George de La Tour. L'extase de saint Francois, St. Francis in Ecstasy. (Copy of the lost original). c. 1640. Oil on canvas. 154x163cm Musée de Tesée, Le Mans, France
年末が近づくと、多少の感慨も生まれ、いつもと違ったことを考えたりする。1年が終わるといっても、カレンダー上の月の変わり目でしかないことは承知しながらも、この数年、「幸福、豊かさ、あるいは進歩とはなにか」といった答の出ない問題を考えてきた(考えさせられたというのが正確かもしれない)。
こうした哲学的課題を考えるいくつかのきっかけもあった。今、多少頭の中で存在を感じるのは、ある雑誌の特集*や、長年にわたる友人の生き方に触発された「歳をとることの意味」ともいうべき問題だ。これまで考えたトピックスと同様、これも、凡人である私には結論めいたものにさえ達することが不可能なテーマだ。
抽象的な次元の議論は割愛して、今回も具体的なお話を紹介して、皆さんお考えくださいということにしよう;
もう40年余り前からのの友人であるドイツ人の夫妻、E&Aのクリスマス・カードに付けられていた手紙に記されていた話だ。地域の小さな図書館を管理している友人の妻Aの助手をしてくれていた女性が、この年末50歳の誕生日の2週間前に乳がんで亡くなったという。女性は有能な司書として館長を支えてきた。Aは新年から、この女性に自分が長年務めてきた図書館長の仕事をゆだねて、引退する予定でいた。
夫はすでに引退して、自分の生活を楽しんでいるので、Aもその日を楽しみにしていたらしい。年末にそのことを司書の女性に話そうと思っていた。ところが、ひとつの出来事で人生の設計が変わってしまったという。Aはしばらく暗中模索の時を過ごさねばと考えている。「人は死ぬために生まれてくる」というラテン語の箴言が記されていた。
他方、Aの夫であるEは、大学教授の仕事を離れて久しい。悠々自適とみえる毎日の生活だ。最近かなり楽しいと思うことがあると、次の話を書いて寄こした。
彼の友人である82歳の老人が、昨年2度目の脳梗塞の発作で半身不随となり、話すことができなくなった。しかし、人の話すことは十分理解できるらしい。友人Eは何を思ったか、毎週2回彼のところに出かけ、トルコのおとぎ話の本を読んであげることを始めた。ドイツのおとぎ話は暗くて憂鬱だが(なるほど!)、トルコの話は機知に富んで、爆笑する部分も多いという。
老人はEが来る日をとても楽しみにしているらしい。実は本を読む側のEもかなりの老人なのだが、日だまりで老人同士が本を読み、大きな声で笑っているような光景を思い浮かべると、なにか救われるものがある。
Eは正岡子規の句が好きで、なにを思ったか、この話の後に次のフレーズを記してきた。
Where a flower withers away before its painting has been completed.
これが正岡子規のどの句に対応するのか。いまだに思い浮かばないでいる。(この点については、 pfaelzerweinさんの博識なコメントで解決いたしました。コメント欄ご覧ください。)
* ’The joy of growing old (or why life begins at 46.’ The Economist December 18th-31st 2010.