時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

美術書の印刷製本に見る技術進歩

2012年05月31日 | 書棚の片隅から


 初夏の訪れとともに、目に触れる植物などの生長の早さに驚かされる。半月ほど前まではほとんど緑が見えなかったような土地に、あっという間に雑草が生い茂っている。
 
 同じようなことが身の回りに起きる。1年も経たない間に、いつ増えたのか、書類・書籍が仕事場を覆うようになる。これまで何度も経験してきたことだ。時々、時間をかけて整理をしないと、必要なものがどこにあるのか分からなくなる。

 この作業自体は存外楽しいところがある。後でゆっくり読もうと思っていた本が、埋もれていた山の間から顔を出したりする。今回もいくつかおもいがけない発見をする。この書籍(表紙上掲)、10数年前にフランスの古書店で求めたものだが、その時はまったく気づかないで過ごしていたあることを発見し、驚いた。タイトルは下記のごとく、イタリア、SKIRA社の美術史シリーズの一巻である。

LA GRANDE HISTOIRE DE LA PEINTURE, RÉALISME ET CLASSICISME AU XVIIe SIÉCLE, Text de Julián Cállego, SKIRA, 1973, pp93.

 この書籍は題名から明らかなように17世紀、とりわけ1600-1670年頃のイタリア、フランスを中心に、リアリズムとクラシシズムの代表的な画家24名を選び、解説を試みたものである。ひとりひとり、主要作品の図版を入れて、紹介している。このブログでもおなじみの名前が多い。

  今回、整理をしながら驚いたことは、図版(一部を除きカラー印刷)の部分が、すべて別紙で貼り付けられていることであった。言い換えると、挿絵に当たる部分は、別に作成され、丁寧に該当ページに貼り付けられている。今回、気がついたのは、刊行されてから40年近い年月が経過し、日本の湿気の多い気象条件が影響したのか、図版が貼り付けられたページが、波を打って
歪んだようになっていることからであった。それまでは、うかつにも図版は本文と同じように、同ページに印刷されていると思っていた。

 1973年というと、カラー印刷が出始めた頃ではないだろうか。イタリアの著名な美術出版社だけに、印刷は大変美しく、近年の印刷と比較しても遜色ないほどである。本書がどのくらいの部数、印刷されたのか分からない。しかし、図版を一枚、一枚、該当ページにしっかりと貼り付ける作業は、かなり大変な労力を要したのではないかと思い、改めて時の経過と印刷技術の進歩に目が覚める思いをした。

LE CARAVAGE
BIERA
GENTILESCHI
VAN HONTHORST
TERBRUGHEN
CALLOT
VALENTIN DE BOULOGNE
GEORGES DE LA TOUR
ATELIER DES LE NAIN
LOUIS LE NAIN
LE GUERCHIN
ANNIBAL CARRACHE
LE MONINIQUIN
PIERRE DE CORTONE
LE GUIDE
ORAZIO BORGIANNI
VIGNON
VOUET
POUSSIN
BOURDON
GASPARD DUGHET
CLAUDE LORRAIN

 

 

 図版が貼り付けられたページの見本

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国家の盛衰を定める人と金の流れ

2012年05月26日 | グローバル化の断面

 

  ギリシャの財政破綻、シリアを初めとする中東の不安定など、世界経済は明らかに大きな転換期を迎えている。とりわけ従来の先進国と開発途上国の関係に顕著な変化が見え始めた。ダイナミックな変化が進む世界では、先進国でも舵取りを誤ればその地位を保つことは難しい。他方、今は貧しい国でもチャンスをつかめば、先進国入りは夢ではない。国家の盛衰を定めるテンポが速くなってきた。
  
  グローバル化の進展とともに、盛者必衰、国家の盛衰は避けがたい。盛衰を定める要因は、国家財政・運営の健全性、その国が置かれた地政学的状況、潜在的革新力、教育水準、国民の幸福感、など数多い。

 こうした変化の方向を占う尺度のひとつに移民労働者の流れ、そして彼らが本国へ送る外貨の流れがある。経済不振で自国民の雇用を守ろうと門戸を閉ざす先進国が増えている。その背景には失業の深刻化、格差拡大などがある。いかなる変化が起きているか。最近発表されたデータで、考えてみたい。

Source: The Economist April 28th 2012


豊かな国を侵食する貧困
 たとえば、アメリカは依然豊かな国ではある。しかし、明らかに衰退が進んでいる。格差拡大によって、豊かな国の内部で貧困が急速に拡大している。2010年、アメリカの「貧困層」(4人家族で年収$22,000以下、日本円概算約180万円)の数は4620万人と、前年より400万人も増加した。たとえば、医療費が高いため、アメリカで治療を受けられない人々がメキシコ、インドなどで治療を受けいている

 世界最長の国境、アメリカとメキシコ間は、閉鎖性が格段に強化された。南から北への人の流れは明らかに減少している。他方、アメリカからメキシコへの金(送金)の流れは、顕著に増加した。2011年、その額は240億ドルに達した。この増加の一因には、送金統計の実態把握度が改善されたこともある。

