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クライド河畔に生まれたニュー・ラナークの工場と工場町
Anthony Burton p.44, 1984
ディケンズなどの小説を読んでいると、時々文字を離れて、当時の社会のイメージを画像などでより具体的に思い浮かべて確かめてみたいと思うことがある。もちろん、ディケンズの作品で映画化されたものもある。しかし、いつでも見られるという訳ではない。例えば、作家の後期の小説『ハード・タイムズ』Hard Times (1836)には、当時勃興しつつあった工場の雑音、騒音、振動、蒸気機関が生み出す蒸気、煙突の煙などの描写が次々と現れる。ディケンズ自身、これらの新しい変化にはかなり関心を持っていたようだ。それまでの社会では経験したことのない音や空気などの雰囲気に文豪は関心を持ったのだ。社会に何か新しいことが起きている!
イギリスの産業革命の過程で次々と生み出された大工場は、それまでの時代とは異なるいくつかの特徴を持っていた。とりわけ毛織や木綿の紡織工場は、当時存在した伝統的な中小の企業とは全く異なっていた。建造物の大きさ、規模という点でみると、イギリスには中世から続く大寺院や修道院などがあり、規模でもはるかに巨大であった。そのほか17-18世紀頃からは病院、倉庫、事務所など、新興の大工場よりも規模が大きい建造物はすでに多数あった。
しかし、産業革命で生まれた工場は、全く新しいタイプの建造物だった。内部には水力や蒸気で動く重量のある機械類があたりを圧倒し、その間を縫うように多数の労働者が働いていた。見たことのない複雑な動きをする機械が轟音を発し、人の目を奪うような速度で動いていた。19世紀の前半には力織機 power loom が次第に増加した。これまで見慣れてきた手織りの織機とはまったく違っている。工場内に光を取り入れる必要もあって、独特の3角形をした屋根も考案、導入された。強力な鉄鋼を使った鉄骨の開発もあって、5階建の工場なども現われた。冬の寒さを和らげるよう、各階へ暖風を送る仕組みも生まれていた。文字通り、新たな「工場の体系」が根をおろしつつあった。
イギリス社会が何か新しい力で動かされていると感じた人もいた。産業革命は怪獣ビヒモスの単なる一歩か、それとも大きな一歩だったのか。産業革命の人類史的意義が問われ続けてきた。最近、この時代に新たなスポットライトが当てられている。長く続いた「工場制の時代は」21世紀で終わりを告げるのだろうか。
産業革命初期、大工場はしばしば人里離れた地域に建設されたが、人手の確保のために労働者のための宿舎、学校、病院など、小さな町のような光景を生み出すこともあった。他方、新たに生まれた工場には多くの見方が生まれた。その中で注目すべきは、「時間」のもたらした衝撃だった。これらの工場は、「時間」という新たな監視人で見守られる「監獄」のようになったとも形容された(Landes)。仕事の量や速度、多くのことが時間で決められる。しかし、多くの労働者は時計を持っていなかった時代であった。それまではせいぜい日の出と日没さえ大体わかれば仕事や家庭での生活には支障がなかった。
工場がツーリズムの対象に
こうして生まれた工場町には、イギリス国内のみならず、ヨーロッパ大陸、さらに新大陸アメリカからも様々な目的で旅行者が増えた。「工場ツーリズム」”Factory Tourism”と呼ばれた人の動きが始まった。あたかも近年の日本観光ブームの先駆のようなものだった。19世紀前半、1835年にマンチェスターを訪れたトクヴィル Alexis de Tocqueville は、それまでの建物と比較して、巨大な宮殿のようだと形容したといわれる。当時、人々が競って訪れた工場町のひとつに著名なニュー・ラナーク New Lanark* があったが、現代人の目で画像を見ても、巨大で斬新な感じを受ける。外観ばかりでなく、工場の内部で目にした機械の力強さ、斬新さ、絶え間ない動き、生産性などには、当時の人々は、文字通り耳目を奪われたようだった。急増したツーリストを相手とする新しい店やアミューズメントも生まれた。ビヒモスの走り出しは好調のようだった。。
ロバート・オウエンの革新
*ニュー・ラナークは今日では世界遺産に登録され、18世紀の紡績工場を復元したモデル・ヴィレッジとなっている。ここは、空想的社会主義者として知られるロバート・オウエンが構想し、築いた工場町でもあった。理想が感じられない現代の社会主義に対して、オウエンの構想はアイディアに溢れていた。その多くは現代的視点で見ても極めて新鮮である。折よく『オーウエン自叙伝』(五島茂訳、岩波書店、1961, 2018)が復刊された。若い世代の人たちにお勧めしたい本の一冊である。原著は、The Life of Robert Owen, Written by himself, 1857-58.いまになっても人類が実現できないでいる、驚くほど新しい考えに満ちている。
イギリス産業革命のその後を描き続けた画家 L.S.ラウリー
美術家が描きたいと考える対象は、多くの場合、なんらかの美的感覚に基づいて選ばれている。しかし、この画家は同時代の多くの画家たちは描こうと思わなかった工場やそこで働く人々の日常を好んで描いた。その結果は、今日時代とともに崩れ去ってゆく工場など産業革命が生み出した多くの足跡を今日に伝える貴重な資料として伝承されている。