時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

歳をとることの意味

2010年12月26日 | 雑記帳の欄外

 

 

 

 

George de La Tour. L'extase de saint Francois, St. Francis in Ecstasy.  (Copy of the lost original). c. 1640. Oil on canvas. 154x163cm Musée de Tesée, Le Mans, France

 

 

 

年末が近づくと、多少の感慨も生まれ、いつもと違ったことを考えたりする。1年が終わるといっても、カレンダー上の月の変わり目でしかないことは承知しながらも、この数年、「幸福、豊かさ、あるいは進歩とはなにか」といった答の出ない問題を考えてきた(考えさせられたというのが正確かもしれない)。

 こうした哲学的課題を考えるいくつかのきっかけもあった。今、多少頭の中で存在を感じるのは、ある雑誌の特集や、長年にわたる友人の生き方に触発された「歳をとることの意味」ともいうべき問題だ。これまで考えたトピックスと同様、これも、凡人である私には結論めいたものにさえ達することが不可能なテーマだ。

抽象的な次元の議論は割愛して、今回も具体的なお話を紹介して、皆さんお考えくださいということにしよう;

もう40年余り前からのの友人であるドイツ人の夫妻、EAのクリスマス・カードに付けられていた手紙に記されていた話だ。地域の小さな図書館を管理している友人の妻Aの助手をしてくれていた女性が、この年末50歳の誕生日の2週間前に乳がんで亡くなったという。女性は有能な司書として館長を支えてきた。Aは新年から、この女性に自分が長年務めてきた図書館長の仕事をゆだねて、引退する予定でいた。

 夫はすでに引退して、自分の生活を楽しんでいるので、
Aもその日を楽しみにしていたらしい。年末にそのことを司書の女性に話そうと思っていた。ところが、ひとつの出来事で人生の設計が変わってしまったという。Aはしばらく暗中模索の時を過ごさねばと考えている。「人は死ぬために生まれてくる」というラテン語の箴言が記されていた。

他方、Aの夫であるEは、大学教授の仕事を離れて久しい。悠々自適とみえる毎日の生活だ。最近かなり楽しいと思うことがあると、次の話を書いて寄こした。

 彼の友人である82歳の老人が、昨年
2度目の脳梗塞の発作で半身不随となり、話すことができなくなった。しかし、人の話すことは十分理解できるらしい。友人Eは何を思ったか、毎週2回彼のところに出かけ、トルコのおとぎ話の本を読んであげることを始めた。ドイツのおとぎ話は暗くて憂鬱だが(なるほど!)、トルコの話は機知に富んで、爆笑する部分も多いという。

 老人はEが来る日をとても楽しみにしているらしい。実は本を読む側のEもかなりの老人なのだが、日だまりで老人同士が本を読み、大きな声で笑っているような光景を思い浮かべると、なにか救われるものがある。

 Eは正岡子規の句が好きで、なにを思ったか、この話の後に次のフレーズを記してきた。

 
Where a flower withers away before its painting has been completed. 

 

 これが正岡子規のどの句に対応するのか。いまだに思い浮かばないでいる。(この点については、 pfaelzerweinさんの博識なコメントで解決いたしました。コメント欄ご覧ください。


    ’The joy of growing old (or why life begins at 46.’ The Economist December 18th-31st 2010.

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SEASON'S GREETINGS

2010年12月23日 | 午後のティールーム

 

SEASON’S GREETINGS


Photo YK

画家 ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの生地ロレーヌ地方、ヴィック・シュル・セイユに残るサン・マリアン教会外壁の飾り板 tympanum (1308年制作)。

この教会は12世紀から16世紀にかけて建造され、当時の古い信仰のおもかげを伝えている。この時代のロレーヌは、カトリック信仰と併せてさまざまな土着の信仰も盛んだった。この飾り板にもその一端がうかがわれ、興味深い。


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潰えた夢:アメリカ移民法改革の断面

2010年12月21日 | 移民政策を追って

  最近のブログ記事でとりあげているアメリカ移民法改革にかかわる問題のひとつが、CBSニュースで話題となっていた。あのDream Actが上院を通過できず、成立しなかった。CBSは「夢法案、上院に死す」DREAM Act Dies in the Senate と報じている。この法案はアメリカへ16歳以前に「不法」に入国した者に審査の上、市民権取得への道を開こうとしたものだった。

