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春とはいえ、時には肌を刺すような寒気が感じられる日、遠く北を目指す旅に出る。初めての土地ではない。この10年くらいの間にも何度か訪れている。地縁や血縁などのようなつながりがとりたててあるわけでもない。最初はこの地に生まれた育った友人との縁で、観光を兼ねて訪れてからすでに半世紀を経過している。今はとりわけ親しい知人、友人も住んでいない。しかし、なんとなく惹かれるものがあって、学会などで近くに来るたびに格別用事がなくとも、足を延ばしてきた。上掲の写真からどこか推察いだだけるだろうか。北の海を目前にした海岸に並行する運河に沿って百年余りの風雪に耐えてきた倉庫群が並ぶ。
太平洋岸の明るい海の色とは異なる濃い灰色の薄暗い海の色を見ながら、列車は海辺をひた走る。線路と海辺の距離は狭いところは数メートルしかない。海岸線を小一時間走った列車は、上野駅を模したと言われる外観はかなり古びてしまった感じの駅に到着する。駅名は「小樽」。駅舎自体は寂れてはいるが、内部は改装され、繁栄した当時はさぞや賑やかであったろうと思う。
列車から降りてくる人のほとんどは旅行者風だが、最近はここでも多数の中国人観光客の集団を見る。一時の爆買いはなくなったようだが、それでも大きな荷物を持って車両から降りてくる。彼らにとっては、未だ雪が道路の両側に積まれたままで人影の少ない港町も興味津々のようだ。東京、京都などの大都市集中型の旅行ではなく、古き時代の日本が残るローカルな地を訪ねる動きが少しずつ増えているように思われる。
駅から海に向かって下ってゆくと、かつては鰊や昆布の交易、北方ロシアとの取引で賑わった地域が現れる。海岸近くの運河に沿って大きな倉庫群が連なっている。しかし、その多くはもはや倉庫の役割を終え、主として観光客相手の地元産品の店や食堂のようなガランとした店が並ぶ。春とはいえ、風は肌を刺すような冷たさだ。昼間はまだしも、夕刻には人影も少ない。
夜になって、かつて訪れたことのある一角を訪ねてみた。街灯も少なく、街は暗闇に沈んでいる。かつては町の中心であった。車がかろうじて通れるほどの狭い道には残雪が凍りつき、慣れないよそ者には大変歩きにくい。路上に人影はなく、店内も閑散とした店が並んでいる。店の数の多さだけが目につく。
この地の出身で何年かの修行の時を過ごした後、故郷へ戻り、昨年店を開いたという店主と話す。あたりの店は、どこを見ても、これで店が成り立つのかと思う人の入りだが、故郷が持つ力は不思議なものだ。客との何気ない会話にも都会では感じられない温かみがある。その日の客は私たちだけだという。明日は地元の高校の卒業式なので、少し騒がしいですよとの店主の言葉。しかし、その後は今晩とあまり変わりないようだ。それでも手を抜くことなく、丁寧な仕事ぶりに、もう一度来る機会があればと思う。それまで、ぜひ残っていて欲しい。帰り際にはシェフの主人とスタッフ一同が一段と寒気が増した戸外へ出てきて、その日唯一の客を見送ってくれた。東京などではもう見られない情景だった。