 送金の実態も変化している。少し細部を見ると、メキシコにおける銀行などの窓口では、送金受領者の多くはメキシコ人ではなくなり、(アメリカへ入国できず)メキシコで働くグアテマラ、ホンジュラスなどの労働者が本国へ送金する姿が目立つようになった。

 開発途上の貧しい国への送金は急増している。1966年末以降、その額は開発途上国援助を上回るまでになった。世界銀行によると、2011年の貧しい国への送金は3720億ドルに達した。全送金額は5010億ドルであるから、きわめて大きな比重を占めることがわかる。開發途上国への直接投資に近づく数字である。開発途上国への送金は、額が増えるばかりでなく、伸び率も大きくなった。
 
 2009年にリーマンショックで世界経済が破綻した時でも、開発途上国への送金は5%程度の減少を示しただけで、2010年には元の水準を取り戻した。他方、これらの国々への海外直接投資は、この危機の時期には3分の1近い大きな減少を示した。企業はリスクに過敏に反応する。

 1970年時点では、世界全体の海外送金の46%はアメリカから送られたものであった。しかし、2010年にはアメリカのシェアは17%に減少した。アメリカからの送金先も、メキシコばかりでなく、フィリピン、インド、中国など多様化している。

多様化する送金の流れ
 送金元として大きな増加を示したのはガルフ(湾岸)諸国である。石油危機以降、多数の外国人労働者を受け入れてきた。彼らは建築ブームに湧いた湾岸諸国で働き、本国へ送金してきた。海外送金の流れは、図が示すようにいくつかの流れに分かれてきた。

 南アジアやアフリカへの送金の半分以上は、湾岸諸国から送られた。世界レベルでは2000年、湾岸諸国は17番目の送金元であったが、2010年には4番目まで上昇した。めまぐるしいほどの送金関係国の変化がみられる。

 通貨価値の変動には外貨送金は敏感に反応する。近年、アメリカ・ドル、ユーロの人気は衰退した。背景には、これらの地域における競争力の低下がある。他方、アフリカのいくつかの国では輸出が顕著に伸び、通貨価値が上がった。かつては、ヨーロッパで5年出稼ぎをすれば、本国で住宅が買えるだけの貯金ができた。今は、海外出稼ぎ自体難しい。仕事自体が見つからない。ヨーロッパ、アメリカなどの先進国へは仕事を求めて入国することすら困難になってきた。

帰国しない人々も
 アメリカからメキシコなどへ帰国する流れも大きくなった。しかし、他方で一度帰国してしまうともう再入国は難しい。仕事はないが、なんとか踏みとどまろうとする人々も多い。ピュー・ヒスパニック・センターの調べでは、こうした中でメキシコ人の27%近くが帰国したといわれる。かれらの多くはアメリカに1年以上滞在していた。アメリカ大統領選の過程で、国内に不法滞在する人々への対応は、大きな論点となるだろう。

 自国民の雇用維持のため、移民抑制など閉鎖的な方向へ傾く先進諸国が増えたことで、人の流れは縮小している。しかし、高齢化が進む国は、自国民だけに頼っていたのでは、いずれ衰退する。新たな活力を求める以上、閉鎖的政策は続かない。

 
他方、金(送金)の流れは拡大・多様化している。IT技術の進歩によって、人が動かないでも自国で仕事をする、逆にいうと先進国から人材の豊富な国へアウトソーシングが可能になっている。しかし、外貨送金の受け入れが多い国は、経済発展の速度が早いかというと、必ずしもそうではない。受け入れた送金を生産的な活動にまでつなげる道には、いくつかの媒介要因がある。

 国の活力の一端を定める移民の動きは、複雑さを増している。新しい側面も生まれつつある。海外送金が、そのまま国の活力拡大につながる保証もない。台頭する新しい動きを注意深く見つめたい。



 
 

References
”New rivers of gold” The Economist April 28th 2012
「逆転する世界」NHKBS1 2012年5月25日

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カラヴァッジョ、セザンヌ、トゥエインを結ぶもの(3)

2012年05月22日 | 午後のティールーム

 



Mark Twain (Samuel Langhorne Clemens、1835-1910)




セザンヌの目指したもの

 セザンスにとつて、前回紹介した作品『カードプレヤー』シリーズは、なにかの寓意を込めるためあるいはいかさま師などにだまされる男を愚弄や嘲笑の種とすることを目指して描いたのではない。これは、作品をひと目見ればすぐに伝わってくる。描かれたプレーヤーは、どの作品をとってもひたすら自分のカードに没頭している。たまたま見物している男や子供にも、カードを盗み見して共謀者に伝えようなどの悪意の気配はまったくない。いくら眺めていても、カラヴァッジョやラ・トゥールのような寓意やドラマ的要因は伝わってこない。描かれている人物は、セザンヌが得意とした果物のように、ほとんど静物に近い存在だ。

 それではセザンヌはなにを目指して、この一連の作品の制作に当たったのだろうか。19世紀から20世紀初頭にかけて生きたこの偉大な画家は、当然17世紀のカラヴァッジョやラ・トゥールの作品についても知っていたはずである。カードゲームを主題に取り上げた根底には、フランス絵画の底流にあるカードプレーヤーにまつわるさまざまな思いがあったのかもしれない。さもなければ、セザンヌが晩年、このカードゲーム・シリーズのために多大な時間と労力を注いだ理由を推定することはかなり難しい。