 ほとんどの日本人が関心を寄せないようなトピックスばかり、なぜ書いているのかと思われよう。理由を記せば長い話になってしまう。しかし、30年後、あるいは50年後になると、日本も同様の問題を避けては通れないだろうとの思いが頭の片隅をよぎるためだ。管理人本人は間違いなくこの世にいないから、余計な心配にすぎないことは承知の上でのことだ。

 余談はさておき、上述のDream Act 法案、下院は通過したのだが、上院で主として共和党議員の反対で、議事妨害 Filibuster のため成立を拒まれた。このことはオバマ大統領の下で、移民法改革が進展しないことにいらだっていた人たち、特にヒスパニック系の活動家にとって、大きな失望を生んでいる。新年に入り、共和党優位の議院体制となれば、こうした法案が復活する可能性はなくなってしまう。

 法案はもともと子供の頃、親などに連れられてアメリカへ入国し、高校あるいは同等の教育を終了、アメリカ国内へ少なくも五年間居住していた者が対象になっている。さらに犯罪歴がなく、さらに2年間の大学課程あるいは軍役につくことに合意した者に限られている。応募者はそれでも市民権を得るため10年間は待たねばならず、遡及して租税を支払い、履歴についての審査をクリアしなければならないという内容だった。反対にまわった共和党議員の考えは、この法案はアムネスティ(恩赦)に近く、さらに不法移民の入国を招くにすぎないというものだった。他方、その内容から、共和党員の中にも法案主旨に賛成する者もいて、党派を越えた投票が行われた。

 法案が成立しなかったことで、移民とりわけ不法在住者の多数を占めるヒスパニック系には不満が高まっており、いかなる動きが生まれるか。彼らにすれば、このままでは「二流市民」の苦難な時期が続くだけだ。

 新年になり下院が共和党優位に移行する前に、少しでもポイントを稼ぎたいオバマ政権には苦しい結果になった。オバマ大統領も失望の色を隠せなかった。もっとも、民主党員の中にも、包括的移民法案が生まれるためには国境管理の一層の改善、不法移民を雇用した使用者への厳しい罰金が課せられるべきだとの強い主張もある。さらに市民権を望む者は、英語の習得、罰金の支払いも必要だとの考えも提示されている。

 いかなる形であれ、包括的移民法が新議会で成立するには、もはや超党派での対応しかないと考える民主党議員もいる。今のところ、こうした考えには賛成者は少ないが、人権、居住の権利など問題の内容、ヒスパニック系の影響力などから、可能性が消えたわけではないとの観測もある。

 かつては、白人対黒人の対立問題が、今では白人、黒人、ヒスパニックと多様化し、人種グループ間の亀裂の拡大は複雑になった。 数が少なかったころは「物言わぬ民」であったヒスパニック系が大きな発言力を持った今日、対立修復のルール作りはそれほど容易なことではなくなった。近い未来のアメリカのあり方に深くかかわるからだ。人々が思い描くアメリカ国家像は収斂にはほど遠い。

 

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断裂深まるアメリカ(4)

2010年12月19日 | 移民政策を追って



「不法滞在者」といわれる人々
  
外国人(移民)労働者の分類カテゴリーのひとつに、「不法滞在者」illegalsといわれるグループがある。彼らの多くは仕事の機会を求めて、越境してきたとみられる。不法滞在者と見られる人たちは、相手国に入国する際に要求される旅券、査証、身元引受書などの書類を保持することなく、書類の提示を求められる国境線上の税関、入国管理事務所などを回避し、あるいはそれらの書類は保持し、最初は合法的に入国するが、その後は、在留が認められている期限や目的の範囲を越えて、当該国に滞在している。 しかし、現実の世界に入ると、不法滞在する動機などもさまざまであり、近年は「不規則移民」irregular migrants という表現も使われるようになった。しかし、あまり分かりやすい表現ではない。

