以外に人類の未来は期待できなくなっている。そのためには、大国の横暴、専制、エゴイズムなどは極力制止されねばならない。さまざまな場面で存続から取り残されかねない地域への支援がこれまで以上に欠かせない。人々にはかつてない「謙虚さ」が求められる時代が到来している。
後退する生産性重視の視点
経済学者J.M.ケインズが1930年に著した『孫たちの経済的可能性』を確保するためには、時代を主導する経済理念にも変化が求められる。これまで経済界を支配してきた生産性重視の議論は次第に無意味となり、SDGsの考えに基づく「公正な社会」の実現こそが求められるようになっている。社会を前にすすめる思想としての経済学の比重は後退する。

SDGsとは、Sustaiable Development Goals 「持続可能な発展目標」のことである。2015年9月の国連サミットで採択されたもので、国連加盟193ヵ国が2016年から2030年の15年間で達成するために掲げた目標である。

「柔らかな境界」は実現できるか
このブログで筆者が意図して重視してきた経済学以外の領域への視点の移行は、ともすれば強化され、分裂、断絶を強め、時代に逆行化するかにみえるさまざまな「境界」「障壁」 border を、より「柔らかな」境界へと変化させ、強固で高い壁のような国境線や一面的な差別観をただすことを意味している。

新型コロナ・ウイルスに感染した人を、注意の足りない人間であるかのように見下すなど、あってはならないことである。筆者はかつて世の中に存在する「差別」discrimination といわれる現象を経済理論の視点から整理することを試みたことがあったが、多くの人たちはその中から「統計的差別」など分かりやすい部分だけを取り上げ、「差別」という現象が内在する複雑な要因・構成にまで踏み込むことは少なかった。安易に「差別」の概念を乱用することが目立つようになった。

人間が人間をある属性を持ったグループとして区分する行為は、きわめて慎重でなければならない。それが必要な場合には、公正さが担保しうる開かれた評価組織などによる公平な検討、判断が求められる。新内閣の成立とともに浮上した学術会議問題などは、その点での公正さ、配慮が欠けた例といえる。官僚組織がこうした問題の対応にはきわめて不適であることは、改めていうまでもない。

民主主義の活性化のために
オードリー・タン氏が台湾の選挙制度として、AかBかの単純な賛否を決める形ではなく、Quadratic Voting (2次元の投票)というポイント・システムを基準としたなだらかな評価を行う制度を提示、実施したことはきわめて興味深い。多くの国が採用している現行の選挙制度は、「賛成」か「反対」かといった結果を求める方式だが、人間の思考、判断のあり方からみると、単純、直截に過ぎ、適切ではないことも多い。世論調査における「分からない」「いずれでもない」などの反応、選挙における無関心、支持する候補者がいないとの理由で棄権するなどの行動は、かなり現行の選挙の仕組みに起因するところがある。

筆者は世の中の議論のあり方について、「黒」「白」いずれかの二分法を強制する思考には、しばしば異論を抱いてきた。人間の思考には、いずれでもない中間領域が存在し、それを重視することが民主主義のこれからにとって大きな意味を持つと考えてきた。台湾がこうした投票制度を導入し、しかもデジタル技術を活用し、問題ごとに頻繁に投票するという方式は、これからの時代に合致する極めて興味深い方向と思われる。タン氏がいうように、「民主主義は生きたテクノロジー」であり、デジタル化など新技術の発展の成果を活かすことで、暗礁に乗り上げたかにみえる現代の民主主義の行方に光明をもたらすものと期待しうる。

新型コロナウイルスの感染拡大とともに加速した働き方改革のあり方にしても、思考が定式化、限定されていて、複雑な現実の変化から離れがちであり、無理が多いと感じられる。