 ひとつ考えられることは、カラヴァッジョやラ・トゥールの作品あるいは彼らが生きていた時代では、カードゲームは(幸運・不運を含めて)「運」あるいは「偶然」luck or chance が勝負を決めるゲームだと思われてきた。もちろん、プレーヤーが持つ多少のスキルが働いているとの認識もあったろう。セザンヌの時代でも多くの人はそう思っていたかもしれない。運や偶然が勝負を定めるとなると、それをなんらかの人為的手段で自分に有利な方向に引き寄せられないかという考えが生まれる。そのひとつが、いかさま師のとったような手口である。さもなければ、いかさま師は商売?ができない。

カードゲームの本質は「スキル」
 他方、セザンヌの作品に登場するプレーヤーは、静物画の林檎のように静止しているが、彼らの頭脳は最大限に回転している。言い換えると、彼らは自分が蓄積したスキルこそが、勝負を分ける要因と考えている。セザンヌは、カードプレーという場を支配する究極の要因はプレーヤーのスキルあると考え、その真髄を最も的確に描き出すため、多くの努力を傾注したのではないか。さまざまなモデルが試みられているが、画家はゲームの本質を求めて探索していたのだろう。その本質を最もよく表現する人物配置や色彩を試みたのではないか。

 実は、カードゲームが「運」と「スキル」のいずれによって基本的に動かされているかという問題について、その後大変興味深い考えが展開した。そのきっかけを作ったのは、アメリカ文学の巨人マーク・トウェインだった。

大きな変革者マーク・トゥエイン
 
マーク・トウェインは、自他共に認めるポーカー愛好者であった。他方、彼は世の中で、こうしたカードゲームのルールを正しく知る人があまりに少ないことを嘆いていた。


 マーク・トゥエインは1870年、「科学対運」Science vs Luckという興味深いエッセイを書いている。大変ウイットとユーモアに富んだ話だ。そのなかで次のような例を取り上げている。ケンタッキー州で、12人ほどの学生が金を賭けてポーカーをして逮捕され、裁判沙汰になった。その当時、多くの州がポーカーのような「チャンスのゲーム」game of chanceを厳しく禁止していた。さらに知的レベルの高い学生が多いと考えられたハーバード大学などは、学生の飲酒やけんかは概して見逃したが、金を賭けたカード遊びは禁じていた。誤を犯した学生は、飲酒やけんかよりもはるかに高い罰金を課せられた。

 トウェインのエツセイでは、金を賭けてカードゲームをしていた生徒を弁護する側の弁護士は、ポーカーはチャンスのゲームではなく、スキルのゲームだと論じた。そして、被告は、原告側から説得的な反論がなければ罪せられるべきでないとした。この弁護士は、法廷に多数の傍聴者を集め、双方の論戦を傍聴する機会を与えた。

 ちなみに検事は、すべてポーカーにルイするカードゲームは、運やチャンスが支配的なゲームとみていた。他方、弁護側の証人はスキルのゲームであるとの考えに加担した。、そして、ポーカーがチャンスのゲームと明解に証明されるまでは、被告は処罰されるべきではないと論じた。判事はどちらとも答が出せず、判定に窮した。

 そこで、被告の弁護士に打開策を求めたところ、弁護士は6名ずつ選んだ陪審員に実際に金を賭けたゲームをしてもらい、ポーカーが運か科学のいづれによって支配されているかを決めさせたらどうかとの提案をした。判事はその提案に賛成し、彼らに夜間もプレーができるようローソクとカードの束をわたした。そして、「チヤンス」がポーカーの勝敗を決めていると信じるプレーヤーはその旨宣誓し、別の6人のカードゲームに経験豊富なポーカープレヤー(陪審員)は、「科学」を信じてプレーするとの宣誓を行なった。

さて、成り行きは
 多くの傍聴人、観衆が待つ傍ら、世を徹してプレーが行われた。明け方近く、陪審員の長が現れ、評決を読み上げた。その内容はつぎのようなものであった:

 われわれ陪審員は、「原告ケンタッキー州対被告ジョン・ウイーラー他」の裁判をめぐるカードゲームに関わる本質的問題点を注意深く検討した。そしていくつかの進んだ理論のメリットをテストした。その結果、陪審員は一致してゲームは明らかにチャンスのゲームではなく、科学のゲームであると決定するにいたった。評決を支持する論証として、ゲームはチャンスと考えた人たちはすべて敗退し、科学が支配していると考えた人たちは利得を得た。(中略)かくして、カード・ゲームはチャンスのゲームではなく、科学のゲームであると考える。

 ここで結論として指摘したいのは、ポーカーのようなゲームは、確率法則を最善(勝つため)の決定のために使う科学(知識とスキル)のゲームであるということである。もちろん、ゲームには偶然や運が働くこともある。しかし、本質的に強いプレーヤーと弱いプレーヤーを分けるものは科学だという考えである。ちなみに、当時行われていたゲームは、今日行われているポーカーに近いゲームであった。