  前回の事例からも想定されるように、「不法滞在者」といわれる人々の背景はきわめて多様で、客観的な区分も容易ではない。そのため、ある程度多くの事例を蓄積、観察する必要が生まれる。彼らの数が少ない間は注目を集めないが、ある水準を超えると社会的問題として浮上する。

 アメリカに限ったことではないが、多数の「不法滞在者」をそのままの状態で放置しておくことが適切でないとの段階に達すると、多くの国は彼らを国民として受け入れるか、出身国へ送還するかの選択を迫られる。しかし、入国の経緯に大きな個人差がある以上、すべての「不法滞在者」を一括して扱うことは多くの場合不可能に近い。二者択一の扱いはできなくなり、一定のルールの設定と導入、さらに国家形成の思想が問われることになる。

ルールが生まれるまで
 そのために、現実の「不法滞在者」の中から国民が合意できるようなルール・範疇を抽出する努力が必要となる。アメリカあるいはヨーロッパのいくつかの国で、この方向に添った議論が行われてきた。日本でも法務省などでは検討が行われているようだが、国民の間に開かれた議論とはなっていない。当然、国民の多くが関心を抱くにはいたっていない。この点、欧米の移民が多い国では、ある社会的「常識」が形成されてきている。

前回に続き、別の事例を見てみよう。

事例2
マーガレット・グリモン Margaret Grimond の場合

 マーガレットはアメリカに生まれたが、まだ幼い時に母親とスコットランドへ渡った。その後ずっとスコットランドで暮らし、80歳になった時、これまで知らない外国で家族の休暇を楽しみたいとオーストラリアへ旅した。実は彼女にとって、これはイギリスを離れる最初の経験だった。その時、新しく入手したアメリカ合衆国の旅券を使用した。休暇を楽しみ、オーストラリアからイギリスに戻り入国審査を受けると、この旅券ではイギリス滞在は認められない。四週間以内に退去するように指示された。

 彼女はイギリス入管法の扱いでは、これまで「不規則移民」irregular migrant として滞在していたことになる。他方、マーガレット・グレモンはアメリカ旅券を取得したことで、自分がイギリス国民ではないことを知っていた。しかし、イギリスにいる間、その点の変更を求める行動も起こしていなかった。
 
QUESTION
 さて、ここで読者の皆さんに質問をひとつ。 皆さんだったらマーガレット・グレモンにいかなる裁定を下すでしょう。そして、その理由は?
 
 
話を戻すと:
 結果として、彼女のニュースは国際的な新聞種になった。そこに展開した社会的議論の結果が反映して、グレモンはイギリス滞在を認められることになった。多くのイギリス人は、入管法のルールがいかなるものであれ、一部の官僚は別として、これほど長くイギリスに住んだ人を退去させる道徳的不合理さを感じただろう。彼女はたしかに不規則移民ではあったが、この時点まで来ると、そのことは問題ではなくなっている。
   
 グレモンにはイギリスに定住する道徳上の権利が生まれているとみられる。なぜなら、彼女は1)幼い時に両親に伴われてイギリスに入国しており、その時の責任はない。その後イギリスで生育したことで法的立場にかかわりなく、実質的にイギリス国民となっている。2)大変長くイギリスに住んでいた。

 社会的メンバーシップの概念は、イギリス国籍法 British Nationality Act of 1981 で暗黙裏に認められているが、市民権取得への道にはなお多くの制限がある。とりわけこの法律は「領土内で生まれた者はすべて市民とする」(the jus soli rule:出生地ルール) という伝統ルールを否定している(アメリカ、カナダは維持)。市民権の自動的取得は、1)市民の子供たちと、2)永住者のみに限られている。それにもかかわらず、この法律は例外をイギリスで生まれた者のすべてと人生の最初の10年間に成長した者に与えている。イギリスは国と強いつながりを持った者を退去させようとはしなかった。

 BNAの10年ルールは強制的なものだ。しかし他国がその通りにしているわけではない。一般に、その国で生まれてはいないが、子供時代の10年を過ごした者に同じ論理がさらに強く当てはまるとみられる。6-16歳(または8-18歳)の10年は、1-10歳よりも当該国にとっては意味がある。これらの若者に国外退去を強制するのは残酷と考えられる。しかし、アメリカ、EU諸国の多くは今でもこれを要求している。
 