さらに、タン氏は理念としては「徹底的な透明性」Radical Transparencyと呼ばれるものを挙げており、大変興味深い。公開できる、あらゆる情報がインターネット上にあることで、官僚や大臣が何をやっているのか、何を考えているのかをすべて知ることができ、人々が「国家の主人」になれるというヴィジョンを掲げている。ともすれば、国民が「国家の下僕」と化している現実に対して、原点を取り戻す試みとして極めて興味深い指摘である。いうまでもなく、タン氏の指摘は現在ではあくまでヴィジョンだが、その目指す方向は、斬新で期待できる。

タン氏が活動基盤とする台湾が、人口という尺度では小国の範疇に入るにもかかわらず、革新的なアイディアと実行力で大国を凌ぐ存在感を示していることには改めて感銘するものがある。ヨーロッパにおけるエストニアなどの先導的で革新的な活動に比するものがある。その力を生み出すものが大国に対する危機感なのかという点も含めて、さらに注目してゆきたい。

最後に、タン氏が現代を象徴する好みの色として「青色」blueを挙げ、落合氏も「青色」と「黒色」を挙げているのも興味深い。筆者がブログの背景として「青色」に固執してきたのも、この点に通じるところがあり興味深い。

偉大な経済学者J.M.ケインズが記した人類の孫たちの世代へ、資本主義経済は意義ある遺産を残すことができるだろうか。現代の世界はその成否を定めるにかなり危うい段階に立ち至っていると考えられる。コロナ禍の下、急速に展開しつつあるデジタル化の動きは、人間の抱く構想と運営いかんでは、危機に瀕した資本主義経済を救い出す可能性を秘めているかもしれない。


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デラウエアの戦い:アメリカはどこへ向かうか

2020年11月09日 | 特別トピックス


『デラウエア川を渡るワシントン』アメリカ独立200年記念郵便切手シートの一枚
下記の油彩画に基づいて制作された:
Washington Crossing the Delaware by Emanuel Leutze/Eastman Johnson, oil on canvas, 378.5 x 647,7cm, 1851, Metropolitan Museun, New York, N.Y.


アメリカ大統領選もバイデン氏の勝利宣言で、ようやく決着がつきそうになってきた。しかし、トランプ氏はあきらめきれないのか、現段階では法廷闘争を進めると強調している。アメリカは選挙で露呈したように、明らかに分断の危機にある。しかし、ようやく修復と癒やしの時は見えてきたようだ。

バイデン氏が選挙活動の本拠地を生地のペンシルベニア州からデラウエア州に移していることに関連して、思い浮かべたことがあった。ペンシルベニア州とデラウエア州は、アメリカの歴史においてはきわめて重要な重みを持つ州である。

トランプ大統領とバイデン氏の双方がこの両州の選挙活動に多大なエネルギーを注いだのには理由がある。アメリカの独立宣言につながるこの地は、アメリカの歴史で格別の意義を持っている。

デラウエア川を渡るワシントン
デラウエアと聞いてブログ筆者が思い浮かべたのは、『デラウエア川を渡るワシントン』Washington Crossing the Delaware という油彩画である。多くのアメリカ人が特別の思いをもって思い浮かべる絵画作品である。現在はワシントンD.C.のメトロポリタン美術館に展示されている。アメリカ人ならずとも大変迫力を感じるドラマティックな作品である。

1976年には、アメリカ独立200年記念(Bicentenial 177-1976)として、この絵画作品を含めて4点の作品をモデルとした記念郵便切手4シートが発行された。筆者は切手のコレクターではないが、断捨離の作業の途中で、友人から贈られたこれらのシートのことを思い出し、引き出しの中から見つけ出した。

画題はアメリカ独立戦争中の1776年12月25日にジョージ・ワシントンが陸軍の部隊を率いて寒風吹きすさび、氷が張ったデラウエア川を渡った光景を描いている。

1776年の12月初頭まで、アメリカの愛国者にとって、事態はきわめて厳しくなっていた。彼らは一連の戦闘に敗退し、ニューヨーク、ニュージャージーからペンシルベニアまで追い詰められていた。多くの兵士がいなくなり、独立への正当性も薄れつつあった。