 セザンヌのカード・プレーヤーたちがプレーに熱中しているのは、彼らの経験に基づき、ひたすら確率法則に基づいた戦術を考えているからといえるだろう。カードゲームをめぐるカラヴァッジョ、セザンヌ、そしてトゥエインを結ぶ話は、実はこれだけにとどまらない。さまざまなことに応用、展開してゆく。たとえば、ノーベル賞のような大きな賞を受賞するのも、科学者として単なる確率的な幸運ではない。あることに留意すると、受賞の確率が高まるなど、なかなか興味深い結果が期待されるという。残念ながら、今回はこれで御終い




References
Mark Twain. "Science vs Luck" The Complete Short Stories of Mark Twain, 1870

Joseph L Goldstein. "The card players of Caravvagio, Cézanne and Mark Twain: tips for getting lucky in high-stakes research. NATURE MEDECINE, volume 17, number 10, October 2011, pp.1201-1205.

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

追悼:ディートリッヒ・フィッシャー・ディスカウ

2012年05月20日 | 午後のティールーム

 


Dietrich Fischer-Dieskau (1925年5月28日 - 2012年5月18日)

  5月18日、ディートリッヒ・フィッシャー・ディスカウさんが亡くなられたことをメディアが報じていた。長い間、仕事場の本棚に、このブロマイドを置いていた。気がついてみると大分色あせてはいる。かつてベルリン・オペラに伴って来日された時、なにかの理由で聴きに行くことができなかったことを聞いたドイツ人の友人が、1969年訪独した時に機会を作ってくれた。ピアノはギュンター・ヴァイセンホルンだった。コンサート後、会場でサインをしてくれた思い出の一枚である。私の名前を聞いて書き込んでくれたことに感激した。友人を含め数分だったろうか、日本旅行のことなど、楽しく話をした。大変親日的な方であった。この時はバリトン歌手として、最盛期であったのではないだろうか。その後、しばらく歌詞を覚えるほどLP、CDを聴き続けていた。また時代を創った巨人が去っていった。



  *去る2012年6月30日、NHKが『名歌手フィッシャー・ディスカウをしのぶ』番組を放映していた。あの独特で穏やかな話し方が耳の底から戻ってきた。難しい時代を生きる力を与えてくれた。ありがとう、フィッシャー・ディスカウさん!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カラヴァッジョ、セザンヌ、トゥエインを結ぶもの(2)

2012年05月16日 | 午後のティールーム


ポウル・セザンヌ
『カード遊びをする人』
Cezanne, Paul
The Card Players (Les joueurs de cartes)
1890-1892
Oil on canvas
52 3/4 x 71 1/2 in. (134 x 181.5 cm)
The Barnes Foundation, Merion, Pennsylvania

 

 カラヴァッジョの『トランプ詐欺師』は、一見分かりやすい主題でありながら、描かれた人物の間の微妙な心理の糸を巧みに描きこんでみせた。いかさま師を含めて、プレーヤーのそれぞれが心の内に秘める秘密を、一場のドラマティックな画面に仕上げている。この作品は、たちまちその後の画壇に大きな影響を与えた。

 このブログを訪れてくださる方は、ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの『いかさま師』は、おなじみの作品である。ラ・トゥールの作品は、カラヴァッジョとは違ったプロットで、いかさまが進行する状況を華麗かつドラマティックに描いてみせている。これも、なにかの寓意を意図したものか、いかさまを指示しているかにみえる強力な印象を与える女性のモデルの正体を含めて、謎は深い。

 さらに、同時代のルナン兄弟の作品を思い浮かべる方もおられるだろう(子供たちがカードで遊んでいる作品を含め、数点はあるようだ)。実は、今回取り上げる後期印象派の巨匠ポール・セザンヌもカードゲームに惹かれた画家であった。異論もあるようだが、5点の連作の作品が確認されている。セザンヌはアトリエのあったエクス゠アン゠プロヴァンスの近くの美術館が所蔵するル・ナン兄弟の作品を見て、発想したと推定されている。しかし、ル・ナンのどの作品なのかは定かではない。



ル・ナン兄弟
『カード遊びをする人』


 ポール・セザンスは、画家の晩年に近い1890年代に5年近い年月をかけて、このシリーズを制作したようだ。そのためには周到かつ大量の試みを行っていることも知られている。それについては興味深い点も多々あるが、
ここでの話題は、カラヴァッジョ以来のカードゲーム、とりわけポピュラーなポーカー・ゲームの評価に関わる。

 画家にとってカードゲームが画題として、いかなる点で興味を惹くかは、画家それぞれに異なるようだ。そこには、ある種のスリルがあるからだともいわれる。その内容については、たとえば科学者がきわめて重要な発見をした場合のスリル、興奮は、ポーカー・プレーヤーがロイヤル・フラッシュを引き当てた場合に似てもいるともいわれる。ポーカーの勝利者あるいは歴史に残るような大きな発見をした科学者は、幸運とスキルのどちらに依存しているのだろうか。