 その国で生まれていなくとも6-16歳という少年に重きを置く理由は、この時期に子供とその地域社会における重要な社会的関係が形成され、対応する教育も行われる年齢であるという点にある。両親がたとえばマーガレット・グリモンをその地に連れてきただけという理由で、彼女をその地から引き離すのは道徳的にも好ましいことではないという考えだ。「不規則な」状態は、幼少の頃に両親に連れられてきた子供にとっては、年数の経過とともに意味が薄れることになる。
 
居住年数の評価
 それと同時に、グリモンの事例の第二の条件、受け入れ国であったイギリスに何年いたかという年数の絶対的な長さが問題になる。不法に入国していても、国外退去を命じるには適当でない年齢が、社会的に生まれてくるのではないか。それでは何年くらいの年数が考えられるか。これはかなり難しい点ではある。ただ、15-20年その地に住めば、入国の際の不法性は十分相殺されていると考えられる。グレモンの場合も、イギリス永住を認めるかの審理が終わった時、彼女は「アメリカに戻っても、知人も友人もだれもいないことを心配していた」と述べている。彼女の場合は、幸い社会的注目を集めたがために、特別の計らいを受けた。しかし、もし注目をひかなかったら、官僚的な手続きで送還されていたかもしれない。
 
 これらの事例を通して、不法滞在者であろうとも、出生国へ送還することが適切であるか否かに関するあるルール作りの輪郭が見えてきた。しかし、現実はさらに複雑だ。引き続いて、事例を見てみたい。
 
 
 この事例および解説は、前回同様 Carens(2010, 8-13)に依拠している。

 

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断裂深まるアメリカ(3)

2010年12月12日 | 移民政策を追って



人気復活は可能か

 政治の世界は、一寸先は闇なのかもしれない。あの全米を覆った熱狂的支援の下で選ばれたオバマ大統領だが、その後の人気失墜ぶりはすさまじい。ひとたび落ちた偶像が、再び台座に戻るのはきわめて大変なことだ。今はひたすら下院で多数派(2011年1月議会から)となった共和党に譲歩して自らの危機を乗り越えようとしている。最近の税制改革での妥協に如実に見られるように、政策も鋭さを失い、迫力がなくなった。当然の結果だが、目指す方向とは異なった道を選ばねばならない。

 このブログでテーマとして注目してきた移民法改革もそのひとつだ。オバマ大統領は2年前の選挙運動中は、移民法の抜本的改革を課題のひとつに掲げ、ヒスパニック系移民から絶大な支持を受けた。しかし、就任後二年間ほとんどなにもなしえなかったことへの反動は大きく、深い傷を負ってしまった。

 連邦の無力に業を煮やしたアリゾナ州などでは、不法移民に対する厳しい州法が制定され、連邦対州の対決という困難な課題まで抱え込んでしまった。本来、出入国管理は連邦の管轄下に入る。アリゾナ州、テキサス州などの国境周辺州では、不法移民の大多数を占めるヒスパニック系に対する住民の反発は急速に高まった。本来移民の国として人種の融和が前提のアメリカにおいて、ヒスパニック系対白人・黒人という新たな人種間対立が深まるという事態まで生んでいる。

ぎりぎりの選択
 今となっては、ブッシュ大統領政権時に構想されたが未成立に終わった「包括的移民法」の方が、はるかに一貫性を維持していた。追い込まれたオバマ大統領としては当面ブッシュ大統領の構想を、ひとつずつばらばらに立法化するという道しかなさそうだ。とりわけ困難な課題は、1100
万人ともいわれるすでにアメリカ国内に居住する不法移民とその家族に、いかに対応するかという問題だ。不況が長引き、彼らが国内労働者の職を奪うという反発も高まっている。

 オバマ大統領と民主党は、議席が共和党優位に入れ替わる来年の新議会前に、「優良な不法移民」に永住権を与える DREAM法(the Development, Relief and Education for Alien Minors Act: the DREAM Act)と称する法案の制定に期待し、努力している。しかし、共和党員の反対で成立は難航している。

