この写真はなにを撮ったものでしょう。少し古いイギリスの写真ですが、すぐにお分かりの方は、社会の日常、細部についての観察眼のおありの方と自負されて間違いないでしょう。(以下画像はワンクリック)
最近、日本でもこれと似たような風景に接する機会が多くなってきました。いままではとりたてて変哲も無い光景と思っていましたが、自分自身がその場に身を置くと、かなり違ったものに見えてきました。
この短いシリーズで記してきた現代イギリスを代表する画家のひとりであるL.S.ラウリーは、自分が人生のほとんどの時間を費やしたイギリス北部マンチェスターの地域を愛し、そこに生きる人々に与える産業の変化、そしてその中で暮らす住民の日常の生活をさまざまに画いてきました。この画家の素晴らしいところは、普通の画家が美的感情を抱かないような対象にも、観察の眼を向け、その日々の情景を画き抜いたことにあります。その一端はこれまでも[L.S.ラウリーとその世界」のタイトルで、このブログで紹介してきたとおりです。
アンコーツ病院待合室の情景
少しずつ、種明かしに入りましょう。上記の写真は20世紀末時点で、マンチェスターにあるアンコーツ病院の外来風景を撮影した一齣です。この病院は当初1828年に地域の貧困者のために開設された診療所でしたが、1874年に拡張し、その後アンコーツ病院として拡大・充実されました。現在は、近代的設備を備えた地域の拠点病院となっています。
1950年代初期、ラウリーは地域の産業盛衰、多くは衰退する光景を画くことから、次第にその影響の下に生きる人々の日々を細部にわたって画くようになりました。そうしたときに、この病院の活動に大きな功績のあった外科医 Peter McEvedy を追悼、記念するための作品を、病院の理事会がラウリーに依頼し、画家はその仕事を引き受けました。病院理事会は、長くこの地域に住み、その来し方を細々と画いてきたラウリーを好んだようでした。
画家はいつもの手順でまず、外来待合室の光景をスケッチしました。ラウリーは自らのスケッチに基づき、油彩画に仕上げることを通常の制作のステップとしていました。この時のスケッチが残っています。ご参考までに掲載しておきましょう。
その後、たまたま、病院側が制作の参考までにと画家に渡したのが上段に掲げたモノクロ写真です。カラー写真ばかり見慣れていると、薄暗く感じられますが、実際には蛍光灯が備えられ、長いベンチが置かれた普通の中規模病院の外来風景でした。ラウリーは自分のスケッチを基に、渡された写真も参考にしながら、それに縛られることなく、自らが重要と考えた画家の目で、外来待合室という刻々変化する一場の情景をユニークに描き出しています。ちなみに、この待合室はその後の改築され、現在は病院のX-ray撮影部門になっています。
ラウリーのスケッチ
作成時点不明、黒チョーク、鉛筆および水彩、画用紙、
27.2x38.1cm
最後に作品の油彩画イメージを掲載しておきます。スケッチや写真と比較してみると、すべての人物や位置の細部は書き換えられていますが、病院外来待合室の雰囲気はそのままに、画家がとらえた当時のアンコーツ病院の外来の情景が巧みにとらえられています。
L.S. Lowry
Ancoats Hospital Outpatients Hall,
1952,, oil on canvas, 59.3x90 cm
『アンコーツ病院外来待合室』
ラウリーはマンチェスター地域の産業の盛衰、とくにそhの衰退過程が地域の人々の日常生活にいかなる影を落とすかについて、画家として鋭い目で観察してきました。以前に記したように、地域の不動産会社の集金掛として勤務し、その仕事に努める傍らで、地域の時々の変化を多数の作品にしてきました。
作品に描かれた待合室が意味するもの
油彩の作品(中段の画像)を見ると、一見して古くなった室で天井からは簡単な蛍光灯が下がり、左上方には明かり取りの窓がついています。ここが病院の待合室らしいと分かるのは、右側に医師らしい白衣の若い男が立っていること、その後ろに車いすの人がいること、さらに頭に白い包帯をした人が画かれていることなどから推測ができるでしょう。
病院側が参考にと手渡した写真とほとんど同じアングルです。油彩に画かれた人々に、笑顔はなく、皆それぞれ身体や心に問題を抱え、おしなべて不安げに無表情に画かれています。画家は地域の産業の衰退過程が、住民の社会的、経済的面に暗い影 'down and outs' を落とし、それが病院で診察を待つ人々に反映していることに注目しました。画家はその人たちにある脆弱性を感じたようです(Sandling & Leber, 73)。地域の衰退・崩壊がそこに住む人々の健康状態、精神状態に影響を及ぼしてしていることを読み取っていたのです。ラウリーの描写は、病院外来待合室というともすれば陰鬱になりかねない情景に対して、ある明るさを維持しながら、そこに集まった人たちの精神的光景を的確に写し取り、見る人に伝えています。
この病院待合室という、およそ普通の画家であったなら最初から考えもしないような情景を描こうと思ったL.S. ラウリーの作品には、地域とそこに住む人々への深い愛情がこもっています。画家自身、せいぜいロンドンへ行ったくらいで、外国にも行かず、マンチェスター地域で生涯を送りました。一見、稚拙に見える画風でありながら、十分に画作の技能修得を積み、当時の写真を超える練達した手法で病院外来待合室の雰囲気を今日に伝えています。
現在のアンコーツ病院風景
続く
追記(2014/12/20)
クリスマス・シーズンにちなんで最近はクリスマス・カードを書いたり、送ったりすることが少なくなってしまいました。それでも、この季節に届く友人たちからの手書きの近況や挨拶が入ったカードにはいつも心がなごみます。ちなみに、イギリスの首相を務めたハロルド・ウイルソン(Harold willson, 1916-1995, Labour)は、私が注目する戦後のイギリスの政治家のひとりですが、故郷が北イングランドのHuddersfield であったこともあってL.S. Lowryの作品を好み、クリスマス・カードに使っていました。そのウイルソンと画家の作品に関わる記事をリンクしておきます。以下のアドレスをコピーし、アクセスしてください。
http://www.dailymail.co.uk/home/event/article-2345087/LS-Lowry-Northern-Soul-He-genius-joker-The-real-Lowry-oldest-friend.html