セザンヌはなにを意図したか
 セザンヌの『カード遊びをする人たち』は、カラヴァッジョやラ・トゥールのようなドラマやストーリー性からは、距離を置いているようにみえる。セザンヌのこのシリーズの最初の作品(上掲図)といわれるものをみてみよう。そこには農民のような一見地味な服装の3人のプレーヤーが机を囲み、ゲームをしている。ワインや怪しげな女性の姿もない。プレーをしている人たちの背後には、2人の人物がプレーを眺めている。右側の人物はどうやら子供(少女)のようだ。興味深げに覗き込んでいる。左側に立っている大人は、パイプを加えて眺めているが、さほど熱心に見ているようには見えない。

 セザンヌのシリーズには、背後にいる人物が1人の場合、ただ2人の人物がカードをしている場合などのヴァリエーションがある。画家は、このシリーズでなにを試みようとしたのだろうか。



 セザンヌの作品は、サイズやスケールは異なるが、いずれもプレーヤーがひたすらゲームに熱中し、集中しているふんい気が画面に漂っている。しかし、カラヴァッジョやラ・トゥールのような、ドラマ性はほとんど感じられない。むしろ、この画家の主柱でもある静物画を人間に取り替えたような印象すら与える。セザンスにとつてはカードゲームは、なんらかの教訓やアレゴリーを意図したものではないようだ。プレーヤーはゲームにすっかり溶け込み、それぞれのスキルを発揮しようとプレイを楽しんでいるようだ。一体、この画家は何を目指して、この一連の作品制作に時間とエネルギーを費やしたのだろうか。

 

折しも「セザンヌ:パリとプロヴァンス展」が国立新美術館(6月11日まで)開催中である。残念ながら、「カードプレーヤー」シリーズは出展されていない。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カラヴァッジョ、セザンヌ、トゥエインを結ぶもの(1)

2012年05月14日 | 午後のティールーム


カラヴァッジョ『トランプ詐欺師』
Caravaggilangelo, Michelangelo Merisi da
The Cardsharps
c.1595, Oil on canvas
94.2 x 130.9 cm
Fortworth, Kimbell Art Museum


 カード(トランプ)ゲームは、画家にとってもながらく大変興味深い主題となってきた。13世紀頃から描かれてきたようだ。カラヴァッジョのこの『トランプ詐欺師』は、16世紀末に描かれたが、カラヴァジェスティの流れの中で、大きな影響を発揮してきた著名な作品だ(ちなみにこのブログでも記事にしたことがある)。

 作品はカラヴァッジョのパトロンであったデル・モンテ枢機卿が所蔵していたようだが、その後長い間行方不明のままであった。その後、発見されたのは新大陸アメリカであった。その間に、多数のコピー、ヴァージョンが生まれていた。

 カードゲームを描いた作品については、後期ルネサンスの頃からさまざまな寓意(アレゴリー)がこめられているともいわれてきた。たとえば、ギャンブルのいましめ、ライヴァル、詐欺、疑惑、裏切りなどである。

 カラヴァッジョのこの作品、一見シンプルで分かりやすいように見える。前景に、バックギャモンのボードなども描かれているが、見る人は直ちに画面の中に吸い込まれる。描かれている人物は3人。二人の若者がプレーをしており、背後にいる3人目の中年の男は、なにかの企みをしていることは、その容貌、のぞき込む姿勢などから明らかだ。もう一人の画面右手の若者と通じているようだ、盗んだ情報を知らせ、勝負の分け前を得ようという企みなのだろう。左手の若者の手の内を盗み見して、右の少年に知らせようとしている。それとなく三本指で相図している。伊達男のような派手な衣服を着込んではいるが、手袋の指に穴が空いているところを見ると、案外金に困っているのかもしれない。

 左の少年は勝負に自信があるのか、他の二人のことを気にかけることもなく、自分の切る札をどうするかに集中しているかに見える。相手がどんな手を打とうとも、自分のスキルに大きな自信をを持っているようでもある。手に持つカードのどれを切るか。戦術が頭の中をかけめぐっているのかもしれない。もしかすると、駆け出しの初心者ではなく、かなりの熟達者なのかもしれない。中年男が覗き込んでいようと、意に介さないほどの絶対の自信を持っているとも考えられる。すでにいかさま師の企みを読み込み済みで、次の瞬間、思いがけないカードを切るかもしれないのだ。

 さて、右手の若者も、まともではない。中年男と組んでいる。そして腰のベルトにひそかに挟んだ二枚のカードのいずれかを、男の合図に従って、切ろうとしている。この若者はカードの技量が低く、まともな勝負では勝ち目がないので、中年男と組んで、ゲームに勝とうとしているのか。すっかり男の手の内に取り込まれているかのように見える。それとも最初から悪巧みで左手の少年から掛け金を巻き上げるつもりなのか。中年のいかさま男を信じ込み、背中に隠したカードのいずれを切るか、ただそれだけに頭がいっぱいであるようだ。左手の持ち札のことは忘れて、無防備状態だ。自分のカードの手の内が見えている。