 この法案の対象は、16歳までにアメリカに入国し、高卒か同等以上の学歴を持つ不法移民で、幼少の時に親に連れられて入国したなど、本人に不法滞在の責任を問えない場合だ。犯罪歴などがなく、「素行善良」of good moral character ならば、永住権を申請できる。


 オバマ大統領は、不法滞在者のほとんどを対象に、犯罪歴などを審査の上で段階的に市民権を付与する(合法移民化)ことを考えていた。しかし、共和党員の強い反対を考慮して、こうした限定的法案とした。それでも、共和党の支持は得られていない。

 DREAM法案が今後どんな帰趨をたどるかはまだ分からない。法案も複数提案されている。しかし、対象が不法移民の一部であれ、ほぼすべてであれ、今後の議論はいかなる基準の下で、不法滞在者を選別、区分するかという点に収斂してゆくだろう。すでに議論が始まっている。そこで、それらの議論の紹介も兼ねて、具体的レヴェルへ下りてみよう。その結果は、不法滞在者の数は少ないが、本質的には同じ問題を抱える日本あるいはヨーロッパにとっても示唆を与えてくれるはずだ。

 この問題の難しさはどこにあるのか。具体的事例で、そのありかを考えてみたい


事例(1) 
 メキシコに生まれ育ったミゲル・サンチェスは、メキシコにいる頃は、貧乏で税金も払えないほどだった。アメリカへ出稼ぎに行こうと思い、何度か入国査証の発行を求めたが認められなかった。そこで、
2000年に密輸業者の手を借りてメキシコ国境を徒歩で越境し、アメリカに不法入国した。親戚のいるシカゴへ行き、建設工事現場で働き、メキシコの父親へ送金した。週末はダンキン・ドーナッツでアルバイトし、夜学で英語を学んだ。2003年に近所のアメリカ生まれの女性と結婚した。その後、息子が生まれたが、ミゲルは送還の恐れをいつも感じて生活していた。
 
 
  運転免許証も取得できないので自動車での遠出もできず、航空機にも乗らなかった。息子はメキシコにいる祖父に会ったことがない。今は自宅も保有し、税金も払っている。ミゲルさんのアメリカでの滞在年数は10年を越える。ミゲル・サンチェスに、アメリカ市民権は与えられるべきか。もし、与えるとするならば、いかなる論拠によってか。

救済の道は

  現在のアメリカにはミゲル・サンチェスのような状況にある人々の地位を合法化する手立てはない。アメリカには事情は異なっても、正式の滞在許可に必要な書類をなにも所持しない人々が、1100
万人近く居住している。彼らはその事実が発覚すれば、本国へ強制送還されることを心のどこかで感じながら毎日を過ごしている。同様な人々は、ヨーロッパ諸国そして数は少ないが日本にもいる。数の点を別にすれば、根底にある問題は同じだ。

 こうした人々が抱える問題にいかに対処すべきか。
これまで試行錯誤で行われてきたのは、ある年数が経過した後、過去の違法行為を帳消しにしてアムネスティ(恩赦)を与える方法だ。しかし、アムネスティの大きな問題は、一度実施するとそれを期待して不法越境し、次の実施をじっと待つ人たちがかえって増えてしまうという現象が起きる。実際、フランスやアメリカでアムネスティを実施した後、不法滞在者の数は増加した。そのため、安易には導入できない政策手段だ。アメリカでは共和党員のみならず、民主党員の間にも、アムネスティ発動には反対する議員が多い。

 代替的手段として浮上したのは、不法移民がある水準に達した段階で、それまで社会的には「隠れた存在」である彼らを審査の上で、段階的に市民権を付与し、目に見える存在へと組み替えることだ。DREAM法案はそのひとつだ。不法滞在者の個別的な背景はかなり異なり、多様化している。論理的な整理が不可欠だ。政策の基本的構成要因となるのはなにか。現在の議論はいかなる段階に来ているのか。いくつかの事例を通して、少しずつ解きほぐしてみよう(続く)。
 

 

 



主な事例は下記の著作および管理人が企画し、実施した日米共同研究の成果に依存している。
* Joseph H. Carens. Immigrants and the Right to Stay, Mass.; MIT Press, 2010.