しかしながら、その中でトマス・ペイン Thomas Paine が12月19日に刊行した『アメリカの危機』The American Crisis のように独立を希求する人たちを鼓舞した小冊子が熱意をもって受け取られた。ワシントン将軍もその一人で、彼の兵士の誰もが読むべきだと命じた。

この状況で、彼は思い切った作戦計画を考えた。デラウエア川の対岸のトレントン(ニュージャージー州)は、当時1500人のドイツ軍(イギリス軍のために戦うために雇われたヘッセン人)によって占領されていた。これに対し、ワシントン将軍は2400人の兵士を擁し、加えて2中隊が援軍に駆けつけることになっていた。12月25日、ワシントンは万端準備を整え、氷が張ったデラウエア川の渡河を試み、悪天候に悩まされながらも、先頭を切って深夜に川を渡った。渡河地点は、現在のマッコンキー波止場、McKonkey’s Ferry付近と推定されている。(現在はWashington Crossing Btidgeという橋がかけられている。両岸にはそれぞれ歴史公園が設けられている)

この渡河によって大陸軍はニュージャージー州のトレントンにおける戦いでドイツ傭兵隊を急襲した。ワシントンの率いた軍は戦闘に勝利し、翌日のトレントンの戦いで、アメリカはイギリスに勝って、その後のアメリカ独立への道につながることになった。

N.B.
画家はドイツ生まれのエマニュエル・ロイツェ(1816年−1868年) であり、アメリカで成長し、成人してドイツに戻り、1848年革命の時にこの作品を制作することを思いついた。制作後まもなくアトリエの火災で損傷し、その後修復されブレーメン美術館に買い上げられた。その後第二次世界大戦中にイギリス空軍による空襲で破壊された。
その後、原寸大の写しとして1850年に制作された。1951年10月にニューヨークで展示された。その後所有者が何人か変わり、最終的に1897年にメトロポリタン美術館に寄贈され、今日にいたっている。

作品の構成
ジョージ・ワシントン将軍が激しい天候の中、デラウエア川を兵士、農夫、など、後にアメリカを形成すると思われる人々と渡る場面を描いている。スコットランド風の帽子を被った男性、前面に座っているアフリカ系、舳先と船尾に座るライフル銃射手、広い縁の帽子をかぶる農夫、赤いシャツを着た女性のようにみえる人物などが描かれている。

ワシントンの後ろに立ち、旗を持つのは、ジェームズ・モンロー中尉で、後の大統領である。描かれた人物は、当時のアメリカ植民地の断面を象徴しているとみられる。

現実にワシントンが渡河した地点の光景、天候や河川の厳しさ、描かれている船、アメリカ合衆国国旗のデザインの不自然さなどが指摘されてきたが、作品の持つ力強さもあって、多くのアメリカ人にとって極めて感動的な作品として受け取られている。ペンシルベニア川の記念館には、デラウエア川を軍隊が渡河した際に使用した船なども再現されている。

アメリカは旧大陸からの独立を目指したころと比較して、人種の構成も政治や文化的環境も大きく変わった。このたびの大統領選で、ペンシルベニア、デラウエアでの激しい選挙の実態を見て、しばしこの国の行方に思いを馳せた。『デラウエア川を渡るワシントン』の絵画は多くの模写が存在し、そのうちの一枚はホワイトハウス内にも掲げられているといわれる。トランプ大統領は作品を見ただろうか。

デラウエア川の主要領域



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記念郵便切手の概略
独立200年記念郵便切手のシートは下掲の4枚から成り、1シートは5枚の切手に使えるようになっているが、購入者が切手として使うことはほとんどないだろう。切手の一枚、一枚に歴史上の人物が割り当てられている。

Washington Crossing the Delaware From a Painting by Emanuel 
Leutze/Watmn Johnson



Washington Reviewing His Ragged Army at Valley Forge From a paonting by William T. Trego




The Surrender of Lord Cornwalls at Yorktown from a Painting by John Thumbell




The Declaration of Independence, 4 July 1776 at Philadelphia From a Painting by John Trumbell





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