  この勝負、一見すると、いかさま師側が勝ちそうに見えるが、案外左側の少年のスキルが図抜けていて、勝利をものにするかもしれないのだ。そういえば、いかさま男もあまり頭が良さそうにみえない。さて、結末は。

 勝負を制するものは、プレーヤーの熟達したスキルか、いかさま、悪巧みか。一見、いかさま師に歩があるとみえた状況は、考えるほどに分からなくなる。画家カラヴァッジョは、単純にいかさま師と組んだ若者の勝ちを描いたのではないようだ。主題を熟慮した非凡な画家の才知が潜んでいる。

 カードに勝つのは、プレーヤーのスキル(技量)なのか、(悪巧みも含めて)運・ラックなのか。この一枚の絵はカードゲームの真髄を突いている。

 折しも、ある世界的に著名なギャンブラー、アマリリョ・スリム Amarillo Slimの死を告げる訃報 obitury が掲載されていた。この世界的に著名な雑誌の訃報は、しばしばわれわれが思い及ばないような人々の人生と最後を告げている。この世界に知られたギャンブラーは、ポーカーなどのゲームで抜群の勝負師だったらしい。彼が身につけたゲームに勝つための策略、スキルは超人的なものであったようだ。

 この勝負師の前に面と向かって座るようなことがあったら、一言も発することなく、ひたすら無言で座っているのがよいというのがアドヴァイスだ。それでいても、彼は「どうだい」、「元気にやっているか」など、あらゆる手で口を開かせようとしてくる。それに乗って、うっかりなにか応対でもしようものなら、この稀代のギャンブラーはあなたの上唇の湿り具合などから、こころの内を読み取ってしまうというのだ.

 さて、この記事の表題「
カラヴアッジョ、セザンヌ、(マーク・)トウェインを結ぶもの」を見て、あれかとすぐに気づかれた方は、驚くべき能力、洞察力をお持ちだ。ヒントはカード(トランプ)・ゲーム。偶然目にしたある雑誌記事から触発されてのやや長い話になる。少しずつ札を開いていこう。



Obitury
Amarillo Slim
The Economist May 12th 2012

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

妥協なき政党政治の行方:アメリカ移民改革を見る

2012年05月05日 | 移民政策を追って

 






 11月のアメリカの大統領選挙まで半年を切ったが、なんとなく盛り上がりに欠けている。前回のような全世界を取り込むがごとき熱狂の嵐はどこにも感じられない。出口の見えないような行き詰まった雰囲気が漂っている。しかし、例のごとく政治的論評は賑やかだ。

 最近、指摘されている大きな問題は、政党の両極端主義、分極化がもたらす議会政治の停滞・閉塞状態だ。国家のあり方を定めるような重要法案が、いつになってもなにも決まらず、閉塞感が漂う。重要政策が成立せず、どこへ向かうのか方向を失い、弛緩している。時間だけが無為に経過し、その間に事態はさらに悪化する。批判はとりわけ、かたくななまでに凝り固まった共和党が抱える問題に向けられている。実は、この問題、根源は異なる部分もあるが、日本にとっても決して無縁ではない。思わず考え込んでしまう。

 最近のThe Economist誌が「共和党は狂っているのでは?」 Are the Republicans mad?というセンセーショナルな見出しで論じているのが、まさにこの問題だ。口火を切ったのは、アメリカの著名な二つの研究機関Brookings と American Enterprise Instituteの二人の研究者トーマス・マンとノーマン・オムスタインによる新著 It's Even Worth Than It Looks. 『見かけ以上に悪い』である。

 これと対峙して、American Tax Reformという組織を率い、強力な共和党支持者であるグローヴァ・ノルクィストによる 『Debacle』 (Willey)の新著も、話題を作っている。ノルクィストは、「浴槽で溺れるほど政府を軽くする」というアジテーションで話題を呼んできた

 アメリカのような政党システムで、一党がおかしくなってしまうと、いったいどうなるか。近年、民主党と共和党は議会主義の政党としては、感情的なまでに激しく反目・衝突してきた。議会において、さまざまな妨害行動が生まれ、議事進行、法案審議に深刻な行き詰まりを来す。その背景には、とりわけ、共和党側に問題があるという認識が広まっている。あの滑り出しはすべて良しであるかにみえたオバマ政権が、2010年の中間選挙後、急転、精彩を欠き、批判の対象となったのはなにが原因なのだろうか。立場や見方は分かれるが、上記の著者たちが共に取り上げている課題だ。

 
 
マンとオムスタインは、アメリカの政党そしてそれを支える選挙民にほとんど絶望しているかにさえみえる。それでもなんとか事態を改善しようと、メディアの報道などを改善する必要などいくつかの打開策を提示している。たとえば、アンバランスな共和党の現状を“バランスさせて”、カヴァーするメディアの報道を止めさせることなどである。ノルクィストも、彼なりの不満を選挙民に持っているようだ。しかし、10年くらいの間に共和党は主導権を取り戻し、大統領や上下両院での主導権をにぎれることを希望している。