 

 

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どうすれば重荷を下ろせるか:日本が生きる道は

2010年12月06日 | 雑記帳の欄外

 しばらく前まで、TVは朝晩のニュースくらいしか見なかった。TVが特に嫌いというわけではないのだが、単純に画面の前に座っている時間がなかったにすぎない。そのためもあって、朝の連続物、大河ドラマのたぐいはほとんどまったくといってよいほど見たことがない。他方、新聞など活字は割合よく読んでいる。明らかに活字派なのだ。

 
最近、少し様子が変わってきた。自由になる時間が増えたことに加えて、細かい活字を読むことに疲れ、次第に見るに安易な映像世界派へ傾いてきた。もともと好きなサッカーなどのスポーツ番組を見る時間も少しずつ増えて、思いがけずのめりこんでいたりする。スポーツ番組は嫌いではない。団体競技でも、個人が自分の持つ全力を投入してプレーする姿に惹かれるからだろうか。

 
他方、最近少し気になっていたことがある。司馬遼太郎の『坂の上の雲』あるいは『竜馬伝』などの明治期、懐古番組が話題になっていることだ。それもこの国唯一の国営TVともいうべきNHKの独占的?制作、放映だ。TV番組の原作となっている作品については、一通り読んではいる。しかし、今頃どうしてと思うほどの入れ込みようだ。この制作側のいささか異様と思うほどの熱の入れ方が気になり、その裏を考えてしまう。近頃、すっかり活力がなくなり、不安に追われているような現代の日本人に、なにかを考えさせ、時代の閉塞感を打ち破るような活力を発揮させようとの誰かの深謀遠慮が働いているのではないかと邪推してしまう。

 
ところが外国にも同じようなことを考える人もいるようだ。著名な国際的雑誌 The Economist が日本の実質的な国営放送局NHKは、隠れた政治的課題を持って、これらの番組を制作、放映しているのではないかという記事を掲載している。

 真偽のほどはわからないが、「龍馬を殺さずに生かしておいてくれ」という投書が
NHKに多数送られてきているという。新年から始まる大型番組『坂の上の雲』にも、制作者の間には方向性を失っているこの国について考えるために、「国民は歴史から学ばねばならない」という意図がかなり明瞭にあるようだ。『坂の上の雲』の原作者司馬遼太郎は、日本人の間に好戦的な愛国心が惹起されることを恐れて、作品がTVなどに映像化されることを望んでいなかったと伝えられている。しかし、その願いは果たされなかった。

 人口減少、少子高齢化がもたらした数々の重い問題に加えて、日本の周辺も緊迫感が漂っている。あのThe Economist 誌は、日本の高齢化社会がもたらす問題の特集に、次のような辛辣な表紙を掲載している。




この重圧をいかに取り除くか

 時の氏神がご機嫌を損ねたのか、「普天間基地」、「尖閣列島」、「北方領土返還」、さらにはお隣り韓国での「ヨンピョン島砲撃事件」など文字通り「問題山積」の状況が生まれている。東アジアの緊張は明らかに高まっている。いずれの問題も対応を誤れば、一触即発の危機になりかねない。

 「日本が大陸と地続きでなくてよかった」という思いがする反面、地政学(ジオ・ポリティックス)上の特性を生かして、悲惨な結果につながるような過ちを繰り返さぬよう、日本人は深く考えねばならない時だ。アジアとアメリカとの地政学的プレート・テクトニクス、深層基盤が重なり合い、上下入れ替わろうとする歴史的転機にさしかかったようにも見える。その先端部での現象が今起きていることではないだろうか。日本の生きる道はどこにあるか。「和魂洋才」を掲げて一世紀半以上の年月を過ごしてきた日本は、これからアジア、アメリカどちらの基盤に比重を移そうとしているのか、あるいは移すべきなのか。坂本竜馬がその答を与えてくれるとは思えない。大河ドラマも心して見なければならない。現実はドラマよりもはるかにすさまじい様相を呈している。時々意識して末端神経を活性化していないと、蜘蛛の糸に縛られてくるような気がしている。


Reference
“Televised nostalgia in JapanThose were the days” The Economist December 4th 2010. 


 

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