試金石のアリゾナ州法 
 この状況を象徴しているのが、ブッシュ政権以来見るべき進展のない移民政策だ。このブログでもウオッチしてきた不法移民に厳しい対応をとろうとするアリゾナ州法は、2010年に成立した。この法律は、警察官などが不法移民と思う人物に滞在証明などの提示を求め、不法移民を厳しく監視、管理しようとする。不法移民が州民の仕事を奪い、犯罪行為などを増やしているという考えだ。

 これに反対する市民のリベラルグループは、こうした法律は人種や肌の色での差別を明白に禁止していても、ラティーノなど褐色の肌の人々に困惑と被害をもたらすと憂慮している。当局が個人の移民ステイタスを判定する良い方法はない。結果として、多くの市民が予期せぬチェックや被害を受ける可能性がある。
たとえば、アリゾナ州へ隣のニューメキシコ州から、自動車ライセンスだけ持ってやって来た運転手にどう対応するか。ニューメキシコはこれまで不法移民にもライセンスを発行してきた。

 アリゾナ州法には近く最高裁の判決が下るが、その影響はアリゾナばかりでなく、同様の対応をする数州にもかかわる。これまで歴代の大統領は、アメリカ国内に居住する1千万人近い、不法滞在者の問題に取り組むとしながらも果たせなかった。オバマ大統領も結局、就任以来今まで、ほとんどなにもできなかった。とりわけ、民主党が下院で多数派でなくなって以来、予算、医療改革、移民法改革を含む多くの法案が暗礁に乗り上げ、挫折、成立しなかった。他方、共和党支持の選挙民の間では、なにも対応が打ち出せない連邦政府の無力さに、フラストレーションを感じている者も多い。最高裁の判決が下れば、民主、共和両党の間で実りのない責任転嫁の論争がエスカレートするだろう。

 今の段階では、民主、共和の両陣営とも、経済問題か、このヒスパニック系を傷つけかねないアリゾナ州法のような案件が大統領選の勝敗を定めることになるとみている。ヒスパニック系移民の実態について、専門調査機関のピュー・リサーチ・センターは、アメリカからメキシコへの流出が流入を上回って、ヒスパニックの数はネットで減少に向かっているとしている。アメリカに限ったことではないが、移民問題は潮の目がかなり変わりやすい。絶えざるウオッチが欠かせない。

共和党が生きる道は
 
共和党大統領選候補をあきらめたギングリッチも、犯罪歴のない滞在年数の長い不法移民は、合法化せよとの立場である。共和党内部もかなり意見が分かれる。しかし、ロムニーは経済が悪化しているので彼らは「自分で送還されるのだ」 self-deportというひどい表現をしている。これについて、ヒスパニック系選挙民は、共和党の政策は人種差別といわないまでも石のような心で作られているとしている。ピュー・ヒスパニック・センターが去年実施した調査では、ヒスパニック系選挙民の2/3 は民主党に、わずか10%が共和党支持にまわると予想。2010年国勢調査では、ヒスパニックは人口の16%にまで増えた。最大の成長グループだが、選挙権をまだ所持しない人の比率が高い。選挙への関心もアングロサクソン系白人ほど高くない。

 こうした状況だが、移民政策の改革を公約しておきながら、期待に添えないできたオバマ民主党政権側は、これまでのようには、ヒスパニック票を獲得できないかもしれないと思っているようだ。

 現段階で、アメリカ市民が、アメリカという国を構成するベースラインをどう考えるか。最高裁はまもなくアリゾナ州法へ判決を下す。だが、この問題について共和党の対応は簡単には変わりえない。閉塞状態に光は射すだろうか。出口が遠ざかれば、不満はさらに鬱積し抑えがたくなる。20年前の1992年4月29日、ロサンジェルスのサウス・セントラル・ディストリクトで、ロス暴動が起きたことを思い出す読者はどれだけおられるだろうか。 

 

References

“The nativist millstone” The Economist April 28th  2012
“Lexington: Are the Republic mad?” The Economist April 28th 2012

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

二人のヨハネを結ぶもの

2012年05月01日 | ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの部屋

 

 Hendrick Terbrugghen
(Deventer 1588-Utrecht 1656)
San Giovanni Evangelista
Olio su tela,, cm 105 x 137
Torino, Galleria Sabauda
Inv. 100, cat. 462

ヘンドリック・テルブルッヘン
『聖ヨハネ福音書記者』

 





  ジョルジュ・ド・ラ・トゥールという画家と作品に魅せられてから、この画家に関する通説・俗説?にかなり違和感を覚えたこともあった。そのひとつは、画家のイタリア修業に関わる仮説だ。かなりの美術史家がラ・トゥールのイタリア修業を、当然のように考えていた。そのため、画家の背景にうとい普通の人々は疑問を抱くことなく、そのまま受け入れてしまう。この仮説は、とりわけ、カラヴァッジョの影響をめぐって生まれた。だが、ラ・トゥールのイタリアでの修業や遍歴の旅を示す文書記録のようなものは、発見されていない。画家自身もイタリアへの旅を示唆するような事実をなにも残していない。

 カラヴァジェスティの範囲をどこまでにするかも、慎重に考えるべきだろう。この時代の画家の誰もがカラヴァッジョの影響を受けたわけでもない。また、その伝播 diffusionの道もさまざまであったと思われる。

 他方、カラヴァジェスティの研究が進むにつれて、北方ネーデルラント、とりわけユトレヒト・カラヴァジェスティとの関連で、新たな可能性が開かれてきた。その概略は、このブログにもメモ代わりに記してきた。ラ・トゥールは、恐らくロレーヌからはさほど遠くないユトレヒトへは、旅をしたに違いないという思いは、管理人の推理としても次第に強まってきた。ラ・トゥールを仮にカラヴァジェスティ(この点も早急な決めつけが多い)とするならば、イタリアの光の下ではなく、北方ネーデルラントの光の下であったに違いないと思う。

 最近、2003年に北イタリアのトリノで開催されたジョルジュ・ド・ラ・トゥールとカラヴァッジズモの企画展カタログを眺めていて、その感は一段と強まってきた。この企画展に展示されたラ・トゥールの作品は、ニューヨークのメトロポリタン美術館が所蔵する『女占い師』 La buona ventura  のわずかに1点であった。ちなみにイタリア語 (La buona ventura は「幸運(を告げる人)」を意味する)。他方、展示された作品は、ほとんど主催者のトリノのサバウダ美術館所蔵のカラヴァジェスティとみなされる画家の作品であった。

 その中で改めて惹きつけられた1点があった。ヘンドリック・テルブルッヘンの手になると考えられる、上に掲げた『聖ヨハネ 福音書記者』 San Giovanni Evangelista を描いた作品である。テルブルッヘンの作品の中では、殆ど紹介されていない。研究者の間でテルブルッヘンへ帰属することに異論を唱える研究者もいるようだ。イタリアの画家などが挙げられている。しかし、管理人にとっては、仮にテルブルッヘンに帰属しないとしても、ユトレヒトなどの北方画家の作品であるとの印象が強い。

 この聖ヨハネは、キリストの12使徒のひとりで、第4の福音書の著作者とされる。さらに、伝承によれば「ヨハネの黙示録」の作者でもあるらしい。人物像として構成するのが困難なほど、不明な点が多い人物でもある。

 伝承によれば、ヨハネはドミティアヌス帝により、小アジアのエーゲ海の小島バトモスへ流され、そこで黙示録を書いたと信じられてきた。テルブルッヘンによるこの作品は、その場面をイメージし、主題としたものだろう。本はこのヨハネのアトリビュートのひとつとされてきた。

  ちなみに、ラ・トゥールが描いた『荒野の洗礼者聖ヨハネ』 Giovanni Battistaとは別の使徒である。こちらはバプテスマのヨハネともいわれ、キリストの先駆者または「使者」とされる。旧約と新約をつなぐ役割を果たす人物である。
 
 テルブルッヘンの描いた使徒聖ヨハネは、かつて洗礼者聖ヨハネの信仰上の追随者であった。そして、キリストの洗礼 バプテスマ(“Behold the Lamb of God”)に立ち会った。さらに、ユダヤの大祭司カイアファ(カヤパ)によるイエスの審問に立ち会った唯一の使徒でもあった。

 ヘンドリック・テルブルッヘンとジョルジュ・ド・ラ・トゥールは、ユトレヒトとロレーヌという活動の場は違いながらも、ほとんど同時代人であった。洗礼者聖ヨハネとキリストは、生年がヨハネの方が半年ほど早かったといわれている。異なったヨハネを描いたこの二枚の作品、対象も画家も異なるとはいえ、明らかに時代の流れの中でしっかりとつながっている。

 

 
 La buona ventura
Di Georges de La Tour
e aspetti del caravaggismo
nordico in Piemonte
Electa: 2003

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

花と華を見て

2012年05月01日 | 午後のティールーム

 

  連休に入る少し前、国立東京博物館『ボストン美術館日本美術の至宝』展を訪れた。連休中はとても見るどころではないことを予想したからだ。ボストン美術館の日本美術の収蔵作品は10万点を超えるそうだが、1876年開館時は5600点であったので、およそ135年の間に想像を超える日本の美術品が太平洋を渡ったことになる。

 展示作品の中には、かつて日本であるいは滞米中や旅の合間に見た作品もあったが、初めて接したものも多く、大変興味深かった。日本にあったならば、国宝、重要文化財指定は間違いないと思われる作品が多数あり、それらが日本で見られないことに残念な気はするが、かえって外国に流出したために逸失・滅失を免れた作品も多いはずだと考えなおす。ラ・トゥールもフェルメールも、自国外に分散、所蔵されているがために、世界的に注目を集め、客観的な評価が可能になっている部分もある。美術品の流出・散逸の問題については、かねて調べてみたいテーマもあるのだが、もはや時間がない。

 今回の企画展にも『平治物語絵巻』、『吉備大臣入唐絵巻』など、見どころ多い華のある作品が目白押しだったが、奇才曽我粛白の『雲龍図』を見られたことは幸いだった。画面から発するすさまじいエネルギーに力をもらった。

 館外では庭園が開放され、多くの花見客で賑わっていた。こうした光景だけを見ていると、騒然たる世俗の世界を忘れることができるのだが。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする